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2016年10月



2016_10_29

博多湾と有明海はつながっていたのか?

博多湾と有明海はつながっていたという説

真鍋大覚(まなべ だいかく)の「博多湾と有明海はつながっていた」という説をご紹介しておきます。氏は九州各地のボーリングでのハイガイ化石調査による放射性炭素年代測定を元に、3,500年前の古代九州の状況を次のように発表しています。以下ウィキから転記。

  1. 博多湾と有明海は太宰府付近を瀬戸にしてつながっていた(真鍋はこれを「針摺瀬戸(はりずりのせと)」と命名している)。
  2. 福岡平野,筑紫平野は海底にあり、福岡地方は群島だった。
  3. 島原半島は雲仙岳をいただく大きな島だった。

博多湾と有明海はつながっていなかった

博多湾と有明海はつながっていなかったというのが、現在の通説のようです。
最も内陸部まで有明海が入りこんでいた頃の海域は次のとおりで、つながっていない。

出典:『有明粘土層の堆積環境とその鋭敏性につい て 』三浦哲彦・赤峰剛徳・下山正一から作成

以下、下山正一の説を転記します。氏は現地調査の結果としてこう記します。

「図は海成層の分布限界線と縄文海進最盛期の有明海の海域図です(理解を即するようにサイト管理者が通常地図と合体)。海成層の有無にこだわって佐賀平野の大量のボーリング資料を点検しました。海成層のある地点を黒丸で、ない地点を白丸で印してゆくと縄文海進最盛期に最大に広がった有明海の海域が浮かび出てきます。さらに海成層下限の等深度線を描くと谷状地形が現れ同時に海成層の分布限界線が引けます。(略)海成層の分布限界線は縄文海進の最盛期である約6000年前の海岸線と言うことになります。」(出典:『有明海と佐賀低平地の成り立ち』下山正一

「北部九州のうち, 玄界灘 ・響灘沿岸地域の海成層上限高度は一様ではなく, +0.4から+4.5mまでの値が見積られる. 有明海沿岸の佐賀平野と筑後平野の縄文海進ピーク時期の海成層の上限高度差は-1.9mと+4.8mで, 隣接地域としては最も大きい. これらの上限高度の差は過去5~6,000年間に生じた垂直変動量とみなせる.」(出典:『北部九州における縄文海進以降の海岸線と地盤変動傾向』下山正一

つまり真鍋大覚の「博多湾と有明海はつながっていた」という説は誤りとなります。

 

2016_10_28

大宰府は博多湾と有明海の分水嶺。標高わずか40m

大宰府はなぜあの地につくられたのか

「Flood Maps」という便利な地図があります。これは海面が上昇するとどうなるか表示するもの。使い方は簡単、左上の「Sea level rise」から上昇する割合を指定するだけ。標高40m以下を塗りますとこのようになります。

興味深いことが浮かび上がってきますね。
大宰府という場所の意味です。

大宰府は博多湾と有明海の分水嶺。その標高、わずかに40m。
なるほど、だからここに大宰府が築かれたのか。

北九州防備としての大宰府

大宰府付近を拡大し、標高30m以下を塗った状態で見てみます。

以下、出典:「西田進のホームページ」

    663年朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)で、日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に大敗を喫した。唐・新羅連合軍の日本進攻を恐れた大和政権にとって北九州の防衛強化が急務となった。
    博多湾からの侵攻を防ぐため水を貯えた大堤である水城(みずき)を築いた。博多湾から有明海まで見通すことができる絶好の地に大野城を築いた。さらに有明海からの侵攻に備えて、基肄(きい)城小水城を設けた。
    地図で30mの等高線を描くと左のようになり、水城の重要性は一目瞭然である。なお、御笠川は博多湾に、宝満川は有明海に注ぎ、分水嶺はJR二日市とJR天拝山の間付近を通り、その標高は海抜約40mである。日本海(博多湾)と太平洋(有明海)の間の日本一標高の低い分水嶺ではないだろうか。



 

2016_10_26

北欧の圧倒的ボート所有率


出典:日本マリン事業協会(資料:ICOMIA'2000年統計による)から作成

北欧は7人に1艇。日本は368人に1艇

北欧の圧倒的ボート所有。7人に1艇ですよ。つまりこれって、家族持ちは一家に一艇というところでしょうか。日本は368人につき1艇。

狭い国土に暮らすという事はこういう事なのかもしれません。それにしても。
こんな記事を読んだ日には、どういう事なんだと思う気持ちも禁じえません。→サイト「旅と写真といい女」の記事「スウェーデン流ゆとりライフ」(クリック)。駐車中のほとんどの車にはボートを引くためのフックが車に付いています。

島原では結構持っている

  • 散人さんのコメント
    けっこう持っている。
    自家用舟に関して云えば、島原の友達は今数えても五人はいます。定まられた場所に年間のもやい料(係留リ料)を払えばいいそうです。彼らはみな釣りが趣味で舟まで購入したそうです。ただみな自営業で時間が自由に使える立場で、勤め人は土日に限られるので難しいのではないのでしょうか。

    島原と北欧の共通点は、人口密度の低さと、自然の近さ

  • まつをのコメント
    恐るべし、日本で北欧的ライフスタイルを楽しめる島原。ボートが持てる。夏小屋が持てる。空気はうまい。水はうまい。魚はうまい。野菜も抜群。そう、まず人が多すぎるところは、豊かさの価値観がおかしくなるんですよね。
    散人さんの島原と北欧の共通点は、その一、人口密度が低く、自然が豊かで近い。その二、時間的に調整できるライフスタイルを持ってる人が多い。ただ相違点は、もやい料(係留リ料)がスウェーデンの湖や田舎の海ではいらないこと。

    ノルウェーのフィヨルド生活にはボートが必要

  • グッドマンさんのコメント

    写真はノルウェーでフィヨルド観光をしたときのものです。フィヨルドに面して小さな集落が点在しており,その後ろは切り立った崖や急な斜面だったりします。こうなると,ボートは生活の足として必需品になるわけで,所有数が多いのも当然かと思います。

    よく似た地形が島原半島南部にあります

  • まつをのコメント
    グッドマンさん、これは説得力のある書き込みを有難うございます。こんな地形であれば、他地区に出るには舟がいりますよね。

    これとよく似た地形が島原半島の南部にあります。上が口之津から南有馬地域、下が小浜から串山地域。ここは今でこそ海岸沿いに道が通っていますが、俊敏な山が海に落ち込んでおり、かつては舟なしでは他地域との交流ができなかったでしょう。なのに舟文化が根付かなかった不思議。こうなってきますと民族性の違いというべきでしょうか。
    某知人のお母さんは生月の山間部に住んでいましたが、生涯海を見ることなく終わられたという話を思い出します。

     

    2016_10_25

    舟所有の文化が華開かなかったのは鎖国が原因ではない

    以下の考えは間違っていました。

      「鎖国が原因じゃないでしょうか。これだけ海に囲まれていて、個人でプライベートユースの船を所有しない体制になったのは」

    こんなことを夢想し始めたのは、島原・天草の話をする中で、次のような疑問が出たからでありました。

      「まつを 現代の日本人は、自家用車は持っているのに、自家用船を持たない。これを不思議と思っていない不思議。フィンランドなんかですと自家用船を結構な割合で持ってます。外食は気軽にするのに、船は持たない。」

    日本の海は古くから利権に縛られている


    江戸時代の漁場管理の概念図。(出典:水産庁
    鎖国が原因ではありません。古くからの海の利権によるものです。
    江戸時代、漁村は認定制。認定されていなければ漁はできませんでした。

    浜の前の漁場は周辺漁村が管理し、外海は自由が原則(「磯猟は地付根付次第なり、沖は入会」)。ところがですね、漁場の境界を巡る争いが相当ピリついていました。陸地の村境設定よりも早い頃から海の境界線設定はなされていたようで、相当ピリピリしていますね。利権をめぐっての抗争。江戸時代に水を巡って争い事が起こっていたことを考えますと分かりますよね。

    ですから、個人で舟でも持とうものなら利権者から嫌疑がかけられていたことでしょう。このことについては、『水主浦漁場の階層性とその形成過程――近世期肥後国天草郡において――』橋村修が勉強になりました。
    ましてや経済的余裕がない時代ですので、遊びの舟はあり得なかったわけです。

    日本では海と海岸と港は全てお国のもの

  • thomさんのコメント

    日本では海と海岸と港は全てお国のものなのです。不開港制度が今でも生きています。

    特に外国船に対しては非常に厳しく、CIQと言って税関(Customs)出入国管理(Immigration)検疫(Quarantine)のお役人様が目を光らせています。そのおかげで日本のヨットがアメリカに行くと、食べ物はほとんど取り上げられ、色んな名目で金も取られて「これも君の国の不開港制度のせいなんだ、悪く思わないでくれ」と言われます。

    前述のCIQはもちろん、国土交通省や水産庁に海上保安庁、それらの天下り団体の皆様方は言います。海は漁業や海運のためのもので、国の立派な事業なのだ。だから庶民が舟あそびをするなど許さん(笑)。

    ヨットにすっかりハマってしまって、今では年間50日以上を船で過ごすようになり、旅の船とふれあい、外国人も含めて色んな方から海に関する話を聞かされるうちに、日本の海に関しての現状が見えてきて、日本人として情けないことしきりです。我が北九州では漁協とヤクザと警察と空港港湾局のキナクサイやり取りが日常化してるし。

    これとは別に、有明海には天然の良港が殆ど無い事も理由の一つではないでしょうか。口之津から石炭が輸出されていたのも納得です。

     

    2016_10_24

    有明海の交流

    現在より複雑に入りこんでいた航路


    上図は大正12年頃の航路(島原三角天草地区、クリックで拡大、出典:『長﨑のりもの史』永田信孝)。現在よりも航路が複雑に入りこんでいることが分かります。それだけ海路は重要だったわけです。

     

    2016_10_22

    有明海沿岸文化

    天草は、長崎県ではありません

  • 下妻みどり こないだ行った天草のホテルにこんなものがあって、いまだに真意をつかみかねている。
  • 鶴野パール よく天草は長崎県だと間違えられんです。そのたびに訂正しなければならないので。
  • 下妻みどり なるほど、そうなんですね…。
  • 鶴野パール 天草人の意地もありますね^^;
  • 下妻みどり それは感じましたー。でも、長崎と天草は、いろんな面でつながっているし、あらためて「近い」と思った次第です。
  • 鶴野パール そうですね。天草には長崎の文化が色々、入ってますし、言葉も熊本よりも長崎の方が似てます。天草から船に乗って長崎へ豆腐を買いに行く人がいると、聞いたこともありますよ。
  • 下妻みどり ほー!たしかに船だとすぐですもんね。地図の線引きと生活圏はかならずしもおなじではないですしねー。
  • 鶴野パール そうです、そうです。熊本県人としての意識は強いですが、昔から進学や就職で長崎に行く人は多いです。 長崎に原爆が落ちた時、天草から後片付けをしにいって被曝した人達もいますね。

    島原と天草は一つの文化圏

  • まつを これは島原出身の私にはよくわかります。おっしゃるように島原と天草は一つの文化圏。私が幼い頃、テレビは熊本放送しか入りませんでした。 島原半島の口之津のおじさんがこんなこと言ってました。「海を見ていたらエビが食べたくなって、フェリーでちょっと天草に行ってきた」 近いんですよね。
  • 鶴野パール はい、島原に渡っても、他県に来たという感覚ないです。昔は船で、よく行き来してたんでしょうね。 島原天草の乱も、島原と天草のキリシタンが起こしたのですしね。
  • 下妻みどり 「海の近さ」って、もっと取り戻していいものではないかと…天草から見る島原の「目の前っぷり」に、強く思いました。(そりゃ『談合』もするなぁ…と)
  • 鶴野パール そうですよね。 天草から海を渡って長崎、水俣、鹿児島にも行けるのって、陸を伝って行くより便利だし、開放感があります。 フェリー代をもっと安くしてほしいですよね。
  • まつを これはお分かりのとおり、かつて海路こそが主ルートであった証。ですから、島原弁は天草ひいては鹿児島の方言に近い。薩摩→天草→島原と人は巡っていたと。かつての海に住む人々は思いのほか移動していました。学校ってのもないですから縛られない。

    日本人はなぜ海を自分たちのものと思わないんだろう?

  • まつを 現代の日本人は、自家用車は持っているのに、自家用船を持たない。これを不思議と思っていない不思議。フィンランドなんかですと自家用船を結構な割合で持ってます。外食は気軽にするのに、船は持たない。
  • まつを これだけ海に囲まれた国なのに、海を自分たちのものだと思わない不思議さ。漁師のもの、お上のものって思ってるんじゃないの? なんでそこまで矮小になったんでしょうね、日本人。
  • まつを 鎖国が原因じゃないでしょうか。これだけ海に囲まれていて、個人でプライベートユースの船を所有しない体制になったのは、鎖国が原因であると。公用あるいは商用の登録した船以外の所有を江戸時代に禁じたんじゃないでしょうかね。裏どりできないか。
  • 下妻みどり 鎖国は決定打で、それ以前から、海の自由さは少しずつ剥ぎ取られ、やがては低いものにさえ位置付けられていったのだと思います…。
  • まつを 時代が下がるにつれ、陸地中心の領土感覚が徐々に成立したわけです。最初に提示された写真の看板も、陸地領土主義的発想の賜。といいますか、陸地領土主義と海洋交易文化の衝突を象徴するような写真ですね。

    陸地中心の発想はものごとを貧しくする

  • まつを 『江戸時代~明治時代における天草漁民の生活』(Tran Thi Mai Hoa)という一文を見つけました。 これによると明治初期、天草は長崎県だったことがあったのですね。
    「天草(略)は、明治時代に幾度もの政治機構上の変化を経験した。富岡県は天草県となり、その後、長崎県と合併し、長崎県天草部として長崎県の一部とされた。(略) 最終的に1877年(明治10)に熊本県の一部となった。」
  • まつを さらにこうあります。 「天草における漁村の形成と発達は、幕府が地域住民に対して沖合漁業に従事する許可を与えた1645年(正保 2 )以降になってからようやく見られるようになることが明らかにされている。(略) 当初七ヵ浦として成立した定浦は、以後数次の変遷を経て最終的には二四ヵ浦に増加したのであるが、この定浦以外の村々は臨海村落であっても「魚不仕」村であり、「 無海無株 」 の村として漁業に従事することができなかった。」
  • 下妻みどり 天草から見る島原は、まさに目の前だから「陸続き」な感じさえあるのだが、これが天草から長崎市内に渡ると、それはやはり「海の向こう」の存在になる。だから、天草から長崎に嫁いできた「ペコロスの母」のみつえさんは「思ってたより遠いとこに来ちゃった…」と感じたのじゃないかと想像したりした。
  • 下妻みどり 国境や県境が、揺るぎないもの、すべてを分けるものだという感覚は、いろんなものごとを、時に危険なほど貧しくする。そんなものは、本当はゆらゆらしているほうが、息がしやすいはずなのだけどなぁ。

     

    2016_10_21

    家の境界はファジーに


    「私たち」という感覚

    お客さんって、なんでしょう。

    実家ではよく縁側や玄関や居間で、近所の人が話を楽しんだり飲み食いしてますが、これを「客」と呼ぶことには違和感を覚えます。We 「私たち」という概念に内包される方々であって、客と呼ぶ客体化された対象ではありません。訪ねても、よそよそしい挨拶なしで「あ、どうも」的なあいさつ。なぜならば「私たち」だからです。我が家のバルコニーバルもそのために設けています。私たちがみんなで楽しむところ。

    家の境界をファジーにしておくってことはとても大切で、そこで育つ子供の世界観に影響を及ぼします。

    閉じた家庭は散らかっている

    ここで、当ててお見せしましょう。
    「家の境界が堅い家庭内は、とっ散らかっている」
    外部と循環しない家庭内環境は腐敗しやすいものです。ですからいよいよ家庭内に他者を入れようとしない。お客が来るとなると臨戦態勢で掃除し、他人行儀のもてなしをするという悪循環が発生するわけです。

    縁側とはまことにうまい表現

  • 大閑道人さんのコメント
    縁側。まことに、うまい表現です。言い得て妙。 縁=境界線の、側=直ぐ側。境界の両脇にあるもの。 こっちでもない、あっちでもない。こっちでもあり、あっちでもある。 まさしく「我々(という概念)」で暮らす領域ですね。 サッシ窓が縁側を駆逐した。そして、自他の区分=境界を明確にした。
    ※ ついでに、この世とあの世=人間を超えたものとを遮断て、人間は、傲慢になりました。

    縁側の思い出

  • 散人さんのコメント
    「ようけ(たくさん)採れましたんで」と近所のおばさんが、春の昼下がり土筆(つくし)を新聞紙でくるんで持って来た。「まあまあごくろうさん」と母はおばさんを縁側に誘う。振る舞うのはお煎餅とお茶に決まっている。
    「小池都知事が」とか「扶養手当が」とかテレビで今、庶民を無理やり政治とか国家とかの事柄に誘導するが、当時(昭和30年代)は一切なかった。季節折々の食材をいかにいい味付けをして家族に振る舞うかに腐心していた。その食材情報をやり取りするのが「縁側」であった。路上の立ち話程度で済むのだがそこは近所のよしみ、茶菓ぐらいはと「縁側」に誘う。で、ことのついでに縁談事の話も生じたりする。
    「お宅の看護婦見習いのミヨちゃんと山田の次男とどうでしょうかね?」「うん、いいかもしれない」なんて話が進行していく。良縁に繋がっていくのだ。

     

    2016_10_17

    居候文化


    豪邸散人邸にはしばしばお世話になります。豪快に呑み泊まっていきませんかと一流の寛容さ。これは氏の血脈の中に御候や侠客を迎え入れる伝統が息づいているからでしょう。

    一昔前は結構、居候がいた

    今ではなかなかお目にかかれませんが、半世紀前の富める家には何するともない居候がしばしばいたものです。豊かとは言いがたい私の育った食卓にさえ、複数の職人が常時入れ替わり立ち代わり居た記憶があります。

    散人氏は言います。
    「不定期的に画家と称する人がわが家に来ては滞在していました。まずイーゼルを開いてキャンバスを置いてですね、それから描かないんですよ。日がな一日ゆったりと暮らして、一緒に食事して呑んで、描かない(笑)。で、そろそろ次の金持ちさんの所に行くかとなると一気に描いて、一作残していく」

    サラリーマン家庭で育った人には理解しにくいかもしれません。散人氏はこうした伝統を皮膚感覚で吸収され、自身もケンちゃんに一室を与え居候させてらしたことがあります。ですから、自由にやりなよという懐があるわけです。居心地がいい。

     

    2016_10_16

    家呑み

    今夜は家族が帰省。というわけで男たちの饗宴。

    ジャズが流れる中、話が進みます。間接照明だけに切り替えればバーとして楽しめるように設計していましたので、今夜は好機。
    家呑みは落ち着きます。無粋な輩に出会うこともなく、自分の好きな音楽をかけ、自分の好きな光量下で呑んでいられます。

    お手製スパイシー・ウインナーと高級ジン


    今回は香りの饗宴でありました。しんのじさんのお手製スパイシー・ウインナー。一口ごとに驚嘆の声が漏れます。プチッと口の中で音が立った瞬間、パッキングされていた旨味と風味が立ち昇ります。
    これを受けたのが、じだらくさん持参のセントジョージテロワールジン。調べて知りましたが大層な高級ジン
    酔うのがもったいないほどの日常性を越えた香りの乱舞。

    締めは貝柱をふんだんに使った炊き込みご飯。じんのじさんのご相伴にあずかりました。

     

    2016_10_13

    村上春樹とノーベル賞

    ヨーロッパ文化人に村上春樹は評価されいないのだろう

  • 散人さんのコメント
    若手評論家 神谷匠蔵の文章「村上春樹がノーベル賞を受賞するべきではない理由」の抜萃。
    村上春樹の文学は、
    ①伝統に対する主体の優越である。
    ②主体にとっての伝統の無意味さ。
    ③社会や政治に対しても、自分の実存に対しても徹底的に無関心を貫く。
    ④商業主義で空洞化されたアメリカ人の精神性を移植したことこそが村上春樹という作家。
    ところが、ヨーロッパの主流文化人のアイデンティティはこのアメリカの精神性に対して全力で抵抗する。彼は日本人でありながらアメリカ人のような文章を書く。
    ヨーロッパ文化人には村上春樹は評価されいないのだろう(散人の意見)。そのヨーロッパ文化人の中核はどういう人達なのかは、各人が考えて頂きたい(散人)。

    村上春樹はノーベル賞がとれなくなることを知っていて歴史的スピーチをした

  • まつをのコメント
    1年前に下の記事を書きました。神谷某は政治的視点が欠落している幸せな内弁慶くん。こいつ、村上春樹の前に立ったら震えあげる輩でしょう。
    • 2015_10_19
      村上春樹はノーベル賞をとらない
      キー局が毎年ノーベル賞発表の頃になると、村上春樹がとるのではないかとハシャグ姿は腹立たしい限りです。奴らはそれを知らないほど馬鹿の集まりか、あえてお祭り騒ぎを演出しているのか。いずれにしろ許しがたいと思っているのは私だけではないでしょう。
      村上春樹はえらい。ノーベル賞がとれなくなるであろうことを知って、2009年受賞式典であの歴史的スピーチをしたのです。歴代日本の作家とは違い、問題意識が村人ではないのです。彼の民族の母国に行って、彼の民族の批判をし、帰ってきたのです。こんなことをした作家を、他に私は知りません。
      「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」
      すばらしい。
    それよりも散人さんの立てられた「ヨーロッパ文化人の中核はどういう人達なのか」という問いの方がとても興味があります。
    ヨーロッパ文化人の中核。難しいですねぇ。そして、おもしろいですねぇ、「ヨーロッパ文化人の中核」ってお題。近代の出発点で言えば、フランス文化を中心にブルジョア文化を語るべきだと思います。中世ならば、オーストリアのハプスブルク家を中心に貴族文化からの流れを語るべきでしょう。もーッと昔からなら、ローマを語らないといけないでしょうし、その源流をステレオタイプ的に語るならば、ギリシアとキリスト教を2本柱として語らねばならないでしょう。ホントはちょっと違うんですけどね。

     

    2016_10_11

    島原 海のカフェ・山のカフェ

    今日は海と山、二つのカフェをご紹介。2軒ともアクセスしにくいところにあります。けれど、わざわざ訪ねていくだけの価値のあるお店です。

    升金の倉


    見事なピクチャーウインドゥ。地元の人々にも海の美しさを再認識させてくれるほどです。

    「この扉を開けるの?」と初めて訪れた人は思うでしょう。中に入ると、待っているのは大人な空間。見事な梁。オーナーは、島原の名家の血筋を引く知的でチャーミングなご婦人。手が空いてらっしゃるときには気さくに歴史解説をしてくださいます。
    「この蔵は、元々は島原の殿様がつくられたもの。大手に建ってたんです。それをこの土地に移築され現在に至っています」

    追記:「升金の倉」は閉店され、2021年5月現在、同建物は「カフェコスタ」に引き継がれています。

    山の上のカフェ Garden


    島原の丘陵をたっぷりと楽しませてくれる店です

    店内も陽光がたっぷりと取りこまれています。
    これら2店舗は、島原の自然環境の豊かさを訪れる者に提示してくれる素晴らしい建築が支えています。海と山、陰と陽。旧と新。これらを際立たせる建築の魔力を理解するためだけに出かけていく価値のある両者です。あとは物語性。これは偏に知性の問題です。先進国の人々が求めているのは物語性。

     

    2016_10_10

    キューピッド

    ローマ人は異文化取り込みの名人

    ローマ人は様々な文化を自分たちのものとして取り込んでいく民族でした。帝国をつくった国家はこの傾向を持っていることが多いんです。かつてヨーロッパを取りまとめていたハプスブルク家しかり。
    そんなこともあってローマは様々な神々を取り入れ、ローマ風にアレンジしていきました。その典型がギリシア神話の取り込み。

    ジュピター(以下英語読み)は、ギリシア神話に言う神々の王ゼウスのこと。ネプチューンはポセイドン。ヴィーナスはアフロディテ。バッカスはディオニソス。

    キューピッドはギリシア神話名エロス


    ではあの愛らしいキューピッドは、ギリシア神話では何と呼ばれているか。答はエロス。このあたりのウィキ解説はなかなかなもので「そうだったのか~」が詰まっていますのでお読みください。

    キューピーマヨネーズのロゴが『天使』とイスラムからクレーム

    ということで語源を辿ればエロスマヨネーズという意味のキューピーマヨネーズ。近年興味深いことが起こっています。あのロゴを海外向けでは避けているとのこと。それが右のロゴ→。以下引用。
    「09年にマレーシアに進出したキユーピーはマレーシアの認証機関から「マヨネーズのパッケージに使用しているキユーピー人形が(イスラム教で偶像崇拝を禁じられている)『天使』と誤認される可能性がある」との指摘を受けた。」(出典:PRESIDENT Online) 今年5月に米国で販売をする際にも、右のロゴを採用。現地スタッフに「社会情勢や多様な民族、宗教に配慮すべきだ」と指摘され、 衣服を着ていないことも問題視されたといいます。

     

    2016_10_08

    ウィキペディアの寄付依頼

    はじめてウィキペディアからの寄付依頼が表示されたとき、寄付しようと思ったことは事実です。そんな時、私は1日置いて実行するようにしています。これまで痛い目に会った代償として私が学んだ習慣。

    ウィキペディアの態度はおかしいぞ

    一日経つと疑問が浮かびました。
    その1.基本はクレジットカードでの寄付になりますが、私はクレジットカードを持ちません。その頃も大手企業からカード番号の流失が問題になっていました。そんなリスクを冒してまでやることではない。
    その2.「私たちは小さな非営利組織です」と書き、「儲かってませんで」的テイストをにおわせていますが、ならば組織の収支を公開すべきです。たとえば創設者ジミー・ウェールズへの報酬はいくらなのかさえ分かりません。公表しないということは、公表できない状態だろうと大人は判断します。
    その3.さらに、これは少なからぬ人が指摘していましたが、その当時の寄付依頼画面はこんなものでした。 このドヤ顔腕組みの上から目線態度はいかがなものか。これは、人にものを依頼する態度ではなく、してやってるでの態度。ウィキペディアの意識が端的に表れたサイン。

    郵便局に口座を開いてほしいですね。そう、郵便局。第一に郵便局は馴染みがありますし、第二に、カード番号、メールアドレスなどの個人情報を公表しないで済みます。ここは日本。「グローバリズムがどうたらで」という寄付される側の都合を優先していることが問題。

     

    2016_10_07

    大人のクイズ 「ネバダの謎」


    出典:US Census Bureau

    この地図は米国各州の最大貿易相手国(輸出)を示したものです。これを見て下の問いにお答えください。かなり高度な問題です。目の覚めるような解答を頂けば幸甚に存じます。

    問 ネバダ州の最大貿易相手国(輸出)がスイスなのはどうしてですか?

     

    2016_10_06

    米国の人口分布


    クリックで拡大可。
    出典:demographics.coopercenter.org/DotMap/
    ドットの色は、青が白人、緑が黒人、赤がアジア系、黄色がヒスパニック系、褐色がその他。

    圧倒的に東部に密集

    米国は大統領選の只中。この地図を理解していると見えてくるものもあるでしょう。
    1ドットが1人を表しています。圧倒的に東部の人口が多いですね。

    プレーリー~ロッキー山脈はガッラガラ

    反対にプレーリーからロッキー山脈にかけての中央部の閑散としたこと。

    最も人口の少ないエリアの一つであるモンタナを舞台にしたのが、敬愛する映画『天才スピヴェット』の舞台。世界の動乱も縁遠いこととして十年一日の暮らしをしている人々がいるアメリカが描かれています。

     

    2016_10_04

    全人類から近いエリア・遠いエリア


    出典:CIA Factbook 2008

    全人類から最も近い平均中心点はなんとタクラマカン砂漠

    ブルーの濃いエリアほど全人類から近い場所。レッドの濃いエリアほど遠い場所。
    確かにね。人口の多いところは中国、インド、そしてEU。となると、全人類から最も近い平均中心点はなんとタクラマカン砂漠。逆に全人類から最も遠いエリアはイースター島あたり。

    「全人類に最も近いエリア」であるタクラマカン砂漠をアップで見ると、下のような感じ。ここが何に使われていたか知ってますか?




     

    2016_10_03

    人民元がIMFの主要通貨に

    「中国の人民元が、1日から国際通貨基金(IMF)の主要通貨に加わった。IMFは1日から、加盟国の出資額に応じて割り当てる仮想通貨「特別引き出し権(SDR)」の構成通貨にドル、ユーロ、円、ポンドと並んで人民元を正式に加えた。構成通貨の変更は、ユーロが発足した1999年以来となる。構成通貨入りは人民元の国際化を進める中国の悲願だったが、中国は金融取引で多くの規制を残していることから、真の主要通貨入りはまだ先との見方が多い。」(出典:朝日新聞

    IMFは米国の世界コントロール機関だったのに

    米国が国連の拠出金をなかなか支払わないことは有名なことです。なぜか。国連総会は1国1票制。大きな国も小さな国も1票ずつ。米国の思い通りには動きません。ですから支払わず、代わりにIMFにつぎ込んできました。IMFは拠出金の大きさに応じて影響力がふるえます。今から25年前には、IMFは米国の世界コントロールのための機関でした。
    そんなことを踏まえて見ますと、今回のニュースは感慨深いですね。いろいろなことが透けて見えます。

    IMF本部がワシントンから北京へと移転することも

    すでに2014年6月にラガルドIMF専務理事は、世界経済における中国の影響力拡大に伴って、IMF本部をワシントンから北京へと移転することもありうることを口にしていました。またIMF副専務理は中国人が務めています。

     

    2016_10_02

    老人番組


    サンデーモーニング

    朝食の食卓での家族の会話。
    私 「あれっ、サンデーモーニングって、老人番組になっちゃってるね。出てる人、老人だらけじゃない」
    関口宏が73歳。パネリストは岸井成格72歳、涌井雅之71歳、幸田真音65歳、西崎文子57歳、青木理50歳。
    私 「番組が始まったころ40代だった関口さんも、気づけば70代のジーちゃんか~」
    採り上げられている話題は「米大統領選TV討論」。トランプ70歳、クリントン68歳。

    息子 「あ、またジーちゃんが出てきた」
    張本76歳がスポーツコーナーに颯爽と登場。
    息子 「今度は介護人も一緒」
    フリップを持った女子アナが張本の後に付いてきてのコメント。

    「時事放談」の細川隆元は60代だった

    1960年代に、ビートルズをコジキ芸人と罵倒した細川隆元がやっていた「時事放談」というTV番組があって、出演者が完全にジーちゃんに見えていたので、当時の小学生は「ジジイ放談」とか言ってたんですが、あの当時細川は60代だったんですね。いや、現代の方々は見事に若々しい。

    団塊の世代が車を買えばマイカーブーム、家を買えばマイホームブームと言われました。消費の核の世代。これを引っ張るTV出演者たちは結局同じままでスライドできるという構造。老人テイストのスタジオセット、彩度なしの服装で、老人パワー見せ続けていただきたいですね。

     

     



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    Webデザイナー。長崎市・島原市との多拠点生活化。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。