教員免許がなくても教壇に立てるように
厳しい「教員不足」の状況が発生。文部科学省は教員免許がなくても知識や経験がある社会人を採用できる制度を積極的に活用するよう全国に緊急で通知した。
あーあ、言わんこっちゃない。これで教員の質は落ちます。
教員免許更新制が2009年に導入され今年廃止。これは教員の資質が問題となって、国会議員が講習受けさせろってことで始まったんじゃないかな。その結果どうなったか。このとおり志望者が減り逆効果となりました。13年先も読めなかった国会議員。はっきり言います。アホみたいな制度です。
1.各都道府県では昔から着任後定期的に講習を受けるように制度設計をしてます。文科省も国会議員には説明したんでしょうが聞く耳もたなかったんでしょね。
2.講習の実施者が大学職員。思い出してください。大学職員って研究職面も持ってて、教えるのもんのすごくヘタな人も少なからずいましたよね。講習の実態は悲惨なものでした。実は私も免許更新講習を担当してたことがあったんですが、ワークショップ化して好評でしたよ(笑)。
いい人材を集めたり質を高めるには、給与を上げることと、待遇向上させればいいんです。そのことは教員給与の低いアメリカと、フィンランドの質の高さを見れば一目瞭然。何度も書いてますが、日本の教育費にかける割合は先進国中最低レベルです。国はやるべき改善をデータに基づいてやるべきです。
あーあ、言わんこっちゃない。これで教員の質は落ちます。
教員免許更新制が2009年に導入され今年廃止。これは教員の資質が問題となって、国会議員が講習受けさせろってことで始まったんじゃないかな。その結果どうなったか。このとおり志望者が減り逆効果となりました。13年先も読めなかった国会議員。はっきり言います。アホみたいな制度です。
1.各都道府県では昔から着任後定期的に講習を受けるように制度設計をしてます。文科省も国会議員には説明したんでしょうが聞く耳もたなかったんでしょね。
2.講習の実施者が大学職員。思い出してください。大学職員って研究職面も持ってて、教えるのもんのすごくヘタな人も少なからずいましたよね。講習の実態は悲惨なものでした。実は私も免許更新講習を担当してたことがあったんですが、ワークショップ化して好評でしたよ(笑)。
いい人材を集めたり質を高めるには、給与を上げることと、待遇向上させればいいんです。そのことは教員給与の低いアメリカと、フィンランドの質の高さを見れば一目瞭然。何度も書いてますが、日本の教育費にかける割合は先進国中最低レベルです。国はやるべき改善をデータに基づいてやるべきです。
4/29チェアリング
4/29チェアリングに山本さんが参加。
雨ならば、橋の下が濡れませんのでそこでやりましょう。雨天結構です。これで県が定める4人までの飲食制限満席になりました。慎重な人数制限です。この時期を考慮いただき、突然のご参加はお控えくださいますようお願いします。
→ 雨天により中止。
雨ならば、橋の下が濡れませんのでそこでやりましょう。雨天結構です。これで県が定める4人までの飲食制限満席になりました。慎重な人数制限です。この時期を考慮いただき、突然のご参加はお控えくださいますようお願いします。
→ 雨天により中止。
ロシア映画
ロシア平原での奴隷狩りで輸出
以下、川口マーン惠美氏の書籍から。
奴隷といえば、アフリカ大陸からアメリカに連れて行かれた奴隷ばかりが有名だが、西洋がアラブに輸出した白人奴隷は、現在通用している世界史から跡形もなく削除されている。
「しかし真実は、奴隷はヨーロッパのオリエントへの主要な輸出商品の一つだった。なぜならば、ヨーロッパは奴隷以外に商品価値を持ったものは何も提供できなかったからである」と、松原氏は確信を持っていう。
ウヤムヤにできた理由は、おそらく、ヨーロッパ人奴隷の特徴が、アラブ人やペルシャ人と混血してしまうと薄まって、二代も経てばはとんどわからなくなってしまったからではないか。
その点、アフリカ人の肌の色は、混血しても長いあいだ克明に残るし、あまりにも違いがはっきりしていたため、白人のほうが躊躇し、混血の勢いも鈍かったのだと思う。
さて、引き続き引用。「『奴隷(スレイブ)』は、語源的に『スラブ人』と同じである。大掛かりな奴隷狩りが行なわれた。ポーランドからボルガ河畔に沿ってウラル山脈にいたるロシアの平原で、ヨーロッパの奴隷狩り専門家たちによって、スラブ人の男女が捕らえられたのである」。
スラブ人とは、スラブ系の言葉を話している人ということで、もともと言語学的な分類であったが、それによれば、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、それからスロバキア人、チェコ人、ポーランド人、クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人なども、みなスラブ系となる。
ナチが政権を握るずっと前より、スラブは野蛮で遅れている民族と見倣されていた。
出典:『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』川口マーン惠美
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000201926
奴隷といえば、アフリカ大陸からアメリカに連れて行かれた奴隷ばかりが有名だが、西洋がアラブに輸出した白人奴隷は、現在通用している世界史から跡形もなく削除されている。
「しかし真実は、奴隷はヨーロッパのオリエントへの主要な輸出商品の一つだった。なぜならば、ヨーロッパは奴隷以外に商品価値を持ったものは何も提供できなかったからである」と、松原氏は確信を持っていう。
ウヤムヤにできた理由は、おそらく、ヨーロッパ人奴隷の特徴が、アラブ人やペルシャ人と混血してしまうと薄まって、二代も経てばはとんどわからなくなってしまったからではないか。
その点、アフリカ人の肌の色は、混血しても長いあいだ克明に残るし、あまりにも違いがはっきりしていたため、白人のほうが躊躇し、混血の勢いも鈍かったのだと思う。
さて、引き続き引用。「『奴隷(スレイブ)』は、語源的に『スラブ人』と同じである。大掛かりな奴隷狩りが行なわれた。ポーランドからボルガ河畔に沿ってウラル山脈にいたるロシアの平原で、ヨーロッパの奴隷狩り専門家たちによって、スラブ人の男女が捕らえられたのである」。
スラブ人とは、スラブ系の言葉を話している人ということで、もともと言語学的な分類であったが、それによれば、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、それからスロバキア人、チェコ人、ポーランド人、クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人なども、みなスラブ系となる。
ナチが政権を握るずっと前より、スラブは野蛮で遅れている民族と見倣されていた。
出典:『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』川口マーン惠美
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000201926
さようなら柳生博さん
八ヶ岳倶楽部の森づくりで知られた柳生博さん(85)死去。里山づくりで多大な影響を受けました。ご冥福をお祈りいたします。
われらが里山
https://site-matsuwo.com/mysatoyama.html
われらが里山
https://site-matsuwo.com/mysatoyama.html
4/29チェアリング
はい、現在しんじのじさん、じだらくさんのご参加。うれしいです。今年のゴールデンウィークはこの日以外雨だそうです(笑)。楽しみましょう。
場所 長崎水辺の森公園
日時 4月29日12時から
持参品 イス、あればテーブル、自分が飲むお酒等飲み物、つまみ。
場所 長崎水辺の森公園
日時 4月29日12時から
持参品 イス、あればテーブル、自分が飲むお酒等飲み物、つまみ。
ココロねっこ運動
表に久々に書きました。この頃は担当部署の熱がなくって、県内にまた大きな事件が起きないかなと心配しています。
長崎県はバツグンに安全
https://site-matsuwo.com/archives/2022_01/#2022_01_04
長崎県はバツグンに安全
https://site-matsuwo.com/archives/2022_01/#2022_01_04
エマニュエル・トッドのインタビュー記事
ロシアのウクライナ侵攻についてのエマニュエル・トッドのインタビュー記事が文藝春秋に載っていました。
彼の見解は、ここで議論されてきた内容や視点にかなり合致するもの。ウクライナは歴史的・地政学的に大変危うい地であること。欧州の「ロシア嫌い」が米国&欧州の挑発的行動にエスカレートし、ロシアが侵攻せざるを得ない状況に追い込まれたとも考えられること。ミアシャイマー先生の動画にも触れ、大筋で肯定しつつも、米国は兵こそ出していないが既に第3次世界大戦に足を踏み入れていると考えること、またこの戦いで敗れて国内システムが窮地に陥るのは米国の方であろうと予言。要約が雑すぎて全容をお伝え出来ていないことが恐縮ですが、示唆に富んだ内容でした。そして彼は、仏国内では感情論で自分の意見はまともに受け入れられない可能性が高いから、冷静で中立的である日本のインタビューには応じたとのことでした(彼の日本好きは有名)。
題名は「日本核武装のすすめ」とやたらにパンチが効いたものでしたが、それはあくまでも日本が地政学的にアジアの中で真の独立を保つための一つの策として最後に少し述べてあるだけ。煽るような恣意的な日本語の題名付けには少々失望しました。
エマニュエル・トッド 文藝春秋特選記事から
https://news.yahoo.co.jp/articles/173fd4c981ef8c385fa47dbf3fb3bb48972a8f7d
エマニュエル・トッド - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89
彼の見解は、ここで議論されてきた内容や視点にかなり合致するもの。ウクライナは歴史的・地政学的に大変危うい地であること。欧州の「ロシア嫌い」が米国&欧州の挑発的行動にエスカレートし、ロシアが侵攻せざるを得ない状況に追い込まれたとも考えられること。ミアシャイマー先生の動画にも触れ、大筋で肯定しつつも、米国は兵こそ出していないが既に第3次世界大戦に足を踏み入れていると考えること、またこの戦いで敗れて国内システムが窮地に陥るのは米国の方であろうと予言。要約が雑すぎて全容をお伝え出来ていないことが恐縮ですが、示唆に富んだ内容でした。そして彼は、仏国内では感情論で自分の意見はまともに受け入れられない可能性が高いから、冷静で中立的である日本のインタビューには応じたとのことでした(彼の日本好きは有名)。
題名は「日本核武装のすすめ」とやたらにパンチが効いたものでしたが、それはあくまでも日本が地政学的にアジアの中で真の独立を保つための一つの策として最後に少し述べてあるだけ。煽るような恣意的な日本語の題名付けには少々失望しました。
エマニュエル・トッド 文藝春秋特選記事から
https://news.yahoo.co.jp/articles/173fd4c981ef8c385fa47dbf3fb3bb48972a8f7d
エマニュエル・トッド - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89
故郷
今更マルクス エンゲルスの復習でもあるまいと言われそうですが(笑)
彼らがプロイセン王国(ドイツ)の出身であることや またこのプロイセンの語源ともなった東部のプルーセンがプロシア公国となってロシア国の基となることなど 軽視されがちな話を少し…
そのプロイセン王国を離脱し無国籍者となってイギリスへ渡ったマルクスが 古くからの友であったエンゲルスと絆を強めるのがパリであったことなど周知の通りですが なによりも両者が共にユダヤ人であったことは忘れられてはならない歴史の重要事であったろうと思われます
パリ・コミューンを魁とするフランス革命 さらにはロシア革命など 西欧諸国ではユダヤ革命として捉えられており実際にそのように記す教科書なども存在するようで 事実 後を追うように立ったトロッキーもレーニンもユダヤの人でありました つまり理論的に対立するかに見える共産主義と資本主義は 実は自由と民主の名のもとに手を握り合えるはずの同根のユダヤ思想に育つ双樹幻想であったことになります
コミューン ボーダーレス グローバル これらの語はまさしく共産主義が理想とする世界の別名であると同時に資本主義自由経済社会が望む無国籍世界「超国家」の別名なのです 国連や国連が手がけるあらゆる部門の発起人ならびに出資者 さらにはその運営の重要な人材の悉くにユダヤ人の名が連ねられていることは よくご存じの事と思います
勿論ここでユダヤ陰謀論を語るつもりは更々ありません(笑)
むしろユダヤの人々が果敢に挑み続けた「シン帝国」超国家の夢の瓦解する世紀の幻影をウクライナ報道に重ねては感極まるばかりです
国境など明確ではなかった時代のドイツ ポーランド ウクライナ ロシアに跨るプロイセンの地こそまさにマルクスとエンゲルスの故郷だったのです
彼らがプロイセン王国(ドイツ)の出身であることや またこのプロイセンの語源ともなった東部のプルーセンがプロシア公国となってロシア国の基となることなど 軽視されがちな話を少し…
そのプロイセン王国を離脱し無国籍者となってイギリスへ渡ったマルクスが 古くからの友であったエンゲルスと絆を強めるのがパリであったことなど周知の通りですが なによりも両者が共にユダヤ人であったことは忘れられてはならない歴史の重要事であったろうと思われます
パリ・コミューンを魁とするフランス革命 さらにはロシア革命など 西欧諸国ではユダヤ革命として捉えられており実際にそのように記す教科書なども存在するようで 事実 後を追うように立ったトロッキーもレーニンもユダヤの人でありました つまり理論的に対立するかに見える共産主義と資本主義は 実は自由と民主の名のもとに手を握り合えるはずの同根のユダヤ思想に育つ双樹幻想であったことになります
コミューン ボーダーレス グローバル これらの語はまさしく共産主義が理想とする世界の別名であると同時に資本主義自由経済社会が望む無国籍世界「超国家」の別名なのです 国連や国連が手がけるあらゆる部門の発起人ならびに出資者 さらにはその運営の重要な人材の悉くにユダヤ人の名が連ねられていることは よくご存じの事と思います
勿論ここでユダヤ陰謀論を語るつもりは更々ありません(笑)
むしろユダヤの人々が果敢に挑み続けた「シン帝国」超国家の夢の瓦解する世紀の幻影をウクライナ報道に重ねては感極まるばかりです
国境など明確ではなかった時代のドイツ ポーランド ウクライナ ロシアに跨るプロイセンの地こそまさにマルクスとエンゲルスの故郷だったのです
Re:[113]
捨老さん、フォローありがとうございます。私も書きつつ気になっていた点でありました。ユダヤ人という語彙を侮蔑の意味で使用してはおりませんことはご理解のとおりで、ノーベル賞受賞数をみるまでもなく優秀な実績を上げています。
また欧州共通教科書は有名ですね。
また欧州共通教科書は有名ですね。
歴史
日本では歴史を日本史と世界史に分けて学ばせる伝統がありますが 世界において殊に欧米にあっては歴史は自国史も世界史の一端として学ばれており 日本的歴史教育は稀有な事のようで 勿論欧米では近代と現代を分けるようなこともなく現代史一括りとなるようです
その現代史が世界において大いに読み直され始めていることはご承知の通りですが
その重大な要因がソ連の解体と封印されていた資料の開示に連携する欧米の情報史(機密情報史)の開示 これに伴うユダヤ史の統合的な読み直しであろうと思われます この際注意すべきは まつをさんがご指摘のように「ユダヤ人」と言う語が決して人種を指す語ではなく「ユダヤ教徒」を指す語でありながら 日本人ユダヤ教徒を決してユダヤ人などと呼ばない事実など 大いに繊細な要素を孕んだ語であると言う事実でありましょう
最近のバイデン演説の報道で「」つきで「ジェノサイド」と言う語が繰り返される傾向にあるようですが どうやらナチの「ホロコースト」と区別さるべく意識的に使用されているもののように思われます と言うのは
近年のソ連学はレーニン時代のウクライナにおいて ナチもスターリンも顔色を失いそうな凄絶なユダヤ人ジェノサイドが行われたことを明らかにしているからです
その現代史が世界において大いに読み直され始めていることはご承知の通りですが
その重大な要因がソ連の解体と封印されていた資料の開示に連携する欧米の情報史(機密情報史)の開示 これに伴うユダヤ史の統合的な読み直しであろうと思われます この際注意すべきは まつをさんがご指摘のように「ユダヤ人」と言う語が決して人種を指す語ではなく「ユダヤ教徒」を指す語でありながら 日本人ユダヤ教徒を決してユダヤ人などと呼ばない事実など 大いに繊細な要素を孕んだ語であると言う事実でありましょう
最近のバイデン演説の報道で「」つきで「ジェノサイド」と言う語が繰り返される傾向にあるようですが どうやらナチの「ホロコースト」と区別さるべく意識的に使用されているもののように思われます と言うのは
近年のソ連学はレーニン時代のウクライナにおいて ナチもスターリンも顔色を失いそうな凄絶なユダヤ人ジェノサイドが行われたことを明らかにしているからです
Re:[111]
> 「ユダヤ人の王ナザレスのイエス」
これはINRIかな。イエス・キリストの磔刑の際に十字架の上に掲げられた罪状書き、ラテン語でIESVS NAZARENVS REX IVDAEORVMの頭字語。日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されます。詳しくはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/INRI
これはINRIかな。イエス・キリストの磔刑の際に十字架の上に掲げられた罪状書き、ラテン語でIESVS NAZARENVS REX IVDAEORVMの頭字語。日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されます。詳しくはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/INRI
島原の乱も
1637年の島原の乱
天草切支丹記念館所蔵の天草四郎陣中旗、1637年。山田右衛門作には「ユダヤ人の王ナザレスのイエス」という意味の文が折り込まれている。
天草切支丹記念館所蔵の天草四郎陣中旗、1637年。山田右衛門作には「ユダヤ人の王ナザレスのイエス」という意味の文が折り込まれている。
ロシア人とハザール系ユダヤ人の戦い
捨老さんが暗喩されていることの解説です。
【基礎基本】
今日のユダヤ社会の二大勢力は、アシュケナジムとセファルディムである。アシュケナジムとはドイツ語圏や東欧諸国などのユダヤ人。セファルディムとはスペイン系ユダヤ人。
出典:Wikipedia
【ロシア-ユダヤ闘争史】
~ロシア人とハザール系ユダヤ人の戦い~
旧ソ連駐日ソ連大使館外交官 アレキサンドル・イワノフ氏による
出典 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
第1章:ハザール王国 vs ロシア帝国
■8~9世紀、ロシア人はハザール王国と戦った。
ハザール王国は7世紀にでき、現在のウクライナ領土と大まかに被る。
8世紀、ビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けたハザール民族は、王から奴隷にいたるまで国を挙げてユダヤ教に改宗した。彼らはユダヤ人と名乗った。
8世紀から9世紀にかけて、ロシア人とハザール王国は数回にわたって戦争をしたが、965年、ロシア人がハザール王国を占領した。
13世紀、モンゴルがハザール王国を滅亡させた。彼らの多くがロシア領内に逃げ込んだ。ロシアはハザール系ユダヤ人を弾圧した。
■ポーランド分割でロシアへ入ったハザール系ユダヤ人
18世紀、ロシアはポーランド領の一部を領土とした。ポーランドにはハザール系ユダヤ人たちが国家内国家を形成していた。こうしてロシアはハザール系ユダヤ人を取り込み、ロシアに再びユダヤ問題が生じるようになった。彼らはロシア人がハザール王国を崩壊させたことへの復讐心がある。
第2章:「ロシア革命」は「ユダヤ革命」だった
■日露戦争を画策したハザール系ユダヤの狙い
日露戦争はユダヤ人の画策により2つの国が衝突した戦争である。ロシアの敗北が狙いであった。
■ユダヤ人が担ったロシア10月革命
10月革命は、アメリカとドイツの金によって、トロツキー、レーニンなどのユダヤ系の人々による革命であった。
■ユダヤ人の間の激烈な闘争 ─ 欧米からやって来た革命家 vs ロシアにいたシオニスト
共産主義者、革命家たちはユダヤ教を信奉しなかった。シオニストたちは信仰を持っていた。革命後アメリカやドイツからやって来た共産主義者のユダヤ人たちと、ロシアにいたユダヤ教徒との間に激烈な闘争が起こった。この闘争によりレーニン・トロツキー一派はほとんど消えてしまった。
以後は各自出典サイトをお読みください。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
「アシュケナジム・ハザール起源説」についてはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB#%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B1%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
【基礎基本】
今日のユダヤ社会の二大勢力は、アシュケナジムとセファルディムである。アシュケナジムとはドイツ語圏や東欧諸国などのユダヤ人。セファルディムとはスペイン系ユダヤ人。
出典:Wikipedia
【ロシア-ユダヤ闘争史】
~ロシア人とハザール系ユダヤ人の戦い~
旧ソ連駐日ソ連大使館外交官 アレキサンドル・イワノフ氏による
出典 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
第1章:ハザール王国 vs ロシア帝国
■8~9世紀、ロシア人はハザール王国と戦った。
ハザール王国は7世紀にでき、現在のウクライナ領土と大まかに被る。
8世紀、ビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けたハザール民族は、王から奴隷にいたるまで国を挙げてユダヤ教に改宗した。彼らはユダヤ人と名乗った。
8世紀から9世紀にかけて、ロシア人とハザール王国は数回にわたって戦争をしたが、965年、ロシア人がハザール王国を占領した。
13世紀、モンゴルがハザール王国を滅亡させた。彼らの多くがロシア領内に逃げ込んだ。ロシアはハザール系ユダヤ人を弾圧した。
■ポーランド分割でロシアへ入ったハザール系ユダヤ人
18世紀、ロシアはポーランド領の一部を領土とした。ポーランドにはハザール系ユダヤ人たちが国家内国家を形成していた。こうしてロシアはハザール系ユダヤ人を取り込み、ロシアに再びユダヤ問題が生じるようになった。彼らはロシア人がハザール王国を崩壊させたことへの復讐心がある。
第2章:「ロシア革命」は「ユダヤ革命」だった
■日露戦争を画策したハザール系ユダヤの狙い
日露戦争はユダヤ人の画策により2つの国が衝突した戦争である。ロシアの敗北が狙いであった。
■ユダヤ人が担ったロシア10月革命
10月革命は、アメリカとドイツの金によって、トロツキー、レーニンなどのユダヤ系の人々による革命であった。
■ユダヤ人の間の激烈な闘争 ─ 欧米からやって来た革命家 vs ロシアにいたシオニスト
共産主義者、革命家たちはユダヤ教を信奉しなかった。シオニストたちは信仰を持っていた。革命後アメリカやドイツからやって来た共産主義者のユダヤ人たちと、ロシアにいたユダヤ教徒との間に激烈な闘争が起こった。この闘争によりレーニン・トロツキー一派はほとんど消えてしまった。
以後は各自出典サイトをお読みください。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
「アシュケナジム・ハザール起源説」についてはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB#%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B1%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
金麦畑
キタノさん仰せのとおりです(^^)v
コルホーズやソホーズの徹底によって この地の拡大した農地が美化されるようになるのは 勿論遊牧民排除の後のことになりますが
コルホーズやソホーズの徹底によって この地の拡大した農地が美化されるようになるのは 勿論遊牧民排除の後のことになりますが
青と黄色
ウクライナ旗に象徴される青空の下の黄色は 広大なひまわり畑を示したもので ソフィアローレンの映画「ひまわり」で知られたようにロシア人にとっての紛れもない鎮魂の地でありルースキー・ミールの聖地なのである だが同様にポーランド東部から黒海に至るヨーロッパの果ての広大な空き地はシオニストのメッカの如きアナーキーな土地ともなっていたのであり 戦後は周辺小国からの難民(主として経済難民)移住の地と化していったようだが 皮肉にもこのたびは史上最大のアナーキー世界=インターネットと結託したようだ(笑)
バデーニ言語令
奇しくも4月15日(1897)
オーストリア(ハンガリー帝国)のボヘミア地方においてドイツ語に並び チェコ語も公用語と定めた政令が発布された
そもそも平地であれば 牧羊民に国境など無意味であった
オーストリア(ハンガリー帝国)のボヘミア地方においてドイツ語に並び チェコ語も公用語と定めた政令が発布された
そもそも平地であれば 牧羊民に国境など無意味であった
地続き
アメリカに居た頃、南部の田舎を案内してもらっていたら何か道路に杭があり同行者(日本人)にこれ何ですかと聞くと、「これからさきはメキシコです」と云った。散人はしばし瞠目した。それからそろっと片足をメキシコ側に入れて国境を越えた気分になった。日本では絶対味あえない気分だった。国境を接していると何かと揉め事も多いだろうと思う。特に欧州は国境が入り乱れていて揉め事の歴史だった。
日本人には想像外のことが多い。
日本人には想像外のことが多い。
戦争を体感したことのないアメリカ女性達
アメリカがこれほどしばしば政策に軍事を用いるのは、近年自らの国土で戦火が上がったことがないからではないかと思うことがあります。
アメリカ女性たちは戦争を体感したことがない。だから男たちを止めない。マッチョが好きで、暴力的映画を多作する状況を恥じない。
アメリカ女性たちは戦争を体感したことがない。だから男たちを止めない。マッチョが好きで、暴力的映画を多作する状況を恥じない。
戦争したがる男達
キュウバ危機は1962年散人14歳の中学生。母に「戦争なるぞ」というと、「いやだね、男たちは戦争したがって」と云った。そうなのかもしれない。本気で女性首相を日本でもたてようではないか。
と思うけど、浮かぶ顔はみなケンカ好きに思える。怖い。
と思うけど、浮かぶ顔はみなケンカ好きに思える。怖い。
ドンバス2016
https://www.youtube.com/watch?v=ln8goeR5Rs4
フランス人取材の体裁だが、ロシアのプロガンダとも思える。だが、冒頭のポロセンコの演説には身震いした。
ドンバス戦争 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%B9%E6%88%A6%E4%BA%89
フランス人取材の体裁だが、ロシアのプロガンダとも思える。だが、冒頭のポロセンコの演説には身震いした。
ドンバス戦争 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%B9%E6%88%A6%E4%BA%89
カナシゲな昼餐
一杯のため、料理のためにどこまで行くか?痛い思い出があります。
シーカヤックのハッチにサイズ違いで新しく揃えたダッチオーブンを積んで意気揚々と佐世保パールシーから出艇したのは、シーカヤックがとっても盛んだった約15年前。普段ならキャンプツーリングなどしようと声をかけたら強者たちが続々と集まり、夜は焚き火を囲んで痛快な野営が延々と続くような、今考えたら夢のような時代の話です。
九十九島沖、西へと1時間ほど島々の間を縫って漕ぐと金重島。その日はたしか晩春の土曜日で暑くもなく寒くもなく、午後から少し曇り気味になるとの予報でしたがそれならむしろ漕ぐのには好都合。涼風と波しぶきを浴びながらアーチ状に連なる綺麗な白砂のビーチに上陸した頃は薄曇りで快適そのもの。気持ちも高揚しておりました。一昨日、仲間がよく見るネットの掲示板に「ダッチオーブンでフライドチキンをたくさん揚げます、サクサクで骨まで火が通って旨いですよ」と書いておいたからワンサカ仲間が漕ぎ渡って来るだろう・・・。
早朝から大量の味付け肉を仕込んで、イザ上陸まではよかった。キャンピングストーブを点火し、分厚い鉄鍋も十分に温まってきた。さあ、今から何キロ揚げようか?と、勢い込んで肉を油に次々と投入すれど、島に漕ぎつく勇者はなし。それどころか一転にわかに掻き曇り、徐々に空は雨模様・・・。
幸い、雨が本降りにならぬうちに用意したすべての肉を揚げる事は出来ましたが(帰りに腐らせないで済む)、大量のフライドチキンと共に大雨にならぬうちにあと5キロほど東に漕ぎ戻らねばなりません。
ヤケになって腹一杯の肉を喰らい、ビショビショになりながら帰還したのでした。今思い出しても自分の間抜けさに笑えてきます。
シーカヤックのハッチにサイズ違いで新しく揃えたダッチオーブンを積んで意気揚々と佐世保パールシーから出艇したのは、シーカヤックがとっても盛んだった約15年前。普段ならキャンプツーリングなどしようと声をかけたら強者たちが続々と集まり、夜は焚き火を囲んで痛快な野営が延々と続くような、今考えたら夢のような時代の話です。
九十九島沖、西へと1時間ほど島々の間を縫って漕ぐと金重島。その日はたしか晩春の土曜日で暑くもなく寒くもなく、午後から少し曇り気味になるとの予報でしたがそれならむしろ漕ぐのには好都合。涼風と波しぶきを浴びながらアーチ状に連なる綺麗な白砂のビーチに上陸した頃は薄曇りで快適そのもの。気持ちも高揚しておりました。一昨日、仲間がよく見るネットの掲示板に「ダッチオーブンでフライドチキンをたくさん揚げます、サクサクで骨まで火が通って旨いですよ」と書いておいたからワンサカ仲間が漕ぎ渡って来るだろう・・・。
早朝から大量の味付け肉を仕込んで、イザ上陸まではよかった。キャンピングストーブを点火し、分厚い鉄鍋も十分に温まってきた。さあ、今から何キロ揚げようか?と、勢い込んで肉を油に次々と投入すれど、島に漕ぎつく勇者はなし。それどころか一転にわかに掻き曇り、徐々に空は雨模様・・・。
幸い、雨が本降りにならぬうちに用意したすべての肉を揚げる事は出来ましたが(帰りに腐らせないで済む)、大量のフライドチキンと共に大雨にならぬうちにあと5キロほど東に漕ぎ戻らねばなりません。
ヤケになって腹一杯の肉を喰らい、ビショビショになりながら帰還したのでした。今思い出しても自分の間抜けさに笑えてきます。