1999年12月
1999_12_23
歴史上の大転換期の奥底には人間関係の変化がある
私が担当するとあるプロジェクトでの話。初顔合わせは,計画の開始から3ヶ月後のことでした。というのも年度当初からその間,電子ネットワーク上で研究方針についての協議を頻繁に行っていたからです。初顔合わせの際,スタッフ全員の口から共通して出た感想は,「初めてあった気がしない」ということと,「実際に会って,どこかしらホッとした」ということの二点でした。この体験は,ネットワークの有効性を確認すると同時に,直に人と接することが,いかに根本的行為であるかを再確認するものともなりました。
「あらゆる歴史上の大転換期の奥底には,人間関係の変化があった。」西洋史の権威である阿部謹也氏のこの指摘を,この頃よく思い出します。ニューメディアが,これから我々にどのような慣習や感情の動きを根付かせる事になるのでしょうか。阿部氏流に言うと,我々は歴史的転換点に立っているのかもしれません。
振り返りますと私たち人類は,常に新しいメディアに情を託すようになってきました。雲仙噴火災害の際,被災された方々が最も大切に守り続け,あるいは探していらっしゃったのが,アルバムだったことを,私は忘れることができません。写真は登場したとき,魂が吸い取られるなどと恐れられていたメディアでしたが,100年後我々は愛おしく胸に抱いて眠っているのです。
1999_12_22
ネットでは内面を知りあえる
3年ほど前の話。その夜,私はキーボードを打ちながら,パソコン通信でお喋りを楽しんでいた。相手は某フォーラムのシスオペである。しばらくして次の話となった。
s)こうしたチャットは,なんといっても,ほどよい距離感がいいね
h)考えるのに,ほどいい距離感?
s)そう,軽いフットワークの思考
h)言語以外のニュアンスが剥ぎ落とされた世界
s)そのことで,思い出した
h)?
s)チャットでやたら気の合う人がいてね。会うことにした。で,実際にあったら,彼には障害があった
h)どう思った?
s)自分と美術論の合う人がいた。会ったら,たまたまその人には障害があった。それだけ
h)なるほど,いい話だ
s)ネットを使うと,会う前からよく知りあえる。互いの内面をね。たぶん近くにいる多くの人より,彼との相互理解が深いと思うよ