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S i t e ま つ を


2003年10月



2003_10_26

小屋作り 内部をつくりこむ

断熱材


5月。 壁の断熱材は40㎜を使った。1枚1,000円ぐらい。これが結構高くつく。この頃になってつくづく思い知らされるのは、小屋作りには何時の間にか経費がかかっていることだ。私の場合、すでに作り始めるときの総予算の3倍ぐらいになっている。どこをどう贅沢したという気はないのだが。

シックハウス対策

実は私はシックハウス過敏症だ。たとえば喉が張れたりと、ホルムアルデヒドなど化学物質に過敏に反応する。本来防腐剤など一切使用したくない。けれど自然はそう甘くない。

ある大工さん曰く「森の中はシロアリだらけ。駆除処理をしていないと、建て終わる前に、小屋はやられますよ」 とのこと。
循環して行こうとする万物の中、小屋を維持する事自体がアンチエントロピーなのであるな。というわけで、いやいや床下はクレオソートを塗った。それ以上は抵抗のないものを使いたい。


思考錯誤の末、まず選んだのはドイツ製のオスモカラ-。ひまわり種の油からできた塗装剤で、赤ん坊が舐めてもOKというしろもの。これで露出させるロフトの張りや窓まわりを黒くペイント。

ひまわり種の油がいいなら、サラダオイルでもできるか?そう思って検索すると、家具の塗装はサラダオイルやオリーブオイルで十分である事が常識らしい。


とかなんとか思いながら、ロフトを組んでみる。お、いいね。
ではそろそろ室内のフォーカルポイントとなるこの丸太の張りをペイントしよう。色は赤だ。その色は設計の段階から、私の頭の中に明確にあった色だ。その赤は、どんな塗料を使えば表現できるのだろう。
DIY店などを見てまわったが、つやと色と発色の仕方がイマイチピンと来ない。

いにしえの塗料


ふらふらと寄ったのがくだんの島原の猪原金物店。そこのショーウインドウの中に、求めている赤があった。それは高級和金物のケースの表に張られていた和紙の赤だった。

私「これは?」
店主「これはベンガラの色」

これがベンガラかと思った。わが国で古くから使われてきた赤だ。確か装飾古墳にも用いられていたと思う。他界した父が40代の頃、急に古墳にはまった事があった。中学生の私を連れて、古墳に行く。じっくりと岩壁を見入った後に、「ベンガラだな」と言ったのを憶えている。

私「これを塗ればうまくいく?」
店主「ベンガラは粉だから、とめるのに柿渋を使うといい」

柿渋は未成熟の青い渋柿の実を絞り、発酵後2~5年熟成させた濃褐色の液体。これもまた日本古来からの塗料で、なおかつ血管の老化防止に薬としても飲まれるらしい。飲める塗装剤だ。

私「本当に、私が言っている赤が出るかな」
主人「保障はできない」
私「だまされてみるか」


というわけで、塗ってみたのがこの写真。
これです。この赤です。正解。自分が日本古来の色を求めていたとは思ってもいなかった。(追記:この色は後退しくすんだ色になります。柿シブの特性です)


これは、なにか?
階段である。丸太をチェンソーで荒切りし、その後にナタで刻んで作った。これでロフトに上がるわけだ。


現在、小屋の内部はこんな状態だ。作業道具やなにやで混沌としている。これらを、移動させては作業し、移動させては作業しの連続。

父の日。「どうぞ、ご自由にお出かけください」という家人の言葉。なによりである。 では、父は里山へ行ってくるぞ。

床を張る

6月。


これまで作業のために敷いていたホルムアルデヒドに満ちたコンパネ。この憎きコンパネを剥ぐ。


そして30㎜の分厚いスギ材を貼る。インパクトドライバでホゾ部をとめては、ボンドを塗りつなぐ。その上から65㎜のフロア釘を打ってとめる。なにも塗装されていない材なので、ソリが起こりやすい。これを避けるためだ。

どうれ、座ってみよう。…よろしい。 どうれ、ならば一杯飲んでみよう。…なお、よろしい。 どうれ、ならば、うたた寝などしてみよう。…極楽。
という、待ちに待った、里山道楽の目的が遂げられようとする瞬間が、この写真。
本日のゲストはおなじみ山小屋ブラザーズのGS氏と、初登場の秀學氏。

「人に木と書いて、休むっていうでしょ。古代、人は疲れたら森の中に入って、癒していたらしいですよ」と秀學氏。弾き、歌い、ごろ寝して語り、ボーっとする。そして至福の時と共に、眠りにつく。


翌日、さらにゲスト到着。
「おとうさん、起きて、行こうよ。楽しいとこ」ということで7時20分に出発されたと言う黒糖庵氏と息子さん。
「わーつはっは! 一発でわかった」という焚き火学会会長と会員さん。それから愛犬の虎之助。

壁を張る


10月。壁を張る作業に取り掛かった。


充電式マルノコも買った。いつかも書いたが、今までノコギリで切っていたのである。製品名はBLACK and DECKER社のKC1440-2。バッテリー2個付きバージョン。インターネット上で購入して14,000円ぐらい。使ってみた感想。この値段でこれだけできりゃ上出来。ツーバイフォー材もバリバリ切れる。難をいえば、充電にかかる時間がトロいこと。

材もたっぷりと仕入れた。「杉相欠加工 超仕上済・乾燥材 特一等・2m×12×150」というしろもの。私にとっては結構な値段。節目のある方がいい味が出るだろうが、穴があいているのは困る、と言う人用だ。
さあ進むか、と思ったが、多忙さやなにやで、一向に進まない。まあ、急ぐ必要もないが、多忙な時こそ運動が必要だ。というわけで土曜日に出かけた。翌日は仕事。

一人黙々と作業をする。作業をし始めるとあれよあれよと熱中する。気づくと午後もずいぶん廻った時間だ。遅い昼食をとる。鍋焼きうどん、百円也。さっさと食って作業続行。
夕闇がやってくる。ランタンをつける。作業続行。里山はすっかり暗闇に浸る。何時の間にか、一種の瞑想状態に近い状態になっているのだろう。

その時、闇の中で、声があがった。
「こんばんは」
「!」
皆さんは、真っ暗な闇の森の中、至近距離で突然響く人間の声を聞いたことがありますか? 私が集中していた事もあって、まったく近くに人が寄ってきているのに気づいていなかったのです。
「だれ?」
「……じだらくです」
「おお(笑)、じだらくさん!」


嬉しかったですねえ、本当に嬉しかった。じだらくさんが、ビールとご馳走を持って里山に遊びに来てくれたのです。早速、作業中断し酒宴に。合掌。ゆったりとした時を過ごして、翌朝仕事へ。

娘といっしょに


普段の日に娘とゆっくり話す時間がとれない日が続いた。
「おい、里山の作業を手伝ってくれ」
ということで二人でやってきた。そろそろ11月になろうとする土曜日だ。娘のサポートは役に立つ。
作業の合間に、焼き芋を焼いたり、バードウォッチングをしたり。双眼鏡はRyuujiさんからいただいたチェコのメオプタだ。娘ともたっぷりと話をした。いい日だ。

暖房器具


石油ストーブを買った。トヨトミ HH-S21。定価14,800円を7,980円。家庭用の暖房器具。バーナーの上が剥き出しで、そこに鍋をかける。

購入後の感想。大満足。部屋の動線が変わってきます。集まる人の輪が出来ます。それに驚くほど火力が強い。あっという間に、鍋一杯の湯が沸く。究極のバーナーだ。

追記:この後、エアコンをつけました。1酸化炭素中毒防止のためです。

赤い塗料


小屋の内部中央を横切る柱の色が変色して気に入らず、再考をしていた。これも、やっと探しあてた。日本画用の岩絵具の231岩緋(ナカガワ胡粉絵具)。20gで1,800円。真っ赤である。これをカシューの淡透に溶かして使用。


塗って一中夜乾かす。強烈なカシューのにおいがするので、小屋には留まることができない。で、翌日行ってみると、この色。元の木阿弥である。柱が、この色になりたいと言っているのだろう。わかった。この色でいこう。

さあ、完成に向かって一気に仕上げて行く。カシューで塗った横に走る丸太に、黒いハリを張る。その上に板を載せて行く。この板は、実家で永いこと仕事用に使われた大型の棚の板だ。かってのわが家の家業を支えてきてくれた棚の廃棄は忍びなかった。ここに使用し、わが家の歴史の語り部を残すことに。

2003_10_25

イラストレーターのRyujiさん


浅草駅で会ったRyujiさんは、1年半前と同じくすっくと立っていた。男気も変わらず。カッコイイ人だ。こんな人を江戸っ子というんだろう。
今回はネットでお世話になっていたnanaさんとも初顔合わせ。ネットで交流していた人と、実際に会うと、イメージしていたとおりの姿形であることに驚くことが多い。今回もそうだ。
それからお目にかかったN.Nさん、ぴろきちさん、そして今回も岩手のご出身syuzo-さん。飾らぬお人柄の素敵な方たちだ。

神谷バー


さて、訪ねたのは浅草1-1-1にある神谷バー。よかった。なんといいますか、歴史のオリみたいなものがたっぷりある。
いわゆる照明の暗く落とされたバーではない。マネの「フォリー=ベルジェール劇場のバー」のような感じだ。ワイワイ、ガヤガヤ。でもね、これがいい。


私はデンキブランをいただいた。飲むところで飲むとこれがうまい。つまみも渋い、ニコゴリとか。黒い服できめたウエイターも話しかけるとやたらと人懐っこい。

歳のとりがいのある街

そうなんだよ、と思う。街はこんな風に都市化しなければ。歳のとりがいのない、という言葉があるが、戦後興った都市には、しばしば歳のとりがいのない街がある。ただ小汚くなっていくだけの都市だ。ここに来て見ろといいたい。

簡単なことだ。人情のない街で育った子どもは、その街に帰らない。多くの振興住宅地がそうだ。けれど「くんち」を出す長崎の踊り町で育った子どもや、浅草で育った子どもは、自分の育った街に帰っていく。

ホテルにて


楽しい時間は瞬く間に過ぎて、ホテルへ。またかよ。またツイン。ベッドが2つ。部屋に挑まれてますな。


Ryujiさんに頂いた双眼鏡を取り出し眺める。チェコのメオプタ。IFの1952年製。美しいなあ。つくづく。

上野の森


翌日の早朝。上野の森を散策する。充実した気を感じる。


九時半になって西洋美術館が開館しどきどきしながら「レンブラントとレンブラント派」の会場へ。レンブラントは私が崇拝する画家だ。しかし、この企画はいただけなかった。文献主義者の密室的企画だ。

ピカソ展もみた。ピカソの色彩に百年前の古色蒼然さを感じるのは私だけではあるまい。一方、線の冴えはまったく古さを感じさせない。彼は将来一層「線の画家」として残って行くだろう。

2003_10_18

秋元奈緒美

秋元奈緒美の結婚話には驚きませんでしたが、久々にブラウン管に登場した彼女の姿に驚きました。40歳でしょう? 昔のまんま、由美かおる路線爆走中。 

2003_10_17

阿川弘之氏の巻頭随筆は見苦しい

『文芸春秋』の巻頭随筆の最初の文章は、永いこと司馬遼太郎氏によるものでした。派手さはありませんでしたが、世界を見据えて細部を読み手にストンと分からせる、そんな随筆でした。

さて司馬氏の逝去後、この席を勤めているのが、阿川弘之氏。はっきり申し上げますと「見苦しい」。知識は広いが、度量が狭い狭い。ジイさまの愚痴とも言うべきものが、面々と毎月披瀝。

文芸春秋社もしまったと思っていることでしょう。でも、「いまさら、そこ、どいてください、とは言えないし」と。最近随筆欄の常連となったのが塩野七生氏。交代のための布石でしょう。賛成。塩野氏の方がずっと素晴らしい。

2003_10_16

うさんくさいマニュフェストという言葉

マニュフェスト。うさん臭い外来語がまた世の中に出まわり始めました。出ては消えて行く外来語の中で、生き残る外来語は次の二つのうちのどちらか。

一つが他に置きかえれない専門用語。たとえばマウスとか。

で、もう一つは「あの、ちょっと、直接的表現はしたくないんで、分かったような分からんようなあやふやな感じに」というやつ。リストラ、ローンなんぞはこちら側。はっきり言えば合理化、借金。横文字にすると「ほのぼのローン♪、ほのぼのレイク♪」なんぞと歌にまで歌えます。「ほのぼの借金♪」とは歌えんですもんね。で、マニュフェスト。残りそうですね。意味が薄められて残りそうですねぇ。

2003_10_11

サカキバラが仮退院する日

1997年神戸連続児童殺傷事件の犯人サカキバラ(21)が仮退院するその日に、更生保護委から被害者の保護者に仮退院したことが通知されるといいます。退院後の男性の居住地に関しては「どの程度開示するか検討中」とのこと。

ということは……2ちゃんねらーが動き出し、明確な居住地と、現在の顔写真が暴かれる可能性ありですね。司法界の通説が正義としている事と世論のずれ、一部のメディアはサカキバラの文才に執筆を依頼……様々な論点で大きな世論のうねりを生むことになると思います。

 


 


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Profile まつを

生きてることを楽しもう。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。長崎市・島原市との多拠点生活。

「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。