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  • 2015_08_31

    経県マップ


    「経県」とは地理好きが集まるサイトで考案されたもので、全国47都道府県の経験を6つのレベルに分けて捉えられます。
    私の経県した都道府県は上記のとおり。宿泊が25都道府県。自分としてはここまでだとは思っていませんでしたので、この作業をして改めて再認識。けれどググルと経県値が少ない方のようですね。小島さんあたりは高そうです(ご本人からレス 「経県値:152 点でした」)。九州はホテル泊の他にキャンプ泊も全県させていただいていると思います。
    訪れた中で一箇所だけ強い印象の都市を挙げるなら金沢。日本史のイメージが変わりました。
    訪れていないのが、青森県、秋田県、山形県、群馬県、新潟県、和歌山県。圧倒的に東北の経県が薄いことが明らかですね。
    経県値142点。こちらのサイトで測ることができます(クリック)






  • 2015_08_30

    堆朱香炉台


    堆朱香炉台(ついしゅこうろだい)。堆朱とは油を混ぜた漆の厚い層を彫刻したもの。






  • 2015_08_30

    引っ越し


    娘の引っ越し。一家総出で力を合わせ作業。幸多かれと親心。





    • 2015_08_29

      野外活動初体験の記憶2


      私の野外活動初体験の記憶を記します。
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      海辺の村に生まれました。家の前が砂浜。夏になると「お縁(おえん)」と呼びならわしたデッキを砂浜にそって設置するのが、わが家の年中行事でした。木材を張って作られたデッキの上には、同じく木材で頭上に構造が組まれ、これにグリーンカーテンを這わせて日陰をつくっていました。この場で夏場の多くは食事をしていました。3世代家族。職人の家でしたので住み込みの職人さんたちもいました。冷やしそうめんや、有明海の食材たとえばカニだとかタコだとか様々な魚が並んでいました。今考えれば結構な高級食材が普通の家庭でも食されていました。豊穣の海、有明海。
      海水浴に来た山手の友達たちはよく私のところに顔を覗かせていました。声をかけられると海パンに着替え、自宅のお縁から砂浜に出ていく。そう、自宅が海の家のようなものだったのです。

      秘密基地づくりも夢中でやっていました。海辺には「ダキビ」と呼んでいた多分メダケ(女竹)が繁茂しているところがあって、これの一方から分け入り、内部を切り取って友達たちと秘密基地にしていたのです。

      やがてわが家は浜辺に近接する場所を離れ、国道沿いに住まいを移しました。それと前後する様に海辺には武骨なコンクリートの堤防が延々と築かれ、私たちの生活は海と切断されていきました。こう書きますと、海辺の生活が好きだったように感じられますが、実は山林の生活に憧れていました。今も海辺より山林でのキャンプを好んでいます。海辺の塩を含んでベタつく風が苦手でした。

      家族でキャンプに連れて行ってもらった経験はありません。中学校時代からキャンプへの強い憧れはありましたが、長いことキャンプをする機会はありませんでした。子供の時代、テレビをつけるとアメリカのヒッピーたちの姿が映し出されていて、あの何物にも縛られない放浪生活への憧れも私のどこかに続いています。駅のベンチに寝泊まりするような旅行をしてみたいなと今でも心のどこかにあるのです。

      アウトドアへの動きが具体化し始めたのは20代後半、島原に転勤になってペンション『星のきかんしゃ』に出会ったことにあります。店主の俵山さんは焚火やデッキでのバーベキューを楽しむことを常としていました。彼とは後にキャンピングカーで九州各地を放浪することになります

      初めてのキャンプは雲仙の田代原で。まだ独身で飲み仲間の松永くんと「これだけ毎週飲み代を使うんなら、キャンプで豪遊できるんじゃないか」と話したことに端を発します。二人で出かけた田代原にテントを張り、テーブルとイスをセットし、満月の夜にオペラをかけながら、ステーキとワインを楽しんだのが始まりです。

      その後、ほとほと道具の多いキャンプスタイルが嫌になり、トレッキングして最小限のアイテムでの野宿にはまっていた時期もありました。握りこぶしぐらいのサイズのバーナーとランタン。冬場もテントを張らず、シュラフとシュラフカバーで眠るとかですね。あれもまた楽しかった。

      こうして今振り返ると、現在の自宅のバルコニーにデッキを張ったり、里山を楽しんだり、山野で音楽をかけながら焚火を楽しんだりという現在のライフスタイルの源流を自覚してしまいます。






    • 2015_08_28

      野外活動初体験の記憶


      いわさんの 野外活動初体験の記憶に聞き耳をたててみましょう。
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      初めて、焚火で飯盒で炊飯したのは、小学校教師であった父が、教え子の6年生を何人か連れて飯盒炊爨に行くのにオマケで連れて行ってくれた時でした。当時小学校3年生だった様に思います。恐ろしいもう46年も前のことですよ。飯盒で焚いたご飯が美味しくて、飯盒炊爨が好きになりました。しかし、父が連れていってくれたのはそれっきり。うちの父は邪魔くさがりで、しなくても済む家庭サービスというのは一切なく、家族旅行の経験も皆無な家庭でした。

      初キャンプは、小学校5年生の時の夏休み子供会キャンプですね。ビニロン製の家形テント。飯盒炊爨して、キャンプファイアーして、テントで1泊。今思い返すと、何が面白かったのかと思いますが、当時は楽しかった。楽しいわけですが、年に1度しかない。親は連れて行ってくれない。この渇望感が後のエスカレートに繋がるのではないか、という気がします。

      小学校高学年から、天体に興味が湧き、お年玉を溜めて、中学に入って、口径10cmのニュートン反射望遠鏡を買いました。これをネタに友人と良く、星観キャンプをしてました。キャンプと言ってもほぼ徹夜。小学校の運動場ですることが多くて、テントは張らず、朝礼台の下で夜露をしのいでました。しょっちゅう職質されてましたね。学校にも連絡が行ってたようですが、先生は何にも言わなかったです。私たちの仲間は結構優等生組だったからでしょう。話は変わりますが、天文系は、夜間になるから学校での指導は困難でしょう。指導できる教員もほとんど居ないのも致し方ないですね。

      明らかにこの延長で、高校に入ると山岳部に入ってしまいました。週末毎に近くの中低山で登山と幕営を頻繁に繰り返してました。特別にキャンプしようという感じじゃないですね。ケロシンストーブで炊飯、ふりかけ、漬物、味噌汁位の食事。全部家から持ち出してきた物。お金もなかったわけですので。近所の中低山なので、移動も自転車ですしね。しょっちゅうやってましたから、なんだか分からないけど楽しかったに違いありません。

      なんか純粋にプレジャーなキャンプというのは、自分に子供ができて、ファミリーキャンプに行くまでしたことがなかったですね。ファミリーキャンプも女房に言われてなんですけどもね。いつも、テント張って、煮炊きするのは、登山とかカヤックとか星観とかでの宿泊食事手段でしかなかったわけです。キャンプ自体を楽しむ目的とするというのは、しなかったわけで、キャンプ経験値少ないと言えますね。キャンプの遊び方をあまり知らないわけです。

      今更どうするとか、どうしたいとかもないのですが、涼しくなって、快適なこれから、外で過ごす機会は増やしたいです。星観キャンプもしたいと思います。






    • 2015_08_27

      「ですます」調

      近年ここに書いているコラム様式に3つの変化がありました。
      一つ目は、写真・画像が大型化したこと。これは通信速度とサイト容量が向上したことが最大の要因。一昔前にこんな大型の画像を張ると、ページの立ち上がりに日が暮れていました。
      二つ目は、文字を大きくしたこと。これは私の老眼進行に伴い、サイトデザインの考え方が変わったことが原因。小さな文字を使いますとスタイリッシュな印象を与えるのですが、伝わらないではお話になりません。
      三つ目が、文体をますです調にしたこと。日常会話に近い文体による伝わりやすさを考慮したものですが、気が変わったら変更するかもしれません(笑)。
      さて、「ですます」調の文章は、明治期の言文一致運動の先駆者山田美妙(やまだびみょう)に端を発しています。会話での歴史となりますと、「ます」は足利時代から徳川時代にかけて、「申す」が転じたと推察されています。「です」は「ます」より遅れまして、「であります」が、遊郭の言葉「であんす」となり、さらに転じて「です」になったのだろうと。つまり「です」は遊郭で流行ってたギャル語からという訳です。






    • 2015_08_26

      凶悪な動物



      ビル=ゲイツがサイトに投稿した図表。
      サメは凶悪なイメージがありますが年間10人の死亡に留まっています。
      最も人殺しの動物はカ(蚊)。それに続くのが人間。考えさせられるデータです。
      なおサシガメというのは、一部がヒトを吸血し感染症を引き起こすカメムシ目の昆虫。
      カタツムリによる死亡は、その体内に潜む寄生虫によります。野生のカタツムリを食するのは非常に危険。エスカルゴは専用施設で飼育されているためにこうしたことが起きないとのこと。
      またイヌによる死亡も25000人と多いようですが、野犬化したものは飼い犬と別物だと思ってください。特に山野で群れでいる場合、極めて危険な動物となり、私もかつて大変な目にあったことがあります。対峙した時にヤツらの目は人の喉笛を狙っています。本来犬は肉食の動物なのです。






    • 2015_08_25

      台風と街のかたち

      台風の上陸数が多い都道府県は、沖縄県、鹿児島県39、高知県25、和歌山県22、静岡県19、長崎県14の順位。ただし気象庁は台風の中心が北海道、本州、四国、九州の海岸線に達した場合を「日本に上陸した台風」としています。ですから下表に沖縄県は含まれていません。別格扱いされているんですね。


      この台風上陸頻度と街のかたちは大変影響し合っています。
      かつて焼酎「白波」の工場を訪ねて鹿児島の枕崎に行ったことがあります。台風銀座と言われる枕崎。街のようすに驚きました。

      ストリートビューで枕崎の様子をご覧になってください(クリック)
      。なにか気づきませんか?
      答。強風に飛ばされやすい看板が極端に少ない。全国チェーンの店舗以外は、看板に書くような店舗名も、建物自体に書かれています。

      沖縄県の場合もっと徹底されていて、基本的に家屋は風に強い鉄筋コンクリート(クリック)
      。窓には風で飛ばされてきたものに破壊されないように格子が付けられています。木造一戸建ての家なんてまず見かけませんし、地元の人にお聴きしたところ木造家屋を立てようと思ったら、地元で探すのが難しいとのこと。

      一方、台風がめったに上陸しない北海道は札幌のようす(クリック)。
      ここに九州に来るような台風が上陸したら、通過後はボロボロになることは想像に難くありませんよね。






    • 2015_08_24

      夏の日


      夏の日。物憂い午後。青い空。研究が進むにつれて威厳を失っていくティラノサウルス。






    • 2015_08_23

      グランピング


      グランピングが一部で流行ってきてるとか。たとえばこんな感じ。

      「アウトドアを、キャンプを、楽しんでみたいという気持ちはある。だけど正直、知識もなければテントも持っていない。だからなかなか実践までには、至らないのよね。そんなあなたにおススメなのが、“グランピング”という選択! その語源は、グラマラス+キャンプ。アメリカを中心に世界でブレイク。アウトドア初心者女子にはもってこい 。木立の中で素敵なひとときコテージで快適にオシャレにお酒を楽しめてデッキで気ままに過ごしたり、バーベキューなんかも楽しめて揺らめく焚き火を見つめながら過ごしたり音楽も欠かせません。」

      え~っと、↑これは私たちの里山遊びそのものですね(笑)。

      【募集 里山遊びの仲間】
      え~、野遊びを愛する快活な方々を探しています。島原半島にある私たちの里山に遊びに来ませんか。私たちの様子はこちら(クリック)
      今も遊び心満タンの私たちですが高齢化でパワーダウン(笑)。出入りの比較的お若い方々もプライベートが立て込んできています。森を楽しむにはフットワークがいります。求む、若き野遊び人。焚火を楽しみ、伐採を楽しみ、そして森の中の枕木デッキで宴会を楽しみたい方。条件は自分の寝袋を持っている、あるいは今後購入しようと考えている方です。体験的宴会参加歓迎。定期会費なんぞというヤボなものなしのお気楽野遊び仲間です。まずはメイルミー(クリック)。






    • 2015_08_22

      ストイック東北2


      写真は中尊寺。金色堂内部は写真撮影不可。写真を通してだけでは分からなかった螺鈿(らでん)の素晴らしさを知ることができました。至宝です。蛇足でしょうが、金色堂は現在写真のようなコンクリート製のカバーともいえる建物の中に鎮座されています。
      北陸では観光ポイント間に距離があり、これに比すると長崎の観光ポイント密度は特筆に値します。さらに中尊寺は別格として、他ポイントはいわれに存在価値を見出しはしろ、それ自体は朴訥なものが多いようでした。「あれっ?これだけ」という感じですね。
      このことは食文化にもそれを感じました。名物が炭水化物中心。
      不思議だったのは、内陸部にあり海から離れた都市の繁華街の酒場が、新鮮な魚介類を押していること。たとえばジビエを押していけないのでしょうか。また九州では繁華街のメインストリートはブティックなどに占められ、歓楽街は一筋奥まった通りにあるものですが、盛岡では繁華街通りに並んでいました。






    • 2015_08_21

      ストイック東北



      東北新幹線ルート
      岩手は長崎のような浮かれたお祭り気質が薄いストイックな土地でした。
      30年前、東北出身の方に 「東北地方って、内陸部は深い森に覆われ、人々はリアス式海岸にひっそりと住まわれている印象があります」 と失礼極まりない発言をしたことがあります。大きな誤解。内陸部にこそ大きな都市が点在します。東北新幹線が東北地方の内陸部を走っていることから分かります。沿岸部へは島原鉄道のような細いアクセスラインでつながっています。長崎人は海の近くに都市はあるものと思い込んでいるための大きな誤解。
      降り立った都市は色彩のストイックさが印象的でした。東北から長崎を観ると、まるで東南アジアやインドに繋がる鮮やかな色彩を感じます。鮮やかな看板、ノボリ、そしてネオンの九州。それは雪積もる世界では損傷を受けやすいという実害と同時に、モノトーンの銀世界で過ごす目には夏場も色彩は限られたものが好まれるのかもしれません。この傾向は北欧の都市にも見取ることができます。フィンランドの首都ヘルシンキと盛岡市をストリートビューで観るとそのことをお分かりいただけると思います(↓クリック)。

      ヘルシンキ

      盛岡
      また、遠い所からシ~ンという大地の音がいつも響いているのを感じました。それは都市部に入っても変わらず、車が行き交おうと、人々のざわめきがあろうと、淡いスノーボールのように地霊の響のようなものがあたりを被っているのでした。今後もこの音なき不思議な音の印象が東北の第一の印象として私に残ることでしょう。

      • グッドマンさんのコメント
        この夏,ちょうどヘルシンキに行ってきたところです。まつをさんの書かれている通り,ヨーロッパの他の街と比べて穏やかな街並でした。人々もです。ベルリンにも立ち寄ったのですが,以前とくらべてさらに猥雑さが増していました。それはそれでまた魅力的ではあるのですが。






    • 2015_08_19

      松尾順造写真展


      8月29日~9月6日、KTNギャラリーで写真展がいよいよ始まります。 初日29日の15:00~15:30は オープニングイベントとして松尾薫さんのピアノコンサートが開かれます。 入場フリーです。 ご来場をお勧めします。






    • 2015_08_18

      褐色化した写真2


      これもまたすっかり褐色化した写真です。何作か絵のモデルをつとめてくれた子のショット。写真を整頓していますと、こんな写真がひょっこり出てきたりします。






    • 2015_08_17

      褐色化した写真


      大学時代の写真を久しぶりに見てみると褐色化。ここまで変色した様を目の当たりにしますと、自分の若い頃が遠いものになったのだなと。1970年代前半。帰らざる日々です。
      私が19歳の頃に描いた壁画。レスポワールという店。学生が寄りつくには敷居の高い店でした。
      絵を描くことに没頭していた時代。法学が専門だったんですが(笑)。今では髪も短くなり、タバコもやめ、ザ・バンドの音楽なんかもまったく聴かなくなりました。






    • 2015_08_16

      旭亭


      庭木に自動散水装置を付けて1年。明らかに植生に影響が表れてきました。散水の状況によって苔が衰退した箇所と進展した箇所が明快。さっそく水の角度をアルミニウムワイヤで調整すると同時に、水圧の低い端末は回転式スプリンクラーを装着しました。






    • 2015_08_15

      お盆








    • 2015_08_13

      八ヶ岳倶楽部


      あの冊子に出会ったのは島原の書籍コーナーでした。タイトルは『風景を作る人 柳生博』 大人のための絵本のような美しいムック。この本がなかったら、私は里山道楽を始めていなかったでしょう。3年ぐらいこの本を眺めた後、里山づくりを始めました。2001年、21世紀が始まった年です。
      その憧れの地にぞうさんが導いてくださいました。合掌。
      写真は八ヶ岳倶楽部の入り口。ここからもお分かりのとおり、柳生さんは並外れたセンスをお持ちの方です。敷き詰められた枕木の圧倒的量感。地を覆う低木と、空を淡く覆う高木の知的バランス。背丈高にあたる葉を落とし枝を透かして見せる後ろの築物の佇まい。アクセントとしてのポストの真紅。そして全体を覆う落葉樹の葉独特の軽やかな緑に染められ飽和する光。訪れる者の視線を迷いなく導くデザイン感覚。ただただ美しい光景です。






    • 2015_08_12

      観光客にお勧めの昼食


      その後の観光の展開を考えてセレクト。
      ・銀嶺 トルコライス 1000円
      ・和食よひら しおん 2700円
      詳しくはこちらをクリック!






    • 2015_08_11

      8月の里山バー


      転がる空き瓶に歴史あり。
      そんな里山史上初の8月に楽しんだバー・カバノン
      定員席わずか5席のカウンターが伸びた男の隠れ家。
      元演劇家、現代美術家、エンジニア、そして初来訪の20代青年。うれしい限りです。
      外では焚火も。
      夕刻は室内のカウンターで、深夜は屋外で爽快に過ごせます。

      帰路は島原鉄道で。車内は快適でした。車窓外のうだるような暑さの風景は、蜃気楼のように現実感を失っています。






    • 2015_08_10

      雲仙焼 石川裕基 作品展


      8月19日(水) ~ 8月25日(火)  (最終日は午後6時閉場)
      長崎浜屋 6階陶器売場イベントスペース
      雲仙焼さんの若き陶芸家の作品展です。ご来場をお勧めします。






    • 2015_
      08_09


      長崎市への原子爆弾投下







      • 長崎ではすべての学校が登校日となり、投下された時間に黙祷で街が止まります。
        ご一緒に黙祷いただければ幸いです。






    • 2015_08_08

      浦上天主堂再現プロジェクト


      「浦上天主堂再現プロジェクト」は、浦上天主堂の歴史、原爆の惨状、戦争の凄惨さやキリシタン迫害の歴史、 それらを受けて、尚、復興していく様子をプロジェクションマッピングという手法を用いて、現在の天主堂の壁面にCG映像で再現するアートプロジェクト。
      1945年8月9日、爆心地から近かった浦上天主堂は倒壊。1958年2月、長崎市議会は浦上天主堂の原爆資料保存に関する次の決議案を可決。 「元浦上天主堂は、今次対戦による原爆資料として貴重なることは周知の事実であるが、これが存置について長崎市議会は重大な関心を持つものである。よって残虚保存対策について更に努力を重ね善処されんことを要望する。」 しかし同3月、浦上教会と、渡米後に市長が議会決定に反して撤去を決定したため、旧天主堂の廃墟は撤去されることになりました。
      今回のプロジェクションマッピングは、倒壊された天主堂及び信徒の皆様方の無念を再現し観る者に迫りくるものがありました。会場に詰めかけた多数の鑑賞者も水を打ったような静寂の中で映像を見つめていました。これほどコケ脅しではない精神的・感動的プロジェクションマッピングを観たことがありません。
      明日8月9日は長崎に原爆が投下された日。私の周辺でも、式典出席、慰霊祭、講演と様々な取組と準備が進んでいます。






    • 2015_08_07

      原爆は国際法違反である

      長崎への原爆投下の翌日、日本政府は、国際法違反であるとアメリカ政府に抗議しています。原爆使用は、ハーグ陸戦条約の法規慣例に関する規則第22、23条に違反していると。
      • 第22条: 交戦者は害敵手段の選択につき、無制限の権利を有するものではない。
        第23条: 特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り。
         5 不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること。
         7 戦争の必要上、やむを得ない場合を除く敵財産の破壊または押収。


      1963年12月7日、東京地裁は、原爆投下は国際法違反であると判決を下しています。
      1996年7月8日、オランダ・ハーグの国際司法裁判所が核兵器の使用を「一般的に国際法違反」という勧告的意見を出す。

      極東国際軍事裁判において、ブレークニ弁護人は、原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第4項が禁止する兵器だと指摘しています。
      また同裁判でパール判事(クリック。この動画の閲覧をお勧めします)は、米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスのホロコーストに比べられる唯一のものであるとしました。
      またパールは、戦後広島市での講演で、「アメリカは原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。日本はすでに降伏すべき用意ができていた」と述べています。アメリカ内部でも、アイゼンハワー将軍は、対日戦にもはや原子爆弾の使用は不要であるとトルーマン大統領に進言していましたし、マッカーサーも原爆が投下されたと知ったとき激怒したと発言しています。






    • 2015_08_06

      広島





      • 散人さんのコメント
        ニュークリアー・レイシズムという言葉がある。それは、核による人種差別である。何故 広島・長崎だったかの理由を解く鍵もそこにある。人種差別であった。ウラン採掘、核実験、核廃棄物処理場の場所、も先住民族の土地を選んだ。1954年にビキニ環礁でアメリカは水爆実験をした。第五福竜丸が被曝した実験。ブラボー実験、ブラボーはビキニ水爆実験のコードネームである。ふざけたネーミングだ。土地のロンゲラップの先住民たちをアメリカ原子力委員会は「文明人ではないがネズミより我々に近い」と見下ろした。私はアメリカ贔屓の日本人の気持ちが分りません。






    • 2015_08_05

      広島長崎被爆の報道、日米比較

      まず日本。
      原子爆弾 広島市の惨害 (日本ニュース 第257号) ←クリック
      続いてアメリカ。


      両国の伝え方の大きな格差。伝え方は大事です。しっかり報道。






    • 2015_08_04

      ベランダに寝る

      ベランダに寝ようと画策しています。若い頃はよくキャンプしていました。ですから基本的に外が好きなのです。それに夏は涼しく寝たい。
      わが家のベランダはウッドデッキにしています。ここに簡易なビーチベッドを設置。昨夜、薄手の夏布団を持って横になってみました。快適。
      わが家のベランダは、遮光網で外からは見えませんし、風も微風に調整されますし、これが蚊帳の役割も果たしているのと高度もあって蚊がいません。
      世界の各地では暑さをしのぐためしばしば外寝がされています。その1その2
      日本でも「外寝」は俳句の夏の季語になっているほどポピュラーなことだったのです。
      昨夜は深夜12時に目が覚めてからの試みだったためでしょうか、ウトウトはするものの寝付くには至りませんでした。今度はラベンダーオイルを垂らしてやってみましょう。






    • 2015_08_03

      リーマン予想

      夕食を採ったあと横になり、目覚めるとまだ12時。今年まだ熱帯夜を経験しないのは幸運なことです。窓から通り抜けていく微風。目の前には谷の向こう側に点在する街灯の光。ここは山。

      • 捨老さんのコメント  ~数の虜囚~
        この土地の古い住人だったタバコ屋の婆さんが、最初から何故かボクを気に入ったらしく、事あるごとに「ちょっと来て」と電話をよこしては、昔ながらの地産物を分けてくれたり、それを持ち寄ってくる古参の仲間に「私のイロよ」と紹介しては磊落に笑うものだから、ボクも「イロです、ヨロシク」と挨拶したりしているうちに、近所ではボクを古参の住人だと思っている人も少なからず居たようだ。
        ボクの家屋に隣接して、地主が植木の養生林としてとして取っておいたと言う百四十坪ほどの土地があり、現代的な住宅街の中で、ちょっとした森のようにこんもりと緑地をなしていたが、タバコ屋の婆さんを介して仲間になった地主が、「植木を商売にしてるわけでもないから、庭続きとして勝手に使ってくれ」と言うから、これもまた近所の人には、ボクの大邸宅の庭(笑)だと思われてるらしく、子供らが幼かった頃は恒例のキャンプ場として活躍もした。ボク自身も酔っぱらって帰っては、家には入らず林の中で寝ることが、最近まであったが、この森で、タバコ屋の婆さんの倅と一度だけビールを二人で飲んだことを思い出す。
        婆さんの小店の裏は、表からは想像も出来ない古色蒼然たる和風の邸で、店舗の奥のドアから廊下続きになっている、その母屋に招き入れられた事があった。独り暮らしだとばかり思っていた婆さんが、同居の倅を紹介してくれたのだった。庭風が涼やかに流れ込む座敷を抜け、薄暗い奥の襖を婆さんが開けて、何か一言二言、中の住人に声をかけ、ボクは促されるまま中を覗き込んで息をのんだ。
        何というか、よくある作家の部屋の、山と積まれた書籍や資料、などと云う程度ものではない。壁や天井までも埋め尽くした数と数式の付箋、黒板に這い回る謎の線図。その谷間から、もう伸び上がることもないらしい背骨を捻じって挨拶をする小男に、ボクも反応したが、制するように婆さんは、そそくさと襖を閉じ、座敷に戻りながら、自分の頭を人差指の先でつつきながら「サンスウ馬鹿さ」と、軽やかに笑った。古参たちの口の端に上ることもなかった婆さんの倅は、近所では存在さえも知られてない風だったが、ちょっとは知られた素数学者だったのだ。
        以来、婆さんに呼ばれるたびに、彼は奥から傴僂男のように現れて、下手な挨拶会話を交わしては奥に引っ込むことになったが、どうしたワケか、ボクが酔って帰る真夜中の路で、彼も出てきて挨拶するようになった。それで一度、庭の森のベンチで自販機の缶ビールで乾杯することになったのだったが、その後、彼が夜中の路に出てくることもなくなった。どうやら、ボクが不用意に発した「今度一度、一緒に飲みましょう」という言葉を、約束として彼は果たしたかっただけのことのようだ。
        婆さんが死んだ日、彼から電話あって、急いで訪ねてみると、まだ通夜の客さえいない部屋で、彼は婆さんから預かったと言う茶封筒を、無造作にボクに渡した、おそらく中身も確かめないままだったろう。
        やがて一年も経ったろうか、彼も後を追うようにして逝ってしまった。それから、暫く空家となっていたタバコ屋の家屋も、遠くに嫁いでいた姉妹や縁者たちの話も折り合いがついたのか、姉の亭主がビルに作り変えたようで行き来もなくなったが、ボクは茶封筒を隠し持ったまま途方にくれるばかりである。
        婆さんよりも、以前に逝った地主の生存時のサインと印も仰々しい、庭の森の登記證が地主の念書とともに婆さんの保証書まで添えて入っていたのだ、ボクの名義になって、ずっと以前から、税金の変化に気付いてはいたが確かめないまゝ気にもしないで過ごしていたので、改めてそれなりの人を頼んで、登記識別情報を調べてもらったが、どうやら間違いないようだった、どういういきさつがあったのか、この期に及んでボクはただ、面倒な事が起らないことだけを祈りつつ、女房子供にも秘密にしたまま、「預かりものだから、遣わせてもらうからには手入れを怠るな」とだけ言ってある。
        偶然の規則さえ交り込まない「絶対不規則」に定理などと言うものがあるのなら、それは宇宙の痙攣のようなものに違いあるまい。不規則自体が定理なのだ。おそらく、自らを虜囚とすることもある人の心のようなものだ、などと考えたりする(笑)。「予想が間違いであってくれさえすれば、人生はずっと楽なのだ」 だったら、予想など、まして予定など、どんどん捨ててしまおう(笑)。もう、楽にして生きましょう(^_^)v






    • 2015_08_02

      夏日、エアコンなしで

      ウ~イという感じで起きた日曜日。昨夜のいきなりオフ会では、中島さんじだらくさん、そしてライトワークスさんお世話になりました。
      そうそう、斎藤さんに、ライトさんが新しいサイトをつくってもらったようで、そのことが新聞記事にもなり平和っていいなと実感。そのサイトのライトさんとのアクセス方法解説が秀逸。

      朝から、機械屋さんのところにお伺いし、まな板のクリーンナップをお世話になると同時に、新品一枚を頂くことになりました。合掌。

      今日は微風があって過ごしやすく、エアコンなしで過ごしています。ここは山。昼寝して起きて太陽熱で沸いたシャワーを浴びて、ゆったりと。誰か飲みにこないかな。ここでは夏でも爽快に飲めますよ。夏を楽しめるのもあと2週間、お盆まで。
      結局この日は一日、エアコンなしで生活できました。 考えてみると8月になってエアコンなしで過ごしたのって ここ数十年ではじめてじゃないですかね。

      ↑ガッカリ大賞 in いきなりオフ会。
      築町さいさきやが提示せし驚きの一品。
      右側のメニュー表「築町煮込み400円」を見られたし。
      「お、これはつややか。うまそう」
      で注文して出てきたのが左側のブツ。
      「ど、どうした?! この久本雅美的出がらし感は何だ? こんなの誰か注文した?」 
      しばらくの物議の後、次第に
      「これが築町煮込みという商品なのではないか? ええ? 色違うし、貧相だし、中身の3分の1はコンニャクだし、びっくりするぐらいチッチャイし……そ、その、久本雅美的だし……」
      と諦観が漂い始め。苦笑しながら写真撮り。
      下動画はマックの実際の商品と広告の見た目に大差があることに対して、広告用写真の作成現場を紹介したもの。これだけ修正すれば別メニュー。








    • 2015_08_01

      この歳になってわかったこと

      その一 蝉が嫌い
      世の中にたえて蝉のなかりせば 夏の心はのどけからまし
      蝉が嫌いです。大声で四六時中ガナリ立てている奴はノイローゼに違いありません。私が「夏が嫌い」という時の、50%程度は「蝉がガナリ立てている夏は嫌い」と言っていることだと数年前に自覚しました。けれど今年の夏からは大丈夫。この前の冬に内窓を付け、外の音がほとんど入ってこなくなりました。救われました。
      さらにこの内窓は冷房の効きを格段に上げてくれます。わが家はこの夏、中島カーテン(シルバーの遮光網)、サッシ、内窓、ブラインドと、四重バリアで猛暑を乗り切る所存。ガラス面積がやたらと多いグラスハウスで乗り切るには相当の工夫が必要です。
      写真はベランダに張った中島カーテン。外も見えていいですよ。

      その二 床に寝るのは体に悪い
      体を鍛えるという意味もあって、フローリングの上で寝ていました。正確には、フローリング、キャンプ用銀マット、カーペットと敷いた上で眠っていました。サイト上でも床にシーツで寝ている人が体に良いと書いていたりもします。どこかのお寺でも修行僧はそうしていたのではなかったかと思います。冬もそんなスタイルで眠っていました。
      1年間やってみました。結果、体に悪い。いけません。フトンで寝ましょう。体がガタガタになる感じです。腕のつけねとか調子が悪いですね。それから歯の噛みあわせが悪くなります。

       

       

       

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    Plofile まつを


    デザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。↓これは私の作品たち。

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。