2004年6月
2004_06_01
森の中で仕事
仕事道具を持って一人里山へ。カバノンのデッキに陣取りプランニング。
近くでウグイスが鳴き、そよ風が吹く。私は裸足になって、椅子に座り、電線ドラムの机に向かう。
5月下旬に早くも梅雨に入った。街では汗ばむこの時期も、ここではどうにかまだ爽快だ。
最初、流していた音楽もうっとおしくなって止め、自然のままのサウンドスケープの中で考える。
夜の帳が降りて、室内に引っこむ。ランタンをつけて、ロフトで考え続ける。
昔、部下から「時給が高いのだから、作業は私たちにまわして別のことをしてください」と言われたことを覚えている。正しい。徐々に私の仕事は考えることと、交渉することに特化していった。つまりつらい仕事ばかりだ(笑)。いいスタッフだった。
上司からは「企画で止まっているうちは夢見る子どもだ。仕込め」と厳しく教えてもらった。そんなこんなで「仕事で汗をかく」の意味が変わった数年だった。行動しながら考える練習が続いた。
夜9時に一段落ついて、ノートを閉じる。ウイスキーをあおる。
一人ぼーっとしていて、画家アンドリュー=ワイエスの逸話を思い出す。ヘルガシリーズのことだ。この天才画家の晩年に発見された作品群。実は最近絵を描く機会に恵まれた。
チェット=ベイカーを聴く。ブランデーを楽しむ。ソファーに寝そべる。夜半、雨足が強くなるのを、うつらうつらしながら聴く。
朝、シャワーを浴びる。そして仕事。没頭した後、時計をみると3時間ほど経っていた。一呼吸して、サラ=ブライトマンを聴く。
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方一尺の天地
水馬しきりに 円を描ける
なんじ いずこより来たり
いずこへ旅せんとするや?
ヘイ! 忙しおましてナ!
村上志染
限られた仕事の世界だけで懸命にやるだけでは、ミズスマシだ。根元的な問いとのフィードバックの中に仕事が立たねば、仕事の色鮮やかさは失せる。
人間とは何だろうか。だからどうあらねばならないのだろうか。そんな想念が里山の中で、考えるともなく流れているような気がする、たぶん。多忙さの中、里山への回帰は、この根元的な問いへの回帰と、いつの間にかかぶり始めている。