2005年3月
2005_03_31
転宅
転勤はありませんでしたが、転宅することになりました。
いよいよ長崎市の住人になります。
娘曰く「庭がついてないけど、お父さん、いいの?(笑)」
ミスティ氏 森を語る
某大学地球惑星システム学の研究者ミスティ氏。北はロシアから南はミクロネシアまでをフィールドワークで駆けめぐるプレート研究の旗手だ。地質学的に見た森の効用を語ってもらった。
ミスティ氏 森を語る
1)森は二酸化炭素を吸収しない
A.
木は育った分だけ二酸化炭素を吸収する
一般に、森は総体として二酸化炭素を吸収すると考えられている。これは端的に言ってウソである。この議論の際には植物の呼吸の作用は無視して良い。植物の呼吸作用は基本的には動物のそれと同じで、光合成とは逆に生命体を維持するに必要なエネルギーを得るために酸素を吸収し、有機物を酸化させ、水と二酸化炭素を放出する作用である。しかし、光合成と呼吸の、その差し引きの結果として植物体が形成されているので、植物体中の有機炭素の量は直接二酸化炭素の吸収量へ換算することができる。従って、植物が育つ際には呼吸と光合成の収支の結果として、水と二酸化炭素を吸収し、酸素を放出して有機炭素を蓄える作用が進行していることは事実である。これを、総体としての森に適用すると、その中で樹木の総体が成長し続けている限り、その分だけ二酸化炭素を吸収しているということになる。
B.
森の底は二酸化炭素濃度が高い
しかし、森の樹木は無限に成長し続けるわけではなく、放っておくとある安定相(極相)というものに達する。安定相に達した後の森では、落ち葉が茂り、老木は倒れ、そのスペースに新芽が芽吹き、若木が育つということが繰り返されている。落ち葉が地面に堆積するとどうなるか。倒木はその後どうなるか。普通は森の中に腐植土層を形成し、ほとんどの有機炭素は、酸素呼吸する微生物により分解されて再び二酸化炭素に還る。また、ごく一部は直接大気中の酸素により無機的に酸化されて二酸化炭素になる。事実、腐植土の中では二酸化炭素分圧(相対濃度)が大気中の10~100倍にもなっている。従って、腐植土の厚い森の中の下層では一般の大気中よりも格段に二酸化炭素濃度が高くなっており、また、酸素濃度は低くなっている。このことが一般に理解され始めたのは最近の事であろう。
C.
森が生み出した二酸化炭素の行方
少し詳しく言うと、腐植土の中で生成される二酸化炭素には、直接大気中に放出される分と、一旦雨水に溶けて酸性の地下水をつくり、岩石中の石灰分を溶かすのに一役買ったりする分がある。二酸化炭素を多量に含んだ地下水は、地表に湧出して通常の大気にふれると二酸化炭素を放出(脱ガス)し、その中に溶けていた石灰分は再び沈殿する。こうして石灰岩台地周辺にはトゥファーと呼ばれる現世の陸上石灰岩が形成される。結局ほとんどの二酸化炭素が大気中に戻ることになる。ちなみにトゥファーは、森林と厚い腐植土に覆われた帝釈台や阿哲台周辺では広範に形成されているが、野焼きにより草原化して腐植土が流出してしまった秋吉台周辺ではほとんど形成されていない。すなわち、森林の少ない秋吉台では二酸化炭素の放出量も少ないという訳である。
D.
二酸化炭素吸収量は地層中に固定された有機炭素量に等しい
植物の光合成によって生成された有機炭素は、もれなく分解・酸化されて二酸化炭素に戻る訳ではない。植物体の一部は河川によって海や湖沼に運ばれ、海底や湖底に砂や粘土と一緒に堆積する。堆積作用が起こっている間にも腐食や無機的酸化作用は進行し、二酸化炭素を放出し続ける。生物体が化石となっても、その有機物は分解され、形だけがプリントされて残ったものがほとんどなのである。しかし、ごく一部の有機炭素は分解・酸化を免れて半永久的に地層中に固定される。粘土やシルトが固まってできた泥岩が黒いのは生物体に由来する炭質物が含まれているからである。その中には動物起源の炭質物も含まれる。しかし、動物は二次栄養生物であり、その有機物はもともと植物がつくりだしたものに他ならない。とすれば、地球上で植物が実質的に吸収した二酸化炭素(CO2)の分子数は、地層中に固定された有機炭素(C)の原子数に等しいということになる。
E.
森が吸収した二酸化炭素の99.9%以上は大気中へ還る
地層中に固定される有機炭素の存在度や生成速度は地質学的に求めなければならないが、正確な見積もりはまだ出されていない。しかし、日本列島周辺における海底堆積物中の炭素存在度から見積もると、この地域で生産されている全有機炭素の内、地層中に半永久的に固定される量はその中の1%以下であることは確実で、その大部分は海洋生物起源である。陸上の植物により生産されている有機炭素の内、地層中に固定される量は、おそらく0.1%以下と考えられる。結局、現在の日本列島においては、陸上植物の光合成により生産された有機炭素は、その99.9%以上は腐食・酸化されて二酸化炭素へ還っているという見積もりになる。
F.
特に熱帯のジャングルは二酸化炭素を吸収しない
かって地質時代には、陸上植物起源の有機炭素が地層中に大規模に固定される作用が進行していた時期があった。その結果石炭ができたのである。石炭はいつの時代にも形成されていた訳ではない。地球史の中で特定の地質学的条件が整った、ある意味特殊な事態として形成されたのである。現在、石炭が形成されつつあると考えられるのは寒冷な地方の湿地帯で倒木が粘土に埋もれている地域である。このような場所では低温のために微生物による腐食や無機的酸化作用の進行が遅く、やがて泥炭が形成される。したがって、二酸化炭素を吸収するにもっとも役立っているのは寒冷な地方のタイガの森の湿地帯に近接した一部だけであって、決して熱帯のジャングルなどではない。熱帯のジャングルでは腐食や無機的酸化作用の進行が早く、有機炭素の固定はほとんどゼロと考えて良い。
G.
森と珊瑚礁の結びつき
ただし南洋の島嶼部で周囲に珊瑚礁が形成されている場合、ジャングルの腐植土を通って二酸化炭素を豊富に溶かしこんだ水が珊瑚礁に供給され、これが珊瑚の成長を促進し、森で発生した二酸化炭素が二次的に吸収されている可能性がある。海水中に溶けているカルシウムイオンと二酸化炭素が、珊瑚虫(動物)に寄生する石灰藻(植物)の働きで結びつき、珊瑚の骨格となる炭酸カルシウムを形成するからである。最近、一部のマングローブ林が商業目的のために伐採され、マングローブを原木とした木炭も日本で売られている。二次的にではあるにせよ、効果的に二酸化炭素を吸収している可能性のあるこれらの森の保護は今後重要になってくるであろう。ただし、近くに森はなくても珊瑚礁が成長している場所はいくらでもある。海洋において石灰岩が形成される作用の本質は、あくまで海棲藻類の働きによるものである。
2)森の木を活用しよう
以上、森は一般に期待されている程には二酸化炭素を吸収したり、酸素を生み出したりしないということを述べた。それでは、森など無くしてしまっても何も問題がないかというと、そうでないことは明白である。今日広く理解されているように、地球生態系の維持のために森は無くてはならない存在である。しかし、ここでは論点を絞って、大気二酸化炭素を軽減し、酸素を供給し続けるために森をどのように活用したら良いのかについて述べよう。前節に示したように、森が吸収している二酸化炭素があるとすれば、地層中などに固定される有機炭素量に相当する分だけである。地質時代に形成された石炭や石油がその代表で、これらの化石燃料の生成によって、地球大気の二酸化炭素は徐々に減少し、代わりに豊富な酸素が生み出された。5億年かけて蓄積されたこれらの化石燃料の数%を、人類はわずか200年で燃やし、その分の二酸化炭素が増加した。A.
有機炭素の短期的固定
現在の地球上において、かって程は石炭を形成する作用、つまり森が造り出した有機炭素を半永久的に固定する作用が進行していないとすれば、これを人工的になしとげれば良いという発想は当然生まれよう。しかし、有機炭素を半永久的に、しかも大規模に固定しようとすると、ある種の技術革命が成し遂げられない限り、現在の技術力ではそのために投入されるエネルギー、すなわち二酸化炭素の発生量は無視できないものとなる。これが、産業としても成り立たないのは、つまるところ何も生み出さないからである。そこで、とりあえず木材を建築資材などとして積極的に活用し、一時的にせよ有機炭素を保存するという事が考えられる。一般の住宅でも数十年、例外的にではあるにせよ、長ければ千年のオーダーで有機炭素を保存することになる。この点では、木材を消費する製紙業も、その原木林の再生措置が十分に図られている限り、二酸化炭素低減に一役かっていると言うべきなのである。
B.
二酸化炭素はセメントや鉄鋼の生産によっても放出される
木造建築の推奨が国家的事業として大規模に行われれば、コンクリートや鉄骨構造物の減少、つまりはセメントや鉄鋼生産量の減少へつながる。セメントは、炭酸カルシウム(CaCO3)を高温炉で焼いてできる生石灰(CaO)から造られる。この過程(CaCO3→CaO+CO2)で二酸化炭素を放出する。また、鉄は赤鉄鋼(Fe2O3)や磁鉄鉱(Fe3O4)を石炭で還元して精錬するので、この過程においても化石燃料の消費と二酸化炭素の放出を伴う。コンクリートや鉄骨を木材に代えることで、これらが軽減できる訳である。もっとも、一般住宅など、木材でまかなうことのできる建築物においては、コンクリートや鉄骨の総使用量はもともとかなり少ない。コンクリートや鉄骨の大部分は、ダム、高速道路、港湾施設(防波堤・防潮堤)、高層ビル、架橋などの巨大建造物に使用されており、そのどれをとっても主体を木材に代えることは不可能に近い。この点では国民に対する教育効果の方に意味を求めるべきかもしれない。その結果、木材を利用した新しい産業の誕生も期待されよう。
C.
化石燃料を燃やすより木を燃やそう
こうして、有機炭素の一時的固定に寄与した建築資材や紙などは、やがてその本来の役割を終え、破棄されることになる。これをエネルギー資源として活用しない手はない。これによって化石燃料の消費削減が可能となる。樹木などを直接エネルギー資源として活用する事も有効である。有機炭素生産率を向上させるためには、森林を積極的に管理する事が求められる。森林を放置したままにすると、樹木が延び放題となり、やがて森の中に日光が差し込まなくなり、下草が枯れ、土壌がむき出しになる。こうなると、日本のように急斜面の多い国土にあっては、土壌の流出、樹勢の衰え、やがて森そのものの死滅という事態を招く。従って、間伐を行うなど森を積極的に管理する事が求められるのである。この過程で出される間伐材などは、もちろん建築資材などに活用することがベストであろうが、そのまま燃料として用いてもその有効性は失われない。放っておけばいずれ腐植し、微生物によって“燃やされ”てしまうのである。ならば、化石燃料を燃やすよりも、間伐材を燃やしてエネルギー源とする方がづっと良い。こうして常に森を若返らせ、樹木の成長速度を維持し、そのサイクルの中で生み出されるだけのエネルギー資源を利用するというのが、21世紀初頭に求められる持続可能な人類社会へのオルタナティブな転換の方向性なのであろう。
D.
炭焼にまつわる問題
間伐材などを一般の家庭でそのまま燃料として使用するのはあまり便利なものではない。しかし、木炭という形であれば、一般家庭においても様々な用途が考えられており、一時期落ち込んでいた消費量も最近では増加に転じている。一般に、生木を薫蒸して炭化させる過程においては以下のような副産物が発生する。i)水素分を多く含む可燃性ガスii)不揮発性有機液体(いわゆる木酢)iii)ダイオキシンなどの有害物質炭焼は、伝統的には原木林に近い山中に粘土と煉瓦で造られた炭焼窯を構えて小規模に行われてきたが、このような形態では上記の副産物の回収は困難である。ii)は、現在ではその成分に除虫効果が認められ、有機農法などに用途が広がり、回収の工夫もなされている。しかし、特にi)とiii)についてはほとんど注意が向けられていないのが現状である。i)は二酸化炭素発生量の少ない、有用なエネルギー資源であると同時に、大気中にそのまま放出すると二酸化炭素の何十倍もの温室効果を発揮してしまうというしろものでもある。これは回収して、燃料として活用すべきである。iii)は、特にケヤキ(欅)など、本来その成分に塩素を多く含む原木を使用した場合、薫蒸の温度によっては不可避的に発生する。これらを効率よく回収、或いは除去するためには、伝統的な炭焼窯から近代的な、一種の化学工業プラントへの脱皮が図られる必要があろう。もちろん大規模工業化する必要性はない。
E.
森の生態系、特に飛翔動物の環境機能
森が存在し得ているのは地面に養分が含まれているからである。植物の三大栄養素は窒素、リン酸、カリであるが、このうち、カリは特殊な岩石区を除けば一般の土壌や岩石中に普通に含まれており、植物にとっては無機的な形のまま直接摂取可能で、土壌中に完全に枯渇するという事態は起こりにくい。また、窒素は大気の主成分で、根粒バクテリア(アゾトバクター、クロストリジウムなど)の働きによって土壌中に固定されるので、これも完全に枯渇するという事態は起こりにくい。ところが、リン酸は放っておくと雨水に溶け、常に位置エネルギーの低い場所へと流されてしまうので、そのままでは山頂から徐々に枯渇して行く運命にある。鳥や昆虫などの飛翔動物はこの作用を補償し、接種した養分をリンの濃集した糞尿に純化させ、高所へと運び、その位置エネルギーの回復に一役かっている。このことによってはじめて、山はいつまでも森に覆われたままでいることが可能となったのである。地球史における最初の森林の誕生と飛翔昆虫の発生がデボン紀という地質時代において同期しているという事実は、このような理由に依っている。その後の長い年月をかけた進化を経て、高等植物は、こうした恩恵にあずかる飛翔動物に特別の褒美を与えるために、高カロリーの養分とともにリンを濃集させた果実を彼女らの最も高い位置に結実させることにしたのでもある。こうして、植物も、動物も絶妙の生態系のバランスの上に生命を維持し続けている。そのリンクのどの一部も損なわれてはならない。
二日ぶりに帰宅
ふう、二日ぶりに家に帰ってきました。仕事して飲んで仕事して。こんな生活続けていたらいけません。
2005_03_23超温和な家人が怒った話
先ほど笑ったことを一つ。
昨日、家人が怒りに声振るわせて電話をかけてきた。
「引越の予約電話をクロネコヤマトに入れたが、たらい回しにされ、なおかつ前の職員に言ったことが次に伝わっておらず、また一から話さねばならない、これを何度も何度も繰り返させられた、断っていいか」という内容だった。
家人と一緒になってだいぶ経つが、自ら怒りを露わにしたことのないキャラ。なにかあっても、私が悪うございました、穏便に穏便にの生き方に徹した女性である。これが怒っとるわけですなあ。思わず笑った。
「ああ断っていいよ、ペリカン便にでも頼めば」と私。
でしばらくして電話すると、クロネコヤマトを断り、ペリカンにしたという。
「もう一度電話でクロネコヤマトの会社の方に、キャンセルした旨を電話しておいたが行き違いがなくていい」とアドバイスし、彼女はそうしたらしい。それが昨日。
さて、今私は帰宅した。
家人が「話したくもない話題なのですが」と切り出す。
「今日、チャイムが鳴ったので出てみると、クロネコヤマトの職員がつっ立ってておってですね、見積もりに来ましたって言ったですよ。もうなんて言いますか、終わってる集団なんですかね」
私、爆笑。
モノリス的タンス
↓これは敬愛するキュブリックの映画『2001宇宙の旅』に出てくるモノリス。猿人を知的進化させるものとして描かれています。で、
これはわが家のタンス。『2001宇宙の旅』に出てくるモノリスのようなしろもの。とてつもなく重い。夫婦2人で移動させました。その後、知的進化はしませんでしたが、吐きそうになりました。ヤマハ家具
2005_03_12堤義明 追い詰められる
かつて長野オリンピックでスポーツに流す若者の血汗をすすった堤義明。彼を追いつめた金融庁。えらいっ。久々に官僚の気骨を見せてもらいました。プロジェクトX行きです。
その一方、なんだなんだ、がんばれ政府。狂牛病可能性ありの米国牛肉なんか入れるんじゃない。国民を守ってこそ政府。