民主主義はもつのか

 

ゴシック教会のようにそそり立っていたマスメディア

ヨーロッパゴシック様式の教会は、天に舞い上がろうとするかのごとく高さを志向しました。パリのノートルダム大聖堂、ドイツケルンのケルン大聖堂。それは天に在す神へ近づく思いを表すものとしてしばしば説明されます。けれど高さへの羨望はより実利的意味を持つものでした。教会が遠方から見えること。それが共同体の及ぶ範囲でした。その時代において一つの教会を共有する意識が、一つの共同体への帰属意識を生むものでした。

時代は下りますが、夕暮れ時に教会に向かい頭を垂れて祈るミレーの絵画『晩鐘』はそのことをよく表しています。同じ一つの教会に向かい祈りを捧げる共同体。教会が己の領域を拡大するには、遠方からが見えるように高くあらねばならなかったのです。

私の故郷は島原。そこは長崎県なのですが、テレビ番組は熊本のものを見て育ちました。雲仙に阻まれ長崎からの電波は届きませんでした。十代までは熊本の店や動向は知ってましたが、長崎のことは知りませんでした。高校時代に熊本市中心にある太陽デパート火災が発生したとき、まだ見たことのないその大型店舗のことを心配したものです。

このようにかつて教会が果たしていた大きな物語の共有による共同体形成機能は、戦後テレビ局をはじめとするメディアが果たしていました。


  • 大閑道人さんコメント
    戦国時代の武将たちのお城も同じ狙いなのでしょうね。その延長線上に天守閣もある、と。

 

ネットの登場による多様化の加速

さてネットが登場し、人々は選択的にメディアに接するようになりました。新聞、テレビ、ラジオ、ネットの選択に留まらず、ネットでは特に選択的に見たい情報にだけ接することができます。

かつてゴシック建築の高塔の様にそびえたテレビ局や新聞の影響が薄まり、我々の共有意識の多様性が進み我々が共有する大きな物語は徐々に薄まってくるのかもしれません。そして思想界と国民には相対主義の風がいよいよ強く吹き始めのかもしれません。


  • 田屋敷酒散人さんのコメント
    戦後教育はこの「時代や文化が違えば道徳も違う」という相対主義に陥り、「生徒に価値は押し付けるべきではない。生徒間で話し合い議論すべきだ」とした。結果、未成熟な生徒間話し合いは混乱の極致となった。教育に素人を入れた「教育委員会やPTA」が戦後教育を無残なまでにダメにしたのである。彼ら教育の素人の拠って立つ思考は「相対主義」であった。

  • 大閑道人さんのコメント
    価値観の多様化を主張する人は、自分自身の価値観が硬直化していることに自覚がない。

  • 捨老さんのコメント
    なまじ価値観にこだわる人は、えてして 価値そのものに 気づかぬものでございます。

 

古代ギリシアは相対主義に陥り衰退した

今から2500年前、似た状況がギリシアで起こりました。この地で現れた人類最初とされる哲学はやがて相対主義へと突き進みました。
ソフィストと呼ばれる家庭教師たちは有力者の子弟に弁論術を教えていました。なぜか。それは民主主義で身を立てるには多数の支持を得る弁論術が必要だったからです。相対主義はアテネに「カラスの勝手でしょ」という風潮を生み、大きな物語を失っていこうとしていました。

これに意義を唱えたのがソクラテスです。この世界には絶対的基軸がある。万人が目指すべき真実があり、万人が目指すべき善があり、万人が目指すべき美がある。一人一人の勝手というものではない。こう彼は主張しました。ソクラテスは人心がバラバラとなり、享楽的となり、国力が衰退していくことを憂いていました。

ソクラテスの生涯は象徴的な結末を迎えます。青年たちを惑わす罪で裁判に掛けられたソクラテスは、市民の多数決によって死刑とされたのです。

 

ソクラテスに源を発する哲学はアンチ民主主義

ソクラテスが民主主義によって殺されたことを見た弟子プラトンは、哲人政治を主張します。民主主義ではなく、克己心強き賢人によって政治はなされるべきであると。
プラトンの弟子がアリストテレス。そしてアリストテレスが家庭教師家庭教師を務めたのがアレクサンダー大王。アレクサンダー大王の国マケドニアはギリシアを征服します。

ソクラテスに源を発する哲学はアンチ民主主義の系譜であり、系脈の結晶として生まれたアレクサンダー大王によって古代ギリシア民主主義は封じられました。

 

民主主義は持ちこたえ得るか

民主主義が現在採用とされているのは、人類史上で様々な政治形態を採ってきたが、他の政治形態よりも民主主義のほうがましだからというのが、政治学における基本的考え方です。

けれど、と思います。このままいくと民主主義を世界は採り続けるのだろうか。EUの混乱や、アメリカ市民の疲弊、日本の混沌と、政治が世界経済に敗北し続け、あらゆることが遅々として決定できず、先進国の多くの住民が将来への明るいビジョンを持てなくなるとき、現在の民主主義体制への疑問が世界同時多発的に発生しアンチ民主主義の潮流が渦巻き始めるのではないかという思いがふと頭を過ぎるのです。


  • 捨老さんのコメント

    「民主主義」ったって、あーた、「のようなもの」と言うのが襞裏に包み込まれているのが本来の姿で、これを制度化しようとすれば自ずと実験的民主主義にならざるを得ず、キケロ言うところの「犯罪の多い民族ほど多くの法律を持つ」という結果に陥り、実験ならばすぐやり直せる鷹揚さが必要なことすら忘れられて、ガンジガラメになっていくのがオチ。「市民の運動」もアンチどころかそんな民主主義の中で育っていくひこばえさ。

    日本には元来、制度以前に、江郷衆や名主・庄屋に似た賢人政治と民主主義のアイの子のような長老監査型とでもいうべき民主主義の根が民衆の中に伝統的土壌としてあったからこそ、為政者としてはやり易かったワケで、これがやがて徳治主義と言うか賢人政治と言うか、つまるところ貴人政治への道となって、独裁の形は強固なものとなって行く歴史がそこいらじゅうに転がっているワケさ。共産主義にだって同じ運命が待ち受けてるのは、既に証明済み。

    人間、長ぁ~い歴史をかけてこの程度のことしかできないのかなと思うと、少しさみしいね。他に手はないのかな~。

 

ジャー・ジャー・ビンクス的正義感の危うさ

映画『スター・ウォーズ』でオッチョコチョイで善良なキャラクターとして描かれるジャー・ジャー・ビンクス。しかし彼はその思慮の薄さから、悪の権化パルパティーン議長に非常時大権を与える演説をします。あな恐ろしや。

 

記述:2012年4月

 

Plofile まつを


デザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。↓これは私の作品たち。

「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。