Zone


5 イワサキ

 彼女が消えた檎の木の後方へ回りこむと,そこには商店街へ向かう小さな路地がぽっかりと口を開けていた。行き交う人影の向うで,白いコートが左へ折れる。僕は追う。
 どう話かける? 「久しぶりだね,元気かい?」冴えない。「どうしていなくなったんだい?」女々しい。「いまだに髪は伸びないね」肘鉄を食らう。なぜ彼女はここにいる? 見間違い? 僕の願望?
 路地は人生のような迷路だった。ゾーン祭に酔いしれる人々,店先にはみだした商品,売買の会話,ざわめく足音。それらが交錯しながら,僕の方や腕や足元に,ぶつかり,絡まり,へし合いながら,行く手を遮る。ふらふらと現れたオールオーバーの男が,ホホゥーと喚声を上げて僕に抱きついた。どこだ! 妖精の姿が見当たらない! ひどい体臭のする男の腕を振りはらつて,僕は走る。まるで僕はピンボールの球だ。猥雑にきらめく障害にぶつかりながら転がるピンボールの球だ。爆竹が走る僕の足元に次々と投げ込まれては,紙片を飛ばしながら破裂する。ゾーン祭の熱気がこの小さな路地にも満ち,腐敗物の引く糸のように細かいぬめりをあちこちに絡ませている。僕は目眩がする。僕は吐き気がする。僕は回転する。僕は……,僕は……。
 アーケードの大通りに出た。踊り狂う人波。人いきれに満ちた倒錯的アーケード。どこかで真夜中の十二時を告げる鐘が鳴った。それに続き,あちこちで大小の鐘が打ち鳴らされる。一斉に世界が闇で覆われる。変電所の電源が落され,すべての街の灯が死んだのだ。爆竹が瀑布の音を上げて鳴り響く。天文学的数の歓声。絡まり荒れるドラムビート。狂乱のカーニバルはさらに盛り上がる。一瞬自分がどこにいるのかさえ忘れそうになる。理性は脱着式のガスボンベだ。陶酔の悲鳴が身体の芯から音を立てながら漏れ,僕らはハイになって行く。右隣にいるのは女だ。汗と化粧水が欲情をそそる。妖精! 妖精! 聞こえたら返事をしてくれ! 一緒にいよう! せせら笑いながらダンスビー卜が叩き込まれる。声は僕の十センチ先で粉砕される。歓喜を上げながら,近くで女が犯されている。踊り,叫び,産気付いたアーケード。震えながら,奇形の信頼と従属感が今や生み落されようとしている。爆風だ。アーケードの遠くから,地響きを上げて濁色の爆風が迫る。くそっ,無理だ。からからに乾き切った喉。僕は巨万の額を払う。ウイスキーをくれ。十代の頃,僕はグレゴリアン聖歌が好きだった。その頃,家の前にはレンゲの花が咲き,僕は神を疑わなかった。踊りは苦手だ。ウイスキーをくれ。濁色の爆風がやって来たぞ。数え切れぬ男女を飲み込みながら爆風がやって来たぞ。僕は小石だ。初めて女を知った時,世はちり紙だと思った。初めてコンピュータを知った時,これは冒涜だと思った。僕はここにいる。僕はここにいる! 僕はやって来たぞ,ゾーン! 霧がベタつく。ベタつくのは,霧と汗と思い入れだ。爆竹にスパンコールがキラキラ輝く。耳の奥が右鳴り始める。平行感覚が消失する。木の葉は舞うが,ゲロは吐かない。側の男の皮袋を取りあげ,アルコールを煽る。アミーゴ,よく聞きな。男が怒鳴る。俺は今までに百二十二人の女と寝た。一人目は,評判の遊び人だった。こいつはよかった。男の数をこなしただけ分だけよかった。二人目がやけに体臭のひどい奴で,三人目が刺青だらけの女さ。だけど後は覚えちゃいねえ。そういうもんさ。分かるかい。頭の芯が重い。妖精を追え。ぶつかり合う。足や手や肘や膝が容赦なく当たる。沢田さん。長いパールのネックレスが僕の手に掛かり千切れ飛んだ。帰らなければ。パールの上で滑り倒れ,誰かが大声を出す。沢田さん。全ゾーンの紳士及び淑女の皆さん! スピーカーが通りに響き渡る。失われし感動を奪取せんは今宵! 歓声が沸き上がる。我らがカリスマにチェアーズ! アナウンスが終わると,ファンファーレと同時にアーケード上部空間へ原色のレーザーが放たれた。幾筋ものレーザーはサンバのビー卜に乗りながら熱気を切り裂く。ブルーの光線がDNAを綾織り,その回りをピンクの三美神が囲う。三美神はニッと笑いながら揃って煙草を吹かすと解体し,一人はルーレットに,一人はマッチョに,そしてもう一人はフライドチキンに変わる。ブーイングが起き,酒瓶が飛ぶ。頭上からアルコールの雨が降り注ぐ。沢田さん! 肩を掴まれ我に返る。帰りましょう。マーゼンの隊員だ。よほど捜したのか,緊迫した目をしている。すまない。沢田さん,早くこの場を離れましよう。引き擦るように男は歩き始める。自治区長との話は? まずいことが起こりました。どうしたんだい? 御説明は後で。



 東塔五十八階,マーゼン。本部は緊迫していた。
 あの祭殿の石垣に真新しい擦り傷を見つけたとき,嫌な予感が襲ったという。それを尋ねた途端,皮のコートを着込んだ一人のペルモスが前屈みになって銃を抜き出し,台尻を支えた。狙いなど定める必要はなかった。将校達が一斉に銃を構えようとした時,すでに銃弾は左隅にいたマーゼンの胸を貫いていた。将校達は目前のペルモスを撃った。言葉を交し確認できる状況ではなかった。ペルモス側は自治区長以下全四名,マーゼン側は将校一名即死。
 テロリズムとペルモス教徒との関連性は極めて濃くなった。祭壇の下はテロリスト達のアジトとなっている可能性がある。これがヒガキ達の報告だった。
 ただちに最高会議幹部会が召集され,厚い扉が閉ざされた。会議が始まって,もう二時間は経過しようとしている。準警戒態勢に隊員達は各部署で,まるで地上に生れ出る直前の蛹の幼虫にも似た沈黙を守っている。奥まった僕の個室にも伝わってくる凍ったような通路の気配。外では,まだに何も知らない市民達が,ゾーン祭に浮かれているらしく,時々花火を打ち上げる音が聞こえる。こんなにひどい霧の夜に,花火など何の意味がある。
 ドアの横に一列に取り付けられているパイロットランプが,グリーンから鮮やかなイエローに変った。心臓が高鳴る。ジャケットを着込む。なにかあったのだ。この部屋の外で,新たな事態が展開され始めたのだ。ビジターの僕は呼び出しがあるまでは動かぬようにと命じられている。柔かいブーツラバーを伝い,どこかで起き立った巨大なモーターの身震いが,今は手にとるように分かる。僕は舌をすぼめて,前歯の裏側に触れてみる。
 突然激しいノックがあった。急ぎドアを開ける。イワサキだった。彼は小銃二丁を肩と片手に,前髪を乱れさせて立っていた。不吉な予感が過ぎる。
「照明を消して下さい」
 ドアを閉めるやいなや,彼は唸った。彼は途方もなく疲れていた。
「時間がありません。彼等は,ここにもやって来るでしよう」早口で彼はまくしたてる。
「彼等? ペルモス達がですか?」
「違う,将校達です。あなたは騙されている」
「?」
「ヒガキ達です。愚か者どもが」
 イワサキは吐き捨てるように言った。
「今夜ペルモスを尋ね区長を暗殺することは,計画立てられていたことです。クーデターを狙ったのは,彼等マーゼン将校」
「暗殺!」
「そうです。彼等は殺すために行った。テロ活動はすべてペルモス教徒の仕業とする。これでペルモスは潰せる。彼等との抗争に警務省は巻き込まれ,これでパイプは確立され,マーゼンは治安権力を掌握する。テロ集団ペルモスを一掃したとして,市民の支持も絶大なものとなり,議会での多数もまた手に入れることが出来る。全アーケードの掌握です」
「ちょっと持ってください。なぜ彼等は暗殺をしたと……」
「私はヒガキたちの動きを疑り、部下を付けさせていたのです。撃ったのはヒガキたちです。彼等だけが撃った。けれどこちら側も一人は死なねばならなかった。最初の攻撃がペルモスだったとするために。その死に役に当たっていたのが,あなただったのでしょう。けれどあなたは場所を離れた。周囲に人気がなくなった時,彼等は暗殺を決行した。その後すぐに犠牲として,持参した銃で隊員一人を射殺した。祭壇の傷も後から付け,今頃それらしき品が祭壇の下に立ち入り検査と称して仕組まれていることでしょう。武器庫である必要もない」
「まさか」
「本当です。マーゼンも病んでいる。表面化してきたのは,あなたと出会った前後頃からです。あの時のタロットは的中してしまった。マーゼンの思想は,玉石のように美しいものと今でも信じています。けれど若い将校たちは走った。思想は広がるにつれ,いつも水増しされ,過激な行動が滴り落してしまようです」
 彼は唇を噛んだ。
「一連のテロも彼等若手マーゼン将校によるもの。これはマーゼン内部では公然の秘密となっています」
 愕然として僕は呻いた。「どうしてそんなことを」
「すべて今夜の下拵えです。彼等が目指しているものは政権の掌握と,その後の腐敗分子の一掃。そのためには犠牲もやむを得ずと。あの悲惨な北塔でのテロも,一連の警官殺害も彼等が仕組んだようです。そして今夜は一連の仕上げとして,アーケードの各所で爆弾が炸裂し始めています。ペルモスの復讐行為とみせて一気にアーケードを叩く。ゾーン祭と重なって,アーケードは先ほどからパニックに陥っています」
 花火を打ち上げる音ではなかった。光ではなく,人々が飛び散っていたのだ。
「幹部が彼等の側に付きました。既成事実は気付いた時には,組織として後戻り出来ぬものとなっていたのです。将校たちの粛正を行えば,いつかは公に出る。それはマーゼンの失墜を意味します。今夜の最会議幹部会はもはや茶番劇。こうしたことを口に出すことすらタブー視する空気が支配的で,警務省の取り込みが討議されていったに過ぎません。私や幾人かの有志は,余りの無念さに発言を求めました。けれどそれは結局我々の退席に繋がりました……。我々は組織にとって裏切り者になろうとしています。欺瞞に満ちた動きを阻止するための実力行使に出ます。我々の数は圧倒的に少ない。けれど沢田さん,一生の内一度,自分は今日これをするために生まれてきていたのだ,と感じる瞬間がやって来るものです」
 パイロットランプの薄明りの中,イワサキの顔が浮び上がっている。眉間の皺が複雑な影を作っている。僕の頭の中では,落胆と畏敬が交錯している。どんな宝石にも台座は必要だ。そのことは彼が一番知り,彼が一番憂慮した事だったろう。胸が熱い。
 イワサキのエンブレムが,虫の鳴く音を立てた。
「イワサキだ」彼は,耳にイヤホンを付け応答した。「……分かった。よろしく頼む」彼は手短かにマイクに向け喋ると,元に戻した。
「あと一分で通信室・電源室等が爆破されます。マーゼンの機動力を寸断するのです。こういったインテリジェント化された建造物は,電子系の破壊に極めて弱い。ビル内戦のゲリラ化に縺れこませる。運がよかったら……」
「僕を加えてください」掛値なしに僕は言った。
「いけません」
「手伝いを」
「殺し合いは我々だけで充分です。将校達のテロリズムは,人知れす終わらせたい。不義を消滅させること。もはやそれだけが,我々の目的です。その様な戦いに,あなたを参加させる訳にはいきません。ただ……ただあなたに,一つだけ個人的なお願いがあります」
「何ですか?」
 彼は暫くためらった。
 斜めに衝撃が走った。視野の揺ぎと同時に爆音が轟いた。幾らもしないうちに,もう一度爆音が上がった。通路の明りが消えたようだ。温風の吹き出し口が,音を立てて機能を停止する。破壊工作が始まったようだ。ドア近くの黄色い非常灯は別電源なのか生き残り,僕達の顔を薄暗く嘗めた。サイレンがフロアに響きわたる。
「妖精を愛していますか? 飛べない妖精です」イワサキが唐突に言う。
 突然の事に僕はためらう。
「あなたと妖精が一緒に暮らしていたことは知ってます。彼女が形成人だということは,ご存じでしたか? ペルモスの地区に行けば,会えるかもしれません。これを届けて欲しいのです」
 彼は封筒を差し出した。彼女が形成人? 混乱してくる。呆然と僕は封筒を見やった。通路からは怒鳴り声と銃声が響いていた。
「これは?」彼の目を見る。
「彼女が欲しがっていたものです」死を覚悟した者だけが放つ清らかさが,イワサキにはあった。
 僕は黙って頷くと,それを受け取った。
「私の母もまた形成人でした」
 イワサキもじっと僕を見つめた。重かった。彼が言っていることが分るような気がした。封筒は,彼の生き様のように端正な面をしていた。
 外から,ドアの激しいノックがあった。
「生きのびてください。お願いします」イワサキは小声で囁いた。
――沢田さん!
 ドアの外には数人いる模様だ。
━━下がって……。彼等の一派です。
 イワサキが囁きながら,小銃を一丁僕に手渡す。ずっしりと重い。
 サイレンが鳴り止んだ。ノックは続く。
――沢田さん,いらっしゃるんでしょう? 開けて下さい!
 低く伏せる。そうだ……!
━━持ってください,イワサキさん。霧です。霧を取り込むんです。
━━霧?
━━今夜は濃霧です。ビルのあちこちの窓ガラスを破壊すれば……。
━━なるほど。闇と霧ですか。
 ノックが止んだ。ガシャガシャと金属製の音が聞こえる。撃つ気だ。
━━沢田さんは窓を,私はドアを……。いいですね。
 目配せと同時に,僕達は引金を引いた。毛根が一斉に収縮する。外から悲鳴に続いて,弾丸が降り注がれる。強化ガラスが粉々に砕け散る。ドアが新聞紙のように飛んだ。頭蓋骨が燐粉を吹く。一団の白い外気が飛び込んでくる。銃口が赤く痙攣する。視界はたちまち数メートルの世界となった。非常灯が撃ち消される。僕達は発砲を止める。突然に身の細るような静寂に落ちた。銃声は数十メートル先から,虚ろに辿り着くものだけになった。しかし気配は,通路にある。わずかに坤き声が聞こえる。見通しが極めて悪い。喉がからからに乾いている。しだいに生臭い粘液性の匂いがまとわりついていく。血の匂いだ。新鮮な血の匂いだ。通路をアメーバーのように走る血の匂いだ。耳の奥から,ドクドクという僕の血流が聞こえる。気配は病魔のように,僕らの影を捜している。それは霧の微粒子一粒ずつを検証していくような執拗さだ。気が遠くなるほどの時間だった。霧が揺いだ。イワサキの銃が鋭く唸る。肉が剥ぎ散る音がして,通路で男が倒れた。スローモーションで,頭が砕け飛ぶ映像が,記憶の溜め池から這い上がってくる。「沢田さん,高く援護射撃をして下さい。私が通路側に出ます」「分りました」と応えると僕は立ち上がって,乱射を開始した。イワサキが前進する。銃尻は容赦なく僕の肩を噛んだ。スローモーションの像は,何度も繰返して弾け飛ぶ男の顔を見せている。繰り返されるたびに,像は膨張していく。「大丈夫です!」通路の向う側から,イワサキの声が聞こえた。エンブレムでイワサキは,窓の破壊を部下に命じた。通路の窓という窓を粉にする。フロアには霧が充満した。「さあ早く」そのとき突然,彼の言葉に銃声が被った。壊れた巻き時計のバネのように,イワサキの身体がのぞける。「イワサキさん!」音がした霧に目掛けて小銃を放つ。駆け寄ると,彼は左大腿部を弾かれていた。彼の腕を肩にかけて,引きずるように走る。弾丸が飛ぶ。近くの部屋に逃れ,ドアを閉めた。「大丈夫ですか」手近にあった電気コードを千切ると,生温かく濡れた彼の股の根本を強く巻く。足音が迫る。ベッドの下に彼を隠す。「やり過ごすのです。霧と闇でここだとは分かっていないでしょう」横たわったイワサキが,頬を引きつらせながら言った。息を殺す。違う! 笛のように胸部が息を吸った。血跡が残っている! 砕け散る頭部の像は,眼球を垂らして僕に迫る。「そこにいるのは反乱者か!」彼等は確実にこの部屋の前で怒鳴った。冷たい引金に指を掛ける。

 その瞬間,永遠に的を射ぬあのギリシアの弓矢のように,時間は異様な横長にデフォルメされ,僕の前に横たわった。鼻の奥にツンとした刺激が走る。眉間の皮膚が,ピッと小さな音を立てる。僕のピンクの頭蓋骨が歪に変形し,絞り出されようとする力。後頭部が煙を吹く。眉間が無い! ショートする!



 僕は化け物だ。
 瓦礫の中から這い出す。
 僕はしたたか疲れていた。埋もれたべッドの下から,イワサキを導く。彼は,恐ろしいものを見るように,僕に視線をやった。
「あなたが,やったのですか……?」
「……」
 恐怖と憎悪,昂奮と糾合が,渾然となって力を呼んだ。高熱に浮かされた末の幻想のように廃墟となったフロアを見渡す。通路を隔てていたコンクリート製の壁は,見るも無残に崩れ落ちている。その時僕の視野と敵対関係にあったありとあらゆるものは,彼方へと消失していた。この塔の外壁をも崩壊させて悪夢は続いているだろう。遠く凍てついた濃い霧が,一直線にこちらを目指し這いよっている。口の中は,塩が吹いたようだ。おぼつかない足下に,意識野を戻しながら,僕は言った。
「さあ,イワサキさん,肩に腕を。奴らがやって来ます。同胞の方たちはどちらですか」
 イワサキのエンブレムのブザーが鳴った。
「ああ……,大丈夫だ」彼は肩で息をしながら応答した。「そちらの状況は?」世界はまだ混沌の中にあった。



 遠い世界の物語を書こうと思った。僕にわずかばかりの文才があったならば,きっと僕はこうした男達のことを書くだろう。あこがれを生きる男達だ。
 やって来た部下に彼を仕せると,僕はイワサキが教えてくれた方向へと一人走った。霧が充満した通路は迷路だった。水銀の粒のように捕えどころのない出口。僕は怯えていている。彼等だけが近代を打破しうるだろう。
 前方から怒号とブーツの音が迫る。僕はすぐさま左に分枝した通路に飛びこみ,一直線に走る。しばらくすると通路は,厚いドアの前で行き止まりとなっていた。戸惑いながら,ドアを開ける。霧見台だった。
 濃霧が視界全面を覆いつくす。漠と広がるきめ細かい暗黒の空間。呆然と立ちすくむ僕に,事態は過酷な知らせを告げた。足音だ。遠くから近付く足音が聞こえる。僕は息を殺してゆっくりとドアを締めロックをすると,銃に手をやった。後退りしながら,デッキチェアーを脇に押す。何かが落ちる音がした。ホースだ。それはあのエイを呼ぶホース状の器具だった。……人を乗せて飛んだという話もあるほどです……いつかイワサキが話していた言葉が,脳理をよぎった。これだ! 器具を手に取ると,万感の思いを込め,僕は頭上で回した。器具の音は,途端に排水口のような心の穴を作る。渦を巻いて緊迫感が吸い落されていく。滲み行く闇の向うに,僕は思いを馳せる。流れる漆黒の微粒子。
 エイは,ためらいとともに現れた。先ほどまで,深い真夜中の夢を食べていたのだろう。彼は僕の手に鼻面を擦り寄せると,綿菓子をねだった。……ちがうんだ,助けておくれ。僕は彼の皮膚を撫でながら思念する。彼の皮膚は,ジュラルミンのように冷やかだった。銃を床に手放す。そっと彼の背に覆い被さる。銀色に輝く背に額をつけて,再び思いを伝える。……飛べるかい。彼は包みこむように豊かな身震いをした。僕は身体を堅くする。悠然と舞い上がる巨体。彼の背に乗り,僕は永遠の濃霧に溶けていった。

 

 


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Profile まつを

Webデザイナー。長崎県。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」

「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。