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  • 2012_06_01
    スウェーデン式ファイヤートーチ
    硬いのが続きましたので、しばらくブレイクしてアウトドア・ネタ。すごいですね、このファイヤートーチ。火使いの達人です。




  • 2012_06_02
    ワイルドなアウトドア
    ワイルドです。日本のキャンプが遠くに置き忘れてきた世界が広がっています。

    18日間のワイルドなアウトドア生活。実にいい顔してますよね。出かけるなら今頃の時期でしょう。日本の場合は何日かは雨に合うでしょうけれど。




  • 2012_06_03
    世界のワイルドなホテル
    いやはや世界は広いですね。こんなホテルがあるんですね。
    ○Utter Inn、スウェーデン……湖の中にぽつんと浮かぶホテル。客室は1室。詳しくはこちら。

    ○ジュール海底ロッジ、米国……スキューバダイビングで行きます。詳しくはこちら。

    ○フリー・スピリッツ・スフィアー、カナダ……バンクーバー島の西海岸の森の中にあります。詳しくはこちら。

    ○Kolarbyn、スウェーデン……スウェーデンの最も原始的なホテル。電気なし、お湯なし。暖房したければ薪拾いを。自然の中でリラックス。詳しくはこちら。

    ○ツリーボーン・リゾート、米国……人間サイズの鳥の巣です。詳しくはこちら。

    出典:http://www.weirdandwonderfulhotels.com/



  • 2012_06_04
    自宅のメンテナンス
    狭い中古マンションをリノベートして住んでいます。ですから定期的にメンテナンスが必要になります。網戸やトイレのカバーやなにやかに手を入れました。歳がいくにつれモノトーンになってきました。基本的に色相を拡散させないようにしています。写真は絵を入れ替えたリビング。プリントでもピカソの線画ウォホールのシルクスクリーンなどは実物との差が少ないので部屋に飾られるにはお勧めだと思います。

    この時節は快適に自宅で過ごせる時期です。外では野鳥が鳴いていて、窓を開けておきますと快適な風が通り抜けていきます。昼寝は最高の贅沢。
    午後から暑かったのでボウズにしてきました。すっきり快適。ブライアン=イーノなどいかがかと思ったのですが、『梅ちゃん先生』の高橋克実みたいになりました。




  • 2012_06_05
    インテリア
    インテリアというと、飾り立てることをイメージされる人が多いようです。けれど大切なことは省く方です。世界的デザイナー、アレクサンダー・ゲルマンはその著書の中で、日本文化を引き算文化だとして次のように述べています。「創造的プロセスとは引き算だ。選択し、フィルターをかけ、編集する。文章なら線を引いて消す。不必要なものを取り去り、本質に焦点を当て、重要なものだけを残す。」 また、「間」という感覚に言及し、欧米にはないものであり、欧米人は「何もない」ことを恐れるとしています。
    例えば、次のポスターをご覧ください。

    コピーは私が書かせていただいたものですが、このデザインによってコピーは広い空間を与えていただきました。与えられた空間によって生きます。むやみに大活字にする必要はありません。「間」は何も置かないことから、そこにあるものの存在感を高めていきます。

    モノを削減すれば「間」が生じ、その空間で生じるコトが主役として高められていくように思います。考えてみてください。あなたが学生だった頃、あれだけの少ないモノで生活していました。つまり今のあなたの部屋を取り巻いている多くのものは付加的なものです。デザインはライフスタイルの選択。



  • 2012_06_07
    「どうして自転車で行く?」
    「俺が走る。十分走る、一時間走る、半日走る。そして振り返る。稜線に道が消えている。これだ」
     (拙作『昔走った稜線』から)



  • 2012_06_08
    「私はなんのために生まれてきたのだろう」などと
    人生に意味を求めるのは、人間の悪い癖だ。
    プリセットされた意味を求めるな。
    行動が人生の意味をつくる。



  • 2012_06_09
    「人生はクソだ」と吐き捨てた奴がいた。
    待ってくれ。
    一般論にしてくれるな。
    お前の人生がクソなのだ。



  • 2012_06_11
    しんのじさん日本海横断
    しんのじさんたちが6月9日、シーカヤックによって対馬から釜山まで横断成功しました。拍手。以下、ご本人からの書き込みです。

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    皆様、過分なお言葉の数々誠にありがとうございます。いろんな方々のお力をお借りで来てどうにかなしとげることができました。お礼申し上げます。昨日の午前中は南東からの風と追い波に乗り、スリリングではありましたが比較的順調な滑り出しでした。午後からは北寄りの風と波に変わり、消耗戦の様相を呈してきました。でもペアを組んだ還暦の男性と共に、声を掛け合いながら漕ぎ抜くことができました。もしも今日に日程がずれ込んでいたら、快晴でしたがそのせいで強い北寄りの風が吹き、リタイアする人がかなり出ていたのかもしれません。本当に天候に恵まれて幸運だったと思います。今日は一日親日家の旅行会社の社長さんに連れられて、骨休めとエネルギー補給を兼ねて観光ツアー行ってきました。名物のサムゲタンを食べた食堂で、お店の女性に「対馬から漕いできたよ!」と言っても、最初は信じてもらえませんでした(笑)!
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    またヨットで長期航海に出ている焚火さんから、無事を知らせるメールが入りましたので報告します。
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    無事生きています。2週間目の高知沖で船酔いで半日気絶、地元の漁師に助けてもらい、徳島です。
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  • シーカヤック:愛好者16人、対馬海峡横断に成功 「また挑戦したい」感激冷めず /福岡
    毎日新聞 2012年06月14日 地方版
     シーカヤック愛好者でつくる「海面クラブ」=西区今津、尾形潤代表(60)=の会員ら16人が長崎県対馬市から韓国・釜山市まで約58キロの対馬海峡をシーカヤックで横断した。尾形代表は「全員が横断できた。また挑戦したいという人もおり、やってよかった」と話した。【竹田定倫】
     横断したのは9日。参加したのは29~64歳の男性13人、女性3人。退職者のほか、会社員、医師、自営業など職業はさまざま。午前6時45分、対馬市比田勝港を出発し、1時間おきに休憩しながら午後4時に釜山港に到着した。
     使用したカヤックは長さ5・6~6・2メートルのタンデム(2人乗り)8艇。前後に伴走船が付き、スタッフ4人が乗り込んだ。4日前の天気予報では中止の可能性もあったが、当日は「波も1メートル程度。風の条件も良かった」と尾形さん。
     シーカヤック歴15年の尾形さんは06年6月、7時間半で渡った経験を持つが、今回は伴走船に乗船。「20年の経験者もいるが、初心者もおり、完走には恐れ入りました」と自分のことのように喜ぶ。



  • 2012_06_12
    5羽のカモメ
    5羽のカモメが防波堤にとまっている。
    そのうちの1羽が飛び立つことを決意した。
    残っているのは何羽だい?

    ------4羽です。

    そうじゃない。5羽だよ。
    いいかね?誤解されがちだが、
    決意そのものには何の力もないんだ。
    そのカモメは飛び立つことを決意したが、
    翼を広げて空を舞うまでは防波堤にとまったままだ。
    残りのカモメとどこも違わない。
    人間だって同じだよ。
    何かをしようと決意した人と、
    そんなことを考えてもいない人とでは
    何の違いもないんだ。
    ところが人は、他人のことは行動で判断するのに、
    自分のことは決意で判断することがよくある。
    しかし、行動が伴わない決意は、
    期待してくれている人に対する裏切りでしかない。
     出典:『希望を運ぶ人』(アンディ=アンドルーズ)



  • 2012_06_13
    自分の内側ばかり覗いていてはいけない
    「世界一静かな部屋」として知られるアメリカのオーフィールド研究所の無響室は外部からの音が99.99%遮断されています。その部屋を真っ暗にして留まれる最長時間は45分。以下は所長の言葉。
    「静かだと耳が慣れる。静かであればあるほど耳がよくなる。自分の心臓の鼓動が聞こえ、肺の音もときたま聞こえるようになる。胃がゴボゴボといううるさい音が聞こえる。無響室では、あなた自身が音源になる」
    人は方向感覚を失くし、幻覚が現れ、耐えられなくなるといいます。

    (出典)
    己の内側だけを覗き込む行為の恐ろしさを物語るエピソードです。自分の外側に広がる世界に接し、まみれることによって、我々は自己を正常に認識できます。自分の内側だけに囚われる愚かさ。身体疾患がないにもかかわらず過度に思い悩み、その結果支障を来たしてしまう心気症もまたこれでしょう。内側ばかりのぞいていては生臭い狂気の風が吹きあがってくるだけです。
  • 散人さんのコメントから
    「人間」である判断基準として「とても人間とは思えない」という負の基準が必要であります。そういう意味で、とても人間とは考えられない行為をする「悪役」の存在が重要になってきます。「人間如何に生きるべきか?」という問いかけはコインの表で、裏には「これはとても人間のすることではない」という判断が存在します、大人はこの表裏が理解しているのであります。



  • 2012_06_14
    エセ自然志向商品にご注意
    自然に帰れば健康になる。
    この口車に安易に乗ってはいけません。
    現代人のほうが、自然に近い江戸時代の人々よりずっと長寿であることは広く知られています。動物園に暮す動物が、野生よりもずっと長生きであることも事実。天然ものを珍重する人は、もしかしたら天然ハマチのほうが、養殖ものよりうまいからそう言っているだけなのかもしれません。
    「自然」をウリにしているものには不自然なものも見受けられます。菜食主義というのも本来雑食の人類にとっては不自然なものかもしれません。天然由来成分を誇った「茶のしずく」もあの惨状です。
    結局、人間には薄らとした不安感が常に漂っているものなのでしょう。エセ自然志向派は不安感を狙い撃ちにして来ます。この手の怪しげな輩の特徴は、第一に万病に効くと称する、第二に治療法が痛くない、第三に客観的検査に対し逃げ口上を打つことにあります。



  • 2012_06_15
    自分をさがすな自分をつくれ
    さて、私が常々胡散臭いと思っている言葉に「本当の自分」という言葉があります。この言葉の裏には、今ここにこうしている私は本当の自分ではなく、もっと素晴らしい自分がどこかにいるという発想があります。
    そして「自分探し」というやつが始まるのです。やれやれ。困ったものです。
    そうやって逃げてばかりいると、努力もせず自己成長が止まります。自分とは、探すものではなく、つくるもの。ろくに自分を作る努力もせずに自分探しをすると、空っぽな自分を見つけ喪失感に苛まれるというオチが待っています。
    今の自分は本当の自分ではないという考え方は、前述のエセ自然志向派の人々とよく似ています。共通する特徴は、第一にこれさえやれば万事好転するという単純思考、第二に自己努力回避、第三に巧みな逃げ口上です。



  • 2012_06_18
    巨匠たちの自画像
    以下は巨匠たちの自画像が次々に現れる動画ですが、何人分かりますか?


    では分かる範囲で。

    レオナルド

    ゴヤ

    デューラー


    レンブラント

    ウォホール

    ブグロー

    マチス

    ドラクロア

    ミレー

    ヤン・ファン・エイク

    ルーベンス


    サージェント

    マレーヴィチ

    プッサン

    セザンヌ

    ゴーギャン

    ゴッホ

    ロセッティ

    ベラスケス

    ヴァン・ダイク

    ティツィアーノ

    ヴェロネーゼ

    クラナッハ

    マネ

    ピカソ



  • 2012_06_19
    クラナッハの眼差し
    自画像を頻繁に描いた画家と言えばレンブラントが筆頭に挙げられますし、そのあがりも素晴らしい作品群です。
    前日の記事を書いていて驚愕したのはクラナッハ。よく彼の代表作としてされるのがこの絵(クリック)でして、「昔の画家ね」という感じでとらえていました。この認識が変わったのは、彼の自画像(クリック)を目にしてから。
    彼が描く目のモダンさに驚愕しました。サングラスが似合いそうでしょう? 現代人の眼差しそのものです。それが日本で言えば戦国時代に描かれているのです。素晴らしい画家なのだと今さらですが再評価。




  • 2012_06_20
    ベラスケスの踊る筆跡
    先日紹介の自画像から、今日は「画家中の画家」とマネから呼ばれたベラスケス。スペインの宮廷画家となった17世紀の画家です。彼が凄いのは他者の追随を許さぬうまさ。どうなっているのだろうと思うほどです。
    たとえば下の作品をご覧ください。
    髪に付けているものはなんですか? そう、リボンですね。いくつ付けていますか? そう、3つ。ではどうやって描いていると思いますか?
    もう一ついきましょう。胸は白く薄い生地の上に、ブルーの円状のリボンがあり、その中央に宝石が付いていますね? 本当ですか?
    では下の絵をクリックして、拡大していって筆跡を確認してみてください。驚愕しますよ。

  • 代治朗さんのコメント
    質問です。何度も見直したのですが、ベラスケスの宮廷少女の絵の胸の宝石は、真綿を描いたような筆致ですね、普通ならべたっと一色で塗りつぶしそうですが、リボンは、私のような絵の技法にオンチな者には、ふ~ん、そう、大きな筆で描いてるんだというぐらいにしか思えず、驚愕なんてないのですが。
  • まつをの回答
    はい。
    ベラスケスがなぜ驚愕の画家なのか、解説しましょう。
    そのためには、まずヤン・ファン・エイクの作品をご覧ください。

    上の絵をアップしたのが下。

    ね、拡大してもびっしり描いているでしょう。宝石は宝石として細部まで描き込んでいます。つまりどこまで行っても見たまま描いてます。
    つぎにベラスケスを観ましょう。
    質感はバッチリですね。宝石は宝石に見えますし、肩からかかる刺繍の入ったベルトもそうですし、スカートもビロードの質感がものすごく伝わってきますよね。先ほどのヤン・ファン・エイクのようにビッシり描き込んでいると思いきや、どっこい。

    上をアップしたのが下。

    髪飾りのリボンは、筆をぐしゃぐしゃっと動かしただけで表現。

    宝石は、バックをざっくり塗って、あとは点々と筆をおいただけ。つまりまったく「説明」していません。細部では見たまま描くことなく、対象をいったんバラして描き、作品を離れてみる鑑賞者に組み立てなおさせるということをさせています。それであの質感表現。天才しかできないことです。



  • 2012_06_21
    ブグローは復活する
    クリムトは明らかに40年前よりもメジャーになってきた作家です。で、「本当は彼の若いときの作品が好き」という人もいらっしゃることと拝察しています。
    このあたりを好きな人はもしかしたらブグローも好みになるかもしれません。こんな作品を描く画家です。

    簡単にいいますと19世紀アカデミズムの中心人物です。抜群のデッサン力と筆使い。そしてハイキーのレンブラント光線。これまで日本ではあまり伝えられなかった画家ですが、実はモネやマネなど印象派の画家達は生きている当時はマイナーな作家で、ブグローの方が絶対的人気を誇っていました。でもね、ほれ、この後モダニズムは出てくるわ何やで、伝えられなくなっていたのです。
    産業革命以来、経済は右肩上がりの時間軸を持っていました。明日よりも今日のほうが進展する、と。実はこの時間感覚は遍く人々に浸透しています。昨年よりも今年がGDPも増加する。昨年より今年が給料が上がる。そして前時代よりも現代が美術は進展しなければならない。
    この時間軸を近年、先進国は懐疑し始めました。GDPは上がらないし、給料も上がらない。環境問題感覚は新たな大きな物語となって世界中を被い、そして時間感覚はこれまでの右肩上がりの時間感覚から、振り子の時間感覚に変動しようとしています。西洋史で見れば中世においてこの振り子の時間感覚が支配的でした。「私の親も、その親も、その親も、ずっと同じような生活をしてきた」 そんな感覚です。
    そういった感覚に戻ってきていることもあって、ブグローは最近再評価されつつあるように思います。彼の作品を遊んだこんなサイトも出てくるぐらい(クリック)。
    美術作品は、美術史上の進展を負うものでなければならないとする認識は、実は高度経済成長信奉者の感覚と同じ並びに置かれるべきものなのかもしれません。
    ブグローは久々に見ますと「おおぅ」と思います。けれどずっとみているとアフタヌーンティでたっぷりクリームのケーキを毎日食べ続ける食傷さを憶える私です。



  • 2012_06_22
    画家の栄枯盛衰
    人間50年ぐらい生きてきますと、時代によって人気の出てくる画家と落ちていく画家があるんだなとつくづく感じます。
    人気が出てきた画家を挙げてみましょう。
    筆頭はクリムト(ここからのリンクはクリムト好きには必須)。彼の作品は今更ご紹介するまでもないでしょう。私が高校生だったころ、クリムトと同じぐらいの認知度だった画家といえばアンソール。大好きな画家の一人でした。今、クリムトとアンソールの人気には隔絶のものがありますよね。アンソールは60・70年代のロックな時代じゃないと流行らないようです。

    それからウォーホールも人気が出てきましたよね。これも私の高校時代では同程度の扱いだったジャスパー=ジョーンズとかラウシェンバーグよりも、世間一般では頭一つ抜けてアイコン化していますよね。
    (ポスターの画像から)
    右はウォーホールの『キャンベルスープ』。社会人になってやっと小銭を手にした私が購入しようと思った作品がこれ。その当時、久留米の画廊にこの作品があるという情報を知った私は、友人の吉田隆さんと訪ねていきました。その時の価格が10万円! コピーとかではなくてオリジナル作品がですよ! 今となっては信じられない価格です。でもね購入しませんでした。なぜかといいますと、オリジナルはあまりにもそっけないんです。薄汚いといっていいかもしれません。実はそれがポップアートなんですけれどね。で、購入せずに帰ってそれから1年後、雑誌を見たら同作品が120万円になっていました。ま、そんな思い出。


  • 2012_06_23
    画家の栄枯盛衰2
    逆に時代から忘れ去られようとしている画家としては、クールベやドーミエ。貧しさや社会矛盾を描いた彼らの作品は、そのトーンからだけでなく、東西冷戦終結後の世界では美術史的意味合いが薄れていったのでしょう。
    たしかにクールベは中2病的自我を感じさせて、うっとおしく観るのもいやになる作品が多いですね。たとえばこれ。『こんにちはクールベさん』という作品。なにふんぞり返ってるんでしょうね、オレ様クールベ(笑)。

    一方ドーミエは美術史から消えて欲しくないと願っています。

    まずその作品自体の素晴らしさ。消えるには惜しい画家です。それから作品の意味。彼は画家というよりも新聞の挿絵家として当時は認識されており、近年で言えばベン=シャーンのような立ち位置の人でした。

    近年、格差社会が進行し、『蟹工船』や『資本論』が再読されるブームが一部で静かに起こりつつあるようです。もしかしたらそういった流れの中で、彼はもう一度スポットがあたるのかもしれません。
    そうした社会的事情は別にして、素晴らしい画家です。皆さんにもドーミエを憶えていただけると幸いです。

     

     

     

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    Plofile まつを


    デザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。↓これは私の作品たち。

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。