2020年12月
雪の日
雪
起きると窓の外には雪が積もっていました。2020年最後の日の朝。
みなさん、今年もお世話になりました。この胸いっぱいの感謝を。合掌
ヒトはネットでの接触に
今年は歴史的な年でしたね。
コロナ禍でヒトの直接的接触が寸断され、リモートワークによる在宅勤務など人類は電界接続で互いを確認しあう存在に大きく振れた年でした。
わが家の構造進展
わが家の振り返り。いくつか挙げてみますね。
数十年の勤務生活を閉じて、私はフリーランスに。コロナ禍による経済活動低下もあって、ゆるやかなスタートでしたが、長年やり残してきたことの整理と相応のリズムを掴むことができました。お世話いただいた皆様方に改めてお礼申し上げます。来年は新たな展開が見えそうな気がしています。
家人はいつも穏やかで実直でいてくれます。ありがとう。私がフリーになったら二人で欧州旅行も考えていました。彼女の大学時代の専攻も美術史でしたから。でもねコロナ禍で渡航ができなくなって、まずはアートの島 直島に出かけました。
娘は結婚。コロナ禍で、両家の顔合わせはSkypeで。両家に式次第が届けられ、お寿司の出前が届けられ、予定された時間にSkypeで「初めまして」。若いカップルがセッティングしてくれたものでした。神社で神前に二人だけで誓いを立て入籍。披露宴はまだです。
息子は成人に。よくぞ成長してくれました。神仏と、大閑道人さんをはじめとする素晴らしい大人の皆様にも愛でられた息子は幸せ者です。
皆様 よいお年をお迎えください
ここをお訪ねいただいている皆様に改めてお礼申し上げます。ありがとうございます。来る年が皆様にとりましても、素晴らしい年となりますことをお祈りいたしております。
これからも当サイトをよろしくお願い申し上げます。「まつを」で検索していただきますと、いつもここにおります。合掌
Glitter of Stars
暮れ行く今年のために1曲。よければ聴いてやってください。自作曲です。
相棒ジル
朝一番の愛のサーブ
最近目を覚ますのは、午前2時半から4時の間。エアコンとコタツをつけると、ジルは脱兎のごとくやって来て、私に抱きついてくれます。いいよね、朝一番で愛のサーブ。いつもありがとう。
定位置は私の太股
わが家のメンバーになって2年数か月。いいんじゃないかい。夜は一匹で部屋におとなしく寝ています。朝一番の抱きつきご挨拶の後は、コタツに入った私の太股の上のコタツ布団でまたすぐ寝入ります。で、私がリビングにいる間はそこが定位置。「どいて」という言葉も覚えたみたいなんですが、いつも寝ぼけているので反応は緩慢。
トリミングは私が
ジルのトリミング担当は私。今度のカットはうまいこといったかな? 似合うカットがだんだん分かってきたみたい。昨年の冬は延ばしっぱなしにしていたら、春の毛玉が大変なことになっていましたから、今度はずっとカットしてブラッシングをやってます。寒い夜にはジルのペットハウスにはヒーターを入れています。
縁側の塗り替え
数十年間超本格的にやっていなかったことを一気に
庭そして室内。旭亭ではメンテナンスが続いています。
今度は座敷の縁側の塗り替え。シミや汚れの入った板面を補修します。
まずサンドペーパーがけ。少しづつ番手を上げていき、表面の古くなったニスを除去。って、簡単に書いてますが、体がパンパンになる作業。
古い塗装が取れ、拭きあげたら、上からシーラーを塗ります。これはニスの定着をよくするもの。一晩おいて乾燥させたら400番手のサンドペーパーをかける。
そして最後に水性ウレタンニス塗り。洗面台を作った際に使用した多少高級な塗料を使いましたので、耐久性は高いでしょう。近年のアクリル塗料材の発展には目を見張るものがあります。
にしても、ずーっと大掃除しています。数十年間超本格的にやっていなかったことを一気に。
縁側は家の内でもあり家の外でもある
雪見障子越しに見る庭。縁側が挟まれていることによって生まれる日本の美。
かつて大閑道人さんはこう書かれました。
「縁側は、家の内ではない、家の外でもない。いや、これは表現が悪い。縁側は、家の内でもあり、家の外でもある。話をするにしても茶をすするにしても、並んで座ったり、直交した対面であったり。
境界には違いないが、ビタッと、内外を分離するものではなくて、緩やかに曖昧に内部も外部も相互に侵入し漏れ出す領域。だから、対立を避けつつ本音が出て落とし所もおのずと了解される」
反知性主義が招くコロナ被害
知に敬意を払わぬ政治
2015年、政界で強まった反知性主義。知に敬意を抱かず、合理的思考を疎んじ、高学歴官僚を捨て駒として粗雑に扱う。その中央政権の風潮が現在も尾を引き、コロナ対応が後手となり混乱をもたらしています。
明治政府は学ぶ姿勢に溢れていた
歴史を思い起してください。明治開国に際し、わが国は政府主導で多くを西欧から学び、成長していきました。そこでは、学問に基づくテクノロジーと社会システムを学ぶ精神に溢れた姿勢が中央政府に満ち満ちており、だからこそあれだけの発展もあったのです。
例えばマスク一枚
振り返って現在、知性的判断を尊重する姿勢がどれだけあるのか。疑問を感じています。
コロナ禍で最初に行ったことが小さなマスク1枚であり、この配布に数か月かかったことを私たちは体験しました。「勝負の3週間」と声高に叫ばれた時期、当局が無策であったことを私たちは知っています。感染症対策専門家会議が告げる予想値への反応は遅く、対応を検討すべき国会も1月開催の常会まで先延ばされています。よく台湾政府と比較される速度の違い。
危機管理能力への疑問も頭をもたげます。
学者を尊重し対応が早かった雲仙岳噴火災害対応
雲仙岳噴火災害の際、自治体は、太田教授をはじめとする専門家の意見に実直に従い、直ちに判断を下し行動していました。そうでなければ住民の命が守れなかったからです。政治が命の近くにありました。そのことを思い起こすたびに忸怩たる思いが湧いてきます。
『学問のすゝめ』をもう一度
福沢諭吉の『学問のすゝめ』はこう始まります。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている。人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう? それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ」
大航海時代がもたらしたパンデミック
コロンブスの新大陸到達で先住民の大半が死亡
コロンブス交換。これは1492年後の地球の東半球と西半球の間の植物、動物、食物、奴隷を含む人々など甚大で広範囲にわたる交換を表現する言葉。
この時期にアメリカ大陸では歴史的パンデミックが起こっていました。ヨーロッパの疫病が抵抗力のない新大陸の人々に襲いかかったのです。1545年から1548年にかけてのメキシコでの大流行では、先住民の約8割が死亡。征服から1世紀経ったのち、メキシコの先住民の人口は征服直前のわずか3%にすぎなかったという試算もあるといいます。
戦争よりも大きな被害であり、歴史として語り伝えていくべきことなのですが、学校の世界史ではなぜかあまり触れられません。グローバリズムは先住民を根こそぎにするという事実。
コルテスもアステカでパンデミックを引き起こした
下は1519年にスペインのコルテスがアステカを征服して以後の、メキシコの人口崩壊です。同じことをやらかしています。わずか50年で人口は10分の一にまで死に絶えています。
欧米の人々はパンデミックというと、ヨーロッパ中世のペストを例に出します。そうではなくって、このアメリカ大陸で引き起こしたパンデミックを提示すべきなのです。
異星人との接触があるときも
私たち人類が異星人と接触する際も、同じことが起こるでしょう。
実際、インフルエンザは宇宙からやってきているという説があります。
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Oggiインフルエンザは宇宙からやって来たって本当!?
青の世界
空が抜けるように青い。
わずか4キロも上に昇れば、そこには生物のいない世界が広がっている。
無臭の世界
アルピニストの野口健の匂いの話がおもしろい。
ヒマラヤの森林限界は4,000mあたりから。そこから上には植物が育たず、生物がいない。匂いのない世界。無臭状態にいると、ヒトは不安になって知らず知らずのうちに匂いを探す。
森林限界から下山すると小さな花がある。クルーは懸命になって匂いを嗅ぐ。麓に降りてヒトの営みの匂いを嗅ぎ、日本に帰国して鮮やかに漂う多様な匂いにうっとりし、女性に思わずついていきそうになると。
命が多様な色彩と匂いをもたらす
ヒマラヤの森林限界を超えた風景では色彩も限られる。岩肌のグレー、雪の白、そして空の青。無生物の世界の色だ。
エーゲ海の青い海の色も、生命体が少ないことによってもたらされている。環境破壊の終末の風景だ。かつてあった森林は、文明が起こり放牧が広がり消えていき、土壌は雨に流され土地は痩せ、海も痩せて生物は激減した。青いエーゲ海は「海の砂漠」だ。
鳥取砂丘も環境破壊の終末の風景だ。かつてのタタラ製鉄のため森林を伐採し、河川は氾濫し、流出した土砂が溜まった。
命が、多様な色彩と匂いをもたらす。
水塊(すいかい)
たっぷりとした美しい水の塊
サンシャイン水族館などのプロデュースで知られる中村元。彼の中心思想は、水塊(すいかい)といいます。
人は、水族館に大きな水の塊を観に来るのだと。日常を超えてたっぷりとした美しい水の塊を目の当たりにしたとき、私たちの魂は解放されるというのです。そんな水族館であってこそ、はじめて子どもの施設から、たとえばデートの場などシャレた大人の場として耐えうるものになると。
冬の海はどこまでも澄んでいました
護岸の上、一歩先に深さ数十メートルの水が満々と広がる存在感に圧倒されました。よく晴れた日。珍しく微風の中で眺めるそこには、ただならぬ水塊がありました。
ブロワーを購入
枯れ葉に悪戦苦闘
今年の紅葉はいわゆる枯れ葉ぽくって、美しさに欠けましたね。
旭亭の庭も同様でした。きったない枯れ葉が庭一面に広がっています。落ち葉にホウキやクマデで対応してきましたがラチが明かない。植木の間や苔の上の落ち葉は取れないんですよね、ホント。放置しておくと、落ち葉の下の苔が枯れてしまいます。散々苦戦した挙句、ブロワーを購入しました。
ブロワーは巨大なドライヤー
ブロワーはドライヤーのお化けのようなもので、写真に写りこんだ私の足と比べてもらえば、大きさもお分かりいただけると思います。
これをドライヤーとして使ったら、カツラは数十メートル吹き飛ぶでしょう。効果は抜群。長年降り積もっていた落ち葉を除去。これで苔も復活しはじめるかな。
旭亭
かつて家屋は神殿であった
日本の家屋はかつて神殿でした。
貧しくとも村落の家屋の中心には、神棚があり仏壇があり、住まう者は神仏に手を合わせて暮らしていました。祈りは、広大な世俗に投げ出された人間にとって、すがる縁でした。
今、コロナという作為を超えた存在が、世界を覆っています。ロシアンルーレットのように突然立ち現れる災いに、私たちはそれまでの生活様式の変更を余儀なくされています。まるで核爆発後の放射能が過ぎ去る時を待つシェルターの暮らしのように。
旭亭は作務に導く
旭亭は神仏を祭る中で、人間がおのずと清めのおつとめに精を出すように導かれる空間です。
島原城の正門は今と違う
幼いころから親しんだことって、改めてよく考えてみれば分かっていないことってあるよね。たとえば漢字の字源とかさ。私の場合、その一つに故郷の島原城のことがありました。知識の落とし穴。
島原城の正門は今とまったく違う
昨日、相棒ジルと散歩に。今回チョイスしたのは島原城。あそこって入場料なしで入れるってことは、地元の人は知ってて、その方法は文化会館の裏手から入ること(上図の赤いとこ)。ユルイよね。地方のよさね。で、そこからジルと入っていったんだけど、昔はなかった説明版が立ってました。なになに。
- 上図の青い箇所に現在設けられている入場坂は、昭和になって復元する時にできたもので本来なかった。かつては上図の赤い箇所が正門。そこには屋根付きの廊下橋が架かっていた。
あ、知らなかった。
復元された橋
(写真:「島原城歴史散歩:廊下橋復元プロジェクト」から)調べてみるとこの廊下橋の復元を企画した人たちがいたんだね。そのプロジェクトは2015年に廊下橋を木製パネルで復元して実際に掛けてるんです。つまり上の写真は画像合成じゃないんです。詳しくは下リンクをご覧くださいね。なお、プロジェクトの終了と同時にこの橋は撤収されています。
すごい。拍手!
冬至にはゆず湯とカボチャ
ということで昨日は3キロぐらいジルとテクテク。帰って、ゆず湯に浸かり、カボチャを食しました。島原ではカボチャのことをボーブラって言います。調べてみるとポルトガル語に由来するものらしい。カボチャはポルトガル船によって日本にもたらされたものとのこと。いやあ、知らないことばかり。
オランダだより
もうすぐ冬至のオランダ
写真はアムステルダムの中央に位置する「ダム広場」という場所です。いつもであればたくさんの人で賑わうこの場所も,ハードロックダウン中の現在は写真のように人の姿もまばらです。
撮影時間は午後の5時50分。すっかり真夜中な雰囲気です。
国王が住んでいない王宮
クリスマスツリーの後ろに見えるのは「王宮」と呼ばれる建物で,もともとは市庁舎だったのものですが,1808年にナポレオンの弟である「ルイ・ボナパルト」が王宮として使い始めてから現在に至っています。
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注)先日書いたとおり、この後1810年からナポレオンによってオランダという国は5年間なくなる。その間オランダ国旗がはためいていたのは出島だけだった。
王宮といいながら,現在のオランダ国王ウィレム=アレクサンダーは,ここには住んでいません。
- 注)国王一家の住まいは、ハーグの森にある「ハウステンボス(森の中の家)」と呼ばれる宮殿。長崎県佐世保市にあるハウステンボスにある「パレス ハウステンボス」はその外観を、オランダ王室の許可を得て再現したもの。
あたたかい社会でいたいね
旭亭、ヤマボウシの紅葉。
コロナ禍で、私は現在とても狭い人間空間の中で生活しています。家人と愛犬ジル。以上。
価値観の転換にともなうギクシャク
忘年会自粛をはじめ、旧来の生活習慣の転換を迫られ、それぞれの身の回りで人間関係がギクシャクしていますね。コロナ禍に対する各人の温度差。慎重になる人と、「まあいいじゃない」という人。
世間には様々な価値観を持った人がいるからこそ面白いわけですから、そこんところ頭に入れておきましょうね。飲み会に行く行かないってなことぐらいで、それまで温めあってきた交友を消滅させるなんて、バカげてます。
それぞれの人には、それぞれの事情。家族に病弱な人を抱えている人ですとか、自身がそんな状態の人ですとか、高齢者ですとか、社会的立場だとか。こんな時代ですから寛容さとあたたかさが大切だよね。
わが家
トーンを統一しました
マンションをリノベーションで、ダイニングとリビングを一つにしました。
リビングダイニングを居心地よくするには、色彩と質感の調整が大切だと思っています。色相の飛ぶモノを置かないこと。かわいいからと黄色系のモノと赤系のモノを次々に置くようなことをしないようにしてます。質感もプラスティック素材が苦手なので、できるだけ木と金属で構成。
コタツ大好き
コタツのゆるさが大好きです。リビングはくつろぐところ。黒のソファーに合うコタツを探すのに数年かかったかな(笑)。もんのすごく小さい白のコタツ。これにもんのすごく広いコタツ布団をかけてます。ソファーに座りながら、コタツに足を入れてヌクヌクしていると、愛犬ジルが太股のところの布団に乗ってきて眠ります。しあわせ。
多灯分散でゆるやかに分ける
ダイニングとリビングは照明でゆるやかに分けています。光で分ける。部屋全体を一つの照明で明るくすると、ノッペリしますよね。テーブルとコタツの上は明るく照らす。食事をおいしく見せたり、本を楽に読めるようにね。深夜バーのようになる照明もできるようにしていると楽しいですよ。
ジルがゆるさを
ホテルのラウンジがゆったりできにくいのは整いすぎてるから。ゆるさが大切だと思います。わが家では整えた空間を愛犬ジルガゆるーくしてくれています。
新型コロナと闘うナースたち
ナースに求められる条件
重症COVID対応可能ナースに求められる条件は、次のとおりです。
- 清潔と不潔に対する厳しい区分けが身についていること(一つ間違うと、他の人に感染を拡げるのみならず、自らの身に感染が及ぶ)
- 出来ればICUや、心臓手術を扱う病院の手術場で勤務歴があることが望ましい(人工呼吸器の操作は勿論のこと、大血管確保の的確なサポートや、人工心肺についての基礎的な知識が身についていることが必要)
- 出来るだけ独居の単身者であること(他の人に移すリスクが下がる、ただし精神的に参った時、支える人が身近にいないという非常に大きな問題もある)
ナースに敬意を
大体、上記のポイントを押さえて人選されるようです。選ばれた人は、正直、たまったもんじゃないと思うでしょう。彼ら&彼女らは医師以上に患者さんに対峙し、最前線で闘っています。彼ら&彼女らに最大限の敬意を表します。
一生モノの時代
やっとわが国も大量消費時代を抜け、一生モノを愛でる時代になりつつありますね。はじめて在宅として迎える年末。入念なメンテナンスをしています。勤務していた頃は手が回らなかったレベル。
一生モノのメンテナンス
このシステムキッチンが大好きで購入したのがもう30年前。今でもこの製品でよかったと実感します。メンテナンスに手がかかるけどね。表面に張られたコーティングの剥離を接着剤で補修し、周辺の跳ねをアルミ等辺アングルで定着。部材間のコーキングのゆるみを再コーキング。その上で磨き上げています。
ずーっと好きな製品がこの国に増えれば嬉しいなあ。
あ、この写真の机も大好き。一生モノです。
youtubeで学べます
各種メンテナンスのノウハウはyoutubeで学んでいます。今では大体のことは載ってます。
高齢者が身体にガタがきて病院通いでメンテナンスするように、一生モノ家具も補修ノウハウを学んでメンテナンスしてあげなきゃね。
フレンチトースト
昨日のおひるはフレンチトースト。
急増する移民-ロンドンの食と社会の変化
イギリスの食い物はまずい?
Q 「イギリスで食べたもので一番美味しかったものは?」
A 「日本から持っていったカップ麺」
ツイッター速報より
イギリスは他の欧州諸国の例にもれず移民がガンガン入ってきていて、ロンドンは移民の街に変わってるとかで、食も、インド料理、アラビア料理、中国料理と食えるようになったとか。
でも何食ってもまずいとエルキュール・ポワロが言ってたような。
私たちの想像を越える移民の急増と食と社会の変化
エルキュール・ポワロ? あ、アガサ・クリスティ作の推理小説の登場人物ですか。知りませんでした。となると1970年代までの発言かな?
近年、イギリスを訪ねた人は「あるべきロンドン」がないと驚くそうですよ。移民の街ロンドン。労働者階級の白人英国人が通っていた「カフ」、昔ながらの食堂はほとんど見当たらない状態。なんとなくネパールやパキスタンの下町にいったような感覚になるとか。
ロンドンはニューヨークやトロント以上の人種のるつぼで、白人英国人はもはやマジョリティにあらず。
2001年から2011年の間に、ロンドン中心部から郊外やロンドン外に多くの白人が移住してて、ロンドンの白人英国人は44.9%。ロンドンの学校で話される言語は300超。
こんな変化で、レストランは多様化し、スーパーには異国の料理素材が並ぶと。
移民の急増は欧米を被う大きな課題となっています。そもそも国家はそれまでの住民が築き上げてきた制度の上で成り立っており、医療や教育や雇用制度が根幹から見直されねばならなくなってきてて、国家のかたちが現状のままではもたないところにき始めています。
そんなこともあって、国内は右派、国家主義の台頭が見られる。で、ポリコレの論議も出てくると。トランプはその問題に「本音で行こうぜ。自国優先で行こうぜ」と主張した政治家でしたが、ご存じの状態になりました。まだまだこの問題は続きそうです。
!?の後は 1文字空ける
ローカルな校正現場はムチャクチャ
結構昔から、編集の仕事にも関わり、校正もやってきました。
ローカルな校正の現場ってひどいところが多くって、先輩諸氏によって訳の分からない表記基準がつくられてるんです。こんな現場の管理職って用字用語集の存在自体を知らない。だから大混乱。訳の分からないことやってます。部下として仕えたころは苦労しました(笑)。
今日も表記法の話を一つだけ書いておきますね。
感嘆符(!) 疑問符(?) の後は1文字分空ける
-
〇 何してますか? 忙しいですか? 手伝ってもらってもいいですか?
× 何してますか?忙しいですか?手伝ってもらってもいいですか?
こんな会話的文章だけでなく、文章中の!?の後は1文字分空けます。
この表記法については用字用語集には載ってますし、下記サイトで詳細にその根拠を詳しく書いてくれてますので興味のある方はご覧になってください。
10,000と書くか 1,0000と書くか
かつて小学校では1,0000と書くと教えていた
大きな数字を表すとき、10,000って3桁ずつ,で区切りますよね。当たり前だと思ってるでしょ?
でもね私は小学校の頃に1,0000と4桁ずつ区切ると教科書で習ったんです。これ、日本では万、億、兆と4桁で単位が変わっていくからだったと記憶しています。しかし世の中に出ると10,000。学校で習ったことが通用しない。長いこと混乱していました。教育って大切。習ったことを修正するのって容易なことではありません。
10,000って3桁ずつ区切る根拠は「公用文改善の趣旨徹底について」にあります。
- 「公用文改善の趣旨徹底について」(昭和27年4月4日、内閣官房長官依命通知)
大きな数は,「5,000」「62,250 円」のように三けたごとにコンマでくぎる。
これはthousand, million, billion,……と3桁で単位が変わっていくラテン語系に合わせたものなんでしょうね。
実は10,000も間違い
これが世界的スタンダードだと思ってるでしょ? 違うんです。 国際単位系という世界的なスタンダードを決めたものがありまして、ここには「,で区切るな」って書いてあるんです。
- 「国際単位系」
桁の多い数を表す場合には、読みやすくするために,空白(space)を用いて3桁毎のグループに分けてもよい。ただし、グループの間に点「.」やカンマ「,」を挿入してはならない。
例:43 279.2 0.168 29 不適例:43,279.2 0.168,29
「そうなんだよね」と彼は言った。
「。」の表記も、学校が教えるものと世間では違います。 学校では今でも次のように書くように教えてます。
- 「そうなんだよね。」と彼は言った。
- 「そうなんだよね」と彼は言った。
出版業界や新聞社では、独自の用字用語集を作成し、その会社のガイドラインとしています。その中で決まっています。ただ用字用語はすべて統一されているわけではないんですがね。私は『記者ハンドブック 新聞用字用語集』(共同通信社)を使ってます。
トランプは鬼滅の刃を握ったか
高みの宴は聖なるワインで口を潤す
故国を追放されて二千年の長きに亘り世界を彷徨い、虐げられ差別され続けた民族の血涙が育んだシオンの苑への回帰の夢は、一方でユートピア夢想を擬して神を排除した幽霊供が徘徊するカルトの種をも植え付けた、それはあくまでもエッセイ(試想~試論)の類でしかなかったが、その狂信はついに百年の歴史を刻みつけ、いまや白日の下に血肉を得た幽鬼さながら世界を闊歩しはじめた。同様に、民衆とは縁遠い人知れぬ暗がりでは、拝金思想の闇の帝国(アンダーステイト)か築き上げられ、事実上の世界のエスタブリッシュメントたり得たのである。
デモクラシー(民衆政治)が神の血と信じた安ワインに酔い痴れて愚民政治に堕落しているあいだ、より高みの宴では民衆は勿論のこと少々の金満家が拝む事さえ難しい聖なるワイン(シャトー・ラフィート・ロートシルト)が、なみなみと注がれたグラスが少数の主役達の口を潤していたのである。この酒はエリザベス女王が来日された折の皇居での宴にも持ち込まれたものでもあったが、日本の神々がこのワインを好むと言う話を知らない。酒名のロートシルトは無論ロスチャイルドの意である。
さてトランプ大帝の手に果たして鬼滅の刃は握られ得ただろうか、硝煙なきクーデターの鎮圧は如何。
世界帝国の秘密
おおー、世界帝国の記事。ありがとうございます。例えば、このことでしょうか?
大国難に一人仁王立ちする勇者トランプ
申し訳ありませんが、残念ながら例によって未だ(笑)ネグリとハートの「帝国」を目にしておりませんm(__)m。
近現史の新しい史観は各国の機密文書開示などもあってインテリジェント・ヒストリー(情報史学)の確立に負うこと大であったろうと思われますが、ご指摘の「帝国」も恐らく想定出来た論説であったようですね。ボクが興味を惹かれたのは実はそのような政治的予測論の類いではなく、実はトランプと言うまことに稀有な個性の大統領の登場とその言説に惹かれての事でありました。
彼はなかなかの知的人物のようでありまして著書も多いと聞きます。無論独裁者でもなければ革命家でもなく、まして帝国主義者であろうはずもありません。アメリカ・ファーストと彼が言うようにまさに反グローバリストであり、それは保守者の面目躍如たる「アメリカの本質を取り戻せ」という誇らしい宣明にほかならず、「戦後レジームからの脱却」を掲げて中座した安倍前総理との相性が偲ばれます。既得権益にしがみつき堕落を包み隠す事さえ出来ないオールドメディアからは何一つ伝わっては来ませんが、大国難に一人仁王立ちする勇者をさえ感じさせるといえば失笑を買うことにになるでしょうか(笑)。
血を流さない「民主主義」の成れの果て日本
思えばトランプ氏が当選を果たした4年前、日本の殆どのマスメディアは苦戦と報じた。中国バイアスがかかっていたのだ。
日本は先の大戦で一敗地に塗れたけれど、20世紀をパックスしたのはアメリカであったのは確かな事実。それは黒も白も黄色も関係なく新世界を築こうという強い意志。欧州の意のままにはならないという強い意志。ユダヤ資本主義乃至帝国主義からの脱皮。
しかるに日本のリベラル層やマスコミは、ソ連に追従し、今また中国に媚を売る。血を流さない「民主主義」の成れの果て日本。三島先生没後50年の折、老兵散人も時折気炎を吐いてみる。
日本からイノベーションが生まれないのはなぜ
巣ごもりになってツイッターが荒れている
ツイッターなんかを見てると、いつの間にか鬱々とした気分になってることがあって、それはそこが否定や罵詈雑言のバームクーヘン状態の世界だから。
みなさん、お互い気を付けて健康な心を保ちましょうね。建設的な文章を読まなくちゃ。特にツイッターはコロナで巣ごもり状態時期になってから荒れてます。
スカッとする記事に出会いました
いい記事に出会いました。
「1台36万円でも100台が完売、“アップルの中枢を知る男”が立ち上げたコーヒー器具メーカー」というやつ。
記事の中からいくつかピックアップします。日頃、思っていたことをズバッと指摘してくれています。
デザインから
「ジョブズが最初から、『引っ張って出すアンテナはダサいから絶対つけない』と決めていたからね。アンテナをつけるといろいろな問題がクリアになったんだけど、アンテナは許せないというから、アンテナの専門家をたくさん雇って内製化しました」
じゃあ作ってみたら?
「アップルのすごいところは、なにかのアイデアがあったら、『じゃあ作ってみたら?』と言われるんです」
営業マンがエンジニアより優遇される企業なんて
「日本のメーカーに勢いがあった時代って、エンジニアがトップに立っていたじゃないですか。ホンダもソニーもそうでしょう。僕は、そうじゃないメーカーってひとつも知らない。でも企業が大きくなって、営業とかマーケティングの人がトップになってから、面白くなくなった。今は営業マンのほうがエンジニアより給料が高かったりするでしょう。泣けるよね。少なくとも、アップルはそうじゃなかった」
日本の家は寒い
オランダはセントラルヒーティング
こちらの暖房は写真のようなやつです。いわゆるセントラルヒーティングですね。部屋をじんわりと温めてくれます。今住んでいるところは,この放熱部分が壁や床に埋め込まれていて見えないようになっています。暖房のことはほとんど意識することはなく,室温が廊下や風呂場,トイレにいたるまで常に20度前後に保たれています。日本のように化石燃料を室内で燃やすなんてことはまずないです。日本の家は寒い
欧米ではセントラルヒーティングが基本で、家中暖めるのが普通。さらにEU各国では、家の売買や賃貸の際、室内を快適に保つ(冬季20℃)に必要なエネルギー消費量、つまり家の燃費性能の表示を義務付けています。
一方、日本では高齢化も進み、家内の温度差でおこる「ヒートショック」で亡くなる方が増えています。入浴中の死亡はその典型。ヒートショックによる死亡者は年間17.000名を超えていると推計されています。
1970年代までは、日本も欧米もほぼ無断熱に近い建物でした。ところがオイルショックが起こり欧米はどんどん家の断熱化が進み、今では日本とは桁違いの気密・断熱性能を持つようになっています。
化石燃料を未だに室内で燃やす日本
家の気密・断熱性能が上がれば、排気を室内に出す石油ファンヒーターやストーブは問題化し、日本の大手メーカーも撤退しています。goodmanさんもご指摘のように、欧米人は豊かな日本が未だに家の中で石油燃やしているのかと驚くといいます。暖房代の比較
「暖房器具のランニングコストを比較、安いのはどれ?」というページがありましたので、ご紹介しておきます。
冷え込む季節になりますと、このように暖房器具に目が行ってしまいますが、第一には家の気密・断熱性能を上げることのようです。2重窓の取り付けとかですね。
オランダだより
オランダは樺太と同緯度
現在私が住んでいるオランダ,アムステルフェーンは北緯52度に位置しており,北海道よりもさらに北の樺太の真ん中あたりとほぼ同じです。高緯度地方は夏と冬の陽の長さの差が大きく,もうすぐ冬至ということもあり,明日の日の出は8時37分,日の入は16時27分です。夜が明ける前に出勤し,日が落ちてから帰宅する日がしばらく続きます。
気温は寒いが暖かい室内
明日の予想気温は,最低が-1度,最高が4度とまずまずの寒さです。ただし,職場や家の中はしっかりと暖房が効いているので快適です。寝るときも薄手の掛け布団1枚で十分です。 三つの写真は近くを流れているアムステル川周辺の様子です。撮影したのは午後4時頃。ヨーロッパの暗く寒い冬の雰囲気が伝わるでしょうか。
世界幸福度ランキング、オランダは6位、日本は62位
2020年版の「世界幸福度報告書」の世界幸福度ランキングでも北欧は依然として強いですね。1位は3年連続でフィンランド。オランダは6位。日本は62位。2018年の54位、2019年の58位からさらに後退。途上国も含めて62位? おいおい。
googlemapのストリートビューでアムステルフェーンを見ても、日本との豊かさの差がよく分かります。
今年のベストバイ
iPhone
iPhone11 SIMフリー。初めて自分で買ったスマホです。「パソコンから離れている間はデジタルデトックスしたいとです」とずいぶん購入をゴネとったんですが(笑)。
購入しての感想。身支度が楽ですね~。一眼レフカメラも、録音機器も、ノートパソコンも、普段は持ち運ばなくてよくなりました。行動しやすい。
ダイソン ハンディクリーナー
型番HH08。これはマツナガくんからの頂き物です。いやあ楽。
これまでの掃除機って、重い本体を収納庫から出して、ホース繋げて、コード繋げて、という一連の作業が面倒臭かったんだなと。ホイと持ってきて、ササッと使えます。DIY現場や、自動車車内の掃除で大活躍。吸引力も強い。極小住宅のわが家ではこれだけで用が足りると私は思ったほど。
アップルもダイソンもデザイン思考を重視
上記の2企業ともデザイン思考重視で、デザイナーの存在感が強い企業です。
アップルのスティーブ・ジョブズはデザイン思考を重視した人物でしたし、相棒のデザイナー ジョナサン・アイブのミニマリズムはデザイン界に圧倒的影響を及ぼしました。
ダイソンの創業者ジェームズ・ダイソンは、そもそも英国王立美術大学を出たデザイナーです。
そういった意味で、日本メーカーの体制は近年、途上国的であることが指摘されています。
光沢を飾ろう
鍋磨き
わが家はリビングがキッチンと一体になっています。そのため心地よく暮らすには、常時見えている鍋類が美しいことがマスト。半日をかけて磨き上げました。年末の私の行事、鍋磨き。
花を飾るようにきらめきを
冬場、夜の長いフィンランドでは花を飾るように、キャンドルを灯すと言います。今日のフィンランドの日の出は9時半ぐらい。そして午後3時ぐらいには陽が沈んでしまいます。こんな長い夜を愛でるようにキャンドルの消費量も世界一なんです。長崎も12月は1年のうちで最も夜が長い時期。今日の長崎の日の出は7時過ぎ。夏場は5時過ぎには明るかったのにね。で、夕暮れが5時過ぎ。室内にきらめきがほしい季節。花を飾るように、鍋を輝かせましょう。
重曹はききますよ
今年は重曹をメインで使いました。昨年は金属磨き剤「ピカール」を多用しましたが、比較すると重曹の方が力技を必要とせず汚れが取れます。
美しく鍋を飾って新年を迎えようね。
Show the water !
吸い込まれるような湧水
こんこんと湧き上がる湧水。島原アーケードから少し入った鯉の泳ぐ街。覗き込むと吸い込まれるほどの魔力的力を持った透明度です。
島原にはこんな魅惑的水源が点在します。
Show the water ! 音無川
こちらの川を流れているのは100%湧水。ミネラルウォーターが流れる川です。音無川といいます。
すごいでしょう。近年、市は鯉の泳ぐ街に観光交流センターを作ったのですが、あそこではなく、このとうとうと大量に流れる湧水を見せる場所につくったらよかったのにね。Show the water ! 音無川を見せる音無川清流亭を設置すれば、鯉の泳ぐ街への散策動線ができます。もったいない。島原が誇る名建築家のINTERMEDIA佐々木さんに依頼すれば素晴らしいプランができるはずです。
Show the water ! アーケード
同じ事はアーケード通りにも言えます。アーケードには今も湧水が水路を流れています。かつてはそれが見られるようになっていて、アーケードは湧水の心地よい流れの音に包まれていました。これをサウンドスケープと言います。音の風景。それがいつの間にかフタをされ隠されてしまいました。Show the water ! 宝の持ち腐れ状態であることが悔やまれます。
武家屋敷を見れば分かるよね
こちらは武家屋敷。島原の武家屋敷の魅力は、路地の中央を流れる水路にあることは皆さん納得されるところ。それがお分かりでしたら、アーケードで湧水を覆い隠しているフタを取り外しましょう。アーケード再生計画ってそこからです。湧水サンクチュアリ構想
こうして音無川清流亭→鯉の泳ぐ街→湧水アーケードとつなげば、湧水サンクチュアリとも呼ぶべき広がりのある清らかな散策地帯ができます。魅力的だと思いませんか。
島原のカワハギ
晴れ日が続くので庭木が気になり、島原の旭亭に来てみると、おっとっと、移植したコデマリの木がまずい状態に。早速散水。すんでのところで救えたかな。
温暖な木造
島原は暖かく感じます。TVの天気予報では長崎市と同じ最高気温のようなんですが。
番組「建もの探訪」で散々名建築を見てきた渡辺篤史が、肝心の自宅をコンクリート打ちっぱなしにして大失敗したという有名な話を思い出しました。
「コンクリートは、冬寒く、夏暑い! 床暖房をかなりやったのよ。それで凍死しなかった」(渡辺談)
現代の木造建築は断熱材が効いてますからね。
今が旬のカワハギ
そんな話をlineでしていると、散人さんからお誘いが。
いただいた島原の幸、カワハギ。肝は今が旬で絶品。コロナの感染も未だなく島原パラダイス。
散人さん「私の妻はね、徳川が江戸入府した際にご一緒した牛込二十騎町の子孫。その義父が言ってた言葉を思い出すよね。『江戸前の細工した寿司じゃなくって、素材のままの寿司を食ってみたいんだよ。本音はね』ってね。素材そのものの旨味が島原じゃ食えますよね」
「いつか、ソバをツユたっぷりで食ってみたい」って話に通底しますね。
Twitterにこの写真をアップするとみるみるイイねが。みなさんにも島原の豊かさが伝わるみたいですね。
オランダ人を救った日本
「長崎出島GIN 伝之進1812」。じだらくさんから頂きました。ありがとうございます。このジンの所縁には実に興味深いものがあります。
オランダは出島で細くつながっていた
オランダ国旗がひるがえっているのが、世界中で出島ただ一か所だけだった時期があります。ナポレオンの侵攻によってオランダがフランスに併合され主権が消滅していた5年間、1810年から1815年のオランダ復活までのことでした。
救った日本の幕府
出島が孤立し本国からの支援を失ったこの時期、オランダ人を救ったのは日本でした。幕府は出島のオランダ人が飢えぬように食料などの生活必需品を無料提供し、その他の品は長崎会所(商人組合)に立て替えさせました。この頃、長崎奉行所の目附であった茂伝之進が醸造し出島に納めたジンがありました。この再現を目指したというジンが「長崎出島GIN 伝之進1812」。製造元は杵の川。
上記の由来は、商館長ドウフの「日本回想録」に次のように記されています。
日々の食料品及びその他の必需品は、幕府の命によって長崎会所より規則正しく供給されたばかりではなく、長崎奉行は毎週二、三回人を遣わして、何か不足の品はなきや、また用達人が正当に供給するやと問わしめ、彼らは力の及ぶかぎり我らの惨憺たる境遇を慰めんと努めたり。
目附 茂伝之進は我らのため、ジン酒を蒸留せんと苦心し、予はこれがためにたまたま予の手許にありたる大なる蒸留釜および錫管を貸与せり。彼はよほどこれに成功せしも、ネズ松の樹脂の異香を除去すること能わざりき。ただし彼の醸造せるブランディは実に優良なりき。
プロの中華をご家庭で
ご家庭で中華系の炒め物を作る際のポイントをご紹介します。
プロのテクニック「油通し」の代替策
プロのやる「油通し」。大量の低温ゴマ油で火の通り難い食材を予めバラバラに火通ししておくテクニックですが、面倒なのと大量の無駄な油を作ってしまうため、なかなか家庭ではやる気になりません。
けれどこの方法で下処理しておいてから素材を炒め合わせると、野菜は艶がありつつ、しかもシャキシャキ、しかも必要十分に火も通っているという、矛盾する要素を上手く解決する非常に良いテクニックです。
その代替策。多めのお湯にゴマ油を大さじ3程度混ぜたもので火の通り難い野菜を強火でサッと数分間茹で上げておくと、火通しと油コーティングの双方が達成可能なので、油通しとほぼ同様の効果が出ます(実は以前、中華の名料理人がTVで喋ってました)。
ただし肉類や貝類はこの方法だと味が抜けてしまうから行えないのが欠点。代わりに具材を一緒に炒め合わせる時、少し多めのゴマ油で先に火を通しておくことで対処可能です。
片栗粉のテクニック
あと、片栗粉の活用。最後にトロ味をつけるため、粉1:水2位の比率で混ぜた物を最後に注ぎ入れるのもいいですが、予め肉類にまぶしておくと、旨味が逃げず、かつ良く味をまとってくれるのでお勧め。
また、海老や貝類は濃い目の片栗粉水を作って予め絡ませておき、水を切ってから炒めるとすごくプリプリに仕上がります。
プロの味付けに近づける
味付けで僕がお勧めしたいのは、塩コショウをベースにお酒少々、加えて米酢少しと、ナンプラー+カキ油(1;2位の比率で)で仕上げたもの。コクとさっぱり感の両方が同時に味わえます。これらのテクニックを組み合わせると、プロが作る炒め物とそうクオリティが変わらなりレベルの仕上がりになります。
A-プライスの冷凍むきガキ
最近は、今まで使ったことのなかった冷凍むきガキ(A-プライスなど)に開眼。50℃位のお湯に袋ごと5分ほど漬けて半解凍し、片栗粉水をまとわせてから炒め合わせればご機嫌な半生の仕上がりに。割安(生の半額以下)で美味しい見事な素材です。
IHでは平底かつ深型の鉄鍋で高火力
IHだと中華の炒め物は作れない!? そんな事はないようです。丸底の中華鍋の代わりに平底かつ深型の鉄鍋を高火力ヒーターで加熱。鍋底全体が熱をもつため、鍋は振らずにしっかり混ぜることで、ほぼ同様の効果が得られると中華の料理人もコメントしているので、きっと何とかなるでしょう。
三原庭園バー
バーが始まるらしいよ、三原庭園。
この12月オープン
メディアで取り上げられている三原庭園。ウイークデーで来園者が疎となる時間帯に覗いてみたら、「お!」、バースタッフと思しき方が。お話を聞いてみました。
「ここもう開いてるの?」
「今日がオープンなんですよ~」
「そうなんですか。休業日と営業時間は?」
「15時から開店です。しばらく営業しつつ固めていこうと」
「うまくいくといいですね」
「ありがとうございます」
好印象の方でした。居心地よさそうですよ。メニューを見せていただくと、アルコール類が600円、コーヒーが400円。それとツマミは乾き物。
現在、車は10台ほど駐車できます。また、年内に50台ほどの駐車場を準備されるとのこと。車ではノンアルコールの方とお出かけくださいね。
さらにカフェも敷地内のバーと少し離れたところにあって、こちらは営業時間は11:00〜18:00。ドリンクやワッフル、おつまみなど楽しめます。
異次元の美しさ
夜は三原庭園もライトアップされ、バー周辺は美しいイルミネーションに満ち、眼下には街の夜景が広がっています。別次元に迷い込んだかのような耽美的世界。最高。長崎の穴場の誕生ですね。
DIY 洗面台のタイルやり直し
今年夏にDIY製作した洗面台。気に入っていたのですが、タイル貼りを失敗しました。
タイルボンドは厚く
初めてのタイル貼りは見事に失敗。
暑い時期が過ぎ始めたころ一筋のヒビが走ったかと思うと、あれよあれよとタイルは浮き上がっていきボロボロと崩壊。センスに頼りっきりで慢心した若手デザイナーの自信のような崩壊。塗ったタイルボンドの厚さ不足が原因です。
振り出しに戻る
ワッセワッセとタイルとタイルボンドをきれいに剥がし取る。で、もう一度、タイルボンドを厚く塗って作業に係ろうと思っていたのですが、これがどっこい。洗面ボールと基板の間が、10mmちょいしかなく、そんな作業は不可能なんですね。
本物タイルを樹脂止めしたシート
で、試行錯誤の末見つけたのがこれ。36個の本物タイルが樹脂で留められた15×15cmのシートです。こんなものがあるんですね。実際のタイルそのものですから、絵柄でできただけのタイルもどきシートとは質感が違います。
まずべニア板にウレタンニスを3層に塗り、シートの接着を高める。中心部のタイルシートを張る。べニア板をビスで基板に留める。その後に他のシートを張る。最後に周囲をセメダイン防水シールでシーリングする。
復活
ほい、完成。復元完了です。
いやあ、水回りの作業は難しいですね。洗面ボールを外してから作業すればいいじゃないかと思われる方もいらっしゃいましょうが、あの辺りはもう触りたくなかったんです。
エールロス
菊田一夫は加津佐で暮らしていた
朝ドラ「エール」が先の土曜日で幕を閉じた。
その中で後半から大活躍する「池田二郎(北村有起哉扮する)」が、戦後 古関裕而と名コンビを演じる「菊田一夫」だと云うことは直ぐに分かった。
あの「君の名は」の映画化(昭和29年)が島原半島の雲仙でロケがあった。岸恵子と佐田啓二主演、岸恵子さんが手をついた岩を眞知子岩と云う。 菊田氏は幼少時代の一年半を半島内 加津佐で暮らしていてあの雲仙連峰を毎日眺めていたともいう。で雲仙ロケとなった次第。
大衆演劇は時代に半歩遅れた企画をしなさい
菊田氏が東宝役員(演劇担当)になったのが1955年。私が入社したのが1972年。翌年に亡くなられた。当時は専務だった。
前年、新宿コマ劇場で江利チエミさんのミュージカル「アニーよ銃を取れ!」の舞台稽古を菊田専務が観に来られた。ボーツと場内に立っていた私を専務が手招きされた。私は緊張が走った。
「名は?」
「〇〇です」
「出身は?」
「九州島原です」といった途端先生の眼がキュとなったように思えた。
「志望は?」
「制作室です」
「大衆演劇は時代に半歩遅れた企画をしなさい」
この言葉は生涯の宝になった。