パソコン用の画像 スマートフォン用の画像

S i t e ま つ を


1998年8月



1998_08_27

くさや

くさやを,初めて食べました。
友人から電話がかかってきて,「まつをさん,くさやを貰ってきたので食べよう」とのこと。
くさやは,臭いので有名。先日,行きつけの店のマスターが言うには「焼き始めると便所の臭いがする。火が回ると糞の臭いそのもの」という話を聞いたばかり。友人宅で七輪に火を起こしました。そして,くさやを焼く。とたんに友人はオエッという声をあげました。結局,私は大丈夫でした。美味くも不味くもない食い物というところです。臭いはたしかにします。くさや=糞=マルタイ屋台ラーメン(すみません,ローカルで),の図式が頭に浮かびました。写真は,友人が一口食べたところ。そう言えば私は,ドリアンも大丈夫。ある本にドリアンは「朝潮の靴下の臭い」と表現してありました。私としては,プロパンガスが漏れた臭いというところ。

 

1998_08_26

現世と来世

お盆の日に書いた記事について,日本の宗教事情を研究しているあるお坊さんから以下のような解説を頂きましたので紹介します。
--------------------------------------------

後世は、現世の延長線上。したがって、後世とは、現世の未来のこと。来世は、現世とは全く切れています。つまり、無関係、ということ。

後世を構成するのは、現世の人間の記憶です。別の表現では、歴史です。中国人は(小室直樹によると)歴史による救済が目的だそうで、如何に歴史に名を残すか、それは とりもなおさず今生きている人間に、如何にして自分の名と業績を記憶させるか,そして、それを歴史に留める(ということは後世へも記録として残させる)か、これが眼目だそうです。

自分の肉体の死後、自分に関する記憶が、自分自身も含めて、現世から一切消失してしまうのは耐えられない! 漢民族の死後観は、現世を生きるための手段である肉体と魂が分離し、いわゆる死を経た後も、 肉体の根元(である 魄 )と 精神そのものである魂とは,つねに(分離したままではありながら)この世(=現世)に留まる。

後世 も 現世 も 同じ世。ただ、自分の 肉体と精神の状態が違う。 それが現世 と 後世 の差です。

世間という 器 を支えているものは 人間です。もっと言えば、人間の記憶です。この記憶がある限り(つまり 覚えていてくれる人がある限り )「生きている」のです。ここに、仏教的なニュアンスを含めて言えば…… 「かわいそうに、 織田信長は400年経っても まだ、 死なれない。死なせてくれない」。この「かわいそうに」というところが大切なのです。来世に行かないから、現世のままで評価 にさらされる。なぜなら、人格の連続性を保持したまま、行動の手段である肉体と精神を消失しているから。評価を逆転させる 行動( たとえば 裏話のリークなど )を取れないから。

 

1998_08_25

平和5原則

皆さんは,平和5原則というのを憶えていらっしゃいますか?教科書にも載ってました,あれです。
①領土・主権の相互尊重 ②相互不可侵 ③内政不干渉 ④平等互恵 ⑤平和共存
1954年中国の周恩来とインドのネルーの共同声明として発表したものです。

 

1998_08_20

「アメリカではこうなっとるから,日本もそうなるべし」論

おととい,久々に例の「アメリカではこうなっとるから,日本もそうなるべし」論を聞きました(笑)。「アメリカではこのような教育法をやって,日本より30年進んでいる。日本も追いつかねば」という論調でした。ところでアメリカの教育現場はどんな状況になっていましたっけ? 30年進んでいると言うことは,今日本でその教育法を取り入れた場合の,30年後の姿をアメリカに見ることが出来ると思いますが。

 

1998_08_19

「人生なんて糞だ」と言った人

「人生なんて糞だ」と言った人がいました。たぶん[その人の]人生は糞だったのでしょう。
私たちが人生を語るとき,それは「自分の人生は」という条件がついてまわっているのです。「諸君,人生というのは……」というフレーズもそうです。ここが人文的世界の滑稽なところでもあり,面白いところでもあります。それでいいのです。語る人が上記の点を理解して発するのならば,それは勇気であり,それなくして私たちは触発されないのです。自己表現たる芸術が是とされるならば,人生観の吐露は否定されるべきではありません。過度の懐疑や斜視は生むものがなくなります。

それにしても,どうして評論家というのは,ああも小綺麗な格好をしているのでしょう。創作者の現場というのは,常に混沌としていることを考えると,いかに彼らは安全圏にいるかがわかります。

 

1998_08_18

クリントン大統領の不倫

今は昔,宇野という総理がおりました。彼は「不適切な関係」を持っていたが故に,その職を追われました。このスキャンダルが出たとき,USAの某ジャーナリストは「わが国で,かようないかがわしい行為を政治家が行うことは,その政治生命を失うことだ」といった旨を述べ,日本社会を未発達なものとして批判しておりました(「そうか?」と当時思ったのでよく憶えているのです)。
さて今回フリントン,もといクリントン氏の一件が出ました。さあ向こうの番です。彼の地の民主社会のお手並み拝見といきましょう。

 

1998_08_15

日本人の死生観

お盆にちなんだお話を書きます。

インド仏教では死者は49日後に転生する

インドでは死者は49日後に他に転生すると信じられております。ですから基本的に墓がありません。もう他のものに生まれ変わっているわけですから,墓は必要ないという捉え方です。

日本では49日は序盤戦で,それから何度も法事を行っていきます。このように日本の仏教はインド感覚のものとずれがあります。

中国の儒教では転生せず天に溜まる

儒教では,人が死ぬと,魄と魂に分かれると捉えられています。魄つまり肉体は地行き,魂は天に行くのです。そして魄と魂が合体すれば,復活があるとされ,そのため古代一族の長は,重大な決断を下さねばならぬ時,シャーマンとなって魄である先祖のシャレコウベをかぶり,魂を呼び寄せ,祖先の決断の言葉を聞いたと言われます。これが儒の初期の形です。そしてもう一つ大切なことがあります。儒教は輪廻思想を持ちません。祖先の魂はたとえば空の雲の上にずっと増え続けて行くわけです。ですから,子孫を絶やすことは一大事なわけです。なぜならば祖先と自分の魂が路頭に迷うからです。脈々と一族の流れは絶やしてはならず,魄を納める墓も重要と言うことになります。

日本仏教はインドと中国のミックス

日本の仏教は,このようなインドと中国の来世観がミックスされ,さらに道教や神道が入り組んでいるのです。現代日本の仏教者の本が,原始仏教について述べるとき歯切れが悪くなるのは,こうした背景があるのです。

日本の死者は成仏していないのか?

それどころかギボアイコ氏が「あなたの肩のところに,亡くなったお爺さんがいらっしゃいます」などと発言するテレビ番組が,かって高視聴率を取っていたと言うことは,日本人の多くは,お盆に限らず祖先の霊が自分の身近にいると信じているのかもしれません。というのも先ほどの発言は「あなたのお爺さんは成仏していませんよ」ということなのですから(この成仏という言葉も多くの日本的特色をしょっています),これを聞いて怒らないということは,もともとそういう世界観を持っているということなのでしょう。

しかし,ミックスされた仏教などおかしいじゃないかという発想も短絡的です。本来,文化とはその地の人々が持つ共通したタブーなのであり,その地ごとに根付いて行かざるを得ないものなのです。それぞれの形があって文化なのです。

 

1998_08_14

林羅山の選択

お盆になると,江戸儒学の祖,林羅山のことを思い出します。
彼は幼少のころ仏教寺院で学びました。そのうちに寺が,彼に仏門に入ることを勧めたのです。彼が親(養父母)にこのことを話しますと,涙ながらに止めるよう説得されます。家が絶えるではないかというわけです。以後,彼は仏教が世間を抜けた宗教であると考え,仏教から儒教へ転換するわけです。このことは仏教の根本を示した問題です。

 

1998_08_12

映画「タイタニック」は強欲女の話

映画「タイタニック」を「21世紀の子ども達に残したい100の映画のひとつ」と評した意見がありました。それも「これはスペクタクル映画ではなく,人間の生き様の映画だ」というのです。困ったものです。以下は,もうすこし柔らかく書くべきなのでしょうが,あまりに憤慨しましたので,そのまま書きます。子ども達に残すというのならば黙っておれません。

女性主人公は強欲の塊

ローズ(女性主人公)の生き方が「21世紀の子ども達に残したい」生き方のひとつ? 彼女は,不満を持ちつつも大金持ちと婚約し,彼を毛嫌いしながらも手にしたダイヤは一生ガッチリせしまたままで,知り合った男とはすぐに交情し,そこまでジャックを愛したのなら一生思って生きると思いきや,ぬけぬけとまた他の男と結婚する。
このローズは,猿です。目の前にある快楽は喰らい,不快には唾する。そんな人間の生き方を描いた映画が,「スペクタクル映画ではなく,人間の生き様の映画として,21世紀の子ども達に残したい100の映画のひとつ」と評する人は,物事の大筋が掴めない人でしょう。

ところでダイアナは聖女でしょうか?世論はそのように扱っています。私はタイタニックの映画を見たとき,ローズとダイアナがダブって見えてしまいましたが。

 

1998_08_07

チキンラーメンで嘔吐感

事実を淡々と書きます。本日8月7日昼食に日清のチキンラーメンを食しました。賞味期限が1998.8.20でした。現在夕方6時ですが吐き気がして胃の薬を飲みました。
昔,食品には製造年月日がかかれ,そして賞味期間○○日と記されていたのです。これが法改正され,タイムリミットを記すようになりました。つまりいつ作られたのかわからなくなりました。
【問】この法改正は消費者のためになされたのでしょうか?

 

1998_08_02

日本のホテル・旅館は高い

日本のホテル・旅館は高いですね。旅館なんぞは明細書を見せなさいと言いたくなります。この料理はいくらだったの? と。
旅や宿のガイド本も,いい加減にしてくれといいたくなるのがありますね。ガイド本の利用者側と,旅館側の,どちらの方に気配りしながら書いてるんだと。このHPに登場する俵山氏はかつて旅館業を営んでいましたが,ガイド本の取材が来るとなると無料宿泊・飲食の接待をしていました(全てのガイド本がそうか否かは別)。

ガイド本に責任なし だと

ガイド本を書いている方と,このことについて話したことがありますが,彼は「ガイド本でいい宿と記されていて,不愉快な対応しかしない宿だった場合(これは主観のレベルを超えた問題について),それは消費者側の自己責任だ,ガイド本に責任なし」という趣旨を言い放ちました。この点について法的にはどうなっているのか,極めて興味のあるところです。

 

1998_08_01

キャンピングカーで湯治

武雄温泉,川底温泉,はげの湯,奴留湯温泉,杖立温泉

九州全域,大雨注意報である。 おまけに俵山氏は腰痛。大きな声では言えぬが,女性の祟りである。 で急遽,コンセプト変更。湯治へ。 大雨なんぞ慣れてはいる。数年前は,去っていく台風を追いながらキャンプに出掛けた。 うっとおしいキャンピングカーも,雨の日は重宝だ。

武雄保養林


本日の目的地は近場,佐賀県は武雄保養林。 1時間ほどで到着。


まずは大地に一献。 この地で楽しませてもらう。 早速,一風呂浴びよう。


湯を探していると,道際に窯を見つけ,寄る。 しばらくしてご老人がステテコ姿で現れ,「おお」と感嘆符を残してしばし消えた。釜主である。 俵山氏,若手作家の方から皿などを購入。


窯元から推薦を受けた「かんぽの宿」へ。 高台に建つ,さらにその最上階に風呂場。 武雄市を一望に見晴るかすことができる。


保養林に帰り,保養することに。 写真は2階のベットに昇る俵山氏。 結局2時間半ほどの昼寝と相成った。

よく寝た。キーボードの打ちすぎで 幕の掛かっていたようだった頭が すっきりとする。


ではもう一風呂と,訪ねた武雄市営温泉。 ここの湯,無臭無色であるが,その最大の特色はその熱さ。


いよいよ食事である。雨足が強くなってきた。公園の軒を借りる。 俵山氏は創作料理と称して作業を始めた。 一般にアウトドアが好きな男は,器用に調理もこなすことが多い。 調理の一つもできず,男女平等なんぞと理屈をこねている評論家 は笑い飛ばしてよろしい。 夜が,倒れるスタンドのようにやって来た。 氏の命により,ニンニクをたっぷりと入れた焼き肉のタレを調合する。


では,乾杯。いい顔をしている俵山氏。 雨足が大気の息づかいのように変化する。 時折,遠雷が稜線を浮き上がらせ, 地球の片隅で飲んでいることを実感。

中央部にゴーヤチャンプル,まわりにホルモンと焼き肉。美味。 キャンプとくると,バーベキューとカレーと, パブロフの犬よろしく連想する輩がいる。 哀れ。 バーベキューなんぞ,決して美味いものではない。 目を覚ましたがよろしい。 カレーは米を使い,コイツが後片づけの天敵である。

食事の後は,雨によって車に撤収。しばし悶々とする。 今更,話すこともない。9時ぐらいだっただろう。早々に寝る。



朝。 よく寝た。 腐るほど寝た。 雨も上がりつつある。


目の前に湖が広がる。1月に訪れたとき,早朝の散歩を楽しむ老人に会った。 この湖には生活排水が流れ込まぬようにしてあること,2月までワカサギが釣れることなどを,老人は愛着溢れる眼差しで話された。 「私も昔,野遊びをしていて……」 どうもここの整備に関わった元県庁マンのようであった。 老人の思い出を反芻しながら,周囲の空き缶を拾う。大地への恩返しである。


俵山氏,起床。 朝食に取りかかる。 今朝はコーヒーとサンドイッチ。
傍らに見える本は,俵山氏が読んでいた本。 なんと仏教書である。彼はよく仏教の本を読む。 そして驚くほど読んだ甲斐のない人生を送っている。 色即絶句。 無常である。

天気の良さに,遠出を決意する。 ええいままよと,湯に浸かり浸かって進むことに。


このナビがくせ者である。我々が道を間違っても,意義を唱えぬ。こいつも日本人である。
高度情報通信社会について論じながら,高速道路を行く。俵山氏は盛んに頷いていたが,多分わかっていないと思う。 彼の目が従順すぎるときは,チンプンカンプンの時なのである。

川底温泉


大分県川底温泉に浸かる。情緒あり。湯船の底は玉石よりなるお勧めの湯。

途上、豆腐を購入。岡本豆腐店。昔は典型的な豆腐屋さんであったが,いまや時代の潮流にのって大繁盛。ここまでくると複雑な心情。 田舎を商業ラインで売り込む輩は,所詮,村落コミュニティなど求めていない。

はげの湯


はげの湯へ。 九州に残された数少ない鄙びた風情のある温泉と思い,久々に訪れた。しかし,ここにも開発の波が。 黒川温泉と同じ運命を辿ろうとしている。かって黒川は見事に情緒ある温泉場だった。 いまや集合住宅のような有様である。合掌。


山翠の湯に浸かる。見晴らしよし。湯に至る坂の関係もあって,老人同伴には勧められぬ。
それにしても,この地方のあちこちで「相田みつを」クズレの字が目に付いた。 第六感によると,これは訳ありの方のものかもしれぬ(こういった時,私のカンは以外とあたる)。 しかし作品とは,毅然と本人を離れて評されるべきものである。だから言う。みっともない。パクリはやめなさい。

奴留湯温泉


奴留湯温泉へ。 見よ,この大型の玉石を。この上に青く光る満々たる湯が溢れていく。素晴らしい。 お賽銭形式で,入浴料を箱に入れる。 その名のとおり,ぬるいので夏場に限る。


岩清水を眺めつつ,だご汁を食す。

杖立温泉米屋別荘


杖立温泉米屋別荘。 当温泉のイメージを払拭させてくれる宿だ。

結局,今回は六つの温泉を訪ねた。 俵山氏,腰痛の改善を告げる。

トイレの処理


さて最後にお約束が待っている。 トイレの処理である。 いつ見ても,人間存在の根元に迫る図ですな。

 

 



 


サイト内検索

 

ハイセンスでクオリティの高いホームページを、破格の価格でおつくりしています。こんな方に。

ホームページは欲しいけれど、高いのは勘弁してほしい。
今のホームページがスマホ対応になっていない。
今のホームページの維持費が月額1,000円を超えている。

Site まつを

クリック!

 

Index

トップ

オススメ

記事一覧

掲示板

 ・

長崎マニアックガイド

長崎の酒場

長崎を歩く

長崎キャンプ場

長崎インターネットラジオ

 ・

私の隠れ家

私の家づくり

 ・

デザイン

音楽

小説

 ・

メール

リンク

 

Profile まつを

Webデザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」

「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。