2007年8月
2007_08_27
FM番組準備
某所にてFMBarのための録音実験。成功。機材は小さくて古いMDプレイヤーと、小さなマイク一個。以上。ゲストにも肩の力を抜いて話していただけるように、シンプルに普通に。心地よい時間を楽しみながら、ゲストにとって普通なことを深く。その向こうに、一般に知られていない世界がちらつくように。
番組のスタイルは、グラスを傾けつつ、ゆっくりとゲストの世界をお聴きする30分にできればと考えています。曲紹介のコーナーもなし。よくあるオニいちゃんDJの間(はざま)恐怖症的たたみかけるような会話から遠く、素人らしくゆったりと。
2007_08_26サイト開設10年記念FM番組
『Site まつを』開設10年記念企画、はじまります。
『Site まつを in FMBar』
長崎の小さな小さなFM局から、10月に4回だけ番組を発信します。毎回、里山道楽からお一人のゲストを迎え、飲みながらお話を伺います。里山では実際どんな話が交わされているのか。その肉声をお届けします。インターネットラジオでも発信予定。個人がネットとFMの小さなメディアミックスを持つ。どんな可能性を産むことになるのでしょうね。
- 1998年5月28日に当サイトは産声をあげました。あの頃は『インターネットとは何か』といった本が出始めた頃でした。それから10年目。多くの方々と出会い、お陰様で人生を豊かなものにかえていただきました。合掌。
- 最近、家族のことを記すようになりました。かつては職場と家族のことは書かないというのが、当サイトの方針でした。一人の人間として、どれだけの活動を行えているか、家庭人としての自分、職業人としての自分以外の自分を、どれだけ保てているか。ここは、それを確認する場であったわけです。けれど、それが溶解し始めています。家庭人、地域人、職業人、そして一個人としての境界がゆるみ始めてきています。私が進みたい方向に、全体として進む。そう願うようになりました。
- サイト内容も、個から多へと移ろいました。最初は私の作品を発信するだけのコンテンツでした。それから俵山氏と二人の物語を綴る「アウトド阿呆物語」へと移り、その後「里山道楽」の複数の皆様方と織りなす物語へと移行し現在に至っています。つながることの喜びを、教えていただきました。
- 広めたいおもいがあります。それは例えば「アメリカンライフを目指すって、この時代にそりゃないよ」だとか、「俺がッ俺がッて、お前、俺ってなんだよ?」だとか、「そんな4畳半の思想で恥ずかしくないかい?」だとか、そんな、このサイト全体に吹く風のようなものです。
- 大人が大人として、生きていることを味わう。モノに囚われた消費者の群れとならぬように、走ることの意味も分からずひた走る馬車馬とならぬように、そして逃げ回る暮らし方をしないために。この世に生を受けたいのちを輝かせて生きる。
- FMBarでは、生き方に幅のある方々にゲストとしてお出でいただき、遊びのあるライフスタイルを語っていただきます。そして全体として里山道楽に吹く風を、大人テイストの放送でお伝えできればいいなと願っています。
諏訪ノ森とおくんちの練習音
夜、諏訪ノ森で、スコッチを角打ち。タンブラーを傾けていると、おくんちの練習をする音が届いてきました。夏休みの間、ここ諏訪神社では毎晩おくんちの練習が立ち替わり行われます。いいねえ。長崎の夏、諏訪ノ森の夏。
2007_08_22ペコロス・アニキのFM番組
昨日夕方、電話がありました。 「FM番組に出ませんか?」 「いつ?」 「今夜」 「お酒呑みながらでいいならOK」 「OK」
というわけで盟友黒糖庵氏と出演。番組はペコロス氏・アニキ氏が持っているもの。毒舌で御両名にはご迷惑をかけましたが、愉快な一時を過ごさせていただきました。小さな放送局ってあたたかくっていいですね。
大切なものは何かをみつめる
職場が変わり、住居が替わり、腕を骨折し、新しい企画が生まれ、雲が流れ、時が流れていきます。この1年間、私の周囲でおこる急激な移ろい。だからこそ、側にいるものたちを見詰めていたいと思います。私が私でありつづけるために、今日も大切なものたちの名前を呼びつづける。高速でスピンするスケーターが定点を見るように。少しだけ昨日より今日の方が、私と君たちのたましいが共振し溶け合えるように。
2007_08_20テストの前の部屋掃除
子どもの頃、テストの前には部屋の掃除をしていました。なにか新しいことをはじめる際には、まず身辺を清めること。新しい事業にとりかかろうと思います。改めて大切なものはなにかを省みる。そして前を見る。思考と環境のダイエットをして前へ。
2007_08_19旭亭
烈火の夏。島原の旭亭に4泊。早稲田から初の帰省となる甥っ子たちと飲み、息子と同じ手相を持たれる散人氏そしてイノハラ氏と飲みました。
それ以外は庭を見てぼうっと。そんなお盆。
水は相変わらずうまいですね。大切にしたい島原の宝です。
一方里山は緑の気配が強すぎ、例年どおり夏場は閉鎖。イカれたマウスを新品に換えて帰り、やっとネットにアクセス。皆々様、残暑お見舞い申し上げます。
2007_08_11尾崎豊
凡夫。そんな言葉が頭に浮かびました。昨夜NHKの『尾崎豊がいた夏』を観ていての感想です。身の丈を超えた言葉を思いつき、身の丈を超えたそぶりで、稚拙な思念にあがいていた凡夫。身の丈を超えた行為はトラブルのもと。
ところで、この番組中でコメントを発するのが茂木健一郎氏。この人物、近頃文化人のとりまとめ役のような形で、メディアへの露出が上がっているようですが、私にはとんだクワセモノに思えます。たとえば絵の具と油の混合具合も知らず油絵を語るこの人物には、現場性の希薄な文化人独特の浅はかさが匂い信用なりません。
2007_08_10グランドゼロ長崎の日
昨日はグランドゼロ長崎の日。米国が落とした狂気の光は、今も多くの市民の体の中にあります。
長崎では8月9日は知りうる限り全ての学校が、登校日となっています。子ども達は各々の学校で平和について学習し祈ります。
1分間の真空が現れます
投下時間の11時2分には、サイレンが街に鳴り響き、人々は一斉に1分間の黙祷を捧げます。街が止まります。街から音が消えます。職場から、学校から、公園から、繁華街から、音と動きが消えます。真夏の照りつける太陽の中に、1分間の真空が突然現れます。そしてその上を、薄く広く無機質なサイレンが覆います。聖なる時間とはあの一時のことをいいます。
1分の黙祷が終わった後、私たちは一般の業務に戻るのですが、けれどそのわずか1分間の間に、私たちは日常から随分遠くまでいってきたかのような感覚を持ちます。
全国で黙祷を捧げられれば
広島の8月6日8時15分と、長崎の8月9日11時2分に日本全国で黙祷を捧げる。そんな運動がインターネットをつうじて拡がっていくことを願っています。たった1分ですが、その真空で学びふり返ることは大きいと思っています。
2007_08_09息子の紙粘土
幼い息子が紙粘土で恐竜をつくりはじめました。その心持ちがそのまま出たような、滑稽さに溢れた姿に、思わず笑みが零れます。名前を聞くと、「ケントロサウルスとパラソウロロフス」と滑舌いい答。幸せを感じる一時。地には平和を。
2007_08_08プロテクターとれる
右腕骨折で付けていましたプロテクターがとれました。これに伴い、封鎖されていた思考が開放された感じです。骨折してからちょうど1か月。エアーチェンバーシステムも効果がありました。
2007_08_07ながさき8・9平和展
第28回 ながさき8・9平和展 8月8日(火)~12日(日)長崎県美術館 県民ギャラリー。この展示会は、政治色なく世界中の平和を願う人なら誰でも参加できる市民ボランティアにより運営されている作品展です。ポスターを盟友黒糖庵氏が担当していまして、先日の日曜日、氏がニコニコしてわが家に現れ、私の右作品『プルシャンブルーの空』の展示の運びとなりました。F6の小作品ですが機会があればご覧いただけば幸いです。
2007_08_06カバノンⅡに初宿泊
カバノンⅡに昨日、部屋区切りの戸を搬入。これで基本的に大工さん関係の仕事終了。セレモニーとして本日家族で宿泊。
2007_08_05フニャフニャのスパゲティ
今日、雑誌『考える人』を読んでたら、椎名誠氏が「南米のスパゲテイはフニャフニャだ。それも南下するにつれてそのフニャフニャ度は増して、マゼラン海峡が見える街のスパゲテイの腰抜け度は度を超している」というようなことを書いていました。
それで思い出したことがあります。私もその手のスパゲテイに出くわしたことがあるんです。場所はタイのアユタヤ。ここで食べたスパゲティと注文して出てきた食い物はフニャフニャもフニャフニャで、忘れられないまずさでした。
長崎県の給食に出てくるスパゲティは五島うどんだと聞いたことがありますが、あのですねタイはアユタヤのスパゲティより五島うどんの方が100倍うまいと言えます、本当に。
2007_08_04シュレック
映画『シュレック3』お勧めです。びっくりしました。年齢を超えて笑えるチャップリンの映画のような密度の映画。本当に密度が濃い。今まで食わず嫌いでした。あの緑色の顔は、ちょっと見で日本人には受け入れがたいんですね。欧米では緑色のヒーローって結構あって、これこそ民族によるカラーイメージの違いですね。でも、いいですよ、ほんと。小学校低学年のトモスケと私がゲラゲラ笑って帰ってきました。
2007_08_01カバノンⅡ(住居)のテイスト
このサイトのデザインテイストを、カバノンⅡ(住居)に落とし込むことは、それほど困難な作業ではありませんでした。
ここのテイストは、常日頃から皮膚感覚として慣れ親しんだものだからです。ワンルームを指向する空間をつくる。オフホワイトのアイテムで、白地の広がりを展開する。イラストレイタでいえばドロップシャドウにあたる効果を出すため、自然光と照明を構成する。そこに黒い家具を配置し締める。そして風を通す。
行動様式や動線も私の家族のことですから、空間構成も容易でした。
問題はそれをモノ化する作業です。これが素人なもので手こずりました。お分かりかと思いますが、モノに落とし込めねば、評論家的立場を脱することができません。壁の処理を例にとってお話しすれば、壁紙かパネルかタイルかジョリパッドあたりか漆喰か珪藻土かペンキか。その特性と段取りとコストを学ぶことになります。珪藻土を玄関に選んだ場合、これを塗るための、道具の選定や、珪藻土製品の種類選定や、購入ルートや、肌への影響や、水加減とマチェールの問題などを大まかにでも理解していくことになります。こうしたモノと手仕事の世界に踏み込んでいことで、発想力の基盤を得て、より繊細な構成力を手にすることになるようです。