2007年9月
2007_09_30
息子の連載物語
トモスケが連載物語を書き始めました。なんだか自分の小さい頃を見ているようです。
2007_09_28記者クラブ制度ドップリのメディア
軍の銃口は外部にだけ向けられるものではない
誠に残念なことですが、軍の銃口は外部にだけ向けられるものではないと、ミャンマーの現状はまた教えてくれています。宗教者が立ち上がりこれに呼応した民衆に銃口を向ける姿は、イスラムへのブッシュ軍に見ていましたが。ミャンマーは世界でも最も親日的な国の一つ。フリーの邦人カメラマンの死去。合掌。一方、近日新聞に掲載されているミャンマー写真は、その新聞社が撮ったものではないでしょう。確認してみてください。以下、散人さんの書き込みから。
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先日某全国紙記者と話す機会があった。散人「ベトナムには確かに貴社も戦地に派遣したが、湾岸以来すっかり戦地に記者を派遣しなくなったのは何故か?」記者「確かに派遣しなくなった。
それは命にかかわりがあるからである」という、もう現在記者は「報道に命を賭けない」ことがはっきりと見て取れる。今回の給油問題も、報道は「サボタージュ」を決め込んでいる。現地に飛び、何処の国に給油しているのか、給油した軍艦はアフガン行きなのかはたまたイランまで行っているのか、そしてどれほどテロ対策に貢献しているのか、等が記事として全く伝わってこない。
防衛省に情報公開せよと各社言うが、記者クラブ制度にドップリと首まで浸かり広報担当官頼りの記事の垂れ流しに終始している。CNNやフリーの記者からの御貰い記事でお茶を濁しているおぼちゃん記者には「晋三君」を批判する立場ではない。せめて、弾丸飛び交う戦場で、テントを張り、戦場記者クラブを立ち上げてから、平和を語れ。
新幹線つばめは靴箱臭い
鹿児島からただいま帰りました。
鹿児島行きの新幹線つばめって、どうしてあんなに靴箱臭いんだろ。あれがいやで(苦笑)。今回も、誰か履き古した靴下を置いていったんじゃないかと思いました。
かつてアルフィが博多ではじめて豚骨ラーメンを食ったとき、「このスープは履き古した靴下でとっているんじゃないか」と思ったと言ってましたが、ならば新幹線つばめに乗っていただきたい。臭いから。デザインは尊敬するデザイナ水戸岡鋭治氏だけに、あれはどうにかならないでしょうか。
そういえば新幹線に乗っていて、自転車に追い越された経験があります。台風が過ぎ去ってすぐの運航時、ツバメに乗っていてのことです。眼下の道路をみると、自転車に乗った人が、私たちを追い抜いていきました。
2007_09_23山口県光市母子殺害事件
山口県光市母子殺害事件の遺族である本村洋氏の主張を支持します。「弁護活動を一生懸命やってきました」と、会見で涙を流した弁護人は恥を知るがいい。自分のためには簡単に泣けるが、被害者のために心震わせることができない贅肉化した思想の持ち主に過ぎません。
山口県光市母子殺害事件で「被告人の弁護活動を全力でがんばってきたということは信じてください」と、会見で涙を流した今枝仁弁護士のブログはこちら。諸氏はここを読まれどう感じられるでしょうか。法学を学んだ者の端くれとしては、同意出来る所も多々あります。しかし本村洋氏の主張支持の姿勢は変わりません。
2007_09_22携帯電話と鏡
携帯電話の買い替え
「書斎の似合う男になりたい」だとか「葉巻の似合う男になりたい」と聞けば、「おおぅ」なんぞと一種の憧れを覚えます。けれど「携帯の似合う男になりたい」という男がいたら、「大丈夫か」と言いそうなのはなぜ。
ま、そんな前ぶりをしておいて。本日、携帯を買い換えました。初めての携帯買い換えです。2年ぐらい前に買い換えたいとは思いました。カメラが壊れたからです。でも2年間放置してました。なぜか?携帯電話屋が怖いからです。ショップに入るのが怖い。今日は、意を決して行ってきました。一人じゃ行けないから、ホームページデザイナのゴルビー譲と。トークも楽しみながら更新終了。人間観察。70代の男女が3人で携帯買いにきてらっしゃいました。ここにも一人では怖くて来れなかった群像を見て共感。でも間違ってます。分からない者がどんな束になっても、わからんです。徒党の組み方を間違っています。
h3>鏡を買いました
不思議なこともあるものです。鏡を求めてました。カバノンⅡに取り付けるやつです。幅15~20㎝、高90㎝。ネット上では1.5万円ぐらいかかりそうです。
知人の紹介でガラス店を訪ねてみますと、ほぼそのサイズに切り出した硝子が置いてありました。値段2000円。たぶん大きな鏡を切った残部でしょう。「呼ばれたな」と私は思いました。ところでこのガラス店の主人はモノ作りが大好きで気さくな雰囲気が漂うとてもいい方で、鏡の取り付け方について親切に教えていただきました。なんだかしばしば通う店になりそうです。
2007_09_20カフェ豆ちゃん
二日続けてカフェ豆ちゃんへ。
ヴォネガットを読む
今夜は白いソファーに掛けて、この前書いてましたカート=ヴォネガットの作品『スローターハウス5』を読んでみました。わかりませんなぁ(苦笑)。なんでこんな作品を長編にする必要がある? アメリカ人は厚い本が好きだからねぇ。それに1960代的不親切さに満ちてますな。この歳になりますと、分からんものは分からんと書けるようになります。若い頃はこの手の作品に出会ったら、ゲージツの薬だと思って読んでましたけど。
お得な夜の豆ちゃん
ところで、夜のカフェ豆ちゃんはものすごくすいてます。あのね、構えていく店じゃありませんからね。オシャレな店ですが店主の黒糖庵氏はおそろしく気さくで優しい人です。行って見りゃわかりますよ。話しかけてみましょうね。ツンツンした店じゃ決してありません。で、も一つ。安い。チャージ料なしで、アルコール類は600円ぐらい。ものすごくうまいエスプレッソは400円。「お願いだから、一生朝は飯とみそ汁作ってくれ」と言って結婚したぐらいパンが苦手な私が、「お、うまいじゃない」と言った手作りパンも100~200円ぐらいで買えます。気楽に仕事帰りに寄ってみましょう。10時ぐらいまでは確実にやってますよ。4人掛けの席ですけど、お一人様一人掛けOK。私も半分ぐらいはお一人様で行ってます。あとの半分ぐらいはきれいな女性陣と行ってます(笑)。木曜日にいらっしゃると私に会う確率大。角の方の席で、ジンを飲んでる紅の豚がいたら私です。声かけてみてください、噛みつかないから。
2007_09_17カート=ヴォネガット
今年4月11日、作家カート=ヴォネガットが死去していたことを知りました。
ヴォネガットの影響を思わせる色彩感あふれた才気ある文体
私はこの作家のことを知りません。その作品も読んだことがありません。けれど忘れられない作家名です。若き日、小説書きにはまっていた頃がありました。その中の一作が『昔走った稜線』。これを「パスカル短篇文学新人賞」に出品しました。その時の審査員であった筒井康隆氏から一次予選通過の際、次のような評を頂きました。
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「92点 ヴォネガットの影響を思わせる色彩感あふれた才気ある文体が実に楽しい。プロに近い文章そのもので読者を楽しませようという応募作がここのところ皆無だったので、特に嬉しかった。この文体、他の委員の中には「気障」として退ける人がいるかもしれない。文体に凝り過ぎて、富田の人間像が希薄なのは惜しい。」
密告社会
旧ソ連では密告が国民の義務であり、推奨されていた。虫酸が走る。そんな社会に住むのはまっぴらゴメンだ。と、思っていたら、住んでんの。昔は国家に密告していた。今はメディアに密告している。で、これが美徳とされている。そうか?そうか?悪の究明は義だ。しかし、密告は義か。自分を安全圏に置きつつかき回す姑息さは義か?それを記事作りのために推奨し、そして記事ネタとして連載形にして叩くだけ叩き、その一方では巨悪に関してめったに追求しないメディアの姿勢は義か?これは子どもの教育にいい風潮か?なんとも情けない社会に成り果てようとしているように思うのは、私だけか?
2007_09_14匿名で他者批判する輩
匿名で他者批判の書き込み等をする輩が大嫌いだ。
私のBBSのご常連は既知の中で、皆さんご案内のように蕩々と論議し、そこには厳然たる大人のマナーが流れている。皆さん方を誇りに思う。一方、世の中には、己の矮小さを恥じ入ることなくコソコソと匿名で、糞のような思考を残し去っていく野良ネズミのごとき小人がいる。
俵山氏と共に楽しんだ記事を見てあーだこーだと四畳半の思考で極めて世俗的知恵つけをした人物。例えばお前のことだ。くだらない。実に矮小かつ偏狭なる世界観。それが正義をなしたことと思っているならば、それが君の燕雀ぶりを証明している。笑いの質こそ、その人物のハラの大きさを測る物差しだ。30センチプラスティック定規しか持たぬ輩には、100mは測れぬ。ましてや世界の丸さなど測れぬ。いい大人が匿名の陰に隠れコソコソせぬように。子どもの教育に悪い。どんなことを言おうと、昔から匿名では新聞の投書欄にも載らぬ。当たり前だ。自分の名前にかけて責任をとらぬ発言など相手にする必要はない。なぜなら、書き込んだ時点で、その人物は糞残す野良ネズミに成り果てているからだ。
2007_09_12安部首相が辞任
これでテロ特措法延長はなくなり、戦後初めて「ノーという日本」になることになるでしょう。米国下院の従軍慰安婦問題非難決議、そしてわが国を蚊帳の外に置いた米朝蜜月関係。
実は、わが国の政治家は与野党を問わず、米国にガツンとゲンゴツを振るいたいという思いにとらわれていたはずです。特に安倍首相を支える右は、昨今の米国の横暴にテロ特措法延長などしたくなかった。違いは立場だけ。で、こんな大騒動を演じなければならなかったのでしょう。そして、このことで安部首相は、奇しくも公約であった「戦後レジームからの脱却」、米国から言いなりの国家体制からの脱却を成し遂げたかったわけです。これがことの真相でしょう。
2007_09_11テレビアンテナの配線
秋です。夜景を見ながら、カバノンⅡでテレビアンテナの配線作業。先日thomさんに御指南いただきました。虫の音がします。枕を抱いてゆっくり眠ります。 「猫」アップ。雑誌『AGASA』に掲載したエッセイです。
2007_09_10カフェ豆ちゃんオープン
カフェ豆ちゃん、明日11時半オープン。長崎で一番うまいコーヒーを飲ませてくれる店、いよいよ見参。ここのコーヒーを飲まずしてコーヒーを語ってはいけません。あなたのコーヒー観が一変します。エスクアイア日本版デジタル写真賞アマナ賞およびよみうり写真大賞デジタルアート部門一席に輝くアーティストの盟友黒糖庵氏が、新しいライフスタイルを求め展開するカフェです。場所は長崎市東古川町1-5(地図) phone 095-825-4455
2007_09_08カレーパーティ
長崎水辺の森公園で、カレーパーティに急遽参加。極上のカレーとワインが登場。合掌。横になる。背に当たる芝生。雲が流れる。時が流れる。ときおり木の葉がそよぎ、地球が自転する音を立てる。こうして少しずつ人生の楽しみ方を知っている方が増えていることはうれしい限りです。
2007_09_07多忙感を訴える人
2種類いる
多忙感を訴える人には2種類います。本当に忙しい人と、忙しさに慣れていない人。
処理能力不足の人
後者はこれまでゆっくりと暮らしてきたが故に、処理能力を鍛えてこなかった人ですね。
ある程度お年を召した知り合いの女性が「忙しい。もうむちゃくちゃ忙しい」と訴えられるので、どうしたのかお聴きしますと、10名ほどの客を迎える宴席があって、この際の手みやげを選定するのにもう1週間ぐらい考え込んでいるので忙しいと聞いて、全身の力が抜けそうになった経験があります。
複数の懸案事項が並行して走っていて当たり前。「忙しい」とすぐ口に出してしまう人は、結局本人の処理能力訓練不足の問題。その証拠にのらりくらり飲んでる人が多いですから。
私には時間がないと言いがち
処理能力の鍛錬が出来ない人は、結局「私には時間がない」と豊かな生活へ向けての展開に、重い腰を上げないまま終わるでしょう。もちろん多忙さを自慢する人は問題外。そしてさらに都市的多忙さは、結局虚構ではあるのですが。
2007_09_05上五島
上五島へ。考えてみると、この数年間、私用だけで県内を離れたのは、皆無に等しい状況になっています。今から10年前はあれほどキャンピングカーで方々を徘徊していましたのに。ちょっとさみしい。
2007_09_04ながさき県民大学 講座案内
ペコロス氏が表紙を担当する「ながさき県民大学 講座案内 9月号」が発刊されました。今回のテーマは「スローライフ」。県内のあらゆる講座が圧倒的ボリュームで紹介されています。役場・公民館、18銀行・親和銀行、歯医者さんなどに置いてあります。
2007_09_02婦人会
婦人会の催しにおじゃましました。そのパワーに圧倒されました。エコな取組、例えばEM発酵液や廃油石けんなど、ものすごい時代の先端を、身近なところから取り組まれていることに敬服です。さて、夏の終わり。家族の食事会。またみんな健康で仲良く行こう。わが家は、男組がひょうきんなのであります。
2007_09_01フロシキ
エコの波に乗りフロシキの流行。悪くありませんね。日本は箸、西洋はフォークとナイフとスプーン。素材を工夫して使うのが、日本のやり方。結び方を身につけなければ、使いこなせないのがフロシキ。つまり形なきソフトさえ身につければ、自在に使えるのがフロシキ。ということでフロシキの結び方はこちらです。