1998年7月
会議
もし貴方が会議の主催者ならば,どこで会議をするか?私はキャンプ場でする。
というわけで九重に出かけた。会議である。
ただいま会議中。
キャンプ場に向かう車中。
持ち寄った資料を検討。
検案が一つ仕上がる。
近くの温泉によって一風呂。
次の検案である。考える,考える。処理するのではなく,創造することこそ肝要。
天気予報では降水確率50㌫。掲示板に次のように書き込み,メンバーに問う。
Q:冒険はお好きですか?
メンバーの答は,全員Yes。よし行こう(笑),となった次第。素晴らしいメンバーだ。
行き先は,泉水グリーンキャンプ場。露天風呂付きの広々としたキャンプ場である。
会議が形式的なものでは,何も生まれない。
建前や,手続き論や,こちら側の都合で構築されるものに,何が期待できると言うのか。
そしてそういった会議がいかに多いことか。
会議は創造するためにこそある。生み出す。そのために必要な柔らか頭。
そしてそのために本音で語れる場が必要だと思う。
十分な資料を用意する。ネクタイをとる。車に乗る。
α波を誘導するというエンジン音,流れゆく風景。そして創造することを目指す。
創造のない会議は,緩やかで静かな死に向かう集団の行うことである。
昼を過ぎた頃,雨が音を立てて降り始めた。やれやれ。
これでは無理だ。キャンプをあきらめ,屋根付きの部屋を取る。
紹介しておこう。九重で最も安く泊まろうと思ったら,ここはその候補にはいる。
九酔渓温泉
tel:09737-9-2144
桂茶屋をご存じないだろうか。
この茶屋の裏に件の部屋がある。一部屋一万円で何人泊まってもよい(実際は四人までか)。コタツ,ガス,水道,食器,冷蔵庫,布団など,着替えと食料以外全てあり。ただし申し込みの電話をすると,新しい二万円タイプを勧められるので,「桂茶屋の裏にある湯治宿のほうを」と言うこと。
これがその湯治宿。
ここでもしばらく会議を続ける。
断崖に露天風呂。
終わった。よし食事だ。天ぷらである。
途中で停電した。ランタンを炊いて食事続行。しばらくして復旧。
夜はとっぷりと更けた。いろいろな話をした。スポーツ,文学,教育,文明……。
そして露天風呂に浸かり眠る。会議は楽し。
湯治キャンプ
武雄温泉,川底温泉,はげの湯,奴留湯温泉,杖立温泉
九州全域,大雨注意報である。
おまけに俵山氏は腰痛。大きな声では言えぬが,女性の祟りである。
で急遽,コンセプト変更。湯治へ。
大雨なんぞ慣れてはいる。数年前は,去っていく台風を追いながらキャンプに出掛けた。
うっとおしいキャンピングカーも,雨の日は重宝だ。
武雄保養林
本日の目的地は近場,佐賀県は武雄保養林。
1時間ほどで到着。
まずは大地に一献。
この地で楽しませてもらう。
早速,一風呂浴びよう。
窯元から推薦を受けた「かんぽの宿」へ。
高台に建つ,さらにその最上階に風呂場。
武雄市を一望に見晴るかすことができる。
保養林に帰り,保養することに。
結局2時間半ほどの昼寝と相成った。
よく寝た。
呆然と佇む俵山氏。
私もキーボードの打ちすぎで
幕の掛かっていたようだった頭が
すっきりとする。
ではもう一風呂と,訪ねた武雄市営温泉。
ここの湯,無臭無色であるが,その最大の特色はその熱さ。
いよいよ食事である。雨足が強くなってきた。公園の軒を借りる。
俵山氏は創作料理と称して作業を始めた。
一般にアウトドアが好きな男は,器用に調理もこなすことが多い。
調理の一つもできず,男女平等なんぞと理屈をこねている評論家
は笑い飛ばしてよろしい。
夜が,倒れるスタンドのようにやって来た。
では,乾杯。いい顔をしている俵山氏。
雨足が大気の息づかいのように変化する。
時折,遠雷が稜線を浮き上がらせ,
地球の片隅で飲んでいることを実感。
中央部にゴーヤチャンプル,まわりにホルモンと焼き肉。美味。
キャンプとくると,バーベキューとカレーと,
パブロフの犬よろしく連想する輩がいる。
哀れ。
バーベキューなんぞ,決して美味いものではない。 目を覚ましたがよろしい。 カレーは米を使い,コイツが後片づけの天敵である。
食事の後は,雨によって車に撤収。しばし悶々とする。
今更,話すこともない。9時ぐらいだっただろう。早々に寝る。
朝。
よく寝た。
腐るほど寝た。
雨も上がりつつある。
目の前に湖が広がる。1月に訪れたとき,早朝の散歩を楽しむ老人に会った。
この湖には生活排水が流れ込まぬようにしてあること,2月までワカサギが釣れることなどを,老人は愛着溢れる眼差しで話された。
「私も昔,野遊びをしていて……」 どうもここの整備に関わった元県庁マンのようであった。
老人の思い出を反芻しながら,周囲の空き缶を拾う。大地への恩返しである。
俵山氏,起床。
朝食に取りかかる。
今朝はコーヒーとサンドイッチ。
傍らに見える本は,俵山氏が読んでいた本。 なんと仏教書である。彼はよく仏教の本を読む。 そして驚くほど読んだ甲斐のない人生を送っている。 色即絶句。 無常である。
天気の良さに,遠出を決意する。 ええいままよと,湯に浸かり浸かって進むことに。
この車のナビがくせ者である。我々が道を間違っても,意義を唱えぬ。こいつも日本人である。
高度情報通信社会について論じながら,高速道路を行く。俵山氏は盛んに頷いていたが,多分わかっていないと思う。 彼の目が従順すぎるときは,チンプンカンプンの時なのである。
川底温泉
大分県川底温泉に浸かる。情緒あり。湯船の底は玉石よりなるお勧めの湯。
豆腐を購入。この岡本豆腐店,昔は典型的な豆腐屋さんであったが,いまや時代の潮流にのって大繁盛。ここまでくると複雑な心情。
田舎を商業ラインで売り込む輩は,所詮,村落コミュニティなど求めていない。
はげの湯
はげの湯へ。
九州に残された数少ない鄙びた風情のある温泉と思い,久々に訪れた。しかし,ここにも開発の波が。
黒川温泉と同じ運命を辿ろうとしている。かって黒川は見事に情緒ある温泉場だった。
いまや集合住宅のような有様である。合掌。
山翠の湯に浸かる。見晴らしよし。湯に至る坂の関係もあって,老人同伴には勧められぬ。
それにしても,この地方のあちこちで「相田みつを」クズレの字が目に付いた。 第六感によると,これは訳ありの方のものかもしれぬ(こういった時,私のカンは以外とあたる)。 しかし作品とは,毅然と本人を離れて評されるべきものである。だから言う。みっともない。パクリはやめなさい。
奴留湯温泉
奴留湯温泉へ。
見よ,この大型の玉石を。この上に青く光る満々たる湯が溢れていく。素晴らしい。
お賽銭形式で,入浴料を箱に入れる。
その名のとおり,ぬるいので夏場に限る。
杖立温泉
杖立温泉米屋別荘。
当温泉のイメージを払拭させてくれる宿だ。
結局,今回は六つの温泉を訪ねた。 俵山氏,腰痛の改善を告げる。
さて最後にお約束が待っている。
トイレの処理である。
いつ見ても,人間存在の根元に迫る図ですな。キャンピングカーに憧れる方々、車中のトイレは使わぬに越したことはない。
スイス女性には参政権がない
前回の続き。欧(ヨーロッパ)もまた様々です。例えばスイスでは未だに女性には参政権がありません。
欧と米は違う
よく「欧米ではこうなっとる」という論法を目にします。これが困ったしろものです。欧(ヨーロッパ)と,米(アメリカ)は違います。その例を書きましょう。次のようなイメージができてませんか?
- 「欧米では消費税が高い」……実はそうではありません。欧で高く,米で低い。
- 「欧米では健康保険が整っている」……実はそうではありません。欧で高く,米で低い。
- 「欧米では年功序列型賃金・終身雇用制ではない」……実はそうではありません。ホワイトカラーについては,欧では年功序列型賃金・終身雇用制となっており,米でそうなってないのみ。
挙げればキリがありません。一口にいって,アメリカは自由主義なのです。稼げない者は落ちていく。つまり貧富の差は広がりやすい。一部の者に富が集中すると,犯罪が増え,社会が不安定になるという説があります。
食料と為替レートは戦略兵器
現代社会において,食料と為替レートは戦略兵器のようにつかわれているようです。久米宏が経済再建にあたる某要人Aを批判していますが,困ったものです。久米氏の近視眼は,一人自身の近視眼に終わるものではありません。ポリティカルな詰め将棋が彼には見えてないのでしょうか。分かっていてその全容を口に出来ぬA氏の哀しみたるや,いかばかりのものかと思います。
滅亡前のローマ帝国のような状態
「最近のテレビは,グルメと温泉しかやっとらん」と70代の義父が,ポツリ。するどいですねえ。
古代ローマ帝国の爛熟期,ローマ市民はグルメと,国立の巨大入浴施設にはまりこんでいました。これは有名な話ですが,彼らはカウチに寝そべって宴会を開き,食べきれなくなると鳥の羽で喉を刺激して吐き,また食らい飲む。今に日本人も寝そべって宴会するようになるんじゃないですかね。国立入浴施設は,サウナありライブラリありで,いわば現在の温泉センターをもっとグレードアップしたものでした。そう言えば拳闘士たちの死を賭けたショーも楽しんでましたね。これが現代で言えばK-1にあたりましょうか。
ではローマ帝国はどうして亡びたか。簡単に言いますと,祖先返りしたのです。このあたりは他の国とはレベルが違います。なんといいましょうか,国家が滅んだというよりも,一世界が消え入ったという感じです。興味がある人は調べてみて下さい。
セミはノイローゼか
セミがうるさい。連中はあんなに大声で鳴き続け,ノイローゼにならぬのか,他人事ながら心配です。泣くから悲しくなる,といったのはゲシュタルト心理学。セミは泣くことによってノイローゼへと猪突猛進してるのではないでしょうか。南無。無常ですな。
雲仙岳噴火災害の頃の我が家
7月5日にアップした雲仙災害の写真に関して,何人かの方からご感想のメールを頂きました。ご丁寧に有り難うございました。本日は雲仙岳噴火災害の頃の我が家の様子をアップします。こんな状態だったのです。しかし我が家がこうむった被害は,当地では微細なレベルだったことも付け加えておきます。
中学2年生の時の模写
この前実家に帰った際,なくしたとばかり思っていた絵が出てきました。それは私が中学2年生の時,クールベの『波』を模写したものでした。なんというか,こまめに描いとります,いや感心感心。
「現代」とは言葉が同じ感覚で伝わる範囲
「現代」とはどこまでをいうか。これについて阿部謹也氏が面白いことを書いてらっしゃいました。現代とは,言葉が同じ感覚で伝わる時代範囲を言う。そんなことです。つまり明治期の書物の中には,すでに現代訳しなければならない書物も出てきていますので,現代ではないというわけです。なるほど,簡単なのですが私には諮詢に富んだ言葉。
雲仙岳噴火災害の跡地
久々に雲仙岳噴火災害の跡地に行って来ました。
ゴジラはUSAの核実験の被災者
常識となってますが,ゴジラはUSAの核実験の被災者として登場したわけで,あの皮膚はケロイド,吐くのは放射能です。
ニューヨークタイムズが,ゴジラに大蔵省を襲わせればよろしいというジョークを書いています。う~ん。ジョークにしてもUSAの考え方を象徴してますなあ。ゴジラの存在を曲解させた上で,その国を批判する。USA版ゴジラはフランス核実験によって出現することになっっているらしいですね。う~ん。で,日本の中枢部を襲わせる?う~ん。そういえばUSA要人の訪問後,すぐに我が国は大胆な改革方針を打ち出しましたね。