2013年6月
SixthSenseテクノロジー
こりゃ驚いた
何という技術なのでしょう。驚きました。この『第六感テクノロジー』と名付けられた技術。プラナフ・ミストリーというインド出身の技術者の研究に関する15分のプレゼンは、インターフェイスの問題がいかに大切かということを教えてくれます。世界を変えるかもしれない技術ってこんなをいうのですね。プレゼンは最初、学生の研究のような感じではじまります。私もふ~んといった感じでみていたのですが、これがとんでもない技術へ発展していきます。
youtubeで翻訳のセッティングに慣れていない人は、こちらをご覧になると日本語訳がご覧になれます(クリック)。
wii
ゲームWiiリゾートを買った。ゲームなんてと言い続けていたが、このゲームは違った。家族の団欒が生まれた。和気あいあい。昨夜は家族全員でゴルフを楽しんだ。
オブリビオン
映画『オブリビオン』を観た。美しい。廃墟でさえ美しい。
全編をおおう透明感。モダニズム建築テイストとでもいうべき透明感。それは建物、乗り物、服装など細部にまで行き渡っている。『ブレードランナー』の細部にまで行き渡る鬱的な霧や、『マトリックス』の細部にまで行き渡る薬物変色的テイストと離れた今までのSF映画になかったクリアさだ。美しい。
『オブリビオン』には「里山」が出てくる。救いの場所としての里山。
美しい映画だ。
ミミズ来る
あめこんこさんからミミズをもらいミニマム農園に放った。よしっ! これで土の豊かさが保てるに違いない。右に写るはネギ玉で、これも植えた。
♪~
ありがとう。
里山
モニュメント
里山入口には3本の木で組まれたモニュメントが設けられ、ここをくぐってデッキに至る。
このモニュメントは、切り出した丸太を使い、2001年にじだらくさんと一緒につくったものだ。この写真は当時のもの。木々が細く、林がスカスカなのが見て取れる。左側には当時あったツリーデッキが写っている。ここにテントを張ってツリーハウスにしていた。
経年経過により、丸太が危険な状態と判断し今回撤去。
なくなると寂しい。オブジェか何かが必要だと思う。どなたかお知恵はなかろうか。
オブジェを設けた13年前の写真をもう一枚。木々が細く低くスカスカとしており、下草が11月だというのに結構あることが分かる。第一、雑木林というよりも細いヒノキの林だ。
木々は伸びた
木々は伸び天空を覆った。雑木林の風情。下草も減った。
里山の木々を伐採する。
目線が抜けるように、視線より下の枝をカッテングし、背丈の高さの枝は天に向かい伸びるもののみを残す。こうすると林がおりこうさんに見える。
視界が戻り、光が注ぎ始め、空気の流れが起こる。木々を縫いながら還流が始まる。
うず高く積み上げられた枝葉。これが次回の焚火に使われる。
雲仙岳が見通せるようにこちらはバッサリと切り落として、ピクチャーウィンドウにした。神々しいお山の姿がこれで、いつも眺められるようになった。
木々が随分と大きくなった。自ずと里山のデザインも変わっていく。懐が徐々に広がり見通しのある風景に変わっていく。
朝食はこんなもんで
某日のわが家の朝食。これで十分。今振り返ると1週間のホテル住まいは朝がバイキング。さすがに節度あるバイキングの摂り方になるものでありました。
ベランダ
幼き日の思い出
こんなスペースのベランダは多くのマンションについていることだと思う。そこに材木を渡す。すると室内から気軽に出入りする空間が生まれる。確実に居住空間が広がる。隅に設えた寄せ植えコンテナ。シマトネリコはわずか一年で身長ほどの樹高になった。
内と外の波打ち際の心地よさ
こちら側のテラスにも材木を張った。室内外の境が溶解した。それこそ最近は頻繁に出入りし、ここで寛ぐ。すぐに行ける里山だ。
隅に設えたミニマム農園。早朝、日が昇るのを待って眺めにいく。孫を見る爺ちゃんってこんな感じではないかと思う。
ネジをつくる
タンスのドアの蝶番用ネジが外れた。バカネジになってしまっている。中島洋一郎さんに相談。今使っているのよりも少しだけ長いネジで止めるといいと、あれよあれよと写真のようなオリジナルの長さのネジを製作してくださった。これに接着剤をつけてドアを取り付ける。修復完了。合掌。
ハーブウォーター
栽培しているアップルミントを摘んでミネラルウォーターに。つめたく冷やしていただく。熱い一日の終わりに。
岡野さん原稿を送る
「週刊朝日に連載始まったね」
「毎週2ページ」
「そりゃ大変。どうやって原稿送ってんの?」
「コンビニにコピー機があるやろ。あれでスキャンしてUSBに入るっとさ。家のスキャナはボロだから。で、メールに添付ファイルで付けて送ると」
今、週刊朝日の3回目の原稿書きに追われてるから1時間だけと言いつつ出てきてくれた岡野さんは、何杯か飲んで講演の打ち合わせに出かけていくのでありました。
今宵は長崎のバル「ちょこっとバー」。ライトさんもご一緒。
カップヌードルミュージアム 横浜
珍しい麺を食べた。ラグマン。アジア西端、カザフスタンの料理だ。羊肉、オイスターソース。
もう一品。蘭州牛肉麺。黄河流域、蘭州の辛味麺。
振り返る。これまで食べた異国の麺。韓国で食べた冷麺、シンガポールで食べたミーゴレン、タイで食べたフォーのようなもの(たぶんフォーだと思う)。冷麺もミーゴレンもうまかったが、タイで食べた麺はことごとく外れた。いわゆるコクがない。
フランシス=ベーコン展
晩年は幸せだったんだな
行ってきました、ベーコン展。晩年の作品展示室に入った途端笑ってしまった。ベーコンがあまりにも幸せそうだったから。晩年は幸せだったんだな。恋人もいて、金も、名声もあって(笑)。本人や美術評論家の意図はおいて、彼の作品は顔作品以降の晩年作品が歴史的には愛されていくだろう。ところで↑写真に写る作品。これは永いこと、つまり私が高校時代にベーコン作品に出合って以来、↓こんな横顔を描いた作品だと思っていた。たぶん、私一人ではないだろうな、こんな感じでとらえていた人。というか、私のようにほとんどとらえていると思うけれど、違う?
中銀カプセルタワー
黒川紀章のメタボリズムの代表作
黒川紀章のメタボリズムの代表作だ。新陳代謝という言葉を背負うように、都市の変化に応じて多様に変化することができる建築として作られた。つまり写真の四角いユニットが一軒で、これを取り換えることによって増殖できる建物というわけ。カプセルホテルを考えた黒川紀章らしい作品ともいえる。けれど日本的メタボの意味通り、ユニットは取り換えられることなく現在に至り、建て替えへの動きが進んでいるようだ。
危険防止のために被せられたネット。生体のリンパ腺のように垂れ下がっているエアコンの配水管。この現実離れした立ち姿。いいね。
ここの住人のお一人でサイト「中銀カプセルタワー応援団」運営者さんとお会いしたかったが、時間が取れたのは昼休みのみで断念。ぜひまたの機会に。
中華「帝理加」
中銀カプセルタワー応援団の方々が宴を楽しまれる中華「帝理加」を訪ねるべく、地下駐車場へ。閑散とした薄暗い空間を進むことしばし。すると夢の墓場のように赤い灯が。
中は日本語ではない言葉が飛び交う。まるで映画の中に紛れ込んだような楽しさだ。
東京の緑
東京。早い就寝、早い起床。トリムも兼ねて早朝訪問可能なポイントを縫う。
原美術館
高輪。東京の奥深さを一つ知った。豊かな緑、閑静な空間。
原美術館はそんな中にある。美術品を観るというより、広く空間を楽しむという方向性。
緑映える庭に向かい広がるカフェレストランで食事を楽しむ。うまいなあと思う。都会的緑。
汐留ドーム周辺
ランドスケープという言葉そのままの光景。図面を眺めているような奇妙な感覚に襲われる。敷地面積の一定枠を緑に差し出すよう定めた条例は確実に利いている。行き交う人の足を止めさせ潤わせるほどの力はまだない。淀みがないからだ。けれどそれは時の経過とともに解決していくだろう。
表参道ヒルズ
上記問題が経年によって解決された光景がこちら。植栽が人に安らぎを与えている。見よ、この木々の雄々しさ。天に向かい枝伸ばす様。歩道をはさみ連なる建築物との響き合い。
道行く人は立ち止まりベンチを兼ねたガイドラインに腰を降ろす。長崎バイパス立山出口に連なる街路樹の短く摘まれた様が、長崎を訪れる人々にいかに貧相な印象を与えているか再考したがいい。
新宿御苑
疲れ果てひとときベンチで休む。
巨木たちが集う空間。都市生活者が潤いを求めて散策する。美しくも俗が浸透する悲しさ。
明治神宮御苑
恐れ多くも植物の様相が私の里山に通じるところがあった。
明治の貴人もこうした環境で心休めていたことに、親しみを感じる。
浜離宮庭園
現代のジャパネスクを象徴する風景としてしばしば引用されるショット。美しい。
横浜 山下公園
このように洋風の公園は視線が遠方まで通るようにカットする。治安のためでもある。