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オ ス ス メ

残念ながら世間で語られている長崎の歴史には嘘があります。


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花月 龍馬の刀傷 は間違い

地域の歴史は観光資源であり、町おこしにも活かされます。その際に史実を曲げ利用されることが時折あり、残念に思っています。小学校で人をダマしてはいけませんって習ったでしょう? でもね、店主のカミングアウトが粋なんです。

現在の花月は明治の建物

散人さんがこう述べてらっしゃいました。

人気で長崎が賑わうのは喜ばしいことではあるが、嘘はいけない。花月の柱の龍馬の斬り跡は嘘である。
代々花月を経営してきた山口家十七代 山口雅夫氏による著書『長崎丸山花月記』。この本に、「建築的には三代に別れる。遊女屋疋田屋と、料亭花月と、そして明治になってからは丸山の大火で全焼した花月」とある。
えっ! 丸焼けになって、柱だけ焼けず残ったんかいな?

刀傷は医学生によるもの

(クリックで拡大)

どれどれ、ほんまかいなと長崎市立図書館に『長崎丸山花月記』を借りに行ってみると、答は明白でありました。

『長崎丸山花月記』(初版 昭和43年)21ページから

現在の花月の建物は明治初年に建てたものだそうである。私の祖父の話では、小島の養生所の医学生連中が登楼して、酒に酔って刀を抜いて新築したばかりの座敷の床柱をキズつけたので父(山口家十四代山口繁左右)が大そう立腹して、厳重に抗議したが誰が切りつけたのかとうとう下手人は判らなかった。
この話は私が祖父から直接聞いている真相であるだが、私の母が或る日、平重次さんに話のはずみで坂本龍馬が切ったと言ってしまった。
今日では誰も疑う者はなくなっている。花月の客呼びの一話題となって、大いに役立っている。

店主自らの風格あるカミングアウト

経営者ご自身がこのように飄々と書いてらっしゃることに、伝統ある風格を感じますね。粋です。まいりました。

料亭花月がまとう素晴らしさには格別なものがあります。あの空間に降り積もった文化の香を味わいに行かれることを強くお勧めいたします。いいもんですよ。

 

2

島原の具雑煮のルーツは天草四郎とする説はデタラメ

原城の民は飢餓状態にあり具雑煮どころではなかった

近年、某飲食店らが「島原の具雑煮は天草四郎にルーツあり」との言説を広めています。史実ではありません。歴史を捏造してはいけません。命をかけ抗し原城に今も眠る御霊に無礼千万。
以下の史料を読めばお分かりになります。島原の乱は1637年12月11日に勃発し、1638年2月28日に原城落城となりました。

  • 寛永十四年(1637)が飢饉だったのは事実である。肥後国では大飢饉で人々は山野に自生する草木の根や葉を食料にしたという(『相良家年代記』)。熊本藩主細川忠利はこの年正月に「国々は困窮し、耕作も収穫のない厳しい状況なので、人々はことごとく本国を離れ、日用稼ぎ(一日のみの臨時雇い)に出向いているので、田畑は荒れはててしまった」と述べている(『綿考輯録』)。オランダ商館長として平戸にいたニコラス・クーケバッケルは、松倉勝家が「領民には取れる限りの税を課し、彼等は殆ど餓死寸前で、僅かに木の根、草の根で命を保っていた」と日記に記している。「木の根、草の根」で露命をつなぐという惨憺たる状況であった。(P.40)

  • (二月十六日の原城からの脱走者によると)城内は兵粮が不足し、下々の者にはここ一両日支給されていないと述べ、城内の監視の者たちも少々眠っていると証言している(『御家中文通之内抜書』)。(p.209)

  • 生捕りにした者たちが言うには城内に米はなく、大豆・胡麻などを食べ、鎮圧軍方の船が出ない悪天候の日はわかめなどを取って食べているとのこと、一揆方の戦死者の腹を割いて検分したところ、ほぼ生捕りの者の供述通りであった(『島原日記』)。(p.212)


  • 散人さんのコメント

    原の城に立て籠もりし農民三万余人。松倉氏の苛斂誅求に意を決して蜂起。当初は多少の食糧ありしも籠城三か月に及び、それも底を尽き、海藻木の根を食うに及び窮し、寄せての食糧狙いの総攻撃を開始、寄せ手の総大将「知恵伊豆」は「敵の食糧尽きたり」と看破せり、敵の数倍の兵勇みて原の城に侵入し、農民皆殺しに遇う。戦い終わりて幕府軍城内点検するも食糧らしきもの皆無なり。

    「具雑煮」なんてそんな上等な代物、籠城農民の誰が食ってるか! 三万の死者を愚弄するのも程がある。手前の商売の宣伝に死人に口なしの便法を使うな。

     

    3

    ちゃんぽんのルーツはうどん文化説

    捨老さんのコメント

    ちゃんぽんのルーツはうどん文化

    投稿日:2006/03/25(Sat) 11:59

    元祖・宗家・本家・家元…
    商売人の元祖標榜はあきれるばかりで、どの町でも同じですが、中でも長崎ちゃんぽんの元祖を言い張り、ちゃんぽん博物館まで作った○×楼にはなにをかいわんや、である。

    そもそもチャンポンは、中華メンを持たなかった長崎庶民がうどんの変形として作り上げたもので、ボクなどが少年のころまでは明確に麺そのものが中華麺とは違っていたし、麺製造屋も別だった。
    明らかにうどん文化の食品だった。

    商売にしたところで、最初にやり始めたのは丸山の日本人 本吉某で、勝海舟なども日記に残している、華僑が丸山で店など開けなかったころの話だ。
    新地中華街や館内で華僑がチャンポン人気にあやかって中華麺で作り始めたのは、あとの事なのだ、長崎人は人が良いと言うか、まんまと中華元祖説にのせられて、自らも宣伝をかって出てるように見えるときもある。

    語源

    ちゃんぽんの語源を中国語に無理やりこじつけようとする笑えるような試みもなされているようだが
    江戸の後期ともなると庶民文化も華やぎ カタカナが似合いそうな方言や俗語の類は数多く出回っていた。中でも養子の口もないような武家の部屋住みなど娘子同様に習い事などに明け暮れ これが多少ゆとりのある町民にも流行り始め「チャカポン」=チャ(茶)カ(和歌)ポン(鼓ー能)などと 取り止めもない習い事をチャカす俗語ともなり 若い頃の井伊直弼のあだ名でもあったようだ。
    ちゃんぽん や チャンプル(沖縄)が「混ぜこぜ」を意味する語である事を考慮するなら 下手な中国語をこじつけるよりも
    チャカポンからの流用と見る方が
    海の物や肉・野菜・蒲鉾などを麺と煮た丼ものの名にふさわしい。

    すっとこどっこい
      ちゃんちきちん
    どんちゃん騒ぎなど 古くからあった言葉で
    長崎では現在では使わないのかも知れないが 精霊流しの囃子ことばに
    「ちんこん ちゃんこん どーいどーい」と言うのがあった。
    もちろん鎮魂に鐘の音「ちゃんこん」をかけたもので 「どーいどーい」は「どーれどーれ そろそろと行こうか」と言う意味である。
    まさに「ちゃんぽん」は長崎ことばと言えそうである(笑)。

    不思議なことに 北海道のちゃんぽん麺(多種あるのでしょうが)が 古い長崎のちゃんぽん麺に近いものが多いようです。

    しんのじさんのコメント

    中通りの「一平」さんだったかな、ちゃんぽんうどんがメニューにあったのは。一度食べて、ああ、これは以前(30年ほど前)、北部九州を中心にあった「鬼が島」というチェーン店の「めんちゃんこ」というもの(これは中華麺を魚介ベースの澄んだちゃんこ鍋風スープで煮たもの)と味付けが似ているなと思ったものです(まだ、鬼が島は博多に生き残っている模様。一度、浜勝グループに入ったはずだが、今はどうかな)。

    ちゃんぽんのスープ自体も、九州ひいては全国的な豚骨偏重文化に影響され、豚骨スープベースがさも当たり前であるかのようになっているのも不思議です。僕が覚えている限りは貝類と鶏の出汁が主体でした。時代によって、人々の好みによって味も変わるのでしょう。

     

    4

    島原の子守歌 盗作説

    散人さんのコメント

    沖の不知火 沖の不知火
    消えてはともる
    バテレン祭の バテレン祭の

    そう、これは島原の子守歌。しかし……

    昭和56年8月16日の毎日新聞全国版に、「島原の子守歌は盗作? 山梨民謡とそっくり」の見出しが出た。前半のメロディが山梨県韮崎地方の民謡「縁故節」と同じである。残念ながら認めざるを得ない。



    捨老さんのコメント

    「島原の子守唄」擁護(笑)

    「盗作」の定義にもよりましょうが 盗作と言い放つのは 島原の子守唄が少し可愛そうな気がします(笑)
    と言うのは
    今日ほどメディアが発達していなかった戦時〜戦前までは まだまだ幕末さながらの 新内流し 瞽女唄 演歌師などが重要なサブカルチャーの担い手として活躍しており 中でもゴゼ(瞽女〜男)などは辺鄙な地方や島嶼までも ほぼ全国的に彷徨し華街での流行歌など唄って日銭を稼いでいましたが その旋律や歌詞などが時にはあちこちの田舎に定着し歌詞を変えて民謡となった例は多かったようです ことに「○○節」と呼ばれる唄は共通する旋律や唄が多く無論原作や起源がはっきりしていることは少ないようです

    島原の子守唄に限って言えば 宮崎康平さんが森繁久彌を仲介にレコーディングした頃は作者ではなく紹介者とされていたもので それ以前にボクの幼少の頃の記憶では普通に老婆などが口ずさんでいたもので 旋律もも少し素朴だったように思います おそらく韮崎の「縁故節」も似たような歴史を辿ったものと思われます

     


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    Webデザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。