金沢21世紀美術館
世界遺産 相倉合掌造り
桂離宮
もくじ
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1日目 10月11日 京都:東寺。 金沢:長町武家屋敷跡界隈、加賀料理を味わう
京都 東寺
「さて今から訪ねるところは、息子に関係があります」と家族lineに書き込む。
「? 京都に僕と関係がある場所があるんですか?」と息子。
天才 空海が開祖の密教 真言宗寺院 東寺。
まず空海の住房であった国宝の御影堂にお参り。娘を授かった後、長いこと子宝に恵まれなかった。東寺にお参りし長男を授かった。25年ぶりのお礼参り。真っ先に私たちが訪れた寺院だ。心のどこかに刺さっていた何かが解き放たれる。合掌。
その後、講堂へ。国宝の仏像をはじめとする群像で仏教の世界観を表す立体曼荼羅が展開されている。圧倒的な風圧だ。
金沢
京都から脱兎の如く文化百花繚乱の地 金沢へ。2時間と少しで着く。
金沢駅前に屹立する巨大なオブジェ。いきなり加賀百万石の壮麗さを思い知らされる。江戸参勤交代で最長の大名行列を誇った藩だ。
金沢駅の設計は白江龍三。このオブジェは加賀宝生の鼓をイメージして造られた「鼓門」。
東横イン金沢兼六園香林坊と旅割の修羅場
香林坊は金沢市を代表する中心市街地。当ホテルは金沢観光地のど真ん中にあり、とにかく便利な立地だ。長町武家屋敷跡界隈・玉泉院丸庭園・兼六園・金沢21世紀美術館・鈴木大拙館、すべて徒歩でまわれる。また金沢の加賀料理はそれ相当な価格がする。ホテル代を抑えてそちらに私たちはまわした。
修羅場を見た。この日は全国的旅割の開始日だった。フロントの前は長蛇の列。3人のフロント担当のお嬢さんは、詰め寄る客に冷や汗ダクダク。
翌朝「昨日は大変だったね。眠れた?」と声を掛けると蔓延の笑みを返してくれた。
私たちは事前確認で3泊のすべての宿の旅割が対応できた。実は3か月前に旅割開始日から始まる今回の日程を組んでいた。予言者まつを と呼んでいただきたい。
長町武家屋敷跡界隈
ホテルから歩いてすぐ。繁華街の近くとは思えないほど静かな界隈だ。加賀藩士・中級武士たちの屋敷跡が残り、黄土色の土塀、石畳の小路など当時の面影がしのばれる。今も市民生活が営まれ、周辺には飲食店等も並ぶ。
加賀料理 せい月
散策後、その一軒で食事をとった。奥まった路地に構える古風な屋敷。地元では隠れ家との評判も高い。予約した時間に玄関を開けると、和服の女将が正座をして待ち構えてくれていた。奥まった一室に通される。
藩都として栄えた金沢の伝統文化・東西文化・郷土料理が融合した加賀料理の数々を供される。襟元正されているが、高飛車ではなく温かい。対応から価格設定までこの界隈では正直なお店なのだなと実感。地酒を頂きゆっくりと金沢の夜を満喫させていただきました。
ホテルに帰って爆睡。
2日目 10月12日 金沢:玉泉院丸庭園・兼六園・金沢21世紀美術館・鈴木大拙館・ひがし茶屋街。 相倉:相倉合掌造り集落に泊
玉泉院丸庭園
7時から朝食を軽くとった後、荷物をホテルに預け、徒歩9分。近所だ。
金沢城公園の中に玉泉院丸庭園はある。加賀藩三代藩主 前田利常による作庭以来、歴代藩主が愛でた庭園。饗応の場として活用された兼六園に比べ、藩主の内庭としての性格が強い。
兼六園
玉泉院丸庭園に隣接している兼六園は、国の特別名勝に指定された圧倒的に広い庭園だ。散策コースを検討してから訪ねたがいい。
私たちは散策のあと園内の茶屋 時雨亭に開店9時と同時に寄らせていただき抹茶を頂いたせいか、部屋には一組ずつ通された。園内散策後、静寂の中でお茶を頂く。「お茶はお済ですか? では」と美しい庭が御開帳される。
金沢21世紀美術館
さらに兼六園と隣接した金沢21世紀美術館へ。
雑誌『Casa BRUTUS』で建築部門Best1に選ばれた美術館。美術館は美の殿堂というイメージを一新。展示部門と住民の集いの場を融合させた建築。周囲には様々な美術館・博物館・庭園がひしめく森の中に立地している。館内はざわついているが展示ブース内は静寂だ。写真写りがやたらといい建築。
設計は妹島和世+西沢立衛 / SANAA。2010年プリツカー賞など数多くの賞を受賞。これまでに私が訪れた作品としては直島の海の駅「なおしま」がある。
この美術館のスターはレアンドロ・エルリッヒ作のスイミング・プール。内部観覧するにはひと工夫必要だ。下記リンク参照。
鈴木大拙館
金沢が生んだ仏教哲学者・鈴木大拙は、禅について著者を英語で著し、日本の禅文化を海外に広めた。建築設計は谷口吉生。葛西臨海水族園、ニューヨーク近代美術館の新館などで知られる。
静寂が辺りを支配し、時折揺れる水面。屋外の石のベンチに腰かけてぼうっと眺める。私にとって金沢の旅中ベストワンだった。近辺には散歩道がめぐらされている。
近江町市場
「金沢人は近江町市場で食事はしません。その理由は高いからです。お買い物せずに歩くだけで楽しい近江町市場」とのこと。訪ねませんでした。
ひがし茶屋街
金沢文化を代表する茶屋街のひとつだ。ここに来ると年齢層ががらりと変わる。レンタル和装の若い娘さんの多いこと。国指定重要文化財のお茶屋建物 志摩もある。
散策に疲れ果てて寄った店は金箔で推す店だった。いやいや、金蒔きゃいいってもんじゃないんだから(苦笑)。
茶屋街で掘り出し物の「宿 夕月」を見つけた。遊郭建築に格安で宿泊できる。
金沢の散策コース まとめ
今回徒歩で訪ねた訪問地を下記「Googlemap 金沢の徒歩散策コース」に示した。これを見ると訪問地が俯瞰で理解できます。
またひがし茶屋街までは金沢周遊バスで移動した。このバスは主要観光地を約15分間隔で運行し便利。1回200円で乗車。
相倉合掌造り集落
1995年に世界文化遺産に登録された富山県南砺市の相倉合掌造り集落。20棟の合掌造り家屋が現存し、集落内では人々が生活を営んでいる。
合掌造りというと、一般には岐阜県の白川郷が浮かぶ。相倉と白川は30㎞程離れている。相倉は知名度の差もあって、昔の情緒が色濃く残っており、観光に疲弊しスレた感じがない。
金沢駅を16時程に出発。その日金沢で11㎞歩いていたため、高岡、城端と乗り継いだ列車の中では爆睡。
17時43分、最後の なんバス に乗り込んだ時には陽が落ち、下校する高校生6名と共に奥山の中へと吸い込まれて行った。
宿泊する民宿 勇助の「バス動いてますかね?」とのコメントを受けて、地元の観光案内所に運行を確認したいわくつき。動いとりました。登下校の高校生以外の乗車が珍しいようだ。
18時2分、相倉口バス停に降り立った時には、山は夜の帳の中にあった。都市と違い街灯のない山中は漆黒の闇だ。バスの後に車が来たかと思うと車窓が開き「まつをさんですか? お迎えに来ました。勇助です」と声があった。有難い。
合掌造りの民宿 勇助
相倉合掌造り集落にある合掌造りの民宿「勇助」。世界的にも珍しい宿泊することができる世界文化遺産。現天皇が若い頃に訪れるなど、皇族の憶えもめでたい。大阪にある国立民族学博物館には勇助の1/10の模型が展示されている。
宿泊は一日一組限定。店主は写真家であるため室内の設えが美しい。伝統を活かしながらも、抜群のセンスで運営されている。
実はこの地に向かう中で「どうして勇助の情報に出会ったんだろう? 金沢を検索してたはずなのに覚えがないんだ」と話していた。
家人が囲炉裏端にあった衝立を見て声を出す。
「ここに書いてあるのは、こきりこ節ですね。父がお酒を飲んで興に乗ると歌ってました」
「教科書で見たことある民謡だね」
「あ! 今日は父の命日です」
「導いていただいたのかなあ」
囲炉裏の火を見ながら、この地での暮らしや文化の話を聞きつつ、うつくしく個人用食台に盛られた地元の料理と地酒をいただく。
食事の後はヒノキ風呂に浸かる。トイレも清潔だ。
囲炉裏部屋の隣に私たちのプライベート空間が用意されていた。一つが寝室、その手前がコタツ部屋。爆睡。
3日目 10月13日 相倉:相倉合掌造り集落。 京都:建仁寺・祇園・京料理を味わう
相倉合掌造り集落の朝
昨夜、到着が遅く風景は漆黒の中にあった。
朝だ。早暁には雲海の中にあった里にも、次第に陽がさし始める。清浄な空気に包まれた世界遺産集落の散策を満喫する。行き交う人たちとあいさつを交わす。皆がゆったりとした空気と時間を味わっていることが伝わってくる。
散策から帰り着いた勇助のファサード。集落で最も大型の合掌造りだ。
朝食はこちらでと通された部屋。夕食の囲炉裏端の広さとうつくしさに驚愕したが、一夜明けてのこの部屋にも驚いた。まいった、まいった。きらめくセンス。
「お陰様でぐっすり眠れました」
「そうお客さんはおっしゃいますね」
「車の音もないし」
「それと古い家がそうさせてるのかもしれませんね」
足腰にバンテリンを塗る。キューピーコーワゴールドを飲む。
相倉から京都へ
10時、一旦伸ばしたゼンマイが巻き戻るように、相倉合掌造り集落から京都へ移動開始。ルートは相倉口→城端→高岡→金沢→京都。5時間半、乗り換え4回。地方に残るこの国の宝と出会うには、それなりの時間を注ぎ込む。
金沢と京都を結ぶ列車サンダーバードは恐ろしく揺れる。トイレに行こうと通路を歩くと、危うく他席に倒れそうになる。
15時36分、京都駅着。タクシーに飛び乗る。向かうは建仁寺。
建仁寺
京都最古の禅寺。臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師。開基は源頼家。
写真は法堂天井に描かれた小泉淳作の「双龍図」。この他に本坊に江戸時代の俵屋宗達「風神雷神図屏風」。ただし原本は国宝に指定され東京国立博物館に寄託。ここのものは高精細なデジタルコピーだ。桃山時代の海北友松の襖絵「雲龍図」他もあった。
本坊中庭にある潮音庭。半時間程この庭を見惚れていた。うつくしい。
建仁寺では僧侶と観光客の住み分けが進んでいるように見受け、観光客に解放されたエリアではゆったりと閲覧できる。
祇園 花見小路
建仁寺から続く祇園の花見小路。紅殻格子に犬矢来という祇園情緒のあるお茶屋の家並をゆったりと巡る。
食事会場の集合に時間があったので路地裏に入ったZEN CAFEで喫茶ブレイク。和モダンな「食べログ カフェ百名店」受賞常連の店。
祇園うえもり
18時、家人の三姉妹とその夫が集合。お義姉さんご指名の店は祇園の只中にあった。地の利に疎い私では縁を持てなかったであろう店。当日はお義兄さんの誕生日だった。おめでとうございます。
京都ならではの食材や雰囲気が楽しめる和食の店だ。江戸の安政年間より嵯峨豆腐の名店として名高い京都嵐山「森嘉」の豆腐を使った豆腐料理で知られる。
三井ガーデンホテル京都新町 別邸
町屋風ファサードの暖簾に近づくと自動ドアが作動する。屋内には別世界のライトアップされたモダンホテルが出現する。客室は窓の障子がいい雰囲気を醸し出していた。
当ホテルのホームページに「公式サイトが最安値」と謳われているが、実感。旅行業者サイトが提示していた素泊まり価格で、朝食バイキングが付き驚く。また、事前カード払いではなく現地払いにしておいたことが、私たちが全宿泊に旅割活用できた要点だったことも付記しておこう。
うっすらとジャズが流れる大浴場の人工炭酸泉に貸し切り状態で入浴した後、爆睡。
4日目 10月14日 京都:大谷本廟・桂離宮
最終日。7時にホテルの朝食バイキングへ。サラダ中心に軽く済ます。
当ホテルには荷物を預けると、京都駅前店に移動しておいてくれるサービスがある。私たちは軽い手荷物だけを持って出発した。
大谷本廟
朝、家人の三姉妹と共に大谷本廟にお参り。浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご廟所(墓所)だ。
桂離宮
午後、憧れの桂離宮へ。中学生のころから憧れ続けた場所をいよいよ訪ねる。
3か月前、私はパソコン前でクリックボタンを構え緊張していた。勝負は早朝5時ジャスト。オンライン参観申し込み受付が、希望日の3か月前の1日午前5時から開始されるのだ。受付人数はごく限られている。はたして、心配をよそに無事申し込みは成功した。
所在地は桂川沿いの閑静な地域。参観は14時から15時の時間帯だ。全国からワラワラと4名以内のグループや個人が次第に集まってくる様は、のどかささえ漂う。
20分前になると受付が始まり、体温チェック後に屋外から控えの建物に案内され、必要書類を提示し、入場料を支払う。簡単な土産物は販売されているが、飲み物等は一切ない。トイレはある。
やがて女性職員がやって来て、私たち10名のグループを案内し始めた。職員の案内は穏やかで簡易かつ的確なものだった。
印象に強く残った箇所をアップする。
松琴亭。青と白の市松模様の襖は、現代人のデザイン感覚を刺激する斬新さだ。
同じく松琴亭。縁側に設えられた竈土構が見える。ここにも高いデザイン性。
桂離宮全体に言えることだが、あらゆる線と面と素材の扱い、そして間の採り方が並みはずれている。なんだろう、この緩急の超絶バランス。
例えば前出の路地石組みの造詣も、まるでモンドリアンやカンディンスキーのようだ。
確かに庭も素晴らしいのだが、造園当時に比すると樹木の成長でアンバランス感が否めない。特に背景を固める針葉樹の高さは全体を壊している。これは造園につきものの問題で、兼六園のような野太さのある庭ならいざ知らず、リリカルな桂離宮では特に目立つ。皇室関連施設ともなればおいそれとは植え替えもできまい。
笑意軒、二の間。窓の向こうには緑と水田が空間に抜けを作る。各室の欄間が入る部分も筒抜けで、天井部分は一つながりとなっている。夏用の茶室と聴いた。
腰壁は市松模様に金箔の稲妻を思わせるデザイン。粋でシャープだ。
水面に姿映す笑意軒。うつくしい。粋の結晶、桂離宮。
「茶室は建築ではない、いわば即興的にしたためられた抒情詩である」ブルーノ・タウト。
ブルーノ・タウトが日本を代表する建築として讃えた桂離宮と合掌造り
タウトは桂離宮を「涙が出るほど美しい」と讃えると同時に、著書『日本美の再発見』の中で、桂離宮と合掌造りを日本を代表する建築として絶賛している。今回の旅はこの二つを巡るものとなった。
参観後、私たちは例によって脱兎のごとく長崎に帰郷。
おわりに
家人は常に静か。情緒が安定し一緒にいて心安らぐ。それでいていざという際には適切に対応し進言してくれる。今回も複数の場面で助けられた。ありがとう。
私たちは、この旅に際して、鉄道の発着から現地での散策コース取りまで、プランとして組み上げ、サイトにアップし、旅先ではスマホでここを見ながら行動していた↓。