2017年8月
夏の終わりにハングドラムを
- goodmanさんのコメント
シマカワコウジさんの奏でるハングドラムと共演したことがあります。 23分を超える長い動画ですので,途中から観られるようにしています。 フレットレスベースとハングドラムの相性はとてもいいです。
年金の支給開始を75才にする案を検討開始
ここを読んでらっしゃる63才以下の方、以下はあなたに関わる話です。だから私は消費税を上げるべきだと主張しているのです。
「75才選択制」って騙されてはいけない
この7月に内閣府で有識者を集め「年金支給開始75才」の検討を開始した。
これはとんでもないことで、暴動ものである。例によって、政府の宣伝媒体と化した大手マスコミは、まともに報道していない。
政府は本当のことを云うと選挙で惨敗するので「75才選択制」と一見甘そうなことを云っている。75才まで支給を我慢すれば月額が多く貰えるというが、男性だと6、7年しか余命が残っておらず総額は少ないのだ。騙されてはいけない。
モデル世帯が夫婦で月額22万円。10年先延ばしすると総額2,640万円損することになる。それも2019年に制度化しようとしている。理由は、国民がオリンピックで浮かれているだろうからという予測だ。
この国の牙を抜かれた「若者」は暴動一つ起こさないと政府は分かっているのだ。「モリカケ」のような瑣末な問題で大騒ぎして国民をミスリードしているマスコミも、昔なら焼き討ちの対象である。残念。
怒れ若者よ
平成27年度各種年金勘定(厚労省HP)を見ると、国民年金 歳出 4兆1,189億1,100万円
歳入の一般会計入れ 1兆8,127億6,600万円
厚生年金 同 42兆9,008億2,900万円
同 9兆2,263億7,600万円
実に両年金で、11兆円超を一般会計から引っ張って来ている。
本来、一般会計は、経済成長を促す投資的財源である。にも関わらず本来それぞれの年金勘定で収支を整えるべきものが、莫大な赤字になっているのだ。
1,000兆円を越す国債発行残高の原因は「年金赤字勘定」なのだ。今の「老人に手厚く、若者に手薄」な証拠がここにある。
怒れ若者たちよ!
流離い(さすらい)と年齢
シルバーエイジが小汚い恰好をしていちゃいかん
昨日の記事を書いた後で、それが許されない歳になったなと感慨。
あるとき、全国を野宿で旅しているという40代後半の男に公園で出会いました。
学びの瞬間というのがあるなら、あの時もそうでしょう。
「みっともない」と。
若者が全国を流離っている姿は、共感を覚えるものです。実際、わが家で呑んだり泊めたしたこともあります。その夢や気概にシンパシーを感じたものです。が、シルバーエイジが小汚い恰好をしていちゃいかんのです。いい歳こいたハナタレ小僧じゃみっともない。
清潔であること。教養があること。そして遊び心があること。歳いって、自分のことで一杯一杯じゃ、みっともないんですね。
高架下に住む
私の中に潜む風来坊気質
これは、とある高架下。
私には元来どこか風来坊に憧れるところがあって、こうしたスペースを発見すると「住めるな」と思わずシャッターを切ってしまいます。
こんなところに住むのもいいんじゃないかと夢想するわけです。風雨はしのげますし、結構な空間が取れますし、人目につきませんし、いやはや立派なもの。
駅寝にも憧れていましたし、野宿に近いキャンプや、車中泊は実際にしばしばやっていました。それは単なる金銭的問題ではなく、アウトロー的テイストへの憧憬。よく定年まで仕事を勤めあげ、家族を養ってきたなと思います。
そんな私から見ると、高架下は駅寝や野宿や車中泊よりもずっとラグジュアリーなものに写るのです。
この意見に、「分かる!」と共感していただける方も極少数いらっしゃるのでは。
で、この動画です。バカですねぇ~(笑)。やっちまってますよ。
スペインの家具デザイナーが高速道路の高架下に秘密基地をつくっています。場所は非公開。もし誰かに見つかったり、盗まれたり、当局に撤去されてしまうその時までの短い期間のプロジェクトとのことです。
枕木の家
枕木の家に住む人は死んでいってる
これは建築中だった枕木の家。世の中には一般人を遥かに超えた世界観を持つ人がいて、この主もまたそんな人でした。2階建てのこの家を、購入した重機を使い一人で建てている途中でした。その後、風の便りに遠方に移住したとの話を聞き、この家も末路も知りません。
枕木を多用した庭づくりも流行りましたし、「枕木の家」を特集した雑誌もありました。今になって考えればおかしな話ではあるのです。
あるときこんな言葉をささやいてくれた人に出会いました。
「枕木の家に住む人は死んでいってるよ」
冷静になって考えれば、古い枕木が腐らないのは、発がん性のあるクレオソート油で処理しているから。検索してみると、枕木の家をアップしている人は今ではネット上に見受けられなくなっていました。
枕木が一大ブームになったのは、柳生博氏の庭づくりが源流の一つ。枕木を多用した庭が見られる八ヶ岳倶楽部は上写真のように実に美しいもので見惚れてしまいます。
そして私が訪問したときは偶然ですが、息子の柳生真吾氏の葬儀からそれほど時が経っていない頃でした。ガンで若くして亡くなられていたのです。
- しんのじさんのコメント
ほとんど一人で造っていたとはとても思えない、見事な威容を誇る枕木ハウス、今も形上湾の入り口近くにひっそりと佇んでいます。高い防腐性のなせる業か、たしかにほとんど朽ちておりません。小雨の日にシーカヤックで漕ぎ着けると、霧の中に突如、神秘的な光景が出現し、しばし感嘆することとなります。
設計・製作した持ち主のJ氏とは、去年、電話でですがある要件で話をする機会がありました。ご健在で、朴訥だがエネルギーを感じる語り口でした(会ってみると、意外にもずいぶん小柄な方ですが)。
そう言えばだいぶ前、彼を紹介下さったのは、今は亡き焚き火さんでした。彼に誘っていただいて一度Jさんのお宅(別棟でしたので、匂いも別にしませんでした)に泊めていただき、彼のお仲間とバーベキューを楽しんだり、翌日は僕がローストビーフを焼いたりしたのを懐かしく想い出しています。
処暑
今年の処暑は8月23日水曜日でした。処暑とは、暑さが峠を越えて後退し始めるころのこと。
お盆を過ぎると地獄の釜のフタが開く
私が幼い頃は、お盆を過ぎたら泳いじゃいけないと言われていました。「地獄の釜のフタが開くんで」。そう言われていたのです。
わが家は浜辺沿いの立地で、砂浜に直結しており、波音は一年中周囲を包むサウンドスケープでした。
夏になると、砂浜に隣接するように「お縁(えん)」と呼びならわしていたウッドデッキが設えられます。頭上には、藤が張って半日蔭になっており、夏休みにはそこでお昼を家族そろって食べていました。
ちょっとした私設の海の家のようなもので、海岸から遠方地の友達は、泳ぎに来たときにはよくわが家の「お縁」を海の家がわりに使っていました。懐かしい原風景です。
地獄の釜のフタが開いた後は、地域の慣習から海水浴の時期は終わりを告げ、「お縁」は友人たちの溜り場ではなくなり、そして夏の終わりを感じ始めるのでした。
死刑制度廃止になれば
死刑廃止の国では警察官による犯人の現場射殺がほとんど
死刑廃止の国では、警察官による犯人の現場射殺がほとんどだそうだ。
西日本新聞の記事から読み取れる疑問
- なぜ一般人がいないぶどう畑に追い込みながら、数日間の長期包囲という手段を選ばなかったのか。
- 記事には「自爆用のベルトで……」とあるが、これは「事実」なのか、警察発表しかない。
- 死刑廃止なので、逮捕すれば、ずっと税金で養わなければならない。
- 死刑にしたい国民感情が収まらない。
- 逮捕→裁判に伴う時間と費用を省く。
- 逮捕に伴う危険や手順も省くには、現場での射殺が一番安上がりで手っ取り早い。
犯人が現場で射殺されれば、取り調べも裁判もないので、背後関係が不明なまま、したがって、真の首謀者への手がかりも、犯人と一緒に葬り去られる、という。
日本で、死刑執行された犯人の人数と、死刑廃止国で現場で射殺された犯人の人数と、どっちが多いのだろう。
画家のアトリエ
なるほど、こんなところで創作していたんだなと改めて感慨に耽ります。誰のアトリエだかお分かりでしょうか? 当ててみてください。
1 古き良き時代を感じさせる、かつてのアトリエですね。窓が大きくとってありますから、こちらが安定した光が得られる北側。木製素材に囲まれています。
2 作風から偲ばれるとおりのアトリエと服です。
3 これは当てるのは難しいかな? この下の画家と同じ国の出身でビッグ3の一人。
4 サービス問題。なにせ城を持ってますからね。たぶん80歳近くの写真でしょうが、出で立ちが若く、目が現役ですよね。あやかりたい。
5 アメリカに飛びます。作品のイメージよりもアトリエは整然としていますね。この時代になりますとアトリエというよりもファクトリー的になってきます。
6 こちらもアメリカ。ファクトリー的ですが、作品のイメージのままでドリッピングの跡にまみれています。壁は隙間だらけで、ここから最近まで史上最高額であった作品が生まれた部屋とは思えません。
7 この画家の人生を扱った映画の舞台になりましたから、ここは結構有名です。私は長く留まれない類の空間でしょう。城持った画家と同額レベルの値が彼の絵にもついています。
8 やはりといいますか、溢れている色彩が違いますね。難問でしょうか。存命の画家です。偉大なる建築家フィリップ・ジョンソンのかつての相棒。
画家のアトリエの答
1 セザンヌ。プロヴァンスのアトリエは自ら設計し、晩年の4年間を過ごしました。現在、一般開放されています。このショットは2階部分で、イーゼルや絵の具などが当時のままに置かれています。テーブルの上に置かれた果物や水差しなどは、セザンヌが晩年に描いた静物画そのまま。
2 シャガール。サン・ポールの住まい。イジスによる撮影かな。
3 ミロ。アトリエはスペインのマヨルカ島にあるジョゼップ・ルイス・セルト設計によるモダンな建築。ミロ美術館の横にあって一般公開されています。
4 ピカソ。デービッド・ダグラス・ダンカンが撮ったショット。フランスのカンヌにあった別荘「ラ・カルフォルニ」かな。孫から「辛い記憶を忘れてしまいたい」と近年売り飛ばされました。
5 デ・クーニング。ニューヨーク郊外のイースト・ハンプトン。好きになれない画家。
6 ポロック。同じくイースト・ハンプトン。田舎です。ポロック邸は、現在ポロック=クラズナーハウス・アンド・スタディセンターとなっています。
7 ベーコン。ロンドンのサウス・ケンジントンのリース・ミューズ7番地にあったこのアトリエで30年以上描いていました。世界一有名なゴミ屋敷。
8 ホイックニー。ロサンゼルス。西海岸の光ですよね。
そうめん
この夏は、そうめんにハマりました。
やっとこの歳にして湯がき方を会得。そのコツとは。
- たっぷりの湯をグラグラとなるまで沸騰させる。
- 1分30秒湯がく。ここ大事。これを正確に守るため、事前にそうめんの束紙をとって準備し、全部を一気に鍋に投入。タイマースタート。
- 1分30秒後、ザルにかえし、冷水で揉む。しばらく揉むと麵にコシが出てきて別物に変身するのが分かります。
- 事前に、丼に氷をザックと入れ、めんつゆを注いで用意。これに水気を切ったそうめんを入れ、上からゴマ油を垂らす。以上、単純明快。
そうめんの湯がき時間は1分半
つまり、そうめんを湯に投入してから出来上がりまで、ごく短期決戦。こうしていただくそうめんは、それまでのコシぬけそうめんとは別物。お試しあれ。
長崎市から水を買った大渇水
平成6年、当地は未曾有の大渇水。長崎市から水を買う始末。6月23日から翌年の春彼岸まで、二日間で4時間の給水。そんな中「素麺を食べたい」と言ったら、家人の「非国民!」の一言で拒否。江迎の友人宅に押しかけて食べさせてもらいました。
そうめんは社交ダンス
誰が最初に買うのか? 島原のお中元の品は昔も今も「そうめん」が多い。生産者が多いのだ。この夏も三箱頂いた。そのうち二箱は知人に回した。その知人も他へ回すのかもしれない。「お中元」と書いてあるだけで名はない。となると私にきたのも回しかもしれない。
そうめんは一年もの、いや二年もの、つまり寝かしたものが美味しいという人がいるが、私はあれは美味しい汁(つゆ)が必須であって、そうめん自体に旨みがあるとは思われない。社交ダンスに似ていて女性一人であの動きをやられても、少しも面白くない。つゆと少しのネギとの合作で夏の味となる。
島原は湧水の95%が海に流れている。
そうめんは商品貨幣
島原でそうめんは商品貨幣ですね。商品貨幣とは、商品そのものが貨幣として使われるもの。腐らないものが商品貨幣になりやすい。ということで、そうめん。
思い返してみます。故郷島原で幼い頃に、商品貨幣として使われていたもの。
そうめん、砂糖、石鹸、台所洗剤、タオルかな。
米も何割かはどちら様からか回ってきていました。
そうめんと、砂糖と、石鹸はほぼ100%盆暮れにもらい・贈り、押入れにストックして使うもの。タオルも、宣伝の入っていないタオルを使ったのは、随分歳がいってのことだったように思います。
当時のそうめんは、今でいう冷麦(ひやむぎ)のようなスタイルでした。今のものより、太さがあって、少々長め。子供心に、今のものよりも使っている油がよろしくなく、不味かった印象があります。ピンクや緑の麵が少し入っていて、これを食べるのが好きでした。今のような、細いそうめんをはじめて見た時は、驚きました。あれはいつぐらいからなんでしょう?
今調べて新発見↓。
-
麺の中に、ピンクや緑など色の付いた麺が入っているのを見かけませんか? これは、もともと、違いがわかりづらい「そうめんと冷麦」を区別するために、「冷麦」の方だけに色付き麺を入れたんだそうです。
出典:http://grapee.jp/337690
島原そうめんは産地偽装問題で自立した
かつて三輪そうめんの下受け生産をしていた島原そうめん。それが2000年の産地偽装問題が起こり、農林水産省がこれを禁じました。島原そうめんとして自立せねばならないことに。それまでは9キロ3,000円で収めて、三輪そうめんブランドによって5,000円で売れていたものが、島原そうめんブランドでは当初2,000円でしか売れなかったといいます。その後ブレンディングに努め復興。
ラスコー展
九州国立博物館で開催中の『世界遺産 ラスコー展』に寄ってきました。2万年前のクロマニョン人が残した壁画で有名なフランスはラスコー洞窟の再現。
スペインのアルタミラ洞窟の壁画と合わせて教科書によく載っていましたよね。アルタミラ壁画を観たピカソが「我々のうち、誰もこのようには描けない」と言ったエピソードも有名。現物サイズに再現された展示を観て思ったのは、まさにそれ。この壁画がどれほど凄いかは、実際サイズを観て実感します。
絵画は3Dである現実世界を、脳が2D処理してできる抽象表現
絵画は、そもそも3Dである現実世界を脳が2D処理して表出する抽象表現。現代人のように先例の漫画やデッサンがごろごろしている状況ではない状態で、このフォルムを生み出した天才にまず驚きます。さらにそのフォルムも実に美しい。
なおかつ、ここが今回見学して実感したことですが、我々の等身大以上のサイズで描かれていることに驚きました。皆さんもはがきサイズの紙に漫画を描くことは比較的容易くできても、同じものを畳3畳分サイズに描きなさいと指示されると難しいことはご理解頂けるでしょう。単なる手癖で描けるレベルを超えるのです。手元の筋肉だけではなく、全身を動かして描く必要のある作品には、引いて理解する構成力が必要になってきます。それがラスコー壁画ではできています。驚きです。
年代別「10代で流行ったもの」ランキング
出典:ネタりか
10代(現役15~19歳)
1位 LINE……75.8%2位 YouTube……72.5%
3位 Twitter……65.1%
4位 「それな」……37.7%
5位 Instagram……33.5%
6位 SNOW/スノー……29.5%
7位 メルカリ……28.4%
8位 みやぞん……22.2%
9位 Simeji/シメジ……21.7%
10位 クルトガ……21.1%
メディアの主体がスマホ。2012年6月の朝日新聞アンケートによると、75%が最近のテレビはつまらないと答えています。
小田嶋隆氏いわく「テレビは賢い人にとってもバカな人にとってもおおむね同じものだが、ネットは賢い人には賢い情報を提供し、バカな人にはバカな情報をもたらす」
20代
1位 『エンタの神様』……66.4%2位 『トリビアの泉』……66.4%
3位 プリクラ……63.6%
4位 『学校へ行こう』……61.6%
5位 『ポケットモンスター』……61.2%
6位 『野ブタ。をプロデュース』……60.4%
7位 従来型携帯電話(ガラケー)……57.2%
8位 『花より男子』……52.8%
8位 『あいのり』……52.8%
10位 mixi(SNS)……52.0%
メディアの主体がテレビ。 今でも世界で最もテレビを見る時間が長いのは日本人。1日のテレビ視聴時間は平均5時間1分。これでは労働時間の他にはほとんど休みなくテレビを見ているということ。つまりつまらないものを日本人はつけっ放しにしているわけです。 世界平均は日本より105分少ない。
30代
1位 たまごっち……74.4%2位 小室ファミリー……70.4%
3位 ルーズソックス……69.6%
4位 アムラー……65.2%
5位 プリント倶楽部……64.8%
6位 ゲームボーイ……59.2%
7位 マジカルバナナ……54.8%
8位 『だっちゅーの』……53.6%
9位 MD/エムディー
10位 『チョベリバ』『チョベリグ』
あらゆるメディアは黎明期は高尚、後に俗物的となる
白川静氏の言葉に「未来に対する見通しというものは、過去と同じ波長で生まれてくるのです。だから過去についての認識がどれだけあるかということが、未来に対する見通しの基礎になる。すべてが現在から起こる」って言うのがありますが、上記を見ているとこの言葉がノー天気に思えるのは私だけではないでしょう。「じゃあ、あと10年後を見通してみてよ」と言いたくなります。風俗は音を立てて流れる濁流のごとし。
あらゆるメディアは、その黎明期は高尚なコンテンツに使用できると謳われ、黎明期を過ぎると俗物的なことに使われてきた歴史があります。
活版印刷だって最初は聖書の印刷から。テレビも黎明期は「これで国民教育が図れる」と。それが今は御存じのとおり。スマホに至っては黎明期から俗物。
若者のトレンドっていうのは、いつの世もどうでもいいことの中に。
ベランダ菜園3種
故郷のみやぞんに似た農家の方から教えていただきました。
ベランダで育てやすい野菜3種は、トマト、ニガウリ、サニーレタスとのこと。
トマトとニガウリはすでに植えています。サニーレタスは今植えつけOK。やってみましょう。
日々成長していくものが身近にある楽しさ。
追伸:近所に購入に出かけるもサニーレタスなし。かわりに夏きゅうりとパセリ植えつけ。
精霊流し
映画的夕焼けを残し暮れていく黄昏。
訳あって、今年は生まれてはじめて長崎市で15日の夜を迎えました。
KTNがネットでライブ中継を行っているとのお知らせがあって見てみると、呑み友の山本さんと岡野さんがずっとトーク。お二人だから続くんだろうなあ、この3時間のトーク。それにしても編集なしで長崎市の精霊流しを観たのは初めてでした。
一方、故郷島原では精霊船は今でも多くが藁で作り、担いで持って行きます。雨が容赦なく降った後の精霊船は、雨を吸ってもう無茶苦茶重い。大変だったでしょう。
多以良ガネ氏邸
紛うことなき豪邸。散人さんと共に訪れました。
飾られたシャガール。
「これなんか呑みましょうか」とワインセラーから取り出される名品ワインの数々。「いやいや、小生ごときワインを知らぬ者が呑むものではありません」と丁重におことわりして。
いただいた酒は、幻の秩父ウイスキー イチローズモルト ミズナラウッドリザーブ リーフラベル700ml。そしてカリラ25年・アイラ・シングルモルト・スコッチウィスキー700ml。もう本当においしいお酒でした。
そんな極上の酒をいただきつつ見せていただいたのは、古萩焼の茶碗。熊本の某名家から出たもの。佇まいに極上の品格。
二代橋市の短刀鞘。東京美術学校(現在東京芸術大学)の漆芸科教授(明治17年拝職)。松竹梅が施された漆塗りの短刀鞘。常々申しておりますように、江戸期から明治にかけて日本芸術の最高峰の芸術分野は彫金や塗りの工芸。
素晴らしいですねと話していると、次に観せていただいたのはこのコレクション。本当に素晴らしい。
仏教界はどこへ行く
『あの世』を信じていないが59%
「『あの世』を信じるか」という項目では、58年の調査では、「信じる」が20%、「信じてはいない」が59%を占めた。2013年の調査では全体の40%が信じると回答、「信じてはいない」の33%を上回るといいます。(出典:AERA8月7日号)
大部分の寺が檀家減少により経済的に厳しい
ところが、2016年3月8日の記事で書かせていただいたとおり、お寺の衰退は深刻で、日本全国にある寺院のうち、住職がいない「無住(むじゅう)寺院」の数は約7万7000のうちの2万。さらに宗教活動を停止している「不活動寺院」は2000カ寺以上。住職がいる寺でも、檀家数の急激な減少により経済的に立ちゆかなくなっているところが大部分を占めるといいます。(出典:『寺院消滅 失われる「地方」と「宗教」』)
熊本地震への仏教界の対応に失望
私は仏教を愛し、親密なる僧侶の皆さんを敬愛しています。しかし、熊本地震の際の仏教界の対応に失望しました。当時の私のつぶやきを大分時間が経ちましたので書きますね。 --------------------------------------------
なぜ門徒は大丈夫かと言わない
私は仏教が好き。これはもうはっきりしてます。
でもですね、この熊本地震への仏教界の対応を見ていまして、信徒として悔しいんです。
全日本仏教会のホームページで各宗派の熊本地震への対応を拝見しました。
失望。
仏閣などモノの被害を報告せよという本山の多いこと。門徒はどこいったのでしょう?
仏教界は、色即是空が日本的なスタンスと思ってました。
それが、信徒の身を案じ状況を求めるのではなく、施設の状況報告を求めている。なんなんでしょう? 門徒の死傷より、寺社という施設がどうなったか報告しろって。なんなんでしょう、この宗教。
毎日お唱えになっている経典はなんなんでしょう。
「寺院消滅」って本を3月に話題としてました。あれは悔しいからです。愛する仏教寺院が消滅していくことが悔しいからです。
でも、今回の身近な熊本地震への仏教界の対応を見ていて、本当に残念ながら、無理なからんと思い始めています。
同門信徒の生きとし生きる者の傍らに添って、宗教者ではないのでしょうか。被災地の同宗派の寺院に集結し、その門徒のもとに手分けして出かけ声を掛け、生きがいを見出させて差し上げる。そんなことお考えになってらっしゃらないのか? かつての聖たちはそれをなさっていたはずです。
先日、熊本地震への鎮魂ということで、浄土真宗のトップがまつりごとをなさっている写真が掲載されていました。物凄い違和感。被災地ではトイレさえ困っているのに、トップは金襴の衣を羽織って。
熊本地震に対して、キリスト教界は時置くことなく人的救援隊を派遣していたんです。
悔しかった。仏教界は施設の崩壊を報告せよ、ですよ。大組織でキリスト教は動いた。なのに。
仏教界も現地入りしている。被災者への支援は地元寺院が中心
各宗派とも青年会が多数現地入りしているはずです、そして、大手メディアは、仏教関係のボランティア活動に関しては、ほとんど報道しない。
副住職は、二週間に一度、熊本入りしていました。
そして、熊本現地では何をしていたか、といえば、被災寺院の支援。
実際、被災者への支援は、地元寺院が中心です。なぜならば、顔を知っているから。
彼らは、ほぼ、不眠不休で地元被災者のために走り回るのですが、彼ら自身も地震被災者。
でも、自分自身(の寺)の後始末は後回し。
その分、宗門青年会員がしていたのです。なにせ、お寺の什物(=備品)に関しては、お寺の人間しかわからないのだから。
昨年は、九州各県の宗門青年会が、割当表を作って八月末まで支援活動をしていました。
支援活動の経験で言えば、一番の必需品は、炊き出しセットだそうです。
今では、各県に一つ、炊き出しセットを持つようになりました。
高校時代の友人が、企業勤務の折、派遣先がドイツでした。
その地で、なにがきっかけだったのか、カトリックになりました。
今、彼は会社の世話で下請け企業の会社の雇われ社長をしていますが、彼は、年収の10%を教会に寄付しています。
これは、クリスチャンとしては「決まり・掟」だからです。
で、まつをさん、あなた、自分の菩提寺に、年収の10%をお布施しています??
キリスト教教会と仏教界では、圧倒的に財政基盤の規模が違います。
お応えにくい話題に対応していただきありがとうございます。
被災地の寺院は地元門徒のケアにあたり、他地域から救援に参加した僧侶は寺院施設のケアをしていた。
この理解でいいですか?
宗派によって違うのでしょうか?
仮に自分の属する組織が体質的問題を抱えている時に、そこに属している人に「責任を感じ」させたいとはまったく思っておりません。このような公的な場で各組織の話題を論じる時、各論者を公開処刑するようなことはやってはいけないことだと思っています。それは愚者が行うことです。「だから公務員は」「だから韓国人は」「だから黒人は」などという論調は、そこに属する人をステレオタイプ化すること。愚かです。このような話題を採り上げる場合、論じ、考えたいのであります。ですから、自分のことに引きつけ過ぎますと、ディフェンス思考に陥り、思考に伸びがなくなることも私たちは承知しておかねばなりません。 純粋に考えてみたいのです。
支援活動をした人によれば、災害発生時から時間経過とともに、地元被災寺院のケアの割合は減り、そこそこの避難施設の支援に向かうようになった、ということでした。
仏教組織の熊本地震支援レポートは金銭授受シーンに溢れている
理解しました。ご苦労さまです。実はある敬愛するご住職ともお話したとき、類するお話を聞いていました。と同時にその方は、仏教界組織の体質については同じような問題を感じるとお話になっていました。
今回下記サイトをみて、改めて組織としての気質に疑問を持ったのです。
これを見て、違和感を憶えるのは私だけでしょうか。
「これで報告としている感覚への違和感」
写真は上役のカネの受け取りが多くを占めています。
つまりお話いただいた若い僧侶たちの献身的地元支援活動の写真がない。
これで外に情報を出す現在仏教界の体質に違和感を感じているのです。
人々が敬意を抱く活動が報告されていません。
そこに目が向いていない体制・制度としての仏教。
これは「住職」であり経営者。若手僧侶は「和尚」として行動している
この報告の写真、似たようなものは、宗門広報誌にもあります。
それで考えてみました。
この写真の被写体の僧形は(あえて「僧形」とします)、「住職」なのです。
端的に言えば、和尚ではなくて、経営者。
逆に、若手僧侶は、まさしく「和尚」として行動します。
ここが課題点でしょうか。
さらに言えば、和尚や仏教に対しての敬意は、まだ、多く見られますが、仏教界(「宗門」も含めて)は、経営者の集合体だから、そこに対して、敬意を表される行動が取れるか、というと、大いに疑問です。
仏教離れ、お寺離れが進行している、とは思えません。
仏教の積み重ねてきたことは、私の目線では、たとえば、NHK教育での「(モーガン・フリーマンの)時空を超えて」や、カウンセリング、自己啓発などなどに広がっています。
また、歴史ある寺院の醸し出す空間は、人間を別の世界に引き込みます。
仏教は、別の場所に居場所を見つけているようです。そして、寺院や仏像も、歴史資源+自己省察の装置として機能しています。
では、なにが寺院崩壊の背景にあるのか?
身を置く立場で言えば、祭祀離れ・和尚離れ、そして、血縁共同体(=しがらみ)離れ。
仏教が僧侶のためにあるのなら、民は仏教を必要としない
自民党が自民党のためにあるのなら、国民は自民党を必要としません。
自民党は国民のためにあってこそ支持されます。
仏教が僧侶のためにあるのなら、民は仏教を必要としません。
仏教は民のためにあってこそ敬愛されます。
いつの世においても、自己目的化した組織が衰弱化することは、歴史が教えてくれるところです。
誤解されないでくださいね。信徒として敬愛する仏教の組織体質を心配いたしているのです。そして大閑道人さんへの敬愛も変わることはありません。
各信者の総計は日本人口の二倍以上になる
毎年文化庁が宗教関係調査をする。
近年 著しい傾向は仏教系が新宗教に流れていることです。
ここ最近のデータ
- 一位 神社本庁 神道系__6,800万人
- 二位 幸福の科学 仏教系__1,100万人
- 三位 創価学会 々 __ 827万人
- 四位 浄土真宗本願寺派 々 __ 694万人
- 五位 浄土宗 々 __ 600万人
統計の信憑性も疑問が残る。七五三や初詣に行くから神道や葬式するから、仏教や結婚式のキリスト教など、儀式信者が多いのかもしれない。
ヨーロッパは百年前よりも環境に優しい
ヨーロッパの森林は過去100年間で3倍に
100年以上前、木材は、燃料木材、金属製作、家具、住宅建設など、ほぼすべてに使用されていたため、ヨーロッパにはほとんど森林が残っていませんでした。
ヨーロッパの森林は過去100年間で3倍になりました。耕作地は技術革新によって減少。さらに、多くの人々が農村部から都市部や海外に移住しました。
フランス、スペイン、イタリアでは特に植林が見て取れます。特に第二次世界大戦後に植林が始まりました。
共産主義の終結はまた、東ヨーロッパで森林の成長をもたらしました。
スカンジナビア半島の森林は回復し、他国に供給しています。
オランダとイギリスは海と海軍力に大きく依存した帝国でした。船建設のため木材が必要で、かつて2〜3%しか森林に覆われていませんでした。
8月9日11時2分
長崎ではすべての学校が登校日となり、投下された時間に黙祷で街が止まります。
原爆は国際法違反である
長崎への原爆投下の翌日、日本政府はアメリカ政府に、原爆使用はハーグ陸戦条約の法規慣例に関する規則第22、23条に違反していると抗議しています。- 第22条: 交戦者は害敵手段の選択につき、無制限の権利を有するものではない。
- 第23条: 特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り。
5 不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること。
7 戦争の必要上、やむを得ない場合を除く敵財産の破壊または押収。
1963年12月7日、東京地裁は、原爆投下を国際法違反であると判決。
1996年7月8日、オランダ・ハーグの国際司法裁判所が核兵器の使用を「一般的に国際法違反」と勧告的意見を出す。
ブレークニ弁護人、パール判事、アイゼンハワー将軍の発言
極東国際軍事裁判において、ブレークニ弁護人は、原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第4項が禁止する兵器だと指摘しています。
また同裁判でパール判事は、米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊として、ナチスのホロコーストに比べられる唯一のものであるとしました。
アメリカ内部でも、アイゼンハワー将軍は、対日戦にもはや原子爆弾の使用は不要であるとトルーマン大統領に進言していましたし、マッカーサーも原爆が投下されたと知ったとき激怒したと発言しています。
猛暑と夜行性生活
農家の友人たちは明け方から午前中働き、昼ビールらしい。真夏の炎天下で作業は避ける。ごもっともです。
ということで、土曜日、目覚めると深夜2時。家の中は上写真のような感じ。
「さって、と」 夜の帳の中、昼間のようにやりたかった作業に取り掛かることに。この発想が今までありませんでした。
中世ヨーロッパでは、こんな習慣は当たり前だったようで、日が暮れたら寝て午前2時か3時ごろ一度目を覚まし1時間くらい活動して、もう一度朝まで寝ていたと。
深夜わずかの灯の下で、バルコニーに張ったタープの張り替え作業、そしてファイヤーピットの清掃。
夜が白み始めるころ、ベランダ寝。微風心地よし。この世の楽園。ややあって起床。
そして作ったわが家の玄関グリーンのフォーメーション。この夏はこれでいきます。
深夜から午前中まで黙々と作業。このところ身体を動かすことが少なかったので、楽しめました。
森友学園問題
行政側の責任もあるので微罪か
- 今回の籠池逮捕の理由が「詐欺罪」と報道され、あれれっと首をひねつた。
私も公的補助金を支給され福祉施設を建設した経験が数度あるが、水増し請求が出来るほど行政側は甘くはない。各施設基準の坪単価があり、それを業者に示して見積もりを取る。その間何度も行政とすり合わせを行う。とても「詐欺」なんか出来る余地はない。
法の専門家に云わせると「補助金適正化違反」の罪状ではないのか、と。となると行政側の責任もあるので微罪であるそうだ。今後の推移を見守りたい。
- 上の書き込みで、自らの経験で、国または自治体の補助金を受けるときは事前すり合わせを行う、と書いた。
今回の森友学園国有地取得に関して「詐欺罪で検挙」されたが、昨日ANNが森友側と大坂航空局、近畿財務省との事前打ち合わせメモを発見した。
財務省は国会答弁で「事前の価格打ち合わせはしていない」としてたが、このメモの発見で大きく揺らぐこと必至。
earth.nullschool.net
非常に強い台風5号が接近しつつあります。
その状況を体感してみましょう。今回ご紹介するのは、世界の天候状況がリアルタイムでわかるearth.nullschool.net。風や海流、気温、海面水温などを直感的に理解できる画期的なサイトです。図をクリックするとサイトに飛びます。
最初に、地球全体の風の流れが動画で表示されます。これはほぼリアルタイムの情報。マウスで観たいところを中心に持って行けますし、ズームアップもできます。
さらに画面左下の「earth」をクリックすると選択画面が現れます。「モード | 大気圏 – 海 – 大気化学 – 粒子状物質」で、風だけでなく海流やPM2.5なども見ることができます。
「高度 | 地上 – 1000 – 850 – 700 – 500 – 250 – 70 – 10 hPa」で、250hPaを選択すると、ジャンボジェットが飛行する高度1万メートル付近の風を見ることができます。偏西風がよく分かりますね。
「体感温度」を選択すると、太平洋の暖まり具合が分かります。
隠れ家的ビストロ 茶ぶ屋
長崎市の隠れ家的ビストロ
落とされた照明、気のいいマスター、大人の隠れ家的雰囲気満載。
元ホテルシェフであった気さくなマスターや奥さんと会話が楽しめ、美味しいものをいただき、美味しい酒が飲めます。
サイズが小さく、照明が落とされていて、食事が終わると居づらくなるような雰囲気がありません。つまり落ち着きます。
カウンターが6席、4人テーブル2つ、計14名。
あえて好みを言わせてもらうなら、飲み物がワインやカクテルがメインで、ウイスキーなどのスピリッツがあまり置いてない点が私的には。食事を中心にしたセッティングなのでしょう。アルコール度96%のスピリタスやズブロッカは置いてあります。
最初にボリュームのある付けだしの前菜盛り合わせが出ますので、これを頭に置いてオーダーしましょう。というのも各料理は本格的なもので、分量も多目で満足度が高いのです。一番上の写真は「イベリコ豚の網焼き~岩塩とともに~」。牛肉の煮込みパイ包み焼きが人気の一品らしいようです。
この穴場指南でこの店を採り上げたのは、まさにここが穴場で上質だから。細い階段を2階に上がっていって、店内が全く見えないドアを開けなければなりません。ね、知らないとまず開ける勇気がないでしょう? まさに穴場、隠れ家です。
ジャンヌ・モロー
私は「生モロー」を観た
フランスの名女優、ジャンヌ・モローが亡くなった。89才。1928年生まれ。
「現金に手を出すな」「死刑台のエレベーター」「雨のしのび逢い」など多数に出演。大人の女性の魅力が画面一杯に漂う女優だった。
私はなんと「生モロー」を観たのだ。それは1990年2月2日から7日まで、私の所属する劇場、新宿「シアター・アプル」にて彼女主演の演劇公演があった。27年前、御年60才を超えていた。
演目は「ゼルリンヌの物語」、ヘルマン・ブロッホの原作である。「嗚呼 この人があのジャンヌ・モローか」といたく感激したのを憶えている。終演後楽屋出の折ファンを押しとどめるガードマン役をした時、散人に大女優が艶然と微笑みかけてくれたのを今でも思い出す。
長崎祈り展 ~核なき世界を願って~
博多人形作家の本田宗也と、書道家の龍一郎が展覧会を開きます。
・8月6日(日)~8月9日(水)
午前10時~午後6時(最終日は午後4時まで)
・場所 KTNギャラリー 長崎市五島町3-13 電話095-827-8452
「原子力が明るい未来をつくる」という神話が嘘っぱちであることを福島原子力発電所の事故が証明した。私たちは、広島・長崎の原子爆弾投下を経験しているにもかかわらず、核に利益を求める人々の流す「原子力の平和利用」という宣伝にダマされてしまった。
被爆国の総理大臣が国際社会に向かって「福島の原子力発電所は、我々の完全なコントロール下に置かれている」と嘘の大見得をきった。
福島原子力発電所でメルトダウンした核は誰もコントロールできていないではないか。54基もある原子力発電所から出される核のゴミの処理方法は誰もわからないじゃないか。
どうして、そんな危険なものに怯えて生活していかねばならないのか。
自分の日常生活から出るゴミは、自分で始末する。裏を返せば、自分で始末できないゴミの出る生活はしないということだろう。このあたりまえの生活が幸せなのかもしれない。
記憶する能力と忘却する能力を合わせ持った私たちが、時間の流れの中で何を記憶し続け、何を忘れ去っていくのか。その選び方と、選ぶ内容によって、私たちの生きる方向が決まっていくように思う。
八月九日、長崎に原爆が投下された日だ。この日に原子爆弾で殺され、また放射能に苦しめられ続けた人々の悔しい思いに寄り添っていたい。
誠実に心から「祈る」ことが、私たちの生き方を決めるのではないかと思っている。核と向き合う覚悟の表現を長崎の地で行いたいと考え「いのり展」を開催することにした。
-
博多人形師 本田宗也
書道家 龍一郎