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  • くさやを,初めて食べました。
    友人から電話がかかってきて,「まつをさん,くさやを貰ってきたので食べよう」とのこと。
    くさやは,臭いので有名。先日,行きつけの店のマスターが言うには「焼き始めると便所の臭いがする。火が回ると糞の臭いそのもの」という話を聞いたばかり。友人宅で七輪に火を起こしました。そして,くさやを焼く。とたんに友人はオエッという声をあげました。結局,私は大丈夫でした。美味くも不味くもない食い物というところです。臭いはたしかにします。くさや=糞=マルタイ屋台ラーメン(すみません,ローカルで),の図式が頭に浮かびました。写真は,友人が一口食べたところ。そう言えば私は,ドリアンも大丈夫。ある本にドリアンは「朝潮の靴下の臭い」と表現してありました。私としては,プロパンガスが漏れた臭いというところ。
    1998.8.27


    お盆の日に書いた記事について,日本の宗教事情を研究しているあるお坊さんから以下のような解説を頂きましたので紹介します。
    --------------------------------------------
    後世は、現世の延長線上。したがって、後世とは、現世の未来のこと。来世は、現世とは全く切れています。つまり、無関係、ということ。
    後世を構成するのは、現世の人間の記憶です。別の表現では、歴史です。中国人は(小室直樹によると)歴史による救済 が目的だそうで、如何に歴史に名を残すか、それは とりもなおさず今生きている人間に、如何にして自分の名と業績を記憶させるか,そして、それを 歴史に留める( ということは 後世へも記録として残させる)か、これが眼目だそうです。自分の肉体の死後、自分に関する記憶が、自分自身も含めて、現世から一切消失してしまうのは 耐えられない!漢民族の死後観は、 現世を生きるための手段である肉体と魂が分離し、いわゆる 死を経た後も、 肉体の根元(である 魄 )と 精神そのものである魂とは,つねに(分離したままではありながら)この世(=現世)に留まる。後世 も 現世 も 同じ世なのです。ただ、自分の 肉体と精神の状態が違う。 それが現世 と 後世 の差です。世間という 器 を支えているものは 人間 です。もっと言えば、人間の記憶です。この記憶がある限り( つまり 覚えていてくれる人がある限り )「生きている」のです。ここに、仏教的なニュアンスを含めて言えば …… 「かわいそうに、 織田信長は400年経っても まだ、 死なれない。死なせてくれない」この「かわいそうに」というところが大切なのです。来世に行かないから、現世のままで 評価 にさらされる。なぜなら、人格の連続性を保持したまま、行動の手段である 肉体と精神を 消失しているから。評価を逆転させる 行動( たとえば 裏話のリーク など )を取れないから。
    1998.8.26


    皆さんは,平和5原則というのを憶えていらっしゃいますか?教科書にも載ってました,あれです。
    ①領土・主権の相互尊重 ②相互不可侵 ③内政不干渉 ④平等互恵 ⑤平和共存
    1954年中国の周恩来とインドのネルーの共同声明として発表したものです。
    1998.8.26


    おととい,久々に例の「アメリカではこうなっとるから,日本もそうなるべし」論を聞きました(笑)。「アメリカではこのような教育法をやって,日本より30年進んでいる。日本も追いつかねば」という論調でした。ところでアメリカの教育現場はどんな状況になっていましたっけ?30年進んでいると言うことは,今日本でその教育法を取り入れた場合の,30年後の姿をアメリカに見ることが出来ると思いますが。
    1998.8.19


    「人生なんて糞だ」と言った人がいました。たぶん[その人の]人生は糞だったのでしょう。そういうことです。私たちが人生を語るとき,それは「自分の人生は」という条件がついてまわっているのです。「諸君,人生というのは……」というフレーズもそうです。ここが人文的世界の滑稽なところでもあり,面白いところでもあります。それでいいのです。語る人が上記の点を理解して発するのならば,それは勇気であり,それなくして私たちは触発されないのです。自己表現たる芸術が是とされるならば,人生観の吐露は否定されるべきではありません。過度の懐疑や斜視は生むものがなくなります。
    それにしても,どうして評論家というのは,ああも小綺麗な格好をしているのでしょう。創作者の現場というのは,常に混沌としていることを考えると,いかに彼らは安全圏にいるかがわかります。
    1998.8.19


    今は昔,宇野という総理がおりました。彼は「不適切な関係」を持っていたが故に,その職を追われました。このスキャンダルが出たとき,USAの某ジャーナリストは「わが国で,かようないかがわしい行為を政治家が行うことは,その政治生命を失うことだ」といった旨を述べ,日本社会を未発達なものとして批判しておりました(「そうか?」と当時思ったのでよく憶えているのです)。さて今回フリントン,もといクリントン氏の一件が出ました。さあ向こうの番です。彼の地の民主社会のお手並み拝見といきましょう。
    1998.8.18


    キャスターが近頃よく次のようなパターンを繰り返しています。
    「景気は一層深刻な局面を迎えています。政府は,早急に有効な景気上昇の手だてを打たねばなりません」と政府批判をした後,
    「今日も暑い日が続きました。これも温暖化現象の影響でしょうか。地球環境はどうなるのでしょうか?」と深刻な顔をしてみせる。
    ???
    復習をしておきましょう。
    景気上昇すれば,エネルギー大量放出社会に向かうことですから,地球温暖化はすすみます。
    つまり,前述のキャスターの態度は,矛盾そのものです。知っていて,スポンサーのために流す擦り寄り?ならば罪が深すぎます。
    我々は,文明的選択の局面を迎えているのです。それは実に厳しい二者選択となります。
    1998.8.17
    cf.小野塚君,再見!


    お盆に体重が増加した。落とさねばなるまい
    1998.8.16


    お盆にちなんだお話を書きます。
    インドでは死者は49日後に他に転生
    すると信じられております。ですから基本的に墓がありません。もう他のものに生まれ変わっているわけですから,墓は必要ないという捉え方です。日本では49日は序盤戦で,それから何度も法事を行っていきます。このように日本の仏教はインド感覚のものとずれがあります。
    儒教では,人が死ぬと,魄と魂に分かれると捉えられています。魄つまり肉体は地行き,魂は天に行くのです。そして魄と魂が合体すれば,復活があるとされ,そのため古代一族の長は,重大な決断を下さねばならぬ時,シャーマンとなって魄である先祖のシャレコウベをかぶり,魂を呼び寄せ,祖先の決断の言葉を聞いたと言われます。これが儒の初期の形です。そしてもう一つ大切なことがあります。儒教は輪廻思想を持ちません。祖先の魂はたとえば空の雲の上にずっと増え続けて行くわけです。ですから,子孫を絶やすことは一大事なわけです。なぜならば祖先と自分の魂が路頭に迷うからです。脈々と一族の流れは絶やしてはならず,魄を納める墓も重要と言うことになります。
    日本の仏教は,このようなインドと中国の来世観がミックスされ,さらに道教や神道が入り組んでいるのです。現代日本の仏教者の本が,原始仏教について述べるとき歯切れが悪くなるのは,こうした背景があるのです。
    それどころかギボアイコ氏が「あなたの肩のところに,亡くなったお爺さんがいらっしゃいます」などと発言するテレビ番組が,かって高視聴率を取っていたと言うことは,日本人の多くは,お盆に限らず祖先の霊が自分の身近にいると信じているのかもしれません。というのも先ほどの発言は「あなたのお爺さんは成仏していませんよ」ということなのですから(この成仏という言葉も多くの日本的特色をしょっています),これを聞いて怒らないということは,もともとそういう世界観を持っているということなのでしょう。
    しかし,ミックスされた仏教などおかしいじゃないかという発想も短絡的です。本来,文化とはその地の人々が持つ共通したタブーなのであり,その地ごとに根付いて行かざるを得ないものなのです。それぞれの形があって文化なのです。
    1998.8.15


    お盆になると,江戸儒学の祖,林羅山のことを思い出します。
    彼は幼少のころ仏教寺院で学びました。そのうちに寺が,彼に仏門に入ることを勧めたのです。彼が親(養父母)にこのことを話しますと,涙ながらに止めるよう説得されます。家が絶えるではないかというわけです。以後,彼は仏教が世間を抜けた宗教であると考え,仏教から儒教へ転換するわけです。このことは仏教の根本を示した問題です。またゆっくり書きましょう。
    1998.8.14


    毒混入事件が起こっております。痛ましいことです。
    皆さん,マスコミがこの事件をどう報道するのか,見ておいてください。私は本日からお盆の休みに入りましたので,ワイドショーを眺めておりましたら,あれですね。オウム事件での河野さん誤報以来,だいぶマスコミも慎重にはなっているようです。しかしなんと言いますか,ちらほらとその性癖が見え隠れしています。「同じ事を2日も3日も。事件が解決してから報じれば,いいんじゃないの?」とは,とある老人の名言。
    神戸児童殺傷事件の際,多くの人が「予想される犯人像」を逮捕前に語っていましたね。多くがみごとな外れでした。判明後に,予想を語っていた幾多の文化人の映像をつなげて番組にして見せてもらえませんでしょうか。無理でしょうかね。マスコミが垂れ流した情報に,いかにゴミが多いかを証明するような番組になりますから。
    1998.8.13


    映画「タイタニック」を「21世紀の子ども達に残したい100の映画のひとつ」と評した意見がありました。それも「これはスペクタクル映画ではなく,人間の生き様の映画だ」というのです。困ったものです。以下は,もうすこし柔らかく書くべきなのでしょうが,あまりに憤慨しましたので,そのまま書きます。子ども達に残すというのならば黙っておれません。
    ローズ(女性主人公)の生き方が「21世紀の子ども達に残したい」生き方のひとつ?彼女は,不満を持ちつつも大金持ちと婚約し,彼を毛嫌いしながらも手にしたダイヤは一生ガッチリせしまたままで,知り合った男とはすぐに交情し,そこまでジャックを愛したのなら一生思って生きると思いきや,ぬけぬけとまた他の男と結婚する。このローズは,猿です。目の前にある快楽は喰らい,不快には唾する。そんな人間の生き方を描いた映画が,「スペクタクル映画ではなく,人間の生き様の映画として,21世紀の子ども達に残したい100の映画のひとつ」と評する人は,物事の大筋が掴めない人でしょう。
    ところでダイアナは聖女でしょうか?世論はそのように扱っています。私はタイタニックの映画を見たとき,ローズとダイアナがダブって見えてしまいましたが。
    1998.8.12


    事実を淡々と書きます。本日8月7日昼食に日清のチキンラーメンを食しました。賞味期限が1998.8.20でした。現在夕方6時ですが吐き気がして胃の薬を飲みました。昔,食品には製造年月日がかかれ,そして賞味期間○○日と記されていたのです。これが法改正され,タイムリミットを記すようになりました。つまりいつ作られたのかわからなくなりました。
    【問】この法改正は消費者のためになされたのでしょうか?
    1998.8.7


    日本のホテル・旅館は高いですね。旅館なんぞは明細書を見せなさいと言いたくなります。この料理はいくらだったの?と.。旅や宿のガイド本も,いい加減にしてくれといいたくなるのがありますね。ガイド本の利用者側と,旅館側の,,どちらの方に気配りしながら書いてるんだと。このHPに登場する俵山氏はかつて旅館業を営んでいましたが,ガイド本の取材が来るとなると無料宿泊・飲食の接待をしていたといいます(全てのガイド本がそうか否かは別)。ガイド本を書いている方と,このことについて話したことがありますが,彼は「ガイド本でいい宿と記されていて,不愉快な対応しかしない宿だった場合(これは主観のレベルを超えた問題について),それは消費者側の自己責任だ,ガイド本に責任なし」という趣旨を言い放ちました。この点について法的にはどうなっているのか,極めて興味のあるところです。どなたか詳しい方は,メールをいただけませんか?
    1998.8.2


    前回の続き。欧(ヨーロッパ)もまた様々です。例えばスイスでは未だに女性には参政権がありません。
    1998.8.1


    よく「欧米ではこうなっとる」という論法を目にします。これが困ったしろものです。欧(ヨーロッパ)と,米(アメリカ)は違います。その例を書きましょう。次のようなイメージができてませんか?
    1 「欧米では消費税が高い」……実はそうではありません。欧で高く,米で低い。
    2 「欧米では健康保険が整っている」……実はそうではありません。欧で高く,米で低い。
    3 「欧米では年功序列型賃金・終身雇用制ではない」……実はそうではありません。ホワイトカラーについては,欧では年功序列型賃金・終身雇用制となっており,米でそうなってないのみ。
    挙げればキリがありません。一口にいって,アメリカは自由主義なのです。稼げない者は落ちていく。つまり貧富の差は広がりやすい。一部の者に富が集中すると,犯罪が増え,社会が不安定になるという説があります。
    1998.7.31


    現代社会において,食料と為替レートは戦略兵器のようにつかわれているようです。久米宏が経済再建にあたる某要人Aを批判していますが,困ったものです。久米氏の近視眼は,一人自身の近視眼に終わるものではありません。ポリティカルな詰め将棋が彼には見えてないのでしょうか。分かっていてその全容を口に出来ぬA氏の哀しみたるや,いかばかりのものかと思います。
    1998.7.30


    「最近のテレビは,グルメと温泉しかやっとらん」と70代の男性が,ポツリ。するどいですねえ。
    古代ローマ帝国の爛熟期,ローマ市民はグルメと,国立の巨大入浴施設にはまりこんでいました。これは有名な話ですが,彼らはカウチに寝そべって宴会を開き,食べきれなくなると鳥の羽で喉を刺激して吐き,また食らい飲む。今に日本人も寝そべって宴会するようになるんじゃないですかね。国立入浴施設は,サウナありライブラリありで,いわば現在の温泉センターをもっとグレードアップしたものでした。そう言えば拳闘士たちの死を賭けたショーも楽しんでましたね。これが現代で言えばK-1にあたりましょうか。
    ではローマ帝国はどうして亡びたか。簡単に言いますと,祖先返りしたのです。このあたりは他の国とはレベルが違います。なんといいましょうか,国家が滅んだというよりも,一世界が消え入ったという感じです。興味がある人は調べてみて下さい。
    1998.7.24


    フジテレビが27時間テレビをやってました。愚劣ですね,相変わらず。何をやろうとしてるんですかね。空き缶を利用した作品を日本中から中継してたので,環境・エネルギー問題を訴えるつもりでしょうか。ならば真夜中には番組を中断しなさい。それに缶の後かたづけも手伝わずにテレビ局の連中が帰ったことは,想像に難くありません。
    番組締めのドミノ倒しでは,予定していたように倒れず,むりやり手で倒すことの連続。予定調和のために,インタビュー等があることは,よく経験するところ。特にキー局は,往々にして無理矢理に倒してでも,予定の結論へと結びつけていく傾向があるのです。残念なことです。
    一方,地方局NBCのアップル・ツディは,今日「海の日」にちなんで,漂着物コレクションをやってました。身近な海岸にもある廃油ボールやプラスティックに焦点をあてて,エコロジー上の問題を語る内容でした。朝からいいものを見せてもらいました。ちなみに雲仙災害の時も,地元民は島原新聞や長崎新聞などの地方メディアの報道姿勢に好感を持っていたことは事実です。
    1998.7.20


    セミがうるさい。連中はあんなに大声で鳴き続け,ノイローゼにならぬのか,他人事ながら心配です。泣くから悲しくなる,といったのはゲシュタルト心理学。セミは泣くことによってノイローゼへと猪突猛進してるのではないでしょうか。南無。無常ですな。
    1998.7.19


    7月5日にアップした雲仙災害の写真に関して,何人かの方からご感想のメールを頂きました。ご丁寧に有り難うございました。本日は雲仙岳噴火災害の頃の我が家の様子をアップします。こんな状態だったのです。しかし我が家がこうむった被害は,当地では微細なレベルだったことも付け加えておきます。
    1998.7.14


    この前実家に帰った際,なくしたとばかり思っていた絵が出てきました。それは私が中学2年生の時,クールベの『波』を模写したものでした。なんというか,こまめに描いとります,いや感心感心。
    1998.7.13


    「現代」とはどこまでをいうか。これについて阿部謹也氏が面白いことを書いてらっしゃいました。現代とは,言葉が同じ感覚で伝わる時代範囲を言う。そんなことです。つまり明治期の書物の中には,すでに現代訳しなければならない書物も出てきていますので,現代ではないというわけです。なるほど,簡単なのですが私には諮詢に富んだ言葉。
    1998.7.10


    久々に雲仙岳噴火災害の跡地に行って来ました。写真を2枚ほど撮ってきました。アップでご覧になりたい方は,ここをクリックしてください。
    1998.7.5


    アイスクリームの当たりクジってのがありますね。ハシの部分に「もう一本」なんて記しているやつです。本日2本の当たりでした。あるんですなあ,本当に。
    常識となってますが,ゴジラはUSAの核実験の被災者として登場したわけで,あの皮膚はケロイド,吐くのは放射能です。
    ニューヨークタイムズが,ゴジラに大蔵省を襲わせればよろしいというジョークを書いています。う~ん。ジョークにしてもUSAの考え方を象徴してますなあ。ゴジラの存在を曲解させた上で,その国を批判する。USA版ゴジラはフランス核実験によって出現することになっっているらしいですね。う~ん。で,日本の中枢部を襲わせる?う~ん。そういえばUSA要人の訪問後,すぐに我が国は大胆な改革方針を打ち出しましたね。
    1998.7.4


    アルゼンチン,ヨルダンの両国からいらした方とお話をする機会がありました。ハイパーインフレーションの頃のアルゼンチンでは,強盗も冷蔵庫に直行していたとのこと。なるほど。ヨルダンの方は生まれ故郷がパレスティナ。多々考えさせられるものがありました。そして自分自身,日本人としての特性を痛感しました。文化とはタブーであると誰かが言っていました。ネットによる交流も魅力的ですが,実際に会うということ,その力強さも再認させられた一時でした。
    1998.6.26


    眠るのには,体力がいります。用もないのに朝から目が覚める。ああ,目が覚めてしまった,と思います。そこでやおらネットにいるわけです。あと20年もすると,早朝のテレホーダイタイムは老人利用が集中することでしょう。
    1998.6.24


    どうしたんでしょう,最近の日本は。
    まるでブラジルを見てるようです。抱え切れぬ程の借金を抱えながら,踊っています。
    経済がこれほど悪化し,そしてこの狂乱。世相がヤケ起こしてるんじゃないかい。
    マスコミ,なに煽ってるんでしょう。マスコミが短絡的だからなあ,この国。
    ワールドカップ日本代表選手団を批判するなら,自分がやれといいたいですよね,サポーターとよばれている応援団の連中。フランスに応援に行ってた日本人の何割が,5年前からサッカーに入れ込んでいたのかと考えると,鼻白むと思いませんか。
    「知ってる」ということと,「できる」ってことの間には,雲泥の差があるのです。選手団たちはわかった上で,血反吐をはいてギリギリのところでやってる。マスコミを旗振りにして外野が,どーたらこーたら言っている。
    代表に漏れたサッカー界の連中の論評には,説得力を感じません。油の使い方も知らぬ美術評論家たちの論評,ギターのチューニングさえできないやつの音楽論。所詮,炎天下の海で働く漁師を,リゾートホテルの窓越しに見て論評するような行為。そこまで入れ込む時間と熱情があるのならば,自分が挑めばいいのです。あらゆる創造行為は,批評という単なるテクストの羅列を越えたものなのです。
    1998.6.22


    ほらほら,ニュースがアメリカの景気の話を書き始めましたよ。きてます。
    日本円の実力は,1ドル=180~200円。これは80年代から言われていたことなのです(これを購買力平価といいます)。
    一旦意図的に円高にし,力技でキープする(85年プラザ合意)。 → このため日本産業が経営体質をより海外依存型に変わる → 変わりきったところで,元の実力のレートに円を戻す(現在)!
    1998.6.13


    カズの代表落ちについて,
    経済評論家がしたり顔で,「いやあ,カズが落ちたことは,終身雇用制型から能力主義のスタイルへと変わってきていることの象徴ですな。野茂がドジャースから出されたのもそう。これはサラリーマンも同じ事で」と宣っております。
    困ったものです。
    高額所得者と一般庶民。同じグランドで話す神経が,困ったものです。
    カズや野茂の給料を考えていただきたい。あれだけの額をもらって勝てなかったら,同情でおいておくことはできません。

    ビッグ・バンとやら。理解している人が,この国に何人いるでしょう。
    「ビッグバンで日本は欧米並の国になる」と経済評論家はいいます。EUの平均失業率は10パーセント。最近,日本は失業率3パーセントから4.1パーセントになったと大騒ぎ。なるほど日本は着実にビッグバンのお陰で欧米に近づいています。欧米並に能力主義に会社経営が変わるとか。これで国民の老後の心配がなくなればいいですが。
    (ホワイトカラーについて,EUも終身雇用制・年功序列型賃金体系になっていると専門家たちは言っていますので念のため。参照:「文芸春秋」1998.6)
    「欧米並の国になる」という言葉を聞いたとき,「いい国になる」という風に感じる日本人が多いことをついた,見事なキャッチコピーのなせる技でした。
    1998.6.7


    映画タイタニックと雲仙災害について
    『タイタニック』を見ました。
    肋骨のヒビで,どこにも行けない。じっとして楽しめるもの……。そうだ,というわけで映画に行って来ました。
    私は基本的にヒットしているものは避けて人生暮らしてきました。『ソフィーの世界』とかも読んでいません。(実はちらっと前の方をよんではいるのです。「あなたは誰?」という冒頭のセリフ。陳腐なのもいい加減にしてほしい。小説家はそのセリフを書かぬためにどんなに苦労していることか。)ですから『タイタニック』も今になってそれもどうしようもない身体的理由があって行ってみました。
    結果,私にはどうもというところです。すみません,あの作品で感動なさった多くの方々。振り返るに,次の点が最も大きな私にダメだった理由です。
    あんな非常時の映画を見ると,自分が体験した雲仙災害の頃のことを重ねて見てしまいます。これが,いけません。「そうそう」とか,「そんなにはならないよ」とかですね。
    「そうそう」と思った箇所は,船が沈み始めてもしばらく船客の反応が鈍いでしょう。そうなんですねえ。人間は,非常時になっても日常性に執着するんです。
    「そんなにはならないよ」と思った箇所は,最後の大パニックシーン。あのころ島原では,山体崩壊さえ囁かれていました。ある日,車を運転しているとき,ラジオの放送が突然途切れて臨時ニュースが流れました。「皆,家の中に行ってじっとしているように」という旨のニュースでした。山体崩壊が頭に浮かびました。それがあれば命はありません。一斉に周りの車がUターンし島原を離れる方向に向かいました。けれど脇道から出てくる車があると,皆譲ってそれを入れてやっていたのです。もう一度書きます。道は秩序の中にあり,譲り合いがそこここにみられたのです。あの光景を誇りに思います。子供の頃,もし明日死ぬと言われたら滅茶苦茶やって死ぬんだろうなと思ってました。でもそれは違います。私はそう思います。それまでとあまり違わない日を送るものなのだと思います。あの頃の島原にいた時,頭の片隅にいつも「もしかしたら今日死ぬのかもしれない」という気持ちが,薄くありました。かなりの人がそうだったと思います。けれど,あの街の人たちは秩序の中にあったのです。それを誇りに思います。
    そんなことが頭の中に浮かんできて,どうも映画自体に入っていけませんでした。
    でも,デカプリオはいい役者ですね。テレビで騒いでいるのをみててもぴんときませんでしたが,作品をみるとなるほどと。彼があの映画をしょってましたね。
    1998.6.6


    肋骨にヒビがいってました。病院に行ってレントゲンを撮ったら,そう告げられたのです。なるほど痛かったはず。2週間前に自転車のハンドルで脇腹をしたたか打ちました。最初はなんということもなし。10日ぐらいしてから痛くなって,もしかしたらヒビが入ったかと頭をかすめはしたのですが,まあ病院にいっても「はい,安静にしておいてください」と言われ,レントゲン線を浴びるだけ損だと思って放っておいたのです。そうしましたら,昨日呼吸がつらいほど痛み出しました。こりゃいかんと,病院にいってみたら,案の定でした。
    みなさん,骨にヒビが入ったときは,病院にいきましょう。コルセット(というんでしょうか?)で固定すると楽ですよ。痛みが軽減します。おかげで私は久々にやたら姿勢のいい生活をしております。
    1998.6.3


    昨日の海に沈む夕日は大きくて美しいものでした。日が長くなりましたね。こちら九州では8時頃まで明るいのです。5時からですと3時間も太陽が空にあります。つくづく日本のタイムスケジュールは東京を中心に作られていると思いますね。それは地理的に見ても妥当なこととは思いますが。それはそれで,九州人は,ライフスタイルを考えなおしたがいいような気がしています。
    海岸で夕日を眺めていると,軽自動車に寝ころぶ40代の男性から声をかけられました。ヨロン島から放浪していると言います。正直に書きますが,30歳までの男が放浪生活をしていると一種のロマンを感じてました。しかし,このことを書くには抵抗があるのですが,40過ぎてからの男性が明日をも知れぬ生活をしているというのは,なんといいましょうか,「おい,ちったあ世の中に貢献しようよ」と思ってしまったのです。40にもなって自分のことで手一杯というのは,いかがなものかと。
    そう考えますと,今もてはやされている山頭火も,どうでしょうかね。閉塞感のある現代社会が,彼をして一種のヒーローにしておりますが,離れて眺めてよしとされる人ではなかったんでしょうかね。
    1998.5.27


    チャイナ・ネットワークインディア・ネットワーク。世界地図を眺めるとき,こんなネットワークを頭に入れて見ていないと,世界の動きは理解できないと思います。最近報じられる世界的動きには,実にポリティカルな詰め将棋を感じます。
    1998.5.25


    この頃気になっていることを列挙してみましょう。もしかしたら,現代世界の真相が見えるかもしれません。
    ジョージ・ソロスという大金持ちがいます。彼は世界を股に掛けて投資をしています。彼がどのくらいのお金を動かせるかと言いますと,1992年にイギリスのイングランド銀行(日本の日本銀行のようなもの)とやりあって勝つほどです。想像を絶しますね。彼はアメリカのアドバイザーのような仕事もしてました,たしか。
    ●このように各国の通貨を売ったり買ったりして,お金をもうけようとする人たちがいます。まるで博打です。ものすごく多くのお金を売り買いするので,ときどき国の経済が困ってしまうほどです。
    ●さて,アメリカなどはアジアに,経済の開放をせよ,と要求してきました。
    ●そこで東南アジアのタイやマレーシアなどは,変動為替相場制度に昨年踏み切りました。つまり毎日毎時間毎秒,「1ドル=自国通貨」(これをレートといいます)が変わる制度にです。
    ●その後,これらの国々は経済崩壊しました。
    ●マレーシアのマハティール首相はカンカンです。「ソロスなどが,東南アジアのお金を売り買いした。だから東南アジアは経済崩壊したんだ」と怒っているのです。
    ●経済崩壊した国はIMFから借金をしました。
    ●IMFというのは,国相手のサラ金会社のようなものです。
    ●IMFから多くの借金をすると,このIMFというサラ金会社のいうことを守らねばなりません。会社で言えば,銀行管理になってしまうようなものです。
    ●IMFではお金をだした国ほど発言権があるのです。ですからIMFで最も発言力があるのはアメリカです。
    ●1998年5月現在,マレーシアで内乱が起こっていますが,これはIMFの管理下に置かれたインドネシア政府が,公共料金などを上げたのも一原因です。韓国の経済混乱もご存じですね。
    ●日本も今年4月,アメリカの経済解放の要求に従ってビッグバンをしました。
    ●各国を一年間の予算順に並べる。それからそこに,多国籍企業を年間収益順に並べる。するとあなたはびっくりするかもしれません。
    ●バーミンガム・サミットの宣言文を読みましたか?これは「国」の代表者が決めたものかと,目を疑いました。あれは民主主義を守る仕事の人たちが書いたのでしょうか。
    「さあ,バンバン経済の自由化をして,強いものが勝つようにしよう」とあの宣言の3分の2のスペースを使って書いてありました。
    ●民主主義の基本は,自由と平等です。自由だけではヘンなのです。こんなことは小学生でも知っています。

    さあこれからどうなるでしょう?
    1998.5.21


    インドが核実験をして以来,アメリカが批判を繰り返しています。この頃,こうした説教強盗のごとき輩が多くなってきているようです。インドを庇う気はありませんが。
    1998.5.17


    「いやあこの頃は,暖かくなるのが早いね」ですとか「今年は雨が多いね」とかよく聞きます。この「この頃」や「今年」という言葉を聞いたとき,私たちはもっと大きなスパンで頭の中にグラフを描くべきなのでしょう。現在文明を変容させていく要因として,この異常気象を認識しておかねばなりません。
    私は11月生まれです。「あなたが生まれたとき雪が降っていた」と母はよく話します。私が在住する地域では,近年の11月では紅葉がまだ続いています
    世界的に雨が降っていた所に降らず,降ってなかった所に降る。それだけで,植生は変わり,農業分布は変わり,流通体系が変わり,経済が変わり,ライフスタイルが変わります。今年オーストラリアの珊瑚礁が白くなり死滅し始めたとメディアは伝えています。
    1998.5.16


    親しい5才になる女の子の話。彼女は幼稚園に通っています。最近チャットに凝っているんです。父親がインターネットを使っているのをみて,自然に覚えてしまったのですね。今では,父親とテレビのチャンネル争いのように,コンピュータ争いをしています。
    自分でコンピュータのスイッチを入れ,マウスを使ってソフトを立ち上げ,自分の使うホームページに訪ねる。そこはキティちゃんのホームページ(マグネティック・フィールド)でして,自分の家が登録されています,画面上に,自分がデザインしたお家がでてくるんですね。その家の前にポストがあって,お友達からイーメイルが来ていると,お手紙が出たり入ったりしているんです。先日はポルトガルの女の子,その子のお父さんが日本人なのですが,その子からイーメイルをもらって,喜んでいました。これに自分でキーボードを打ってお返事を書くのです。実は,彼女はまだきちんと字を書けません。でもキーボード上の「ひらがな」なら読めるので,キーボードを打てるというわけです。打ったテキストに「ぬり絵,つけよっと」といって添付ファイルをつけて送信しています。それが終わって,チャットに行く。これがこの頃の日課の一部。
    様子を見ていますと,なんといいますか,少し頭が混乱します。こんな時代になったんだと思います。そしてこれから,どんな時代になるだろうと思います。ひらがなを書くよりも,インターネットでイーメイルを打つ方が簡単。それはそうだけれど,と思います。この事実は,ちょっと衝撃を受けます。
    そんな時代を迎えようとしているときだからこそ,不易と流行ということを確認しておかねばならないと思います。時代を超えて変わらない側面と,時代に対応していく側面。これをきちんと理解し,対応しておくこと。よく「すべてが新しい時代となった」などという表現を見かけますが,こういう表現は十分注意すべきですね。
    1998.5.10


    インターネットを知って以来,二つのことを始めました。その一つが,詩吟を習い始めたことです。自分自身がどう思っていようとも,外から見れば私は日本人。どうであれ私たちは,日本人をしょって歩かねばならないのです。手ぶらでジャパネスクを披露できるのは,歌以外にありません。
    というわけで,今日は詩吟の初の昇級試験がありました。無事一級合格。岳精流です。やれやれ,やるとクセになります。気づくと唸っているのです。
    1998.3.29


    クリントンは今年の年頭教書で,「アメリカ国民の勤勉さと高い目的ゆえに,今はアメリカにとってよい時代だ」と述べた後,合衆国の今年の財政赤字がゼロになるかもしれないといいました。これには失業率低下,物価上昇の鈍化,生活保護該当者数の低下という現状も踏まえられています。けれど貿易をはじめとした海外との赤字は,90年代に入って拡大の一途を辿っています。これがアメリカの経済を支えているのです。日本銀行は単独で、近年なんと35%に当たる金額をアメリカに資金援助しているのです。
    1998.3.13


    世界中には約190の国があります。アメリカは1国で,世界の1/4の経済活動をし,1/4のエネルギーを使っています。
    ですから世界を考えていくとき,アメリカの動向はよくみつめなければなりません。
    世界に59億人の人々がすんでいますが,アメリカの2.6億人で世界の1/4を使っているのです。これがアメリカンライフです。このような実状の上にアメリカの様々なシステムや思想が築き上げられているのです。ですから「アメリカでは常識よ」と言ったとき,それは世界の常識ではないのです。このことは簡単なことですが,よく専門家も間違えて語っています。アメリカがこのような傾向だから,日本もそうすべきであるなんていうのは,その典型ですね。しかし確かにアメリカは我々にとって現在様々な意味で,かけがえのないパートナーで考慮しなければならぬことも多々ありますが。
    長い意味で「持続可能性(sustainability)」を考えれば,アメリカンライフは目指すべき生活スタイルでないことも理解できます。放蕩三昧の生活を世界中の人々が目指せば,地球的規模で環境エネルギーはクラッシュしてしまいます。しかし,中国が近年このライフスタイルの方向を目指し始めました。12億人が立ち上がろうとしています。けれど私たちが,このような他国を批判することはできません。
    1998.3.12


    アメリカ経済のもう一つの不安材料として,海外依存度の高まりがあります。1995年以来,海外から大量のお金がアメリカにはいっています。これに最近のアジア経済の危機をリンクさせて考えると,世界経済は実に分かりやすい。いつでも基礎は簡単なことです。お金が,アジアからアメリカに移動したのです。その子細については,また後日。
    1998.3.7


    大人のための『週間こどもニュース』のようなものを時々,書いていこうと思います。分かり易く,現代の骨格をスケッチしていきましょう。

    最近のアメリカ経済はバブルです。バブルはいつかはじけます。
    当地の経済がしっかりしているという主張は,誤りだと思います。ニューエコノミー論などがその代表です。この論は,これまで土建業中心に行ってきた公共投資を,インターネットなどの道づくり(ネットワーク構築)に使うことにしたため,まだまだ尽きることのない開拓ができ,景気がいいというのです。この論は楽観的すぎます。確かに,新しい経済の動きの始まりとして評価はできますが。
    近年のアメリカ経済の成長は,この度合いを越えたもので,ごく簡単にいえばバブルなのです。そしてバブルはいずれはじけるものなのです。このことは近年のアメリカの株価の推移表をご覧になれば,お分かり頂けると思います。1994年3834ドルだったものが1997年8月8259ドル,つまり最近3年間で2.5倍に株価は膨らんでいるのです(別統計では6倍近くになっています)。1人当たりの株価収益率(PER)でみれば23倍に膨らんでいます。バブル。これが最も今畏れていることなのです。アメリカの転倒は,一国のみに終わることがないのですから。
    1998.3.6


    『植村直巳と山で1泊』という本を読みました。以外だったのは極地で使用していた鍋が一般の家庭用のアルマイト製であったことに代表されます。不器用でセルフエスティームのためにも探検をしていたのではないかと考えると,痛々しいですね。それにしてもこの本を出版しているビーパル編集部は,自己分裂しているところで問題ありだとおもいます。自然保護を訴えながら,カンガルーバンパーを装着した車の広告を出す。そんなパラドクスに赤面しないのです。
    1998.3.1


    技術者の方々は別にして,
    私にとって,ホームページはそこに表示する内容(コンテンツ)こそが大切なのだと思います。
    ホームページを立ち上げてしばらくは,技術的なおもしろさにのめり込んでいくのですが,しばらくするとこりゃいかんと帰ってきます。こう考えるといいですね。ワープロの様々な機能にこっても,肝心の文章が書けていなければなんにもならない。メカの技術はまあまあでよろしいわけです。
    1998.2.27


    『科学の終焉』(ジョン・ホーガン,徳間書店)という本を読んでいます。次の言葉に象徴される内容。
    「純粋科学は終わりをつげるのではないか。」
    各分野の一線で活躍する科学者に対するインタビューを中心に構成されています。その仕事の分かり易い解説も出てきて,人類が今どこまで走っているのかアウトラインがたどれるように工夫された書物。ちょっと面白かったのでご紹介まで。
    1998.2.21


    ホームページを作る際に,配慮すること。
    それは職場環境を出さないということ,
    そして家庭環境も出さないということ。
    フラリと訪ねた方が見て,「まつを」某である記述にするということ。
    1998.2.17


    本日,このホームページを立ち上げます。記念に次の詩を載せておきます。
     庭上の一寒梅
     笑って風雪を侵して開く
     争わず又力めず
     自ら百花の魁を占む
    1998.2.9


 

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    Plofile まつを


    デザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。↓これは私の作品たち。

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。