タイ旅行

スペースシャトルの落ちた日に

2003年2月2日。厳冬の日本から、目指すは灼熱のタイへ。温度差30度。チャイナエアライン機内でダウンジャケットを脱ぐ。


ニュースではスペースシャトルが砕け散ったとまくし立てられていた。ブッシュは尊い7人の命が奪われたと言いつつ、イラク戦争で人命を奪う駒を進めている。神様も、戦争するなと言ってるんじゃないか?


チャイナエアラインの中では、中国の元旦にあたりハッピーニューイヤーとお祝いムード満載だった。


今回のタイ旅行にご一緒するのは、焚き火学会会長さん。お会いするのは今回で3回目。世間を脱いで、少年に戻ろう。

イラク戦争

「イラクは大量破壊兵器を持っている」。2003年3月20日、この主張を旗印にアメリカはイラクに攻め入った。しかし最終的にイラクに大量破壊兵器は存在しなかった。ウソつきは戦争のはじまり。このウソによる戦争で、イラク大統領フセインは殺され、3万人もの戦死者が出た。近年行われた最も愚かな戦争である。


ブレードランナー的夜のバンコク


夜のバンコクはまるでブレードランナーの世界だ。

SFチックで巨大なビルや高架橋。際限のないラッシュ。爆音を上げて走る極彩色のトゥクトゥク。スタイル抜群の女性たち。赤ん坊を抱いて座る乞食。

ジャンクで薄汚れ、スタイリッシュで悪臭を放ち、経済成長への羨望が渦を巻く喧騒となって街に充満していた。夜の街はまさに娑婆だ。


「ここに行かずしてバンコクの魅力を語ることなかれ」と言われるマーブンクロンセンターへ。デパートというよりも、ぐしゃぐしゃの市場が大型のビルに巣食った様相を呈している所だ。

トライしたタイの屋台料理

6階に広い食堂があり、タイ名物の屋台料理が比較的衛生的に食せる。さあ食うぞ。


だいたい30~45バーツ。1バーツが3円ぐらいの換算だから、90円ぐらい。 しかし地元の感覚ではバーツに0を一つ加えたぐらい。つまり300円ぐらいの感覚だ。

だから物価は日本の3分の1というところ。 ただしブランド品はまったく安くない。 いいかえれば、そんなものを買える富裕層と庶民の格差が大きいと読める。


  • 左:汁春雨のようなもの。なんだこりゃ。甘くて辛くて酸っぱくて、オエッ、すべての味覚がバラバラなまま投げ込まれているような味だ。
  • 中央:次、牛スジの煮こみのようなもの。日本では私の好物だが……次、行ってみよう。
  • 右:これは、日本で言えば皿うどんのようなもの……クイズ番組の罰ゲームをしている気分になる。

    敗戦兵は、帰って寝よう……。

    暁の寺(ワット・アルン)……東洋のサグラダファミリア

    2日目。午前中はガイド付きで寺まわり。タイの案内本に掲載された極彩色の寺院にはうんざりしていた。会長さんと「早めに切り上げましょう」と話し合う。愚かだった。
    早朝、チャオプラヤー川を渡り、遠景に寺院が見え出した途端、私達は声を上げた。想像を超えた築物が現れ始めたのだ。


    三島由紀夫から暁の寺と呼称されたワット・アルン。会長さんの腕には鳥肌が走り、私の目には涙が溢れて仕方がなかった。

    まるで違う。写真で感じていたそれをはるかに超えていた。恐れ多い。びっしりと張りつけられたタイルを光らせそそり立つ塔。これを構想した人々と作業に従事した人々の精神におもいをはせると、眩暈がした。


    ガウディのサグラダファミリアだけがメディアに取り上げられることに、日本の西洋カブレ度を確認する。

    植民地にならなかった国が、いかにすばらしい文化を伝え得ているかがわかる。逆にいえば、いかに多くの民族が植民地にされ、誇りを破壊されたかも推測できる。

    ワット・プラケオ(エメラルド寺院)

    巨大涅槃像のワット=ポーと、国家の第一級寺院ワット・プラケオ(エメラルド寺院)、そして王宮を巡る。エメラルド寺院本尊のオーラはすごい。


    エメラルド寺院はこんな2センチぐらいの色付き鏡片でびっしりと埋め尽くされている。


    仏教の寺エメラルド寺院にある半身鳥の神ガルーダ。バラモン教の神だ。タイ国王旗にはこれが描かれている。仏教寺院の屋根の両端にも、ガルーダがモチーフと言われる飾りがついている。

    タイでは仏教とバラモン教が融合している

    タイの仏教はバラモン教と融合している。タイはカンボジアに属してた時代もあったので、カンボジア文化が深く浸透している。バラモン教は日本で言えば神道のようなもの。神道にも八百万神(やおよろずのかみ)といって多くの神がいるように、バラモン教にも多くの神がいる。


    タイは若い国

    タイは、若い国だ。老舗は、カンボジアやインドネシア。たとえばカンボジアは8世紀にアンコール=ワットを作った王国があった。タイ族が最初の王朝を建てたのは13世紀のことにすぎない。日本でいえば鎌倉時代だ。そしてこのタイが、インドシナ半島では一番経済繁栄をしている。

    国民から敬愛される国王


    国王ラーマ9世は国民から敬愛される国王として有名だ。国民が貧困から抜け出すプロジェクトをすすめている。街を歩けば彼が愛されていることが分かる。

    政権側と反政権側が衝突した際も両リーダーを玉座の前に正座させ、「そんなことでタイ国民のためになると思うか」と一喝して騒動を鎮静化させた。

    次のポンコツ国王

    2016年、ラーマ9世が逝去。次に着いたのかニセのタトゥーを入れ半裸で美女とモールをあるく野郎だ。即位後ドイツに滞在。バカ息子が跡取りし、王室改革を求める異例のデモが発生。



    午後ショッピングに連れまわされそうになったので、早々に買い物を済ませて打ちきってもらい、2時ホテル帰着。ここから帰国時まで、ガイドなしの行き当たりばったりプランが始まる。

    バンコクの裏町


    バンコクの裏町を歩く。

    貧しい。着いた日の夜に見たジャンクさの根源を垣間見る。ホテルのある通りには高級住宅街が並んでいる。バンコクの一般人と、金持ちの収入は何百倍離れているんだろう。


    全身にイレズミを入れた酔っ払いの中華系オヤジが近づいてきて、なにかをまくしたてた。なにを言っとるのか、皆目わからず。中国の元旦で朝っぱらからずっと飲んでたのだろう。


    屋台。街のいたるところにある。少なくともバンコク庶民の住宅には、台所がなく、食事はこうしたところでとる事が多いという。

    破綻していくタイ

    タイは1961年から過去30年の間に年平均7%という経済成長を達成し、「貧しい国ではない」数字を実現した。にも関わらず、この惨憺たる街のいびつさ。

    タイの富裕層は子供を幼少の時から留学させるところが多いという。そうしたライフスタイルを身につけ、国家のエリートになった奴らに、伝統文化なんてうっとうしく写っているのかもしれない。

    タイの高級官僚さえ、こう言いだしてる。「現在タイが直面している経済危機は、…過去30年~35年間続けられたきた経済政策の破綻であるといってもよいであろう。…天然資源の縮小や環境破壊といった社会的損失コストは省みられなかった。生産面からのみ人間が評価され、人間性は無視された。」

    2006年頃からタイでは政治的対立が激化するようになりクーデターが発生。王室の改革を要求するデモも大規模化。政情不安が続いている。


    大丈夫か、この国。この国の農村を見たい。会長さんのご提案。異議なし。明日はバンコクを離れてみよう。とりあえず列車で1時間半ぐらいのところにあるアユタヤ行きの列車に乗ろう。そんな計画となる。

    タイダンス


    夜、伝統舞踊を見ようと資料を探す。タイダンスは元来ハイソな階級のものだった。ならば思いきり投資しようということになる。最もしっかりしたものをやっているというロイヤル=オーキッド=シェトラン=ホテルの「タイランド・トゥナイト」へ。


    雲一つない夜空に三日月が楚々と出ていた。チャオプラヤー川を時折、定期船やなにやが通り過ぎ、みごとな演出となっている。


    音楽はトランスミュージックだ。民族的なダンスミュージックはそうである場合が多い。まわりまわり螺旋を描いて、高みへといざなう。女性ダンサーの上品な民族パラパラのあとには、ラーマキエン(タイ版ラーマヤ-ナ)のダイジェストが舞われた。会長さんが「素晴らしい、これが極楽」と絶賛。同感です、同感です。

    田舎へ

    3日目。起床してテレビのスイッチを入れるとNHK衛星が7時のニュースを流し始めた。ぴったり。体が時間を憶えているのだ。
    今日はフリー。さあ、田舎をみてみよう。


    駅でアユタヤ行きのチケットを買う。どうにかなるもんだ。3等席。地元のおばちゃんに席を聞いたりしてどうにか座る。

    列車が駅を出る。しばらくビルが続き、スラムが続き、そして外資系企業の工場と社宅らしきものが延々と並ぶ地域をぬける。


    そんな風景が続いた後に、高床式の住居が点在する田舎に出た。豊かさを感じる光景だ。広大な平野部は見事に区画整理されていた。こんな風景が消え、農民が最も貧しい階層になったとき、この国は死ぬだろう。

    国際経済に自国経済をリンクさせることは危険を伴う

    そんなことはずっと昔の経済学者だって言ってる。だけど、援助にあたる国際機関の連中も、当事国の為政者も、「ま、それは分かるけど、一応おいといて」という立場をとってきた。ホントにいいのか。

    やっと日本では、田舎暮らしのライフスタイルも、再び憧憬が抱かれるようになってきた。知を求める人が、都会にだけ流出する時代は終わろうとしている。


    アユタヤ

    車窓からの風景があまりにも面白くて、なんだかんだと話していたら何時の間にかアユタヤ駅に着いてしまった。こりゃいかんと下車。例によってまたトゥクトゥクに乗って行かないかと、何人も寄ってくる。歩いていくというと、なんてこったいと口説かれ続ける。

    アユタヤは8㌔×4㌔の島になっている。駅を降りてしばらく歩いた後、渡し舟に乗った。 対岸へ渡った後も、4㌔ほど遺跡まで歩いて行く。市場を突っ切る。四方から売りこみ。どうにかならんかと一案を考えつく。


    お坊さんのあとを付いていこう。この国では僧侶に対する畏敬は並外れている。お坊さんのあとでは声もかけにくいだろう。このアイデアは抜群の成功を納めた。 黄色い服をまとったお坊様に導かれて、私たちは歩いていった。


    その後、炎天下をふらふらと歩く。



    たどり着いたアユタヤの遺跡。
    廃墟。
    静かだ。
    中国人集団が行ってしまった後は、巡る観光客も無口にそこにたたずんでいた。
    時折、異国の鳥が鳴いていた。廃墟は静かだった。


    木陰のたもとの草わらに寝転ぶ。歩き回り疲れていたのか、気付くとうたた寝をしていた。 犬がどこからかカラカラに乾いた飯をくわえてきて、私の足元で音を立てて食う。

    帰りの列車は満席。
    立って帰る。すぐに前の席の4人の地元の方と親しくなる。英語は通じない。私達を中国人だと言っている。いえいえ違います。日本人です。タイの人たちは優しい。心からそう思えた。こんな田舎をタイは大切にしたがいい。青年は別れ際、はにかみながら握手を求めてきた。

    庶民の間で英語は通じない

    英語がタイで通じないのはなぜか。それは植民地になったことのない国だからだ。日本も植民地になったことがない。というわけで日本人も英語が下手だ。アジアで植民地にならなかったのは、タイと日本ぐらいだ。


    タイ式マッサージ


    ホテルに帰りついて、フロントの日本人スタッフAKIKOさんに、タイ式マッサージの場所を聞く。 ホテルの向かいの病院2階にあるという。

    病院の待合室を抜けて2階に上がり、受付をする。1時間200バーツ。換算すると600円。会長さんと並んでマッサージを受ける。日本の整体に似ている。ただし揉むスピードがタイ式だ。ゆっくりゆっくり。

    ジャズ・ライブハウス

    夕食後、AKIKOさんにジャズのライブハウスを案内していただいた。タイのジャズ・ライブハウスは世界的に有名だ。


    「サクソフォーン」。昔から評判を聞いていたジャズライブハウスだ。比較的若い腕のいいバンドがやっていた。キーボードが独特のノリをもったプレイヤー。満足。


    「ブラウン・シュガー」1996年ニューズウィーク誌で、「世界のベストバー」に選出。見栄を張っていない本当に音楽好きの店だ。渋いバンドが淡々とやっていた。演奏の曲目でこちらの店に軍配。カルロス=ジョビンの曲もやってくれた。南国で聴くジョビンはいいなあ。

    旅の終わりをスペシャリストに締めくくっていただき、おかげさまでいい旅になった。

    一番の思い出

    「会長さん、今回の旅で一番思い出に残っているシーンはなんですか?」

    「アユタヤからの帰りの列車で、私がコーラの缶を開けたら飛び散って、タイの高校生ぐらいの女の子にかかったんだ。あ、ごめんと誤ったら、とっても優しい顔をして許してくれたシーンかなあ」


    2003_02_02-02_05

     


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