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S i t e ま つ を


2005年7月



2005_07_22

大閑道人氏、夢と覚醒

大閑道人氏の話は、それを実際に見た人でなければ語れない色彩感溢れるビジョンに満ちている。氏の話と対峙するとき、あなたはあなたのポテンシャリティを験されることになる。氏の話に耳を傾けよう。

大閑道人氏は語る

私の、21歳から23歳頃までの体験だ。それが立ち現れた時、私が睡眠中だったら、それは「夢」になり、私が活動中だったら、「幻視・幻聴・幻触」に変化(へんげ)する。

私を貫く透明なチューブ

夜9時半を回り、人影もまばらな電車に乗り、下宿へと帰る途中、ボンヤリとしていると、透明なチューブが、キラキラと光を反射しながら、私の方に伸びているのが見えた。それは、直径が15cmほど、中空だった。私の前方、約1mほどから、黒い影が混じり、やがて、真っ黒な闇となり私を貫き、徐々に闇が薄れながら、背中後方、約1mほどからは、また、同じように透明なチューブにもどっていた。それは、計り知れない遥か前方から、同じく遥か後方まで続いており、その闇を埋めるものはこの世には存在しない。どこにもない。愛も本も酒も、この闇を埋めることは不可能だった。しかし、黙っているだけでは闇は埋まるどころか、広がるばかり。いや、それどころか、埋めようとする努力すら闇を広げるにすぎなかった。「闇は、闇自身を埋めてもらいたいがために、私をこの世に生み出し、創った」と、私は感じた。

火葬場の大柄な女性

私のところに悲報が届いた。郷里の恋人が、交通事故で死んだ、という知らせだ。取るものも取り敢えず、とにかく郷里へと急いだ。そして、彼女の自宅に駆けつけたが、葬儀は既に終わり、遺体は火葬場に送った、ということだった。私は、また、追いかけた。火葬場について、走り回って探していたら、今、火葬の窯に入れた、という。なんということだっ! 最後の姿を、一目見たかった。それすらかなわなかったのか。火葬が済み、遺骨が出てきたとき、焼け残りの肉片があった。それを、私は、急ぎ隠し持った。「これを食べれば、彼女と一心同体になれる」……そういうつぶやきが聞こえた。ちょうどその時、彼女の母親(と思える人物)が目に入った。そして、私はその女性の胸に顔をうずめて、「彼女が死んでしまった……」と泣きながら、訴えた。その女性は、白い服を着て、大変大柄な体格で、顔がなかった。私は、その女性の胸で泣きながら、この女性こそ私の真の恋人だ、と思った。と、同時に、「これはきっと悪い夢に違いない、夢なら、どうか醒めてほしい」と、切に願った。私は、眠りから覚めて、今までのことが夢だったと知り、心底安堵した。しかし、今までに味わったことのないような疲労感で、力が抜けて起き上がることができなかった。しばらくそのままで、あれが夢で今が現実、と確認しながら、事故で身内が急に亡くなった場合、「これは悪い夢に違いない」という関係者のコトバが、単なる比喩ではなくて、心の叫びであることを実感した。
ともかく、講義があるので身支度をして大学へ行ったら、前晩に小学校以来の同級生が交通事故に遭い、入院したことを知った。

海底に横たわる人形は浮かび上がる

日の射さない、真っ暗な海底に人形が横たわっている。その人形が、なにかの拍子でピクリと動き始め、そのまま浮かびはじめた。人形は、頭から浮かび、足から浮かび、ゆらりゆらりと揺れながら、スイッチバック方式で海面近くまで上がってきた。海面が近くなるにつれ、あたりが明るくなってきた。……と、何時の間にか、人形は「私」になっていた。私は「人形」になっていた。海面が近づくにつれ、ボーッと明るくなってきた。あとひとかきで海面を突き破るが、ここで、もう一度、頭を下げて潜れば、また、海底に戻れるのだがなぁ、と思いつつ、ポカッと、海面から頭を出した。
その途端、目が醒めた。それはそれは、実にすがすがしい目覚めだった。しかし、その目覚めは、そのまま「疾風怒濤の青春時代」と比喩される毎日の始まりだった。

高校の時をはじめ、大学で知り合った友人たちもどんどん離れてしまい、遂にたった一人になってしまった。幻覚幻聴が新たなお友達になった。毎日がその対応に忙しくて、人間の友人たちが避けていることすら気付かなかった。

氷の城にある青い光

人形の目覚めの夢から半年経ったある日の午後、下宿で机に向かっていると、目の前の壁が南の島のジャングルになっていた。その情景に目をやると、すぐにジャングルの中に入ることができた。ジャングルをかき分けて進むと、約2mほどの土手にぶつかった。両脇の草をつかみながら、登るのだが、ふと、左のほうに目をやるとそこに直径20㎝ほどの穴があった。穴の中は、大吹雪だった。私は、穴の中に入った。その吹雪の中で、私は「ここは南極だ」と直感した。そこは、ちょうど冬(=夜)で、轟々と風が吹きまくり地面の雪を舞い上げ、星の明かり一つ見えない暗黒の世界だった。草一本生えていない、生命の匂いのまったくしない世界だった。その吹雪の中を歩いていくと、はるか地平線上に青い光が見えた。私はその光を目指した。目指すところには氷でできた城があり、その青い光は、氷の城から発していた。その氷は、透き通った水晶のような氷で、冷たく、生命の息吹など、まったく感じなかった。私は、その城の中に入っていった。もちろん、ねずみ一匹会うこともなかったが。やがて、城の中央部と思われる場所に出た。そこは、バルコニーのように張り出しており、眼下には、透明な氷で敷き詰められた広いホールがあった。ホールの中央部の奥底に、青い光が氷漬けになっていた。その時、「これは、私だ。私はこれを解放しなければならない。しかし、その時、私は死ぬ」と、文字が三行、私を貫いた。 ……と、同時に幻覚は消えた。

それから半年後、吉本伊信師が主宰する奈良県大和郡山市にある内観教育研修所で、一人、1週間を過ごした。そこでは、幻視幻聴の連続だった。

裏返しになった私

私は、自分が、自分の立っている場所が、壊れかけているのを知った。この場所が崩壊すれば、私は、奈落に落ちていくしかない。なんとか、崩壊を止めなければならない。その努力も虚しく、私の場所は崩壊した。私は、崩れた。その時、私は、裏返しになっていた。胃袋が外気に触れ、あたかも私自身が自分の胃袋に食われているようだった。私は消化された。私は、自分が間違っていたことを知った。本当に知った。「知る」ということは、内臓の細胞一個一個が納得する、ということだ。「腑に落ちる」は言語的比喩表現ではなく、実体のある言葉だった。

救いの花園と食い荒らす怪物

私は、救いの花園にいた。

私は、密かに「救いの花園」を観察し、分析していた。一通りの分析が終わり、なるほど、と得心した。……と、その時、怪物が三匹、花園の花をムシャムシャと食い荒らし、花園は無残な姿になった。私は、非常に落胆したが、再び、花園に招かれた。

「見るもの」と「見られるもの」。そして「見られつつある見るもの」。この三つが、空中に円を描き、人間の認識の様を描写してくれた。この三つの円が、合体したとき、人は、本当の無心になれる。「主客未分化」「自他合一」「一体不二」……三つの円が、その背後にある更に巨大な円と重なったとき、梵我一如と成る。インドでは、「知ることは、成ることだ」という。

シャボン玉に付着するう塵埃と自我

ネバネバした粘液でできた、巨大なシャボン玉が浮かんでいる。その球体の中心は、光に包まれた「こころ」があるのだろうが、私の心臓の鼓動に同調して、シャボン玉が脈動するたびに、付近に漂う塵埃を吸い寄せ掻き集め、曇り霞んでいくので、詳細はよく見えない。ゴミは、そのうち自分から粘着質の液を分泌し、自ら付近に漂う塵埃を集め、肥大して行く。やがて、ゴミの塊がシャボン玉の球面のあちこちにできて、その重みでシャボン玉がゆがみ始めた。シャボン玉は、ゴミの重みとバランスをとるために、膜から粘液を内部に分泌し、分厚くなっていく。そういうゴミの山のひとつに、ゴミの圧力で熱を発し、そこが「自我」に成る。自我が誕生した途端、ほかのゴミの山は、一切成長を止めてしまう。

流れ落ちる川と救い

サラサラと音が聞こえる。……一週間も似た体験をすれば、もう驚かない。目を上方に向けると、左手から右手へと、川が流れている。澄み切った水だ。川縁まで近寄り手を水に漬けると、まるで氷が溶けたように冷たい。指がちぎれそうだ。ふと、左手上流のほうを見ると、何かが水面を流れてくる。まるで、紅葉が落ち葉となって流れるように何かが流れている。なんだろう。じっと目を凝らしてみると、それは私自身の顔だった。怒りに狂った顔。恨みを持った顔。憤激している顔。見にくい顔が次々と流れていた。川は、私の真ん前で大きな滝となり、真っ暗な底へと流れ落ち、私の見にくい顔も、流されていった。「ああ、私は救われた」

縄と運命

目の前には3mほどの溝がある。この溝を越えなければ成らないのだが、助走を付ける距離もない。突然、天から縄が降りてきた。縄は百本はあろうか。私は、ある一本を選び、それへ向けて手を伸ばした。ところが……それとは別の一本がスルスルと手元に来るが、私が選んだ一本を含む他の99本は天へと遠ざかるのみ。でも、私は、この綱を選びたくない。私は、また別な一本に手を伸ばした。しかし、結果は同じであった。私は知った。「運命とは、自分が選ぶだけではなく、運命からも選ばれているのだ」と。私を選んだ運命ならば、私を害することは決してあるまい、私がその運命の意志に逆らわない限り。

内観後に

内観から戻ると、友人たちが寄ってきた。そして、「お前って、あったかいなぁ」と言ってくれた。私は反駁した。「私のどこが変わったと言うんじゃい」。私本人は、自分が変化したことを自覚していなかったが、大きく変わってしまっていた。

再び、南極の氷の城が出た。最初の登場からすれば、丸々1年後。相変わらずの氷の城だったが、風が吹き荒れることもなく、穏やかな姿だった。あのときの川の水が、この氷の城が少し溶けて流れたものだ、とその時知った。

私が幸運だったのは、そのころから河合隼雄の活動が知られ始め、ユングの著作が次々と翻訳出版されたことだ。私は、自分の知的体系にまったくない体験を、どう受け入れるかに苦しんだが、統合し再体系化するのに、河合隼雄によるユング心理学の紹介は、絶好のタイミングだった。

私は、あなたが成りそこなったあなたである

私は、知った。私の中に、人形が居ることを。そして、その人形が目覚めるたびに、人形を統合するための不思議な、未知の、そして忌々しい体験をしなければならないことを。これらの人形は、すべて、私になりそこなった「私」であることを。シャボン玉の表面に張り付いている「私」であることを。シャボン玉は、ひとつではない。人間の数だけ、シャボン玉はある。しかも、どのシャボン玉にもその表面には、ゴミの山がたくさんある。ゴミの山の一つが、私のシャボン玉の「私の自我」近くあると、「私」は「あなたが成りそこなったあなた自身」に成る。同様に、「あなた」は「私がなりそこなった私自身」に成る。世界は、そのようにして繋がっている。

氷の城が見えたとき侵入した三行の文字列は、何を意味しているのだろうか? 「これ」とは何か? 「私」とは何か? 「解放する」とは何か? 「その時」とはいつか? そして、「死ぬ」とは何か?

私を貫く真空のチューブといい、氷の城といい、その本質は同じだ。私は、死ぬために生まれてきた。そして、死、本当の死、とは、氷の城を溶かしきり青い炎を解放し、それは同時に、真空のチューブの闇を埋め尽くし、氷の城もチューブの闇も、完全に消滅してしまった状態、即ち、涅槃、そのものだ。私はあなたがたがなりそこなった「あなた」であり、あなたがたはそれぞれに、私が成りそこなった「わたし」だから、私一人が完全に死んだとしても、私の本当の死ではないから、「わたし」は、再び、氷の城を溶かすために、そして、チューブの闇を埋めるために、氷の城やチューブの闇が造物主となって、別なる「わたし」をこの世に送り出すだろう。本当に死なないかぎり、完全な死を全うしないかぎり、何度も何度も、完全な死を実現するまで、「あなた」になったり「わたし」になったり輪廻転生を続ける。

2005_07_02

あと一押しして欲しい人からのメール

時折、もう心は決まっているのに、あと一押しして欲しいというような、ご相談のメールをいただきます。
アウトドア系の人には、困ったちゃんがいらっしゃるんです。少年のように好奇心旺盛なことは大いに歓待ですが、少年のように稚拙な方は困ったもので(笑)、以下頂いたメールと、その後のやりとり。

アメリカンタイプのキャンピングカーを買いたい

相手

アメリカンタイプのキャンピングカーを買いたい。どう思われますか、実直なご意見をください。

まつを

実直に言って、やめたがいいです。その手のキャンピングカーはカッコだけです。

相手

いいや、そんなはずはない。私はこのキャンピングカーに惚れている。

じゃあ、相談せんでください。

キャンプ場を経営したい

もう一つ別の例。

相手

これこれこんなキャンプ場を経営しようと思っている。どう思うか。

まつを

マーケティング分析はきちんとやられたのか。そう思えぬプランだが。

相手

そんなはずはない。私はこのキャンプ場をオープンすることに決めている。


(笑)。だから相談せんでください。そう、惚れているのであれば、それが生涯をかけた夢であれば、勝手にやってください。人に相談せんでください。わーわー騒ぎ立てんとやってください。人に背中を押してもらおうとしていること自体が稚拙。困ったちゃんなのです。

 


 


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Profile まつを

生きてることを楽しもう。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。長崎市・島原市との多拠点生活。

「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。