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2014年12月



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世界の暖房事情


家庭における用途別世帯当たりエネルギー消費量の欧米諸国との比較


          出典:「省エネルギー計算プログラム利用者の会」

日本の暖房事情は貧しい

今回調べてみて、家屋の暖房事情は貧しいのだと改めて知りました。

先進国都市部の基本的暖房スタイルは、二重窓など断熱性の高い家屋に、セントラルヒーティングだと言います。セントラルヒーティングは建物を建てるときに基本的に配管を組み込んでおくのが一般的なようです。ですから日本のエネルギー消費は極めて少ない。暖房費を多く使っているドイツの1/5程度。

他先進国で化石燃料は使わない

石油ファンヒーターやストーブは日本独自であることを知りました。海外では販売禁止が多いらしい。なぜなら家の中で石油や灯油などの化石燃料を燃やすのが信じられない行為であり、火災の危険、酸欠、一酸化炭素中毒、揮発性物質なの排気ガスまみれになるから。欧米人は豊かな日本が未だに家の中で石油燃やしているのかと驚くといいます。ま、海外製品がお粗末という事情もあるようですが、排気を外部に出さないファンヒーターは私も喉を痛めます。

パリを含むイル・ド・フランス地域圏では、2015年1月から古い家屋にある薪を使った伝統的な暖炉の使用がいよいよ禁止。

逆に海外では冷房が一般的に普及していないようです。これは湿度の低さと関係しているのではないでしょうか。

 

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今朝6時半。

 

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出島クーヘン



先日、TVで取り上げられた長崎の新しいお土産『出島クーヘン』。ほんのりラム酒の香りで大人のスィーツ。パッケージは本のかたち。オシャレです。

1箱1080円。ボンソアールで販売。アミュプラザ内、本店(長崎市音無町6-7)、東長崎店(長崎市平間町698-1)

 

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市松模様……江戸庶民文化とポップ



トイレ床を市松模様に張り替えました。素材はクッションフロア。施工法はサイト上にたくさん載っています。最近は動画での解説が多くなってきましたので助かります。

歌舞伎役者の初代佐野川市松から

市松模様。世界的には紀元前から存在し、日本でも古墳時代から認められている柄です。市松模様と呼ばれるようになったのは、18世紀中頃、歌舞伎役者の初代佐野川市松がこの柄の袴を用い人気を博してから。

江戸庶民文化はポップで浅い

これ以後のチェック柄と、それ以前あるいは他地域のチェック柄はテイストが異なります。市松模様はポップ。まるでウォホールの作品のようにポップです。

日本の江戸庶民文化が近現代美術史に与えたインパクトは広く認知されています。それは庶民文化の大輪が開いた江戸の持つポップさの賜。誤解を恐れずにいうなら、江戸庶民文化はポップという意味合いで浅いのだと思います。歌舞伎のメイクは、人間の本質が善悪混濁することを前提に書かれる純文学等と異なり、悪役が青、正義役が赤と最初からまるで戦隊物TV番組のようにパターン化され美しいほどに浅い。そんな浅さは江戸庶民文化に遍く浸透していまして、なおかつその基盤の上に日本人特有の類まれな技が注ぎ込まれていきました。ですからこそポップさが正面に出て世界のアートシーンに強烈なインパクトを与えることができたのだと思います。

とまあ、そんなポップなテイストのトイレに変身。なお写真のブラックの部分が赤いならキュブリック・テイストになります。

それ以前は貴族・武家が文化の担い手

  • 散人さんのコメント

    ポップアートを浅薄な大衆芸術だとすると、それ以前は欧州は王侯貴族が、日本では戦国以来武士が芸術をリードしてきた。利休の唱える芸術論の「侘び寂び(わびさび)」などは表現より精神論すぎて大衆より程遠い世界。

    江戸の「華」は元禄で咲き誇った。当時江戸は人口100万人を誇り世界一。穀物農本主義が金銀胴の三貨の時代になり、北前船弁才船が縦横に走り、大型輸送が可能になり、士農工商の最下層の「けしからん階層」の商人の時代到来だ。それまで底辺に置かれていた商人はその実、巨大な資金と情報量を獲得し実質武士に肩を並べるに至った。

    渡辺京二氏らは「日本の近代化が明治維新から始まったというのは西洋かぶれした日本人の見解であって、これが生活まで浸み込んで自らを卑下する心情となった。日本の近代化は多くの点で元禄に始まった」と云う。商人文化が「まつを」の云うエドポップアートを造った。ある種の浅薄さがあるのは頷けるのである。

    お上の奢侈禁止令の下で庶民が編み出したカラー

  • 散人さんのコメント

    とは云いつつ、ポップになっていく江戸町民の文化にお上は「奢侈(しゃし)禁止令」を度々出した。

    そこで町民の知恵は本家帰りの色合いを編み出す。「四十八茶百鼠藍」である。地味な色合いの工夫を凝らした。茶は歌舞伎役者名を付けた。梅幸茶、団十郎茶など。ねずみ色は利休鼠も。白秋は「城ヶ島の雨」で「利休鼠の雨が降る」と歌ったが知らない人が多かった。それらの色合いの着物が「粋(いき)」ということになった。庶民のしたたかさがある。九鬼周造は粋とは「あかぬけていて、張りがあり、色っぽいもの」と定義した。流行歌「お富さん」に「粋な黒塀 見越しの松にぃ」とある。数々の弾圧にもめげず江戸町民はしたたかに独自の美学を追及した。

    色ものは芝居(歌舞伎)の世界。「江戸紫」はあの桃屋の佃煮「江戸むらさき」ではない。あの「ムラサキ」は醤油にかけたもの。染色の「江戸紫」はあの団十郎十八番(おはこ、ともいう)、「助六由縁江戸桜」での助六の鉢巻の色である。ではなぜ「紫」にわざわざ江戸という地名を冠したのかというと、「京鹿の子」に対抗してのである。東西の染色の技を競った。「京鹿の子」で直ぐ浮かぶのが「京鹿の子娘道成寺」である。紅花染の赤である。であるから正式には「江戸紫に京鹿の子」という。

    17Cから18Cにかけてのヨーロッパは植民地政策によってアジア諸国の文化を知ることになった。特に中国の陶磁器、工芸品、絹織物、家具、中国式庭園、などである。この流行を「シノワズリー(中国趣味)」という。それまでのバロック、ロココといった様式に対して新鮮さを求めていた人々を魅了した。日本の代表的な工芸品である漆器もシノワズリーの一部と捉えられオランダの東インド会社を介して輸出されていた。ジャポニスムよりシノワズリーが先行したのだ。

    しかし、中国はアヘン戦争で大変な状態になり欧州における中国のイメージが著しく低下した。折しも1855年第1回パリ万国博において、交易のあったオランダ展示部門に日本の産物が紹介されたのです。これは今書籍を繰りながら書いてます。書棚からホコリをポンポンと叩きながら書いているのであります。「日蘭交易史書」という本であります。開国してのち1867年に第2回パリ万国博覧会に幕府は始めて正式に参加し、薩摩藩、佐賀藩、民間が出品した。ここで日本ブームに火がついたのであります。だが幕府転覆の1868年、所謂維新になった。さてどうした?

    1878年のパリ万国博でジャポニスムの熱狂は頂点に

  • 散人さんのコメント
    1868年政権樹立した明治新政府は、アジアの端に位置しながらもアジアを捨てる決意をした。グラバー画策の「長州ファイブ」が効を奏した。曰く「脱亜入欧」である。欧州を市場とする意識甚だしく、浮世絵などを中心に日本美術工芸品を政府主導で大量に輸出した。

    1873年ウイーン万国博を経て、1878年のパリ万国博でジャポニスムの熱狂は頂点に達した。この時期、浮世絵や北斎漫画に影響された画家たちは、マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、セザンヌ、ロートレック。

    では「ジャポニスム」の何処に欧州の画家たちは目を見張ったのだろうか?

  • 捨老さんのコメント
    僭越ながら「脱亜入欧」には「アジアを捨てる」意はない

    日本の美術工芸品の特色はシンメトリーの不在

  • 散人さんのコメント

    「佳境」にって、散人一人よがりが生得の人間、過去離れていった女性の方々が同じように「貴方みたく身勝手な人なんて金輪際イヤ」と云っていた。まぁしばしお付き合いの程を。

    西洋で浮世絵を始めとする日本の美術工芸品のどこに驚き新しい発見をしたのか? 仏批評家エルネスト・シェノーは、日本の美術の特色は「シンメトリーの不在、様式、色彩」の三点であると云った。中でも非シンメトリー(非対称性)には少なからず驚いた。

    地球には(自然界)シンメトリーよりフラクタル構造のものが多い。日本美術はこの20世紀最大の発見である「フラクタル構図」を踏まえたものが多数存在する。

    自然と対立=西洋美術=左右対称、対称シンメトリー
    自然と対立せず=日本美術=非対称、アンシンメトリー
    中沢新一は日本人の「流動的知性」と云う

     

    2014_12_08

    沢田マンション

    私がどうにも苦手なものの一つに、ブランド家具を買い集めることだけを延々と書き綴っているサイトがあります。そんなサイトの管理人は結局のところ消費者。美術の世界で言えば、自分では作品をつくれない評論家と立ち位置は同じところ。私は下手くそでも片足はつくる側に足を置いておけたらなと願っていまして、昨日も中島工房にお世話になってモノづくりを楽しんでいました。

    さてDIYの興味のある人間の少なからぬ数の者が、高知にある沢田マンションを知っていることでしょう。ある夫婦が手作りで自分の一生をつぎ込んでつくっていったDIYマンション。一昨日、知人がそこに宿泊したらしいのですが、それがきっかけで昨日は改めてこのマンションについて読み直していました。

     

    2014_12_07

    選び購入する楽しみ

    家づくりの時は買いまくる

    家づくりの時ほど大量に品物を購入することは生涯で他にありません。例えば、コンセントカバーやトイレットペーパーホルダーから照明器具、漆喰の種類に至るまで自分で選んでいくときの楽しさ。私がよくやっていたのは「部材名 デザイン」と入力した検索です。コンセントカバーでもこれだけの商品があるのですよ(クリック)。自分の既知世界がいかに偏狭であるかを思い知らされます。

    それらを選定してはガンガン購入していきます。これでもかというほど買いますので、物欲が大いに満たされます。

    工務店にやってもらうと、いくつかの部材や間取りの検討はありますが限られた感じです。といいますか条件を伝え依頼した後は基本的に口出ししない方がいい。デザイナーなどの才能を最大に発揮してもらうというのはそういうことだと思っています。

    人生最高額の買い物をするときは、その過程を楽しまなくちゃ

    そんなに大量なアイテムを選定するのならば、時間がかかるじゃないかとおっしゃる方がいるでしょう。そのとおり。ニンマリと相好を崩して長いこと過ごすことができます。人生最高額の買い物をするというのに、その過程を楽しまないなど愚の骨頂です。この間、賃貸住宅に住み、現場に通っては選び購入し、つくっていきました。私の場合、半年ほどその状態で通っていたと思います。

     

    2014_12_06

    北欧デザイン史



    北欧は厳しい冬を過ごすため、住環境を重視する文化が育ちました。あの北欧デザインの世界。雪の中、暖かい室内で長い時間を過ごすには、住居空間に手を加えていくこと自体が楽しみになるのでしょう。歳をとるにしたがい私も体感しつつあるところです。厳冬烈夏は室内が一番。

    フィンランド人は昔サウナに暮らしていたと聞いたことがあります。今でこそ浴室ですが、住まいそのものであったと。寒さをしのぐために室内で焚き火をしていたことが、スモークサウナの起源であるとのこと。

    では、いつから現在につながる北欧デザインの潮流が流れ始めたのでしょう。

    イギリスのアーツ&クラフツ運動 → バウハウス → 北欧デザイン → アメリカのミッドセンチュリー

    そのためには、北欧には室内に閉じこもる時間が長いために高度に発達した伝統的手工業があったことを確認した後、話の舞台をイギリスに移す必要があります。19世紀イギリスでは産業革命による粗悪品への反感から、生活と芸術を一致させようとするアーツ&クラフツ運動がはじまりました。この芸術運動は20世紀ドイツのバウハウスへとつながります。やがて波は北欧に到達し、その機能性と伝統的な職人気質が融合して、シンプルでクラフト的な温かさをもつ北欧デザインが生まれたのです。

    第二次世界大戦で焦土とならなかったアメリカに戦後大消費時代がやってきます。北欧はここにインテリア製品を輸出。これらはやがてミッドセンチュリーのトレンドの中に受け入れられていったのです。

     

    2014_12_04

    ペイント



    DIYで室内を塗っています。

    たびたびどんな塗料で塗っていたのか忘れることがありました。
    私の家の場合、ホワイトが基本なのですが、ホワイトぐらい様々な色味がある塗料はありません。そこで最近は購入してきたらすぐに写真を撮ります。そういうふうにストックしていきますと、改めて各種の塗料を使用していることに驚きます。

    写真はハピオカラー。とても扱いやすい製品。

    私の場合、筆の扱いは少々得意とするところで、多少な箇所でしたらマスキングテープなしで塗ることができます。絵を描いていてよかったなと思う実利の一つ。そんなこともあって、汚れてきた所は気軽に塗っています。今回8年先送りしていたトイレドアの塗り替え。気持ちがいいものです。

     

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    二重窓


    グラスハウスは寒い

    さて昨日、内窓を設置しました。わが家は家屋の四側面のうち二側面がガラス張りのグラスハウス。そのため世界三大夜景と称する長崎の街を堪能できる楽しみはあるのですが、いかんせん冬場は寒い。その寒さには尋常ならぬものがありまして、簡単に言いますと一室が機能不全に陥ります。これを和らげんとネット上に散る様々な知恵を集め、冬を越してきていた実態があります。

    ガラス張りの家って特別な設備を設けないと半端ない寒暖変化の影響を受けます。かのフィリップ=ジョンソンのグラスハウスも、隣接するブリックハウスの地下に設置された空調システムがあってはじめて成立するわけでして。

    二重窓はあたたかく静かくていいよ

    内窓の製品名はインプラス 一般複層ガラス

    で、どうか。結論から書きますといい製品です。あたたかい。明らかに効果があります。第一に隙間風が激減します。エアコン一つで暖房できます。昼間はエアコンなしでOKとのこと。
    静寂さも。朝、ブラインドを降ろしていると、雨が降っていることに気付きませんでした。

    ライフスタイルが変わります。
    今回の設置は業者さんにお願いしました。隙間風があっては一大事。

    なお私が参考にしたサイトはこちら

     

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    半DIYリノベーション

    巨大なプラモデルを組み立てているような感じ

    実家は設計士が入ってつくった建物です。ですから自分の手で改造する気になれません。たぶん、多くのお宅は工務店や大工さんにつくってもらわれているでしょうから同じ思いでしょう。プロがつくった建物は素人の安易な介入を拒んでいる立ち姿をしています。

    一方、私の住まいは中古マンションを購入し、Adobe Illustratorを使って自分で設計図を描き、多くを自身でリペアし、できない部分を施主支給で大工さんに施工してもらいました。ですから今でも自身で作り直し手を入れていくことが当たり前な感覚でいます。

    半DIYリノベーションをやってみての感想。

    結論から書きますと、とても楽しいものでした。どのくらい楽しいかといいますと、こんな楽しいことを人には譲れないと思うほどに。巨大なプラモデルを組み立てているような感じとでも言っておきましょう。

     

     



     


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    Profile まつを

    生きてることを楽しもう。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。長崎県。

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。