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2017年4月



2017_04_30

やってみたかったこと 4

里山に浸りこむ

やってみたかったんですよ。いやになるまで里山に浸りこむ。やりました(笑)。次記事へ。

 

2017_04_30

やってみたかったこと 3

ジーンズを着る


いつからでしょう、気づくとジーンズを持たなくなっていました。オフはもっぱらメンパン。体重もずいぶん落ちたことだし着てみるか。というわけで購入。本当に久々。



旅用の体重計を購入。KYOWA パーソナルミニスケール PS-130WH。出張続きの職種の方々にとって旅のお供のスタンダード体重計らしいですよ。里山の焚火料理で食べ過ぎない諫めのために持参します。足が半分しか乗りませんので、測定の際に乗っておくのに高度な技術が必要(笑)。ミニマルデザインの極みのような美しいアイテムです。

 

2017_04_29

やってみたかったこと 2

うまいものを食う





ガーデンテラス長崎の秋月。眼下には世界遺産の三菱長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン。隈研吾空間の中で揚げたての天ぷらをいただきながら一杯。シェフと軽い会話を楽しみながらの楽しい一時。ある方々のご厚情によりご招待いただきました。ゴールデンウイークが始まったんだと実感。合掌。

 

2017_04_28

やってみたかったこと 1

たっぷりと休みをとる



バケーション。素晴らしい。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。



朝、トイレに行くと7時。ゴールデンウイークの始まり。

 

2017_04_27

夜に目覚める



改めて話してみると、少なからぬ方が早く起きてらっしゃることに驚きます。私も今日は夜9時前にうとうとして目覚めると3時でした。一人静かな時間。上のような音楽が似合いそうな一時。

 

2017_04_26

江戸しぐさ

江戸しぐさは全く歴史的根拠のないもの

江戸しぐさの真偽が話題になって久しくなります。作家の原田実が『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』(2014)で、江戸しぐさは全く歴史的根拠のないものであると批判して以来、江戸しぐさを普及する勢力の旗色は悪く、道徳教材としてこれを採り上げていた教科書会社の中からも、掲載取り下げの態度表明が現れていますし、文部科学省教育課程課の課長補佐も「道徳教材はNPO法人の主張を参考にしていない。江戸しぐさが歴史的な事実だとは言っていない」と発言しています。

歴史を捏造してはいけない

江戸しぐさと主張されるマナー自体は美しいものです。しかしこれが、歴史的捏造によって忌避されるされる事態ならば悲しむべきことです。ウソついてはいけませんと教えて、その口でウソをついているようなもの。以下、ウィキから以下引用。

  • 江戸開城の時、「江戸講」のネットワークを恐れた新政府軍が江戸しぐさの伝承を失わせ、江戸しぐさの伝承者である江戸っ子たちを大虐殺した。その虐殺たるや凄まじいもので、ソンミ村虐殺、ウンデット・ニーの虐殺に匹敵するほどの血が流れたと越川禮子は述べている。また、この時に江戸商人は江戸しぐさについて書かれた古文書も全て焼却し、江戸の空を焦がしたという。勝海舟は生き残った江戸っ子数万を両国から武蔵、上総などに逃がし、彼らは「隠れ江戸っ子」として潜伏した。池田整治は、江戸しぐさ伝承者は、老若男女にかかわらず、わかった時点で新政府軍の武士たちに斬り殺され、維新以降もこの大殺戮は続いたと述べている

これは学界から、荒唐無稽として批判されています。

NPO法人江戸しぐさの理事長の所作

最後に、NPO法人江戸しぐさの理事長である越川禮子氏のインタビュー動画を掲載します。氏の所作が美しいと感じられるか、他者への配慮に満ちたものであるか皆さんご自身でご判断ください。


道徳は習慣だ。強者の都合よきものが道徳の形にあらはれる

  • 散人さんのコメント
    「江戸しぐさ」なるもの誰が広めたのか、全くのでっち上げ、似非科学であります。妻の実家は徳川さんと共に入府した幕臣の子孫であったが、死んだ義父に「江戸しぐさ」なるものは一度も聞いたことがなかった。ただ御一新後、先祖は職業に困ったとは聞いたが、趣味の碁将棋を活かして「碁会所」経営に乗り出し、なんとか糊口をしのいだそうだ。
    いつも云うが「道徳」なるものもは真なる「学問科学」ではない。そのところに得手勝手な「似非科学」の侵入を容易ならしめているであろう。「道徳」の教育現場からの追放を願うのみ。漱石先生曰く「道徳は習慣だ。強者の都合よきものが道徳の形にあらはれる」
    それにしても「田中優子先生」は今や我が母校の総長であります。六大学にただ一人の女性代表であります。先駆的な我が母校に少しく笑みがこぼれるのであります。

     

    2017_04_25

    気狂いピエロ



    ヌーヴェルバーグの旗手だったゴダールの作品。途中で「わかったわかった」といってDVDを止めました。バカロレア文化臭の強い作品。色彩は建築家リートフェルトのよう。なによりも今回驚いたのは、ゴダールがまだ存命と知ったこと。

    金がないから生まれたヌーベルバーグ

  • 散人さんのコメント
    当時欧州映画界は、聖林(ハリウッド)に席巻され落ち目もいいとこだった。低予算の所産がヌーベルバーグだった。日本も昭和40年代の東映がそれまでの華麗なセットを使った時代劇がもう客を呼べなくなり、あの深作監督の「仁義なき戦い」を産んだのだ。金がなくなると工夫がいる。

     

    2017_04_24

    伊王島灯台



    伊王島灯台に行ってまいりました。
    見晴るかす東シナ海に臨む水平線は、地球が丸いことを実感できる微妙な円弧を描いています。目を海岸に転じると、写真のようにCGで描いたように透明の吸い込まれるような魅力を放つ海。脳裏に浮かぶイメージ。
    かつて幻の焼酎と謳われた長崎県は口之津の青一髪。命名は郷土の作家宮崎康平。
    白鳥はかなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ。これは若山牧水。
    来てよかったと実感。

    かつての灯台守は月給60万円ほどの高給取り


    その袂には、日本最古の無筋コンクリート造の退息所があります。かつて灯台守一家が暮らしていた立派な洋館。現在の物価に換算すると月給60万円ほどの高給取りであったとか。現在その建物は資料館になっておりまして、写真のように実際に使われていた灯台のレンズを身近に見学することができます。存在感十分。

     

    2017_04_23

    ハンモック



    ハンモック到着。ベランダに吊るすも狭すぎ。

    『しんせかい』を読んでみる

    とりあえず包まれながら、今回芥川賞受賞の『しんせかい』を読んでみました。作者の山下澄人は倉本聰の富良野塾の出身。小説の舞台設定も富良野塾と思しきもので、透けて見える塾の実態に興味引かれあっという間に読んでしまいます。語彙力脆弱なる作家。

    正しいハンモックの寝方は直角方向に

    今回のハンモックは私にとって3代目。パラシュート生地製ははじめてです。恥ずかしながら最近知ったのですが、ハンモックは吊った方向と直角になる方向に横寝するのが正式ということで、今回のハンモックも横方向が180cmのものを購入しました。確かにくの字にならないでしょうね。
    静かなハンモックブームも来ているようです。テント張るよりも地面整地の必要がありませんし、地を這う虫も来ないならいけるかも。アメリカでハンモックがよく使われているのは、気候がよく乾燥した西海岸ではなく、湿度も気温も高い東海岸とのこと。
    里山に持参し試してみましょう。

     

    2017_04_21

    文化度とお札

    フランスのお札



    ベルリオーズ、ドビュッシー、サンテグジュペリ、セザンヌ。
    これはユーロに切り替わる前のフランスのお札。文化スターたちのお札です。


    こちらはスイス。ル・コルビュジエ、アルテュール・オネゲル、ゾフィー・トイバー=アルプ、アルベルト・ジャコメッティ、シャルル・フェルディナン・ラミュ。

    日本では手塚治虫、武満徹とかあってもよさそうと思うのですが。西田幾多郎とかもいいかも。私は好みですが立川談志は無理だろうなあ。宮沢賢治とかは不景気を呼びそうな容姿なのでご勘弁願いたいところ。

    スイスのお札

  • グッドマンさんのコメント

    スイスフラン,まだ手元に残っていました。 人物もですが他の国の紙幣には見られない縦のデザインがとても斬新に感じられます。100スイスフラン紙幣の裏側は, ジャコメッティの作品なんですよね。
    それに比べて右端のユーロ札はなんとも味気ないというか……。初めて見たときは「子ども銀行か!?」と思ってし まいました。ユーロ加盟国すべてで流通するものなので,普遍的なデザインにならざるを得なかったのでしょう。
    ユーロコインのほうは,表のデザインこそみな同じでしたが,裏は国によってちがっていました。それらも国境をまたいで 流通するので,ドイツにいながらいろんな国のコインを手にすることができました。最後までお目にかかれなかったのが, バチカンのユーロコイン。流通量が圧倒的に少ないでしょうし,あったとしてもみな手放さないでしょうね。


  • まつをのコメント
    グッドマンさん、10スイスフランの裏絵は コルビジュェのユニテ・ダビタシオンですね。 すごいなあ、今でも人が住んで生活している建物がお札になるなんて。 ちなみにここは宿泊もできます。 これは宿泊者のレポート。 http://unfilmparle.jugem.jp/?eid=181  こちらのレポートの方が写真的にはよく分かります→。 http://www.linea.co.jp/info/detail/?iid=17 それにしても洗練された空間。

     

    2017_04_19

    珍来ラジオ



    写真は珍来ラジオの放送本番中に訪問した瞬間の図。「え?」とみんなの顔が言っとります。





    2017_04_18

    巻枯らし

    小屋を潰さないように高い木を切り倒す方法

    問】 小屋を潰さないように高い木を切り倒す方法を答えなさい。
    樹高15m程のヒノキ。小屋側に傾斜。小屋と木の間は1m。なお、小屋と反対側には、他のヒノキが枝を広げ、かかり木して倒れない可能性大。


    これが実際に起こりました。
    私がとったのは、巻枯らしという手法。
    幹の表皮を60センチ幅で一周剥ぎます。待つこと2年(通常1年で可)。ヒノキは枯れてカラカラに。それでも押すと弾力性を持って立っていましたが、このまま放置すると危険。
    脚立を木に立てかけ、上部にロープを結びます。そしてその逆の一端を小屋の反対方向の木にテンションをもって結びます。ロープの中心部に別ロープを結び、弓を引くような方向にある木にテンションをかけ結びます。
    ここまでで目的のヒノキは音を立ててしなります。チェンソーで根元を切ることも考えましたが、これはキックバックが起こり事故の危険性大。
    どうしようかしばらく思案に暮れていました。「どれ」とロープに体重をかけると、ヒノキが激しく軋み始めました。これはいけると判断。もう一度、すべてのロープをテンションかけて結びなおし、その後体重をかけますと、倒木に成功。



    根元部分が最後まで踏ん張ってキックバックも発生なし。チェンソーなしで倒木したのは初めての体験です。苦節2年。無事、小屋を潰す危険から回避に成功。この巻枯らし後に倒木しますと、写真のように途中で幹割れが起こりやすいですので要注意です。
    さ、焚火の燃料がたっぷりと手に入りましたよ。盛大に焚火を楽しみましょう。

     

    2017_04_17

    しまばら芝桜公園 春の花まつり

    龍一郎さんと


    島原城を眼下に見晴るかす高台。この豪邸に一人住まう散人氏。


    今回は花祭りで龍一郎さんの書道パフォーマンス。これをコーディネイトしたのは散人氏。


    私は母を誘い出かけました。最近足腰が弱まっていましたが、今日の爛漫の春日を浴びせようと。お気に入り小にょろくんと遭遇し母ご満悦の図。

    散人さんは紛うことなき文化の擁護者。芸術を愛する者を、その胸襟と豪邸を開け迎え入れられる姿勢。私が居候文化、あるいは食客文化と呼ぶ古き良き伝統の体現者。
    「ここらあたりの巷では三悪人の一人と云われとります」と自嘲されます。これは一つに氏の文化度がこの街に入りきらないことの左証。武闘派でもありますが。かつて氏は東宝のプロデューサーとして辣腕を振るってらっしゃいました。その一環をご紹介。

    • 散人さんのコメント
      東京の芸能事務所社長から電話があった。「三枝さんと筒井さんが会って散人さんの話をしていたって、東京にこないかなぁとも」と。三枝さんとは元NHKの演出家三枝健起氏。1945年生。筒井さんとは脚本家筒井ともみさんのことである。もう余程のことがないと東京なんかには行かない。島原に来たらいいのに。でも二人共、歳だしなぁ。二人は松田優作最後の探偵もの「追う男」を1986年に創っている。

      「力也さんのことよろしくお願いします」と下北沢で優作さんに頭を下げられたのはいつだったか? 力也さんとは安岡力也のことで、私がギャング役で初舞台を踏ませた時のことだった。
      散人が神代辰巳岸田理生で川端康成の「浅草紅団」を芝居にしたとき、ひどくうらやましがられた。「舞台化出来んの?」と。

      優作さん、力也さん、神代さん、理生さん、全てあの世に行った。三枝、筒井、散人はまだ残っている。

    義の人 散人さん



    日が回り、散人氏豪邸の食堂で、朝食を食する龍一郎さんの図。カウンターの奥に立つは散人氏。そう、この食事を用意してくださったのは氏です。自身は朝食を食しないのにも関わらず、この心遣い。画面を大きくして申し上げたい。このような図を浮世は知らんわけであります。

    熊本震災の際の救済支援

    また氏は義の人でもあります。1年前、熊本震災発生時、「被災地にはまず飲用水が必要。今こそ、島原大変、肥後迷惑のお返しの時」と電話しますと、氏は早速動かれ、大量の飲用水をフェリーに積み熊本に贈ることに成功されました。その際の氏のコメントはこちら。

    • 17日(日)18:33 まつを氏より「ツイッターに島原が水の支援をしてないのはけしからんという意見が出てます」の知らせあり。それから散人は市議数人、有力者数名に「島原から水の支援をするべき。陸送では量も速度もおぼつかない。ここは海上輸送で」と説いて回った。が動きがにぶい。尚且つ念のためYライン(散人の秘密人脈)を使った。夜、九商フェリーが動き出した。島原市に水の供給を依頼。清水タンクに島原の水道水を積み込み熊本新港に向かった。18日現在も継続中。まつを案成功。

     

    2017_04_15

    私の結婚式親族写真



    懐かしい音源が出てきました。里山で仲間と談笑した時の様子です。
    実は私の結婚式の親族写真にはインド人の一家が写りこんでいまして(笑)。そんな状況に至った訳。上写真をクリックいただくとお聴きいただけます。1分39秒。

     

    2017_04_15

    Facebook広告の凄まじさ!

    14日間で5,800円で広告拡散で17時間で22,866人が閲覧

  • 多比良ガネさんのコメント
    4月1日営業開始したステーキ鉄板焼牛臣のfacebookを、4月12日午後に立ち上げて、有料拡散14日間で5,800円で広告拡散を企てました。グーグルマップの掲載は早かったものの、さすがFaceBookです! 掲載後35時間(深夜3回-18時間)実暴露拡散時間17時間で、なんと22,866人が牛臣のfacebookページを見たことになります! チラシ10,000枚刷ってもこうは行きません。チラシは折り込み料と合わせたら10,000枚入れると50万円ほどかかりますが、たった5800円の有料掲載です。それも西九州限定広告です。おそるべしフェイスブックです。
    ステーキ鉄板焼 牛臣のfacebookページです。
    https://www.facebook.com/gyuusin/

    テレビCMの凋落

  • まつをのコメント
    日本経済新聞 2017/4/6 から
    広告費、ネットが初の首位 17年世界市場予測。  テレビを抜く



  • 散人さんのコメント
    いい気味だ。
    上のグラフを見ると新聞の広告費の落ち込みがひどい。私は新聞購読を止めて3年になる。なぜ止めたか? それは報道の下劣さに嫌気がさしたからだ。日本にしかない記者クラブ制度に安住し、お上のなすがままになってきた数十年。世界に冠たる我が国の「健康保険制度」も高齢化で医療費が上がってくると、厚労省のリークのまま医療機関のベッド数が多すぎるとキャンペーンする。国民はわが街に病院があるから安心して暮らせるという意識を無視して国の宣伝機関に堕してきた。
    そしてとどめはトランプだ。これもまた旧来の米国筋しか情報源がなかったので、当初は泡沫候補扱い。私の周りの新聞信者(団塊の世代)は、散人が「トランプあなどれず」と云っても耳を貸さなかった。米国直のネット情報(高校ぐらいの英語力で充分読める)では形勢逆転と云っていたにも関わらずだ。ということは新聞各社はネット情報をネグレクトしていた訳でひどい話だ。
    広告費逆転はいい気味である。

     

    2017_04_13

    花見なくとも春巡る

    屋外での花見は寒くってさ



    今年は花見の宴なし。花見の時期って、夜にアウトドアで宴をとりおこなうのは寒くって耐えられないことが多いんですよね。昔の人はえらいよなあとか一瞬思いましたが、これ間違い。日本人の平均寿命が50歳を超えたのは戦後の1947年になってからですから、江戸の文化って、結局ワカゾー文化なわけで、アウトドア花見も楽しめたわけで。

    昔ながらの仲間と

    ささっ、内飲みしよ。というわけで昨夜は御近所4人組で諏訪ノ森で1次会。2次会は新大工のどこだったかな。右から漫画家 岡野雄一さん、デザイナ 吉田隆さん、ミホさん、私。フリーランスの方はものの考え方が柔軟で魅力的です。モデルをつとめてくれていたミホさんも、いやいやお若い。


    これはわが家から見える桜。春や春、春爛漫の花の色。

     

    2017_04_12

    美空ひばり

    私は美空ひばりの担当だった

  • 散人さんのコメント
    今年生誕80年、今日民放もNHKも特別番組を組んでいた。

    散人は1973年に一年研修の後、新宿コマ劇場に配属になり、「美空ひばり」の担当になった。担当といっても一番下っぱの役目である。朝10時に楽屋でお出迎え、後は上司が命ずるままに動き、またひばりさんのマネージャーの要望の取次。舞台が始まると劇場の隅で観続け聴き続け、跳ねるとマネージャーからの注文、大道具・小道具・調音・照明と多岐に渡るのを各部署に伝えて回る。これが5年続いた。

    もうこの日本には、生ひばりを聴いた人は少なくなっている。若手であった散人がもう70歳だ。先輩方は死んで少なくなっている。
    一人ウイスキーを舐めながらテレビを観て、うかつにも涙を流した。帰り来ぬ「青春」の日々をあの方に仕えたのだ。我が子を養うのに、あの方がボーナスを出してくれたも同然だった。給与が20万円のころ夏6か月分もあった。我らにとっての「神」であった。

    ゴジラとひばりさんは、我らにとって「神」だった。今劇場はゴジラビルになってるが、ひばりさんが居ない今、一方の「神」が鎮座されているのを喜びとしている。

     

    2017_04_10

    若さは弱みを覆い隠す



    30年来の友人、松永くんが遊びに来てくれました。朋遠方より来たりて そそと焼き鳥。
    焼き鳥屋は店格差が大きいもの。焼き鳥屋というより、鳥の墓場のごときカスカス肉を出すところってありますよね。私のお勧めは眼鏡橋近くのYAKITORI MORIYA。ここの串はステーキを食べているようにおいしい。

    銀行員 50歳切ったら早々にお払い箱に



    一杯傾けながら聞く銀行員悲惨物語。松永くんは支店長となった後、52歳で出向。事実上の職変え。他人の金を1円単位で合わせ、頭を下げ、各種資格を取得させられ、50を切ったら早々にお払い箱というブロイラー的人生。そんな話を焼き鳥を頂きながら嗚咽をこらえ聴く早春の夜。
    松永くんは30年前、猛烈にモテました。ライダーで、銀行員で、イケメンで、バンドの美人ボーカルと結婚。その後、離婚し、今、妻子なく、本業も失い、年収も減り、シュッとした服も入らなくなり……。

    「話がクドくなっとる」
    「よく言われます」
    「だろう?」
    「好奇心の表れです」
    「くどすぎ顔の加藤諒はイケメンとは言われない」
    などと話は続いて。

    うれしいことに最近、いろいろとお誘いを受けることが多くなってきました。しばらく交流が途絶えていた松永くんからも、こうしてお声掛けいただき始めました。歳を重ねるもまた楽し。
    「来月また来ます」
    「ほ~い」
    松永くんに幸多かれ。

    凋落は多くの60過ぎの男や女に見受けられる

  • 散人さんのコメント
    松永君の悲哀。彼の何が悪かったのだろうか?
    「後を追わないで」の一行の書置きを残して出て行った妻。夜半呆然とその書置きを見詰め「俺の何が悪かったのだろうか」と沈思する男。

    一体何が悪かったのか? この地方で銀行は悪くない。親は我が子息の勤め先にはお隣さん方の評判を気にする。外形的な事柄である。「県職になりました」や「銀行に入りました」などは最右翼である。悪くない。でも齢60にもなると妻に逃げられた孤愁や、収入の少なさによる貧乏臭さや、筋力の衰えによる身体的弛緩が表面化する。
    これらは若いころは表に出てこない。「若さ」というものは少々の欠点をも覆い隠すのだ。松永君は本性としてあった「欠点」が、若さが無くなった今表面化してきたのだと思う。この現象は松永君だけではない。多くの60過ぎの男や女に見受けられる。

    じゃどうしたら「凋落」を避けられるのか? それは日々凋落を防ぐ方法を考えることだ。年金以外にも稼ぐ方法を考える。別れた妻に頭を下げ帰ってもらう。土台テレビのドラマじゃあるまいし、深く愛して結婚した訳じゃないから「憎しみ」もまた大したことではない。

    だが70近くなると「凋落」も加速度を増す。本当につらい。だから散人は加速度的に「不良じじい」度を上げている。脳筋を屈強にするしかない。会頭、多比良ガネさん、散人が、巷では「三悪人」と云われている。昨夜も深更あるバーに三人が揃った。他は誰もいない「サンちゃんとこ行っていい?」「いいよ」と、とあるママに云われたのを次の日の昼思い出した。残念。



  • まつをのコメント
    >「若さ」というものは少々の欠点をも覆い隠すのだ。
    >松永君は本性としてあった欠点が若さが無くなった今表面化してきたのだと思う。
    >この現象は松永君だけではない。多くの60過ぎの男や女に見受けられる。

    この御指摘は堪えますねぇ。その通りであります。これは人生を俯瞰して見ることができるセカンドステージの歳じゃないと実感できませんものね。

    >どうしたら「凋落」を避けられるのか? それは日々凋落を防ぐ方法を考えることだ。
    という指摘もその通りだと。たとえば私のダイエットもその一つであったのでしょうね。ポジションやスキルもそう。変わらぬ魅力的を発する散人さんや、岡野さんや、山本さんや、岩永さんや、ryujiさんらは、強力なスキルを身に付ける人生をおくってこられ、また脳筋を屈強にする思考を回し続けていらっしゃいます。

    ヴェニスに死す症候群

  • 散人さんのコメント

    ヴェニスに死すとはあの映画「ヴェニスに死す」のことである。作家平野啓一郎が著書「メチネの終わりに」で流布させたらしい。
    どういうことかというと「中年(40才半ば)になって、突然現実社会の適用に嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく破滅的な行動に出る」というもの。映画は老境に差し掛かった作曲家「アッシェンバッハ」が美少年タッジオに一目でこころを奪われ、破滅的な結末になる、という物語。「アッシェンバッハ症候群」ともいう。現実社会では中年女性にしばしば出現するという。

     

    2017_04_09

    脱北ラッパー

    ホントかなあ? 脱北ラッパー


    裏はとれません。この手の情報は往々にしてデバイスがかかりますので。それをお断りして。
    一部で脱北ラッパーと言われ話題になっているカン・チュンヒョクの動画です。
    最近、世界がキナ臭くなってきていますね。youtubeには腐るほどの情報乱舞。こんな状態で、有事の際に情報見極を我々ができるものか。いやはや。

    アートたけし展 困ったもんじゃのう



    県美術館にアートたけし展。困ったもんじゃのう。

    地方のホールは興行屋の食い物

  • 散人さんのコメント
    バブル最盛期、全国の自治体は我先にとコンサートホールを造った。ゼネコンの知恵者が欧州を真似て「これからは地方も文化芸術の時代だ」と半ば脅迫的に云ったので、県都にはみな仰ぎ見る立派な劇場が出来た。
    しかし手前ではコンサートや演劇を造れないのが次の瞬間分かった。どうしょう? で次に出てきたのは「興行屋」だ。水面下で文化庁ゼネンコン興行屋(散人も居た)が絵図面を書いていたのだ。哀れなるかな地方自治体は、それ以来興行屋の食い物になりつづけていく。
    全国公立文化施設協会、略して「公文協」。興行屋は本部と話せば20館くらいの上演が決まる。こんな楽な話はない。公文協のお偉いさんは文化庁の天下りだ。
    美術館も同じ構図だ。残念長崎県美。おバカを食い物にするのが常道である。

     

    2017_04_08

    RICOH GR DIGITAL


    普段使いはCANON EOS 60D

    先日、愛用カメラ CANON EOS 60Dを紛失したのではないかとざわついたことがありました。これはカメラマンの松尾順造さんのアドバイスで購入させていただいたもの。機材は大きくなるのですが使いやすく、特に夜間撮影の際の鮮やかさは素晴らしくてフラッシュなしで大抵いけます。ですから呑み会に持参するのを常としていました。で、紛失騒動。

    久しぶりにRICOH GR DIGITAL

    これはいかんと、久しぶりに引っ張り出したカメラがRICOH GR DIGITAL。これは伝説の名機と言われている高性能タイプのコンパクトデジカメ。上写真は何気ない朝のわが家を、ボタン一つ押して撮ったものですが、画質はやはり素晴らしい。今後の飲み会にはこれを持参予定。小さいコイツに、太くて赤いトラップを付けてね。

     

    2017_04_07

    退職のご挨拶



    皆様方のお力添えにより、3月31日をもちまして定年退職を迎えることができました。これまでいただいたご厚情、誠にありがとうございます。

    あのサザエさんちの磯野波平お父さんでさえ寄る年波に抗い勤務する姿を範に、私も負けてはならじと4月からまた大学企画広報班デザインアドバイザーとして務めさせていただくこととなりました。しかしながら波平氏が54歳であることを知るに至り、私たちの世代がいかに若いか壮言大語の思いであります。今後もなにか面白いことを皆様方と共に楽しんでいければと考えております。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

    最後になりましたが、皆様のさらなるご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。
    甚だ略式ではありますが、ネット上でご挨拶にかえさせていただきます。
    合掌

     

    2017_04_06

    プティ・ココット



    山本さん岩永さん風花ちゃんと、プティココット。うまい。
    その後、お気に入りの小汚い居酒屋「安居」。
    楽しかったなあ。

     

    2017_04_05

    ポーツマス・シンフォニア

    孤高の爆発的な面白さ



    まずこの演奏をお聴きください。興味を持たれたらこのオーケストラの解説をお読みください。実はブライアン・イーノが最初の2枚のアルバムをプロデュースしています(笑)。クセになっても知りませんよ。私の新たな門出のテーマ曲にしたいと思います。

    • しんのじさんのコメント
      このオケ、以前はコントで「欽ちゃんバンド」などとやっていたのもかすんでしまう真剣さと規模に、価値観がぶっ壊れる思いです。
      ただ、あのクオリティを保つ(笑)のも大変でしょう。慣れたり、上手になったらアウトなので。だから、孤高の爆発的な面白さがあるのか。 もう、本当に「どうしてくれるですか!?」と言いたくなる可笑しさ。 仕事中に思い出し笑いしそうになったではありませんか……。

     

    2017_04_04

    国産ジン



    じだらくさんから国産クラフトジンをいただきました。合掌。
    先日、諏訪ノ森さんから頂いたジンも含め、国産ジンの超マニアックな世界が広がりつつあることを教えていただきました。

    米が原料

    両製品とも、米を原料に蒸留されています。つまり米焼酎なんですね。これをベースに、各社独特の十数種類のボタニカル(香味植物)がブレンドされたもの。
    もはや市民権を得た焼酎文化が更なる高みを目指し展開していきつつあるのが、国産ジンという領域であるようです。

    焼酎のブランディング化

    我が国の酒文化を牽引してきた日本酒が、健康志向から焼酎にその座を譲りました。その焼酎文化のブランディングが国産ジンとして展開されようとしているのでしょう。ですから高級なスピリッツとしての位置づけ。実際いただきますとおいしい。
    たとえば「百年の孤独」など高級焼酎と称されるものも、呑んでみるとそれほど格段の差異を感じないものであったことは誰しもが感じていたこと。国産ジンはその現状のブレイクスルー。現代の日本人が求めていたテイストが広がります。

     

    2017_04_03

    ローランドの創始者



    ローランドの創始者である梯 郁太郎(かけはし いくたろう)氏が4月1日に87歳で亡くなったとのこと。氏の会社が生んだ技術がなければミュージックシーンは変わったものになっていたでしょう。私の音楽でさえ、DTM(デスクトップミュージック、打ち込み音楽)やMIDIやシンセサイザー、エフェクターと氏の技術の上に成り立たせていただいていました。ご冥福をお祈りします。
    氏の苦労多いプロフィールを今回改めて知りました。以下、誕生から青年期までをウィキから転記
    • 誕生から終戦後
      1930年、大阪府生まれ。梯が2歳のころに両親が相次いで亡くなったため、祖父母によって育てられた。大東亜戦争(太平洋戦争)終結後、先に大阪から宮崎県高千穂町に移住していた祖父母を頼って同地に移住した。
      梯は独学で腕時計の構造を学び、1947年、16歳で「かけはし時計店」を開業した。その後梯はラジオに興味を持つようになり、ラジオの修理も手がけるようになった。
      千石荘での入院生活
      梯は20歳の時に大学受験を決心し、4年にわたって営業を続けていたかけはし時計店をたたんで大阪に移住した。しかし、新しい大学制度のもとで大学受験資格を得るために必要な在学年数が足りないことが判明したため、大学受験資格を得るために大阪府立北野高等学校の夜間部に編入した。ところが、卒業を目前にした1月に喀血し、精密検査の結果結核に罹患したことが判明した。短期で治癒する見込みがないことから、大阪の南にある療養所の千石荘に入院し、高校は退学した。
      当事の食糧事情では診療所の食糧確保もままならない状態だったため、入院患者は自衛のためにある程度は自力で食糧を確保する必要があった。梯は入院中も時計やラジオの修理の仕事を行い、入院費や食糧調達のための資金に充てた。試験電波を受信するためにテレビを自作し、見物人が病室からあふれる事もあった。
      入院生活の甲斐なく梯の体力は徐々に低下し、特に入院から3年経過したころに急激に体調を崩した。しかし、幸運にも当時新薬として発表されたばかりのストレプトマイシンの被験者に選ばれ、ストレプトマイシンの処方を受けたことで梯の体力は劇的に回復した。結核から回復した梯は千石荘を退院するが、入院生活が4年間の長期にわたったことで、梯は大学入学を断念せざるを得なくなった。
      カケハシ無線設立
      梯は退院と同時に結婚し、大阪市阿倍野区文の里で「カケハシ無線」を開業した。梯はバロック音楽、特にオルガン音楽のレコードをよく聴くようになり、次第にオルガンを自分で演奏したいとの思いを強くしていった。ある日、梯は同志社大学栄光館にあったパイプオルガンを見学した。梯は実際にパイプオルガンの構造を見て電子回路でオルガンを再現することを思い立ち、小売業の業務のかたわらトランジスタを用いたオルガン試作第1号機(モデルナンバー無し)を製作した。

    晩年、氏が設立したATVのエレクトロオーガニック・パーカッションaFrameをご紹介。グッドマンさんの音楽に合いそうですね。

     

    2017_04_01

    さて


    なにしようかなぁ。

    顔には人生が刻まれる

    きのう、退職のためのセレモニーにいったんですよ。で、同じ歳で初めて会う人の集団がおるわけですね。100人ぐらい。なんといいますか、人生を改めて俯瞰させられますよ、ホント。

    顔立ちとかですね。
    顔には人生が刻まれているって言いますが、それが感慨を持って沁みこんでくる風景。もっと端的に言えば、「お前、今まで、どこで、なにしてきた?」って思ってしまう人がいるわけです。もんのすごいハゲ散らかした人、分かりますか? 知的にハゲているんじゃなくて、人が40年近く足を踏み入れてないテニスコートの雑草みたいな頭した男とか。

    服装にしても、全身ピンクに身を包み、頭にリボンつけている身ぎれいな女性が、こっちに近づいてくると、皺くちゃのホラーだったりとか。

    身のこなしに至ってはもっと端的に人生露呈で、呼名されても返事一つできない老齢引きこもりとか、駄々っ子のように足投げ出して椅子に座っているヤンキージジイとか。

    改めて、私が普段お付き合いさせていただいている方々が、魅力的なダンディさんだってこと思い知らされた日でした。今後ともひらによろしくお願い申し上げます。

    ありがとうございます


    あたし姉さんご夫婦から頂いたGデザイン。私のデスクに馴染みますねぇ。ありがとうございます。


    オーノさん、バカラありがとうございます。


    皆様方のご厚情の花々。放つ香りに囲まれた耽美的生活。

    食う寝るところに住むところばっかり考え続けた人生はアウト

  • 散人さんのコメント
    「まつを」云うところの齢60になると出るのですなぁ、顔に。平の兼盛さんをもじると、
      しのぶれど 顔に出にけり君のアホ どげんしたと、と 人の問うまで。
    やはり食う寝るところに住むところばっかり考え続けた人生は、本来備わっていた例えば人間としての矜持を失くして行くのであります。20才くらいがピークで、減価償却するがごとく減り続け、今や65歳の年金支給を川辺の穴倉に住まいしサンショウウオのごとくじっと待ち続ける日々。 おおいやだ、いやだ。

  • まつをのコメント
    つくづく思いましたのは読書の大切さ。別に本だけでなくても、サイトでもいいので知的入力のない人生は怖いことになると。そうでないと、減価償却だけが進行していくことになるようであります。

     




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    Profile まつを

    生きてることを楽しもう。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。長崎市・島原市との多拠点生活。

    「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。