2006年7月
2006_07_31
アメリカは政教分離してるのか?
政教分離だって? じゃあ、こいつは何に宣誓しているんだ?
2006_07_30グラバー園
「グラバー園」アップ。
2006_07_29多数決は間違えることがある
多数決は間違えることがあるという身近な例として、よく長崎大学が頭に浮かぶ。あの時に移転していればここまで悪化しなかったものを。
2006_07_28私の水彩画
写真は1年前に描いた春の長崎港。スケッチに出かけ描いた水彩作品。ああいう時間も悪くはないな。
2006_07_27はじめて家人と飲みにいく
縁あって子供が生まれて以来はじめて家人と二人で夜の街へ出かける。といっても30分程度。tomotiさんとお会いし、しんのじさんの料理をいただく。合掌。留守を守った娘も成長した。
2006_07_23筆先三寸
久々に読み応えのあるサイトに出会えましたのでご紹介。「筆先三寸」。トップページが、当サイトのエイプリルフール・バージョンと酷似していてニンマリ。サイトオーナーの見識の広さは、読んでいて嬉しくなるほどです。
2006_07_20食べないと涼しい
これだけ長い間、人間していてやっと骨身に沁みて分かったこと。「食べないと涼しい」 夏を快適に暮らす方法。
2006_07_18第二母国語としての英語
日本は先の大戦で占領されて以来アメリカ陣営にいる。しかし近接する中国の台頭によって、日本が中華圏内に取り込まれる可能性は拡大。実際、輸出入の関係ではアメリカとの数値を追い越してしまった。
あなたがアメリカの首脳陣で、日本をアメリカ圏内に取り込んでおきたいと思うならなにをするか。私ならば、文化をよりアメリカナイズする。既にコテコテのアメリカ文化ではないか? いいやまだ日本人は日本語を喋っている。他のアメリカ植民地と同じように英語を話させねばなるまい。第二母国語として英語を認定させれば、もう大丈夫だ。そのためには、小学校の頃から英語に親しませることだ。
それはまるで、学校給食を導入させ、小学校の頃からパン食の餌付けに成功して、小麦のマーケットとしたように。
岡本太郎作品はバブリー
岡本太郎の作品は、高度経済成長期特有のものでバブリーそのもの。節制を知らず、持続可能な社会という認識の欠片もない。
作品は、作者からきっぱりと独立して立てねば、作品として話にならない。岡本太郎が目を三角にして発した言葉たちと、全く個別に見るといい。そうすればその本質が見えてこよう。
岡本太郎は、形式に囚われるなといいつつ、漫画チックな形式から一歩たりとも抜けださぬオナニストである。それでも、岡本太郎は、武満徹と同じく昭和のアーティストの中で、世界の芸術史に残っていく作家だろう。
2006_07_16養老孟司氏の講演会
養老孟司氏の講演会に出席。スマートな思考に敬服。
会場に受けていた引用例の一つは、他者が書いていた内容(月光仮面の下りは文藝春秋5月号P.274佐野眞一氏のパクリ)。講演者の多忙に合掌。
同時に立たれた長大医学部教授の、難しいことをやさしく伝えようとされる姿勢に好感。
2006_07_15雲仙焼窯元様
先般、雲仙焼窯元様に寄らせていただきました。息子の誕生を記念してお願いした天目茶碗を作られた方です。写真はその時のもの。懐かしい限りです。合掌。
2006_07_09北朝鮮は戦前日本のカンズメ
もうずいぶん前にこんな主旨の文章を読んだことがある。
「結局、北朝鮮で今行われていることは、戦時中の日本が置いてきたものである。日本から開放されることから幾ばくも置かず鎖国に入った。北朝鮮は戦時中の日本が缶詰にされた国である」
たとえばニュースの読み方から、官僚体制まで。
昨今、わが国では戦前の日本を軽々に賛美する風潮がある。確かに日本文化には誇るべきものがあり、喪失せぬよう配慮する必要はある。しかし、戦時中の社会を肌で知る世代が減ることによって、度を超えた風潮が現れ始めている。もしあなたが、北朝鮮の現在のフィルムをご覧になって違和感を感じられるなら、その素肌感覚を大切に保つべきだ。