LOG

 

←来月 / 先月→

 


  • 2016_02_29

    サンダース氏の主張


    アメリカ大統領選候補者たちの主張をキーメディアは例によって表だって伝えませんね。それがアメリカが抱える国家的問題であることは皆さんもご察しのとおり。若者層の支持を得ているサンダース氏の主張を掲載します。
    • 富者に課税強化、企業優遇廃止
    • TPP廃止
    • 大学まで授業料無料
    • 最低時給1800円
    • 国民皆健康保険
    • 有給休暇をEU並に倍増
    • 病欠時の生活保障
    • 女性賃金を男性と同一に
    • 保育の質と量の改善
    • 子供の貧困撲滅……
    そう。これってアメリカナイズされてきている日本の社会課題そのものなんです。当局は全力で阻止するでしょう。






  • 2016_02_28

    風呂床 スノコ計画

    つぎのDIYの構想は、風呂の床を木張りにすること。風呂は前時代的なスタイルをしていますので、それならレトロに床を木でやってみようかと。大きなスノコをすっぽりと床に置くようなイメージです。ねらえる効果としては
    1 冬季の冷え防止
    2 入口部の段差解消
    3 滑り防止
    ただし、みなさんご推察のとおり耐久性の問題です。以下、「スノコ 風呂 DIY」で収集した情報。
    素材はヒノキや青森ヒバなど。塗装はオスモ。材質にかかわらず、お風呂で使うすのこは毎回入浴後に洗って乾燥させることが大事。

    • いわさんのコメント
      拙宅の床は、ヒバの無垢板厚み3cmで張ってあります。塗装はオスモのフロア用、無色透明。家のなかは、常時神社仏閣的な香りもして非常に気に入ってますが、難点は1つ。 暴れます。簡単に直したりできる、お風呂のスノコなら、暴れても問題ないと思います。 オスモでも屋外用の塗料を使えば良いのじゃないかと思います。






    • 2016_02_28

      アルレッキーノ


      島原のアルレッキーノに家族で出かけました。この日が母の誕生日であることを一言告げると写真のようなサービス。いい店ですね。






    • 2016_02_27

      ボックスをつくる3


      朝一でビス止め。完了。コツは前日の入念な準備。木工ボンドでとめておくと狂いが出ず、スムーズに作業が進みました。ビス止めのコツは、下穴を開けること。百円ショップにインパクトドライバー用の下穴開け用のビットが売ってあります。
      がっちりとしたボックスの完成。写真左右に写っているのが件のボックス。自分の体形に合わせて選んだ椅子。そしてそれに合わせて作った机。服だって自分のサイズに合わせるように、机も合わせるということ。

      机の上に乗っているのは今日読んだ本『ゼロからトースターを作ってみた結果』。サイトから内容紹介を引用。「 トースターをまったくのゼロから、つまり原材料から作ることは可能なのか? ふと思い立った著者が鉱山で手に入れた鉄鉱石と銅から鉄と銅線を作り、じゃがいものでんぷんからプラスチックを作るべく七転八倒。集めた部品を組み立ててみて初めて実感できたこととは。われわれを取り巻く消費社会をユルく考察した抱腹絶倒のドキュメンタリー!」

      ↑これが筆者が作ることができたトースター。改めて既製品が文明の分厚い集合体なのだと言うことを思い知らされます。とても読みやすい語り口ですし、面白かったですよ。今回のボックス作りでも薄らそんなことを感じていました。






    • 2016_02_26

      ボックスをつくる2

      深夜、静かに製作が進んでをります。一片に木工ボンドを塗り、慎重に垂直を出してガムテープで固定し、乾燥させ、45分程待つ。これを一つずつ繰り返していく。根気のいる手順で進めています。私のような素人には、こうしないと面どうしの垂直な接続ができません。いきなりビス止めしてはズレていきます。完了。明朝、ビズ止めしていく予定。つくづく木材カットは資材屋の大型カッターでやってもらうに限ると痛感。それにしても厚さ3センチの板は重い。






    • 2016_02_25

      ボックスをつくる


      壊れました。以前、ご紹介したことがあった机。これは長い板をカラーボックスの上に乗せたものでした。いや正確に言いますと、カラーボックスの上に高さ調整用ブロックを乗せ、その上に長い板を置いたものでした。この席に着くときは、いつも「よっこらしょ」と左手をついて座るスタイル。先般、「よっこらしょ」と左手をついたところ、カラーボックスが見事に崩壊。机上のありとあらゆる物が、左側に雪崩のように崩れ落ちていきました。やれやれ。


      この際、自分にジャストサイズで、なおかつ頑丈なものをつくろう。そう思って図面を引いたのであります。計画は厚さ3センチ、長さ4メートル超という厚くて長~い集成材(正確には30*500*4200)から切り出してボックスを作り、この上に長い板を乗せようと、上図を描きました。パワーコメリでこの図を見せ、材料を購入すると同時にカットしてもらおうと。ワンカット30円也。金額的には材料代とカット代を合わせて1万円ぐらい。自分でカットするからグダグダになります。カットしてもらえば、あとは大きなプラモを作っているような感じになるのではないでしょうか。うまくいくか?






    • 2016_02_24

      かつて海面は今より100メートル低かった


      古代4大文明より昔の遺跡は、海底遺跡としてあるだろうと書きました。ではどのくらい海面は上昇したのか? ウィキによるとこうあります。
      「BC12000年頃から海面の急激な上昇が始まり、8000年をかけてBC4000年頃までに100メートル上昇し海面が現在に近いレベルになった。」 つまり、BC12000年頃から古代4大文明の頃までに100メートル上昇したということ。
      ん ? ! ということは大陸棚は……調べてみますとこうあります。
      「大陸棚とは、大陸の周縁に分布するきわめて緩傾斜の海底で、傾斜の変換点をその外縁とする平らな棚状の地形をいう。その世界における平均水深はほぼ130mである」(出典:ウィキ
      お、ということは……と思って調べますと。
      「大陸棚は、大陸の一部が海面の上昇によって水面下に沈んだものと考えられ」(出典)、「氷期の海面低下時の浸食作用で形成され、その後、堆積物に覆われてさらに平坦になったと考えられている。」(出典
      やっぱり。大雑把に言えば、大陸棚は沈んだ陸地。そう考えると、やたら広い地帯がありますね。






    • 2016_02_21

      南極の遺跡?


      グーグルマップに南極の古代遺跡ではないかと話題になっている映像が映っているようです。

      • 代治朗さんのコメント
        恥ずかしながら、南極って犬ぞりで2、3日あれば一周できるぐらいの広さだと 今の今迄思っていました。おもてのマップを縮小したら オーストラリア大陸よりも大きいんですね。古代遺跡があっても不思議ではないですね。

      • まつをのコメント
        はい。おかしくはないと思っています。 そもそも世界四大文明っていうのを信用していません。 海面の上下はあったわけですから、下図の薄い色で描かれた浅い部分に、海底遺跡があると思います。 海面下や、微生物に関わる科学はこれからのフロンティアです。


      • 捨老さんのコメント

        南極が発見されたのは1818年と言うことになっていますが よく知られている話で オスマントルコ帝国海軍総督ピリ・レイスの地図と言うものがあります。これは1513年のもで ピリ・レイス自身が測量したものではなく、古くから伝えられていたものを忠実にトレースしたものだと言われますが、南極大陸としか言いようのない沿岸線が描かれています。問題はそれが氷に覆われていない海岸線図であることから、例によってUFO・UMAの親戚オーパーツのような扱いをされているようです。

        これとは別に、フランスの地理学者フィリップ・ビュアッシュが 1737年に発表した南極大陸の地図は、更に詳細で現代の科学が割り出した氷のない南極大陸↓そっくりな形をしています。

        これは、氷床がすべて除かれ、地盤がその圧力からの解放による地盤の上昇と海面の上昇を計算した南極の地図である。この地図は氷床の形成を阻むほど温暖だった3,500万年前の南極大陸の状態を示唆するものである。(出典:ウィキペディア)
        ビアッシュがそれをどうして描き得たのか伝えられていません。つまり6000年前の氷のない大陸の記憶と言うことになりますが、氷河期の成り立ちの科学自体が疑問視され始めている訳です(笑)。
        そこで持ちあがるのが、逆磁極を示す鉱石や化石などの発見と併せて、アインシュタイン言うところの「地殻のずれ」説や、「歳差運動(地軸のずれ)」の話となって行くわけです(笑)。

      • 捨老さんのコメント


        ところで 南極内陸には氷も雪もない地肌むき出しの一帯が存在することはご存知でしたか?  風の谷とも呼ばれるその一帯はマクマードドライバレーといい、かなり古くからの礫漠で、ペンギンのミイラなどが転がっていたりするそうですが、まだ研究は進んでいないようです。オーストラリア東海岸中央に位置する「砂の島」フレーザー島は、最近では南極大陸を起源とする説が浮上しています。






    • 2016_02_20

      息子とバッグ


      そして息子は、土日お決まりのいでたちで出かけていきました。
      「おい、ちょっと待て。写真撮らせてくれ。しんのじさんに報告する」
      ということで1ショット。いつも愛用しているバッグと一緒に。

      普段、不平や小言を言い合っていても、節目の際に歩んできた道を振り返って見た時にこそ、成長の素晴らしさは分かるものですね。
      あなたが生まれてきたとき、産みの苦しみの涙を流した直後にもかかわらず、小さなあなたを暖かく抱きしめた満面の笑みがありました。あなたが幼いとき、その口元に小さなスプーンで離乳食を運んだ手がありました。

      • しんのじさんのコメント
        うれしい限りです。このところ、僕にとって楽しいニュースが少なかったもので、まつをさん の写真に癒やされております。坊ちゃん、先日久々にお顔を拝見したら、体操でひねり技の世界一にな ったあの青年にそっくりの知的な好男子に育っておられ、今、写真で改め て拝見すると、首筋や肩幅もしっかりとして、男らしい体つきになってお り、そこにあのバッグが掛けられていることをただ嬉しく感じるばかりで す。






    • 2016_02_19

      普通の暮らしでいいです

      散人さんのコメント
      「普通の暮らしでいいです」と云うが、戦後20年までの「普通」と今の普通は全く違う。エアコン、車、スマホがあって普通だ。が、終戦間近な時代にはそんなものはありやしなかった。それらは全て金がかかる。
      1994年をピークに賃金は上がっていない。なのに株主配当は増え続けている。これが正しい資本主義だ。格差社会は年々広がっている。これが「機会均等」の成れの果てだ。がんばったヤツ(なにをがんばるのか分からんけど)が多くお金を稼ぐという「機会均等」の成れの果てだ。社会主義国はこの逆で「がんばろうがなかろうが変わらん」ということで破たんして久しい。その時、ほとんどの人が「ざまあみろ」と云った。で今日のありさま。






    • 2016_02_18

      高校時代


      正月に同窓会があって、その際にお世話役の方が、写真のような名札を一人一人に作ってくださっていました。そう、これが私の高校時代の写真です。今よりも15キロ近く体重が軽く、クルンクルンのくせ毛で、コンタクトをしていました。人生というのは残酷なものです。だからこそ人間は歳を経るごとに磨かれていくのです。最近、息子の写真をご覧になった方が口を合わせたように「奥さん似なのですね」とおっしゃいます。違います。あいつも、私みたいになるのです。






    • 2016_02_17

      グランプリをとった日本人作曲家


      皆さんは昨年11月、ジュネーブ国際音楽コンクールの作曲部門で、日本人がグランプリをとったことをご存知ですか。名前は薮田翔一。受賞曲は弦楽四重奏による『Billow』。残念ながらこの曲はアップされていませんでしたので、ヴィブラフォンソロによる『BillowⅡ』を上にアップ。
      ご本人のサイトはこちらをクリック

      • しんのじさんのコメント


        みつけました! バリバリの現代曲ですね。ちょっと難しいけれど、宇宙の歪みを体現したみたいな曲で、面白いなあとは思いました。僕はまあ、まつをさんが紹介下さったビブラフォンの曲の方がずっと好みでした。この旋律が徐々に変形しながら、探りを入れていく感じの展開が趣味に合うのです。
        見目麗しき歌姫の姉上が歌われての歌曲の数々も、なかなか良いのがあるみたいですよ。こちらはグッと親近感の湧く、かなり親しみのもてる作りの作品もあります。






    • 2016_02_16

      ワーグナー


      昨日、マーラーがらみで、彼が愛したワーグナーのことを考えていました。『ワルキューレの騎行』はコッポラの映画『地獄の黙示録』のBGMでも有名ですが、ある実験チームの研究によると自動車運転中に聴くと事故を起こしやすい曲No.1なんだそうです。そんな曲を頭の中で思い出しているときに、「ん? これは何拍子だ?」という疑問が頭をもたげました。3拍子? 2拍子? 調べてみると8分の9拍子。

      ワーグナーが無調音楽に関わったと言われるということも昔耳にしたことがありました。難しいことにトライする時代だったんだなと。時代的に言ってもシェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』が1912年で、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』(下動画)が1859年ですから、そのあたりのトライは十分になされている時代なんですよね。つまりワーグナーを敬愛したマーラーが、14歳下のシェーンベルクの才能を認めていたという関係。
      いい機会ですからワグナーの無調和音について調べてみますと、ウィキによれば『トリスタンとイゾルデ』は「音楽史を変え調性崩壊の直接に引き金となったトリスタン和音が使われている曲としてもよく知られている」とか。↓の冒頭の単音メロディの導入後に鳴る和音がトリスタン和音。


      ね、現代人が聴くと「は?」って感じでしょ。7(b5) ドミナント・セブンス・フラット・ファイブ。特にジャズなんかを聴いている人にとってはまったく違和感がないと思います。時代ですね。一昔の人が頭で組み上げてやったことが、今ではポップな文化でもやっています。
      30代の打ち込みで曲作りに凝っていたころ、恥ずかしながら和声法を勉強したことがあります。複雑なところはすっかり忘れてしまいましたが、ジャズでテンションって表現するんですが、簡単に言いますと不協和音を絡ませていくと今の音のテイストがつけていけるんですよね。たとえば拙作の「Good Night LUNA」(クリックで音が聴けます)なんか。昔風に言えばリズムも3連符のオンパレードですし。200年前のヨーロッパ音楽にはこんなのも奇異な音楽だったんでしょうね。






    • 2016_02_15

      グスターボ・ドゥダメル


      息子と一緒にエル・システマについて調べていて知った指揮者。
      上はドゥダメル指揮のマーラー『巨人』。感動というものを体験したかったらぜひお聴きになることをお勧めします。私ははじめてこの演奏を聴いたとき感涙しました。『巨人』は高校時代にステレオセットを購入したときに視聴盤で付いてきた思い出の交響曲なのですが、ドゥダメルは恍惚の作曲家マーラーを実に鮮やかに表現してくれています。なお高校時代に手に入れたレコードジャケットにはゴヤの『巨人』が使われていました。

      で、このエル・システマとはなにか? 以下、ウィキから。「ベネズエラで行われている公的融資による音楽教育プログラムの有志組織であり、1975年に経済学者で音楽家のホセ・アントニオ・アブレウ博士によって「音楽の社会運動」の名の下で設立された。」
      設立者アブレウ博士の言葉 「音楽は社会の発展の要因として認識されなかればならない。なぜなら最も高度なセンスにおいて音楽は最も高度な価値、連帯、調和、相互の思いやりと言ったものをもたらすからである。そして音楽には全共同体の統一させる能力と崇高な感情を表現することのできる能力があるのだ」


      これは彼がロサンゼルス・ユース・オーケストラの子供たちに ブラームス作曲「ハンガリー舞曲第5番」の練習をつけているところ。すばらしい。

      • 散人さんのコメント
        1972年ルキノ・ビスコンテ監督作品「神々の黄昏」 。この作品の主人公はバイエルン王 ルートビィヒ二世。かの名城 ノイシュヴァンシュタイン(未だかって一回で言えたことがない)を造った人。かの「狂王」はワーグナーの「音楽と人」の惚れ込んでしまい宮廷に呼びこもう とするが、多くの家臣はワーグナーの過去を知って反対する。ワーグナーは若いころドイツ三月革命に参加していたのだ。「狂王」ルートヴィヒ二世は「国民の安全に必要なのは詩と音楽と奇跡だ!」 と意味不明なことを云う。下って楽聖マーラーはユダヤ人であったがワーグナーが「反ユダヤ主義者」と分かりつつ熱狂的なワーグナー信者であった。彼は1910年に死去する。1933年にヒットラー政権が樹立。反ユダヤは激しさを増す。「狂帝(ヒットラー)」はマーラーの曲の演奏を禁じる。戦後、1960年にベルリンでマーラー生誕100年記念演奏会が大々的に行われ、その際「大地の歌」を指揮したのはかってナチ党に入党し、マーラーの音楽を拒否したカラヤンであった。






    • 2016_02_14

      春一番


      昨日から春一番が吹いてます。上動画は『春の祭典』。デビッド・チョン指揮による米国ラトガース交響楽団の演奏。この指揮者は初めて聴いたのですが、聴き入るというか観入ってしまいました。韓国生まれロシア育ち。


      上動画は世界に衝撃を与えたファジル・サイの『春の祭典』。多重録音で構成したまさに鬼才の音楽。この録音のガーシュインとバッハとストラビンスキーを弾いているバージョンはこちら「ベートーベンはキース・ジャレットのように演奏したはずだ」とファジル・サイは言います。彼を分かりやすく紹介した動画↓。



      逆に、 先ほど名前が出たキース・ジャレットのクラシック演奏を聴いてみましょう。ジャズの演奏家として名が通っていますが、こちらはハープシコードによる演奏。曲目は『ゴルトベルク変奏曲』。


      この曲で第一に頭に浮かぶのはグレン・グールド↓。彼の名を世界に知らしめた若き日の名演奏です。天才ピアニストの演奏を聴き比べてみましょう。



      • しんのじさんのコメント
        ゴールドベルグ、楽器は違えど二人の対照的な演奏ぶりが楽しいですね。 ほどよいゆったりとしたテンポ、ちょっぴりウェットでエモーショナルなキース・ジャレットの演奏に対し、グレン・グールドのは一見(一聴 か(笑)) 自由奔放、突然ギヤが入ったり落ちたりする様が痛快です。速いパッセージはまるで筋斗雲に乗った孫悟空を思わせる飛ばしっぷり ですが、それでも十分にリリカルで繊細な演奏。他人が真似ても、きっ と誰も上手くいかない典型的な例だと思います。巷に言う、「良い子は 絶対に真似しないように」ってヤツ(笑)。 一つずつ、時間を作ってゆっくり聴きますね。






    • 2016_02_13

      インド・中国の大気汚染による死亡者


      代治朗さんのコメント
      【AFP】
      「大気汚染による全世界の死亡者数は550万人で、中印で55パーセントを超える。2013年、中国では160万人、インドでは140万人に達した。」
      凄まじい数字ですね。中国の人口をを14億人とすると、1億人の日本人では毎年、12万人の勘定。中印よ、国防費なんぞにうつつをぬかさず、環境改善に金使え、バカドンが。今、中国では、貧乏人は中国製の空気清浄機、中流は日本製、富裕層はスイス製の業務用空気清浄機を持つ事がステータスシンボルだそうだ。但し、以前は日本国内より輸入した物は日本の環境基準の為、一日中警報音が鳴るので不評だった。そこで、シャープ等のメーカーは中国向けに警報音の切断スイッチをつけた。160万人死のうが、権力者及び富裕層は金で綺麗な空気を買えるので、知った事じゃないのでしょうね。ほんと、腹がたつ、こんクソバカどんが。






    • 2016_02_11

      給食と宗教

      よくよく考えれば、なぜ脱脂粉乳なんぞを飲まされていたのだろうと思います。栄養を採るためとか言われていますが、地場の原材料で作った味噌汁でよかったのです。疲弊した戦後でも味噌や野菜はあったのですから。
      米国では家畜の餌であったものをわざわざ遠方から我が国に輸入し、不味いあれを飲まされていたと考えると、侮辱するのもいいかげんにしろと思います。子供のころもひどい飲み物だと思っていたのですが、大人になって国策的視点を持てば許しがたい屈辱ですね。子供であった自分が無知な家畜扱いされたようです。

      • 大閑道人さんのコメント
        学校給食から日本の脱宗教化=日本人らしさの消去が始まったと考えています、私は。
        もう30年ほど昔になるのでしょうか、新聞の記事にあったということで紹介がありました (その紹介者によると新潟県ということでしたが真偽の程は「?」)。 給食で手を合わせて「いただきます」というのは宗教行為である、公立学校は宗教教育をしてはいけない、だから手を合わせて「いただきます」と言わせることは不法行為だ、という理由で 食前食後はホイッスルで合図することになった。 当然これには反対も大きかったようですが、反対の理由は習慣だからとか礼儀だからとか、そういう観点がほとんどだったという話でした。 この話を聞いたものの殆どがホイッスルなどもってのほかだと憤りましたが、 反対の理由は紹介者と同じ意見でした。
        でもこれは観点が間違っています。 公立学校は宗教教育をしていけないが、同じように反・宗教教育をしてもいけないのです。だから手を合わせて「いただきます」という子供に対して、 「駄目だ」と禁止することも、また推奨することも言ってはいけないのです。 そもそも食事という行為は極めて個人的な行為です。そして食作法や礼儀は各家庭に任せるべきものなのです。 各家庭が施した食作法や礼儀を公立学校が否定するのは越権行為なのです。
        ここで「給食」という光景をある観点で眺めてみますね。 全員が、1・同じものを、2・同じ場所で、3・同じ時間帯で、4・一斉に「せぇ~の」と食べる。 これは奴隷や囚人の食事風景ではありませんか? もう一つ付加するならば、修道院や修行寺などの宗教施設。 アメリカは戦場に運ぶために準備した小麦粉の余剰を、 市場規模一億人の地域に押し付けて利益を上げたという側面も知っていますが、 対日戦後政策に日本人の奴隷化を潜ませていたと私は見ています。

      • 散人さんのコメント
        写真の学校給食はごちそうであります。私は昭和30年に小学生になった。戦後まだ10年。今思えば日本人は物心両面でまだ萎えていた。昼休みはそれぞれ家に帰っていた。何を食べてたのか分からない。食べなくて家の手伝いをしてくる子供もいた。三年か四年生の時に学校給食なるものができた。細長いパンと脱脂粉乳だけ。脱脂粉乳に下痢する子供が続出した。それでも学校は脱脂粉乳を子供たちに飲ませ続けた
        我が家は宗教には変則的で父は仏教、母は活水出身なのでプロテスタントだった。夕食時は父が「ようし」というと全員で「いただきま~す」と云って始める。ちょっとした儀式だが私は親たちに「いただき~ます」と軽いお礼の気持ちで云ってると理解していた。今度自分が家庭を持ったら娘がいつのころからか「いただき~ます」と云っていた。幼稚園だなぁと理解した。私は今は朝昼は病院で摂る(勿論食費は払ってる)。一般職員は食堂で摂るが私は一般職員でないので栄養室で摂る。子供みたいな年齢の管理栄養士さんが給仕してくれる。「ありがとう」と「ごちそうさま」は云う。軽いお礼は宗教でもなく儀式でもない。他者(親であっても)とうまく付き合って行く潤滑油なんだろう。この全く度し難く自分を理解してくれない他者と付き合って行かなければならない人生とやらは、くそ面白くもないけれど、残念だがどこまでいってもくそ面白くない他者が居る。挨拶や感謝の擬態は少なからず必要なのだ。「愛してます」なんてウソも方便とはいっぱしの大人は分かっている。

      • まつをのコメント
        ウィキペディアから引用
        「ララ物資は1946年11月から1952年6月までに行われ、日本は脱脂粉乳の援助を受けた。 ユニセフから日本は、1949年から1964年にかけて、脱脂粉乳などの援助を受けた。 日本の学校給食では1950年代半ばから通常の牛乳に切り替わり始め、早くも1966年(石崎岳によると1963年)に、札幌市では姿を消した(地域にもよるが、遅いところでは1970年代前半まで供されていたと推定される)。当時の学校給食で用いられた脱脂粉乳の味を知っている者(団塊の世代など)には、これが美味しかったという評は皆無に近い。特に臭いが酷かったといわれるが、これは、当時学校給食に供されたものは、バターを作った残りの廃棄物で家畜の飼料用として粗雑に扱われたものだからで、また無蓋貨物船でパナマ運河を経由した為に、高温と多湿で傷んだからという説もある。」
        ではララ物資とはなにか。私はアメリカ人の善意により贈られたものと教えられた記憶があった。しかし調べてみると、ララ物資は海外の日系人が中心となって起こしてくれた運動により贈られていたものだった。敵性国民として強制収容されていた日本人・日系人たちが、祖国への支援物資を送る為に奔走してララ物資は実現したのだ。当時のGHQはこの事実を日本人には隠した。
        にしても、私も小学校の頃に脱脂粉乳でしたが、あのころは多少物資は復旧していた。もはや戦後背はないと経済白書が書いたのが昭和31年。それでも脱脂粉乳。こうして日本人の洋食化が進行されていった。
        なお、上写真は現代の特別の日のものだろう。今の給食はおいしいらしい。保護者にも食べる機会があるらしいが残念ながら食したことがない。

      • 大閑道人さんのコメント
        食べることは他者との一体感を作る意味があります。喧嘩相手とは食事をしません。仲良くなりたい相手は食事(酒席)に誘います。その時、目には見えない人間を超えたもの(存在)を仲介者にしているわけです。また、かつて大昔、戦争で相手の勇者を倒したときは、その心臓を食しました。勇者の力を自分の中に取り込むためです。これが「宗教だ」という背景です。
        フレンドとは、「無料で食事を供する相手」という意味から派生しているそうです。今風にいえば、おごる相手ということでしょうか。

      • 捨老さんのコメント
        あのころ、全体主義、社会主義の名残と言いますか、まず「天皇陛下頂きます 兵隊さん戴きます お百姓さん頂きます」そして「おとうさま おかあさま 頂きます」と言ったのです。戦後「天皇陛下」と「兵隊さん」は省かれるようになりましたが、癖が抜けない人も多かったようです。
        確かに、戦後十年も過ぎると「もはや戦後ではない」などとほざく政治家も居て、一旦 学校給食も中断され弁当持参する時期もありましたが、やはり弁当を持てないいわゆる「欠食児童」も目立ち再び給食が始まったのでした。通学率を上げるためにも給食は必要だったのです。忘れられてはいけません。まだまだ町は貧しかったのです。

      • 大閑道人さんのコメント
        宗教の持っている人民を結集させるシステム・力は絶大なものです。これを利用したのがファシズム=全体主義なのです。天皇制の背景には、江戸時代までの「家」意識・一族郎党のためという意識構造があります。食事を介して、個人を超えたるもの(神でも仏でも、先祖でも殿様でも、なんでもいいのです)への崇敬⇒絶対服従へと向かわせるのです。欧州でもキリスト教が完全制覇するまでは「家」意識がありました。今でも中東や中国などでは、国家よりも会社よりも「家」が優先するのだそうです。「家(=先祖)」をすっ飛ばして、神と直結させたのがキリスト教。結果としては、直結「させた」司祭が力を持ちました。王権よりも教皇が上位。合理性よりも聖書が正しい。いうところの暗黒時代。

      • 捨老さんのコメント
        大閑さん、仰せの通りです。民衆の統合には、呪事~信仰の類は欠かせないのが歴史の示すところです。民主主義といえども、不確実なものを理論武装した 一種 神の名を省いた信仰呪事とも言えるので、共産主義に至っては「神~信仰」を否定し他宗教を排除するあからさまな新宗教と呼んでいささかの矛盾もない、宗教が理論化し続けた歴史の遺物とも言うべき幻想で、これに科学という最終幻想が加味されることになります。
        しかし学校給食に限って言えば、脱脂粉乳ばかりではなく不味かったパンさえも、けっして「侮辱」などではなく、必要とされた貧しき時代が続いていたことを伝えたかったのです(笑)。

      • 散人さんのコメント
        あらゆる宗教は結局日本には民衆の心には根付かなかった。日本人の宗教は「私は日本人」だと云う宗教。色んなことを言うが一番大事なのは「日本人としての日々の暮らし」である。
        明治新政府は無理やり教科書に「神話」を織り込んだ。徳川の御代には居るか居ないか分からない「天皇」を担ぎだしたから「皇国史観」が必要だった。拒んだのはキリスト教だけで仏教にしろイスラム教にしろ受け入れた。いや受け入れたように振る舞った。どうぞご勝手に、である。日本人は自分が一番、いや日常が一番なのでよく言えば何でも取り入れる。神仏習合なんて平気でやらかす。正に山本七平氏が云う「日本教」である。
        日本人は無神論者ではなく「空気を読む」ことが大事と思っている「日本教信者」なのだろう。宗教の戒律はこの日本では殆ど無効である。

      • 大閑道人さんのコメント
        日本教=日常が一番。まことに、まことに、おっしゃるとおりです。日常が一番、だから葬儀の可否が問われるのです。日常に不可欠の要素であったならば葬儀が必要になるし、そうでもなかったならば遺体処理に毛の生えた程度でよい。もし信仰の故ならば、どういう事情であっても故人の信仰にしたがった葬儀をして「あげる」わけですからね。「日常が一番」。なんて素晴らしい、的確な表現なんでしょう!! 脱帽です。
        「あらゆる宗教は結局日本には民衆の心には根付かなかった」には異議あり、で言えば日本的一神教である淨土真宗。戦国大名と対等に戦闘した。

      • 捨老さんのコメント
        八百萬の神の国。かつて時代錯誤の総理大臣が日本民族を単一民族と称して、顰蹙をかったこともありましたが(笑)、八百萬の神の統合を果たしたことに神話が歴史化する端緒を見るならば、この習合能力こそ日本人の一大特色であり混血民族の証しであろうとも思います。優秀な混血民こそ自由性を尊ぶと同時に、血統系譜に執着する傾向があるからです。つまり神々を明確化させないことに初期日本人(仏教定着以前)の重大な習性が窺がえます。その統合の陰に藤原不比等(不比等―ならぶものなきひと)という稀代の天才の影が見え隠れします。
        聖徳太子の異名が厩戸皇子(うまやどのみこ)とされることからキリスト教の影響を嗅ぎ取ろうとする研究者もいたりして、この異名が後の潤色だという説もあるようですが、すくなくとも唐の時代(638年)の長安には阿羅本(アラホン)によって景教の寺院(大秦寺―キリスト教ネストリウス派)が建立されており、宗教習合の時代の日本に影響がなかったとも言い切れないようです。

      • 散人さんのコメント
        未だに明解な解答を聞いたことがないのが、合衆国の大統領の就任式では聖書に手を置いて「神に誓う」とやる。あの人種も宗教も寄り合い所帯の新世界アメリカがなぜ特定の宗教に誓うのか? まぁ建国当時(プロテスタントが多数)の儀式の名残だと思えばいいのか。
        「神宮寺」なるものが存在するがどっちが主体なのか? 「本地垂迹説」ではやはり仏が主体なのでしょう。

      • 捨老さんのコメント
        ご存知のように日本の神道は理論化することを極度に厭う宗教形態で、宗教的規範や形而上学的な理論を持たず、大正末昭和の初頭の英国の駐日大使で日本の宗教研究家でもあったエリオットに「思想的空虚」とまで言わしめ、日本の知識人はそれを鵜呑みにし、神話が天皇家との関わることもあって、永く神話の研究がなおざりにされてきた歴史があります。その理念化のならない神道に対して、渡来の理論武装で登場した仏を、神の応現として如来や権現などの名で理念解釈しようとした始まりが神仏習合であったと思われますが、仏教の方もこれを利用して地盤を拡大することになります。千年にも及ぶ共存の歴史の割には、神仏分離の明治の代まで神道が仏教理念に染まってしまうこともなかったようです。その意味では仏教は敗北したとも言えましょうが、日本の民衆自体が神や仏の理論化を厭うようです。

      • 散人さんのコメント
        理論化したら大変。分かります。アマテラスの両親であるイザナギとイザナミって兄妹でしょう。近親相姦の最たるものではないですか。そんなもの理論化出来る訳ないです。形而下の横綱級であります。アマテラスにしてもスサノオが暴れてるときお蚕さんのお世話している。西洋の神々は労働なんてものは全くしない。日本の神々は結構労働している訳で少しも偉そうではない。そこが西洋学系の人は理解し難いとこなんでしょう。キリスト学だってマルクスが出てくとケチョンケチョンにヤラれます。「唯物論」でぶっ飛ばされてしまいます。

      • 大閑道人さんのコメント
        そうでもないのかも?? たしか、エジプトの王朝は、兄妹婚だったと記憶するのですが。そうしないと、王族の血統の純粋性が保てない。「近親婚」は人間がすべきものではなくて、神の結婚と、だれだったかの精神分析(フロイト?? ユング???)にあったと思いますが。

      • 散人さんのコメント
        いいかげん。キリスト教では近親相姦をタブーにしているが、たしかノアの方舟のノアの家族八人しか乗ってなかった。人類の再出発もまた近親相姦である。

      • 大閑道人さんのコメント
        天台本覚思想はいわゆる「鎌倉、新・仏教」として広まったのですが、これがまた曲者。私が学んだところでは、仏教用語と仏教の体系で表現した日本の思想となります。とてもオリジンのインド直送の思想とは相容れません。山川草木悉皆成仏・山川草木悉有仏性のことですが。
        いわゆる「神道」として認識されている「思想(とはいえないでしょうが)」も、南都仏教の学問の刺激を得て、ちょうど過冷却水が結晶化するように神道として確立した。だから鎌倉新仏教と同根で、ただ仏教用語を使うか使わないかの差でしかないと、そのような講義も受けました。

      • 捨老さんのコメント
        ここで神話を講義するみたいで変ですが(笑)、散人さん、日本の古語の「兄(エ)」「妹(イモ・オト)」は必ずしも血族を意味しません。「ペア」程度の意味で、「古事記」の場合は口誦をたまたま漢字表現したものです。近親相姦に拘り過ぎです(笑)。
        大閑さん、仰せの通りアイノコのような思想は幾つも現れては消えて行ったようです。「山川草木悉皆成仏・山川草木悉有仏性」はまさしく「日本書紀」の神話そのものの表現を仏性表現として書き変えたものに過ぎませんが、「日本書紀」の内容は全く違って、古い観念として蔑むように書かれています。つまり天台本覚思想こそ神話の古精神を掬い上げようしたことになります。

      • 散人さんのコメント
        私も多少は古文などを読んでいますので、「我妹」が妹でないことは非才ながら存じております。でもノアは家族だった。それから生物再生の物語が始まった、と。であるからして新約はマリアの処女懐胎にどうしても拘った。

      • 捨老さんのコメント
        散人さん、出過ぎたことでスミマセンm(_ _)m。ついでに書いておきます、あしからず。一概に神話といっても旧約・新約にしろ日本神話にしろ、何処までが神話かどこからが史実の反映か釈然としませんが、アマテラスに関して言うならば、近親相姦どころかイサナキ(父神)が単独でツクヨミとスサノヲとともに「三貴子」を生んだ事になっています。

      • 散人さんのコメント
        左目を洗ったらアマテラスですね。

      • 大閑道人さんのコメント
        普通、太陽が月より上位に置かれる。そして男性が女性より上位に置かれる。そして右が左より上位に置かれる。アマテラスは女性神であり、しかも太陽、それが左側。 普通ならば、アマテラスは太陽神だから、男性で、しかも右側、となるはず。 このねじれがあればこそ、(神仏)習合が可能になったのかも??? (大胆な推測です)






    • 2016_02_10

      月日は巡りて








    • 2016_02_09

      ランタンフェスティバル


      昔は国をとるには武力が必要でした。現在は経済でとればいい。ランタンフェスティバルで爆買いする華人をわが街の商業界はもろ手をあげて喜んでいます。
      TPPでモノについての国境が薄れ、TiSAでサービスの国境が薄れます。結果、国を牛耳るには合法的に経済で可能になります。






    • 2016_02_08

      芸能界裏話2


      • クラブ・ハイツ (2010年 3月30日)
        クラブ・ハイツはコマの隣の東宝ビルの階上に ありました。駆け出しのころ、よく上司に連れていって貰いました。裾の広がったドレスを着たホステスさんが百人以上いました。ショウが素晴らしくて、アイ・ジョージさんや 売れる前の小林幸子さんなどが出演していました。
        あの戦後の大スター江利チエミさんも、劇場では公演出来なくなり生活のため晩年は出演していました。ある日、私が劇場の玄関に立っていると、トントン と肩を叩かれ振り返るとチエミさんでした。喫茶店に誘われ、劇場で「アニーよ銃をとれ」をやってる桜田淳子の演技のダメ出しを云われました。そのあとチエミさんはクラブ・ハイツに行きました。栄光盛衰は芸能界の常とは分かりつつ、哀れさに 茫然とした記憶があります。

      • 芸能怪(2013年12月26日)
        そもそも芸能界は胡散臭い世界だ。何故か?それはある種「博打場」だからだ。 しかし厳然たるルールが存在した。愚連隊などには付け入るスキがなかった。映画・演劇・レコード業界が三位一体となり排除していた。が、そのルールがグジャグジャになったのはテレビ業界が力を付けてからである。NHKの艶歌の御大の紅白引退は茶番劇である。あの御大のあの筋との関係を恐れての今回の始末。お笑い草である。

      • 慰霊30年(2015年 8月12日)
        1985年8月12日、群馬県御巣鷹山に墜落した日航機123便。あれから30年経った。私は感慨深く今日の日を迎えた。というのも、翌年春に坂本九さんの未亡人柏木由紀子さん、また長女の大島花子さんの芸能界再復帰、デビューには私が深く関与したからだ。今日のニュースには大島花子さんが大きく取りあげられていた。彼女も もう41歳。お母さん柏木さんが私の劇場でシンデレラの女王役で復帰 した1986年のころは、小学六年生だったのだ。
        ある製菓会社から多大な協賛金を貰ってシンデレラのミュージカルをつくり、北海道から東京までの公演を計画したが、あの年の12月になって キャスティング強化をスポンサーから要望され、会議で柏木さんを提案したのは私だった。殆どの会議参加者が裳の明けきらない柏木さんは出るまい との意見だったが、支配人だけは「おもしろい、口説いてみろ」と云った。お宅に伺った私は、因果な商売だと思った。悲しみのどん底の人を また芸能界に復帰させると必ずや話題沸騰となるという商売根性である。で柏木さんは復帰した。全国版の話題になった。そして数年後花子さんもデビューさせた。あれはミュージカル「大草原の家」だった。花子さんの成長をこころからうれしくおもった今日であった。






    • 2016_02_07

      芸能界裏話1

      芸能界の話題は散人さんの独壇場。Barであがったお話から。

      • SMAP騒動(2016年 1月20日)
        私があの世界に入ったのが1973年。すでにジャニーズ事務所は中堅の芸能事務所だった。以下、当時の先輩たちからの居酒屋話を総合的に書きます。
        1945年8月15日 ポツダム宣言受諾。そのあとマッカーサーを司令官とする占領軍がやってきた。かれらは日本のあり方を根本から変えようと企んだ。文化政策も重要な事柄であった。ハリウッド映画、アメリカンポップス、などを率先して流通させた。骨抜き作戦だ。人によっては愚民化政策とも言う。後の60年代のテレビの普及でその傾向は加速度がついた。
        以上を踏まえジャニー喜多川氏の経歴に言及する。彼は米国籍を有する日本人である。戦後一時、米国陸軍犯罪情報員だったし、占領軍が帰国したあともアメリカ大使館員でもあった。60年代 姉のメリー喜多川氏とともに芸能事務所「ジヤニーズ」を立ち上げる。一貫して資金援助をしてたのがロッキード事件の小佐野氏であった。SMAPの子供たち(もう40歳は過ぎたが)は今回どっかでこの喜多川氏の米国側エージェントの役割を聞いた筈だ。彼らがどうにもなる相手ではない。ここは一番引いて高齢なジャニー氏の今後の推移を見守るのが得策だ。日本名は喜多川接(ひろむ)、喜多川泰子という。

      • 春まだ浅き(2015年 3月11日)

        むかし私は桜田淳子の芝居担当をしていた。山口百恵に人気の上で完全に引き離されていた。そこであるスポーツ紙の芸能欄で 「モモは咲いたが サクラはまだかいな」と揶揄記事が出て、芝居担当の散人が実名で「能力に欠けるのではないのか」と批判された。娘(当時小学生)が、友達にお父さんから貰ったその新聞を突きつけられた。家で娘から新聞を見せられ「お父さんはダメな人なの!」と泣かれて閉口したことがる。つくづく因果な商売だな、と思ったことがあった。






    • 2016_02_06

      TiSA

      • 散人さんのコメント
        次に来るもの
        TPPの次に来るものは既に2013年から話し合いが始まったTiSA協定である。TISAとは新サービス貿易協定(trade in services agreement)。TPPが「モノ」に関しての貿易協定だがTISAは「サービス」に関しての貿易協定である。
        押しなべて日本は公営が多い。電力?水道、教育、医療などのサービス部門に関して公営企業が多いが、この協定は民営化して投資先にしようという協定である。水道会社になったり、島原高校が私立になったり、長崎市民病院が民間になったりする。勿論2013年から日本も加盟している。いまよりよくなるのかなぁ?


      出典:http://know-ttip.eu/tisa/
      ○参加国……日本,米国,EU,カナダ,豪州,韓国,香港,台湾,パキスタン,ニュージーランド,イスラエル,トルコ,メキシコ,チリ,コロンビア,ペルー,コスタリカ,パナマ,パラグアイ,ノルウェー,スイス,アイスランド,リヒテンシュタイン。アメリカ主導。これに対し、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)と、南アフリカは加わっておらず、欧米大企業の役にたつ協定という批判がある。

      ○サービス貿易とは……モノ以外のすべての貿易が対象となりうる。 金融,電気通信,流通,運送,建設,教育,観光など広範。現在,サービス貿易自由化について、本格的な交渉段階に移っている。内容の詳細を加速度的に固めつつ,可能な限り早期の妥結を目指す。 (外務省サイトから)

      ○わが国のサービス産業の規模


      TiSA協定についての日本語版ウィキペディアは本日現在ありません。英語版ウィキペディアを翻訳して(私の場合は自動翻訳でね)読みますと少なからぬ驚きを覚えます。






    • 2016_02_05

      町おこし

      • 散人さんのコメント
        「市」の財源なんかは市民税にしろ固定資産税にしろ頭割り(人頭税)なので 人口減少傾向で苦しくなるのは当然で、このことは当然前から分かっていたのですが、無策で今日まで来ている。高齢化で国保は苦しくなるし生活保護者は増加の一途、地域ブランドとか云って各地似たような策しか打ち出せない、コンサルに持っていかれるだけ。 捨兄や「まつを」に我が街活性化案を頼めばいいのに。

      • 捨老さんのコメント
        「町おこし」 難しいですね。ボクの商売がらみの拙い経験から言いますと、国とか行政がやるトっプダウン方式を町など地方のプチ行政が真似しても、大抵失敗に終わります。最初のムーブメント、拡大プラン、フローチャートなど、単発のプロデュースではなく、綿密な計画と繰り返されるテーマが必要かつ不可欠。ちょっとした「社会運動化」が絶対に重要な要素です。政治がらみが表に出ても失敗します。ポイントを外さない計画をたえずチェックしながら、息の長いアクションが必要になります。
        などと言ってますが もちろん簡単ではありません(笑)。無理に簡単に言えば(笑)、毎朝オバサンがひとり 箒を持って街の掃除をしていると、美談になるかも知れませんが、町おこしにはなりません。これが水曜日の朝だけでも百人のオバサンが掃除を始めると、一大イヴェントとなり社会運動となります。これにファッションの要素があれば、自ずと拡大要素が生まれます。その行方をコントロールする必要があるのです。

      • まつをのコメント

        結局、どんな町おこし案であれ、そこに住む住人に最終的にはお任せすることになるわけですからね。たとえば上写真は、プランニングさせていいただいた島原のお店「一休」ですが、ここのコンセプトを固めていく際も、この店を切り盛りする方がいらっしゃって、この方が映える店をつくることを基本にして組み進ませていただきました。「この人をこんな空間に置いてあげれば、プランナーから離れた後も店として繁盛するな」と。
        そういう意味では、小浜には馬力のある牽引者さんがいらっしゃるので、捨老さんのおっしゃる「水曜日の朝だけでも百人のオバサンが掃除を始める一大イヴェント」的動きを生み出していけるでしょう。小浜には可能性を感じています。






    • 2016_02_04

      小浜トワイライト・プロジェクト2


      足湯につかりながら、「ゆったりと流れる時間と、美しい夕日」を愛でるプラン。もし足湯がこのコンセプトを主軸に純化してつくられていたならと想像してみてください。小浜は他のリゾートが追随できない唯一無二の観光地になっていたかもしれません。

      • しんのじさんのコメント
        春から秋の、夕闇せまる優しい時間帯に小舟を漕ぐと、あまりの幸福感から 二度と舟から降りたくない病が発症します。水面に小舟もろとも溶けていく ような感覚。プロのカヤックガイドがついて30分間のミニツーリングが企画 できれば、極上のアミューズメントになるでしょう。

      • 捨老さんのコメント
        「水面に小舟もろとも溶けていくような感覚」 いいですね~! ボクの文学的素養にはチト問題があるとしても(笑) まさに「逍遙遊」の極致 命と水が一体になるような この表現は好きです! これが「太陽に熔けた海」に重なるのでしょうね。






    • 2016_02_03

      小浜トワイライト・プロジェクト

      例えば「ゆったりと流れる時間と、美しい夕日」をどう売るか。この写真をご覧ください。

      cZadar Tourist Board
      ここはクロアチアのアドリア海沿岸に位置するザダル。ヒッチコックが愛した世界一美しい夕日の町として知られています。

      これは長崎。夜景の展望台。これを上写真の環境にセットし、ゆったりと流れる時間と美しい夕日を売るプランです。

      小浜の夕日に画像合成してみました。こんな感じでしょうか。
      小浜の旅館街前の広場(高台ではないですよ)に設置すればホテルからすぐアクセスできます。徐々に暮れなずむ夕日を観ながら、気付くと辺りは夜のとばりに包まれているというロマンチックな設定です。お菓子という商品もパッケージデザインが及ぼす影響は大きいですよね。ゆったりと流れる時間と美しい夕日のための素敵なパッケージをつくってあげてください。ライティングが大切です。
      この場のネーミングも大切です。たとえば小浜の旅館で「刺身です」と言うかわりに「死んだ魚の生の身です」と言って出すのでは全く違ってきます。私たちは意味を食べ、意味を過ごし、意味を眺めるのです。
      さらに素晴らしいことに、小浜には豊かな温泉がありますからこの後すぐに体を温めることもできます。
      もう一度書きます。高台にすると人の足は遠のきますからフラットな設定で。

      なお、ザダルには海のオルガンと言うものがあります。このオルガンは、浜辺の階段にパイプを埋め込み、波の動きとともにパイプが和音を演奏するという仕組み。またザナルの円形ステージは「太陽への挨拶」と名付けられ、夜になると太陽電池に蓄えられたライトが円形台を淡く光らせ、海のオルガンと呼応して点源します。


      ここまで出来ればすばらしいですが、予算との兼ね合いですね。少なくとも低予算で高電化しない洒落たライティングのトワイライトステージはできます。くれぐれも地方観光地によく見られるLEDでかたどった動物を並べられないように。小浜には世界的デザイナー城谷耕生さんが在住ですから相談されるといいでしょう。超一流のものができるはずです。

      • 散人さんのコメント
        「小浜町」再生まつを案には感動しました。日本にも昔から「借景」(しゃっけい)という美意識がありました。京都なんかの庭園に在り様です。自然を見立てるという意識。小浜町は素晴らしい海と山(雲仙)があります。京の借景という箱庭的でなく、「まつを」案のようにスケール感を出せば九州はおろか全国的にお客を呼べると確信します。自然の美をお借りするこころ。これより美しいものはありません。

      • 大閑道人さん
        すごいですね! 小浜町の再生案、発すべきことばがありません。

      • 散人さんのコメント
        マジック・アワー 。「美しい夕日」の時間帯こと。Jarさんもご存じかと思いますが、撮影や映画用語に「マジック・アワー」というものがあります。日没後に数十分間体験できる薄明りの時間帯。ものみなを黄金色に染め上げていく珠玉の世界。世界にはそれを売りにしてる場所があります。小浜町も体験できる場所でしょう。






    • 2016_02_02

      小浜の恵方巻き騒動に思う2

      関係者もご覧になっていることを配慮しお書きします。
      日本一長い恵方巻き、日本一長いちくわ。これらが最近、小浜から報道に乗り発信された観光情報です。その結果どうなったか。外部から見ると、小浜=競争・物量のイメージ形成がはじまっています。
      小浜のよさってなんでしょう。ランダムにざっくり上げます。「ゆったりとした時間、うまい空気、うまい水、豊かな温泉、殺伐としていない人情、豊かな海産物、海、空、山、美しい夕日」
      量的視点で小浜に目を向けさせる方向性は、小浜のよさを伝える手法として適切かとお考えになることが大切かと思います。それも広告代理店キャンペーンである恵方巻きに至っては地元文化をかなぐり捨て、残念ながら軽率のそしりを免れ得ません(失礼)。
      では、僭越ではありますが私案を挙げさせていただきます。






    • 2016_02_01

      小浜の恵方巻き騒動に思う

      飢餓による死者は1日4~5万人と推察されます。7割以上が子どもたち。食料が世界に足りないことが原因ではありません。偏在こそがその原因です。ノーベル平和賞者ワンガリ・マータイ氏は日本語「もったいない」という言葉に感銘を受けこれを国際語にしたいと運動を続けています。

      この1月31日、雲仙市小浜温泉で長さ125mの恵方巻きを作るイベントがあり、2012年の鹿児島県志布志市の約122mを超え「世界一」を記録したと実行委員会が歓声を上げたと言います。

      そもそも、恵方巻きの長さを競うという着眼点は、ワイン・コンテストで量を競うようなもの。どのような意味があるというのでしょう。質より量を競う姿勢で騒ぐ姿勢はこの時代いかがなものかと。そして、小浜のよさはそのような即物的視点でアピールするようなものではないと思います。もったいない。





       

       

       

    • →これまでの全記事
    •  

  •  

    Plofile まつを


    デザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。↓これは私の作品たち。

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。