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小川亭をめぐる談義
- 司会
本日は,「小川亭をめぐる談義 〜民家から見える現代の姿〜」というテーマでディスカッションを行います。日本の古い民家にみる少し前の日本のあり方と,それから透けて見える現代の日本人の姿をお話し合いいただこうという訳です。ではまず先日,小川亭をご覧になっていらっしゃったばかりの
まつを さんから口火を切っていただきたいと思います。
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まつを
一番印象的だったのは小川亭にあった微風です。夏だというのに涼しいんです。風が抜けていくんですね。屋根裏も広くとってあるので,瓦の熱も伝わらない。続く襖も取り外せる。言い方を変えれば,プライバシーがない空間が広がっているわけです。で,全体として,神殿になってるんだと思いました。民家は小さな神殿なんです。人様を奉る床の間,仏を奉る仏間。これを中心として,端々に人が住んでいるんですね。改めてそう感じました。
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yo3
「微風」といえば、この間行った沖縄の識名園にある御殿も非常に風通しのいい作りでした。
昔の建物は、今のようの熱を断つのでなく自然とうまく付き合って快適な空間を作っているようです。
http://www.wonder-okinawa.jp/002/001/ski.html
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焚き火
民家(旧家)は、子孫に受継がれるのが前提で建立
私の実家は兄貴で4代住んでいますが、あと100年は住めそうです。
現在の建物(我が家)は、25年で賞味期限終了後は即廃材。
心も文化も伝承されない・・・その違いかな〜
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黒糖庵
いきなり文化人類学的な視点から見た伝統的日本建築の特質について話が向けられましたが、このままだと話がすぐに核心に来てしまうので、あえて論点を少しずらして話をしますね。すみません。たとえば僕らにとって小川亭のようなすばらしい、といってもまだ聞いただけの話ですが、そのような古民家がどのように映るのか、また僕らより若い世代、20〜30代にとってどのように受けとめられているのかをおさえる必要があると思います。もちろんそれはいろんな角度からいろんな見方ができるもので、一概にこうだと言えるものではないのでしょうが、今風の温故知新というか、スローライフな生き方を見直すということが既に商品化され、新しいパッケージで消費経済のターゲットにされてしまっているということもふまえて考える必要があるんじゃないかなと思うんです。古民家をリフォームして現代的なライフスタイルに取り入れた生活の提案なんかは、最近とくに多く見かけますが、なんか違うんじゃないのと言いたくなるような、まさに形だけというか…なんというか違和感がありますね。
先日、酒の席である若者と話をしたのですが、彼はとても博学で世の中の流行をよく知っていて、いろんな話題について次々と語っていくんです。近代ヨーロッパのジャポニズムについて話したかと思ったら歴代仮面ライダーの変遷の中にそれぞれの時代の特質を言ってみたり、そのそぐあとでアボリジニの伝統音楽がどうとか、日本の現代美術として戦略的に西洋に認めさせたかのような村上隆率いる「スーパーフラット」なるムーブメントについてなど、次々と時間軸空間軸を越えて、とめどなく話がとびだすものだから、「だから何が言いたいの?」と訊くと、ちょっと不思議な顔をしたかと思うと、その質問が聞こえなかったかのように、狩野派の山水画がどのようにして日本中に広まったかとか、インド仏教の曼陀羅の表現とネイティブアメリカンの儀式がどうのとかを言い連ねるもんだから、いい加減私もムッとして、「わかった、で、君はそのたくさんのことがらについてどう思うわけ?」とちょっと声高に尋ねると、「…つまり、これらはみんなどこかで繋がってるんじゃないかと思うんです」と言うんですね。
「え?それだけ?」「はい、どっかで繋がってるんじゃないかなあ」
「繋がってるよ、君があれこれ考えなくたってだれが見たって繋がってる。いいかい、人に対してわざわざ語ろうとするんだから、仮面ライダーでもアバレンジャーでもなんでもいいから、ひとつでも君が本当にそう感じたという感動というか、君の内側からわいてくる思いを話題にしてくれないと、周りの人は、『あ、そう。で?』というしかできないんだよ」
「ハア……やっぱり江戸の庶民文化って言うのは浮世絵ひとつとっても…」
「もういいよ、それ飲んだら帰れよ」
とこんなふうに、知識は人一倍あるけど自分がそれに対してどう思うかとか、判断しようという気がないんです。ウナギの養殖みたいにいろんな情報を喰うだけ喰って、太らされてるんです。だからその情報に対して批判することなしに他人に伝えることがコミュニケーションだと思いこんでいる。誰かが言い出したことの伝言ゲームを文化だと思っているんですね。でも誰が言い出したのかなんて問題にしない、たまに批判めいたことを言ったと思ったら、よく聞けばそれもどっかからの受け売りだったりする。彼は同世代の仲間内では勉強熱心な才人としてちやほやされているらしいのです。ちょっと極端な例かもしれませんが、こうした光景を目の当たりにすると悲しくなって、例えば今回の小川亭に20代の若者が行ったとして、どう感じるのか見当もつかないんですね。だからといってそれを「時代のせい」ということで終わらせたくはないんですけどね。人間らしさとか、ほんとうの自分とか言っても、いいものをいいと思う判断さえ情報に頼ってしまうような安っぽいSF小説のような世界ができつつあるんじゃないかって…。
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まつを
yo3さんのお話にも有りましたとおり、徒然草の「家は夏を旨とすべし」にあたりますね。一つには徒然草の記された鎌倉時代は、気候が温暖でした。ですから暑い夏に備える家が説かれているという側面があると思います。沖縄にしても、九州にしてもですね。
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司会
焚き火さんのご指摘のとおり、家の寿命が短くなったということが、文化の継承ぐあいにあたえた影響と言うのは大きいものがあると思います。このあたりは、黒糖庵さんのおっしゃっているカタログ君の出現と関係しているかと思います。
黒糖庵さん、もう少し、カタログ君と民家の関係について話して頂けませんか?
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焚き火
小川亭に住んでいそう・・・。ほとけ様 座敷わらし 福七神 子供が悪さしたら罰を与える神様 隣人が困っていたら頼まれもしないのに手助けする「お助け婆」etc
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黒糖庵
カタログ君というのは、知識が智慧になることなしに知識のまんま数だけ増やしていって心のすきまを埋めていこうとしている状態だと思うんです。ほんとは自分の心の中に満たされたい欲求があるのだけれども、それをどうやって解決していけばいいのかわからないでいる。それは人がアイデンティティを形成する過程での誰しもぶちあたる壁のようなものなんだろうけど、ところが今の社会生活の中で人間関係が希薄になると同時に、莫大な情報がいやでも入ってくるような環境にいると、闇雲に文化的な情報を取り入れることで、なんとなく満たされたような気持ちになってしまう若者がいる。それがカタログ君だと思います。でも所詮情報で心は埋められない。すぐに枯渇感に襲われて、さらに新しい情報という衣を纏いたくなるんでしょうね。それで、このような意味あいで身に纏う情報のひとつとして、スローライフな生き方に理解を示すことが文化的なスタイルだとして肯定する。カタログ君の話を聞いて一番印象的だったのは、話題になることのほとんど全てを肯定しているということです。「みんないいですねえ。面白いですねえ。いろいろかたちは違っても、結局おなじようなところをめざしているんじゃないかなあなんて…」で済ましてしまう。批判するという視点が基本的にないような気がします。でも注目すべきことは、彼らが膨大な情報を無批判に蓄積することで自分の満たされない欲求に適応しようとすることの背景は何かということです。急速な情報化社会の発達にしたがって従来の家族や友だちや社会での人間関係自体がわずらわしくなる。そこそこの関係ですましておけばお互い楽に生きることができる。できるだけ穏便にものごとをすませようとすると、批判精神なんてよけいなもので、オヤジの愚痴にしか聞こえなくなる。彼らはお互いに批判されることのない仲間をつくって、だらだらと情報を流しあうことで自分の居場所をつくりだしているのではないでしょうか。
古民家に住んで、櫓山人風の器を愛で、無農薬野菜しか食べないといい、作務衣を着て、床の間には季節毎に山水画のコピーをかけかえながら、ひとりこもってテレビゲームに熱中する。少女のフィギュアをネットオークションで手に入れることとカスタネダについての本を読むことが同じフィールドにある。それはオヤジには到底理解できない若者の新しい感性から紡ぎ出されるライフスタイルと言えるのだろうか……。つまり、「スローライフ」がトレンドな文化を象徴する記号として若者にインプットされてしまうことは、依然として大量消費経済の術中にあるということです。情報はその本来の価値が抜き取られ、フラットな地平に並列にされて、その上を涼し気に飛び回る…そんな風景が思い浮かぶんですね。自分では涼し気にサイバー空間を飛び回っているようなつもりでも、ほんとはいいように回されている猿でしかない、と言ったら言い過ぎでしょうか。
僕らが古民家を訪れたときには、過去に似たような経験があるから、外と内との区別をあいまいにする縁側の空間。井戸で水を汲み、金ダライで水浴びをしたり、離れにある汲み取り式のトイレの天井に張り付いた手のひらほどもある蜘蛛に驚きの声をあげた子どもの頃の記憶が…。そして当時の家族や近所の方とのふれあいまでもがよみがえってくる。僕らは何を捨てることで何を得ることができたのか…なんて感傷にふけったりする。でももともとスローライフを知らない世代にとって、もちろんそんなカタルシスは存在しない。彼らにとって古民家というのはせいぜい博物館かテーマパークのようなものなのではないかと思ったりします。
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焚き火
民話を子供達に伝える事で、道徳的価値観を伝承し豊かな感受性を育てる事が出来る、私はそう信じております
民話が生れ育つ環境を、もう一度子供達の周りに・・・・
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司会
なるほど、黒糖庵さんは、かつて民家を体験した世代と、そうでない若者世代では、民家を見て捕らえ方が違うとおっしゃるわけですね。民家にもシンボライズされるいわゆるスローライフは、ファッションとしてとらえられているのではないかと。確かに、そうかもしれませんね。戦後すぐに子どもの時期を過ごした人は、民家の冬の隙間風の寒さやプライバシーのなさ、そういったものまで含めて「ああ民家はいいなあ」と言っているわけですよね。それはかつての村落共同体を考える時に、プライバシーのなさや硬直した因習の重さまで含めて思い起こしながら「ああ、田舎はいいよなあ」と言っているのと同じで。そんな相反矛盾する点も含めて「好きだ」といえないと、本当に好きじゃないんですよね。それは初恋のような偏狭さをもっているといいましょうか。相手をどんどん理想化して、最後はぽしゃってしまう。まるで幼児愛をもって子どもに接していたら、泣き出したので殺害した今回の幼児誘拐殺人事件を起こした少年の愛のように薄く幼い。幼児は可愛くめんどくさい。そうした事実も含め愛でるようになるには、体感することでしかそんな事実を受け入れ学んで行く事は出来ないと思うのです。
そう考えてきますと、焚き火さんのお話が気になってきます。皆様方の中で、座敷わらしなど古い民家に住んでいる精霊を感じられたり、会われた事がことがあるかたいらっしゃいませんか?
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まつを
しばらく記号と現代社会の関係を話したほうがいいのではないですか?
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司会
今回お集まりの皆様方は、様々な見識をお持ちです。話の着地点を考えず、しばらくいろんなお話をお聴きしてみるのはいかがですか。黒糖庵さんのお話に関わる話題がでてくるのではないかと思います。もしかしたら黒糖庵さんご自身が、座敷わらしのような異界をのぞかれているかもしれませんし。みなさんどうでしょう。とっておきの話を。
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LightWorks
民家とひとくちに言ってもいろんなイメージがありますね。
ボクは「となりのトトロ」で、見事なまでに描かれた昭和30年代の田舎の民家をまっさきに連想してしまうんですが、座敷わらしとかは、ボクが10代はじめから後半までを過ごした借家(築100年の下駄屋跡)に毎日出没しておりました。ポルターガイスト現象だったのかもしれませんが、そこで暮らした10年弱は、本当に幸せな毎日でありました。
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大閑道人
いやぁ〜、お招きに預かりながら、遅くなってごめんなさい。
さきほど、ちょっと今までの流れをマスターにお尋ねしたところなんですが、司会者の方が命名されました「カタログ君」。これ、絶品ですねぇ〜、すばらしいネーミングです。
ところで、私の家は、本来民家風に作った方がいいのですが、残念ながら、消防法により、鉄筋コンクリートにしなければなりません。このような社会環境上から派生する問題も、民家にはあると思うのですが、結局はこれは維持費の問題にも行き着く。
本家の方も、今は改築されてしまい、味も素っ気もない建物になりましたが、それ以前は、なんといっても、土間・板の間・畳の間の三部構成で奥へ奥へと案内された感があります。
家の中で靴を履いていていい、これは不思議な感覚でした。
でも、それは一方で、土間を越えて次の間へ行かなければならない用事があるときは、フラットに移動できない分、ブツブツ文句を言いましたが。
それと、屋外に風呂場と便所がありました。夜が怖かったですね。いえ、ほんの10歩ほどの距離なんですが、真っ暗だから無限に近い。そんな記憶。
民家といえば、夜の暗さ、これがセットになっていますね、私の場合。
あ、それとトイレのにおいかな。昔は「田舎の香水」といってたけど。
もう少し続けさせてください。夜の暗さ、これは民家に限りませんで、民家が大半だった当時は、夜は怖かった。夜、そして、怖さ。これが妖怪を生み出した。
灯りは知識であり開明の徴であるが、確かにその分、迷信は減ったでしょうが、想像力も減った。
民家がノスタルジーを引きこすのは、その失われた想像力、あるいは、想像力がつれてきたトモダチ=つまりは、妖怪たち、それらが突然に、再び現れてくる。
カタログ君には、そういう面での想像力(たち)がないのでしょう、きっと。
黒糖庵さんがカタログ君と共鳴できなかったのは、想像力の波長が一致できなかったからでしょう。
じゃ、わたしはその波長を一致させることができたか?
できたとすれば、怪談話ができたでしょうね。
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焚き火
古民家前の川に「カッパ」が棲んでる・・怖いぞ〜。
(カッパは、美味しくない政治屋&悪徳サラキンは食べてくれない、欠点がある)
カタログ君増殖中!マニュアルに沿って仕事出来るのが優秀と評価される時代だし
昔は、ベルトコンベアー(チャップリンが批判した)で・・・
今はマニュアル・・・チャップリンの映画が見たい。
子育ては、用心 用心 ご用心
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:あめこんこ
私がそだった場所も醤油の造り酒屋だったようで、太い梁の上や部屋の奥に奥に進んでいると、会いましたね。
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黒糖庵
私は幸か不幸か「座敷わらし」はもちろん、妖怪や、いわゆる超常現象にでくわしたことがありません。でもそれでもよかったと思います。だって怖いもん。見たことないくせに人一倍こわがりなんです。長崎弁で言うと「ひえじご」。あ、超常現象なんて言うからバカみたいに聞こえるのかな?そもそも「現代の科学の時代に…」なんて馬鹿なことを言うやつらが人間の想像力(たち)の場所を隅っこへ追いやってきた。それは決して科学が悪いのでなくて、科学でわからないことはみんな迷信と思いこんでいる似非科学者が悪い。私はよく西洋哲学についても批判をしますが、決して西洋哲学が悪いと言っているのではなくて、「西洋哲学がすべてで、それ以外は偽物」みたいな言い方をする似非哲学者のことをボロクソに言うわけです。だいいち哲学のようなむずかしいことを私がわかるわけないですもん。
話がそれましたが、みなさんが言われるように古い家屋にはやはりそういった世界とつながるような空間があるのでしょうか。それとも、怖さを感じる人間の意識がそうしたものをつくりあげるのでしょうか。昔はあたりまえのように「異界(といっていいのかな?)」が生活に同居していたようですが、それが人間の意識ありきなのか、そんなことはおかまいなく、それがもともとの
「世界のありよう」なのか…どっちにしろそうしたことが見られなくなった事自体、やっぱりよくないのかなと思います。怖いのもいやだけど(^_^;)。
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大閑道人
「ドラえもん 〜 のび太の宇宙開拓史」
畳の裏側が宇宙船の扉とくっついていた、という設定は、まさに黒糖庵さんのご指摘のことでしょう。
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焚き火
小川亭の玄関を入ると 右側の壁に 小さい黒板が少し斜めに吊るしてあり・・・「うらの畑にオリマス」
我が家の裏は、隣家・・・
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黒糖庵
大閑さん 同感されると 感動です(~o~)。(五七五)
そしたらですよ(@_@)…あ〜〜言っちゃっていいのかなあ?
そしたらですね!「この世界」は「異界」も含めて「この世界」ってことなんですよね。(あ〜〜言っちゃったよ、もう戻れない)するとその「異界」をなきものとして平気で生活をしている現代人は、やっぱりどこか無理してるというか、感じる感じないは別としても歪みみたいなものを背負っているのではないかなと想像してしまいますよね。私なんかは「異界」を感じることはないけど「想像」はけっこうするみたいです。だから恐がり?でもたとえば共時的なことにでくわすとか、なんかいやな予感とか、デジャブのようなものがあると、世界は見えない部分のほうがはるかに大きいぞって気がしますよね、精神的にね。うちの子は今6歳なんですけど、去年だったか一昨年だったか忘れましたが、夜中にその子がめずらしく目が覚めて「お父さん、トイレ」って言うもんだから、すぐにつれていってふとんに戻ってきたときに、「さっき起きたときにお父さんの寝てる足下におばあちゃんがニコニコして座っていたよ」って言ったんです。私はここで動揺を見せると子どもによくないと思って、「そうか、おばあちゃんがいたのか」と普通を装ってそのまま寝かせましたが、私の心臓は(*_*)。子どもはべつになんとも思っていないようで、そんなこともあるのかなあといった程度なので、今考えてみるとこうした世界ってやっぱり「あり?」
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司会
さて、ここらでいいでしょうね。もういい。
みなさん、このあたりまで私たちのディスカッションを聞きつづけていらっしゃるギャラリーの方は、まずいらっしゃらないと思います。いらしたら、たいしたものです。
ですから、司会からのお願いですが、ここからアグレッシブなトークを腹いっぱい展開して参りたいと思います。えっ?!そんなこと言っていいの?というようなご発言をぜひ。て、もう始まっていますね。どうぞ司会を無視して、トークバトルをどうぞ。過激にやってください。
で、あめこんこさん。あなたは確かに座敷わらしを見てますね。座敷わらしってどんな顔どんな格好をしていましたか?
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あめこんこ
黒糖庵さんの子供さんのように私も、はじめて意識して見えないものを見たのは3歳くらいでした。
私が生まれるまえに亡くなった祖母と会いました。夜中に冷蔵庫をあさるのが、(夢遊病ではなく、たんにお腹がすいていた)癖で、気配を感じ振り返ると階段に祖母がいて、すぐにこの人はお仏壇にある写真のおばあちゃんだ。
と感じて怖くもなく、翌日母に「おばあちゃんと会った」と言いました。
で、座敷わらしについてですが、自分によく似ていました。
3歳くらいにみれば、3歳くらいの、6歳ころにみればまた同じくらいの。ただ、性別はどちらとも言えないようですたがなんとなく、男の子のようで、自分に似たもうひとりの人。
ただし、服装はTシャツのような一枚の膝が隠れる白い服でした。ちゃんと足は有る。言葉も通じる。話しもしました。
ここに住んでるの?とか今日は何して遊ぶ?とか。
それは夢だった、とか空想から生まれた存在だとか。
確かに自分しか見えていないその人を語るには、とても説明がしにくいのですが、私は「あり」だと感じています。
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司会
座敷わらしには触れるんですか?
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あめこんこ
触れました。手を繋ぎました。ただ手しか触ったことないですね。鬼ごっこで捕まえるときも体には触れなかったので。
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司会
今も会えますか?
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あめこんこ
今は自分の住んでいるところの土地の守り主と木の神さあ、とは会えます。
座敷わらしがいる場所に、最近行っていないので、会っていないですね。
小川亭にはいるのでしょうか?
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司会
あめこんこさんのお書きになってらっしゃる事からすると、座敷わらしはよく言われるように、いいやつのようですね。小川亭が楽しみですね。
大閑道人さんは、さきほど「想像力がつれてきたトモダチ=つまりは、妖怪たち」とおっしゃいましたが、本音のところ「想像力がつれてくる」とお思いですか?ぜひ、そのあたりを。
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大閑道人
数年前、我が家がシロアリで大被害をこうむりました。そのときに思い出したのは、畳干しです。
昔は地域でいっせいに大掃除をしました。そのときは、家具を動かし、畳を山型に立てかけてはパンパンたたき、家全体に風を通して空気を入れ替えたものです。今は、その風景を見ませんが、その理由は、フローリングとか建築の様式が変化したこともあるでしょうが、もう一つ、家具が、つまり、たんすなど重量のある家具が増えたことも原因でしょう。端的にいえば、モノが増えた。この「モノが増えた」という点にも、妖怪たちの住み場が失われたのではないか、とも思うのです。いかに想像力の賜物だとしても、核になるものがなければ想像力は刺激されません。妖怪とは、その核になるサムシングがあってこそ目で見え、そして触れることのできるものではありませんか!たんすの陰には、何かがいる。畳をはぐると何かが逃げる。その「何か」こそが人間が恐れを死なぬ傲慢な存在になるのを抑制していたのではありませんか!
民家がなくなった。それは、異界との接点が日常から消えた。人間が多くの家具を持ち、日常生活をちょっとだけ変化させる大掃除の機会が失われたことと軌を一にする。隣近所とのお付き合いも、それだけ希薄になったのだから、隣で座敷童子が出たことも、話題にならなくなった。
話題にならなくなると、子供たちは、自分の想像力の核になるものが育たない。いくら座敷童子の核になる何かがそこに出てきていたとしても、それが子供の想像力の核になる部分と共鳴することがないから、具体的な形を取りようがない。もう、二度と座敷童子は出てきてなんかやるもんか、と起こって消えてしまう。それは、子供たちから想像力が消えることと同じでありましょう。
ううむ、なんか、ココロねっこ!
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まつを
大閑道人さんが、さきほどから闇は妖怪の住まいとおっしゃってらっしゃる。わかる気がします。妖怪だけではなく、私たちの心も実は闇やよどみがなければ育たないし、安らがない。この点を現代の三文文化人はわかっていない。今回の少年事件でも「心の闇」という表現が飛びまわっています。それは照らし出され白日の元にさらさなければならないものとされているようです。
闇という表現をそのように使うのはまずい。心の闇がなれけば人間の文化なんてうすっぺらいものです。
経済原理は万物を商品として、川の流れのように流し動かして行こうとします。それに押し流されないよどみ。ここで心は発酵し成長します。それを見とめない社会が経済的な効率原理でできた地域に少年は住んでいた。皆がよどまない、立ち話をしない。少年は自分の部屋に一人とどまり、社会的よどみのない、個人なよどみを作り、そこで彼の心は発酵ではなく腐敗して行ったわけでしょう。発酵と腐敗は、ほんの小さなちがいです。その違いは菌の違いに有ります。発酵は社会的文化という酵母で発生し、腐敗は現代商業主義の酵母で発生したと。ゲーム、雑誌、そして資本原理に基づく地域社会。こうした菌が彼についたのでしょう。
妖怪と言う精神体にしろ、私たちの心にしろ、社会的ヌカ漬けのような闇が必要だと思うのです。
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take
「暗さ」「老い」「とてつもない大きさ」が、人のこころに畏れを生む大事な要素だということが感じられるようになりましたが、その畏れを受け入れて自分を常に下座におく生き様を下座行と言うのだ、ということを近年知りました。アイヌの人々はそれをオリパク(へりくだり)と呼んでいますが、わたしはこのオリパクを自然神に対する心身の置き方としてとても好きで、バランスのあるポジションだと理解できます。
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司会
もうひとり、座敷わらしの存在を感じたLightWorksさんにも、もう少し詳しくお話をお伺いしたいのですが。
それから、黒糖庵さん、お話いただいたカタログ君がそだってしまうのも、この社会的ヌカ漬けのような闇がないために情報が発酵せずこなれていないのだと思えますか?
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LightWorks
座敷わらし・・・という言葉と意味を知ったのはその体験のあとですので、そんなもん知らないボクたち家族(父・母・姉)は、くだんの下宿人についてあれこれ話し合いました。
話し合っても昼夜を問わず出て来るんですから、これはもう、お払いしてもらうしかないという結論に達し、然るべき人(近所にいた神降ろしのじいさん)に来てもらうことにしました。
が、その人が言うには「こいは、別に悪かヤツじゃなかけん、ほたっとかんね」でした。
そう言われても気色悪いので、なんとかしてくれと頼みますと、
「家族の増えたて思わんね。そんうち善かことのあっじゃろ」と諭されました。
大閑さんの仰るような妖怪もののけの類だとまだ分かり易かったのですが、いかんせん気配と音だけなんですね、これが。母と姉、一時期住み込みしていたバンドマンの人は目撃しておりまして、一緒になって騒いでおりましたが、ボクと父は姿は見ておりません。後ろに立っていることは分かってるんですが、振り向くと姿は見えないのです。
黒糖庵さんが「恐い」と仰いましたが、不思議と恐さは感じなかったです。「またか・・」ってな感じでした。
その家から引っ越しする時淋しい気持ちがしましたけど、今思えば、護ってもらってたように思うんです。
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まつを
もう一言、私に話させてください。すみません。
機能主義が民家を滅ぼし、家を現代の姿に変えたと思います。バウハウスのグロピウスが機能美を提唱し、コルビジェが「住居は住むための機械である」といって以来の道です。現在の日本の大手住宅メーカーが立てている家はこれです。こんな家に今日本は凌駕されようとしています。アジアの「都会化」したといわれる地区でも、日本以上に機能主義建築で被われています。歩いて回ると悲壮感さえ風景から感じました。けれどその発祥地ヨーロッパではどうかというと、機能主義建築は伝統的な街並みや家々の間にたっているようなもの。これです。
モダニズムは、根無し草になった人間が飛びつくものです。個人レベルでは、都会育ちの人間よりも、ぽっとでの田舎出身者で自分の故郷を捨ててきたものが、そして国民レベルでは、宗主国よりも、かつて植民地的処遇を受けた国々の都市部がモダニズムを愛で、機能主義建築だらけになっていきます。そうした建築が建ち並ぶ風景は、自分たちのアイデンテティを愛せなかったものたちの、根無し草化した姿を見るようで悲しくなります。そして日本の至るところにそれは蔓延しています。
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司会
LightWorksさんの話も、しっとりとしていい話ですね。
大閑道人さんや、さくらんぼうさんにこのあたりはズバッとお話していただけるとうれしいんですが。
あめこんこさん、LightWorksさんの話をきいて共感される事とかありますか?
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焚き火
大黒柱。実家の大きな大黒柱、子供が2人で囲んでもまだ余る太い柱。
何代にも渡り磨き上げ黒光りした大黒柱。
悲しいこと等があり「うっかかっていると」(方言)ひんやりとした感触を介して癒してくれました。
誰にも相談出来ない悩みは大黒柱がきいてくれた。
盆暮れに帰れば、今でも背中を合わせ神様に・・・(^^)
彼は口堅いしカミサンにもバレナイ・・・・ハハ
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まつを
大黒柱の話、いいですね。その対極にある建築として頭に出てきたのが黒川紀章発案のカプセルルーム。いわゆるカプセルホテルですな。黒川はこれを個人尊重の思想を反映した建築として提唱したんですな。ア・ホ・カ。こんな奴らが指導的立場になったことが、現在の日本の悲劇を引き起こす一因となっております。
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大閑道人
想像力の核、について、若干の誤解がありそうです。
核、ということで、あたかも物質的な粒を連想されているのではないか?
むしろ、これは波です。
そういう波、波動が漂ってそれが人間の脳内の想像力の核を刺激して、波動に見合った(もしかしたら、波動が送り込んだ)イメージを再生する。それも画像だけの再生ではありませんから、波動は送り込んだ雰囲気や気持ちやなどなど、手触り肌触りを含めて、心理的な印象をも再生する。
再生、です。データに従って元に戻す、そんなありようでしょうか。
まつをさんがよどみ、とおっしゃった、醗酵とおっしゃった、それは、波動とそれが送り込んだデータに従って元に戻す、というプロセスそれ自体、また、その場、ということだと思います。
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黒糖庵
「モダニズムは根無し草になった人間が飛びつくものです。」
同感です。モダニズム→近代西洋(合理)主義→科学の発達→要素還元主義→唯物論→個人という意識→死ねば終わり→孤独→不安→アイデンティティの崩壊→闇に対する恐怖→根無し草
とくに順番があるわけではないでしょうが、こうしたことが現代社会にぐるぐるめぐっていると…。むかし(1970年代)「疎外」という言葉で倫理社会の教科書には載っていたような気がしますが、根無し草が失ったものはやはり根っこなわけだから、つまり、ココロねっこ運動は反モダニズム運動だったということですね。……話、それました?(^_^;)
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司会
大閑道人さん。いよいよですね。理解しやすくするためにあえてこう問ってみます。「座敷わらしは存在するのですか?」いかがでしょう。
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まつを
ココロねっこ運動は反モダニズム運動であるとおもいます。それはモダニズムの帰結としての反モダニズム運動です。つまりモダニズムの基本的志向性は批判精神にあり、前時代を批判する事にあります。ですからモダニズム自身は、自らを批判する動きを、自らの胎盤の中で育んでいくことになります。こうした流れの一つとして、ココロねっこ運動はあるとおもいます。
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焚き火
ココロねっこ運動は反モダニズム運動
長崎駅に捧げます↓
http://www.pallanoia.org/index.php?itemid=151
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大閑道人
司会者の方の意図がよく読めないのですが、存在する、といわせたいのか、存在しない、と言わせたいのか・・・
今、酒を止められてます。ある時のこと、いつものように付き合いで、二次会のスナック。当然、水だけを貰いました。皆は、水割り。ところが、私の、水だけのコップに少量とはいえ、アルコールが入っていることに気づき作りなおしてもらいました。それは、他の人のアルコールの入ったコップをまぜたマドラーで、私のコップの水をまぜる。この時にアルコールが混入しているわけです。たった一滴だけども、敏感になった舌には、アルコールを感知するには十分な量のアルコールだったというわけです。さて、私のコップにアルコールは存在してたのか、それとも、存在していなかったのか。私が絶対禁酒をしていなかったならば、その程度の量のアルコールを舌が感知することはなかったでしょう。存在 と 定義 の間には、認知(あるいは 感覚)と
測定の問題が横たわっているのです。
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司会
もう少し、聴かせていただけませんか?
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大閑道人
日本語→英語→サンスクリット語→日本語
の順番で、
「自然」→「NATURE」→「MAHYAH」→「幻」
となるそうです。
つまり、インド人にとっては「自然」とは「実在の存在」ではなくて「ゆめ・まぼろし」である、と。「存在」について、ヨ―ロッパの連中が必死に格闘するわけは、キリスト教化されたゲルマンが、異教の「神」が確実に存在することを確認したかったからでしょう。「存在」は、「存在が確認されて、はじめて存在者となる」ということは、逆にいえば、「存在しない」ことが証明されない限り、探究を止めるわけにはいかない、ということでもあります。
存在の証明は 存在することを 確認しさえすれば
それで 十分。ところが、存在しないことを
確認することは
実は 不可能なこと なのです。
存在するか、存在しないか・・・。そもそもが、このような二項定立的な設問が自然を破壊してきたのではありませんか?
座敷童子が、自らの存在を知らしめたいと意図した場合は、我々に存在が認知できるような波長を送るでしょう。その意図が無い場合は、我々がいかに波長の感度を高めても、感知できないので存在を確認できないでしょう。
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まつを
大閑道人さんのお話から、脳の研究で知られる養老孟司氏が言っていたことを思い出しました。養老氏によれば、脳は自分の思ったようになる場をつくりたいのだというんですね。それが都市だと。設計者が考えなかったものは、都市にはあってはならないことになっているというわけですね。先ほど私がよどみといったものが排除されて行くわけです。予測したことしか起こらない安全な都市生活というのは、もうそこですでに入力を制限したヴァーチャルな状態にあるわけです。焚き火さんが、長崎駅のことをあげてらっしゃいましたが、現在の建物、周辺の風景は、最初に設計者をはじめとするプランナーたちの頭の中にできあがったわけですね。
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司会
プランナーたちの頭の中にあった光景以外は、長崎駅のかもめ広場にはないのですね。
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まつを
そこでは彼らが予定していない人の死や熊蜂の巣などは、予定されていませんよね。養老氏は、無意識がやっていることに、意識的な答えを要求しようとするのが都会人で、仕方がないと考えるのが田舎の人っていうわけです。意識が把握できないものはそこに置かないのが都市生活。そこで長崎駅かもめ広場で、人の死や熊蜂の巣の発生は徹底的に究明されるべき問題とされるわけです。よどみを排除して行くわけですね。都市は、人間の脳が把握できない事を許せないわけです。もちろん座敷わらしも。
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take
養老さんの文の中に、現代人は便利な都市を作って自然を追い出し、現代の悲劇は自分の体(心身)に巣くう自然をも追い出した、と書いていますが、これは最近であった言葉の中できわめて印象に残るホームランでした。わたしは、ここのところ瞑想などを通じて「わたしの中の自然」を感じ取る、という日常的な修行にようやく入りました。これは半分冗談ですが、こういう仕組みというか営みを日常に組み込んでいく時間、授業、修行、コミュニティ活動とかに思いを馳せるのです。
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黒糖庵
人の死を目の当りにするたびに、この世界がどこにあるのかを少しだけ考えてしまいます。唯物論的世界観がそのまま近代西洋のものかというと決してそうではないと思いますが、普段の自分もできるだけ客観的にものごとを見ようとしていること自体が、すでに西洋的な価値観の中に浸り込んでしまっているように思います。しかし、生命について普段の生活の中で考えることと、身近な人の生死に関わったときに考えることには、あきらかに違いがある。これまで生活をともにしてきた人がいなくなることで、あの人は今どこにいるのか、と考えたときに唯物論的に見ればどこにもいないことになる。身近な人の記憶のなかに刻まれてはいるものの、形がないということは存在しないということと同じであると言い切ってしまうには、あまりにも違和感がありすぎる。これは死後の世界があるとかないとかの問題ではなく、今、生きているこの世界とは何かということを自分自身に問いかけているのだと思います。それではこの人がさっきまで私と一緒に生きていたこの世界とは一体何なのか、この人のいなくなった今という世界とどう違うのか、そしていずれ自分もこの人と同じようにこの世界から消えてなくなったあとにも、おそらくこの世界はこうしてあるのだろう。それではきっとあるだろうと思われる世界はここにあるのだと誰が言えるのか、それこそ西洋哲学が世界を「共同主観」としてしか定義することのできない限界なのだと思います。つまり世界を捉えることのできる客観はありえないというカントの批判以来、西洋哲学は何も答えてはいないのではないかと思うわけです。今風でいうと「ありえねえ」。
でも、でもです。そんな難しいことをこねくりまわさなくても「あり!」といえば「あり!」なんですよね。科学では「ない」ことになっている微細なエネルギーの世界が、この世界の裏でもなく表でもなく存在していることを古民家は語っているし、あめこんこさんの言葉のほうがどれだけリアリティにあふれていることか。私たちは西洋のモダニズムによってチョンマゲだけではなく、自分たちの世界の多くを捨てさせられてしまった…だからこそ、こんな今となってさえも、なんとか取り戻さなくてはなりません(チョンマゲは別にして(^^;))。古民家には、私たちが捨ててしまった私たちの世界の面影を感じ取ることができるからこそ「いいよね、いいよね」って思うのかもしれませんね。…あれ?つきなみな結論になってしまった(^_^;)
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:じだらく
遅れての参加すみません。
築100年の民家を借りて住んでいます。しかし単身赴任の一人暮らしで住んでいますので使い勝手が悪いです。屋根裏に猫が住みついたり、虫が大量発生したり・・以前家族と一緒に住んでいた時はそんなに不便を感じませんでした。やはり古い民家には大家族で住むものなのだと思います。
3世代で同居するってのは子供にとって大切なことなのではないでしょうか?
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司会
黒糖庵さんのお話、しみじみするものがありますね。例えば、仏教にしても世界の各地で様々な形に変えられてあるように、宗教というものはその民族が受け入れる事ができる形で受け入れられてものなのでしょうね。このあたりは、大閑道人さんが、認知と測定の問題でお話になったことと強く関係してくる事でしょう。「今、生きているこの世界とは何かということを自分自身に問いかけている」という言葉に本当にしみじみとした情感を覚えます。
じだらくさんの「古い民家には大家族で住むもの。3世代同居は子供にとって大切か?」という問いかけは、黒糖庵さんが「古民家には私たちが捨ててしまった私たちの世界の面影を感じ取る」ということに呼応してお話になっておられると思いますが、これについていかがですか?
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まつを
評論家たちに使いまわしされている指摘点ではありますが、子ども達が老人から、病老苦死を学ぶ場が欠損したということはそのとおりだと思います。そして文化の継承ですね。これも合理性・効率性が、民族的所作からその場を奪ってしまった。伝統は、一般の生活の場でみるものではなく、たとえば歌舞伎や茶道にみられるように、薄ら青く虚栄に満ちたものに成り果てて行こうとしています。
このことをグローバリズムの攻撃であるととらえることもある面では的を得ているのですが、それ以上のものがある。それは地球的に、多用な文化の上に覆い被さろうとしている文明のありようだと思います。
工場制手工業が発生して以来、生産と消費の場は分離されました。そしてこれらは年々遠くに離れて行こうとしています。お父さんの通勤時間が一時間なんてざら。
さらに産業文明に都合のいい家族形態が、形成されて行きます。これが核家族。辞令一枚で1週間以内に転勤させる事が出来る家族形態。三世代家族ではそうは行きません。核家族は産業文明に都合の家族形態なんですね。こうして産業文明によって、私たちは土地から根こぎされ、三世代のつながりから根こぎされているのです。
ですから、じだらくさんのように単身赴任の一人で民家にお住まいになっていると、民家空間からこのギャップを強くお感じになることになるのではないでしょうか
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焚き火
むかし、京都タワーを見たときは腰を抜かした・・大馬鹿者! 長崎駅ビルは、それ以上で 立ち上がれん あきらめ・・。
「古民家」の梁には、酵母菌が醸成されその家の味が発酵する。(まつを氏のパクリポイけど・・)
最西端の長崎駅に到着したら、オランダおいねさん 坂本さん いんげん和尚さんの、匂いが出迎えてくれなきゃ〜の。
東京のミニチュア造って・・・建築家喜ばすのかな??
↓ドイツ
http://www.alpirsbach.de/english/index.html
戦争に負けたけどプライドは充分保持してる。日本は戦争に負けたけど、USAの10倍の歴史と文化がある。東京はUSAにくれてやるけど、長崎は。
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まつを
日本はどうしたんだって思いますね。どこに行っても同じような機能主義建築の駅があり、モニュメントがあり、コンビニがあり、県庁所在地の中央を走る幹線の両側はサラ金屋と銀行がビルを占拠し。もったいない。まちの風景こそ、最大の観光資源であるのに。同じ顔をした場所にわざわざ遠くからは来ませんね。養老氏に言わせれば、同じようなパターンに感染した脳みそを持ったやつらが、同じような脳みそ持ったクライアントを説得しやすかったからできたんでしょう。
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焚き火
同じような脳みそ持った・・同感!
那覇にバスで到着した感想→福岡?
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まつを
焚き火さんの「ドイツは戦争に負けたけどプライドは充分保持してる」という言葉などでつくづく思いだすことがあります。誤解を恐れずいいますと、日本人はアメリカに敗戦したからこそ、ここまで経済成長できたという誤った歴史観が日本には蔓延しているんです。この考えを持っている人が日本人には圧倒的に多いように思います。けれど少し歴史を冷静に振り返ってみれば、この考えが嘘っぱちである事がわかります。
第2次大戦前の日本は、すでに世界に冠たる先進国だったのです。
おもいだしていただけました?このことをみんな忘れていて、アメリカ化したからこそ「先進国になれた」と思っているのです。たしかに戦後民主主義は急速に、日本国民の人間感覚等を変化させました。この事によって私たちは根こぎをされ、現在のように似た駅ばっかり立てる国民になっていったといえましょう。
このことをシミジミと痛感した出来事が私にはありました。高校の同窓会で90周年記念冊子作りをすることがありました。休みの日、母校の資料室にこもって歴代の学校要覧を徐々にさかのぼって整理していっていました。すると、平成の時代から昭和60年代、50年代、40年代、30年代とさかのぼるにつれて、資料はお粗末な編纂になり、残される記録も弱々しい内容になり、紙質も落ちて行きました。そして終戦前後の数年間は、その資料さえ編纂されていませんでした。ところがさらに大戦前にさかのぼって行きますと、資料は急速にその質を上げ、現在編纂出版されている内容よりも威信に満ちたものに出会いとても驚いたことを覚えています。すばらしいんです。とてもかなわないなと。
私たちが右肩上がりの歴史観をいかに擦りこまれているか、思い知らされた一件でした。
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司会
テーマが西洋化あるいはアメリカ化へと移っていっているようですね。このあたりを論じると、誤解を恐れて言葉を濁すということもしばしばおこります。またこのような言動を利用しようとする政治的流れもすぐ横に流れていて、確かに誤解を受けやすいという側面ももっています。このディスカッションではそんなタブーを恐れずにこのテーマで進んでみましょう。
考えてみますと、民家には文化様式、家庭形態などありとあらゆる文化史的要素が詰まっていますね。
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take
アメリカナイズされたアメリカの終戦のドサクサの陰謀にまんまとはめられたまま、日本の今があるというのは早く気づく必要があります。戦前の日本にピークがあったという指摘も示唆に富みます。日本の大本の教え、はやはり必要だと思われます。
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大閑道人
「日本の大本の教え」とは、「大本教」のことですか?
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take
大本教、とかあるいはキリスト教とか、そういった個別の宗教のことではなくて、人間の根本的なことを教えるような、たとえばむやみに生き物を殺さないとか、年寄りは知恵が詰まっている、とかの共有できる原理みたいな、そういうオオモト。そんな感じです。当たり前すぎてなんかパンチがでませんが。宗教の「宗」がそもそもオオモトと読めるのではなかったでしょうか?
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大閑道人
疑問は解決しました。
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黒糖庵
>存在するか、存在しないか・・・。そもそもが、このような二項定立的な設問が自然を破壊してきたのではありませんか?(大閑道人)
まったくそう思います。
さきほども話しましたが、客観的にものを見ようという姿勢は、一見あたりまえのようで、じつは共同主観論の域を超えられない西洋哲学の限界なのだと。大閑道人さんの指摘される二項定立的な設問、つまり二元論的なものの見方を前提にするとかえってものの本質を見失い、結局は平気で自然を破壊してしまうことになるというわけですね。世の中は「ある」と「なし」では説明のつかないものがある…というより、そもそもそんな認識で捉えられるこの世界ではないというのが実際のところだと思います。
自然破壊は西洋の価値観がもたらしたものであることはもはや動かし難いですが、それは西洋の価値観が悪いのではなく、そうしたよそ様の価値観で自国を塗り替えていった日本人が悪いのだと思います。日本と違ってヨーロッパでは環境問題に対する意識がかなり高い。これは今にはじまったことではなく、都市景観はもちろん環境に対する美意識が今の日本とでは比較にならないほど高いようです(ヨーロッパの各都市とニューヨークや東京の景観を比べたら一目瞭然)。それはもともとヨーロッパの景観が貧相であるから、なんとか手を加えてでも美しい環境をつくりたいと願う彼らなりの美意識のなせる業(わざ)かもしれません。その点、昔の日本の自然は美しかった。何もしなくても、いや、何もしないほどその美しさが秀でていた。「求めずして得た宝」といったところでしょうか。だから昔の日本人はできるだけ手を加えずにその美しさを愛でながら生活してきたと思います。なにか作ったとしても、すぐに朽ち果てるような土や木や紙でつくる。すぐといっても今のプレハブのように25年とかではなくて100年、200年のサイクルで住居をつくる。きっとこの100年は長く保たせようとした100年ではなくて、自然に合わせてつくったらそうなったということかもしれません。きっと知らないで自然にまかせてつくっていったらそうなったみたいなところが、結果としてうまい具合になったのではなかろうかと。この「うまい具合」とか「いい塩梅」という絶妙なバランス感覚が日本の文化にはあると思います。自然にできるだけ逆らわないで、それでも少しは逆らわないと生きていけないから、ここはひとつゴメンナサイということで、恐る恐る自然に手を入れる。自然との距離の取り方、その自然に対する畏怖心があるかないかが、昔の日本と西洋の決定的な違いだったのではないでしょうか。でも今の日本は自然に対する畏怖心などありはしない。白人が一番偉いと思っていいように自然を壊してきた恐いもの知らずのアメリカに盲従する日本。そしてもちろん破壊されているのは環境だけではないということも知ったこっちゃない。
その知ったこっちゃないという考えはどこから来たかというと近代西洋の唯物論からですよね。キリスト教会の力が衰退した近代西洋において産業革命とともに科学が発達し、あっと言う間に科学がデカイ顔をし始めた。そして「この世界は自然の法則によって動く大きな機械である」というニュートン的世界観と「この世界には客観的現実というものが存在し、現実とは人間が客観的に認知できるものだ」といった考えが一見科学的なようで、じつは全く非科学的な考え方であることを私たちは意外に見失いがちです。それは、人が普通に生活していくなかでは、こうした素朴な世界観で充分だし、実際にそれを超えるリアリティをもつような体験はあまりありません。量子論を知らないでも死にはしないし、知ったからといって長生きできるわけでもないし。でももう何百年も昔の西洋哲学の世界においても乗り越えていたし、また宗教の世界観ではそうした機械論的世界観ははなっから乗り越えられていました。この現実が客観的に認識できるものではないという見解は哲学と宗教とで一致しているにしても、哲学においては現象世界の解釈にとどまらざるをえません。つまり哲学では「異界」とか「異境」などの概念は存在し得ないところが哲学と宗教の決定的な違いだと言えます。そしてそうした限界から脱出できないものかどうかということを問題にしたポストモダンの哲学者たちも、なんとなくわかっちゃいるけど哲学として確立できないという壁を乗り越えることができないわけです。ここいらの哲学書は特に難しくて読む気にさえなれませんが、なんとなく脱構築とはこのことなのかななどと思います。違っていたら言って下さい。
さて、「座敷わらし」や「妖怪」、または「天使」や「悪魔」というものが科学では「ない」ものとされ、哲学では対象外にされているわけですが、それが見えたり触ったりできる人がいるということを無視することがほんとうに科学的立場なのか、哲学的態度なのか。つまりそうした「異界」にしろ何にしろ、あるのかないのかという態度こそ科学や哲学が自らつくった壁にぶちあたっているということと同じ地平にいるということなのだろうと思います。この壁を乗り越えようという立場にユングやシュタイナーやウィルバーといった西洋世界の人たちがいるようですが、結局みな仏教的な世界観を自分なりに読み解いているようです。それはそれで桁外れにすごいことなのですが、たとえば、小川亭のような場所で見えない世界を感じることは、そんなにひっくりがえるほど難しいことではないでしょう。難しいのはそれを科学や哲学として立証しようとすることがそもそも不可能なことだからなのであって、それはカント以来の批判の域を超えていない。やはり感じた人が「あり」といえばやはり「あり」なのだと。それはより現実の近くにいるということなのかもしれません。逆に言えば、科学的態度や機械論的世界観が私たちを現実から引き離して、上っ面だけを見るような味気ない世界にしてしまっている。バカの壁は科学者の常識にあると言いたいくらいです。
たしか河合隼雄さんが言っていたと思いますが、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」で、科学者は「幽霊なんかいるはずない。怖いと思うから枯れ尾花が幽霊に見えるんだ」と一見もっともらしいことを言うけど、幽霊と思って見たその人にとってはまぎれもない現実なのだから。科学でいう現実と人間が生きる上での現実とは違う。科学ではその人が幽霊を見たという現実は完全に否定される。しかし幽霊を見たという思いは、その人にとってはあくまで現実なのであって、心理学ではそのことを注目するから心理学は科学ではない、とおっしゃるのも頷けます。
それではどれが本当の現実なのか。すべては夢・まぼろし…と言ってしまうと夢も希望もなくなりますが、そうではなくて、仏教でいえば現実として見えているものはすべて「仮(け)」という仮の姿であるし、それが消えたからといって消滅したわけではない。存在としては確認しようがないけれども潜在的に可能性として存在する。その状態を「空(くう)」という。そして縁にふれてふたたび「仮」としての姿をあらわす。その「仮」と「空」のダイナミックな生成消滅をくりかえす究極の実体を「中(ちゅう)」という…そうです。だから私たちは「はじめてのおふかい」という縁にふれて集まり、小川亭という「仮」の姿をとおしてこの世界の「空」を感じるという一連の姿が「中」なのだということなのかもしれません。それはまさに「仮」だけを現実としか見ることのできないモダニズムに対する反モダニズム宣言なのだということができるのではないでしょうか。…なんか話がでかくなりすぎ?
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司会
えっと、現代哲学やなんかが問題にしている事を、わかりやーすくいうと、当たり前の事を言ってるんですよね。「そんなこと、当たり前じゃない」って言われそうな。でも、ちょっと枠はずして説明すれば、この人おかしいんじゃないって思われそうなことを話すことになるわけで。これは「現実」がそれほどシュールであることを物語っているんでしょう。
少し解説をしますね。黒糖庵さんの話の中に、「カント以来」という言葉が2度出てきます。これがお分かりになりにくいのではないかと思います。カントは「神はいるか」と考えるんですね。もともとがカントは理系的な人ですから、出した答は「神がいるかどうかは人間はわからない」。立証できないっていうんですね。
みなさんは「なぜ哲学者がノーベル文学賞をもらうのだろう?」と不思議に思われたことはありませんか。実は現在の哲学の流れはですね、文学的な方向にあるんです。科学って、基本的にはフローチャートで図式できますよね。今の哲学はこれが出来にくい(やってるのもあるけどバカみたい。「哲学 フローチャート」で検索するとよくわけりますよ)。なぜできにくいかというと視点が多面的なんです。それまで正しいと思ってたことが、ひっくり返ったりする。文学ではたびたび起こる事ですが、こんなことを哲学でもやるようになってきたんですね。
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草多
「こころ」とか「気持ち」とか「精神」とか、
今まで「文学的」領域だったものが、
脳 と言う神経細胞の研究
という「科学」に、急速に引っ張られているのも、
人間のなりたち への大きな不安
の「答え」を欲しがる圧力のような、
ひとつのカタチなのでしょうか。
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黒糖庵
そうですそうです、現代の哲学の世界でもやっと多元的な世界観へのアプローチがなされはじめているようです。たとえばダンテの「神曲」が文学を越えて哲学、あるいは科学として蘇ってきたりするかもしれない。あるいは仏教の唯識論に接近してきたとも言えます。今見えている現実の他に次元の違う世界も含めて現実であることを考えざるをえなくなってきたということですね。でも脳はそうした現実を感知するための受信機であったり、現実に参加するための発信器のような媒介であって(ポンティはこれを「身体」としていますが)、私は脳自体が現実をつくりだすようなものではないと思うんです。養老孟司が唯脳論でそのあたりをどう解釈しているのかは知りませんが、脳そのものがそれほど大それたことをできるとは思えないのですがどうでしょう。いずれにせよ多元的な世界観の確立とは、哲学そのものの定義さえひっくりかえるほどの大きな転換期なのかもしれません。今回の「はじめてのおふかい」の「小川亭のシュールな5時間」というサブタイトルは、「現実離れした時空間」という意味ではなくて、現代では忘れがちな「ほんとうの現実」を感じるための時間を小川亭で過ごしませんかという意味なんです。
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まつを
草多さん、そうなんですよね。養老氏の著書が売れ受け入れられるという現象も、人間へのなりたちへの大きな不安の「答え」を、近代科学に染められた私たちが欲しがっている事なのでしょう。養老氏は脳というモノを透かして哲学を語っているとよく指摘されています。彼自身はおわかりのとおり文学的領域の表現にものすごく引っ張られている。じゃあ、なんで哲学者の分かりやすく書かれた著書より売れるのかというと、彼が科学者だから信用がおけるというんでしょう。逆面からよく似たボーダレスの立場にいるのが、立花隆氏でしょうか。
いきなりふってすみませんが、反モダニズム宣言の過激かつ象徴的行為は、都市への攻撃でしょう。ベイルート、サラエボ、ニューヨーク、バクダット。都市を破滅させ、文明の成果を灰燼に帰させる攻撃は、脳が生み出したヴァーチャルな光景、共同主観に支えられた光景を破壊している。つまり、都市への攻撃とは、異文化の脳への攻撃であると思われます。貧者のナショナリズムやカルト集団にとって、それは象徴的な行為であると思われ、今後、「救命ボートの論理」によって世界の所得格差が拡大していくにつれ、巨大都市を作り上げた富と思考に対する攻撃は、誠に残念ながら増加して行くと考えます。
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秀學
私の好きそうな話題ですな〜。
基本的にtakeさんと同じスタンスですよ。いやぁ、ほんと、一度会ってお話ししてみたい。アイヌ…いいですよねぇ。シャケ、クマ、キツネ、ワタリガラス、ヒト、シカ、オオカミ…一連の並列の中の人間。私たちはこの大自然を構成する一部であるという認識。なんとこの静かなる謙虚さよ。下座に着くとはまさにこのこと。私の住む地区の古老の語り…「おれがおれがの が を捨てて おかげおかげの げ で暮らせ。」日本人の魂の古層にはまだこういう謙虚さはどこかに残っているはずですよね。そこを深く抉っていきたい。
日本人ばかりではありませんね。オーストラリアのアボリジニ、アメリカ大陸のネイティブアメリカン、アマゾンの諸族、皆大いなる自然の不可思議に畏れ、目に見えないものを敬い、土地と共に生きてきた。アボリジニの人たちの面白い話を知っています。白人のある少女がブッシュの中で行方不明になった。白人たちは車やヘリコプターなど文明の利器を使いながら懸命に捜索したが、見つからない。困り果てた白人たちはそのブッシュで昔ながらの生活を続けているアボリジニの人々に助けを求めた。彼らは、そのままブッシュの中にするすると入っていき、ほどなく少女は発見され、無事に保護されたという話です。
黒糖庵さんが書かれている西洋文明の限界が象徴されている話だと思います。おそらくユーラシアの大地に根付いていた彼らの祖先はアボリジニやアイヌと同じ感性を持ち合わせていたのだと思います。が、誰かが、理屈をこねて考え出し、その中から便利な道具をどんどん作り出す中で、本来ヒトが備えていた良質の感覚を削ぎ落としてしまった。そして、それこそが正義であると「科学」という名で、もしくは「論理」という方法でこの世をすっかりと作り替えてしまった。唯一の回復手段としての哲学でさえ、ヴィトゲンシュタインの言葉を借りれば、「語り得ぬものには沈黙しなければならない。」と構え、世界観というテーブルの上でしか哲学されていない。ヨーロッパという範疇からなかなか抜け出せない。かろうじてレヴィ=ストロースがおのれを指差したくらいか、ホワイトヘッドがなにかしら捉え切れぬものに「抱握」したくらいか、カントもア・プリオリなものにはそれはそうとしてあったものと認めつつ先験的な事象の背景をことさらに深く追究しようとはしなかった。
プラトンにしても、イデアという自分が解釈した世界観を通してしか語っていない。そこでは人間が中心であり、人間がどうあるべきかという視点があるだけです。すべてこちらの側に引きつけて考えてしまう。ヨーロッパ諸学の思考の基本は二項対立にあり、二項と対峙しそれを西洋的感性で読み解くことにあると考えます。神と人間、自己と他者、真理と虚偽、男と女、自然と技術…範疇を限定してそれを読み解こうとすることで学問が成立してきたような気がします。
そこに、「待った!」をかけたのが、ジャック=デリダです。脱構築とは、二項対立がもたらす閉鎖性をぶちこわす思考方法、アプリオリに限定された階層秩序的二項対立が孕んでいる排除の欲望を暴き出す試みです。ヨーロッパ的常識の解体作業。「だけん、なん?」と西洋的思考にガンつけたのです。ある意味、20世紀中盤頃からの哲学者は「このままじゃだめなんだよ。」ということに気付いていて、象牙の塔を解体する方法のパターンを開発しておりますよね。例えば、ミッシェル=フーコー。「狂気の歴史」から始まる一連の書物の中で西洋的カラクリを暴きました。ルイ=アルチュセール。古いテキストの中にある問いの構造から断絶し、新しい読みへと昇華していく方法論を提唱しました。トマス=クーン。科学をその成立過程から実に冷静に俯瞰し捉え、「パラダイム」という標準枠が存在し、科学革命によってそのパラダイムは転換していくという論を展開しました。クーンとは対立しているのですが、カール=ポパー卿が批判的合理主義という立場から述べた次の言葉は私の脳裏に焼き付いています。「明日、太陽が東から昇るとは限らない。」(これについては、自然主義のtakeさんは異論があると思いますが、ポパー卿は西洋が支配する論理を批判する形で述べたとお思い下さい。)
とにかく私が言いたいのは、もう人間という枠組みだけではものが語れない時代になったと言うことなのです。
星野道夫の写真を見てください。すべてがわかります。
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take
秀學さんの次の言葉‥‥
>私の住む地区の古老の語り…「おれがおれがの が を捨て>て おかげおかげの げ で暮らせ。」
さすが古老、参りました。この箴言がすとんと落ちるまでには、やはり短くはない生活体験ときづきが必要なんだと思います。祈りで刷り込んでいくか‥。
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黒糖庵
最近知ったんですがジョルジュ・バタイユは興味深いことを言っているんです。私は彼は単なるスケベな変人と思っていたんですけど、意外とまじめに世界と向かい合っているんです(笑)。というのも、フーコーが彼の思考を「越境する哲学」と言ったそうなのですが、それは何かというと、彼が最初から興味を示していたエロティシズムや笑いを「非・知」と名付けて、これまでの哲学にはなかった「非・知」への思考の必要性を感じていたようなんです。そして彼は経済をエロティシズムによって説明しています。世界は過剰なエネルギーであふれていて、その過剰なエネルギーをもてあましてしまっていると。人間は必死に働いてエネルギーを蓄積してきたものの、それをどう処理していいのかわからないでいるのだそうです。いつしかその余剰なエネルギーは逆に人間に攻撃をしかけてくる。彼はそのような余剰のエネルギーを「呪われた部分」と名付けていますが、結局どういうことかと言うと、人間は自らエネルギーを必要以上に蓄えていき、自己を破壊するような営みによってそうしたエネルギーを使い果たすことにさえエロス的な喜びを得られる不思議な存在であるというのです。なるほどあの「眼球譚」の倒錯した世界を描き出すスケベオヤジの考えそうなことですが、この考えは現代の閉塞的な状況をうまく説明できると思います。
「われわれは無知のために、自分にそなわるべき発汗作用を選び取れない。そして無知は人間とその事業を破局的な破壊にゆだねる。もしわれわれが余剰なエネルギーを自分の手で破壊できなければ、それは活用されようがない。そして飼い馴らされない野獣のように、相手の方が人間を破壊し、われわれはその避けられない爆発のあと始末を自分でつけねばならなくなる。(『呪われた部分』G・バタイユ)」
このバタイユの言う余剰なエネルギーとは、近代西洋がつくりあげた経済システムによって増殖された欲望のエネルギーなのだと思います。そして人間がもともと持っている限りのない欲望の火に油を注いできたのが大量消費を前提とするアメリカ資本主義の経済システムであり、戦後日本がたどってきた道でもあるということですね。
話を最初のあたりに戻しますが、例のカタログ君が「これらはみんな繋がっているんじゃないかなあ」と言ったことがどういうことなのかを、あとからちょっと考えてみたんです。ものごとのつながりということに関して本当にそう感じているのか、それとも雑多な知識を述べていく中で、その言葉から次々と連想される違う分野の知識を羅列することで、他人に自分のカタログの充実ぶりを披露したいのか。これはオタクの世界の嗜好と共通するところも感じられます。確かによく知っている。人の名前から細かいいきさつまでよく語るわけで、私なんか最近は特にひどいのですが「ほら、あれ、あれがね、あれしたわけで…えーと、なんてったっけね、あれなんですよね」っていうぐあいで、なあんにも憶えちゃいない。あ、それはさておき…つまり、ものごとが繋がっているなんて、どうとでも捉えられるわけで、何の答えにもなっていないわけですよ。それより彼らにとって重要なのは自分の蓄えている知識のアイテムがどれだけ増えているか、そしてそのコレクションを確認することである種の快感を得られること。つまりはバタイユの言う余剰なエネルギーがカタログ君を生み出しているんじゃないかと思うんです。情報は処理されることなく蓄積され、カタログ化することに快感を覚え、次第にそのこと依存してしまう。情報依存症といいますか、バタイユ風に言えば、いつか蓄積された情報から人間が破壊されるという危険性を孕んでいるんじゃないかと思うとゾッとしますね。
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秀學
そうなんですよ。黒糖庵さん。バタイユに行き着くんですよ!現在、僕が最も注目している思想家です。彼の宗教論は一読に値します。実に人間を冷静に分析している。人間は畏れから欲望を増幅させていったと喝破したのは女の子大好きバタイユおじさんだったのですよ。(もっとも、ヴァルター=ベンヤミンよりはスケベではないですけどね…)そのエネルギーの消費を彼は「消尽」と呼びます。人間は消尽する生き物なのです。僕が考えるに、西洋の中で実に西洋的な思考で西洋を超越した思想家はジョルジュ=バタイユぐらいなのかもしれませんね。
次はバタイユについて論じようと思っていた矢先でした。黒糖庵さん、鋭い!僕のアフォリズムからバタイユに関する一節を掲載します。
*ジョルジュ・バタイユが指摘しているように、「死への恐れ」が人間をより狡猾にしていった。知恵をつけた人間は、異様に死を恐れるようになる。なにも考えずに死を素直に受け入れる他の生き物と違い、人間は妄想を描く。最後の最後までもがく。隣人の死に接し、その変わり行く姿に嫌悪感を覚える。腐敗臭に嘔吐し、目をそむける。そして、なぜそうなったのかを沈思するのである。*
*死を意識する。死をはっきりと意識する人間。意識し、忌み嫌い、抗う。私たちが、自然の中でどれほどの死を体験してきたか。死を回避するために、自然を畏れ、自然に敬服する。死と出会うたびに人間は自己を変革させてきた。変革させたもの、それは、どうしようもなく強烈な自然である。隣人が災害により死す。隣人が病により死す。隣人が老いにより死す。目の当たりにするその事象は、人間に、大自然に抗うための知恵を授けた。死への抵抗は、生への執着を生む。生への貪欲な執着こそが、ヒトが人間へと転換した原初の核である。死を意識する。死をはっきりと意識する人間。意識し、忌み嫌い、抗う。私たちが、自然の中でどれほどの死を体験してきたか。死を回避するために、自然を畏れ、自然に敬服する。死と出会うたびに人間は自己を変革させてきた。変革させたもの、それは、どうしようもなく強烈な自然である。隣人が災害により死す。隣人が病により死す。隣人が老いにより死す。目の当たりにするその事象は、人間に、大自然に抗うための知恵を授けた。死への抵抗は、生への執着を生む。生への貪欲な執着こそが、ヒトが人間へと転換した原初の核である。*
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じだらく
話は急に変わりますが、江戸時代の完璧に近いリサイクル社会というのは見習わなければならないと思います。
古くなった家は移築もできるし燃やしてしまっても灰としての使い道がある。現代の家は解体したらそのほとんどは産業廃棄物ですよね・・・。
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まつを
江戸の見事なリサイクルシステムは多くの研究者が指摘しているところです。その中心が金肥、すなわち人糞のリサイクル。これに関しては、20年ぐらい前にも東京の地下に養豚場作って糞でブタ飼おうといった学者もいました。でもねえ、生体濃縮の事を考えると恐ろしい。現在わが国にどれほどの化学物質が循環しているか。現代日本人の糞尿は金肥たりえるか疑問です。
韓国でテレビCMを見てもそう思ったのですが、わが国も韓国も薬のCMがやたらと多い。それも栄養ドリンク系が多い。無理してるんです。黒糖庵さんが美意識という言葉をだされましたが、このあたり日本人の美意識があるわけです。勤勉は美徳。それが産業文明にふりまわされて、栄養ドリンクゴクゴク飲んで、風邪ひいたら風邪薬バンバン飲んで仕事する。
辺見庸が驚いたと書いていたんですが、地下鉄サリン事件があったとき、人が苦しんでいる。それを救急隊員は助けようとする。それをマスコミは取材しようとする。その他の多くの人は、会社に遅刻しないように賢明に急ぐ。みんなまじめ。みんな会社に忠実。だからこそ失おうとしている命をかえりみない。少しだけ自分とはなれた命が失われる危機にあることを顧みようとしない。
近くであれだけ美しかった自然が、失われて行こうとしているのに。松の大量な立ち枯れが西日本で起こったとき、マスコミはこれを松食い虫が原因と報じたんです。本当は中国工業化による酸性雨によって松が弱ったのが原因。松食い虫は結果論。ちょっとマスコミの情報操作があれば、他人事としてきずかない。そんな偏狭な視野の国民になっているわけです。
自然との距離の取り方、その自然に対する畏怖心などという広い視点が欠損して行った。その事はかつて大人たちもお山と呼んでいたものを、私たちの世代の多くがもはやそう呼ばなかったことにも見て取れます。
産業文明がこの国を被うと、そうなった。けれど戦後アメリカ主義がなかったらなっていないであろうことも多くありますよね。そこがポイントかもしれません。
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黒糖庵
戦後のアメリカと美意識について、私の趣味に偏って恐縮ですが、アートの世界を通して話をさせていただきます。
戦後のアメリカは戦勝国ということと、ヨーロッパのように直接戦災を被らなかったこともあり、その経済的な勢いの中で、美術の世界でも指導者的立場をとろうとしました。しかし如何せん歴史も伝統もないアメリカはヨーロッパの芸術に対抗できるわけがありません。そこで白羽の矢を立てたのが第一次世界大戦前後の世情不安の中から半ばヤケクソ的に出現したダダイズムという詩人を中心としたアナーキーな芸術運動でした。これは簡単に言うとそれまでの芸術や伝統を片っ端から否定すること自体にその真骨頂がありました。いわゆる「反芸術」を理念とした、20歳前後のほんの数人の若者が起こして、ほんの数年で空中分解した芸術運動です。(音楽でいうとセックス・ピストルズのようなパンクロッカーみたいなもんですが、これが崩壊後すぐにシュールレアリズム運動へとつながり20世紀芸術の様相を大きく塗り替えることになります。)そしてアメリカはヨーロッパの伝統芸術に対抗するためにそのダダイズムの思想をもとにしたネオ・ダダイズムと称する一連の芸術家を鳴り物入りで売り出しました。つまり何を言いたいのかというと、戦後のアメリカ美術はそれまでのヨーロッパ芸術全体を否定したところから始まったのです。
近代以前のヨーロッパには、いわゆる「大きな物語」としての美的概念がありました。それは美しさを追求していく先には、きっと究極の美が存在しているのだという希望のもとに人間は努力していくという筋書きがあったのです。しかし産業革命があり科学が発達し教会の権威が失墜していく中で、その「大きな物語」も色褪せるようになります。そこで勢いに乗った戦後のアメリカが、それまでの「大きな物語」としての美的概念にどう決着をつけるのかというところにアメリカ美学の出発がありました。本当はアメリカ美学も総合的な見地から新しい時代にふさわしい美学理論を打ち立てようとするのですが、やはりアカデミズムの権威と利害の世界の中で、後期ヴィトゲンシュタインなどの理論実証主義的な分析哲学を基盤にしか展開できなくなってしまったという「つまづき」の上に成り立っています。ひとくちに言うと、戦後の主流をなすアメリカ美術の理論的背景は、「美的経験」を無視した言語の分析によってひねり出される観念的で退屈な理論体系にすぎないということです。現象学的アプローチや、心理学的なアプローチに加えて、科学、歴史、批評も含めて、いわゆるカルチュラル・スタディーズ的展開の可能性が夢に終わってしまったということです。もしこうした総合的なアプローチがアメリカ美学として成功していたならば、現代美術はもっと実のあるものとなっていたのかもしれません。アメリカ美術の一番の問題は「大きな物語」に変わるところの理論的基盤を、社会性や芸術の生み出される現場を無視した頭でっかちで狭小な分析哲学に頼るしかなかったということのようです。
したがって現代美術においては「美的経験」は不要なものとされています。現代において生み出されるべき美の概念とは、美しいと感じる心とは関係のないものということが前提となります。それはローシェンバーグのモノグラムやウォーホールのキャンベルスープのラベルなどの現代美術の古典的な作品に象徴されるように、既に美的経験は問題外であり、ゴミや記号やサブカルチャーを素材にしていきながら、最終的には観念の袋小路にはまりこんでしまう結果が既に30年以上も前に露呈してしまいました。そしてその後もアメリカ美学は現場の現代美術とさえ埋めようのない距離をつくりだしてしまったのです。
このように戦後の現代美術は一般的にはアメリカがリードしてきたかのような認識がありますが、じつはアメリカの美意識とはその成り立ちからつまづいていると言っていいのだと思います。それは実際のアメリカ現代美術の作品が一般には理解しがたい不気味な様相のものだったり、単なる社会批判的なメッセージに終始してしまっていることからもあきらかです。
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まつを
近年のアメリカの政治戦略については、「持続可能な社会」として分かりやすくまとめた事がありますが、黒糖庵さんの美術史への言及をお聴きしますと改めて共通点を感じます。それは、ものすごく複雑な知性が。ものすごく粗野な思念を中核として絡まっているアメリカ流の頭の使い方です。たとえばものすごく複雑な学術を用いて、やってることといえば格闘技アメフトであったりとか。なんといいますか、バカみたいですね。
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焚き火
古民家を寺子屋に出来ると、多様な文化の花が開くかもね。
(大規模学校目指す、今の法律変えないといかんな〜)
黒糖庵さんは、どんな授業するのか。
壁に絵の具投げつけて、確率
キャンバスに斜線引いて、三角関数かな・・
おれは、焚き火で 理科したい。
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司会
焚き火さんのおっしゃるように、小川亭は現在の管理者の方によって「寺子屋」と称されています。「小川邸」ではなく「小川亭」とされているのはそのせいでもありましょう。
私たちに何が出来るのか、ちょっとやってみますか?
「はじめてのオフかい」のご提案です。
一度、この小川亭に集まってみませんか。皆さんご存知のとおり、小川亭は展覧会など文化的活動に無償で場を提供されています。ここでくつろぎ、大閑道人さんのおっしゃる民家の波長を感じて見ましょう。そのためには展示するものが必要です。そこで、皆様方のお宝、それは皆さんがお作りになった作品ですとか、私の愛でるお宝ですとか、そんなものを持ち寄って展覧会をするという企画です。企画へのコメントください。
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黒糖庵
私は当初、自分の作品を展示できる空間ができるかどうかを考えていたんですが、どうもそういうのと違うような気がしてきました。決して小川亭が作品展示という場にふさわしくないというのではなく、なにか人の記憶の底に漂っている何かを、ふうっと思い出させてくれるようなといいますか…そうしたきっかけになるようなささやかな断片のようなもの…モノにはそうしたコトを記憶するチカラがあるのではないかと思うわけで、だからまったくプライベートなモノを、会ったことも無い人が見ることによってどこか共感できるような何かがきっと感じられると思います。もちろん私の一連の作品もそうした思いの中でどうにか形になればと思っているのですが、今回の展示では「作品」ではなく、そうした個人的な「思い」がさりげなく集まることで触発される気持ちの「ゆらぎ」のようなものがあるとステキだなあと思います。だから他に見るひとがいなくても、いくつかのそうしたそれぞれのモノに封じ込められた記憶が集まれば、もうそれだけでいいのかなあと思っています。みなさん気軽に考えて楽しみましょうね!
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まつを
どうも幼い頃の想い出は,鮮やかなイメージを持つ一枚の絵として心の縁に沈殿しているようですね。それも単なる絵ではなく,まるで紙芝居のように裏側にはメモ程度のト書きが付いたやつです。人はこういった絵を,必ず持っていて,それがその人のトーンをシンボライズしているように感じます。
そこでお願いです。幼い頃に出会った光景をみなさんに思い出してみていただきたいのです。どうでしょう。頭の中に浮かんでこられたでしょうか。どうですか,よくご覧ください。その光景の中に自分がいませんか。自分がいる光景。決して見たはずのない光景です。こうして私たちは,自分の心の中におもいを降り積もらせ,自分の人となりを成長させてきてるのでしょうね。
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司会
炭酸水を満たしたコップの中に,小さな粒を落とす。そのように,私たちの心の中から思い出を次々と発泡させてくれるような,そんなお宝が集まると素敵ですね。皆さん方の思い出は,そのままわが国が戦後から現在に至るまでの社会の思い出でもあります。展覧会ではそれらが七色の気泡を立てて現代社会の一端をみせてくれることでしょう。
黒糖庵さん,どうでしょう。今度のお宝展覧会「はじめてのオフ会」で,皆さんが持ち寄るお宝の「ト書き」を出展者の皆さんから送ってもらって,その「ト書き」を統一デザインでプリントしていただけませんでしょうか。お宝の横にそれぞれ配置するわけです。もしかしたらこの「ト書き」こそが今回の展覧会のメインになりそうな気がしてきました。いかがでしょうか。
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黒糖庵
はい!よろこんでっ!!
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司会
ではここらで今一度整理します。
「はじめてのオフかい」
形 式:談義にお集まりの方々が自分のお宝や作品を持って小川亭に集まり,一般公開する展覧会。
開催日時:2003年9月14日(日)午前10時〜午後3時
開催場所:小川亭 長崎県飯盛町
副 題:小川亭のシュールな5時間〜
よろしいでしょうか?
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黒糖庵
いや、もう少し内容がわかるタイトルでいきましょう・・・