幸福とつながり
- 幸福な人は幸福な人でネットワークをつくる
『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』という書物からご紹介。
調査結果、次のことが分かった。幸福な人は幸福な人同士で、不幸な人は不幸な人同士で群れを作っている。また、不幸な人は人間関係が薄い傾向がある。さらに、直接つながっている人が幸福だと、本人も約15%幸福になる傾向がある。友人の友人でも幸福の効果は10%、友人の友人の友人でも6%の効果があった。つまり、幸福の効果は友人の友人の友人まで影響する。
- 捨老さんのコメント
誰が言ったか忘れたが「幸福な家庭と言うものはだいたい似たり寄ったりだが、不幸な家庭のかたちはさまざまである」 この言葉には深い秘密が潜んでいるような気もする。幸福の科学と言う奇妙な団体がある。幸福とは元来「そらぞらしさ」の形容でもある。
- しんのじさんのコメント
「群れない人」とつながること
先日、母からふと、「あなた、ここ何年かで、元気で不思議なお友達が増えたわね」と言われ、なるほど、と思いました(笑)。堅い家で育ち、堅い家を守り通して来た母としては、僕みたいな遊び人が育ったことがとても不思議なようです。少し羨ましくもあるようです。そんな方々のうち、最初に引き合わせた友人(といっても、僕より十数歳上の方ですが)は、シーカヤックで日本一周中で、僕の故郷の香焼に寄港した千葉のM氏。小柄ですが、知的でユーモアがあり、とても精力的な人です。この人をお招きして実家に泊めると話をすると、是非会いたいと、佐世保からカヤックの名手で全国に知られる神主さん(彼は僕の師匠でもあります)が、わが実家まで車を飛ばして夜に合流。僕ら母子と客人二人で、海の話やら人生論やらで夜遅くまで盛り上がり、男3人は客間で雑魚寝。翌日の朝6時に、家の前の湾から静かに漕ぎ出していくM氏を3人で見送ったのでした。あれはもう10年近く前のことだったでしょうか。後日談があります。M氏は、東北大震災に心を痛め、もう70歳近いというのに、千葉から再度、今春より反時計回りに日本一周を開始されました。難所を幾つか越え、最大の難所の一つ、津軽海峡も無事越えて北海道入りされてしばらくし、狭心症の発作を疑われ、涙を呑んでリタイアされました。福島や宮城で地元の方にとても親切にしてもらった話には、心を打たれました。
- 捨老さんのコメント
シマロン
アメリカ開拓史のころ野生化したサラブレットをムスタングと呼んだそうで 一頃フォードクーペの名車の名となりましたが、このムスタングの中に優秀な馬がいると言うので 競走馬に掛け合わせることもあったようです。西部劇映画などでは時々その捕獲と荒馬馴らしのシーンが登場します。この野生サラブレットとは別に 西部には元来の野生馬がいたと言います。その野生馬の中にシマロンと呼ばれた伝説の馬が居て 西部男の馬評価の夢となったことがあったそうです。「シマロンのようなヤツが欲しい」と、原野にムスタングの群れを見つけて尾けていくと どこからともなく一頭の野生馬が群れに加わり、いつの間にか尾行不能な方へ群れを導き去ってしまうと言うのです。後に再び群れを発見した時には すでに野生馬シマロンの姿は群れの中にはないのだそうです。西部開拓期の男たちの脳裏に、果てしない原野を一頭のびのびと駆け回る野生馬の姿を想起させたにちがいありません。この話は 少年(ボク)の脳を太釘のように打ち抜いて いまだに抜けません(笑)。
- 大閑道人さんのコメント
- 幸福について
概して、自分の幸福を求めて努力するものだが、これは、根本的に間違っている。仮に、自分が思い描く幸福を実現できたとしても、それは所詮は自分の想定内のこと。達成感や充実感はあるだろうが、幸福感はほんの一瞬。せいぜい、自分の努力に対する「ご褒美」程度のことだ。幸福とは、自分の努力で得られるものではない、他者からしていただくものだ。だから、幸福になりたかったら、自分の周囲の誰彼かまわず、幸福にしてあげればいい。そのうち、思いもかけない人が幸福にしてくれるだろう。- その人にふさわしい舞台を用意してあげる、ということか。その点で言えば、今の若者はかわいそう。自分が主役になる舞台がない。就職とは、そういう意味での舞台のはずだから。
- 捨老さんのコメント