2014年8月
ブレンダ―
「私が嫁入りのときに持ってきた家電がこれでなくなりましたね」と家人
簡単に言えばミキサーである。買い換えた。
「私が嫁入りのときに持ってきた家電がこれでなくなりましたね」と家人が一言。そんなにたったのかと感慨。
このマシンの使用感よし。氷も砕ける。音も前のものより小さく、夜も気兼ねなく使える。洗うのも簡単。ジューサーの役割は私にはいらない。
決め手の一つになったのはメタリックなデザイン。キッチンにプラスティック素材をできれば置きたくない。プラスティックのポップなテイストがどうにも苦手だ。木質と金属とセラミックの材質でまとめることができればと思っている。
水やり楽だぞぅ
数日家を空けるために、ベランダの植物に自動的に水やりをしてくれるグッズを買った。「水やり楽だぞぅ」。棒状の綿の毛細管現象によって水やりがなされる。なかなかよろしい。ただし写真のようなカメがいる。ペットボトルでは1日で空になる。
露天風呂用プール
里山露天風呂はビニールプールで行こう。というわけでプールを買った。
でかすぎたか?
早速テラスで水を張る。夏場のお気に入りの場所、テラス。
沖縄 ライブハウス「チャクラ」
ローカリズムは誇るべき財産
喜納昌吉のライブハウス「チャクラ」に若衆と訪れる。20数年ぶりだ。
つくづく思うことは、沖縄の人々はローカリズムを恥じることなく愛しているということだ。例えば方言、例えば島歌、例えばエイサーなどの風習。それが沖縄を訪れるに値する魅力の原動力となっている。それはそうだ。同じ文化の地を訪れても旅の醍醐味は味わえない。
沖縄 節子鮮魚店
早朝ウォーキングで店を見つける
翌日早朝、那覇の街へウォーキングに出かける。昼間ともなれば観光客で溢れる平和通りも、薄暗がりに満たされた人影のないアーケードだ。横道にいる。するとシャッターの降りた魚屋にこんな張り紙が張ってあった。
「魚屋で飲もっ!!」
!!
魚屋で飲めるのか?
その日の夜はここを訪れることに決めた。
鮮魚店で酒を飲む
地元にいる大学時代の教え子と出かけた。うまかった。安かった。ザッとした店内がなにより楽しかった。現場で飲食するスリリングさがある。食したのは、刺身、刺身の酢ぬたあえ、たこのマリネ、もずくの天ぷら、しま天ぷら。泡盛。鮮度が高く愉快である。
食べながら、シャッター通りとなった島原のアーケードを思う。潰れ消え去った鮮魚店の数々。自分たちが酒場として展開できると知っていたのだろうか。
他都市の魚屋もこれやればいい
島原アーケードの鮮魚店には魚種が豊富だ。開けはなった外はアーケードで雨も心配ない。量販店が決してまねできない形態を展開できる。たとえば鮮魚店、精肉店、豆腐屋、乾物屋等はこれに類する展開を考えてみるのもいいのではないか。島原アーケードは面白い通りに生まれ変わると思う。
なお、写真の節子鮮魚店の営業時間は12時~21時である。
沖縄 オススメの店「おふくろ」
島おでんうまし。驚きの沖縄酒場事情
沖縄に行ったら島おでんを食え。グルメを自称する旅人がそう勧めていた。豚足のおでんテビチが絶品だからと。出かけた店は那覇の「おふくろ」。早速テビチを食らう。トロトロになるまで煮込まれたそれは、口の中で溶ける。うまい。正直な話、沖縄にきてまで、おでんはなかろうと心の隅にあった思いは吹き飛んだ。おでんは、他にチマグ、大根、厚揚げ、しらたき。
飲み放題食べ放題2000円
大皿の料理も味わう。ラフテー、海ぶどう、島らっきょ、島菜、にが菜、各種チャンプル、もずく天ぷら等々沖縄料理の数々。
ビール、そして泡盛。これらを飲み放題食べ放題してなんと1人2000円也。一体どうなっているのかと思う激安価格だ。店内は地元の方々で賑わっており、一人旅の際のお勧めの店だ。
お盆の意味
お盆のルーツはゾロアスター教のウルヴァン?
次のようなコメントに出会いました。本当?
「お盆」は「盂蘭盆」から来てて、そのルーツはゾロアスター教の「ウルヴァン」である。送り火を焚くのはゾロアスター教の流儀だ。
「お盆」のルーツはゾロアスター教とは言いがたい
現生人類が、この地球上に同時多発的に発生したのではなくて、一人の母親・ルーシーから生まれ各地に分散して行ったのであれば、我々は、皆、同じような死生観を共有していよう。現世のこの世以外に、死者の国、つまり、あの世の存在、また、肉体のほかに「たましい」がある、と考えることなどなど。
漢人は「魂魄」と二種類の「たましい」を考えており、この二つの「たましい」が合体していればこそ、我々は生きている、と考えている。
だから、「お盆」の行事、すなわち、風習そのものについて、
> 「お盆」のルーツはゾロアスター教
とは言いがたい。しかし、「お盆」というコトバ(=ターム)の原語が
> ゾロアスター教
という指摘は、日本ではじめて「アヴェスタ」を翻訳した”上田・某(名前を忘れました)”が最初である。お盆が、いかにも仏教行事のように見えるので、「お盆=盂蘭盆」の原語を梵語に求めてはみたものの、ピッタリくるものがないのは事実。
ところで、話を最初に戻して、先祖や死者が、現世を訪ねてくるという「お盆」のような行事や風習は、人類に普遍的なもので、だから、その普遍性をとっかかりにして、宗教が移入されるわけであるが、
> 送り火を焚くのはゾロアスター教の流儀
以外にも、ゾロアスター教の影響は、東大寺二月堂の「お水取り」にも見られる。
日本のいわゆる「死者儀礼」は、中国の影響も色濃くあり、どの部分が日本古来なのか、ということは明確にはできないのだが、いわゆる「精霊送り」で爆竹を鳴らすのは、日本古来の風習ではない。あれは、完全に中国式。日本古来の習俗に従えば、ひっそりと静かにしめやかに人目をはばかって送るものだ。
さて、お盆の飾り物として、一番重要な呪具は、実は、「キュウリの馬・ナスの牛」だ。これは、右左をわきまえて、それぞれ分けて安置しなければならない。大事なのは、キュウリやナスでなかくて、馬・牛だ。このこと、今は、秘めておきます。
大閑道人さん、ありがとうございます。
ということは、「夏の日に、魂を送るのは古今東西にある行事であるので、ただちにゾロアスター教からとは言えない」でよかったでしょうか? 馬・牛の意味もぜひ教えを請いたいところです。
柳田国男はお盆(平たい器=トレイ))が語源ではないかと
「我々は、皆、同じような死生観を共有していよう」 けだし名言ですね 道人さん(^_^)v
盂蘭盆の語原がサンスクリット語(Ullambana)であろうと、アヴェスタ語(urvan)であろうと、漢訳の「盂蘭盆」となって渡来したのは早くとも五世紀以降のことであったでしょうし、明確に「盂蘭盆会」として日本書紀に初出するのは斎明天皇3年つまり七世紀後半のことで、それ以前に日本に「ボン(盆)」はなかったかというとそんなこともないようです。
「源順(みなもとのしたごう)集」にも「ぼに持たせて」とあり、神への供物を入れる器(瓮)を「ボニ、ボーニ、ボン」と言う方言は古くからあったようで、現在も一般名詞として残っている、いわゆるお盆(平たい器=トレイ))のことですが、柳田国男は これが語源ではないかと言っております。
寛永四年(1751)の『神国うすひき歌』などには、「盆の踊りは門火を焼いて 黄泉門に塞がる神まつり」と言う一節があり、他にも探せばあるようですが、古くは「ボニ~ボーニ~ボン」など日本の神祭りに関する言葉が、渡来の「盂蘭盆」と習合した と考える方が順当なようです。
胡瓜や茄子の牛や馬も同じく渡来の食物や動物であってみれば、当然渡来の仏教的意味が加味されるところとなるのでしょう(笑)。さらに説得力を持つ点は、このボーニ(瓮)が「ホトキ」と訓まれ「ホトケ→仏」と言う倭語をなす事実です。いろいろありますが 日本人は習合の天才なのです(笑)。
これ以上は長くなりすぎますので またいずれ(笑)。
胡瓜や茄子の牛や馬は中国的他界観
捨老さん
> 胡瓜や茄子の牛や馬も同じく渡来の食物や動物であってみれば
> 当然渡来の仏教的意味が加味されるところとなるのでしょう(笑)
いや、残念ながら、これらの「仏教的意味」はありません。むしろ、中国的他界観です。
道人さん、いさみ足でしたm(_ _)m。よかったら教えてください(^_^)v
死んだばあさまが云ったこと。「御先祖様が来るときは馬(キュウリ)に乗って早く来てほしい。帰りはゆっくりと牛(茄子)で行ってほしい」と云ってたけど、どうも俗説臭いです。
提灯を灯すのは、ご先祖様に迷わず帰ってもらう、ということはわかるけど、キュウリとナスの牛、馬は、中国的他界観?? 是非教えてください。馬鹿が想像するに、馬は現世と来世を行き来する為、牛は現世と来世の食料、肉も乳も、つまり、食うに困らないようにとの願い、では?
散人さん、俗説俗伝は あなどれません。深い意味を秘めてることが多いようです。俗人としては ちかごろはまっています(笑)
仏教伝来以前に神道にも「お盆」らしきものはあったようですね。日本は「神仏習合」で、ない交ぜにする。その最たるものが「神宮寺」。全国に多く存在する。どうもご都合主義的な感じがしないでもない。物語は似てくるのか。
しきたり。書き方は「仕来り」が普通だろうが、まぁ土地々の風習や慣例という意味合いだろう。このしきたりは「為来り」と表記する場合もある。この表記が意味に添う感じもする。文化は「異文化」と「自文化」との混合の歴史であるのかも知れない。特に我らが「日本」はほんの最近の明治維新を観てもそうだ。「お盆」行事の本家は実はないのだろう。全て「為来り」なのかも知れない。
牛・馬の正体は、地獄の門番である「牛頭・馬頭」
> 「御先祖様が来るときは馬(キュウリ)に乗って早く来てほしい、
> 帰りはゆっくりと牛(茄子)で行ってほしい」
誰が考えて流布させたのか、実に上手な表現です。
そもそも、牛と馬は、くっつけて置くのではなくて、右左に分けておかねばなりません。盆棚に向かって、左側が馬、右側が牛。その理由。我々は、本尊様に相対するとき、必ず、左側から進み、右側から戻ります。右回り。これは、インドにおいて、敬意を表する作法だそうです。往路は、左側。復路は、右側。この「右・左」は、そのまま、武官・文官の「両班」をも示し、向かって右側が、左側よりも、位が上。
そして、牛・馬の正体は、地獄の門番である「牛頭・馬頭」なのです(※ 馬頭。バトウではありません。メズと読みます。「ゴズ・メズ」)。お盆で先祖があの世から帰ってくるので、この世とあの世が曖昧・混沌とならないように、この世とあの世の境界線を守っている「門番」、それが「牛と馬」なのです。
「この世に戻るときは馬で。あの世に再び向かうときは牛で」という「教え」は、牛馬を盆棚に置かねばならない「理由」になっている。しかし、その本来の目的は、この世とあの世の混沌を避ける門番を置かせること。だから、「実に上手な表現」と感嘆するわけです。中国的他界観、とは、このことです。
道人さん ご教授ありがとうございます(^_^)v。いわば 中国的習合仏教と解釈して良いわけですね。日本では スサノヲが牛頭天王とされたのは、聖徳太子~蘇我馬子のころからだとも言われていますね。
冥府魔道の元公儀介錯人 拝 一刀、世間曰く「子連れ狼」に 仕事を依頼する目印は、「牛頭馬頭」の絵。
アメリカ人は世界地図などろくに頭に入っていない
多くのアメリカ人は世界地図などろくに頭に入っていないといいます。
今ウクライナが問題になっていますが、 アメリカ人の6人に1人しか、ウクライナの正確な場所を知らないという調査結果が出ていました。下地図が、問「ウクライナはどこ?」で回答者が指した場所。軍事力を行使するかもしれない国家がこの状況であることは現代社会の象徴にも見えます。
出典:http://www.businessinsider.com/heres-where-americans-think-ukraine-is-2014-4
長崎原爆と浦上天主堂
原爆で1万人の信徒が死亡
アメリカは長崎で最もカトリック教徒が多い地区に原爆を落下。10,000人の信徒が死亡。浦上天主堂は灰塵と化した。その写真と解説。中にカラーフィルムによる当時の動画が含まれる。クリック。爆撃機は「神のご加護を」と祈られ、浦上信徒を殺した
本年に出版された『人はなぜ平和を祈りながら戦うのか』並木書房。この本によると、長崎原爆投下戦闘機ボックス・カーの乗務員は全員出撃前、従軍牧師による礼拝を終えた。「神のご加護を」と。で同じ浦上信徒を万単位で殺した。
永井隆博士もカソリック信徒であった。私の兄は永井博士から父が頂いた「黒いロザリオ」を今でも大事に保管している。父は被曝後20年で肝臓に障害が出て死亡した。
長崎原爆投下戦闘機ボックス・カーにテニアン島で祈りを捧げたジョージ・ザベルカ神父は、長年、「原爆投下は正しいことだった」としていたが、終戦から40年近くが経った1984年、「イエスに機関銃を持たせたのは私だ」と深い懺悔をして、来日したのち「原爆投下は間違いだった」と告白している。回心後のザベルカ神父は、核廃絶運動や平和活動に身を投じている。
また近年、広島原爆投下戦闘機エノラゲイには、カトリック神父であったジョージ・ザブレッカが同乗していたことが明かされている。宗教の後ろだてがなければ、良心で、大量殺戮はできない機長や乗組員に原爆投下を行わせるためだったという。彼は後に想像しうる最悪の裏切りの一つであったと認めた。
出典:外務省「ミゲル・デスコト・ブロックマン第63回国連総会議長あいさつ」
被爆した母
書かねばならない事実。
私の母親は、被爆当時17歳、軍需工場へ路面電車で向かっており、運転手のすぐ後ろに座り、開け放した窓から肘を出していた。長崎駅前で客を乗せ終えた電車が、ガタンと動き出した瞬間、閃光を見たことまでは覚えているという。気が付いた時は、電車の最後部に飛ばされた死体の山の最上部だった。
「皆んな、死んどったと?」
「ようわからん」
「電車が燃えているぞ、降りろ~」と叫ぶ人の声で、我に返りどうにか降りたが、周りは瓦礫と人や馬の死体だらけ。泣きながら家へ走って帰った。
「どんな光景だった?」
「何度も躓いたけど、何んも見えんかった」
家に着いたが跡形もなかった。家族が「今日は墓に行く」と言っていたことを思い出し、爆心地から離れた寺町の墓で、無事な祖母、祖父を見つけた。その夜は墓で一夜を過ごし、他の家族を探しながら、親戚がいる佐賀へ向かうために3人は爆心地を2昼夜も彷徨い、ようやく市内外れの駅へ辿り着いた。
佐賀から来たという人から真っ白なおにぎりを頂き、その夜はそこで一夜を明かした。朝目覚めると真夏だから蛆虫の湧いた負傷者、死体の中で寝ていた事に気付いたそうだ。
「お袋は、放射能に強かったけん、今でも元気かとばい、 2日も浴びたとやろ、黒い雨は降ったね?」
「よう覚えとらんとよ、怖くて怖くて」
これ以上は、思い出せないらしい。車内だったこと、運転手の真後ろで熱線を浴びなかったこと、先に飛ばされた人々がクッションになったこと、そんな幾つもの不幸な人々の犠牲の上での幸運が、母を助けた。未だに、電車の窓枠に載せて外に出していた左肘に、ケロイドが残っている。多くの女学校の同級生は、爆心地に近い軍需工場で亡くなった。遅番だったことも、母を助けた。
佐賀の駅に着き、多くの非戦闘員がとぼとぼ歩いていた時、米軍戦闘機の機銃掃射で、何人か亡くなった。母は、パイロットの顔を見たという。
本日の長崎新聞
地方のメディアがある幸せ。
マクドナルドの方針広告
自分たちは被害者だと言い放ったカサノバ社長が出した新聞広告
自分たちは被害者だと言い放ったカサノバ社長。
ということは、「私たちは管理責任をとらない会社です」と日本文化上読み替えられるだろう。
上の新聞広告も、謝罪広告ではなく、これからの方針広告。こうして招いた売上低下と株価暴落。
不思議な点はマスコミの対応。日本企業ならこれほどすんなりと追及が終わっていまい。
株主向け
この「謝罪」広告は、消費者向けではなくて、株主向けでしょう。 事件発覚二週間後、売り上げが激減したから、こういう広告になったのです。
若者を賞賛すべし
ボランティア数の推移 (内閣府) |
「今の若者はだめ」
そんな言葉を時折耳にする。そうか?
私の若いころに比べれば、立派なものだと思う。
東北大震災の際、多くの若者が立ち上がったことを忘れない。出かけられずとも、その志があった者は多数であったと推察する。私たちの世代で、同様の惨事が起きていたら、あれほどの多数にはならなかっただろう。
今の若者は少なくとも私たちの世代よりも立派だ。私の大学時代よりもずっと学んでいる。健気なほど学んでいる。
確かにバイタリティがないかもしれない。けれど昔の世代のバイタリティの多くは立身出世欲に立脚している。大久保利通の年収は現在の額で1億4400万円、伊藤博文が1億9600万円。その他はこちらでご確認を。
中高齢者が無計画なる莫大な借金を残していこうとしているのも関わらず、彼らは健気に頑張っているのである。賞賛すべし。