2000年7月
2000_07_15
長崎街道を行く
自問してみる。長崎のことをどれほど知っているかと。長崎街道を歩いた。 今回は,エッセイ風にお届けする 「歴史トレッキングのすすめ」である。 今回はT氏に車で伴走していただいた。これによって長崎~大村間から4ポイントを選んで歩き,その他は車によって旧街道を進むというプランが可能となった。ありがたい。
1 【長崎奉行所西役所前】~【蛍茶屋】
朝の4時58分。
今日のトレッキングの始点は長崎県庁。普通,こんな時間に長崎県庁に来る奴はいないな。暑さを避けるためこの時間に出発。メンバーは4時に大村集合。私に至っては朝1時半から目が覚めていたのである。やれやれ。
唐通事会所・活版伝習所跡。今回は,お仲間『はもん会』のフィールドワークである。現場を歩かなければ,話にならないということで,今回は外へ。
末次平蔵宅跡。今回のコーディネイターをつとめるS氏。
やっと夜が白み始める。ここは長崎くんちで有名な諏訪神社だ。
ご存じシーボルトの居住跡地。彼は特例で市街地に住んでいたのである。観光の中心から外れた鳴滝にあるため,ゆっくりと時間が過ごせる。
蛍茶屋跡。ここでかつての「長崎」が終わる。奥に見えるのが一瀬橋。長崎に別れを告げる橋だった。
2 【日見峠越え】
日見峠越え。今回のメインイベントだ。鎖国時代,長崎が海外への窓として解放されていたのは,一つに最果ての地であったことと,地形的においそれとは立ち入れぬ地であったためだ。西の関所,日見峠。ならばこの日見峠を越えてみようではないか。鎖国の厳しさが感じられるだろう。そう考えたのが今回のトレッキングの発想点だった。
とはいったものの,ハードな登りは15分か20分ぐらいで登りは終わった。いささか拍子抜けする。考えてみれば私たちが日見峠を登り始めたのは,日見トンネルから。ここはもう長崎の中心部からずいぶんと登ってきた地点なのである。
ここが日見トンネルの上だとは,まずイメージしがたい。
というわけで,日見トンネルの反対側に出た。結構,みんな余裕がある。
さらに進むと住宅街に出て,街道は車両用道路によっていたるところで寸断されている。
この写真の右側までが,かつての天領長崎である。
3 【矢上宿】~【赤松坂】
矢上の宿である。現在は番所跡に白い濵田食堂が建っていた。朝の9時。そういえば,早朝に出発したため,朝食も取っていない。こんな時間はどこも開いていない。さんざん探し回って弁当屋さんを発見。
古賀人形で有名な小川家の藤棚。こんなに大きな藤の木には滅多にお目にかかれない。ものの大きさを写真で伝える際は,このようにしましょうというモデル的写真。ポーズを取ってくれたメンバーに深く感謝。
領境石標。今回のトレッキングで,明らかに長崎街道を巡ってらっしゃる方に,2度出会った。いずれもソロだ。その内のお一人は、小倉側から長崎に向かってらっしゃるという。全行程を複数の休日に振り分けて歩かれる予定らしい。脱帽である。
山道にさしかかった長崎街道から眺めた高速道路。歴史や風俗やは,その地を歩いてみなければわかりにくいと,つくづく痛感。
井樋之尾峠のお篭立場。このような史跡が点在する。この辺りはのどかな山村といった風情である。
井樋之尾峠付近の林道。現在は舗装され植林もされているが,江戸期の街道の面影が残っている。渡る風が心地よい。
峠の茶屋跡。こんなにうまい水が湧いている。山頭火の一句が頭をかすめる。昔の旅人もこのように喉を潤してきたことだろう。
樋之尾峠の付近の郡境石標。井樋之尾峠を諫早側へ下っていく街道脇に立っている郡境石標。
久山までは,あとわずかである。
道は一端平野部に出たかと思うと……
また急な上り坂に入ったりするのであった。
4 【鈴田峠】
諫早の破籠井。ここから長崎街道をまた歩く。しばらくは「道に迷ったかな?」と思いさえするが,しばらくすると,長崎県内にある街道で最もいにしえの姿を感じさせてくれる場所へと出る。よろしい,実によろしい。
鈴田峠の長崎街道を歩くと,いたるところにかつて荷車などを引いたであろう轍の溝が残っている。 当時の轍の跡が残る地点は長崎~大村までの長崎街道でここだけのようだ。
大渡野番所跡。
おわりに
もし私が「長崎街道を初めて歩きたいんですが,どこを歩いたらいいでしょうか?」と聞かれたら,私は破籠井から大村方面に至るコースを薦める。旧跡が多いというわけではないが,辺りを流れる空気が独特である。雰囲気に浸りつつトレッキングができる。
逆に史跡を求めるのであれば,やはり長崎周辺のコースが群を抜いている。
長崎街道を歩きたい人のために。 詳しい地図付きの本は次のとおり。
○『伊能図で甦る古の夢 長崎街道』 河島悦子。(株)ゼンリンプリンテックス,2300円。
○『平成ロマンの旅 長崎街道』 長崎青年会議所(TEL:095-825-2709)。2500円。写真集+解説書。電話注文で郵送。
なお学術的コースの子細については,長崎県教育庁文化課に問い合わせられることをお勧めする。
追記:記載当時はネット上の情報も少なく、書籍も限られていた。現在は豊富な情報があられるものと思う。
2000_07_09国立西洋美術館・国立博物館
朝,ISO氏と行動開始。上野に浸かることにする。まず彰義隊の墓等を巡る。
国立西洋美術館「レンブラント,フェルメール オランダ絵画展」。 私は少年の日の夢を,一つ果たすことになった。 レンブラントの『ターバンを巻いた自画像』。高校時代,何度も何度も飽かず画集で見つめ続けた作品だ。どれほど私は多くを学ばせてもらったろう。その作品に私は出会うことができたのだ。絵を見ながら涙が止まらなかった。レンブラントは,本当に神の目と手を持っていた作家だと思う。
常設展では中学校時代に,巡回展で出会い絵葉書から模写をしたクールベの『波』の現物に出会う。常設展に展示されたコレクションはみなその細部まで頭の中に残っていた。少年期に触れた作品は一生残るものだと実感。
次に出向いた国立博物館。改めて広さを再認。最後の方では二人とも床にへたり込む。平成館の展示法に感心する。疲労困憊し,その他の美術館を諦める。
アメ横へ。路上に机とイスを出した露天でビールを飲む。店の名前は『珍々軒』 うまい。行き交う人の波の中,ぺこぺこのイスに座って眺める東京は,笑ってしまうくらい東南アジアである。
2000_07_08東京オフ会
会場の東方見聞録を求め,ISO氏と新宿副都心を彷徨う。
というわけでオフ会。
一番奥が,最初に集会されたYOU氏とdoms氏。 その後ぽつりぽつりとメンバーが集まる。ま,ま,乾杯!
上写真で写りがオフな方と,初めての方を紹介。ozawaさん、こばえさん、、オゴーさん、vincent.さん、仲介人さん。魅力的で濃いメンバーであった。
途中,俵山氏から電話が入る。はいはい。爆睡