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制度としての仏教への疑問

「『あの世』を信じるか」という項目では、58年の調査では、「信じる」が20%、「信じてはいない」が59%を占めた。2013年の調査では全体の40%が信じると回答、「信じてはいない」の33%を上回るといいます。(出典:AERA8月7日号

ところが、2016年3月8日の記事で書かせていただいたとおり、お寺の衰退は深刻で、日本全国にある寺院のうち、住職がいない「無住(むじゅう)寺院」の数は約7万7000のうちの2万。さらに宗教活動を停止している「不活動寺院」は2000カ寺以上。住職がいる寺でも、檀家数の急激な減少により経済的に立ちゆかなくなっているところが大部分を占めるといいます。(出典:『寺院消滅 失われる「地方」と「宗教」』)

私は仏教を愛し、親密なる僧侶の皆さんを敬愛しています。しかし、熊本地震の際の仏教界の対応に失望しました。当時の私のつぶやきを大分時間が経ちましたので書きますね。 --------------------------------------------


私は仏教が好き。これはもうはっきりしてます。でもですね、この熊本地震への仏教界の対応を見ていまして、信徒として悔しいんです。

全日本仏教会のホームページで各宗派の熊本地震への対応を拝見しました。失望。仏閣などモノの被害を報告せよという本山の多いこと。門徒はどこいったのでしょう? 仏教界は、色即是空が日本的なスタンスと思ってました。それが、信徒の身を案じ状況を求めるのではなく、施設の状況を求めている。なんなんでしょう?
門徒の死傷より、寺社という施設がどうなったか報告しろって。なんなんでしょう、この宗教。毎日お唱えになっている経典はなんなんでしょう。

「寺院消滅」って本を3月に話題としてました。あれは悔しいからです。愛する仏教寺院が消滅していくことが悔しいからです。
でも、今回の身近な熊本地震への仏教界の対応を見ていて、本当に残念ながら、無理なからんと思い始めています。

同門信徒の生きとし生きる者の傍らに添って、宗教者ではないのでしょうか。被災地の同宗派の寺院に集結し、その門徒のもとに手分けして出かけ声を掛け、生きがいを見出させて差し上げる。そんなことお考えになってらっしゃらないのか? かつての聖たちはそれをなさっていたはずです。

先日、熊本地震への鎮魂ということで、浄土真宗のトップがまつりごとをなさっている写真が掲載されていました。物凄い違和感。被災地ではトイレさえ困っているのに、トップは金襴の衣を羽織って。

熊本地震に対して、キリスト教界は時置くことなく人的救援隊を派遣していたんです。悔しかった。仏教界は施設の崩壊を報告せよ、ですよ。大組織でキリスト教は動いた。なのに。


  • 大閑道人さんのコメント
    各宗派とも青年会が多数現地入りしているはずです、そして、大手メディアは、仏教関係のボランティア活動に関しては、ほとんど報道しない。
    副住職は、二週間に一度、熊本入りしていました。
    そして、熊本現地では何をしていたか、といえば、被災寺院の支援。
    実際、被災者への支援は、地元寺院が中心です。なぜならば、顔を知っているから。
    彼らは、ほぼ、不眠不休で地元被災者のために走り回るのですが、彼ら自身も地震被災者。
    でも、自分自身(の寺)の後始末は後回し。
    その分、宗門青年会員がしていたのです。なにせ、お寺の什物(=備品)に関しては、お寺の人間しかわからないのだから。
    昨年は、九州各県の宗門青年会が、割当表を作って八月末まで支援活動をしていました。
    支援活動の経験で言えば、一番の必需品は、炊き出しセットだそうです。
    今では、各県に一つ、炊き出しセットを持つようになりました。

    高校時代の友人が、企業勤務の折、派遣先がドイツでした。
    その地で、なにがきっかけだったのか、カトリックになりました。
    今、彼は会社の世話で下請け企業の会社の雇われ社長をしていますが、彼は、年収の10%を教会に寄付しています。
    これは、クリスチャンとしては「決まり・掟」だからです。
    で、まつをさん、あなた、自分の菩提寺に、年収の10%をお布施しています??
    キリスト教教会と仏教界では、圧倒的に財政基盤の規模が違います。


  • まつをのコメント

    お応えにくい話題に対応していただきありがとうございます。
    被災地の寺院は地元門徒のケアにあたり、他地域から救援に参加した僧侶は寺院施設のケアをしていた。
    この理解でいいですか?
    宗派によって違うのでしょうか?

    仮に自分の属する組織が体質的問題を抱えている時に、そこに属している人に「責任を感じ」させたいとはまったく思っておりません。 このような公的な場で各組織の話題を論じる時、各論者を公開処刑するようなことはやってはいけないことだと思っています。 それは愚者が行うことです。 「だから公務員は」「だから韓国人は」「だから黒人は」などという論調は、そこに属する人をステレオタイプ化すること。愚かです。 このような話題を採り上げる場合、論じ、考えたいのであります。 ですから、自分のことに引きつけ過ぎますと、ディフェンス思考に陥り、思考に伸びがなくなることも私たちは承知しておかねばなりません。 純粋に考えてみたいのです。


  • 大閑道人さんのコメント
    支援活動をした人によれば、災害発生時から時間経過とともに、地元被災寺院のケアの割合は減り、そこそこの避難施設の支援に向かうようになった、ということでした。

  • まつをのコメント
    理解しました。ご苦労さまです。実はある敬愛するご住職ともお話したとき、類するお話を聞いていました。と同時にその方は、仏教界組織の体質については同じような問題を感じるとお話になっていました。
    今回下記サイトをみて、改めて組織としての同気質を感じました。

    全日本仏教界の「平成 28 年熊本地震支援レポート①」

    これを見て、違和感を憶えるのは私だけでしょうか。
    「これで報告としている感覚への違和感」
    写真は上役のカネの受け取りが多くを占めています。
    つまりお話いただいた若い僧侶たちの献身的地元支援活動の写真がない。
    これで外に情報を出す現在仏教界の体質に違和感を感じているのです。
    人々が敬意を抱く活動が報告されていません。
    そこに目が向いていない体制・制度としての仏教。

  • 大閑道人さんのコメント
    この報告の写真、似たようなものは、宗門広報誌にもあります。
    それで考えてみました。
    この写真の被写体の僧形は(あえて「僧形」とします)、「住職」なのです。
    端的に言えば、和尚ではなくて、経営者。
    逆に、若手僧侶は、まさしく「和尚」として行動します。
    ここが課題点でしょうか。
    さらに言えば、和尚や仏教に対しての敬意は、まだ、多く見られますが、仏教界(「宗門」も含めて)は、経営者の集合体だから、そこに対して、敬意を表される行動が取れるか、というと、大いに疑問です。

    仏教離れ、お寺離れが進行している、とは思えません。
    仏教の積み重ねてきたことは、私の目線では、たとえば、NHK教育での「(モーガン・フリーマンの)時空を超えて」や、カウンセリング、自己啓発などなどに広がっています。
    また、歴史ある寺院の醸し出す空間は、人間を別の世界に引き込みます。
    仏教は、別の場所に居場所を見つけているようです。そして、寺院や仏像も、歴史資源+自己省察の装置として機能しています。
    では、なにが寺院崩壊の背景にあるのか?
    身を置く立場で言えば、祭祀離れ・和尚離れ、そして、血縁共同体(=しがらみ)離れ。

  • まつをのコメント
    自民党が自民党のためにあるのなら、国民は自民党を必要としません。
    自民党は国民のためにあってこそ支持されます。
    仏教が僧侶のためにあるのなら、民は仏教を必要としません。
    仏教は民のためにあってこそ敬愛されます。
    いつの世においても、自己目的化した組織が衰弱化することは、歴史が教えてくれるところです。
    誤解されないでくださいね。信徒として敬愛する仏教の組織体質を心配いたしているのです。そして大閑道人さんへの敬愛も変わることはありません。

  • 散人さんのコメント
    毎年文化庁が宗教関係調査をする。
    近年 著しい傾向は仏教系が新宗教に流れていることです。
    ここ最近のデータ
    • 一位  神社本庁     神道系__6,800万人
    • 二位  幸福の科学    仏教系__1,100万人
    • 三位  創価学会     々  __  827万人
    • 四位  浄土真宗本願寺派 々  __  694万人
    • 五位  浄土宗      々  __  600万人
    しかし全信者合わせると2億8,000万人という日本の人口の二倍以上になる。
    統計の信憑性も疑問が残る。七五三や初詣に行くから神道や葬式するから、仏教や結婚式のキリスト教など、儀式信者が多いのかもしれない。

  • Kさんのコメント

    お寺に所属しない僧侶の多かった江戸時代の方が、よりアクティブな仏教であったのかもしれません。
    歴史上、ほとんどの時間、仏教僧や仏教伽藍は、国家公務員であり公共施設でした。国づくりの大切な一部を担ってきた自負と責任をともないながらやってきたんだと思います。ある意味命がけで。

    明治の廃仏毀釈以降、教団を守るために作り上げられてきた各宗団の制度は、僧侶の育成と本山伽藍の維持だけにそのエネルギーを傾注して、その制度はそのまま現在も引き継がれ、およそ時代に対応することなく今に至っている気がします。
    ざっくり言うと、近代国家のシステムから除外され、生ぬるい保護の中骨抜きとなった仏教教団には、気骨ある活動は期待できないかもしれません。

    現状では、各宗団の中で様々な社会問題に対応すべく、研究と研鑽の活動が行われていることは事実ですが、高校生の野外クリーン活動程度にしか認知されていないのが現実のようです。
    目下私が期待するところは、徹底した平和主義と寛容性、そして優れた哲学に基づく仏教教学を学び実践する個々の僧侶たちが増えていってくれることです。

 


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Profile まつを

Webデザイナー。長崎県。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」

「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。