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2016年1月



2016_01_26

『夢を見る』


辻本健輝 作。購入しました。

 

2016_01_24~25

長崎は記録を塗り替える大雪


この写真は一日のうち、わずかに青空が見えた一瞬。青い空は救いです。この寒風の中、視界を横切っていく鳥。「こんな時でも飛んでいる……」。彼らも恒温動物なんだと感慨深し。

坂の町 長崎は機能マヒ

坂の町 長崎。このような大雪を前提に都市機能が組まれていませんので、交通機関はほぼ途絶しています。機能していたのは平地を走る路面電車ぐらい。ということは人の往来にマヒが発生します。ということは会社や売店や学校にマヒが発生します。
一日、危機管理的情報収集をしていました。明日は月曜日。統計的にみても雪の事故は、圧雪路面で凍結し、降雪当日よりも翌日のほうが多く発生していることを念頭に置いて対応すべきでしょう。この街が体験したことのない状況が発生しているのですから。
  • 長崎市内の情報(24日現在で把握している範囲)
    25日、市立幼稚園、市立小中学校、長崎東高・長崎北高・長崎商業高・長崎工業高は臨時休校。コンビニなどの弁当、スイーツ類の食品はほとんど売り切れ。
わが家の地区のように坂の一帯では、行きかう車もほぼ途絶しています。車に詳しいthomさんにお聞きしたところ、ここまでの積雪だと坂道はチェーン装着車でも走行しないがいいとのこと。

内窓は極めて効果的


ホワイトアウトした外景。

わが家は山の上にあり、なおかつ建物の2面がガラス張りですので、まるで自然記録映画のように劇的な光景を目の当たりにする日となりました。上の写真は、吹きすさぶ雪と風によって周囲が真っ白になった昼間の光景、いわゆるホワイトアウトというやつです。この後、雪が窓に下方から積もり始めました。

今日ぐらい二重窓にしておいてよかったと思った日はありません。極めて高い保温効果と消音効果。吹きすさぶ雪の光景を、まるで音量を消した映画を観ているかのように、日がな一日眺め暮らす私たち。外から差し込む光が次々と変わっていきます。

でも今回ばかりはエアコンでは足らず、2年ぶりに灯油ストーブを炊きました。先日の記事どおり、3日分の食料、汲置きした水、灯油、キャンプ用ランタン(停電時照明)を備え臨んでいます。

合間をみて風呂にゆったり浸かりました。優雅な昼風呂です。


バルコニーに降り積もった雪。

  • 宮崎由衣子(気象予報士)さんのツイッターから。 「アメダス長崎(長崎市)、14時の気温は-2.1℃、積雪の深さは積雪深が16時現在で16センチとなり、観測史上1位の値(15センチ)を更新しました。」 長崎市の明日25日朝までの予想積雪量は、山間部20センチ、平地15センチ。


雪像『ダンテ』


雪像『ダンテ』。玄関ドアを開けたところにつくってみました。使った道具はチリトリ。


ドラクロアが描いた名作『ダンテの小舟』のダンテであります。

  • 長崎市内の情報(25日8:30現在)
    08:00時点 -0.6℃
    路線バス……長崎バス・長崎県営バスとも路線バス運行見合わせ。
    JR長崎本線(肥前山口から長崎)……快速・普通列車は運転見合わせ。
    路面電車……運行見合わせ。
    つまり公共交通機関はすべて止まった模様。
    出島・グラバー園……12時開園。
    ココウォーク……12時開店。

58センチのつらら

  • 代治朗さんのコメント

    降り続く雪。初めて見た58センチのつらら。

    職場に徒歩出勤40分

  • しんのじさん(長崎市)のコメント
    雪国の朝を満喫(爆)。朝から歩いて職場に無事着きました。3.5キロを40分ですから、まあまあでしょ(笑)。平地ですし、こんな時に秘密兵器のアウトドア用長靴が功を奏するわけでして。グリップよく、浸水もせず、大変スムーズに歩けました。いわゆる女性のブーツって、底面がツルツルになっている物が多いようで、スニーカーを履いている人より一瞬ズルッといく場面を多く見かけたような気がします。
    追伸:わが職場で特別にお手伝いいただいている大先輩の顧問先生、時津から2時間強かけて徒歩で来られました。齢80近い大先輩です。ただただ敬服あるのみです。

    病院は不休、状況は上々

  • 散人さん(島原市)のコメント
    病院は不休であります。出てインフラ(電気・ガス・水道)の安全を担当より聞く。次に給食関係も不都合なし。出勤困難者140名中1名(60名は公休)。上々である。ホットして今コーヒーブレイク。

    ライフラインを守られる方々の使命感に改めて感動

  • まつをのコメント
    病院関係者や、昨日路面電車を動かし続けたみなさんなど、ライフラインを守られる方々の使命感に改めて感動します。
    外を歩いてきました。行き交う車や人はまばらです。


    坂道の歩道はアイスバーンになっています。ワークブーツでなければ歩行困難。


    車道の中にデンと置いてあった掲示板。現場の状況ではごもっとも。


    水道管が破裂して吹き出す水。


    コンビニは開いていました。ライフラインとして機能しています。ご苦労さま。

     

    2016_01_22

    大災害時の談合は単純に悪と言い切れるのか


    こんなお話が出ています。

    馬鹿どんが、すっこんでろ

  • 代治朗さんのコメント
    「談合は悪」。これも遍くしかも声高に言われますが、未曾有の大災害時には、入札なんてな企業間競争は無意味だと思うのです。一時間でも早く作業に取り掛からねば、生死に関わる非常時。それを、公取、検察が取り締まるのは「馬鹿どんが、すっこんでろ」と言いたい。日本の道路復旧の早さに、諸外国は驚愕していた事実を知らんのか。談合は、特に土木港湾事業では必要だと思っている者です、私は。それは、小さな災害には地場の業者、大災害には大企業の迅速な対応ができるように、先人が考えた負ではない知恵という一面もあるのです。談合がなければ、企業は淘汰されます。少数の強い企業だけで大小災害に応じる事は出来ないのです。談合で、業界の過度な競争を防ぎ、大小の災害に遍く業者を割り振るには 中小零細の企業も、各地にあってこそ可能だと思うのです。

  • 大閑道人さんのコメント
    代治朗さん、私もそのように考えます。わずかでもいいので全体に行き渡るように。税金の使い方としては、妥当だと考えます。人は働くことで人間としての尊厳を保ちます。失業者が増えて生活保護に税金が回されるよりも、多少割高でもいいから談合で仕事が分配されて、仕事をしてお金を得るほうがいい。

  • 代治朗さんのコメント
    そうですね、大閑さん。金も広くばら撒けますものね。談合と同じ意味で指名競争入札という知恵も生まれたのです。一般競争入札では、一部の強い企業に仕事が偏るという弊害を減らすのが真の目的なのですから。

     

    2016_01_21

    『文藝春秋』もダメになった

    いつ定期購読をやめようかと思っています。『文藝春秋』。就職以来ずっと定期購読してきました。近年の愚劣な構成にうんざりしています。


    かつては↑こんな骨のある記事がドッカと鎮座していました。最近は太鼓持ち記事の多いこと。うんざりします。

     

    2016_01_20

    ホクロ除去

    幼いころから目尻にホクロがありました。黒いホクロです。それほど気にならない小さなものでした。歳を重ねるごとにそれは盛り上がり、近年は色がぬけてきました。不気味です。慣れ親しんだものから自分自身が違和感を感じるものとなり、やっと踏ん切りがついて取ってもらうことにしました。

    昨日が予約日でした。出向きますと「あ、手術の方ですね」と受付で。 (手術……) そう思っていると、奥の方から私を呼ぶ声が。
    がっつり手術でした。止血に3針、外部が5針。今、顔の右側に絆創膏で止められた大きなガーゼが張り付いています。

     

    2016_01_19

    ミック・ジャガー的節酒生活

    戯れに飲食生活を私も改善してみようと思います。

    ミック・ジャガは、今ではドラッグも酒も抜けた

    不良のシンボルだったミック・ジャガー(1943年生)が、今ではドラッグもやらず、酒もほとんど飲まない健康的生活をおくっているといいます。この事実を知ったときは驚きました。ツアーともなるとシェフ、フィットネストレーナー、理学療法士、栄養士などを同行。そして、いい女と恋愛し、自分の子どもと同じくらいの世代の若い連中とつきあうのが健康の秘訣であると(出典)。上のベロ出しマークが還暦の赤に見えます。

    立川談志も洒落ごころに絡めて酒についてこう語っています(動画2:30あたりから)

     

    2016_01_18

    村上春樹のデスク

    村上春樹のデスクは全長二メートル半くらいの分厚い板


    (クリックでより詳しい画像へ)

    上は村上春樹のデスク。以下、ご本人のコメント。

    「えーと、僕の机の上の、ある日の光景です。順番に説明させていただきますと、コーヒーマグはごらんのとおり、スイスの土産物店で買ってきたものです。色が赤くて目につきやすいので、けっこう便利です。目につかないと、つい手でひっくり返してしまって、コーヒーがあたりに飛び散り、惨事に至ります。悲劇ですよね。何度かありましたが。 使っているコンピュータはもちろんアップルです。サブでMacBook Air を使っています。 本に載せてあるペーパーウェイトはニューヨークの Knopf本社に行ったときに、サニー・メータさんにもらったもの。開いているテキストはたぶん、チャンドラーの”The High Window”だと思います。マウスパッドはもらいもののオリジナル・ムーミンです。 机は全長二メートル半くらいの分厚い板を使っています。これはもう十五年くらい使っていると思います。僕にとっては大事な机です。」(出典: 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

    僭越ながら私の机も分厚い板

    これを見て少しうれしくなりました。僭越ですが、私のデスクと類似点がいくつかあったからです。
    1 長い板を、既成の机代わりに使っている。
    2 その板の奥に、背の低いソファーを置いている。
    3 ということは、デスク用の椅子も比較的低いものを使っている。


    えーと、私の机の上の、今日の光景です。順番に説明させていただきますと、湯呑は雲仙焼の石川裕基くんのものです。左側には先日話題に採りあげた茶道について参考にプリントアウトした論文類が赤ペン入りで乗ってます。使っているコンピュータはウインドウズ。アドビのソフト使用頻度が上がってきたので、軽く走るアップルがいいんですけど、切り替えとなると大変で今に至っています。やれやれ。キーボードは無線仕様のもので重宝していて、職場でも同じものを使用。マウスパッドはソメスの革製、スタンドライトはイデアインターナショナル、スピーカーはボーズ、グリーン横の小物入れはじだらくさんからつくっていただいたものです。机は全長二メートルくらいの板を使っています。これはもう八年くらい使っていると思います。私にとっては大事な机です。

     

    2016_01_17

    陰陽五行思想と禅

    サイエンスも易も、森羅万象を包み込む溶媒

  • 大閑道人さんのコメント

    五行思想の極みは、易(易経)です。茶道には、八卦盆というのがあります。八角形のお盆に、易の八卦が刻してあります。易は、ヨーロッパのサイエンスに対応するものです。比喩的に言えば、サイエンスはすべてを水に溶かし込む、とすれば、易は、すべてを油に溶かし込もうというものです。サイエンスも易も、森羅万象を包み込む溶媒のようなものです。


    (編者注:易という語はもともとは変化を意味する。陰陽の二元素により、世界は一瞬も留まることなく変化流動していると。易経は儒教の基本教典の一つ。太古よりの占いの知恵が体系・組織化され宇宙観にまで昇華されている。八卦盆は左上の写真。八卦は「はっけ、はっか」と読み、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉や、相撲行司の「はっけよい」もここから来ているとも言われている。八卦は爻(こう)という記号を3段重ねして表される。下の記号から順に意味を読み取る。(参考:「知命立命 心地よい風景」))

    陰陽五行思想→易→儒教・道教

  • 捨老さんのコメント

    もともと陰陽宇宙の五大元素(水火木金空)的考えが世界の古代に存在したようで、これに四方天地の要素を加えて宇宙の成り立ちを考察し、更に十二支(十二獣)を加えて易となり、人倫の道を見極めようとした学問が儒学(儒教-孔子)とされ、その人倫の道の教祖を孟子~孔子とする教義体系が道教と呼ばれます。みな同じものです。とは言え、ほとんど漢以降の確立で、儒学に至っては南宋の朱熹による、いわゆる朱子学によって完成したと言われます。

    つまり、すべてはシャマニズムに発しています。従って、日本でも最も早く大宝律令などに定着を見るのが陰陽五行となり、日本独自の朱子学が発達することになりますが、当の中国では儒学的思想によってシャマニズムは弾圧されます。

    禅は、印度のヨーガに列する修行を本質として、覚醒(悟り)を先鋭化させようとする仏教体系ですが、これもまた日本独自の発展を遂げます。
    (編者注:儒仏道三教同源論)

    「禅」そのものについては、中国発生

  • 大閑道人さんのコメント

    捨老さん
    > 禅は、印度のヨーガに列する修行を本質として、覚醒(悟り)を先鋭化させようとする仏教体系ですが、これもまた日本独自の発展を遂げます。
    それは、そのとおりなんですが、「禅」そのものについては、中国発生と言うべきでしょう(念仏、称名念仏、もそうなんですが)。それを道元(と親鸞)が純化させた、という点では、「日本独自の発展」と言えます。

    しかし、禅の教学を、易の陰陽の展開を使って解説しているものもありまして、これが一種、教科書的な語録なので、易に対して深く理解していない私には、まったくもって「なんのこっちゃ!?」なのであります。 「重離六爻 偏正回互 畳而成三 変尽為五」   重離 これは、「離」つまり「火」を表し、それが「重なって」いるので、「火」の卦を表し、……というわけなんですが、易のシステムが理解できないと、禅の教義が理解できない、というわけなんですね。逆に言えば、易の造詣は、知識人あるいは為政者には、常識だった、ということです。

    「八百万の神の統合を果そうとした」 これこそ「和の国の神髄」

  • 捨老さんのコメント

    大閑師にワカランと言われれば、到底ボク如きに解ろうはずもありませんが(笑)。「八百万の神の統合を果そうとした」 これこそ「和の国の神髄」なのでありましょう。まさに「混ずる時んば処を知る」であります。『無門関』に知られるように、発せられた大疑を、如何に解し、如何に説くかも、禅の重大な修行と言えるのならば、本来易を禅としたものではなく 易(易経)を如何に解き得るかが、禅の本意であったろうと思われます。

  • 大閑道人さんのコメント

    捨老さん、 まさに仰るとおりでして、シャマニズムとは、いわば、アッチ側のことを、全身を耳にして、聞く。 聞こえてきた内容について、「なぜ、そうなのか」と問うてみても、無意味です。だって、アッチ側のことは、コッチ側とは関係がないからです。でも、コッチ側は、アッチ側の影響を、一方的に受ける。これは、創ったものと創られたものの関係だから、でしょうか。

     

    2016_01_16

    茶はなぜ文化性を伴うのか 3

    茶をプロパガンダに利用した仏教

  • 捨老さんのコメント

    茶に関して言えば、その普及や栽培の端緒に仏教者が果たした役割は否めないとしても、それ以上に、茶の普及と茶業の繁栄を仏教のプロパガンダに利用した、後付の伝説が圧倒的に多く、寺領の茶園が発達した歴史も記録も伝承さえもないのが事実です。

    もとは薬

  • 散人さんのコメント

    もとは薬。 「では一服所望」というように「緑茶」は薬として存在した。栄西が趣向品としてのお茶を日本に持ち帰る筈もなく、やはり「薬」としての効用を広めようとしたのだろう。南米あたりの「コカ茶」は日本においては麻薬指定である。

    茶の普及は仏教以前。陰陽道や神仙学によること大

  • 捨老さんのコメント

    むしろ茶の普及は、仏教以前に、日本原産の茶を含め、茶を仙薬とした陰陽道や神仙学の俗信によること大であったと思われます。

    宇宙の発生と消滅をわずかな空間の中で演出するから、茶は文化性を伴う

  • 大閑道人さんのコメント

    茶は、なぜ文化性を伴うのか。易を極みとする陰陽五行による世界観で、一箇の宇宙の発生と消滅を、わずかな空間の中で演出するからでしょう。

    お茶はなぜ女のものになったか

  • まつをのコメント

    『“お茶”はなぜ女のものになったか―茶道から見る戦後の家族』加藤恵津子 という本があります。その著者の加藤恵津子氏は、ここで著書の内容を分かりやすく語っています。 確かに面白い。少しだけ抜粋要約。

    ○お茶の「嫁入り修業仮説」の現実とのギャップに気づく 筆者は「お茶は若い女性の嫁入り修行」と思っていた。お茶の先生にそのことを話すと「若い人のクラスねえ……」、「みんな中高年の方よ」と。「嫁入り修業仮説」がそこで崩れた。

    ○茶事のもつ現実とのギャップ お茶の世界は、建前と現実のギャップが結構ある。留学している時に日本人が茶会をした。亭主が主客に立てた後、「では、客席のお客様にもお茶をお配りします」と言った時、半分以上の人は帰った。楽しくなかったのだ。「もてなし」と言っても究極的には「点てる人のため」にあるのではないか。

    ○女性が茶道を学ぶ歴史 女性が「作法」を学ぶ手段・機会としてのお茶は明治時代に始まる。本当に大衆、一般の女性にまで広まるには戦後を待たねばならなかった。

    ○茶道のもつハイカルチャーの役割 茶道の原型は男性が始めた。利休や他の堺や奈良の富裕商人達だ。いわば、 「お金はあるけれども、トップになれない人達」が始めたものだ。お茶というのは、「トップから二番目の人が、トップのグループに対抗するために始 めたもの」。 「今さら歌、お作法や蹴鞠などの貴族の猿真似はできない」とコンプレックスを持っていた武士にすれば、商人が「擬似貴族文化」を作ってくれたので、 信長・秀吉をはじめ、みんな飛びついた。その後の歴史でも、身分制度に阻まれて自己実現ができない人達が、このような動機でお茶に走る。 戦後の主婦は自己実現の機会がない。旦那さんも子供もみんな仕事を持っているのに、「今までの私って何だったの」と人生の後半になって振り返る。そういう女性がハイカルチャーのお茶に走る。

    ○お茶を習うことで得られる文化資本道具をめぐっての歴史的背景、道具・掛軸・花・建築の知識、家元制度の知識などの学習を伴う。お茶を習うということは知識という資本を自分の中に ためていることになる。

     

    2016_01_15

    茶はなぜ文化性を伴うのか 2

    茶道に陰陽五行が入り込んでいることは常識的なこと

    昨日、ある茶道指導者にお聴きしましたところ、茶道に陰陽五行が入り込んでいることは常識的なこととの認識でした。

    例えば五行棚。風炉から炉に移行する少し前の10月に用いるもので、木=棚・炭、火=炭、土=土風炉、金=釜、水=釜の水とされ、木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、やがて水が木を生じるというルーチーンを表すとのこと。

    そこで「陰陽五行と禅宗では、どちらが茶道に強い影響を与えていますか?」とお伺いしますと、怪訝な顔をされました。禅宗の一部として陰陽五行思想はあるという捉え方のようです。

    陰陽五行と禅宗の混濁

    このような混濁はどうして起こったのでしょう。実はそもそもの混濁は栄西の『喫茶養生記』の中にもみられます。 その原因は次の三つが考えられるといいます。
    1.仏教と道教の密接な関係……仏教はインドから伝わる際に、当時の仏典翻訳者たちは、中国固有の儒教や道教の思想や概念を取り入れて説明し布教した。
    2.中国伝統医術と道教医術の関係……人を救うことは仏教思想として、医術に精通した僧が多く現れた。『喫茶養生記』を書いた栄西もそのような僧の一人であった。
    3.茶に付加された仙薬としての性格……良い茶は高山に育ち、さまざまな病に効能があった。さらに陸羽の『茶経』によって茶はより仙薬化された。

    なお、道教は生きることこそが人の幸せであるとし、現世こそが楽土であると考える現世肯定の宗教。その理想は「羽化登仙」と表現され、可能な限り生命を維持して延年益寿を実現し、その後は仙人となって天に上ることにあるとしています。
    (参考:「『喫茶養生記』に見られる道教養生文化の影響」浙江工商大学 江静呉玲

     

    2016_01_14

    茶はなぜ文化性を伴うのか

    一飲料に過ぎない茶がなぜこれほど文化性を伴うものになったのか。茶が薬効を超え、文化性を伴うようになったのはなぜか。そんな疑問から調べてみました。闊達にご批評ください。

    茶樹の原産地は中国の雲南

    雲南省の鎮玩県九甲郷千家案で広大な古茶林が発見され、そのうちの二本の茶樹の樹齢はそれぞれ2700年と2750年に認定。ギネス登録とのこと。

    「中国まるごと百科事典」地図を加工)

    お茶の広まり

    漢の時代にはお茶を飲んだり食べる習慣が四川省あたりにあり、隋や唐の時代(約紀元6世紀前後)から全国に広がって、お茶は最も重要な非アルコールの飲み物としての地位を確立。その頃は「餅茶」。宋の時代になると、朝廷への貢茶としての団茶や餅茶とは別に、民間に向け散茶または抹茶が出まわってきた。

    お茶が文化性を持つようになったのは陰陽五行が結びついたこと

    お茶が文化性を持つようになった一因として挙げられているのは、中国茶と陰陽五行が結びついたこと。陰陽五行思想は、全ての事象は陰と陽の相反するかたちで存在し移ろい、人間も政治もこの世界もこれによって動くとする。茶は陰陽を調和させる仙薬とされた。

    宋の茶を受け入れた日本

    日本にお茶が渡来したのは、二波に分かれる。一波は平安時代前(9世紀前後)であったが滅び、二波が鎌倉時代中期(13席初頭前後)。双方とも僧侶の果たした役割が大きい。

    2波目の際に禅の導入と同時に、宋の茶の儀式と理念が受け入れられた。つまり抹茶が流行し、陰陽五行が混ざった道教が入り込んできた。「従来では、『禅茶一体』という言葉が示している様に、日本茶道が禅と関係していることはよく論じられている。しかし天心は禅の役割を肯定する一方、道教は禅と異なり、自然と共生することによって、現世をありのままを受け入れ、わずらわしい毎日の中に美を見出そうとする点に注目し、道教の教えが日本茶道の審美的な理想の基盤となったことを立証した。」

    参考文献:『中国におけるお茶文化の展開とその日本への初期伝来』徐静波『茶と陰陽五行』楊華『日本中世における禅僧の講義と室町文化』原田正俊

     

    2016_01_13

    寂しさの美学~茶はなぜ文化性を伴うのか

    西行 寂しさの美学


    先日、山本正興さんの愛車に同乗させていただき、3時間ほどお話しする機会を得ました。その中で、氏は西行の次の句を諳んじながら、寂しさの美学を口にされました。

     とふ人もおもひたえたる山郷のさひしさなくはすみうからまし

    宋 蘇軾の『黄州寒食詩巻』

    寂しさが表現の根源となっている作品は多く散見されますが、その中でも史上最高峰の書の一つと称される蘇軾の『黄州寒食詩巻』を思い出します。科挙に合格した俊才の蘇軾が、新法党の改革に異を唱えたことにより辺境に流罪となって書いた寂しさの美学と言えます。


    第一首
    「私が黄州に来てから、すでに三度の寒食節を過ごした。毎年春をいとおしむ気持ちはあっても、春は容赦なく過ぎ去っていく。今年はその上、長雨にも苦しめられ、この二か月は秋のようにわびしかった。横になって海棠の花の香りをかいでいても、臙脂や雪のように白い花びらはむなしく泥にまみれている。夜半の暗闇にまぎれて大力の男が春をこっそり運んで逃げてしまったようだ。これでは、病気で長らく寝ていた若者が、病が癒えて床から起きたときにはすっかり白髪頭になっていたのと変わらないではないか。」(出典

    科挙で選考された超文化人・風雅の士たちによって形成されたのが宋という国。その少なからぬ人が地方に飛ばされ、それが故の高度な文化が編まれました。(参考:故宮博物院 南宋芸術興文化特展

    「侘び寂び」の美学は宋の亡命文化人によって持ち込まれた

    寂しさの美学と言えば「侘び寂び」もそうでしょう。「侘び寂び」は茶道などにおける日本の美学の象徴的なものと言われています。そうでしょうか? 実はこれも日本人のアイデンテティを強調したプロパガンダ的な意味合いが強いわけで、このようにことさら言われるようになったのは、大正期から昭和初期にかけての喧伝によります。(参考:『「日本的」美的概念の成立(二) : 茶道はいつから「わび」「さび」になったのか?』岩井,茂樹」)

    けれど茶の湯、山水画、能などが室町に始まったのは事実。結論から書きますと、これは南宋の滅亡により文化人たちが日本に亡命し、宋文化を五山文化として定着させたことによります。つまり「侘び寂び」のルーツを室町に求めるなら、それは宋の亡命文化人によってはじめられたことを忘れてはなりません。
    もう少し、詳しく見ましょう。

    1185年、鎌倉幕府の成立。
    1191年、栄西が宋から帰国し臨済宗を伝える。
    1274年、元寇(文永の役)。
    1279年、元による宋の滅亡。
    1281年、元寇(弘安の役)。
    1299年、五山制度を導入開始。五山制度とは南宋に倣った主に臨済宗の寺格の一つ。
    1336年、室町幕府の成立。

    この間、1246年の蘭渓道隆、1279年の無学祖元など多くの渡来僧が我が国に渡っており、中国五山の文化が伝えられ五山文化の黄金期を迎え洗練されていきます。いわゆる幽玄・わび・さびといった思想の基礎が生み出されました。

    南宋以前にも 「先・わびさび」生育期があった

  • 捨老さんのコメント
    寂び の 錆。
    文化の成熟は、いつの時も 多元的な文化の混流と生育によって、もたらされるものであることに異論はありません。仮に「室町に求めるならば」と言う、まつをさんの提示だと思いますので、安心して些少の愚見を述べますと、もし、室町以前に「侘び寂び」のルーツが存在しなかったと考えるならば、それはあまりにも図式的な結論となりましょう。突然変異的な登場であったはずはなく、万葉にはすでに、多くの種子が着床している事実を認めざるを得ないからです。

    解りやすい例を言えば、田辺福麻呂や山上憶良などの 「行路死人歌」というものがあります。しかしこれもまた、田辺福麻呂や山上憶良らが、渡来系の血を引く人物であることを思えば、南宋以前にも、渡来文化の混流による 「先・わびさび」とでも言うべき表現文化の「生育期」があったことを否定出来ません。初期の表現文化の飛躍は、おそらく宗教の覚醒に重なる飛翔の時であったと思われますが、勿論の事、ここで述べるほどの用意があるわけではありません。

    「詫び茶」はルサンチマンから

  • 散人さんのコメント
    「詫び茶」はルサンチマン(下流が上流を妬むこと)から始まった。喫茶は栄西などが宋より持ち込んだと云われているが、鎌倉時代に主に当時の公家武士たちが派手に客人を呼び、唐物(からもの)の高価な器を使い行っていたが、村田珠光などが閑居を基本になんの変哲もない朝鮮雑器を使用して茶を喫したのが「詫び茶」の始まりと云われる。下流が上流を批判し取って変わるのがルサンチマンというが、「詫び茶」はその好例であろう。

    古代の崩壊と解体に拍車をかける大陸文化の流入

  • 捨老さんのコメント
    時の移ろいが目に見えるようです。古代の崩壊と解体に拍車をかける大陸文化の流入。復古主義・原理主義が渦巻く習合主義の渾沌に芽生えるルサンチマン。撹拌される人心に、懐深くわだかまる「侘び寂び」の胎動。日本のすべてが鎌倉~室町へ向けて轟音を響かせ流動していた時代があったのですね。まさしく、仏教の着床と開花への時代だったのですね。

    利休は現代の高級ギャラリー経営者とかわらない

  • まつをのコメント
    若き利休が室町末期の武将で茶人でもあった三好実休に珠光青磁の茶碗を譲った代金は一千貫、現在の額で5千万円 (出典:『珠光茶碗の虚実』小山雅人)。わび茶かぁ。現代の高級ギャラリー経営者などとかわらない。それとも「泉」を出展したデュシャンかな。ストイックなモノトーンの服をまとい、既成概念をひっくり返し、結局、力と大枚を手にするわけで。

    共同幻想 恩賞としての土地の代わりの茶器

  • 散人さんのコメント
    詫び茶を確立したのは千利休であることは周知であろう。その利休を重用したのは織田信長である。信長の晩年10年は戦に継ぐ戦の日々だった。当時の慣行は領地の配分が「恩賞」であった。だがいくら信長が戦上手でも毎回領土を拡大できた訳ではない。恩賞としての土地に窮するときもあった。では黄金を遣ればいいではないか、という考えもあるが、黄金は戦費に必要だ。そこで編み出したのが「茶器」の下げ渡しである。今で云う「勲章」である。

    利休を重用し「勲章製造装置」とした。利休が鑑定しお墨付きを出すと、茶器一つが「国一つの価値」になった。大名は「ははぁ」と有難く頂く。「共同幻想」であった。物質から精神性へ。それが「文化」というものであり、文化は多分に「共同幻想」である。

     

    2016_01_12

    甘くないヨーグルト料理覚書


    自家製ヨーグルトをつくっています。それも今話題のR-1です。自家製ヨーグルの作り方は検索するとたくさん出てきます。youtubeなどでご覧になると分かりやすいでしょう。
    写真はヨーグルトにチアシードとショウガ蜂蜜を入れたものですが、他にも最近は様々な提案がされているようですので覚書。甘くないものを。

    • 干し大根納豆……ボウルなどの容器に切り干し大根とプレーンヨーグルトをよく混ぜ、ラップなどで蓋をして冷蔵庫で7~8時間おく。ヨーグルトで切干大根をもどしたら、調理用はさみなどで食べやすい長さに細かく刻む。2に納豆を加えよく混ぜたら、醤油で調味し、仕上げに万能ねぎと好みで辛子を添える。
    • 干し大根ヨーグルト……切り干し大根はヨーグルト、マヨネーズ、ツナ缶、レモン汁、すし酢をすべて混ぜたものに漬け冷蔵庫で7~8時間置く。 1に食べやすく刻んだ水菜を加えて混ぜ 塩胡椒で味を整えて器に盛る。ツナ缶は缶汁ごと使う。
      切り
    • 干しわかめと寒天のサラダ……棒寒天はさっと水で洗ってから水気を絞り、細かくちぎってボウルなどの容器に入れ、カットワカメ・玉ねぎとともにプレーンヨーグルトと合わせる。全体にプレーンヨーグルトがなじむようによく混ぜたら、ラップなどで蓋をして7~8時間冷蔵庫におく。仕上げにガラムマサラオリーブオイルをかける。
    • ヨーグルトのサラダ トマト玉ねぎライタ……トマトと玉ねぎなどを1cmにカットする。玉ねぎは辛いので、軽く水で洗う。ヨーグルトとカットした野菜、塩コショウ少々を良く混ぜる。みじん切りにしたコリアンダーを加え、できあがり。

     

    2016_01_11

    現実と思わされている虚構


     

    2016_01_10

    シャルリー・エブド襲撃事件とフランス民度

    なぜイスラム教徒の絵ではないのか

    不思議に思いました。

    上はシャルリー・エブド襲撃から1年特別号の表紙。タイトルには「1年経過。殺人者は未だ逃亡中」とあります。逃げる殺人者はターバンをまとっておらず、かわりに頭のところにはマークが置かれています。ん?どうしたんだ。イスラムではない? この風刺画に対してバチカンが反発していると言います。また例によって日本のマスメディアは、ベッキーのスキャンダルは伝えても、肝心なことは伝えない。

    事件以来、ヨーロッパ各国の右派ポピュリズムがイスラムの脅威をますます強調しているように伝えられていますが、当事者であるシャルリー・エブドのこの表紙が放つメッセージはなんでしょうね。フランス人が反発しているのは何に対してなのでしょう。



     

    2016_01_09

    哲学教育

    思い出話をします。

    試験だけあった『倫理』

    高校2年生になる時に不思議な教科書を買わされました。『倫理』と書いてあるその教科は、時間割に見当たらず、本は棚の奥にしまい込み忘れていました。
    夏が来て、配布された休み中の課題一覧表に驚きました。『倫理』とあり、教科書の半分を自習すること、なおかつ夏休み明けにテストをする旨が書かれていたのです。初めて、私は折り目の付いていない教科書を開きました。

    おもしろかった

    いやあ、おもしろかったですねぇ。夢中で読みました。内容は、簡単な哲学と宗教など。自習で自分が好きなところから読んでよかったので、一層おもしろかったのかもしれません。趣味のように夏休みに読み暮らしました。
    テストでは満点をとりました。なんてことはありません。自習だからとやさしい問題ばかりだったのです。
    冬休み前に、教科書の残り半分の範囲指定があり、テストを受け1問間違って98点だったかな。そんな時代の思い出です。

    自分がそれまで待ち望んでいたものとの出会い

    レベルは違うんですが、フランスの教授が同趣旨の下記のようなことを話していました。同国では高3で哲学の授業があり、その後バカロレアを受験します。
    「(高校時代の)文系の最終学年で哲学を発見したとき、あえて言うならば、自分がそれまで待ち望んでいたもの、自分が実践してみたかったものはまさにこれなのだとただちに悟りました。そして、そのことには当時の私の哲学の先生は何の関係もなかったと思います。私をとても驚かせると同時に私の気持ちを軽やかにしたのは、あまりにもがんじがらめで融通の利かない学校という枠組みのなかで、異常にみえることなく、何らかの問題について公然と「共同で」思索することが許されると気づいたからでした。」

    昨日私は、バカロレアは高校で学んできた「思考の型」が出来ているかをチェックする試験と書きましたが、それでもバカロレアは「自分の頭で考える」というフランスの伝統が染みついたものと彼は話しています。

    「民衆操作に屈しない」頭をつくるために

    一方、フランスで哲学を教えている高校のある先生は、こんな制度は無茶苦茶だと嘆いています。9月~翌年6月の10か月という短期間で、思想入門と思索方法と作文法を同時にするという「開始すると同時に、それを終える」ようなことをしなくてはならないというのです。彼はそれでも「民衆操作に屈しない」頭をつくるために教えるべきと言っています。「高校生、そして大学生にとって哲学は、大量の暗記を要求される勉強の日々のなかでほっと一息つく機会となっています。学生によっては、哲学とは今なお考える楽しみであり、ある問題に立ち止まってじっくり考える可能性を与えてくれるものです。」

    フランスの高校の哲学教育で扱う思想家

    フランスの高校の哲学教育で扱うよう指示されている思想家は次のとおりです。すごいですね。

    〔古代・中世〕 プラトン、アリストテレス、エピクロス、ルクレティウス、セネカ、キケロ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス、セクストス・エンペイリコス、プロティノス、アウグスティヌス、アヴェロエス、アンセルムス、トマス・アクィナス、オッカムのウィリアム

    〔近代〕 マキャベリ、モンテーニュ、ベーコン、ホッブズ、デカルト、パスカル、スピノザ、ロック、マルブランシュ、ライプニッツ、ヴィーコ、バークリ、コンディヤック、モンテスキュー、ヒューム、ルソー、ディドロ、カント

    〔現代〕 ヘーゲル、ショーペンハウアー、トクヴィル、コント、クルノー、ミル、キルケゴール、マルクス、ニーチェ、フロイト、デュルケーム、フッサール、ベルクソン、アラン、ラッセル、バシュラール、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、ポパー、サルトル、アレント、メルロ・ポンティ、レヴィナス、フーコー

    このラインナップを見るとヨーロッパの思想家ばかり。ヨーロッパ文明への誇り。一方、東洋もインドもイスラムも入っていないのみならず、アメリカ哲学さえも入っていません。近年の異文化理解を求められる世界の現状を理解するときに、これではバランスがとりにくいでしょうね。

    ここで出る話に比べればなんてことない

    けれど詳しく見ていくと、それほどでもないようです。国の指示では例えば、ベーコンで帰納法・デカルトで演繹法を教えるなど、ほとんどが対概念のペアで教えられているようです(他にも、絶対的/相対的、抽象的/具体的など基礎的概念)。簡単にいえば「Bar指のつけね」の話に比べれば概念レベルではなんてことないのだろうと思います。

    20点満点で10点以下が三分の二

    でも、ついて行けない子はついて行けないでしょうね。ですから「バカロレアの哲学の点数は20点満点で10点以下が三分の二を超えるそうです。」

     

    2016_01_08

    バカロレアの問題はすごい

    「問 どんな芸術作品も何らかの意味を持つか?」

    これは昨年出されたバカロレアの問題の一つ。

    バカロレアはフランスの大学入試で、大学入学を目指す高校生が受験します。6月に1週間にわたって実施され、初日は哲学。これは3テーマから1つ選択し、4時間かけて記述するものです。

    いかに考え、納得させる力を育てようとしているか分かりますよね。

    バカロレアでは高校で学んできた「思考の型」がチェックされる

    けれど、誤解なきように結論から書きますが、バカロレアは独創的な思考を求めているものではありません。自由気ままな思考展開ではなく、高校で学んできた「思考の型」が出来ているかをチェックする試験。そう、剣道の昇段試験をイメージしてください。型を学ばずにガンガン戦っても評価はされません。

    もう少し解説します。高校(リセ)の哲学の授業には教科書がありません。教員は、国のカリキュラムや、バカロレアの過去問をにらんで授業を組み立てます。また参考書やワークブックも売られています。

    解答に求められる型

    分かりやすいように解答例を挙げます。「人間の本性に不公正の起源を求めるべきか」という問いがあったとします。

    導入部では、例えば「不公正は人間が本来持つ悪意、ねたみ、不平等に由来する」というテーゼと「不公正は社会と歴史の産物である」というアンチテーゼの二つ選択肢を提示します。そしてそれぞれの語句の意味を定義します。できれば教養書からの引用も書きます。

    展開部では、2~4の部分からなる段落で、それぞれを検討します。その際にそれぞれの終わりに問いを出し、その問いに次の段で答えるかたちがいいとされているようです。

    結論部で、どちらかに軍配を上げます

    これが基本的な構成。ごく簡単にいえば、一人ディベートを書いていくんです。

    なお、教養書から引用する場合、「アリストテレスがこう言った」ではなく、「アリストテレスは『ニコマコス倫理学』1. V. 8 においてこう言った」というかたちをとる必要があります。
    こう考えると、思考パターンの学習、古典や素養の暗記的要素も当然に入ってくるわけです。

    哲学問題

    以下、2015年の哲学問題をすべて挙げます。

    バカロレア試験問題(文系)
    テーマ1:あらゆる生物を尊重することは倫理的な義務であるか?
    テーマ2:人は自らの過去の所産なのか?
    テーマ3:以下のトクヴィル『アメリカのデモクラシー』の抜粋を説明せよ。(略)

    バカロレア試験問題(理系)
    テーマ1:どんな芸術作品も何らかの意味を持つか?
    テーマ2:政治は真実の要求を免れ得るか?
    テーマ3:以下のキケロ『予言について』の抜粋を説明せよ。(略)

    バカロレア試験問題(経済・社会系)
    テーマ1:個人の意識は自らの所属する社会を反映したものでしかないのか?
    テーマ2:芸術家の生み出すものは理解可能か?
    テーマ3:以下のスピノザ『神学・政治論』の抜粋を説明せよ。(略)

     

    2016_01_06

    ドバイのハイソビルがまるでバベルの塔


    12月31日夜、ドバイ中心部にある63階建ての高層ホテル「ジ・アドレス・ダウンタウン・ドバイ」で大規模な火災発生。けれど同ビルの200mに隣接する世界一高い「ブルジュ・ハリファ」(動画に映る高層ビル、ここをクリックするとストリートビューで内部を見ることができます)では予定通り、新年を祝う花火大会が行われたとのことです。まさにバベルの塔を連想させるお話。(出典

     

     2016_01_05

    なぜ国家という幻想に命を捧げたのか


    正月に交わした会話の中で刺激的な言葉が幾つかありました。
    その中の一つに、「日清戦争の頃に、一般の人って世界情勢もほとんど分からなかったんでしょ。そんな一般人が、どうして見えない清という国と戦うために、自分の命を投げ出せたんでしょうね? 不思議」 というやつがありました。

    今、インターネットで世界情勢を確認できる状況と違って、正直な話、自分が見聞したわけでもない国家の危機のために、戦争にどうして出かけ命を張れたのでしょう。それは新聞などのメディアの作り出す物語に世間がのっての結果なのでしょうか。そう考えると、物語の恐ろしさを感じます。歴史観というものも物語なわけですから。

    開戦にリードしていった新聞

  • 散人さんのコメント
    日清戦争の頃は新聞だけで、議会よりむしろ新聞各社が「対清強硬論」を展開し世論を対清開戦にリードしていったようです。 それと、それまでは戦(いくさ)は武士だけがするものということでしたが、この時代から庶民兵士が造られ「俺たちも国家に貢献できる」という高揚感もありました。日清戦争から士農工商意識を捨て、初めて「国民意識」が定着したとも云えるそうです。

    今の世論形成の方向

  • 代治朗さんのコメント
    今、進行中の世論形成は  1、中国経済悪化を殊更強調している。今朝の上海株安も無関係とは言えないだろうと思っています。  2、嫌韓の払拭。  テレビのニュース関連番組を見ていると、そう感じるのです。

     

    2016_01_04

    近年心に残った映画から

    ここを訪れていただいている方は、お好みテイストが被られることも多いかと。楽しめた映画をリストアップ。

    LEFE!《人生が変わる》6分間


    映像表現としては特殊技術を使い小説をそのまま映像にしたような構成。テーマとしては重くも描けるものを、軽~く笑いながら観られるようにしているのが大したものです。

    鑑定士と顔のない依頼人


    美術関係を扱った映画は退屈なのが多いのですが、これは美術愛好家の好むテイストのなかで繰り広げられるサスペンス的作品。

    小説家を見つけたら


    映画出だしはハズレだなと思うも加速度的に面白くなります。隠匿生活を送る天才的小説家役のショーン・コネリーの演技がすばらしい。

    パフューム ある人殺しの物語


    こちらは天才調香師の話。ライティングなど画面も素晴らしい作品。最高額製作費ドイツ映画のひとつ。小さなお子様と一緒に観る作品ではありません。

     

    2016_01_01

    あけましておめでとうございます。
    皆様にとりまして素晴らしい年でありますように。

     

     



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    生きてることを楽しもう。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。長崎市・島原市との多拠点生活。

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。