長 崎 を 歩 く

思案橋界隈 歴史と闇の魔法

柳小路通りを抜けた。右手に長崎を代表するカステラの一つ 福砂屋が見える。創業は寛永元年(1624年)。むこうは丸山。レトロ建築で有名な丸山交番があるのが分かる。


この交差路の袂にある見返り柳について説明しておこう。かつて丸山からの帰路に花町を振り返る姿が見られたことから、この名で呼ばれた柳だ。「江戸、吉原の見返り柳と東西において、その意を一にするものである」と街中の解説板にある。


見返り柳の袂には、思い切り橋の遺構がある。丸山遊郭に行こうか戻ろか、ええいままよと渡っていた橋だ。

 

■思案橋通り


左に折れると思案橋通り。 車が常時通る道だ。この思案橋通り以降しばらくは江戸期から続く道を通る。


街燈に灯が入り始めた。夜が近まる。週末ともなれば顔を赤く染めた人々で埋まる。


捨老氏 「忘れられて欲しくないのは、思案橋入口から福砂屋に到る道とその周辺は映画館もあったり、電化品店や雑貨屋もあったりする、もともと賑やかな普通の商店街だったのです。それに続く船大工町通りが籠町に抜ける間も、魚屋や仕立て屋や米屋・骨董屋など長く石畳の残る活気のある普通の商店街で、生活の場として生き生きとして歴史あるメインストリートだったことです」



福砂屋と見返り柳の地点に戻る。間に伸びる道を進む。この道も古い。


長崎大学前学長の生家 片峰薬局。創業は慶応元年(1865)。


薬局の向かいには、舟大工町を登っていく忍び坂がある。 遊郭帰りの客が人目を避け帰った坂だ。 ここも詩情溢れる。


先ほどの通りに帰り、ここで右折。この通りをまっすぐ直進すれば、銅座を通り中華街へも抜けていくことができる。はじめての方に2度押しして申し上げておきたい。この路面が褐色に塗られた道が、銅座と中華街を結ぶ道だ。この道も江戸時代から続いている。


捨老氏 「夜歩きは大人のものにしておきたい気分もわからないではない。長崎では『サラキ~サルク』を『さ歩く』と理解して、『さぁ歩こう』とでも言うような会が元気なようだが、この新解釈も原義を踏襲しているようで、ほほえましい。長崎弁に残った『サラク』の語源は『曝け出す』などと同じで、もともと『バカ面サラキ回して』など『サラキ回る~サラキ出る』などと表現使用していた言葉。一定範囲からはみ出してうろつくことを意味したからだ。しかしそれでもなお、大人と言えども夜の彷徨は、場所や頃合いを見定めないと、あらぬ嫌疑をかけられかねない。それもまた一興と言えるかどうか。彷徨と呼ぼうが徘徊と呼ぼうが、夜の散策者は 夜の飛行者でもあるようだ(笑)」



久保フルーツを右折。


現れる路地。実はこの路地も江戸時代からのもの。


そして、ここに至る。コケむした壁面、剥き出しの配線、昼なお薄暗い路地。そこには、闇の魔法が解け、臓物が臓物として晒されている凄みがある。これを潜って、向こうの筋に抜けていく。


 



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Profile まつを

Webデザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」

「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。