2005年11月
2005_11_23
里山道楽 飲む、眠る
例によって週末は日没後、闇に浸る樹木の中を手探りで進む。森の中に置かれたスピーカーから、微かにチェット=ベイカーが流れているのがわかる。
秋。極上の酒と客人を伴って、森の中のバーを開けよう。今夜の酒はNo.10。合掌。グラスにかち割り氷を入れ、No.10を注ぐ。冷えたところで、あおる。高く香り立つ品格。これはタンカレーの吟醸酒。ワンショット決めて次に移るべきジンだ。と言いつつ杯を重ねるのは、客人たちの話題の豊かさ故。
十分に満喫し、グラスを持ってテラスに出る。ヘレン=メリルが歌っている。月があって、木立があって、闇があって、語らう朋がいる。タンカレーをオレンジジュースと炭酸で割る。
秋の袂から哀愁が流れ始める夜。やがて鮮やかなオレンジ色のカクテルで、体は果実が溶け込んだ海綿のようになる。
客人がタクシーを呼ぶ。随分して漆黒の森の小道に車は現れ、客人は帰宅された。
眠る。太古より続く振幅の中に個を沈める。夜の中に私を溶かそう。眠ろう。
眠ろう。薫り高いオレンジにジンをスティして煽り、チェット=ベイカーを聴きながら、ネーブルを枕元に置いたまま、いつの間にか滑り込むように深く眠りにつこう。
夜半、意識がうっすらと浮かび上がる。私は眠りながら目覚める。私はここにいる。静寂の流れの中に私はいて、静寂の中に私は豊かさを知る。 2005_11_21
バカ世界地図
爆笑しますよ。「全世界のバカが思い描いている世界地図を描くプロジェクト」で出来上がった世界地図です。
実際にも無茶苦茶
英語圏の人10人ぐらいにフリーハンドで世界地図を描いてもらったことがありました。ホントこんな感じの地図書きます。基本的に彼らにとって、アフリカはアジアとつながっていないものですし、イギリスがやたら広いのが2大特色だったな。
バカ日本地図
バカ日本地図というのもできています。
2005_11_20昭和の作家で世界の芸術史に残る人は誰?
「昭和の作家で世界の芸術史に残る人は誰だろう?」 5年ぐらい前、友人とそんなことを話したことがあります。あなたは誰だと思いますか? 池田満寿夫は忘れられていくだろうし(実際そうなりつつありますね)とか話したんです。
武満徹
で、最も残る確率の高いアーティストは、武満徹。彼は百年経っても芸術史上で語り続けられるでしょう。音楽家の方が、画家よりも残るという結論は話していた自分たちでも以外でした。
岡本太郎
じゃあ、画家なら誰だろうと。で、出てきたのが岡本太郎。彼は日本画壇から無視されていようと、今マーケットが動かないであろうと、後世に残る確率の高い画家でしょう。私の好みとはまるで違う画家ですが、客観的にそう思います。
で、でです。岡本太郎氏の代表的壁画が長崎に贈られる可能性があります。作品名は「明日の神話」。これはですね、好みですとか、主義主張を超えた、歴史的にどえらい話です。長崎には確か美術協会があったようですが、動かないんでしょうかね。私もささやかながら応援したいと思っています。
2005_11_19柳生博氏の講演
一人美術館に森づくりの名人、柳生博氏の講演を聴きにいきました。
柳生氏は怖いもんなしのジイ様になってまして、演壇からニコニコしながら呼んでもらった主催者を説教するという芸当やってました。アアイウモノニ、ワタシモナリタイ。という講演を聴きに行ってきました。
鈴木宗男と外務省の戦い
鈴木宗男氏と外務省の戦いが取りざたされ始めましたね。またか。次の当たり前のポイントを忘れないでおきましょう。
1.マスメディアが騒がないとここまで拗れない。
2.火事場の泥棒よろしく、騒ぎの渦中で別省庁の難題が片づけられていく。
3.北海道は国家プロジェクトが投入されないと立ちいかない地であり鈴木氏はそこで選出される。
デザイン業界に流れこむ才能
最近はアートシーンよりもデザイン業界に才能が流れこんでいることを痛感しますね。
1970年代あたりまでは一番手の才能は画家とか彫刻家とかになってたものです。
ちょうど野球とサッカーのような関係。
もめ事の相談が多くなりました
いやあ、このごろもめ事の相談が多くてどうもこうもですね。
でもあれです、もめ事の相談一つ持ちかけられない大人って、やっぱりいかんのじゃないかと思うようになりました(笑)。もめ事に立ち会うのは気の進まぬ話ではありますが、でもそんなことから逃げ回って知らぬ顔しているのって、歳のとりがいがないと思うんですよね。
相談を受けても私も超能力者ではありませんから、淡々と人の話を聞き、淡々と問題を整理し、淡々とできることをするしかないのです。
でも、それをしてあげる人間がいなくちゃいけないこともあるわけで。ま、年上のもんは、年下のもんの相談ぐらい受けられる器をささやかでも養っておきたいなと。
お互い、「いつまでも少年の心を持っていたい」という言葉と、「いつまでも大人の責任から逃げ回っていたい」という言葉をはき違えんように歳とっていきましょう。