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S i t e ま つ を


昔走った稜線



 富田俊伍。完璧な男の名前だ。君も憶えておくといい。彼は『人間百科事典』を売り歩いていた。そして彼は迷わなかった。十五年ほど前の話になる。

 ある日,キャンパスから帰り僕の部屋のドアを開けると,そこに僕の半纏を着込んで,僕の炬燵に座り,僕のミカンを食べている見知らぬ男がいた。これが富田との出会いだ。彼はラガー特有の広い肩の上に,猫の目を乗せていた。なんでも二階にある彼の知人の部屋と,一階の僕の部屋を間違えたらしい。しかし,まあ,どうでもいい。大切なことは,そういうわけで僕にはその日から友人が一人増えたということだ。
 その頃大学は今ほどブランド・グッズに染まらず,その分だけ清々しさと痛々しさが残っていた。キャンパスの芝生もまだチェーンで包囲されておらず,学生運動家たちはまだ僕たちの手の届く距離にいた。学生食堂の百二十円のカレーライスをみんなうまそうに頬張り,そして『戦艦ポチョムキン』が三か月に一度は自主上映映画で取り上げられていた。別にむずかしい時代じゃなかったけれど,徒党を組める時代でもなかった。
 僕たちは十八で,充分に中途半端な自分たちの歳を持て余していた。
 富田は僕の部屋にやってくると,きまってベートーベンのピアノ・ソナタを聴いて楽しんだ。「レコードってやつは」と彼は言った。「小市民の人生に似てる。広がりがあるようで,実はか細い一本の線だ。傷つきやすく,そしてよくぶつぶつ言う」
 まあ,そんなところだったと思う。ラグビーの試合で折った前歯の間から,彼はそんな台詞をスラリと吐いた。彼は,ことのほか丁重にそのレコードを扱い,僕もいつの間にか,息を殺して取り扱うようになった。レコードは毎回,完璧な鳴り方をした。
 ベートーベンを流し,パーコレーターをかけ,ミカンを食べ,そのうちに部屋中にコーヒーの香りが漂いはじめるのを,辛抱強く待つ。それが,礼儀作法であるかのようにワンセットになって繰り返される僕たちの夕時だった。
 絵で食っていくには,号いくらぐらいになればいいんだろう,と僕が言い,世界を駆け歩くには,いくらぐらいあればいいのかな,と彼が言った。
 富田の半纏が僕の部屋に下がりっ放しになる。二人肩組んでゲロを吐く。ふと気付くと,「違うんじゃないかな」といった顔をした冬の終りはそこまで来ていた。「少なくとも半径百メートルの世界に留まっていちゃいけない」というのが盛り上がった二人の合意点だったけれど,神のルーレット場もスッちまう奴が大勢いて,どうにかやっていける。そういうものだ。
 彼は家捜しをした。環境を変えるという。孟子の猛母に倣うには,遅きに失する決断だ。不動産屋を訪ねると,店の前で男と女が暖め合うように寄り添って,張り出された物件に目を通している。明らかに学生だ。富田は舌打ちし,僕は道路に唾を吐いた。
 もう一度言う。僕たちは「何かをしたがって」いた。
 そして僕たちはバイクをそれぞれに買うこととなる。人生を疾走したいと僕が言い,女の乳房を背中に感じたいと富田が言った。
「軟弱」
「そうじゃない。人生は立ち向かえば,冬だ。まず湯タンポがいる」
「変わったな」
「人間,進歩が大切さ」

 世の中には,誰もが身に付けているパンツのゴムみたいに当たり前な観念というか,そういうものがある。僕が今話しているのは,そのパンツのゴムだ。そういった類の事はあまり話さなくっていいんじゃないかと思う。まあ大学生活のはじめってのは,そのパンツのゴムがゴチャゴチャに絡まり合うもんなのだろう。早く話を進めたい。

 霧のハイウェイを走った事があるだろうか。銭湯が締っている夜は,阿蘇の露天風呂へバイクを飛ばしたものだ。そんなある夜,淡いガスが漂い始め,たちまちのうちに僕たちは霧のただ中に漬かった。ついてない。霧は,走っても走っても果てることのない白い壁のように,僕たちを包囲し続けた。
 これじゃあ今の僕たちみたいなもんだ。先が見えずに,疾走など出来る訳がない。減速しようとしたその時,背後から猛烈な勢いで富田が抜き去っていった。頼りはわずかに見取れるセンターラインとガードレールだけだ。くそっ,奴め。シフトダウンし,アクセルを全開する。唇まで震えた。急カーブを曲がり切ると,滲んだ赤いテールランプが確認され,そしてすぐに消え去る。霧の中,百キロで飛ばす。二つ目のカーブで被せ,奴を後目とする事に成功した。僕は親指で下を指す。次の瞬間,全身が凍った。真近にガードレールが照らし出されている。急速にハングオン! 路面が鼻面にあった。膝を擦りながら550が唸る。死がそこに口を開けている。やっとの思いで態勢を立て直し減速する。ほっと息をつこうとした時,凄まじいエンジン音が襲った。なんと奴は,僕の左肘とガードレールを掠りながら,走り去っていったのだ。
 アクセルを戻し,シフトダウンを繰り返して,僕はバイクを止めた。もう赤いテールランプは見えなかった。富田のエンジン音が遠くに消え入ると,そこには静寂さが残された。それは夢の墓場のような静けさだった。ヘルメットと濡れたグラブを外す。感覚の無くなった指で煙草を抓み,霧とともに深く吸う。そして(これを話すには,かなり抵抗があったのだけれど)もう一度全身が激しく震えた。
 露天風呂に着くと,水銀灯の薄暗い光の中で,富田は湯に浸かりながらランボーを読んでいた。
「よう,遅かったじゃないか」と彼は言った。
「紹介するよ。青柳さんだ」
 岩影の湯舟に目をやると,そこに若い女がいた。

 幸運な事に,僕には妹が一人いる。彼女はこの六月,あっさり僕を追い越してお嫁に行く。これまで僕は親戚一同から,「キャップ」と言われてきた。この言葉には,二つの意味が込められている。一つは,僕がいとこ集団の中で,最も年上であること。もう一つは,結婚しない僕が,あとの連中をつかえさせていること。つまり,マヨネーズ容器の先につく赤いキャップ。そう考えていい。
「おにいちゃんは」と彼女は言う。「絵や音楽なんかの話は,お見合いの席でやっちゃ駄目よ。リズムっていうものがあるわ。まずおにいちゃんも,ギターコードが三つしか弾けずに歌ってたこともあったって,分かってもらうことが大切よ」
 彼女は時々いいことを言う。
 そして今話していた色々な出来事は,「ギターコードが三つしか弾けずに歌っていた」頃に起こった。

 富田がバイクの事故で入院していると聞いたのは,ずいぶん経ってからのことだった。
「よう,テントウ虫」
「言うな。落ち込んでいる」
 見舞いに行くと,右足をギブスに包まれて彼は浮かぬ顔をしていた。
「バイクは大丈夫か?」
「……ふられた」
「なるほど」
「分かるか?」
「分かる」僕は手土産のカッパ・ブックス『恋愛必勝法』を彼の枕元に置いた。
「僕の田舎じゃ,そういうのを人と運が将棋をさすって言う。人がさす。運がさす。そして時々魔がさす」
「嘘だろう?」
「今,僕が作った」
「いい頭だ」
「だろう?」
「なぜこの大学に来た?」
「高校三年の時だけ,突然馬鹿になった」
 なあ,と彼は言った。「俺の考えている事が分かるか?」
「僕は新興宗教には凝ってないし,お前のおふくろでもないさ」
「個は外界を食らって,拡張する」
「ランボーか?」
「いや富田だ」
 こういった生活はやめだ,と彼は言った。
 僕はゆっくりと頷いた。
 病院を出ると,数え切れない人々が,せわしなく歩き回っていた。そうした道行く人は,全然気付いていないようだった。僕はその日,雲がものすごく早く流れていることを知っていた。病院の上では,一羽の小汚い鳥が,風に逆らい懸命に羽ばたいているのだった。
 その日の夜,熊本は破れた風船から弾け出たような大雨に見舞われ,人々は右往左往し,翌日南ベトナムのダナンが陥落した。

 そして富田は,消えた。
 二回生の春のことだった。

 その頃,僕の身辺も段々と騒がしくなってきていた。黒髪と水前寺にあった僕の部屋は,コーヒーではなくペインティング・オイルの匂いで満ちた。小作品を描いてきた黒髪の部屋。その机の上には,美学と哲学の書物が山積みされた。別に気取る訳じゃない。人は時々そういった類の書物と付き合う羽目になる迷路に入るという,それだけの話だ。その年の夏の終わり,僕は絵で少しばかりの小遣いが稼げるようになっていた。
 富田という名前が思い出として語り出され始めようというその矢先,再び彼は現れた。
「よーう」と彼は言った。三回生半ばのことだ。
「よーう」と僕は驚きの声をあげた。というのも,戸口から溢れんばかりの笑顔を送る彼は,スーツを着込んでいたのだ。その頃僕たちの生活の中でスーツに縁があるのは,入学式か卒業式,それとも少しばかり歳を食った友人の結婚式あるいは葬儀の席と相場は決まっていた。僕は次にやって来る事態が,不吉なものでないことを祈った。富田は全十巻余りの百科事典をセールスしてまわっていると言った。それが『人間百科事典』だった。『人間百科事典』。実に興味深く,かつ僕が手の出る代物じゃない,そんなことが一発で分かる書名だ。そして,そう彼に告げた。
 彼は,僕に売り付ける気などさらさらないこと,アジア横断の自転車一人旅を計画していること,そのために,このアルバイトに専念していること,大学には休学届けを提出していること,二十キロ離れた玉名から熊本まで毎日自転車で通勤していること,なおかつ夜な夜な英会話のテープを聞き続けていること,もう一つおまけに夢は英語でみるようになり,うんざりしていることを僕にまくし立てた後,こう付け加えた。「どうだい,ついでにこの事典買ってみないかい?」「金がない」「ローンがある」「読む暇もないし,もったいない」
「わかった」
「どうして自転車で行く?」
「俺が走る。十分走る,一時間走る,半日走る。そして振り返る。稜線に道が消えている。これだ」
「けれど,その旅のコースは止めた方がいい」
 僕は進言した。
「どうして?」
「経路にアフガニスタンがある。アフガニスタンにはアフガンハウンドと山賊みたいなやつらがいる。アフガンハウンドはレース犬でめっぽう早いし,山賊はそうした犬をよく飼っている。だから自転車で走る外国人は一発だ」
「なるほど」
 その日だけだった。猫の目をした男は,猫のようにさっぱりと訪ね来ることを忘れてしまう。

 僕はとある団体から招待を受け,出展のため三つの大作に挑んでいた。
 一つが,彼方の稜線に並ぶ黒い木々の絵。
 一つが,黒い木々へ向けて,天空からシャワーのように,色彩の線が降り注いでいる絵。
 そしてあと一つが,大きな頭を持つ二人の男の絵だ。
 一番目の作品は,ここに筆を置けと僕に呼びかけ続けた。その声に従って描き進めると,最後には単なるぼんやりとした平面だけが残った。キャンバスの裏を覗いてみたが,やはり何もなかった。二番目のやつは後輩に「これはバッハのフーガです」と唸らせた。筆を重ねるうちに,木々の中から幾つもの顔が現れ,そして大地に居座った。最も大きな顔は,今は亡き父のものにそっくりだった。後輩はその作品を見ても,何も言わなくなった。最後の作品の中にいた二人の男の頭は,おかしなことに,一方が縦長で,もう一方が横長となった。けれど二人とも,実に小さな口をしていた。
 その頃から,僕は夢を見ることがなくなった。これは現在にまで至っている。例外は三度だけだ。一度目の夢を見て祖父が死に,二度目の夢を見て父が死んだ。
 絵画の最大の罠に気付いた時,僕はすべての作品を燃やした。色鮮やかな数年分の夢は,天へと昇っていく灰色の煙となった。みんな,現象なんだろうか。そう思った。

 後日僕は図書館で地球儀を回してみた。黄と緑に塗り分けられたアジア。荒涼たるシルクロード。灰燼に煙る人影。富田が今臨もうとし,そして僕にはあまりに遠い外の世界。僕は軽い目暉を覚えた。ふと気付くとカウンター横の雑誌コーナーに,なんとあの『人間百科事典』があった。細かなパーツに分け,月刊として発行されていたのだ。なにか因縁めいたものを感じて僕は図書館に通い,結局そのシリーズをほぼ読み切ることになった。そして感想。人間って奴はおめでたい。だからこれだけ長くこのシリーズも続いた。

 僕が絵から手を引いて半年ほど経った頃,つまり卒業まで幾何の日数もなく,まるで勤務状況抜群の商社マンのように忙しなく互いの交流を深め合っている最中,のほほんと彼は出現した。
「おい,アメリカ大陸横断を,自転車でやってきたぞ」と彼は言った。
 カナダを東海岸から西海岸へ,そして南下しエクアドルまで。実にタフだ。
「どこが一番良かった?」
「中南米。果物はうまい。旅館は安い。そして日本人はもてる」
「本当に?」
「ああ。でも荒れ地を一人自転車で走っていると,コンドルが頭上を飛ぶ。餓死さえせずに町へ辿り着けばパラダイスがある」
「アフガンハウンドじゃなくて良かった」
「そのとおり」
 キャンパスにも,ブランドを着こなした下級生がちらほらと見られるようになり,半纏は自治生協の取り扱い商品からすでに外されていた。学生食堂の喫茶部はぴかぴかのカフェテリア方式に変わり,カレーライスが百五十円をこえ,新聞を取らぬことが恥ずかしいことではなくなり,教授が「共通一次のバカ共は」と嘆き,そして華やかに昭和化政文化が開花しようとしていた年だった。

 富田はライフマスクを作ってくれないかと切りだした。死人の顔型をとるのがデスマスク,生きていればライフマスク。いつがいい?あす。分かった。
 富田のライフマスクは,うっとりするほど巧くとれた。石膏の水加減が抜群だったのだろう。その精密さは,唇の皺一本一本が数えとれるほどのものだった。本人の強烈な意志そのものを浮き彫りにしてみせ,白い石膏はそこに悠然と存在した。凄い。
「たいしたことないさ。俺は外に向かって走った。お前は絵で内に向かって走った。たいした違いじゃない。分るだろう?」
 富田はそう謙遜した。
「もう絵はやめてるんだよ」
「どうして?」
「僕も卒業だ。外に向かって走りたいのさ」
「おごるよ」
 僕たちはベートーベンを聴いた。ピアノ・ソナタ『熱情』は,ぶつぶつ言わず完璧な鳴り方をした。

 ここでこの話は終わる。最後に,最近舞い込んだ一通の手紙のことを付け加えておこう。福岡にいる知人からのものだ。真白な封筒の中に,実に細やかな文字が並んでいた。富田が死んだらしい。
 すべては大学の芝生が,チェーンで包囲される前の話だ。

 


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    Profile まつを

    Webデザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。