2004年9月
2004_09_30
責任が重くなるほど隠れ家が必要です
職場と自宅。その2か所しか居場所のない男はかわいそうだ。あれだけ働いて、くたくたに疲れ自宅に帰っても、自分の空間さえない。
家庭の団欒は安らぐ。そりゃわかっている。けれど時には真空パックのような静寂の中に、自分の身を浸していたい。
私は断言してもいい。世の男性は全員、身の置き場のなさにいたたまれなくなった経験を持っている。そんな時、ある男は雑踏の中を歩き、ある男は酒をくらい、ある男はパチンコ屋に走る。
世の男性よ、悪いことは言わない、カバノンを作ろう。
カバノンは、社会的責任を負わざるを得なくなった年代の男性にこそ必要だ。そして、そんな男性は工面すれば可能な資金は持っているはずだ。ささやかな林とミニログならば、車一台分の資金で入手できる。
時間を作り出すのは、本人のマネジメント能力にかかっている。腰が重い人は残念ながらいつまで経ってもその手の雑誌を見てはため息をついていることになるだろう。
ここに他の先達者の例を載せておこう。一般の人が入手できる休暇小屋は、まったく夢ではない。
2004_09_06東京に行かない台風の取り扱い
台風がまた来ています。メディアの伝え方が笑えます。「けっ。また同じようなのがやってきやがって。非常に強いか。同じじゃねえか。視聴率とれないし、東京来ないし」というわけで、なおざり。こんなときでしょうかインターネットの有り難みを感じるのは。
2004_09_04マーフィーの法則
2004_09_01森に籠る
夏。里山は、むせ返るような生の気配の中にある。軽やかっだった緑の色は、今や炎天下で鍛え抜かれた歩兵のようだ。
遅い夏休みをもらった。
3日分の食料と水と本と画材とMDと電池を持って、里山に入る。
カバノンのドアの合い鍵を合わせる。窓を開け放つ。アンプのスイッチを入れる。
MDをかけ、そしてハンモックに横たわり、ゴロゴロと本を読む。
炭酸にかち割り氷を入れ飲む。寝る。目覚め、ヒグラシの鳴き声を聴く。
絵を描く。
様々なおもいが、3日間で湧き起こった。
これまで私の人生を助けてくださる方々に、お会いしてきた。朋友とも言うべき方々だ。合掌。
若い頃は、超えたものの存在と、自分の生き方が馴染まず、ぎくしゃくとしていた。
気づくと、いつの間にか、なさねばならないことを感じ始めている自分がいる。目の前に草に覆われた小さな道が伸びている。「さあ、こちらに進み解決しなさい」。天から指し示されたかのようだ。朋友の皆さんと、同じ山に登る者として人生が共振を始めたようだ。同時期に同内容を考えている。
ささやかに社会に尽くしていこう。尽くすものがあることに、幸せを感じる。そういう意味で、私の人生は極めて明快だ。文明の階段が水面に浸ろうとしている。私の向かう先は極めて明快だ。