1999年4月
1999_04_23
ネットのない生活で足るを知る
コンピューター復旧
やっと復活。コンピュータが壊れ約1ヶ月半,ネットにまともに入れませんでした。この期間に経験した「足るを知る」感覚について書きます。コンピュータが2月末に壊れました。フリージアコンピュータは1年10ヶ月しかもちませんでした。ウイルスにやられたのかもしれませんね(これからコンピュータは,ウイルスにやられて壊れるケースが増えてくるでしょう)。大変でした。拡張した自分の脳味噌が機能しなくなったのと同じです。私の場合,データはほとんどハードディスクに入れています。すぐにMOに移しました。この作業をする中で,あらためてコンピュータというのはデータとして引き継げない調整が多いかを思い知りました。まだコンピュータの再調整をせねばならないことを考えると,今もうんざりしてます。
最初のうち,ネットに繋げないことが不安でした。掲示板はどうなっているだろう? Eメールはどうなっているだろう?
けれど2週間もすると,なんといいましょうか,この不安感がなくなってきます。そしてたっぷりの時間が私にやってきました。
やってきた豊かな時間
時間がこんなにたっぷりあったんだと,思いました。私の場合,仕事がら情報を得るためにもホームページを見ています。ですからこれをしなくなったということは,専門書を読まなくなったということでもあります。それでも結構やっていけました。実に小市民的な平和を私は満喫しました。細かいことや,直接自分に関係しないことなどに,頭を使うことなく生きる生き方がそこにありました。「これは幸福なのか?」と自分に問いました。私は「そうだ」と思いました。単純にそう思ったのです。
例えば朝5時頃,目が覚める。
コンピュータがある時ですと,それからすぐネットに入り,家族が起き出す頃まで続けてました。その中でいろんなことを考えたり,発信していました。
コンピュータのない生活では,朝5時に起きて,手持ちぶたさにしばらく呆然とし,本を読み始め(そうそう,ぼうっと街の灯を眺めてたこともあります),外が明るくなると,外にでて家庭菜園などを楽しんでいました。すがすがしい一日が始まっていました。
「足るを知る」生活があったように思います。
けれど「あなたの知らない世界があるよ」と言う言葉に私は弱い人間でもあります。好奇心がむくむくと頭をもたげます。
その辺りの整理が私には必要なようです。
とりあえず,かつてのように掲示板に毎日出勤することを,私自身に義務化しないようにしたいと思います。はからずしも,私が今回コンピュータ流民となっている間,掲示板は皆様のパブリックな場へ成長したようでもあります。気ままにお楽しみいただければ幸いです。私はずぼらなバーテンダーとして,気が向いたときに私的整理としてログをはらせていただきます。