2017年9月
カミカラで遊ぼ!
母が特養に入所しています。週一回を基本に訪ねています。このことは多くの同環境の男性に理解してもらえると思うのですが、世間話を娘ほどには息子である私にはできないのです。ですから、母を誘い近所を散歩。実はこの歳になってはじめて一緒にカフェに入りました。あれもなかなか味があります。
そんなこんなで、母がボケないようにいろんな脳トレグッズを探していて、「お!」と思ったのがコレ。『紙のからくり カミカラで遊ぼ!』
母の入所する部屋に行って、この紙の造作を作りつつ世間話をしようと。早速、先ほどネットで発注しました。
衆議院総選挙
説得力がない解散理由
一昨日の夕方の総理会見を見ていたが、解散理由が「消費税の使いみちの変更」で国民の信を問うと云った。年間予算100兆円の予算大幅変更や、消費税10%ではとても足りないので15%にするとかなら分かるが、消費税2%増で高々5兆円(100兆円に比較すると)の小変更が解散理由では、いかにも説得力がない。
それも増税は二年先のことである。
これから論戦になるが対立政党は「もりかけ」問題からの逃避だと絡みつくだろうし。小池旋風も巻き上がる恐れもある。だから現有議席320もある政党が、今回の選挙は233議席の過半数が目標だと弱気だ。当初高らかに掲げていた憲法改正は夢のまた夢に終わる。
総選挙の大義名分は、選挙後ただちにすり替えられる
次のことははっきりしています。
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総選挙の大義名分は、選挙後ただちにすり替えられる。
前回選挙運動中の上動画キャンペーンに憲法改正は正面に出てきていない。選挙後前面に出た。今回も与党大勝となれば同様のことが起こる。ただしアベノミクスが一定の成果を上げているのは事実。 - 国民はマスコミの騒ぎ方に容易に煽られ、また忘れる。
「もりかけ」も騒がれないとすぐに忘れるだろう。第4の権力としてのマスコミは看過できない。日本の国民性に選挙結果が極端に振れて出る小選挙区制は向かない。 - 現政権はわが国周辺の現状を危機的であるとは思っていない。
思っていないからこそ、選挙運動をやっていられる。国難突破の選挙という言葉自体がパラドクスである。
近代国家の要件は、社会契約・一般意志・法治国家
選挙に際して学習してきたことを復習する。
ルソー(1712~1778)「社会契約説」
近代社会、近代国家の正当性の原理を確立した書。中世の王権神授説を経て社会契約説に至る。社会契約とは、人間社会は人びとの間の合意と約束(契約)にしか存在しない。というホッブスの原理を、ルソーは更に推し進め近代社会、近代国家の正当性の原理論を高めた。法治国家しか正当性はないと。
近代国家の要件とは、社会契約・一般意志・法治国家の三点セットである。
選挙間近に復習。
特区制度は反民主化の流れ
血のあがないとして民主主義は進展してきました。
「人の支配」ではなく「法の支配」へ。権力者の恣意的な支配ではなく、公平な法律による支配へと移行することが民主化であったわけです。
ですから特区制度なるものは、大局的に見れば反民主化の流れと言えます。許可者による「人の支配」を許すものだからです。
アルレッキーノ
アルレッキーノ。
島原の山里にひそやかにある信頼のレストラン。美味しゅうございました。
地には平和を。
ベリーショート
ベリーショートにしたいと最近思っています。
実はショートは時折、やってきました。最近ですと昨年の春とか。無性に坊主にしたくなるときがあるのです。けれど、冬場は寒い。これはやった方はお分かりでしょうが、寒風が直接皮膚にあたりますので、冬場は健康によくありません。昔は立場もあって急にやりますと「なにかあったんじゃないか」と思われるのが嫌で慎重になってましたが、今はそれもなし。
無性に短い髪への衝動にかられます。
これはリスペクトするミュージシャン、ブライアン・イーノ。彼も若いころからすると、憑き物が落ちたような容姿になりました。
首筋を防寒すれば、さほどでもありません
日頃からマイクロショートの私の経験では、冬の寒さはしのげます。首筋を防寒すれば、さほどでもありません。それよりも、夏の日差し! 太陽が天空のどこにあるか、頭皮で直に感じますよ。
モルゴーア・クァルテット
ピンクフロイド「原子心母」
この凄腕の弦楽四重奏団。なんとプログレッシブ・ロックの名曲をアレンジして演奏してくれています。 「原子心母」。ピンクフロイドの名曲。原曲よりも遥かによい出来栄え。私の青春はこの曲とともに始まりました。田舎の中坊がこれを一人聴いていたわけです。ここまでアレンジされるとピンクフロイドも満足でしょう。下が原曲。 いつ聴いてもニック・スイメンのドラムはヘタクソ。キングクリムゾン「レッド」
「レッド」。キングクリムゾンの名曲。あのアバンギャルドな曲がこれほどソフィストケイトされるなんて。これも原曲を下に載せておきます。この四重奏団がいかに凄腕なのかよく分かります。第1ヴァイオリンの荒井英治氏は、2016年まで東京フィルハーモニー交響楽団ソロ・コンサートマスターを務め、現在は日本センチュリー交響楽団首席客員コンサートマスター。東京音楽大学教授。プログレッシブ・ロックの大ファンであることを公言。1957年生まれですから同年代性を感じます。
能ある大人が本気で遊ぶと本当に凄い
中学一年の時、乳牛の写真が大きく占領するLPジャケットを誇らし気に抱え、闊歩するコアなプログレ少年の同級生がいたことを懐かしく思い出してます。
件の弦楽四重奏、凄い出来ですね。迸らんばかりの情熱を湛えた第一バイオリン・荒井代表の音を上手く受けながら、各自が個性豊かな音色で、しかし決して和を乱すことなく、余裕と狂気の間でのびのびと遊んでいるとでも言えばいいのか、絶妙な呼吸で演奏しています。
現代音楽としても十分完成されたアレンジといい、能ある大人が本気で遊ぶと本当に凄い、ということをみせつけられた感があります。
フォーマルとプライベート
フォーマルな場ではさっさとやる
私は料理する時には、片づけも同時並行してやっていきます。料理と片づけの時間をテトリスのようにバシッと組み合わせていくのが好き。
仕事も同様。いくつかの仕事を同時並行に組み合わせて、密にやっていく習性が身についています。
ですから、だらだら仕事する人が苦手。たとえば会議は終わったのに、その場でいつまでもダラダラ話している輩の気がしれません。会議が終わったらさっと席を立つ。同じように、勤務時間が終わったら極力早く仕事を片付ける。そして職場の人間との呑みは可能な範囲で控える。あの場で出る職場の愚痴や陰口は、他人の便器の中を覗かせられているようなもの。発想のブレークスルーは、同環境の人間からは得にくいのです。
プライベートな場ではだらだらする
で、プライベートでだらだらする。よどみの時間の中でだらだらする。だらだらの中で四方八方に発想をまろばすのは実に愉快なことです。
結果、期せずして、仕事のブレークスルーのヒントも、異業種のみなさんとのつながりから生まれていることが多かったように思いますし、かつて私の業界でわずかばかりでも特性を発揮できたとするならば、それは異業種の方々と接してきたことに帰することが多いと実感しています。実はこれは複雑ネットワーク理論の「弱い紐帯の重要性」ってやつで、その有効性は立証されてもいます。
人間には、よどみの場所が必要です。鯉もよどみにこそ住まいます。島原に「鯉の泳ぐ街」っていうのがあって、清らかな湧水が流れる側溝に鯉が泳いでいますが、いずれも短命です。
全体主義と日本人の二者択一資質
江戸時代の文化が薄っぺらなのは大衆がつくったから
これは歌舞伎の隈取(くまどり)です。赤い隈取と、青い隈取の違いは? 答。赤い方は善、青い方は悪。つまり歌舞伎では登場した時から、正義の味方と悪役は決まっています。途中で悪であった登場人物が、善に変わることはありません。
逆にヨーロッパ系映画では一人の人間の中に善性・悪性が混濁しているという事を前提として作りこまれています。文学しかり。一人の人間の中の葛藤こそが基本テーマ。
つまり、日本の江戸時代に発生した文化はペランペランに薄っぺらなもの。なぜそうなったかといいますと、これをつくり出したのが大衆だったから。世界に先駆けて発生した大衆文化と言っていいでしょう。
ヒトラーは大衆社会が選出した
ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』は世界的名著として知られています。
ヒトラーは選挙によって選出された指導者である。そんなことをていねいに説く書物です。ヒトラーは大衆社会が選出した人物であると。
昨今の政治手法に使われるコーチング技術の二者択一法
大衆に二者択一を迫る政治手法に危険な匂いを感じます。確かに政治とは最終的には選択する営みです。多様な意見を落とし込み決定し進めていく行為。決定なしには政治とは言えません。けれど、昨今の政治手法はマーケッティング的大衆扇動手法が応用されていて危険性を感じます。
皆さんはコーチングという手法が10年ぐらい前にもてはやされたことはご存知でしょう。でもコーチングを学ばれた方はそれほど多くないと思います。コーチングはその語感とはうらはらの技術。マインドコントロール技術と言っていいものです。他者をこちらの望む方に誘導する技術。
コーチング技術の初歩的な手法が二者択一。この手法は保険外交員などがよく使っています。「こんなプランとこんなプラン、どちらがご興味ありますか?」と。相手に断らせないテクニックです。
この手法が政治の世界に持ち込まれています。ゾッとします。なぜなら、最初にお話ししましたように日本の文化には本来から二者択一の資質が高いからです。
現代は「事実を語ること」が危機にさらされている
中公新書「ハンナ・アーレント」矢野久美子著があります。帯に「全体主義と対決し、悪の陳腐さを問い、公共性を追求した、生と思考の源泉に迫る」とあります。
アーレントは事実を語ることの大切さを強調した。人々が出来事を共有し、語り継ぐ言葉がなければ、世代を超えて持続すべき人間の世界は地盤を失ってしまう。現代社会ではこの「事実を語ること」そのものが危機にさらされている。事実はさまざまな角度からの物の見方によって成り立っている。そういった複数の観点によって保証されなければならない。まえがきより
ファンタCM
かつてのファンタCM。3年B組金八先生のパロディCMシリーズ。時代性を濃く反映しています。私は3年G組が好きかな。こんな先生、実際いました。化学の先生。
でもファンタって生き残ってますね。訳の分からないものでできた飲み物なのに。現代では実体よりも、イメージが先行するという証明のような商品。
君の名は。
今更ながらとお思いでしょうがアニメ映画『君の名は。』。DVDで観ました。結果、予想していたよりも数倍素晴らしい傑作でした。
信じがたいほどの密度。わずか数秒使われるショットのために、これほどの密度で描き込むなんて。脚本も細かく構成されています。それを支える発想レンジの広さ。こういうのを神業といいます。
上のサンプルをご覧になるとお分かりいただけます。アングルの切り方、配色、逆光効果、ピント表現、音響とのシンクロ、そして驚愕密度の背景表現。
水面に浮かぶ落ち葉の表現。池の底の小石。水面に写った樹木。木漏れ日にともなう反射光。揺れ動く落ち葉。これが数秒使われるカットだなんて。眩暈がします。
陸橋のショット。整えられた色調。普通のアニメでしたらもっと色が分離しています。ここでは一旦陸橋を描いた上から全体にブルーを薄くかけたような表現。さらに足元は降ったであろう小雨後の反射する光の表現。そして暮れなずむ光の表現。
この密度で全編続きます。
検証「羊羹を羊糞と書いても、人は気づかないのではないか」
検証
やってみました。以下その顛末。
- 散人さんのコメント
なじみのママ達が「おみやげ買ってきてネ」なんて甘い声で云う。とらやの「羊羹」だ。なにしろ重い。旅人泣かせの代物だ。羽田の売店では羊羹にしては生意気な値段の高さ。
「やっぱり美味しい」とママが云った。美味しい筈だ。たっぷりと「旅の重さ」が詰まっているもの。 - まつをのコメント
とらやの羊糞かあ……。羊糞って結構高くて重いので、二の足を踏みますよね。でも、家人が好みで、なおかつスペースをとらないので、結構私も羊糞を買っています。 - しんのじさんのコメント
まつをさん、パソコンの文字変換がちょっと不調? ようかんが、羊の糞になっている様子です。
検証結果
人は羊羹を羊糞と書くと気づく。私のように雑な読み方はしていない。
台風18号
午前4時起床。長崎市、ほぼ無風。台風は近づいているはずなのにと不思議に思い、earth.nullschool.netを見て驚愕。キングコング対ゴジラのように偏西風 対 台風18号の壮絶な対決の図。その結果としてのほぼ無風。生きているうちにこんなものを可視化できるとは思っていませんでした。この大気オペラはクリックして動画でご覧になられたがいいですよ。感動します。
- thomさんのコメント 流石に鹿児島発着便は見当たらず。でもそれ以外は通常航行。台風の背丈は思ったより低いのです。偏西風は台風のアタマをピープー吹いてる現実。ただ、速度が非常に速いから結果として台風が飛ばされる。
北九州市 洞海湾
ボーキサイトの赤海
20年程前まで、若松北海岸に赤海と呼んでいた、確かに赤い埋立地が広がっていましたが、今では埋め立てられて跡形もなくなってしまいました。それがアルミ精錬の工場から出たボーキサイトの滓で、埋立てというよりただのゴミ捨て場でした。
今ではあの辺一帯を埋め立てまくって誰も使わない港を作ったりして放置した挙句に、いつしか絶滅危惧種の蜻蛉が湧いて出たのを幸いにビオトープなんぞと勝手に盛り上がっていますが、もともとの若松の北海岸は綺麗な自然の残る、世界に自慢していいほどの海岸だったのです。今では跡形も残っていませんが。中国人乗せた客船なんか呼ばなくていいから自然を返せと言いたい。
ちなみに数年前に日本のアルミ精錬工場はなくなって、今では新地金と呼ばれる精錬後の地金を輸入するのが6~7割で、残りが再生。これで日本のアルミ社会は回っています。
「七色の煙」を謳った旧八幡市歌
洞海湾に面した工場の煙が「七色の煙」と言われた時代の旧八幡市歌。
(二)焔延々 波涛を焦がし
煙もうもう 天に漲る
天下の壮観 我が製鉄所
八幡八幡われらの八幡市
市の進展は われらの責務
現在、北九州市はホームページで「ばい煙の空、死の海から奇跡の復活」と謳ってますが、海を愛するthomさん、いかがな実感ですか?
見た目はずいぶん綺麗になりましたが
見た目はずいぶん綺麗になりました。
冬場は水も透き通って、港の水深6mの海底のゴミが見える時があります。わかめも生えていて採ってる人もいるし、撒餌で育った鯵やサヨリにボラにチヌ、エイもいます。港の中で潜ってナマコを採っている漁師がいるけど、私は食べません。漁師の友達が籠で採ったカニでパーティやることもあります。ただし年一回限定(笑)。
市も色々やっているのは知っていますが、補助金目当ての有象無象がタカっていて、はっきりとした実績を私は知りません。現状ではまだ浚渫が一番効果があると思います。
潮の満ち引きの力はとてもすごく、洞海湾の最奥約13kmのゴミまで外海に流してしまいます。でもヘドロはそのまま。すくい取って捨てるしかないです。
ABCD包囲網
日本はABCD包囲網をされて第二次大戦に突入した
今回米国の主張する対北朝の石油全面輸入禁止案を見て、ABCD包囲網を連想したのは私だけではないでしょう。先の大戦にわが国が本格突入せざるを得なかったのは、ABCD包囲網で生命線が絶たれたからだと一部学者は分析しています。今回のアメリカの主張は危険であったと思います。
ABCDとは、アメリカ合衆国、イギリス、中国、オランダのこと。これらの国々の貿易制限をABCD包囲網といいます。例えば、アメリカは石油の輸出禁止や在米日本人の資産凍結、オランダは石油、ゴム、ボーキサイトなどを制限。日本はこれらの資源を集めるため南進政策を推進していきました。
何人かの歴史学者からの評価を記しておきます。- イギリスの戦史家ベイジル・リデル=ハート……このような措置は、1931年にさかのぼる議論においても、日本を戦争に追い込むことは必定だった。いかなる国にも、とりわけ日本のような面子を重んじる国にとっては、このような要求を容れることは不可能であった。
- アメリカの政治学者ジョセフ・S・ナイ・ジュニア……日本を抑止しようとするアメリカの努力は破綻をもたらした。平和という選択肢は、戦争に敗れるよりも非道い結果をもたらすと日本の指導者達は考えていた。
これを読むとゾッとします。外交というものはつくづく難しいものだと思います。
ステーキ屋ブロンコ
息子の活気ある最後の体育祭報告を聴きつつ、家族でステーキを食べる至福の一時。家人は同校の運動会に都合13回通ったとの由。今回ですべて終了。
日本人は新築好き
わが国の住宅販売の内、新築が87%。海外は11~34%。
新築は15年後には価値がゼロといったことがあります。
15年後にはゼロとなるのに生涯借金を背負う不思議
で、この新築住宅のために、多くの人は65歳あたりまでのローンを組み、人生の大半を暮らしていくわけです。15年後にはゼロとなるもののために、生涯借金を背負う。新しいスタイルの安価な住宅
そんなこともあって、新築にしても最近様々な家づくりが出てきています。
発泡スチロールでつくる ドームハウス
土でつくる アースバック工法
わが国の財政~取立人がいるなら怖いが
昔は私も洗脳されていました。皆さん、散人さんのご指摘お分かりになりますか。
日本国民は貸し手側である
「国の借金が1,000兆円超えた!」
大変だ大変だ、と大騒ぎするマスコミ。
尻馬に乗って巷でしたり顔で「子孫に負担を転嫁しちゃいかん」とのたまう浅薄なお父さんたちがいるが、バカじゃなかろか。債権債務の意味も分からず云っている。
正味967.6兆円の政府発行債券(国債発行残高2017年6月現在)の94.2%は国内が買っている。ということは日本国民は貸し手側であって、けっして借金(債務)を負ってる訳ではない。海外は5.8%に過ぎない。逆に国民は大変なお金持ちということになる。
騒ぐでない、である。
日銀がインフレを継続すれば半永久的に借金は増えない
いつも楽しく読ませていただいています。
私もその昔、長崎に住んでいました(昭和52~60年)。懐かしいです。東京生まれの私の新婚時代でした。
ところで、我が国の借金ですが、お説の通りで、日銀がインフレを継続すれば、半永久的に事実上の借金は増えませんよね。お金を自由に刷れる日銀が味方に付いているんですから。「ここらで一度〆てみませんか……」などと、バカな事を言い出さない限り、全く問題ありません。
私もお札を自由に刷れれば、人生バラ色なんですけどね。昔読んだ笠信太郎の「花見酒の経済学」を思い出しました。
ブルガリ プールオム
愛用したオードトアレは2種。バルカンとブルガリプールオム。
20年愛用したバルカン
若い頃に愛用していたのがバルカン。これは国産のやつで、使い始めたきっかけはデパートの定員のオバサンに勧められたからという情けないもの(笑)。これが意外に気に入りまして、結局20年ぐらい愛用していたと思います。
他のものも試みたことはありますが、すぐに止めてしまいました。オードトアレというのは身に付けるものですので、自分に合わないと生理的に拒絶感が出ます。
結婚後にブルガリ プールオム
結婚してしばらくして、バルカンが合わなくなってきた感じがあって切り替えたのがブルガリ プールオム。これも20年ぐらい愛用していると思います。肌着を付けている感覚。ブルガリ プールオムは白檀、オリエンタルな香り
サンダルウッド。別名 白檀といわれるサンダルウッドの香りが大好きです。アーユルヴェーダでも重要な、いわゆるオリエンタルな香りの代表格で、以前はお線香といえばこればっかりでしたね。
最近では天然の白檀が枯渇し、貴重品になっているそうです。そういえば、以前から白檀の木で作られた扇子は最高級品で貴婦人の必需品でしたが、今や一本五万円に至っているそうです。
まつをさんご愛用のトワレの兄弟分、ブルー プールオムをたまにつけていたのでした。いずれも白檀の香りがコアになっていますね。ブルーの方はスパイス香を少し抑え、明るく爽やか、くっきり系に仕上げてあり、海を思わせるのも好きな理由の一つです。
香木は、近年、輸出入が禁止されているそうです。国内メーカーの在庫がなくなれば、鋸クズに人工香料を染ませた抹香になることでしょう。線香は、既に、人工香料が用いられています。
さようならカッシーニ
宇宙を20年間飛び続ける孤独な旅の果てに
カッシーニは、アメリカ航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)によって開発された土星探査機。1997年に打ち上げられ、一人広大な宇宙の中を20年間にわたって飛び続けるという孤独な旅を続けてきました。
この間、土星の衛星エンケラドゥスが、太陽系で微生物の生息する可能性が高い場所であることなど、様々な新事実を発見。
来る9月15日、土星の大気圏に突入して燃え果て、その使命を終わります。
それにしてもこの動画のすばらしいこと。関係者のカッシーニに注いだ愛情が伝わってきて感涙します。
江利チエミさん
江利チエミさんは「意地があるわ私にも」と云った
戦後、江利チエミさんは正真証明のスターだった。しかし散人が劇場に入ったときは低迷していた。が、1974年に発売した曲「酒場にて」で見事復活を遂げた。散人が26になる年だった。
好きでお酒を♪ 飲んじゃいないわ♪ 家に一人帰る時が怖いの♪
ここ数年NHK紅白に落とされていたチエミさんは傷ついていた。戦後、劇場・映画・放送にあれだけ貢献したにも関わらず落とされた。その年、NHKは紅白再登場をチエミさんに打診したが頑なに拒否した。「意地があるわ私にも」と新宿の酒場で散人にポツリと云った。
劇場に出演中だったので、終演後チエミさんがどこへ行こうとピッタリ付いていた。それが担当の任務だった。ベロベロの彼女を増上寺近くのマンションに送り届けて任務終了。時計はいつも深夜三時を回っていた。
それから8年後に独り住まいのそのマンションの寝室で死んだ。「高倉さん、今でも好きよ」と散人に云ったのが忘れられない。45年の短い生涯だった。
猫の額ガーデン晩夏
絶好調のニラ。まるでアールデコ。あめこんこさんから数年前いただいたニラは、今年に入って完全に根付いたようで絶好調。ニラタマにして私の酒のツマミに。
これがわが家の猫の額ガーデン全景。シマトネリコとレモンの木に、ゴーヤと秋キュウリが絡まりつき、地には前述のニラ。わずかこれだけのスペースですが、朝、勢いのある鮮やかな緑が私を目覚めさせてくれます。
カッセルドクメンタ
世界最大規模の現代アートの祭典
2017年はアートフアンにとって特別な年と言われています。カッセルドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェクト、ヴェネチア・ビエンナーレが同時開催となるからです。ドクメンタとヴェネチア・ビエンナーレはともに世界最大規模の現代アートの祭典です。
カッセルドクメンタは、 ドイツの古都・カッセルで開催される現代美術の大型グループ展。あるテーマのもとに現代美術の先端を担う作家を、世界中から集めて紹介するという方針で開催されています。今回のテーマは「アテネから学ぶ」。
ミュンスター彫刻プロジェクトは、ドイツのミュンスターで10年に一度夏の間だけ開催されるアートイベント。公共空間と芸術作品の関係がテーマで、芸術家が事前に町に滞在し、町や住民のことをよく調査した上で滞在制作し作品を設置するというやり方を1970年代から取り入れています。
- goodmanさんのコメント
この夏は5年に一度のカッセルドクメンタ,そして10年に一度のミュンスター彫刻プロジェクトが同時に開催される年だったこともあり,思いきってドイツに行ってきました。出発した時の長崎は猛暑でしたが,ドイツに着いた時には日中の最高気温が 14度。薄い長袖しか持って行ってなかったので,真夏なのに向こうでヤッケを買う羽目になりました。
ドクメンタは街全体がお祭りムードで,作品も見ごたえのあるものが多く,とても楽しめました。彫刻プロジェクトの方は,はっきり言って「?」と思う作品が多かったのですが,もともとある美術館の作品と展示のレベルが高く堪能しました。
印象に残った作品をいくつか紹介します。
ドクメンタで一際目を引いたのがギリシャのパルテノン神殿を模した巨大なインスタレーション。
寄って見ますとこのインスタレーションは,ご覧のように10万冊もの禁書によって構成されています。ナチス政権下,ナチズムの思想に合わないとされたたくさんの本が,まさにこの地カッセルにおいて焼かれたそうです。
「リアルナチス」という作品。
ちなみにノイエ・ノイエ・ギャラリーは,日本語だと「新新ギャラリー」ってことになります。もちろんノイエ・ギャラリーもあり,そこには写真のようにヨーゼフ・ボイスの作品など過去の作品も展示されています。
この写真はそのノイエ・ギャラリーで展示されていた映像作品。競技場を使ったトルコ軍のデモンストレーションの様子をビデオで延々流しているだけなのですが,結構な数の人が見入っていました。もともとドイツにはトルコからの移民が多く, その移民の問題で揺れるドイツの現状を表しているように感じました。