海面上昇と古代遺跡
右肩上がり文明史観の危うさ
プレ文明(有史以前に存在した高度文明)っていうのは,考察してもいいのではないかなと思う気持ちがどこかにあります。人類史を「単純な右肩上がりのイメージ」で捉えるのは,どうも解せません。人類史を単純な右肩上がりとする思想は,近代独特の時間感覚に囚われていると思います。
氷河期は地球のふらつきで起こる
寒い時期と暖かな時期が周期的にやってくるのはミランコビッチ周期。地球というコマをイメージして下さい。コマは回転しているとき円運動でふらつくでしょう? これによって26,000年の周期がおこるとされます。
130mの海面上昇
ウルム氷期(最も最近の氷期,70,000~8,000年前)のころ,海水面は現在よりも130mぐらい低かったのです。これは海水が氷河となって陸上にあったから。この氷期が終わるとき海面上昇が起こりました。10,000~8,000年前の2,000年間には,海面が急激に25m上下しています。
プレ文明遺跡は赤道付近の大陸棚
氷期の頃,もしプレ文明があったとしたら,寒さゆえに,赤道近くの臨海都市が有力でしょう。世界地図を見る。すると例えばインドシナ半島からオーストラリアに至る海中に,広大な大陸棚が広がっているわけです。大陸棚は沈んだかつての大陸。氷期の海面低下時の浸食作用で形成され、その後、堆積物に覆われてさらに平坦になったもの。
現在俗にいう4大文明は地上で発掘されています。もし8,000年前にプレ文明があったとしたら,陸地でA地だB地だと論じられていること自体が滑稽。水中考古学が今後進展して行くことを期待しています。
ギョベクリ・テペ
実は紀元前1万年から紀元前8,000年に建てられた地上の遺跡も見つかり始めています。ギザの大ピラミッドが完成するよりも7,000年早い。農耕文明が発生するよりも早い。得られる証拠はみな、狩猟採集民が建設したことを示しているとのこと。
縄文海進
6,000~4,500年前は今よりも温かく、海面も6mほど高かった。日本列島では縄文期。関東地方に珊瑚礁があり,今の奄美の気候。浦島太郎がパプアニューギニアの原住民のような腰蓑(コシミノ)を着ていることはその証です。ただしこれは縄文前期であって、縄文時代でも寒い時期もありました。
縄文海進のころの九州の地形はこちら。今の唐津などに実にいい港になりそうなリアス式海岸が現れますね。ただしこのころ、九州の人口は極めて少ないと言われています。縄文の大型遺跡として有名な三内丸山遺跡も青森にあります。
水が人類史を変化させてきた
仮説「水の固体・液体・気体の割合に着目して歴史を振り返れば、文明史的な流れを整理できるのではないか」。そんな発想が昔から私の頭にあります。水は地球上のハブ(接続点)。水が固体・液体・気体と3態への変化状況で、気象、食糧生産、そして生体に及ぶまで生命のハブ。生活文化を進展させ、抗争も繰り返し、それが人類史と呼ばれるものであると。