2011年7月
里山カバノンの腐食柱の補修
里山義勇軍第一弾。散人さん、里山に降臨。やおら携帯電話を取り出し、前田組社長さんに連絡。速攻にして、プロ降臨。たちまちにして主要問題解決のめどを付けていただきました。合掌。
里山義勇軍第二弾。機械屋さん、里山に降臨。弱った柱を強化する薬剤御持参。こちらは翌朝、美容整形よろしく注射器で問題の部位に薬剤注入。
さて、めどがついたら飲まむ。真昼間2時からセントラル・アイランド・ビールとバーベキューで酒宴。シャワーを浴び昼寝。悦楽の境地。
起床後2次会。シンペーくんとしづちゃん参戦。
結論。今回気付きました。夏場の里山もいけます。昨年まで夏場は里山を封印してきていましたが、デッキの拡張と、隣接地間の木々の成長により、快適に過ごせるようになっていました。ただし、蚊がいなくなり、気温的に最適になるのは夜9時。気温が上がってくるのは朝9時。つまり9時から9時までは最高の避暑地です。
男性はそれぞれテントでやすみました。私は機会屋さん持参の蚊帳で爆酔。極楽が待っていました。
カ
バノンでやすんでもらったしづちゃんが用意してくれた朝食。ありがとうね。
今回お世話になった皆様方、誠にありがとうございました。
mixiを退会
足跡機能つまり誰が訪れたかが分かる機能を改悪し、なおかつトラブルが発生した時に責任をとらないと規則改悪したmixiは極めて危険です。特に女性の方々は利用を避けられたがいいと思います。
ストーカー被害が発生し、それに対してmixiは責任をとらない。
仲間内ではおもしろく外に出てはまずい失敗談とかの投稿した写真や文章が、かってに本や文章にされる(これは規約上今でもできます)。
mixiが今狙っているのは、皆さんの消費動向を他会社に売ることでしょうから、その情報は他社に行ってると思います。特にキャッシュカード利用は危険でしょう。退会してせいせいしました。
それにしても、退会方法が何処にあるか分からないように書いてある。これからもこの会社の体質が分かります。退会方法はこちら。
トップページ → ヘルプ → よくある質問 → mixiを退会したい
T.斎藤さんのインタビューアップ
T.斎藤さん (ウエブマスター。長崎県を代表する個人サイトの一つとして絶大な人気を誇る『長崎ガイド』を運営。一日のアクセス数は約5,000。デイリーポー
タルZのライターとしても活動し、その独特の切り口には定評がある。茨城県つくば市出身。奥さんの転勤に伴い2001年に長崎へ移住。まもなく 『長崎ガイ
ド』開設。長崎検定3級。本業はシステムエンジニア。
仕事は夜10時以降に終了する
最近また仕事の終わりが遅く、誰とも飲みにいけない状態です。夜10時過ぎて飲もうかと誘える職場の同僚以外というのはおいそれといるものではなく、そういう意味では昨年度までの馴染みの店があった環境は恵まれていました。というわけで職場近くの居心地のいい店を探しに仕事が終わった遅い時間からふらりと出かけるわけですが、これがなかなかないんですね。澱める店を探せないでいます。そこそこ日ごろ使いできる安さで、店の主と昵懇になれる小ささの店。まだ発見できていません。今まで彷徨った店はフラワーメイト、天狗党、すずめのお宿、次男坊ぱぶ茶屋、夢工房。住吉までいけばあるのでしょうが遠くなりますし、職場とわが家の道程上でどうにか見つけたいと。
インターネットラジオ・オフ会
7月17日日曜日の夕刻5時半から11時まで、カフェ豆ちゃんで開催。詳細はこちら。
https://site-matsuwo.com/off/2011_07_17/index.html
『水戸黄門』が番組終了
『水戸黄門』が番組終了とのこと。時代を感じます。その考察。老人を自覚している人の人口は減少
日本は高齢社会。しかし高齢化は進行していますが、「老人」と自覚している人口は減少しています。老人扱いされるなんて私もそうおもうことになるでしょう。考えてみてください、ミニスカートが流行ったのがいつかと。ミニの女王ツイッギーが来日したのが1967年。この年、25歳でミニスカートを着ていた女の子は、今年69歳になります。若き時代に浴した文化を人は一生引きずります。ミニ、ビートルズ、フラワームーブメント、全共闘。それまでの価値を破壊してきた世代。『水戸黄門』など観ません。
番組のターゲットモンタージュがなってない
上記の考察結果から、『水戸黄門』は団塊の世代よりも上の世代、つまり戦中の規範意識をもった世代にターゲットを特化させ制作されるべきです。製作スタッフにターゲット・モンタージュが出来ていません。格さん助さんが元暴走族の的場浩司と元チーマーの東幹久。女性も、現実感のない由美かおるから、めちゃイケで地を出している雛形あきこ。これでは高齢者が離れていったのも当然です。
現在のバージョンと、過去のそれを並べてみると、現在の格さん助さんはガン飛ばしやってることがわかります。品格ってものがないのです。
史上最も偉大なシンガー
米ローリングストーン誌が「史上最も偉大なシンガー」ってのをやってまして、ベスト5が1位 アレサ・フランクリン
2位 レイ・チャールズ
3位 エルヴィス・プレスリー
4位 サム・クック
5位 ジョン・レノン
となってました。
へこみました。
知らないシンガーが2人もいます。
店員がレシートを渡したがらない
最近、私が立ち寄るローソンの店員がレシートを渡したがらないようなケースがやたら増えています。おかしいな、こりゃ何かあるなと思い調べてみましたら、やっぱり。以下、http://yahooauctionwatch.livedoor.biz/archives/51839696.html
から転記。
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ローソンのレシートは高く売れる
現在ヤフーオークションではローソンのレシートが高く売れると言う珍事が発生しています。具体的にはレシート100円分につき大体8円~10円の値段が付いており、1000円なら100円で、1万円お買い上げのレシートなら1000円で売れちゃう訳です!これは一体どういうことなのか!?----------------
どうもこれはローソンがやっていた「けいおん!!フェア」に関わる現象らしいのですが、このフェアは5月23日で終わっています。
私は節税対策にからんでいるのではないかと疑念を持っております。
みなさん、レシートはきちんともらいましょう。
中島カーテン設置
中島さんのご協力を得て、ベランダに遮光カーテン設置。効果抜群。エアコンがよく効きます。この季節になりますと光が強すぎて、外の風景も紗をかけて望む方が美しいですね。
安藤忠雄の六甲の集合住宅
こうして歴史に残る建築家を見てくると、スーツ着用の写真が目立ちます。スーツ は公的な場に立つ者が着用するもの。言うまでもなく、彼らは有能なアーティストであり、同時に交渉者であり統括者なのです。 青二才だった頃、自己表現という言葉に囚われていました。今考えるとどのレベルで捉えていたのかと赤面します。
高卒でプリツカー賞受賞、現在は東大教授を務める建築家の安藤忠雄は、己を「私はケンカ屋」と言っています。
これは安藤の「六甲の集合住宅(ザ六甲アパートメンツ)」。斜面地に建てられたマンションで、1983年に日本文化デザイン賞を受賞。
こちらは長崎市内にあるマンション 「フォーレ三原台」。同じく斜面地に建てられた建築。1986年築で、1987年第一回長崎市都市景観賞を受賞。前者に触発され建てられたものなのでしょう。
ルイス・バラガン
今回はルイス・バラガンの自宅。たしかバラガンはジョンソンのグラスハウスを訪ねたことがあり、落ち着かなかった旨を話していました。どこか劇場型のライフスタイルを求められることになるでしょうね。一転バラガンの作品は静謐さで満たされています。
彼は生涯独身でしたが、美しい女性たちが生涯身の回りにいたことで知られています。
前回までご紹介したモダニズム住宅の多くが別荘であり、恋人が関わったものでした。
それ以前の因習に満ちた生活様式を脱いだところにモダニズム住宅は成立しています。そもそも玄関という空間がいるのかとか、キッチンとリビングを別にする必要があるのかとか、間取りを細かくする必要があるのかとか、天井照明が全室にいるのかとか、そんな諸々の生活スタイルを根源から検証し、解体し、再構築したところにできたものなのでしょう。
そうしたクリエイターたちが、異性との付き合い方にも、結婚と言う従来からの因習を離れたスタイルを求めたとしても不思議なことではありません。
バラガンは生涯独身でした。今回の建物は自宅。そこに彼が求めたものが静謐さであったことは象徴的です。
フランク・ロイド・ライト
今回はフランク・ロイド・ライトの落水荘。近代建築の三巨匠(コルビジュエ、ローエ、ライト)の一人に数えられるこの建築家。桁違いに異性絡みの話では厚みがある大御所登場です。
結婚。竣工の邸宅施主の妻と不倫。妻に離婚を切り出すも応じられず。ヨーロッパへ駆け落ち。帰国後、発狂した使用人が家に放火したあと愛人と子供・弟子を斧で惨殺。別の女流彫刻家と恋の逃避行。自宅兼スタジオが2度の火災。離婚再婚をめぐる泥沼の諍い。姦通罪で裁判所出廷。経済破綻。4度目の結婚へ……。他の建築家の所業が微笑ましく見えるでしょう?
落水荘はピッツバーグのデパート王、エドガー・J・カウフマンの別荘です。カウフマンの子息が、ライトの弟子であったのが縁で依頼が舞い込みました。
この建物には日本の建築がヒントになっていることが余り知らせていません。ヒントを与えたと噂されるのは,わが国のモダニズム建築家の先駆け藤井厚二の実験住宅「聴竹居」。この「聴竹居」のある敷地にはかつて「落水庵」とも呼ぶべき茶室があり、床下を抜けた水が滝となって池に落ちるようになっていたとか。
ルイス・カーン
今回はルイス・カーンのエシェリックハウス彼には妻と愛人2人がおり、それぞれに子をもうけていました。世の中にこのことが広く知られたのは、二番目の愛人との間の子が、父親の死後、旅に出て父の偉大な仕事仲間、各愛人及び異母兄弟等にインタービューを重ね、父の作品を巡り歩いたドキュメンタリーを製作したことによります。
ルイス・カーンは基本的には都市設計、公共建築をフィールドとしていまして、こうした私邸の作品はめずらしいのです。彼の公共建築はどこか人間界を超えたもの雰囲気を漂わせます。エシェリックハウスも例外ではなく、祭壇のような雰囲気。私はこの住宅にとても惹かれています。下動画は前述の息子がつくった『マイ・アーキテクト
ルイス・カーンを探して』から。
リートフェルト
今回はリートフェルトのシュレーダー邸。大人のモダニズム建築論を続けましょう。
モダニズム住宅の象徴とされる小さな住宅。モンドリアンの絵画を立体化したようなこの作品も、愛人のために設計された建物です。リートフェルトと施主シュレーダー未亡人は愛人関係にありました。妻子がいたにも関らずリートフェルトはシュレーダー邸1階に自分の事務所を設け、人生の終盤は妻子の家には帰らずこのシュレーダー邸で過ごしました。
居住空間は、現在の一般的マンションの広さぐらいで、日本文化の影響もあり各室は引戸で分けられ、広くそして夢を感じさせる様々な工夫がなされたビックリ忍者部屋的楽しさ満載。またまた愛は、生活感よりも夢を開花させる場をつくりあげております。
シュレーダー夫人自身がインテリアコーディネーターでもあり、二人のコラボでできたようなものですが、後に彼女は『リートフェルト・シュレーダー邸―夫人が語るユトレヒトの小住宅』という本を出版しています。怖いですね。作家が死んでからどんなこと語っているんでしょうね。
コルビジュエのカップ・マルタンの休暇小屋
今回はコルビジュエのカップ・マルタンの休暇小屋(カバノン)。コルビジュエはグレイのE1027に通ううち、この地カップ・マルタンに惚れこんでしまい、E1027のすぐ上にあったレストラン「ひとで軒」に隣接する土地を入手。そこに建てたのが自分たち夫婦用の休暇小屋(カバノン)でした。レストランとはドア一枚で行き来できるようになっており、ここのざっくばらんな店主リュビタトを気に入って懇意に付き合っています。
休暇小屋はモデル出身の妻イヴォンヌのために建てたといわれています。妻の写真が残っていますが気性の激しい女性だったようです。
1935年、コルビジュエはE1027に無断で壁画を描き、二人は決別。彼が描いた壁画はグレイが同性愛者であることを揶揄する絡み合う女性の絵でした。
しかしその後も彼は休暇小屋を楽しみ、そしてこの風光明媚なカップ・マルタンの地で他界します。
アイリーン・グレイ
今回はアイリーン・グレイのE1027。竣工時期で比べると、これまで取り上げてきた世界の名作建築の関係が推察されます。1951年がローエのファンズワース邸、1949年がジョンソンのグラスハウス、1931年がル・コルビジュエのサヴォア邸です。実はこれらの建築よりもずっと早い1926年に竣工され、ル・コルビジュエのサヴォア邸に影響を与えた住宅があります。それがアイリーン・グレイの夏の家E1027。この建築は近年その歴史的意義が再認識され修復されました。
アイリーン・グレイの生きた時代は1878年 - 1976年。アールデコは1910年代半ばから1930年代にかけて。彼女はアールデコのプロダクトデザイナーとして活動した人物。モダニズム建築の根源には、アールデコが横たわっていたのでありました。
彼女のプライバシーは殆ど謎。98歳で他界するまで美意識の高い服を着こなし、死の直前には私信や写真、私的記録をすべて焼却しています。
アイリーン・グレイとル・コルビジュエは後に決別しますが、当時アーティストの溜まり場となっていたグレイのE1027にぞっこんだったのがコルビジュエで、ここに頻繁に出入りしていました。
ル・コルビジュエ
今回はル・コルビジュエのサヴォア邸。先日BBSで焚き火さんの「別荘と愛人はセットなんですね」という指摘。モダニズム住宅は愛人との生活の場、あるいは別荘として生まれてますね。当時のリアルな生活の場から一歩引いたところには誕生したモダニズム住宅。
このサヴォア邸はどうだったのでしょう。施主はピエール・サヴォア。保険会社重役です。この建築物は彼によって週末用住宅としてオーダーされました。夫婦の寝室、婦人の私室、子ども部屋もありますから、愛人がらみではないようです。
ところが漏水など様々なトラブルもあって10年も経たずに持ち主に愛想をつかされ、ほとんど使われることなく家畜の飼料小屋になったようです。施主は当時としては進歩的嗜好の持ち主だったようですが。別邸・別荘としては広すぎます。使われなくなる別荘は、広すぎてメンテナンスに手がかかりすぎることで放棄されるケースが多いんです。
さて、コルビジュエの仕事は女性に助けられていることが印象的です。上の動画にも出てくるコルビジュエソファーも、実際はスタッフであったシャルロット・ペリアンの作品ですし、サヴォア邸もアイリーン・グレイの建築から影響を受けています。どこか鈍重さを感じさせるセンスの持ち主であるコルビジュエは(他の作品をご覧になると分かります)、二人の才能にジェラシーを憶えていたことでしょう。ということで、次回はコルビジュエの愛の話。大人のモダニズム建築論になってまいりました。
フィリップ・ジョンソン
これは前日のファンズワース邸からインスピレーションを得たフィリップ・ジョンソンのグラスハウス。実際彼は、ミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸のスケッチを見てイメージを湧かせたと語っていますし、室内に使われているイスなどはローエの作品です(ただしファンズワース邸より2年早く完成)。同性愛者だった彼は伴侶ホイットニーとここを自宅にしていました。
ミース・ファン・デル・ローエ
モダニズム建築の巨匠と言われて、まず最初に私はミース・ファン・デル・ローエを挙げます。他のどのような建築家よりもモダニズムの旗を高く掲げた人物だと思います。彼の有名な言葉は「レス・イズ・モア」。その思想を具現化したファンズワース邸の動画がありました。当時の愛人ファンズワース女医の依頼で設計した別荘です。実に美しい。