2013年5月
東京でぞうさんと会う
アッシジについて、こんな素敵な写真と書き込みをくださった ぞうさん。
- ぞうさんのコメント
軽い自己紹介も兼ねまして……。
案の定帰国後仕事が殆んど無いので、一人でコツコツ作品を造りました。この作品を「第二回文化庁メディア芸術祭」に応募したら、後日文化庁担当者から電話があり最終選考に残っていると言う。結局賞は逃しましたが、この作品を見た関係者から仕事が来るようになり何とか野タレ死には回避出来ました。
建築と関わりのある仕事をしておりますが、残念ながら現在設計しておりません。実際の所、色々な事に手を出している中途半端で厚みの無い男です。
旅で心に残った建築ですか……。サンピエトロ大聖堂、サンタマリアデルフィオーレ大聖堂、アカデミア橋、ミラノのお墓と駅、ロマンティック街道の小さな街、ランス大聖堂、グエル公園、コルトバのメスキータ、アルハンブラ宮殿、ミハス、フェズのメディナ等々沢山有りすぎて……。
しかし、最も心に残った町は有ります。イタリア、ウンブリア地方の小さな町アッシジです。ローマの次に訪れたのですが気に入って4泊ほどしました。なんといいますか、ローマと対照的な町です。人と町並みが醸し出す雰囲気。パックツアーで通るだけでは多分解らない。滞在しないとこの空気感は伝わらないと思います。
アッシジ駅を挟んで反対側にあるサンタマリアデリアンジェリ教会の中にある8畳ほどの教会です。この小さな教会を守る為にサンタマリアデリアンジェリ教会が包むように建設されたと聞いております。当時信仰の無かった私にでさえ強烈なオーラを感じました。この8畳ほどの教会が最も心に残る建築です。
アッシジ
ぞうさんがこれまでの海外旅行で最も心動かされたという街、聖地アッシジ。
画像をクリックして進んでみてください。見事に看板のない世界が続きます。
ぞうさんに会う
ぞうさんに、東京でお会いしてきました。
写真でお分かりの通りであります。爽やかな好感度の高いナイスミドルでありました。モテルだろうなあ。うらやましい限りであります。
私の好みを汲んでご案内いただいた上野の話題の焼肉店 京城苑。
木造三階建て。中に入るとビニール袋を渡されまして、匂いのついては困るものを詰め込む形式。これがですね、びっくりするぐらいうまい。本当にウマイ。食べログでの口コミも熱烈なフアンがいることが分かります。
横浜大桟橋
こちらはぞうさんお勧めのポイント、横浜大桟橋。度肝を抜かれるアーキテクチャです。ぞうさん曰く「これをコンペで選んだ方も偉いですよね」 誠に。
ぞうさん、誠にお世話になりました。痛み入ります。
ベランダ菜園
ベランダ菜園を構想中。猫の額とはよく言ったもので、80センチ角程度のもの。ベランダの土台は階下ではなく台地なので、重量はさほど気にする必要もない。いつでも取り外せるような仕様。
二方向をブロックで囲う。底と側面は断熱材で断熱。
多孔質のひゅうがぼら土(大)をネットに入れ敷く。水はけの関係で底抜け方式。
5月24日、まつを農園完成。腐葉土20Lを9袋投入。
苗でオクラ、ミニトマト。種で向かって右から地這きゅうり、バジル、紅白はつか大根。手前にねぎにら、みずな。超過密農園なり。夢です、夢。
小さい車が好き
出典:Rollermobilclub Schweiz
いいですね、小さい車。1956年にドイツで作られた車とのこと。実は現在、わが国でこんな小さな車の導入が検討されています。超小型モビリティっていうのですが、国土交通省が既にガイドラインを出しています。2人乗り以下の電気自動車で、1回の充電で50キロまでの走行距離。
たとえばTOYOTA i-ROAD。
他に「ホンダマイクロコミューターコンセプト」「日産ニューモビリティコンセプト」「スズキQ-CONCEPT」「ダイハツPICO」など、現段階では試行段階のようです。
岡野雄一さん、日本漫画家協会賞優秀賞受賞
飛ぶ鳥を落とす勢いというのはこのことを言う。岡野雄一さんが日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した。めでたい。じゃあ呑もうかと電話。しかしながら氏の所用で相成らず。
写真は誘いを断られて「名が売れてきちゃったら、なんだかねぇ」と溜息をつく、山本氏、ライトワークス氏ら。
お題「社会人、働く人、大人とはなにか」
母の日ということで、娘がケーキを買って遊びにやってきた。ベランダでくつろぐ。
先日、彼女からメールが来た。大学の課題として、親に書いてもらうこととのことらしい。お題は「社会人、働く人、大人とはなにか」。次の一文を返送した。
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大人とは、他者のためにも生きている人のことをいう
大人とは、他者のためにも生きている人のことをいいます。私は、私だけのためではなく、家族のため、勤務する職場のために、健康に生き、正しくサポートし、収入を得て、私に関わる方々を支えていきたいと思っています。大人度を上げていくということは、この度合いが高まってくることをいいます。
私たちはよく自己実現という言葉を使います。この際に、自己を「てめえだけのこと」と考える狭義の自己であるうちは子どもです。狭義の私から、広義の私に徐々に移行していくこと。これが大人度があがるということだと思っています。
私たちは自分一人で完結している存在ではない
もともと私たちは自分一人で完結している存在ではありません。「そんな馬鹿な」という人には、「10分間息を止めてみて」と言うといいでしょう。私たちは呼吸によって外気と循環し、食事によって他の生き物の命と循環しています。私の体とは、どこまでをいうのでしょう。腸に溜まった食物はあなたでしょうか? では今まさに小腸の柔突起から吸収されようとしている蛋白質はあなたでしょうか? その結果形成されたあなたの体はあなたでしょうか? 「私」という境界がいかにあやふやなものか分かりますね。私たちは循環する存在なのです。肉体も精神も外と循環している
このことは肉体だけのことではありません。精神も循環しています。「私の考え」とはどこまでをいうのか。私が見聞きしてきたこと、人から聞いた考え方、読んだ本から受けた影響、学校で学んだこと。これらは私の精神の中に入りこみ、形成されて私の精神となります。このように私の肉体も精神も循環しています。
私とは循環する存在なのです。
私が幸せであるためには、まわりの方々が幸せであること
そう考えると、私が幸せであるためには、私のまわりの方々が幸せであることが大切です。これを仏教では慈悲といいます。私の周りの人・コトを愛でること。これが大切であることにしみじみと思い至るわけです。そこで、もう一度。大人とは、他者のためにも生きている人のことをいいます。
社会人、働く人という概念は、こうした私の大人についての考え方に付随するものです。
手打ちうどん
普通の小麦粉でうどんをつくる。
ゆがくこと13分。
うまい。コシもあって最高だ。普通の小麦粉で十分。
ブレードランナー的都市 小倉
小倉を一人で徘徊したのは初めてだった。
突然、旦過市場に出くわした。驚いた。そして心底嬉しかった。なんだこの渾沌として人間の生々しい息遣いに溢れた場所は。やっと見つけた。本格的な市場だ。素晴らしい。
多くの都市が手放していったジャンクさ。長崎で言えば、この前撤去された市場の数倍大きな通路が熱気に満たされている。
どうだ、このダークさ。まるで映画の一シーンだ。こんなに物語性に溢れた場所を、無料で勝手に歩けるなんて。
市場の込み入った場所に一軒のカレー屋を発見。その名も旦過カレーセンター。ここで昼食をとる。いい。実にいい。物語に抱かれて食事をする感覚。できるならばここで呑んでみたい。
一転してドライでメタリックな風景。未来がかっていることに変わりはない。まるで未来都市の『タクシードライバー』的光景。
小倉は不思議な街だ。
空いていることは贅沢
ただ今、朝8時。気づくと車の音がしない。普段近くを通る道から行き交う車の音がしているのだが、これが閑散としか聞こえてこない。ゴールデンウィーク。長崎市周辺地域の状況。
テラスのコンテナには溢れんばかりの春。
GW、東京は交通渋滞で混んでゴルフ場で混んで
地方の贅沢の一つに、空いていることが挙げられる。散人さん曰く 「東京から帰郷の友人が『あんた達が一番いいよ』 と。GWは東京勢はゴルフは交通渋滞で混んでゴルフ場で混んで、とてもやれない と云う。こちらはのんびりと午後からのスタートが出来る」
そう、昨日のレーザーガン・ゴルフも、ゆったりと小鳥のさえずり聞きながら森の中を標的探してめぐれた。こちらでは何事も混まない。考えてみれば、長崎や島原は街自体が公園みたいなものだから、都市景観への枯渇感がない。手を伸ばせばそこに豊かな緑も青い海もある。
最近やっと「島原産」と誇らしく記して地の野菜が売られるようになった。喜ばしいことだ。ブランド化。地産地消ができるということは豊かなことだという意識が定着してきつつある。安全な食、安全な空気、安全な水。これもまた地方の豊かさ。
正しい連休
ゴールデンウイーク
森の中でレーザーガン・ゴルフなどを楽しんだり、
猛スピードでボブスレーっぽい遊具を楽しんだり。
実家でソウルフードのイギリスなどの御馳走をいただく。
幸せとはこういうことだと思う。
何も知らなかったってことだと思います
この話には伏線がある。朝早いうちの夫婦の会話。
まつを 「婚約時代に『幸せってどんなことだと思う?』って聞いたら、『公園で子どもが遊ぶのを見ながらお弁当を食べているようなこと』って答えたのを憶えている?」
家人 「何も知らなかったってことだと思います」
まつを 「わははは。じゃあ行ってみようか」
そんな会話でお出かけとなった次第。
捨てるな子供
同日の家人語録としてもう一つあった。「今、『捨てるな子供』って書いた標識がありました」
「バカ言っちゃいかん(笑)」
ということで車を引き返して見てみることに。
で、これ。
高速で移動していたとはいえ……。
西園寺公望(さいおんじ きんもち)
大正天皇、昭和天皇を輔弼した大政治家
最後の元老として大正天皇、昭和天皇を輔弼した大政治家である。私が若いころに読みふけったシリーズ本の一冊に彼を扱ったものがあった。仔細は忘れたが面白かったことを覚えている。
この西園寺家には代々正妻はもたないという家憲があったという。一般的モラルは一般的市民のものでしかないことを知る逸話。
今、その本を検索してみた。中古本で11円で売りに出ている(苦笑)。本のストックはいらないなと改めて思う。あの本にこんなことが書いてあったなという記憶があれば何とかなりそうだ。
素人は黙ってろ
テレビがよく道行く人に聞く「アベノミクスについてどう思われますか?」ごとき愚劣な考えは、民主主義の悪の例であろう。
日銀によるインフレ誘導策を大仰に報道するほうがおかしい。今シリアを初め中東の正常不安が恒常化すれば、エネルギー小国日本は直ぐにインフレになる。これもアベノミクスと云うのか? だとすれば噴飯もの。
「民意」というが、民は基本「大阪のオバチャン」で「カネとメシ」しか考えてない。脳内カネメシの輩達の愚にもつかない意見を「民意」というなら、国会なんか解散して全国オバチャン会議でこの国の舵取りをすればいい。
それとしきりに「素人の意見ですが」と話に割り込んでくる輩がいるがこれも唾棄したい。この人達は圧倒的な数の優位さを知ってて玄人を脅してくる。「科学ではまだ解明されていない」というただ一点をテコにする意見である。「原子力に関しては素人ですが」や「医学に関しては素人ですが」と前置きをつけ延々と質問する。「素人は黙ってろ」というと怒るのである。
どうやらこの国は「素人」が一番偉いのである。
各国トップの住まうところ
秀吉が大阪城を作ったのは、その壮大さによって実戦以前に敵の戦意を萎えさせるため。
では現在の各国トップの住まうところを見てみよう。
アメリカ
アメリカ大統領はホワイトハウス。これは万人が知るところ。ちなみに1814年の米英戦争で焼けた外壁を白く塗装して以来「ホワイトハウス」となった。
イギリス
イギリス首相が住むダウニング街10番地もよく知られている。狭い。
フランス
フランス大統領はエリゼ宮殿↓。フランスはドゴールの頃から首相より大統領が実権を持っている。写真は「13 rue Coonyang...Paris」から
ドイツ
ドイツ首相は連邦首相府↓。日本の首相官邸とテイストが似ている。
ブラジル
もう一つ、その国らしいのをあげればブラジル大統領のアルボラーダ宮↓。ブラジリアの設計で知られるオスカー・ニーマイヤーの作品。秀吉の大阪城は、宗教戦争としての戦国時代の終わりと、淨土真宗を潰したことを意味した
> 秀吉が大阪城を作ったのは、その壮大さによって実戦以前に敵の戦意を萎えさせるため。
いやいや、もっと大きな意味合いがあるのです。 もともと大阪城の場所は、淨土真宗・本山の本願寺(石山本願寺)があった場所。そこを一回り大きく埋めてその上に作った。 淨土真宗は、いわば、戦国時代を作った張本人。戦国大名が一番てこずったのは一向一揆。これは、本質的には宗教戦争。 だから、信長は、長島では殲滅に出た。家康も、三河の一向一揆をしのいでから家臣団をまとめることに腐心するようになった。 だってね、家臣団は、殿様よりも阿弥陀様に忠誠を誓うのだから! これじゃ、殿様の意向通りには家臣団は動かない。 秀吉の大阪城は、そういう意味では宗教戦争としての戦国時代が終わったことと、その淨土真宗を潰したことを意味した。 秀吉の刀狩りも、そういう観点で見るべきだ。宗教勢力の武装解除、と。 そして、家康。 彼が淨土真宗を分断した。それが東西本願寺。 内部抗争で勢力の低下を狙ったもの。 ちなみに、江戸幕府は、一宗内部に本山を複数作る、という政策を実施した。現在残る「○○宗□□派」というのは、その名残。