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  • 戦後を見る目の日米の違いについて。
    これは,日本人が東南アジアの経済発展を見る目を考えると,わかりやすいのです。あそこまで急速な経済発展を東南アジアが遂げたのは,日本を始め先進国が工場などを進出させて,資本を投入し技術を教えたからだと,多くの日本人が考えていることと思います。
    これと同じ感覚がアメリカにはある。日本人の多くは,日本の戦後復興は日本人の勤勉さがもたらしたものと考えています。けれどアメリカ人は違うわけです。自分たちが資本を投入し技術を教えたからだと思っているのです。確かに日本人も,こうしたアメリカからの投入された要因は確かにあったと思っています。けれどそれは重心を右足にかけて立つか,左にかけて立つかのような基本的な違いがあります。この点をよく理解しておかないとアメリカの行動は理解できないと思います。簡単なことですけど,時々忘れている事ですね。
    1998.12.21


    サンタクロースの赤い服は,コカコーラの赤。昔,コカコーラがキャンペーンにサンタクロースを使いました。その時にコカコーラのシンボルカラーの赤い服を着せたのです。これが始まり。多国籍企業の力がいかに広範なものかを物語るエピソードです。
    1998.12.20


    詩吟初段をいただきました。嬉しいですね。ジャズ,ソウル,民族音楽,なんであれ熟した歌の神髄は,コブシですね。歌はコブシ。そう思います。
    1998.12.19


    風邪をひかなくなるハリを打ってくれる病院があるというので,行ってきました。場所は福岡県の柳川市。れっきとした病院です。打つところは左親指(写真矢印箇所)。ここに1打ちチクリ。すると免疫力が高まり,風邪予防になるというんですね。5回ほど通わねばならないって事なんですが,私は今回が初めて。待合室はその手の患者で一杯でした。本当に利くんでしょうかね?(町野病院 福岡県柳川市新船津町16,tel:0944-73-2246)
    さて柳川というと,魚屋に有明海の特産物が売ってあることで有名。ふらりと寄って「ワケ」(写真)を買ってきました。これはイソギンチャク。湯がいて味噌炒めにするとうまい。ところでワケという名は,ワケノケツンスの略。「若い者のケツのス(肛門)」という壮絶なネーミングなのです。パワフル!地方の時代ですな。
    1998.11.21


    地震といえば,地震保険というやつがあります。あれは関東大震災の再来があることも考慮して作られたシステムでしょうか?関東に大地震はやってくるというのは,科学的説。そして起こった際の被害シュミレーションは当然行われています。これを前提に地震保険のシステムは作られているんでしょうかね。関東で大地震が起こった途端,地震保険が破綻したならば,あるいはこれを機に貨幣乱発したならば,この国の政府は国民から信用を失ってしまいます。もしそうなったならば,これが誰の案で組まれたものなのか明確にし,平和ぼけしていたその責任者を糾弾すべきでしょう。もし関東の震災を前提として作られ,スムーズに機能するシステムならば,ただこの記事を恥じるのみです。
    1998.11.9


    このごろテレビが,この欄で書いていたことを取り上げ放送するようになりましたね,,いやいや。「報道特集」が1カ月ほど前から世界的金融問題(3月6日付け当欄記事)を,今日の「知ってるつもり」が高橋是清(10月17日付け当欄記事の昭和恐慌)を取り上げています。うーん,よくない方向にきてるということです。ということならば,この後何をマスメディアがとりあげはじめるかは,ここに書いているつもりです。まずは,攘夷派と開国派の対立,固定相場制度をめぐる論議,それと,……おっ,今,関東で震度4の地震があったとメディアが伝えています。
    1998.11.8


    やっと一般的メディアが,経済の本質的な問題を報道するようになりましたね。ただし今日の報道特集を見てまして,キャスターの田丸美寿々のコメントが気にかかりました。こうしたバブリーな世界に憧れを持つような発言です。分かります。多くの方々がこのような金融の世界の存在を知り,利潤を求めた動きに弾みがつくことが危険なのです。田丸の発言はその象徴です。やれやれ,振り返るべきは,金融の世界で雄々しく働くエリートの魅力ではなく,社会的正義とは何なのかということです。(いかんいかんと思いながらも,分かりにくい表現になってしまうこの頃。申し訳ない)。
    1998.11.1


    こんな夢をみました。①最初の崩壊はもちろん金融システムの破綻として出現します。それに対しては大国の世界戦略の失敗という批判が浴びせられます。そしてその底には,モノと金のだぶつきと偏在という分かりやすい状況があります。こうして世界はターニング・ポイントを迎えたように見えるかもしれません。②けれど文明のターニング・ポイントは,さらに根元的な波がもたらします。それは環境・エネルギーという要因で起こる波です。エネルギー問題はエネルギー不足の問題ではないのです。それはエネルギーの捨て場の枯渇の問題です。地に空に海に廃棄物が充満し,環境は変動を始めます。の降る地域が地球的規模で移動し,食糧問題が起きます。こうしておこる第二の崩壊で,より深刻な文明の曲がり角を迎えることになる。そんな夢をみました。
    1998.10.26


    イギリスの携帯電話会社数社が,電磁波の有害性を認めたらしいですね。比較的強い電磁波を発している電気カーペットや携帯電話などの有害性は前から囁かれていますが,わが国では「なぜか」あまり表だって問題化されませんね。ところでリニアモーターカーというのがまだ実験してますね。
    1998.10.26


    日本経済が苦しくなるつれて,攘夷派開国派の対立が激化すると予想しています。それは経済問題から始まって,政治・文化問題へと飛び火すると思います。その際に,理解しておかねばならぬ事は,現在わが国が進めている開国の流れは,電子ネットによって国境の意味が薄くならざるをえなくなるという点を見据えた政策だということです(わかってない役人も多いと思うけど)。つまり電子マネーの発達によって経済の国境は溶解し,そして金融政策は利きにくくなっちゃうのです。わかります?政府がですね,経済をコントロール出来ない方向にいってるのです。(なぜそんなことが起こるのか知りたい方は,ここにいってお勉強しましょう) 
    1998.10.23


    今潰れかかっている長銀ってどんなとこか分かっている人は,100人に1人ぐらいじゃないかなあ。というわけで,今日は「長期信用銀行とは、どんな銀行?」ということを日本で一番やさしく説明したところにいってみましょう。
    1998.10.22


    1929年におこった世界恐慌のことご存じですか?今回はゲストに松原幸作氏を迎え解説していただきました。

    Q.この恐慌の時はどのくらいデフレになったんでしょうか? 世界恐慌の頃の日本
    A.金融恐慌というのは、1927年の3月15日に始まり、モラトリアムの発令によって4月の25日には終息しています。つまり蔵相の失言による一時的な信用パニックだったのです。ですから中小の銀が倒産・休業して預金者による取付騒ぎが起こったものの、デフレ現象は顕著に現れませんでした。むしろ、その前後にあった戦後恐慌(1920年~)・震災恐慌(1923年~)や昭和恐慌(1930年~)の時が深刻な不況に見舞われていました。特に世界恐慌と連動した昭和恐慌はかつてない深刻な不況となり、物価は2~3割安、1931年には国民生産が前年の20%減となり、約200万人の失業者が発生し、失業率は8~9%になったと推定されています。ちなみに現在の失業率は4%強です。また、輸出品であった繭は価格が3分の1まで下落、米価は2分の1となり、農家は大打撃をうけて、一家心中、欠食児童が社会問題となりました。さらに東北地方では、娘の身売りを斡旋する村役場あったほどの異常さでした。また、大学卒業者の就職率は45%を 切り、「大学を出たけれど…」という言葉が生まれました。 (松原) 1918 ドイツが降伏し第一次世界大戦終結
    1919 朝鮮で独立運動「万歳事件」。中国で排日運動「五・四運動」。ベルサイユ条約調印
    1920 国際連盟加入、常任理事国に就任。戦後恐慌
    1921 ワシントン会議で四カ国条約締結
    1922 ワシントン会議で海軍軍縮条約、九カ国条約調印。日本共産党結成。
    1923 関東大震災。震災恐慌
    1924 第二次護憲運動
    1925 治安維持法公布。普通選挙法公布
    1927 金融恐慌。モラトリアム緊急勅令を交付(3週間の支払い延期)。第一次山東出兵
    1928 最初の普通選挙法施行。共産党一斉検挙、3・15事件。第二次山東出兵。第三次山東出兵。張作霖爆殺
    1929 山東省より撤兵。当初予算の5㌫緊縮予算を発表世界恐慌
    1930 昭和恐慌。金輸出解禁の実施。ロンドン海軍軍縮条約
    1931 満州事変。金輸出の再禁止
    1932 上海事変。5・15事件
    1933 国際連盟脱退
    1934 ワシントン海軍海軍軍縮条約破棄
    1936 ロンドン海軍軍縮会議脱退。2・26事件
    1937 日中戦争おこる
    1939 第二次世界大戦おこる

    1998.10.17


    三重大学の学生は……(脱力)。今テレビが,この大学で毒物事件があったとキャンパスから,現場中継しています。レポーターの後ろに,学生達が溜まってニコニコキャーキャーとカメラに向かってはしゃいでいます。馬鹿か!三重大学の大学生!! 諸君の大学で悲惨な事件が起こったのだぞ!大学生はそこまで墜ちたのでしょうか!まるで神戸サカキバラ事件の犯人逮捕の際,警察前のレポーターのまわりではしゃいでいたヤンキーか,某テレビ局のアナウンサーと同じではありませんか。どなたか,三重大学の関係者がいらしたら知らせていただきたい。
    1998.10.16

    (追伸:本日10月23日の新聞によりますと,この件で三重大学が糾弾をうけてますね。同じ怒りをもたれた方がいらっしゃったことを喜びたいとおもいます。そしてこのことがインターネット上の抗議で問題化したとことも記しておきます。それにしても,しっかりせんかい大学生。情操面で欠落したお子ちゃま大学生には困ったものです。三重大学のイメージはあれで焼き付けられてしまいましたなあ)


    東京都が会社でいったら会社更生法適用的事態になりましたねえ。理由は不景気で税収入が減ったから。もっと引いた見方をすると,右肩上がりの歴史観にのっかっていたから。
    1998.10.13


    毒物カレー事件のマスコミ報道について。事件発覚した際,マスコミは「なぜ早く青酸カリ中毒と早く発表しなかったのか」と当局を批判していました。それが砒素中毒とわかった今,「青酸カリと軽々に発表したから,医療対応を誤り多くの犠牲者が出た。当局には責任あり」と言い始めています。???マスコミがまたやっちまったのです。連中の責任はどうなるんでしょうか?
    1998.10.10


    100万円の定期預金を1年間して引き出したら,利子が1400円ほど。今預け入れたら,もっと安いのです。
    1998.10.10


    みなさん,ついに来たようです。アメリカが日本が,そして世界が○○するようです。この前,きたのが1929年。かなり揺れると思いますので,しっかりつかまっていて下さい。(私がこのコーナーの1998.3.6付けあたりから書いていたことを読んでいただければ幸いです。もっとくわしく知りたい人は下記資料をどうぞ)
    資料1:最近5年間のアメリカ株価の動き……Standard&Poors社500種株価平均の値動き
    資料2:拡大するアメリカ経常収支の赤字
    1998.10.9


    洗われるような声をしたkiroroの歌
    「ほら あしもとをみてごらん これがあなたのあゆむみち ほら まえをみてごらん あれがあなたのみらいぃ~♪」
    あ~あ,泰平な世の中だったんですねえ,いままで。とっぷり浸かりおって。この歌は「わたしたちの未来は見えるのよ」と歌っているんです。「このまま延長して,何年後はあんなになって……」予定調和。いい子たちだからこそ,困っちまうんですよねえ。しっかりしてね。経済のクラッシュでも来た日には,なんて馬鹿な歌をうたってたんだと気付くんでしょう。人生は作れるし,時代は作り上げられていくもの。
    1998.10.6


    中小企業の方たちはこう思ってらっしゃるに違いないと思います。「この不況,何か私たちが悪いことをしたか?円が安くなっている。土地が安くなっている。製品は出ない。銀行は貸し渋る。私たちが何か悪いことをしたか?」そうなんですね。原因が遠くにある。国際化するほど,原因は遠くのブラックボックスの中でおこる。では多くの経済学者が言ってますように,それは需要・供給の法則で起こっているのでしょうか?仮にそうだとした場合,国際化は庶民にとっては不可抗力のリスクを極めて大きくすることになりますね。「自分の財産は自分で守らねば,それが賢い消費者というもの」と経済評論家達はテレビでキャンペーンを続けていました。特にビッグバン(金融の自由化)をやった今年のはじめの頃ですね。でもあれはウソです。例えば「株売買で本気に儲けようなんて,少しの金しか持たないやつにはホントは無理なんだ」ってことは,その株売買の世界の常識。大量の資金を持つものが勝つ世界。それが自由競争の支配する世界です。貯蓄が株売買ににてきた現在,庶民にとっ て自分の資金が守りにくくなったことは,この頃実感としてわかるのではありませんか?これが金融の自由化なのです。匿名の人々が大量の資金を使って世界を闊歩し,金をせしめ金をすり,そんな博打ちどもの余波として中小企業の方たちが「私たちは何か悪いことをしたのか」と呟かなくてはいかない。そして匿名者たちは,ボルト一本生み出していないのです。
    国際化だけでなく連動するエリアが広がっているから,経済はブラックボックス化するんですね。ではもっと広がるんでしょうか?その傾向は続くでしょう。そしてどこかでクラッシュする。
    1998.10.3


    しかしあれですね,最近のニュースをみてますと,歴史なんか書いてる場合かって気がしますね。最近の経済状況は情報が急激に込み入ってきてますね。今回がそうとは断定しませんが,クラッシュする前というのは,このように情報が渦巻きすぎて,全ての情報が断片的で刺激的で,そのため寄って立つ土台を世間が失うことで不安定になって行くんです。
    1998.10.2


    この前少しふれた現代人独特の時間感覚について。私たち現代人は時間がたてばたつほど,物事は発展するんだというイメージを持っています。未来という言葉は,今と異なった文明の姿をイメージさせるでしょう?これがいわゆる「右肩上がりの歴史観」と私が呼んでるやつです。
    けれど,かつて人類は時間に対してそんなイメージは持ってなかったんです。近代以前,時間は振り子のようなイメージでとらえられていました。自分の父も祖父も曾祖父も私と同じ生活をし,そして私の子孫も永劫まで私と同じような生活をするという感覚です。たとえば中世ヨーロッパでは,人間が歴史を作るっていう発想はなかったんです。つまり,全能の神に抱かれたキリスト教の歴史観ってやつです。ところが,こんな時間感覚に疑問を抱く連中が現れ,近現代の時間感覚を植えつけ始めます。まずイギリスのベーコンという学者は,進歩とは物的進歩と捉え,思想を技術的問題としてとらえることで,現在への流れを導きました。その後,弁証法を唱えるヘーゲルやマルクスの思想がこれに裏打ちをしていったのですけどまあいいか(ジョン=ロックの機械体系的社会認識やアダム=スミス以来の経済学ってやつも,この発展をめざす時間感覚に沿ったものです,なんてうるさい補足)。
    このように時間感覚の変化には,学問が「理由」を問ってた時代から,「方法」と結びついた時代への移行が背景にあるんですね。「理由」を問い続ける文化では「人間ってなんだろう?」という点にいつも帰りますが,,技術を追い続ける文化は効用性・能率が支配する直線的なものなんです。
    でプレ文明ってやつを考え始めたのも,私自身ももしかしたらこの「右肩上がりの歴史観」にとっぷり浸かってしまって今まで疑ってこなかったんじゃないかい?という自分自身への懐疑があったからなんです。だれか論証立てて否定してくれたら,まるで地下鉄はどうやって地下に潜ったんだろうという疑問が解決されたぐらいさっぱりするんですが。よろしくお願いします。
    1998.10.1の7


    「農業でもして,ゆっくり暮らします」なんて言葉を耳にします。農業には穏やかなイメージがあるんですね。けれどこのイメージは昔からあったものではないんです。それどころか農業文明はその初期,極めて凶暴なものでした。これは農業文明を持ち込んだ弥生の遺跡,例えば長崎県壱岐の「原の辻遺跡」などをみれば明らかです。農具と一緒に多くの武器が出てきますし,戦いで傷ついた人骨も出てくるんです。
    今回は,文明はその初期には攻撃的・侵略的だが,それが飽和すると穏和で循環的な性格に変わっていくということを書きます。
    そのことを日本を例にとってみてみましょう。まず紀元前300年頃,農業文明をもった弥生人が,縄文人のいた日本に武装侵略してきます。この農業文明の侵攻と紛争の波は,戦国時代にピークを迎えます。その後江戸の鎖国政策とあいまって文明の飽和状態を迎え,循環的経済が志向されるようになったんです。人糞を畑にまくなんていうのは,その代表ですね。こうして農業のおだやかなイメージが定着していきます。
    18世紀後半に始まる工業文明もいっしょ。初期は植民地化政策に明け暮れ極めて攻撃的です。そろそろこの文明も飽和状態が見え始めました。温暖化など地球的問題ですね。そして循環的経済を志向する穏やかな集団が,今,各地で立ち上がろうとしているのだと思います。
    1998.10.1の6


    寒い時期と暖かな時期が周期的にやってくるのはどうしてでしょう?基本的に三つの原因があります。これをミランコビッチ周期というんですが,ここでは一つだけ簡単にお話しておきます。地球というコマをイメージして下さい。コマは回転しているとき,その軸が円運動でふらつくでしょう?これによって26000年の周期がおるというものです。ただし現在起こっている温暖化は,人間が及ぼしているとはご存じのとおり。
    1998.10.1の5


    過去の気候をかなり推定することができるようになっています。近いところで特徴的な時代を見てみましょう。
    6000~4500年前は今よりも温かく,海面も6mほど高かったのです(縄文海進といいます)。この時代に我が国では縄文文化が始まります。関東地方に珊瑚礁があり,今の奄美の気候でした。縄文時代は分厚い毛皮を纏っていたイメージというのは間違いです。
    1645~1715年は気温がとても低い時代でした(マウンダー極小期っていうんですけど)。この時代に,旧来の神聖ローマ帝国は崩壊し,イギリスは英蘭戦争で覇権を奪い取りつつ議会制度を確立し,フランスでは太陽王ルイ14世が,ロシアではピョートル1世が絶対主義をとり,中国では明にかわって清が長きにわたる帝国を建設していき,日本では江戸幕藩体制の安定期に入っていくのです。江戸時代は寒かったのですね。
    1998.10.1の4


    私たちのような人類(これを新人,ホモ=サピエンス=サピエンスといいます)が現れたのが約40000~10000年前といわれています(笑)。中をとって20000年前を想定しましょう(爆笑)。そこから10000年間で,ある程度高度な文明ができるでしょうか?100年3世代といわれます。ということは10000年間で300世代。300世代で高度文明ができるでしょうか?いかがですか?新人がスタートするとき,すでに火,道具,言葉の使用などはあったことは前提とできます。
    1998.10.1の3


    ウルム氷期(最も最近の氷期,70000~8000年前)のころ,海水面は現在よりも130mぐらい低かったのです。これは海水が氷河となって陸上にあったからです。この氷期が終わるとき海面上昇が起こりました。これは均一に上昇してきたのではありません。10000~8000年前の2000年間には,海面の高さが急激に25m上下しています。これは大変なことです。氷期の頃,もしプレ文明があったとしたら,寒かったわけでしょうから,氷河が積もる山地ではなく臨海地域,それも赤道近くの臨海都市があったと想定できないでしょうか。そうなればその都市の遺跡はどこにあるか?海中深く眠っていることになりますね。で,世界地図を見る。すると例えばインドシナ半島からオーストラリアに至る海中に,広大な大陸棚が広がっているわけです。う~ん。
    現在俗にいう4大文明をはじめ古代文明といわれるものの多くは,基本的に地上で発掘されています(水中考古学というものもありますが未だその途についた状態)。もし8000年前にプレ文明があったとしたら,上記のような陸上発掘作業により文明発祥の地はA地だB地だと論じられていること自体が,滑稽だとは思いませんか。
    1998.10.1の2


    極めて荒っぽくて申し訳ないのですが,プレ文明(というのでしょうか?有史以前に存在したかもしれない高度文明)っていうのは,考察してもいいのではないかなと思う気持ちが最近どこかにあります。人類史を「単純な右肩上がりのイメージ」で捉えるのは,どうも解せないというだけの理由なのですが。分かっているだけでも,文明史は山と谷を経験してきています。コロッセウムを作った古代ローマから,中世社会になり,そして近代へというヨーロッパの歴史だってそうでしょう?ルネサンスだって,古代ギリシャ・ローマを発見し,復興したんですからね。どうも人類史を単純な右肩上がりとする思想は,近代独特の時間感覚に囚われているという気がして懐疑してるのです。
    プレ文明の証拠ってどこかにあるんでしょうかね?考えてみれば,現代人が今消滅したとして,12000年後に発掘されたとしますね。そうすると文明の痕跡として何が残っているのでしょうか?
    1998.10.1の1


    ここを読んで下さっているみなさまへ。この下の文が読みにくくないか,心配してます。みなさん方が楽な姿勢でひょうひょうとよんでいただけるように,なるべく努めようと思います。少しでも「硬いだけで,読みにくい文章だなあ」と思われたら,「まつを's BAR」にその旨書き込んでください。文章とは伝わってなんぼのものです。なるべくやさしく書こうと思います。
    1998.9.30


    鳥取砂丘は環境破壊の跡です。古墳時代(4C~6C),中国地方の山中で砂鉄を原材にした製鉄業が始まりました。この砂鉄を溶かす木炭を作るため,山中の木々が伐採されました。そのため土砂が流失し海へと流れ出て,さらに細かい砂だけが冬の季節風によって打ち上げられ長年の間に堆積したのです。大砂丘になったのは安土桃山時代。中国地方ではこのような被害がひどかったようで,松江藩ではこの保護に乗り出しているほどです。実はこの製鉄場のことをタタラといい,映画「もののけ姫」の舞台ともなりました。
    ところが現代日本人の多くは,このことを読んで驚くかも知れません。このような歴史を教えられていないからです。歴史が,人間と人間の抗争中心の記述では,大切な側面が欠落してしまいます。歴史は人間と環境の関わりをもっと記述すべきではないかと思うのです。未来を見通すための道具として歴史は語られるべきです。
    もう少し,そんな例を語ってみましょう。
    メソポタミアについて。前8000年頃から人類最初の農耕牧畜がここを含む「肥沃な三日月地帯」で始まりました。メソポタミアとは「川の間の土地」という意味で,ティグリス・ユーフラテス川にはさまれた地域です。ここに成立した都市を地図上に確認していくと,面白いことがわかります。最初シュメール人が前2700年頃に建設した都市国家ウル・ウルク・ラガシュ,次に古バビロニア(前19~前16C)の都バビロン,さらにアッシリア(前11~前7C)の都ニネヴェ。これらの都市はだんだんと川の上流へと上がっていっているのです。これは環境破壊によります。灌漑農業にともなう塩化現象で土地が白く水産化カルシウムで覆われてしまい,上流へと逃れていった跡なのです。この地の収穫量はかつての最盛期(前2400年)と比べると現代4分の1だといいます。
    このように環境が歴史に与える刻印には,大きなものがあります。フランス革命期は寒冷期であり食料が不足気味でしたし,1989年の東欧革命の際も,天候不順による農作物ととりわけ食肉の深刻な欠乏がその底にありました。
    1998.9.30


    二日間,断食をした。体重が増え,体がだるく,頭が冴えなかったためである。数週間前から運動を心がけていたが,どうも埒があかなかった。絶食の間,次のものは取った。お茶類,マルチビタミン(武田食品),松寿仙(和漢薬研究所,人参や松葉のエキス),野菜ジュース(1日1缶/190g)。9月16日朝から開始。スタート時体重は69.5kg。その日の午後,気のせいか体が軽い。だるさがなくなったのだ。パワーは落ちており,感情の起伏も緩やかになってくる。職場から帰り計測すると68.5Kg。夜,眠れるかなと心配していたが,野菜ジュースを飲んで横になると,10時半には爆睡していた。6時半に起床。爽快である。職場でも体のだるさが取れ,思考のフットワークが快適である。鈍行列車から,快速に乗り換えたようだ。家に帰って計測。67.8kg。しかしその後1時間ほど脱力状態となる。野菜ジュースを飲む。しばらくすると活気が出た。10時半就寝。1時15分目が覚める。腰が痛い。66.2kg。野菜ジュースを飲む。断食は2日目昼食までにしておかないとダメージがありそうな気がする。3時45分再び床について6時半起床。体重は結局66.3kg。2 日間で3.2kgの減。朝食はお粥から戻していき,運動を習慣化する予定。まず胃を小さくすることが必要なのだろう。最近の日本経済と同様だ。
    1998.9.18


    (私自身のことです。読み飛ばして下さい。)
    聴いてきた音楽のことを書き止めてみたくなりました。
    最初に買ったレコードは,メンデルスゾーンの「バイオリン協奏曲」。高校1年のことです。あの耽美性にまいったのでしょう(笑)。クラシックフアンだったかというと,そうはいえません。お金もありませんでした。格安レコードを1枚買うと月の小遣いの半額が吹き飛んでいってました。その頃,すり切れるほど聴いたレコードはバルトークの『弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽』です。あの不安さが,高校生時の私に響いたのでしょう。
    ピンク・フロイドも好きでしたねえ。演奏が恐ろしいほど下手なバンドでした。プログレッシブ・ロックっていうものです。1ヶ月前にドラムを始めたみたいなニック・スイメンの,ズ・ポンポ・ド・ポポンという(本当にこのワンパターン)へなちょこリズムに,草履のように長い顔をしたロジャー・ウォーターズのベース(長い顔と言えば元XJapanのボーカルが,顎が長いことがコンプレックスで自己啓発セミナーに行ってどうのこうのと騒いでますなあ。なんだか平和だなあと気が抜けるというか呆れるというか)。一番のお気に入りアルバムは『エコーズ』でした。
    大学でジャズも好きになって(田舎じゃジャズは生まれませんよね),でもライブに複数回行ったのは憂歌団。これは巧かった。
    どれ,僕の好きな曲って何でしょう?まるで20代のHPのようですね(笑)。『カインド・オブ・ブルー』 マイルス・デイビス『アバロン』 ロキシー・ミュージック,『鏡面界』 ブライアン・イーノ『レクイエム』 フォーレ……あげればキリがないので止めときます。
    1998.9.15


    陶芸家のやまぼうし窯さんが,一人で家を建ています(写真参照)。一人の人間ができることの凄さを見る思い。氏はまず裏山から木を切り出し,皮を剥ぎ,クレーンを使い一人で木材を屋根まで上げ!構造を作ることから始めました。そのクレーンも自作のものなのです。脱帽。
    1998.9.15


    黒澤明が亡くなりましたね。素晴らしい才能だと思っていました。晩年の映画は,長回しがどうも厳しかったですね。そういえばスタンリー・キュブリックも実際に見ると本当にワンショットが長いんですね。しかし見て暫くして振り返ると,とてもいい映画になって私の中で反芻されるんです。キュブリックの『バリー=リンドン』という作品をご覧になったことがありますか?最も心に残る作品の一つです。
    1998.9.13


    自分ではなにもしない。なのに批評はうまいという輩は,こまったものです。自分を見せず,外部化した問題を批評する態度は,安全圏の思想ですね。「そこに,なおれ」と言いたい。「私はこんな事をやる者です。で,もの申すが……」ということで,同じ土俵に乗ったことになるのです。もう一度書きますが,「やること」と「批評すること」では雲泥の差があります。ささやかな食堂の調理人と,口の肥えた料理の出来ない男なら,私は前者と語りたいと考えます。私は現場が好きです。
    1998.9.12


    小室率いるグローブがシークレットライブをすると,近頃テレビで流しています。まるで北島三郎・特別公演といったノリですね。やれやれ。
    1998.9.8


    私はうらびれた飲み屋にたまらなく惹かれます。そこに人生の澱みたいなものが集まってきているような,濃いその地域の色が漂っているような,そんな場末の飲み屋に惹かれます。
    こう書いた後,店名を挙げるのははばられるのですが,昨日そんな場所に知人と二人で行って来ました。長崎県は大村市にある「もとむら」です。工事現場をすり抜けてたどり着く朽ちかけた入り口がたまりません。中にいると,値段の書いてない茶色に変色した品書きが張ってあります。BGMなどありません。我々の会話と,注文した焼き鳥の焼けるジュージューという音しかありません。親父さんは無駄口など叩かずむっつりと仕事をこなします。いい味出しています。そして極端に安い。しかしここも後暫くで新装になるとか。残念です。

    これを書いてる今,テレビでプロポーション作りのダイアナという会社がCMを流しています。これは何を私たちに訴えようとしてるのでしょうか?私たちの会社にかかれば,贅肉と同時に,脳味噌もそぎ落とすことができますと伝えてるのでしょうか?
    体を作ると言えば,貴ノ花はドーピングしてるのではないのだろうかと心配しています。憶測を綴るのは気が引けるのですが,彼に関しては同情しているのです。若くしてトップにまで登り詰め,肝臓を悪くして引退説まで流れることがあっています。あの家に流れる重責を引き受け生きる青年の焦燥を考えると,複雑な思いがします。
    1998.9.5


    独占は,好景気の時ではなく,不景気の時に進みます。これも歴史が教えてくれること。
    1998.9.4


    現在が末法であるという発想は,すべての世代が犯してきた過ちです。
    1998.9.3


    (国民)国家が弱くなってきている,とよく言われます。そして国家に変わって,力を持ってきているのが世界的規模の企業です。
    マイクロソフト社がWindows98を発売しました。これに裁判所は独禁法に反する疑いがあるといって発売をひかえるようにいいました。この意見を,無視して発売に踏み切ったのです。もはや一企業が国家を恐れなくなってきているのです。(この弊害をマスメディアはあまり書きません。なぜなら大スポンサーだからです。)
    大企業は,国によって法律が違うと,仕事をするときにめんどうです。そこで各国の規制をとっぱらって同じものにしようとします。このことは,言い方をかえれば国家を溶かすことです。そしてこの時グローバル・スタンダードという表現で,その国に圧力をかけます。
    かって私たちは「世界連邦」という言葉を夢見たことがありました。それはバラ色に輝く言葉でした。でも世界は,最終的にこうした大企業の力で結ばれ,一つになるのかもしれません。
    1998.9.2


    「未来」をイメージして下さい。どんな風景が頭の中にでてきますか?
    これを読まれている方のイメージは,2つに分かれます。「鉄腕アトム」的イメージと,「風の谷のナウシカ」的イメージです。
    戦後,私たちの生活は,活性化し続けてきました。この右肩上がりのイメージが,多くの人の中に染みついています。その上に人生設計がなされ,保険が契約され,国策が立案されています。
    しかし歴史が,活性期と沈滞期を繰り返すというイメージはいろんな学者が語っています。そして,それはいつになるか分かりませんが,沈滞期におちいらぬ社会はないということを,歴史が教えてくれています。
    1998.9.1


    【はじめに】 は,「現在」をできるだけ分かりやすく書いていこうとしている項です。

     

     

     

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    Plofile まつを


    デザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。↓これは私の作品たち。

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。