弔辞
おとうさん。
私にはおとうさんと呼べる方が、もういらっしゃらなくなってしまいました。
50年前、有明海の砂浜を走っていた少年が、今こうしてここに立たせていただいています。深い縁を感じます。
初めてお会いしたのは、あなたの娘さんとの交際の許しを得に伺った時でした。歴史を感じさせる赤い煉瓦壁、重厚な屋根。中に入ると、おとうさんが刻まれた背丈ほどもある仏様が屹立されていました。そして仏教へのおとうさんの深い造詣を知りました。驚愕しました。
通夜の席で、おとうさんのお話をさせていただきました。若いころ幾つかのご苦労もされたかと拝察します。けれどこうして晩年、時の総理の名が記された勲章を受章される程のお仕事を成し遂げられました。私どもにとっても名誉なことです。
命のあやおりの中、ここに集う親族の中にはお腹の中に新しい命を宿している人もいます。新しく縁を結ぼうとしている人もいます。こうした喜びごとも、おとうさんがいらっしゃったからのこと。ささやかな私の家で妻や子供と笑いあえるのも、おとうさんがいらっしゃったからのことです。
おとうさん。今でも南無阿弥陀仏の意味を教えて下さったことを憶えています。インドはインド・ヨーロッパ語族。南無とはナマステのナムであり「どうぞ」という意味。阿弥陀仏とはアン・ミター・ブッダ、つまりアン・カウンタブル・ブッダ、計り知れないほどに有難き仏という意味。
今、おとうさんは阿弥陀仏のもと横たわっていらっしゃいます。南無阿弥陀仏。どうぞ計り知れないほどに有難き仏様、義父を篤き信心のもと御浄土に導きくださいますように。おとうさん、本当にありがとうございました。安らかにおやすみください。南無阿弥陀仏。