2006年11月
2006_11_22
地鎮祭
実家の地鎮祭。心してのぞむ。
2006_11_20「ハルビン」で食事
ロシア料理「ハルビン」で食事。
2006_11_19下品な応援に驚く
対戦相手に送っていたエール
我々が青年の頃、他校と対戦したら、他校ガンバレのエールを送った。時には相手校の校歌を演奏し互いの検討を讃えつつ、自校のチームを応援した。
観客がよってたかって対戦相手にプレッシャー
テレビで「世界バレー」を観てびっくりした。いつから日本人は、こんな国民になったのか。他国チームと日本チームが対戦中、すべて日本の応援だけだ。日本人でほぼ占められた会場で、みんなで寄って集って他国チームにプレッシャーをかけ、それをよしとしている。いつからこんな猥雑なファシズム民衆に成り果てているのか。休みの時間にも場内放送で日本エールを煽っている。恥を知れ。操られるな日本人。 2006_11_17藤原新也著『黄泉の犬』
藤原新也著『黄泉の犬』を読み出す。のっけの第一章からやられる。凄まじい本だ。普段私たちが読んでいるノンフィクションの文章が去勢されているものだと改めて感じる。その中からドキッとした一文だけ引用する。
『考える人』特集「イスラームのふつうの暮らし」
季刊誌『考える人』秋号の特集は「イスラームのふつうの暮らし」。
米国のキャンペーンによって「イスラム=テロ」のイメージが刷り込まれようとしている今日、この特集は見識が伺えるものです。
『文藝春秋』特集は教育特集
一方、今月の『文藝春秋』の特集は教育特集。その対談の中からピックアップ。
映画『ロスト=イン=トランスレーション』
ソフィア=コッポラ監督の『ロスト=イン=トランスレーション』を観る。すばらしい。うねるようなストーリー展開もなく、淡々として長時間観客を魅せてしまう画面。すばらしい。
2006_11_11乳の出る円柱
「乳の出る円柱」という古代ローマの施設のことをはじめて聞いた時、高校生の私は本当に嫌な気分になったものです。
「乳の出る円柱」は公的な赤ちゃん捨て場のことです。「なんだなんだかんだ言っても、ローマってそんな文化だったのか」と失望したことを憶えています。匿名型直訴社会の問題にしてもそうですが、責任をとらぬ行動を前提にしてはいけないと思うのです。
『子ども版 声に出して読みたい日本語』
私が自分の子供に読ませて良かったと思う絵本。『子ども版 声に出して読みたい日本語』シリーズ。先日お尋ねがあったのでここにご紹介しておきます。
2006_11_05トモスケは目をつむって走れる?
風呂での小1の息子トモスケとの会話。
「お父さん、僕の一番すごいところなんだと思う?」
「なんだろ?」
「目をつむって走れるところ」
「え?」
「学校でね、遊ぶ時ね、目をつむって走ってもぶつからないよ」
「見えるの?」
「うん、真っ暗なんだけど、たとえば四角のものがあるでしょ、その外側(輪郭のこと)が光って見えるの」
「え?何色?」
「黄色と暗い虹色」
「ふう~ん」
で、風呂あがって、家人にそのことを話すと、「嘘ですよ」。
ほんとかぁ~、トモスケ。信じたい気もする。
2006_11_01里山道楽 石の炉をつくる
里山に訪れた方は気候が厳しい日でなければ、自然と焚き火のもとに集まる。丸太をテーブルがわりにしてグラスを置き、イスにかけ、焚き火を眺めながら、話をする。もう数十年間も焚き火をしたことがなかった人も、焚き火を目の前にすると、その魅力にうっとりとした顔をする。老若男女を問わない。人によっては、一日中焚き火の周りから離れない。
焚き火をする炉は、まさに里山の重要なアイテムだ。
これをいかつい石を組んで作った。
写真ではなかなスケールを伝えることが難しいことがある。上の写真、燃えているのは丸太である。チェンソーで長さ1m程に切り分け、炉で燃やしているところだ。少しスケールがお分かりいただけただろうか。
かつてキャンプをしていた頃からすると、使う道具が随分と様変わりした。その時分は、家庭用品に比べると、キャンプ道具が荒い使用に耐える頼もしい物に見えていた。それが今では繊細な物に見える。里山で使うものは、軍手、スコップ、チェンソー、バールなどなど。使う施設もだんだんとゴツいものに変わりつつある。その代表格がこの炉だ。かつては1m四方の耐熱レンガで作った炉を使っていた。これはこの里山のごく初期に出来たものだ。
まず底部にブロックを敷き、その上からさらに耐熱レンガを敷き詰める。慎重に火をシールドする。
石を里山に運び入れる。あなたはあなたの頭部の4倍ぐらいの大きさの石を動かした経験がおありか。もはや持てる代物ではない。全身を使い転がして移動させる。里山の入口から設置場所まで、うんこらしょよっこらしょと転がしていく。時には転がるタイミングで大地が少し揺れる。汗が噴き出す。これを炉に必要な分繰り返す。
組み上げる。気合いを入れてやらないと手を潰す。
炉のメンテナンス用に、底部に降りていくステップを耐熱レンガで作る。このステップが、風の神さあの通り道になって高効率の燃焼をもたらすことになった。
いつもこうした大がかりな創作を行う時に感じるのは、今日、ここに作れと、山の神さあに言われているような気がすることだ。不思議なほど全てが潤沢に回っていく。炉が組み上がって、まず最初に神さあに許しを請うた。塩と酒と洗い米と五穀で清め安全を祈る。
新しい炉は、とてつもない燃え方をする。ゴーゴーと音を立てて丸太が燃え上がっていく。風がステップから駆けこみ、一機に空へと舞い上がっているのだ。旧来の炉が普通車なら、これはコンボイだ。逆に言えば、使う木材の量が一晩にヒノキの干した丸太なら何本分かいる。チェンソーが出番となる。こうして間伐作業の好循環が生まれる。
一方、焚き火の安全には大変気を払っている。里山のヒノキ林で焚き火をすることは、火薬庫でそれをすることと心得ていたがいい。樹木は根に油分が一番多い。また腐葉土は完全に土となっていない。消したと思っていても、火は地中を走り、離れたところで火の手が上がることがある。大きい石や耐熱レンガ等を使っていることは、伊達にやっているのではない。
さあ、焚き火を肴にうまい酒を心行くまで飲もう。