2011年1月
エジプト革命 (2011年)
今回は、世界史に残る出来事になりそうです。なるべく分かりやすくまとめてみます。また今回も多くのメディアはメモの垂れ流しに終始していますね。社説も簡単に伝えようとしないし。難しいことを分かりやすく、分かりやすいことをおもしろく、おもしろいことを深く。はじまり
そのはじまりは、エジプトの近くのチュニジアで起こった出来事です。昨年12月17日に道で野菜を売っていた若者が、無免許のため警察に商品を奪われました。彼はこれに抗議し焼身自殺してしまいました。これが引き金となって、高い失業率などを不満としていた若者たちは抗議デモをおこし、今年1月14日にはチュニジア政府が倒れました。チュニジアの騒動は、エジプトに飛び火し反政府デモが起きています。きっかけとなった青年は、今では「殉教者」として扱われています。世界を変える二つの波
インターネットの波と、世界金融恐慌の波が、世界を打ち砕いていこうとしています。その象徴が今回のエジプトの出来事です。エジプトでデモを呼びかけたのは、ツイッターやフェイスブックなどインターネットによってでした。エジプトは、中東・アフリカではインターネットの普及が最も高い国の1つです。これで一機に騒ぎが広がっていったのです。そこでエジプト政府は1月27日、圧力をかけインターネットと携帯電話を遮断させました。現在、サイトを見たり、ツイッターや携帯電話は国内全域でマヒしています。
エジプト労働力人口は約2,200万人。このうち700万人が日雇い労働者。アメリカ発の世界金融恐慌によって、このような極めて悪い経済状況となりました。世界金融恐慌はエジプトだけではなく世界の多くの国々をこのような状況におとしめています。
情報の加工と拡大に基づいて動く世界
インターネットの波と、世界金融恐慌の波は、アメリカから発案されたものであることを私たちは見逃してはいけません。一昔前まではグローバルスタンダードなどと表現しカッコいいことでもあるかのようにいっていたバカたれ評論家がいっぱいました。インターネットにしろ世界金融にしろ、この二つの波の手法は、情報です。情報の加工と拡大に基づいて、世界が動いています。
この二つの手法を使い、世界の富は一極に集中されていこうとしています。今回のイスラム圏の世界で起きている動乱は、これまでかたくなに拒まれてきたイスラム圏を、グローバルスタンダードを推し進める勢力が地ならししている過程を見ているという捕らえ方が正しいのかもしれません。恐ろしいことです。
14、5世紀にできた村や町が崩壊しつつある
「あらゆる歴史上の大転換期の奥底には、人間関係の変化があった。」西洋史の権威である阿部謹也氏の指摘です。また日本の歴史の専門家である網野善彦氏は、「室町期、14、5世紀に出来た村や町のあり方が、今や崩壊と言ってもよいほどの大きな変化に差し掛かりつつあることは疑いない」と指摘しています。
現在、世界は、インターネットと、ギャンブル経済におおわれ、その結果、家族や地域や従来の政権という、これまでの人間関係のあり方が崩壊していっています。
世界的な戦国時代が来ないことを祈っています。
Twitterを使い思ったこと
「こりゃ、多くの人はこっちに流れるな」
手軽だし、大量の情報が流れ込んできます。新聞はこれからあぶないでしょう。新聞読むよりもTwitterで自分の知りたい情報に選択的にすばやくもぐりこんでいけます。
思考をトレンドの方向に引っ張っていく
一方、Twitterと新聞の類似点も感じます。それは、自分自身が思考する前に、思考をトレンドの方向に引っ張っていかれる感じがあること。「Twitterをはじめたら、ブログにめっきり書き込まなくなった」という趣旨の記載を複数サイトで見ました。手書きには手書きなりの思考が発生し、ワープロにはワープロなりの思考が発生します。手書きも、原稿用紙に書く場合と、白紙に書く場合では回る思考が違っています。様式は思考を規定します。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
そんな特性を持ったTwitterが形成してくる思考、大衆の思考とはどのようなものになるのでしょう。
当サイトについて
そんなことを考えながら、当サイトの楽しみをしみじみ思います。サイト自体をデザインすること。サイトの形式から、嗜好から、思考まで、作り上げていくハンドメイド・サイト、Siteまつを。そして、BBSに集われる方々、長崎インターネットラジオのゲストの方々、そうした方々と共につくりあげるセミ・パブリック・サイトへと、当サイトは徐々に形態を変化させていっています。一番右側に並ぶ「長崎インターネットラジオ」「バー指のつけね」などがパブリック・コンテンツ。次の列に並ぶ「里山道楽」「キャンプ列伝」などが保存版アーカイブ。そして今お読みのコーナーがブログにあたります。さてTwitter的思考をどのようにとりあつかいましょうかね。
田邉朗さんのインタビューをアップ
「長崎インターネットラジオ」に、金属彫刻家 田邉朗さんのインタビューをアップ。
サラ=ボーンのラヴァーズ・コンチェルト
サラ=ボーンのラヴァーズ・コンチェルト。「まあ、人生いろいろあるけどさ。そんなわるいもんじゃないよ」って感じの曲。お気に入りの一曲です。若い頃は好きな部類じゃなかったんですが、誰もがいろいろ体験せざるをえない人生歩んでくると、この手の曲にジンときますね。「笑い飛ばして前に行こうよ。いいことあるんだからさ」って。
息子とラーメン
大寒。暖かくなりますように。昨今、息子とどこかにでかけるときは「ラーメン食べよう」と誘うことが多くなりました。
息子の一番のお気に入りは「じなりや」。ちなみに彼の好みは、コッテリとんこつスープに、粉っぽくない麺の組み合わせ。
長崎市一の評判も高い「かんしゃく魂」。「おいしい。でもベスト3には入らない」とのこと。店内に少しすさんだ感じがありました。昔はそんな感じなかったのですが。
観光通りそばにある「麺バカ がんばらんば」。なんだろう、この店は。スープをぐつぐつ煮ているにおいがしないようですが。スープ用深鍋はどこにあるのでしょう?私の見落とし?
自動車の時代のおわり
自動車評論家がブツブツ言ってます。プリウスが一番売れ、国際モーターショーではエコカーがてんこ盛りとなった時代。自動車っていうのはもっとスポーティーな美しさに憧れるものだったと、彼らは言うわけです。自動車評論家の失職時代がやってきたようです。
宝飾品から道具へ
商品は、その黎明期、宝飾品としての扱いを受け、その後次第に道具扱いされていきます。テレビでさえ昔は床の間に置かれ、腕時計もかつては高校入学時にうやうやしく親から子へ贈られるものでした。
自動車が道具扱いとされる時代。腕時計と同じように、宝飾品としては一部の富裕層等によって特化して扱われるようになるでしょう。それはそれで特化が楽しみとなります。
後藤美樹さんのインタビューをアップしました
『長崎インターネットラジオ』にピアニスト 後藤美樹さんのインタビューをアップしました。
世界史上、征服面積の広い人物ランキング
某サイトにそんなランキングがありました。これをみますと普段日本人の頭に刷り込まれている世界史が、いかに欧米よりになっているか分かります。-
1位. チンギス・ハーン、1260万平方キロメートル
2位. アレクサンダー大王、564万平方キロメートル
3位. ティムール、555万平方キロメートル
4位. キュロス2世、541万平方キロメートル
5位. アッティラ、375万平方キロメートル
6位. アドルフ・ヒトラー、335万平方キロメートル
7位. ナポレオン・ボナパルト、186万平方キロメートル
8位. ガズナ朝のマムフード、176万平方キロメートル
9位. フランシスコ・ピサロ、124万平方キロメートル
10位. エルナン・コルテス、82万平方キロメートル
ティムール、キュロス2世、アッティラ、ガズナ朝のマムフードってわかりますか?
ティムールってのは、日本史で言えば秀吉みたいな一発屋。モンゴル部族。モンゴル部族は、チンギス・ハーンもそうですが、騎馬で攻め込みますから征服が早く広域になるんですね。
キュロス2世はアケメネス朝ペルシア初代国王で、バビロン捕囚の古代ユダヤの民をエジプトから解放した人ですから、欧米人のほうが知ってるでしょう。
アッティラは、ほれ、ゲルマン人の大移動ってやつの原因となったフン族のリーダーです。ヨーロッパから徹底的に嫌われている人物。フン族は匈奴だってする説もあり、アジア人です。
マムフードのガズナ朝ってイスラムでして、これが広くなったんでインドがイスラム化し、現在のパキスタンだとかアフガニスタンができとるわけです。
この4人に共通するのは、アジアと欧米をまたぐ国家をつくっているということ。陸路における現在のアジア・欧米の壁感覚といいますか、シルクロード消失感覚は現在でもそれほど改善されていないのかもしれません。空路の発達がそのような感覚を現代人にもたらす一因かもしれません。極東に住む者の感覚かな?
雪の里山