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2005年8月



2005_08_03

北海道 木は気を発する

草苅健氏の雑木林

草苅健氏の雑木林にお招きいただいた。氏は北海道大学講師も務めるプロの森林コーディネーターだ。
草苅氏が指し示す緑の広がりを目にしたとき、総毛立った。その美しさと同時に、その佇まいに森の神さあを感じた。北海道に来てやっと地霊を強く感じた瞬間だった。

実は雑木林を訪れるまで、物足りなさを北海道に感じていた。それはモダニズムに漂う一種の軽さから来るものだった。 そう、北海道はモダニズムの大地だ。公共施設にはモダニズムの建物があり現代芸術のオブジェがあり、風景自体もまたそうだった。光への指向性の中で、広い大地はさらに広く感じた。光と陰ではなく、光、光、そして光。土臭さがなく、スタイリッシュなのである。故に山の神さあの気配を感じることができず、私は物足りなさを感じていたのだと思う。

ああ、やっと北海道の大地を感じることができた。草苅さんの雑木林でそう思った。草苅さんの案内でフットパスを巡る。美しく、そして圧倒的に広い。これに比べれば、私の里山など単なる庭だ。
焚き火を囲み、草苅氏にご用意いただいた山海の産物をいただきつつ、話し込む。気付くと、当たりには夜の帳が降り、雑木林は私たちを囲む闇となった。

気配の中に北海道の大地の猛々しさをうっすらと感じながら、次のような体験を草苅さんから聴いた。

草苅氏は語る

雑木林やカラマツの林を、チェンソーを使いながら手入れしていく過程で気がついたことが三つある。

一つ目は、「樹木個体」とのつきあいが生まれること。一本一本見定めて、印をつけたりしながら抜いていくのだ。だから、どうしても木を見る。そこに群れとして付き合っていたときとは違う新たな「出会い」が生じる。これは樹木個々と触れあわないと出てこない心の動きだ。こうした日々が重なると、散策するときも木の一本一本に目をやり触れたりするようになってくる。

二つ目は、「作業後の達成感」だ。間伐は、やってきた場所を振り返ると足跡が一目瞭然で、幾分開けた風景の変化も見て取れるから、毎度の仕事の積み重ねが手に取るようにわかる。些細な達成感に違いないにもかかわらず、日常の業務では味わえない単純な爽快感を伴っている。

三つ目は、達成感とは別な気持ちよさである。「生命が喜ぶような」と表現したい爽快な充実感である。個人的な感覚でいえば、雑木林を間伐していたときは、単に肉体そのものの、きつい、やすらぎ、といったものだった。ところがカラマツではそうでなく、もっとメリハリがあり、リラックス感を持っている。作業を終えて車で林を離れるとき、フーッと息をついて「今日も元気をもらった」と述懐したくなるのである。

わたしはこの理由をずっと考えていた。そして二つのことに思い当たった。

一つ目はカラマツの樹形がもたらす印象である。
冬、墨絵の世界のようなカラマツ林はバーチカルな樹幹の林立が時として、荘厳なカテドラルのような構造物にみえることがある。手入れを待っている冬のカラマツ林は暗い。そこに陽光が射しこむ。
いや、不思議な感覚は以前から感じてはいたのだが言葉をもたなかったのだ。そこは40年生ほどの普通のカラマツだが、小さく緩やかな尾根筋に囲まれた平坦地なのである。外界と遮断され別天地に区切られていた。

晩秋のある日、数年ぶりに踏み込んだ瞬間にわたしは息を飲んで、「あ、まほろばだ」と心の中で叫んだのである。むろん、「まほろば」とは何なのか、厳密に定義はできないのだが、そもそも極楽のような、という形容を使うこと自体、最初から曖昧さは含まれてしまう。
そして過日。風雪のある日、カラマツの冷たく暗く一見さびしい林に憩いのスポットを感じたのである。林がゴーッとうなっており、ヘルメットのイアマフ越しにもしっかりと聞こえるほどの日だった。幹は横殴りに張り付いた雪で白く見え、視点を移動すると少しずつ黒い幹が見え始める。暗くて頬に当たる雪が冷たい。
ふと残りの間伐予定地を回ってみることにした。ゆっくり墨絵を味わっていると、、まるで劇場や美術館にいるみたいである。カラマツに囲まれた低みはどうしてこんなに人を和ませるのだろうか。真冬のカムイミンタラのようなものをカラマツ林に見たような気がしたのである。

カラマツの間伐をしながら気づいたもう一つの理由は、カラマツの発する「気」である。この「気」が、作業するわたしを元気にしているのではないか。

ある日わたしは作業をする前に山ノ神のある林に出向いてからマツの大木何本かと対面し、手をかざしながら深呼吸をしていた。トドマツやカラマツ、コナラなどで感触の違いはないだろうかと、ちょっと試しにやってみたのである。比較的カラマツに惹かれていたので、直径70cmほどの数本の前で念入りに呼吸していた。ちょうど気功のタントウコウのようなものである。ただしこのときのわたしは深呼吸と手をかざしただけで、樹木と一体化したいというイメージはもっていなかった。

このあと作業場所に移っていつもの間伐を始めたところへ、Nさんが手伝いにきた。二人で昼遅くまで仕事をして遅い昼食をとった。
帰るとき、わたしは随分体が軽く心身とも元気になったような気がしていた。運転しながら呼吸はかなり深く、満足感にみなぎり気分が爽快であった。あまりに明快な心身の変化だったので、家からNさんにメールして彼の心身の変化を聞いたのである。それまで2,3回の時とまったく変わらないという返事だった。

わずかな体験であるが、この時からわたしは、カラマツはわたしにとって相性がよく、目に見えないエネルギーの出入りが存在するのではないかと思い始めていた。そして今なお、手入れ作業のつどそう感じ、その感覚が否定された日がない。

カラマツという植生と低みのランドスケープが創りだす「場」、そしてカラマツが持っているエネルギーのようなもの、ここでは「気」と呼んで見たが、それらがあの小さな現場にはあると感じている。

2005_08_02

カウンター20万回転越え

本日カウンターが20万回転を越えたようです。皆様のお出でに感謝します。

 


 


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Profile まつを

生きてることを楽しもう。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。長崎市・島原市との多拠点生活。

「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。