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2013年10月



2013_10_30

もっと緑を


里山に行きたい。

里山に行けない。

緑欠乏症に陥る。

気づくとあちこちに緑を置こうとしている自分を発見する。

疑似里山体験をしようとしているのだ。

 

2013_10_29

アンディ・ウォホールの思い出

  • 散人さんのコメント
    ニュヨークに住み着いた当初、休日にはテクテクと歩いてセントラルパークを横切りメトロポリタン美術館に行っていた。そこには洋の東西時代や古今の名画が飾ってあって圧倒された。

    がある日帰りの経路を変更しいつもと違う通りを歩いていたら、モダンアートの美術館に出くわした。入るとアンディ・ウォホールの作品が飾ってあって衝撃を受けた。メト(メトロポリタン美術館)とは全く違うのである。メトの作品群を嘲笑うような作品群であった。
    20世紀を切り開いた「アメリカ」が確かにそこにはあった。

    それ以来私は散歩道の経路を変えた。近代美術館から先にした。生粋のアメリカンの彼女は大いに喜んだ。 「fumio、メトってダサクない、私、いつもそう思ってた」と云った。

     

    2013_10_28

    洗面所リフォーム


    生活感溢れるショット。先週に続きプチリフォーム。素材をだいぶん木材に入れ替えたところ、温かいテイストに移行。ちっちゃな湯船にちっちゃな洗面所。こりゃ「湯」と書いた暖簾でも下げよう。

     

    2013_10_27

    ジェイコブ・コライダー - Don't You Worry 'Bout A Thing


    これもまた抜群のセンス。スティーヴィー・ワンダーの名曲を一人で多重録音。

     

    2013_10_26

    クティマン - スルー東京


    抜群のセンスですね。和楽器とデジタルな音が見事に織り込まれた作品。

     

    2013_10_25

    『捨老彷徨記』

    捨老さんのBarでのお話を、ここに抜粋・調整しご紹介させていただきます。

    出雲の玉造温泉

    写真は先日までいた 出雲の玉造温泉の 手作り夏祭り。玉造川の土手に常設されたステージで 安来節やら ドジョウ掬い 土地の人々のボランティアで 温泉客の喝采を浴びておりました。粛然として古式の(?)品のいい温泉街の川風が心地良く、朝夕は肌寒いほどでした。お勧めです。東海の海辺はまた暑くなりそうです。

    長崎は興味つきない裏路地に満ちている

    「この先行き止まり」とか「抜けられます」などと言う。手書きの案内が掲げられていないのは 偶然の通りがかり人が少ないのか はたまた 長崎は裏路地が多すぎて そんな手間を省いて声を掛けあうことを愛したのかも知れない(笑)。長崎は興味つきない裏路地に満ちている。
    ひとたび裏路地彷徨に目覚めると 旅が楽しくなるのは必定。よその街でも 世界の街でも。
    実は世界は大通りではなく綾なす裏路地で連綿と繋がってきたことに気づかされる。かのアッピア街道ですら単なるささやかな田舎道に過ぎないのだから。
    近頃観光客を気遣ったのか「シーボルト通り」などと小ジャレた標識が立っているが 「通り」は間違いだろう 紛れもなく裏「路」なのだ(笑)。「唐人街道」には呆れるばかりだ。後の歴史さえ歪めかねない。
    少し気に入った裏路地を見つけたら しばらく馴染んでみる。抜けられなくなるかも知れないのは 裏路地が綾なす人間路地(笑)。

    もう一晩くらいおらんば

    長崎。
    「なんば言うとね もう一晩くらいおらんば うちんがたに居ついてくれても よかとよ。一人見送っとも 二人見送っとも 変わらんとやけん」
    最近ヨイヨイの爺様を看取ったクラブのあるビルのオーナーでもある美人ママが、ずっと以前に離婚した無心男と 子供を挟んで長い係争中なのは もちろんボクのせいではありませんが、50を過ぎて幾分シワも増えた分だけ 言うことに迫力が増しました。そのママ母(笑)の要望で つい帰宅を一日延期したようなわけで…(汗)。

    岡山

    岡山。眉山からは市街が一望できていいところです。今切川のほとりでノンビリ飯を食べて ボクは西北の旧い田舎町の大麻比古神社という所から 裏手に続く卯辰越を越えて播磨灘沿いを 鳴門まで歩きました。いい旅でした。岡山も暇があったらせひ高梁にも足を向けて見て下さい。

    芭蕉・山頭火・牧水・西行

    憑かれたように歩き続けた芭蕉の健脚。
    帰路が欲しくて泣きじゃくりながら歩いて眼球も乾いた山頭火。
    所詮帰路を辿る以外になかった牧水の飛翔の夢道 逃避行。
    帰路を荘厳しつつ念じ歩いた西行法師。
    つくづく脚は弱くなる アキレスの夢。

    人生?召使にでもくれてやれ

    雨が降っている。あたかも強迫観念に支配された者のように 早朝の徘徊を断念することへ幾許かの躊躇を伴う。
    早朝の覚醒はたかだか年老いた者の生理的習いに過ぎないことを 改めて自らに言い聞かせる可笑しさに濡れ鴉が反応する。覚醒した世界と夢の世界とのあいだになんらかの厳密な境界線があると想像するのは 誤謬にちがいないのだとでも言ってるかのように。たしかに 夢の翻弄に覚めたとしても 日々繰り返し彷徨と徘徊に明け暮れているのだ。
    二列の列車のうち動かない方の列車の窓から動き出した列車を見るとき あたかも自分の方の列車が動き出したかのような思いがするのと同じように 世界の彷徨が自らの彷徨を停止させて見せる のかもしれないことを思い知る。
    「人生?召使にでもくれてやれ」 リラダンが著した『アクセル』の主人公アクセルのセリフが気に入って 繰り返し諳んじていた若いころ。花園神社裏の路地の狭い酒場で酔いどれ客に交じって 藤圭子が気さくにギター抱えて唄っていた。ブラウン管の彼女が幻だったのか 酒場の彼女が夢だったのか。いやいや 停止していたのはボクの列車だったかもしれない。
    さ 今日がはじまる。

    屋台

    うんざりするほど長かった夏も こうまできっぱりと逃げ去ると 酒飲み達も急に屋台の 道にはみ出した椅子に座りたくなるらしく 上着のジッパーを首根っこまで引き上げて ぼんのくぼさすりながら おでんの湯気に首を突っ込みつつ 「一本浸けてもらうか…」などと 屋台にそっぽ向いた姿勢で 「しらたまの…白玉の…なんだっけ??」ととぼけたことをぬかしながら股に椅子を引きずりこんだりする。
    ま そんなこんなで 白々明けの徘徊も似合わなくなり 汗さえかかないので ゆんべの名残りが胃の腑あたりで熱くなる。体に悪い季節とはなりました。朝風呂あとの粥がうまい。

    静岡

    静岡の宵と早朝を徘徊した。
    夏場は市街地からほとんど見ることのできない富士山が 珍しく日の出前黒々としたシルエットを見せていた。幸運であったかも知れない。
    あんがい土地の人は無頓着らしく 人々はこのビューポイントさえ知らぬ気であった。とにかく今年は秋が遅いとみえて 富士はふたたび重空の奥に姿を隠した。
    わが日乗も気まぐれに宵闇に途切れがちであるが 新宿の抜弁天を右に折れて五分ほど行った余丁町に断腸亭跡はあったらしい。「余既に餘命いくばくもなきを知り、死後の事につきて心を労すること尠からず」 と 30代にして老人計画に余念のなかった荷風散人を思うと もう少し身を入れて爺ィを勤めようかと思ったりする今日このごろである。

    早朝徘徊

    家だろうがホテルだろうが 歳とると早起きでね。しょーがないから どこにいても早朝1~2時間そこらじゅうを歩き回ります。この早朝徘徊で昨夜の酒はみィ~んな汗になってしまうわけで いたって健康 夜の徘徊とのギャップが楽しめます。ただ…時折出会う老人達に挨拶されると どーもね。「仲間」の烙印を押されたように切ない。

    日本の町々は明るすぎる

    確かに、日本の町々は明るすぎる。馴れてしまうと 電力節約した銀座にドキッとするが それを日常にする勇気は日本人にはないらしい。
    谷崎潤一郎も「陰翳礼讃」に、パリ帰りの人の話として おそらく世界中で電燈を贅沢に使っているのは日本とアメリカくらのものだろうと 随分昔に書いている。パリの真ん中に「マツダ・ランプ」の日本の看板が掲げられたのが初のネオンサインだったから やめられないと言うわけでもあるまい。
    フランスなどは日没後の明るい時間が9~10時ころまで続くこともあるが ロンドンやローマの夜だってそんなに明るくしているわけじゃない。それで一層古い建物や路地に深みのようなものを感じたりもする。地方都市の暗さは 日本の地方とは比べものにならない。
    陰翳(いんえい)の美こそ日本的な美意識ではないかと谷崎は言う。モンサンミッシェルの佇まいに憧れて旅行する日本人は たいてい何もない辺鄙な田舎の夜の長さに牢獄を味わって帰って来るようだ。現地では 日本人観光客のため精一杯照明時間を増やしているのだが モンサン江ノ島のようにはいかない。

    対馬のターザン

    小学校2~3年生のころ 何の目的で行ったどの地区だったのかも思い出せませんが 父に連れられて行った時の対馬の異風景の断片がいつも脳裏から離れず 夏が来るたびに思い浮べては断念し もう数十年が経ってしまいました。
    一度は 下宿先でも捜そうと思い立ったこともあったのですが 折悪しく対馬が関西方面の学生たちによる大麻騒動で 面倒なことになっている時期だったらしく断念し それ以来 歳だけを重ねてしまいました。
    ボクは幼いころターザンは女性だと信じ切っていたころがあります。それと言うのも 対馬のあのころの若い海女たちの屈託のない笑いと Tバック顔負けの三角な布を麻ヒモで結わえつけただけの赤褌 あとは大きなナイフを縛りつけてるだけでスッポンポン あの健康的な赤銅色の胸や尻 まさしくターザンだったのです。何人かは磯から 別の組は小舟から それぞれ海に入って手桶を押しながら 波間に消えていく海女たちの快活な仕事ぶりを どこか途方もない夢の国のなりわいを眺めているように 魅了されて見入っていたものでした。
    もちろん ボクの記憶の対馬はもうないのでしょうが 肥タゴを背負った馬や人 内陸の渓谷や岩盤のこと 万関橋のこと 石の屋根 石の蔵…。歳をとらないうちに行くべきでした。
    …甲府で酔っぱらってました。

    方丈記

    このさい 『方丈記』をお勧めしたい。むかし鴨長明というオッサンがいたが 「方丈」と言うから一丈四方つまり二畳よりちょっと広い程度の 小屋を建てる自作の木製組み立てキットを持ち歩いて 好きな処でお茶をたて一服やってごろ寝して 旅した人だ。日本精神の大変芳しい部分を学べるものと確信する。
     ゆく河の流れは絶へずして しかももとの水にあらず
     淀みに浮かぶうたかたは かつ消え かつ結びて
     久しくとどまりたる例(ためし)なし
     世の中にある人と栖(すみか)とまたかくのごとし

    生と同じように死もまた賜物

    老いの才覚などと言われても この程度のもんだし 後ろ向きの生き方が幸せを呼ぶと言われても 前向きだってそう長かない。
    二十歳のころ まだ道路事情もよくなかった真冬の野母を散策してるとき 人里離れた古寺の 荒れ果てた裏手の暗い池の面 薄氷を透かして目に染みた色鮮やかな蝶の拡翼。
    時に人は口にする「家の畳の上で皆に見守られて果てたい」と。仏に成る 神に召されるとは いったいどんなことをさして言うのか あいにく 無信心のボクにはわからない。
    生と同じように死もまた賜物。だとすれば 斃れ 腐敗し 崩壊し 拡散する 虚空へのすべての旅程を なんびとにも阻害されることなく感じとれる。その特別な場所に辿りつきたいと。
    そんな奇妙な想いを 本気で胸に畳み込んで駆け抜けた青春だったが いま年老いて 生への執着が薄れるのと同じように 終焉のかたちものぞまなくなった。

     

    2013_10_23

    「現代は末法である」という発想は過ち


    「現代は末法である」という発想は、すべての時代が犯してきた過ちである。

     

    2013_10_20

    君は毎日成長してる

    君を毎日コマ撮りする

    君を毎日同じ柱の前に立たせてコマ撮りする。10年間続け、これを一機に見れば感動ものの体験をするだろう。

    身体が成長するのに、心だけ成長しないなんて、おかしいよね

    君は「どうせオレなんか」と言う。
    待ってくれ。身体がこれだけ成長するのに、心だけ成長しないなんて、おかしな話じゃないか。だってそうだろう。君が着ているその服も、買った時は少し大きめのを買ったんじゃないかな。つまり自分が成長することを前提としてたんだよね。なのに心が成長しないだって? おかしな話じゃないか。それは、とらわれというのがどれだけ心の成長を阻害するかってことを証明している。

    そのむなしさは心の容量が大きくなってるから

    君は日々の生活に空しさを感じ始めていないかい? 実はそれは心の容量が大きくなってるからじゃないかな。心が大きくなってすきまができているから、空しさを感じてるのかもしれない。

    だからフラフラしないでいこう。君の心が、君にこのすきまを埋めてくれって言っているんだからそうしよう。自分を磨こう。
    身体が成長するように、心も成長する。当たり前のことなんだけど、僕たちって時々そのことを忘れるものさ。

     

    2013_10_18

    法爾庵 仏間

    義母は義父の意を汲み、初七日の法要を正しい初七日にあたる日に行われる。葬儀の花も白に統一された。静かな故人へのおもい。



     

    2013_10_17

    法爾庵 墓


    家人にはじめて墓に案内されたときのことを憶えている。
    丘陵地に広がる墓地だった。車を降りて「どこだい?」と私は聞いた。家人が指さす方を見ると墓があった。

    台座を登りお参りをする。
    墓石の方々の角が欠けていることに気付いた。これはどうしたことかと問う私に、家人はこう応えた。
    「昔のことですが、博徒たちが大きな墓石はツキが出ると、欠いで持っていった跡だと聴いています」
    土地に歴史あり。

     

    2013_10_16

    法爾庵 蔵


     

    2013_10_15

    法爾庵 書斎


    おとうさん。今でも南無阿弥陀仏の意味を教えて下さったことを憶えています。

    インドはインド・ヨーロッパ語族。南無とはナマステのナムであり「どうぞ」という意味。阿弥陀仏とはアン・ミター・ブッダ、つまりアン・カウンタブル・ブッダ、計り知れないほどに有難き仏という意味。

    今、おとうさんは阿弥陀仏のもと横たわっていらっしゃいます。
    南無阿弥陀仏。どうぞ計り知れないほどに有難き仏様、義父を篤き信心のもと御浄土に導きくださいますように。
    おとうさん、本当にありがとうございました。安らかにおやすみください。南無阿弥陀仏。

     

    2013_10_14

    弔辞

    おとうさん。
    おとうさんと呼べる方がいらっしゃらなくなってしまいました。

    50年前、有明海の砂浜を走っていた少年が、今こうしてここに立たせていただいています。深い縁を感じます。

    初めてお会いしたのは、あなたの娘さんとの交際の許しを得に伺った時でした。歴史を感じさせる赤い煉瓦壁、重厚な屋根。中に入ると、おとうさんが刻まれた背丈ほどもある仏様が屹立されていました。そして仏教へのおとうさんの深い造詣を知りました。驚愕しました。

    通夜の席で、おとうさんのお話をさせていただきました。若いころ幾つかのご苦労もされたかと拝察します。けれどこうして晩年、時の総理の名が記された勲章を受章される程のお仕事を成し遂げられました。私どもにとっても名誉なことです。

    命のあやおりの中、ここに集う親族の中にはお腹の中に新しい命を宿している人もいます。新しく縁を結ぼうとしている人もいます。こうした喜びごとも、おとうさんがいらっしゃったからのこと。ささやかな私の家で妻や子供と笑いあえるのも、おとうさんがいらっしゃったからのことです。

    ありがとうございました。安らかにおやすみください。

     

    2013_10_07


    ふと気づくと、桜の木はもう葉も落ちてこのありさま。近年特に日本人は桜の木を植えたがるが、考え直していいのではないか。一年間でこんな寒々しい姿を半年間近く晒し続ける樹木は珍しい。私はパスだ。

     

    2013_10_05

    熊本 2PLATS


    熊本。旧友キタズミくんと久々に会った。

    案内してくれた店は「2PLATS」。ビストロ。

    使いやすいサイズ。また行くだろう。

    リートフェルトのシュレーダー邸を思わせる配色だ。

     

    2013_10_04

    安藤真由さん、行動美術展で受賞


    長崎インターネットラジオにご出演いただいた安藤真由さんが、行動美術展で損保ジャパン美術財団賞を受賞。会友推挙となりました。おめでとうございます。これが受賞作品です。

     

    2013_10_03

    サグラダファミリア


    完成の暁の姿をご覧になりたくありませんか。これが公式に提供された姿です。

     

     



     


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    Profile まつを

    生きてることを楽しもう。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。長崎県。

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。