2010年6月
ただはしゃぐメディア
皆さんお気づきでしょうが、メディアの岡田ジャパンの伝え方は、昨今のわが国のメディアの体質をよく伝えてますね。その体質とは、1.ただはしゃぎ思慮が薄い、2.全社右へならえ。岡田ジャパンの戦略ってどんなものだったのだろうと調べてみたのですがきちんとした解説がない。ただはしゃいでいるだけ。たぶんわかってないんでしょうね。子ども新聞みたい。いや、子ども新聞の方が基礎を押さえようという姿勢があいます。そして、どこも同じ論調。
ネットで調べた方が、ずっとまともな解説に行き当たるし始末。このあたりが、大手メディア危機説の根拠になってるんだろうなとつくづく思います。たとえば、あと20年後、新聞社やテレビ局って何社残っているんでしょうね。
米国の若者はもはや受信機自体を欲しがらない
私もテレビって昔に比べるとずいぶん見なくなりましたね。ここを読んでくださっている方もそれには同意していただけることと思います。
i-phoneの行列バイト疑惑
メディアが新型i-phoneに行列が出来たと伝えてます。この件についてはしばしば書いているのですが、こんな構造になってるんだと推測しています。1.スポンサー企業からテレビ局が新製品の取材を依頼される。 2.「では取材に必要な絵を」とテレビ局。 3.企業が行列のバイトを雇う。 4.この行列に暇人が続く。
で、そんな話題はないかと検索したらありました。マクドナルドの行列バイト疑惑記事。
娘と二人で太宰府
先般、娘と二人で食事。太宰府。よろし。
不躾庵の茶器陳列棚
こちらは不躾庵に原案をご提案申し上げた茶器陳列棚。散人さんのお母様が残された茶器の趣味は静謐な味わいに満ちて、その感性が偲ばれます。これをじゃますることなく、主役の茶器を浮き立たせ、己はそれを抱きつつ引いて地となる棚となったようです。
しずちゃんとナカオさんと
シンペーくんちで、しずちゃん、ナカオさんと、この前福山雅治が買いに来た天吹を飲む。女性二人の相性きわめて良好にして、またの再会を祈った模様。天下泰平。
里山週末野外レストラン
この5月の里山シェフの皆様方の活躍には、すさまじいものがありました。しんのじシェフのつぶやき。「週末野外レストランっていいですよね」 おーう。アウトドアキッチン
その思いにどんと応えられたのが里山の御茶ノ水博士 機械屋さん。
「ほれよっ」と作られたのがアウトドアキッチン。すごくいい。
そんな料理に我も我もとおいでになる常連の皆さんで、テーブルも従来のものでは間に合わなくなりました。で、これも機械屋さんが「ほれよっ」。これがまた優れもので、金属なんです。で多分皆さんの想像より大きいもの。
で私も、フォークとナイフとスプーンとワイングラスを大量に購入して里山に投入。どこに行く、里山。こんな流れの中、あえて声大にして「でもね時々一人になりに行く場所だからね」と。
美しくあること。洒落ていること
ブランドなどいらない。
美しさのありようは私たちが決めていく。
美しい時間の過ごし方。
洒落た風景のあり方。
夜、里山は一つの美意識の中にすべてを包みこんだ場となる。
キャンドルとランタンが点在するその様は、まるで小さな宇宙のようだ。
10年という月日
里山は今年10周年を迎えました。私が若いころ、10年という歳月は、遠い未来のように感じていました。過ぎ去ってしまい俯瞰すれば最近のことのように感じられます。この10年間、多くの方々にお世話になってきました。最近シェフをお勤めいただいたじだらくさんは、里山のごく初期からずっと関わりを持っていただいている方です。称号は粉師。心優しい方です。
初期の里山
もともと里山をつくりはじめたのは、一人自然に浸るためでした。下の写真は里山道楽を始めた年のもの。雨降る里山にブルーシートを張って一人佇むの図。今見ますと、自身が切なくなる写真ですが、こんなことをさせる何かが私の中にはあったのでしょうし、その何かは今も私の中に住んでいます。
ただただ真空のような一人の時間に包まれていたい。時々そう思います。これは里山の私には必要なことのようです。
私が尊敬し、愛する皆様方との交流、そして未だ出会うことなく人生を進む会うべき方との曳航。これは私の人生の渇望ともいうべきものであることは疑いようがありません。それと同時に一人となって「私」に立ち返ること。還流と、私という一点の確認作業の相互のフィードバックによって、私という意識はできているのでしょう。
「私とは、私と私をとりまく環境である」(オルテガ・イ・ガセット)