2010年11月
プラスティックの質感が好きではない
気付き始めたことですが、私はプラスティックの質感が好きではないようです。出来たばかりのプラスティックの質感は、それはそれで美しいのですが、年数を経るにしたがって増してくるあのチープな質感が受け入れがたい。我が家はリビングの一面がキッチンになっていますので、ここに置いてあるものは金属性か木製のものにしたい。どうにかしたいと思っているのが現在使っているミキサーでして、これが過去は白かってんだろうなというようなプラスティックのチープさ。まるで「やじうまワイド」の司会者 吉澤一彦ぐらいチープ。で、探してみますとあるんですねメタル系のミキサー。
リンガ信仰
娘、息子と3人で、太宰府、国立博物館へ。館内でスポットライトに照らされた石製の現物を前にリンガ信仰を解説すると、「なんでお父さん、こんなところでそんな話」と我が元から逃げる。「バカモノ、これは学問である」 「やめてよ」まだ学問の面白さを教えるにはしばし年月が必要のようである。けれど私の願いを聴き入れ、カピタンの衣装を纏ってくれるフットワークのよさあり。Thanks!
エポケ
「民主主義」「人権」という言葉を懐疑せぬ思考停止
「エポケ」という「アホけ」とよく似た言葉がある。簡単に言えば、思考停止、判断停止という言葉だ。現在社会では、度々「民主主義」「人権」といった言葉を使って物事が説明されるとき、エポケが発生している。社会科学の研究レポートも、「民主主義」「人権」に発射台を置いて結論へとロケットを飛ばすものが数多い。その発射台の置き場を疑うことはタブーとされる。だから思考停止する。そう、それは思考停止なのだ。「民主主義」「人権」は今や水戸黄門の印籠かのごとき有様である。思考停止を長く続けた言葉が瓦解する時、社会自体が瓦解する
しかし思考停止を長く続けた言葉が瓦解する時、社会自体が瓦解することを我々は知っている。例えば「天皇万歳」という言葉がそれだ。それ故、タブーを設けてはいけない。「民主主義」「人権」など公的抑圧のごとく思考停止が無意識の上にも強いる言葉が存在する場合、それは強健な社会状況とは言えないと私達は知っておくべきだ。
里山
ケンちゃんのウルトラマリンブルーのスポーツカーで里山へ。
漫画本を大人買い
昔読んだ本で、ストレス発散の方法が列挙してあったものがあって、その方法の一つとして漫画本を大人買いして読むというのがありました。で今回はこれ採用。ブックオフの1冊105円に驚き。わんさか買って里山へ。ケンちゃんは一服した後に展示会で下山。一人カバノンに篭って、スコッチ片手に読む読む読む。夜半、機械屋さんのメールでデッキに出ると空には美しい月。
結局9時間ぐらい睡眠。
足湯機
朝、ドアをあけると、鳥の声、注ぐ陽光。里山は薄っすらと黄色く色づいていました。里山をうろついた後、木を3本移植。11月にしては温暖な日。幸せ。
コンパクト・足湯機のぽかぽかのお湯に素足を浸しながら、デッキで坂本龍一の30歳代のインタビュー集『Seldom Illegal』を読み直し。今から25年ぐらい前の発言ですので「ニューヨークではレコードショップにもだいぶレコードがなくなってCDになってきている」のような言葉があったりしまして、未来人の私がそれを読む感覚が愉快。一人ボーッと読んでいると気配が消えているのか、途中何度も舞い降りる野鳥達。湯気のたった足を投げ出したり、お酒を飲んだりしながらの一日。
大新聞と小新聞
わが国の新聞がともすればゴシップ的な記事に走りやすいのは、その歴史と無関係ではないでしょう。大新聞は小新聞に押されて消滅
明治前期、わが国には大新聞と小新聞がありました。大新聞(おおしんぶん)は教養のある読者を前提とし、政治テーマとした論説が中心でした。これに対して小新聞(こしんぶん)は、市井の事件報道が中心。のち、大新聞は小新聞に押されて消滅していきました。朝日にしろ読売にしろ小新聞の流れです。「忙しい」の九割は無駄な仕事
「まつをさんのように、ゆったりと、ゆとりのある生活がしてみたいです」これは先日いただいた有難いコメント。
まその、私の身近な方はお分かりかとは思いますが、私はその対極の仕事に従事しております。けれど、このコメントはうれしく思いました。
「忙しい」の九割は無駄な仕事
今人率ね口に多忙を説く。其の為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一二、閑事を料理するもの十に八九、又閑事を認めて以て実事となす。宜なり其の多忙なるや。志有る者誤つて此の?を踏むこと勿れ。
『言志四録』佐藤一斎
まつを訳:今頃のヤツは、口癖のように忙しいと言ってる。だけど本当に大切なことは1~2割。くだらんことで、忙しい言うとります。バッカじゃないの。志のある者はそんなになっちゃいけない。
と言うわけで、バシッと切り替えることが、人生を多彩に楽しむコツだと思っています。重圧=多忙感になっている人は、人生の入門どころで留まっている人。
映画『シャネル&ストラビンスキー』
映画『シャネル&ストラビンスキー』を観ました。オープニングの『春の祭典』初演時の騒動はよく知られた話ですが、それが再現されています。藝術史の生まれ出る瞬間の描写に感動。あそこだけ観てもいいですね。上のリンクに行きますと、ストーリーや画像も張ってあります。
映画『食堂かたつむり』も。森ガールな話。その、私はいいとおもうな、ぼーっとできて。
13人のグランマザー
胡散臭い話を聞きました
「13人のグランマザー」と呼ばれる先住民族のばあちゃんたちの活動です。たとえばアマゾン奥地の村で暮らす知恵あるばあちゃんなど↓。ちなみに、森の奥地で自然と一体になった暮らしをしていて、こんなに太いっているばあちゃんは私ははじめて見ました。
彼女たちが、人間の本来の生き方を話し合い、地球を救うために、世界各地で国際会議や講演をしているらしいのです。
うっさんくさい。あまりに先進国用の入れ食い開発された餌。この話題を話してくれた方が心根の清い方なので、一層心配しました。胡散臭いやつらは、純な人間を食い物にします。それは歴史の中で事例を揚げるには暇がないほどです。
(問) 高度に文明化された地域から隔絶された村に住む世界各地の13人のばあちゃんたちが、どうやってお互いに知り合うことができ集まったのか?
(私の考え) 誰かがプロデュースしなくては無理です。それも世界をまたにかけたプロデュース力を持った組織です。
彼女たちは言語も違うはず。機械文明から隔絶した村に住むばあちゃんが、空間と言語の壁を超えて知り合えるか考えてください。おかしいでしょう?
この企画をプロデュースしている強力な組織が裏にいます。
さらに、隔絶した村に暮らしていた人が、数百人、数千人の前で講話が出来るか考えてください。おかしいでしょう? 本当に、ばあちゃんたちは素朴な暮らしをしていたシャーマンだったりするのか? もしかしたら彼女自身も胡散臭い人物ではないのか?サイトのどこをみても、彼女たちのプロフィールには耳新しい部族名は出てきますが、所在地は書かれていません。おかしい。
さらにさらに、キーワードの整い方が揃いすぎています。機械文明から隔絶した地域に居住。精神世界に精通した生活。長老。それも女性だけ。そして13人。で「13人のグランマザー」。笑ってしまいます。この分かりやすいプロデュース。絵に描いたような、先進国のエコ好き人間を捉えるキャッチコピー戦略。それも13人で、欧米をカバーリングするためキリストの使徒とのかぶらせも計算済み。
プロデュースしているのは何者たちなんでしょう。だまされないようにご用心を。私も昔『成長の限界』という本で大掛かりにだまされた経験がありますのでご忠告申し上げます。