2005年9月
2005_09_30
新宿でryujiさんたちと
イラストレータのryujiさんご夫婦、nana氏カップルと東京は新橋で痛飲。なんといいますか底抜けに楽しく飲ませていただきました。本当に合掌。
ryujiiさんの奥様は可愛い。子どもが独立した後は、こんな感じにならなきゃ人生もったいないよね。私の友人関係でここまでナイスミドルになれているカップルって何人いるのだろうと思わず振り返りました。 nanaさんカップルもお似合い。2人の話す生活風景には小説がいっぱい詰まっていました。 2005_09_25里山道楽 光と影
アップしました。
光と影
光が降臨する日、私は森に向かい自分の名前を呼んでみる。もう一度。もう一度。
2005_09_24皿うどん
長崎の名物の食い物は「ちゃんぽん」ではない。長崎人は「ちゃんぽん」よりも「皿うどん」を好んで食べる。
ちゃんぽん麺と皿うどん用太麺は違う
皿うどんには細麺と太麺がある。で、太麺の皿うどんにちゃんぽん麺を使ってぬけぬけと出す店がある。はっきり言う。ちゃんぽん麺と皿うどん用太麺は違う。私はそう信じております。長崎市内を離れると、多くの店がこの無礼千万な麺流用を行っている。あまりに流用が激しいので、私がなにを言っているのか分からない御仁もいらっしゃるだろう。目覚めよ。そのマトリックスから目覚めるのじゃ。ちゃんぽん麺はつるんとしているもの、皿うどん用太麺は少しでこぼこしているもの。。 2005_09_23世界のからくり
今、世界でおこっていることを、なるべくわかりやすくお話しします。
難しいことをやさしく。やさしいことをおもしろく。おもしろいことを深く。
アメリカが崩そうとしたチャイナネットワーク
香港が中国に返還されたその翌日、つまり1997年7月2日、タイの通貨バーツが、制度改定と同時にグッチャグチャになり、その後アジアの通貨は倒壊するビルのように次々に崩れていきました(クリックでグラフが出ます)。どこが仕掛けたのでしょう? アメリカだと思います。最終的な目標はどこだったのでしょう? 中国だと思います。アメリカが東南アジアに広がるチャイナネットワークを止めようとしたのでしょう。
ソロスなどが仕掛けた東南アジア経済崩壊
ジョージ・ソロスという大金持ちがいます。彼は世界を股に掛けて投資をしています。彼がどのくらいのお金を動かせるかと言いますと、1992年にイングランド銀行(日本の日本銀行のようなもの)とやりあって勝つほどです。想像を絶しますね。彼はアメリカのアドバイザーのような仕事もしてました、たしか。
このように各国の通貨を売ったり買ったりして、お金をもうけようとする人たちがいます。まるで博打です。ものすごく多くのお金を売り買いするので、ときどき国の経済が困ってしまうほどです。
さて、アメリカなどはアジアに、経済の開放をせよ、と要求してきました。
そこで東南アジアのタイやマレーシアなどは、変動為替相場制度に昨年踏み切りました。つまり毎日毎時間毎秒、「1ドル=自国通貨」(これをレートといいます)が変わる制度にです。
その後、これらの国々は経済崩壊しました。
マレーシアのマハティール首相はカンカンでした。「ソロスなどが、東南アジアのお金を売り買いした。だから東南アジアは経済崩壊したんだ」と怒ったのです。
IMFは国相手のサラ金
経済崩壊した国はIMFから借金をしました。IMFというのは、国相手のサラ金会社のようなものです。IMFから多くの借金をすると、このIMFというサラ金会社のいうことを守らねばなりません。会社で言えば、銀行管理になってしまうようなものです。
IMFではお金をだした国ほど発言権があるのです。国連の総会のように1国1票ではありません。ですからIMFで最も発言力があるのはアメリカです。国連よりもIMFで。これがアメリカの考え方です。
1998年5月、インドネシアで革命が起こりましたが、これはIMFの管理下に置かれた政府が、公共料金などを上げたのも一原因です。こうして中華系の政権が潰されたのです。日本も1998年4月、アメリカの経済解放の要求に従ってビッグバンをしました。
経済の自由主義が民主主義なら、植民地主義は民主主義だ
世界の国々を一年間の予算順に並べる。それからそこに、多国籍企業を年間収益順に並べる。するとあなたはびっくりするかもしれません。上位は国家ではなく、企業に占められてしまいます。
バーミンガム・サミットの宣言文など読んでみると驚きますよ。これは「国」の代表者が決めたものかと、目を疑いました。あれは民主主義を守る仕事の人たちが書いたのでしょうか。それとも企業の代弁者が書いたのでしょうか。
「さあ、バンバン経済の自由化をして、強いものが勝つようにしよう」とあの宣言の3分の2のスペースを使って書いてありました。
民主主義の基本は、自由と平等です。自由だけではヘンなのです。こんなことは小学生でも知っています。
「経済の自由主義=神の見えざる手に導かせる方法=民主主義」という考え方を多くの知識人が語っています。困ったものです。もしそうならば、19世紀に西欧がおこなった植民地主義は民主主義になります。
そんな知識人の中には、経済活動という視点のみに囚われて語っている人も多いのですが、一方で深刻な選択の上この発想をしている人々もいると考えています。「救命ボートの論理」をとる人々のことです。
救命ボートの論理
最初に戻りましょう。
なぜ、アジア経済戦争でアメリカは中国をターゲットにしたのでしょう。覇権争いという視点はあります。でももっと分かりやすくいうと、「救命ボートの論理」なのだと思います。
2001年、地球人口は61億人をこしました。ある学者が「宇宙船地球号でみな人権を持って生きて行くことができるのは、何人までだろう」と計算しました。その答えが60億人。すでに超えてます。人類は地球という救命ボートに乗る定員オーバーの乗客なのです。みんなで沈むか、誰かが落ちて他が生き残るか。
「救命ボートの論理」が言われ出した頃、空しさと苦悩から国際ボランティアを去っていった人々も多くいました。
「救命ボートの論理」の元、生き残れる者だけが生き残ろう、全員が生き残ることは無理だ、と割り切る考えが出てきました。経済学でいえば自由主義です。アメリカのマネタリズムというレーガン政権以降の多くの政権を支える経済理論はこの考え方に属します。
自由はむごたらしいものです。アメリカにはサクセスストーリーもありますが、その逆もごまんとあるとあることを忘れてはなりません。
アメリカは極端なかたちで走りました。全世界を人口100人の村に縮小するとしたら、6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍です。
巨大企業が動かすアメリカという国
アメリカは極端なかたちで走り過ぎました。1985年のプラザ合意で日本経済を止め、1989年にはじまる東欧革命とソ連解体によって社会主義諸国をなくし、1990年からの湾岸戦争によって中東を押さえ、パックス・アメリカーナと呼ばれるアメリカ中心の世界を作り上げました。
そして国内の野球大会をワールドシリーズと呼ぶ感覚で、グローバル・スタンダードと呼ぶアメリカ主義経済を世界に広げていったのです。アメリカのやり方が世界のどこでも通用すれば、より多くのお金がアメリカに集まるというわけです。こうして巨大企業が動かすアメリカが、世界の隅々に触手を動かし出したのでした。
けれどグローバルスタンダードによってアメリカ化を世界に広げることは、エネルギー多消費型文化が世界各地へと感染していることです。アメリカン・ライフを世界標準にしてはやっていけません。それは世界中のエネルギーの4分の1を、1国で使って可能な生活様式なのです。世界をアメリカにしたら、宇宙船地球号はすぐにパンクです。
ところが、いまだに日本では「アメリカはこうしている。だから日本も……」調の主張を繰り返す人たちが後を絶ちません。困ったものです。
世界中の人々の5人に1人は中国人です。これが全員経済的に立ち上がったら地球はパンクです。しかしそれは始まってしまっています。「救命ボートの論理」はより現実味を帯びたのです。
「救命ボートの論理」が働く世界では、大きく二つの動きが起こります。一方が救命ボート上で一人一人が節制しようという動き、もう一方が救命ボートからの引きずり下ろしの動きです。救命ボートで主導権を持っている男は、節制しようなどとは思っていないようです。このことはCO2削減のための話し合いを見ればよく分かります。「オレの子分になれ。子分になってテラ銭渡せ」。ですからこの男は反乱に備え武力強化しなければなりません。
救命ボートからの引きずり落とし
救命ボートからの引きずり落としは、世界レベルでも、一国レベルでも起こります。世界レベルな事例はアジアレート抗争が挙げられます。一国レベルの事例は日本ででも見ることができます。
わが国は規制緩和というグローバルスタンダードの受け入れをしました。おかげで失業率は上がり、金融は崩壊し、あなたの町のガソリンスタンドは海外資本のものに変わり、貧富の差は開いて国際基準に近づきました。あの頃、経済専門家は「金融の自由化をすれば、自分の知恵で資産を増やせる時代になるんです」と言ってました。それは嘘です。株をやった人なら分かってるでしょうけど、結局勝つのは金のある人なのです。
100円ショップで驚いたことがあるでしょう。「こんな激安、あっていいの?」と。それはあなたの良心が「植民地主義に手を貸すのか、否か」とあなたに問うているのです。経済評論家は「でもそんなもの、日本が高いだけなのだ」といいます。それも間違っているのです。彼らは所詮「経済」評論家にすぎません。このことによって、第1に地元の自営業者が崩壊していきます。地元の自営業者が崩壊すれば、地元の伝統行事は崩壊、地域の人間関係は希薄化していきます。第2に私たちの物についてのモラルが崩壊していきます。第3に無駄遣いが多くなり資源エネルギー消費量が増えます。
残念ながら、世界は縮小経済にスムーズには向かい始めません。事態はいったん逆方向に突き進むでしょう。歴史は、不況の時にこそ独占体制が進むことを教えています。来るべき再構築の時期、しばらく世界は経済の自由主義へと加速し、地球号の枯渇へと突き進むことになります。
吹きすさぶ風の中で
私たちがこうした吹きすさぶ風の中で、できること、なさねばならないことの1つに、地域社会の復権があります。
地域は育てねば、単なる寝床になっていきます。賃金労働者の増加と、自営業者の激減。昼間、地域を行き来する人々の多くは、高齢者と子ども達になってしまっています。取り残された子どもたちに、様々な問題が噴出します。
子どもたちの心の根を深く張らせてやれるような地域を復権させること。核家族だけに根を張っただけの心は、不登校、社会的ひきこもりなどなど少しの風で倒木します。孤育てしていていいのでしょうか。
子どもたちのココロの根っこがまっとうに育たない家庭や地域は、結局大人たちの心も絡み合っていない地域なのです。「気楽が一番」でいいのか。そう、私たちは問い直す必要があります。地域を振り向かず、職場に向かい合ってきた結果が、この有様なのですから。これまでのやり方で、私たちは幸福になったのかと。
インドの伝統的な生活では、四住期といって一生を4つの時期に分ける生き方を理想に挙げています。4つの時期とは、学生の生活、家住者の生活、隠遁の生活(森での生活)、放棄の生活の各時期です。これは現在進行するグローバルスタンダードの方向と相容れないものです。
世界中の各地域には、そのように経済原理に主軸を置くのではなく、幸福とはなにかという根元的な問いに裏打ちされた人生観が脈々と流れていました。パンの木を生やすミクロネシアの家庭では、通勤労働などあり得なかったわけです。グローバルスタンダードはこのような流れを根こそぎ引き抜きます。かつて植民地政策をとったヨーロッパですら、アメリカがもたらすファーストフードに対抗して、スローフード運動を起こしています。
家庭や地域にもどる
私は希望はあると思っています。一昔前よりも、私たちの心は家庭に帰ってきています。かつての大人達よりも家庭重視の世代が現れていることはもう見え始めていますし、そしてさらに私たちは地域に戻っていこうとしている過程にいると思います。私たちの心はコミュニティを求め始めています。
そのために、私たちは経済優先主義とは別の生き方があることを実感しなければなりません。
「足るを知るものは、常に楽しむ」
ブランド信仰は、都市型生活者の病理です。そのような価値など、野に出れば一握の泥で失せます。徐々に社会が記号化し、メディアが流布する記号の中でのみ自己確認ができる人間の増加。しょせん都市は、人間が構築した風景です。我々を遙かに超えたものへの畏怖と謙虚さは、それに抱かれ体で感じ学び取らねばなりません。
四大文明がかつてあったところは、現在砂漠化が進行した地域になっています。これは人間が過度のインパクトを自然に与えたため、荒涼たる地にしてしまったのです。同じ過ちを今度はグローバルスタンダードの名で世界中に起こすことのないように、私たちは回避せねばなりません。
MALTA氏
さっきまでジャズサックス奏者MALTA氏と飲んでました。本当に気さくな方で楽しい一時でした。ライブでの色彩感覚に溢れた音に脱帽。彼の音楽もCDじゃ表現できない繊細さに満ちたものでした。
2005_09_13説教泥棒アメリカ
「世界の12億人が1日1ドル以下で暮らしている今、この問題は我々にとって重要な倫理的問題であるべきだ」なんぞと虚構の美徳を述べるアメリカ政治家。
わっはっは。その貧困の原因が、米国巨大資本の搾取にあることは中学生でも少し考えればわかりましょうに。説教泥棒。アメリカ型民主主義の真骨頂はここにあります。
この度日本には、郵政という新たな取り壊し対象が生まれます。イメージしてください。ぱんぱんにコインの詰まった貯金箱を今から割らんとしている図を。おいしいビジネスチャンス。アメリカハイエナが大好きなフロンティア(笑)。横暴化する一方の説教泥棒の餌食となりつつある世界。
そして日本の選挙も、巧妙な大衆操作と目的合理性にとんだ、虚構の美徳と搾取の説教泥棒が横行することになったようです。
メディアもなあ、もう少し本気で天下国家のことを考えてくれるといいんだけれどなあ。どうしてあの時期立ったレッサーパンダがブラウン管を占拠したのか理由をきちんと説明してくれ。今回もただ政治ショーをして視聴率稼ごうとしている浅ましさが匂って見る気がしませんでした。
2005_09_07はじめてのテレビ電話通話
テレビ電話通話に成功。愉快でした。インターネット上のフリーソフトを使い、使用料も無料。用意するものは、ヘッドセットとpcカメラで4000円ぐらい。
画像なしのインターネット電話は現在十数名の方と利用しあっていますが、音質が従来の電話よりずっといい。よく今までのDとGの聞き分けさえしにくい電話の音質で我慢してきたなと改めて痛感。そのくらい音質がいい。で、5人まで同時に話せます。
昨日の台風の時は一時間半ぐらい繋ぎっぱなしにして4人ぐらいで話してました。で、質問もできる。いままで私たちは電話をかけるとき緊張していたんだということや、早く話さねばと会話の密度を上げて話していたんだということに改めて気付きました。あと5年もすれば、この手の電話が一般的になるでしょうから、NTTは存亡の危機。どうするんでしょうね。